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世界平和教授アカデミー
2001.6
1.高等教育において道徳・家庭価値の研究・教育に力点を置く
「教育の危機」の根底には、人間の価値(道徳倫理)・家庭価値の崩壊がある
現在の危機の本質は「教育の危機」である。「教育」とは、社会の基本価値を次世代に受け継がせる機能であり、文化伝達のシステムである。健全な教育には、人間とは何かの基本的な価値観とその基礎となる教育が必要である。しかし、戦後の憲法、教育基本法では、宗教教育の禁止が謳われ、人格形成に関する教育も不在であった。教育の危機の根底には、基本的な人間の価値(道徳・倫理)、家庭価値の崩壊がある。文化伝達のシステムが崩壊の危機に瀕しているのが現状である。国の歴史や文化についての無知により、伝統形成の責任感が失われた。
戦後「公」が軽視され、利己主義と個人主義の区別が判然とせず、利己的個人主義が蔓延した。物質主義、利己的個人主義が蔓延する中、多くの日本人は、「地の塩になる」という発想を忘れ、偏差値中心の立身出世主義に陥った。また、「ロマン」を失ってしまった。自立心はロマンから芽生えるものであり、ロマンを持ってこそ、専門知識も創造性も伸びる。
大学に「価値研究センター(研究所)」を作る
現在大学の直面する最も枢要の課題の一つは、価値観の混迷にどう対処するかである。高等教育が拠り所とする価値観は社会全体に大きな影響を与える。高等教育において、道徳・家庭的価値の研究と教育に力点を置く改革をしなければ、社会・家庭問題も解決し得ない。また、専門的知識とともに、価値に関する知識を持つことで、世界を相手にする知的処理能力を高めることができる。従って、高等教育機関は、価値相対主義から脱皮し、カリキュラムに道徳・倫理、家庭的価値を組み込むべきである。大学に、価値研究センター・研究所を設立することも必要である。
2.大学の第一の役割は教育であり、真の教養教育を柱とする。
大学の役割は第一に教育、第二に研究と考える
社会や国家の繁栄・発展の鍵を握り、教育的基盤を提供するのは高等教育機関である。政治的経済的混迷の根底には、教育問題がある。国は、何よりも「教育改革」を第一の課題とすべきである。
高等教育の本質は、人格の形成を伴った真の「教養」の涵養である。現代社会は、プロフェッショナルとともに、彼らを支える真のゼネラリストが必要とされている。しかし、わが国の教育には、真の意味のゼネラリストを養成するという視点が欠けている。従って、大学では、教養教育を特に重要視する。
高等教育機関は、「社会の良心」「知的権威」として、道徳的に高潔で、責任ある国民・世界市民の育成に積極的役割を果たすべきである。しかし、これまで日本の大学では、研究に関する意識・関心は高いものの、教育に対する使命感が欠けていた。大学の役割は、第一に教育、第二に研究と考えるべきであり、知の基準だけでなく、道徳的人格を持つ成熟した人物をどれだけ育成できた否かで、大学の評価もなされるべきである。
「教養教育」には、知識教育と人格養成の意味がある
「教養」とは、「教導」の「教」と「養育」の「養」である。つまり、知識を教えることと同時に、人格の養成という意味がある。知識だけでなく、しっかりした倫理・道徳的価値観を備えた人格の教育、それが真の教養教育である。理系・文系の枠にとらわれず、学際的観点から、人生や社会の根源的な問題に取り組む教養教育を重視し、学部教育の基礎とする。
哲学、倫理学、文学、芸術学、歴史、語学、宗教学は教養教育の根幹である。また、学力の基礎は、「読み、書き、話し」(語学教育)と「そろばん」(コンピュータ)である。根源的、全体的な問題を扱うとともに、ディスカッションやプレゼンテーションなどの訓練を通じて、自らの意見を論理的かつ説得力をもって表現する能力を養う。また、インターンシップやボランティア活動などを通じた「生きた教養教育」が必要である。少人数形式の教育を導入するなど、教育方法も改善する。
旧制高校は、欧州的な教養主義であり、その目的は、人間の基本的な性格を形成することにあった。旧制高校の長所は、@知育、徳育、体育のバランスがよく、人格、人間教育に集中していた。A討論を通して、自由に話をし、突き詰めて考えること。B少人数教育であったために人格形成に効果的であった。C語学教育を重視していた。D「だべる」ことが、自主的学習心を培うのに有効であった。短所は、@アジア蔑視、驕りなどを生んだことである。
参考にすべき点が多い。
3.21世紀の大学は、「文明間の対話と調和」をもたらす責任がある。
アイデンティティ確立には、人格教育・宗教が重要な役割を持つ
21世紀は、グローバル化時代であると同時に、高度情報化時代である。世界との接触が増えるとともに、「文明の衝突」へとつながる危険性も高まる。そこで、それぞれの地域や民族の伝統文化の差異を自覚的・学問的に認識することによって、衝突は避けられ、共生の世界が開かれる。また、グローバル化時代は、ナショナル・アイデンティティの確立が求められる時代である。アイデンティティ形成の中核となるのは、血統、信条、信仰、家庭である(ハンチントン)。アイデンティティの保持は、家庭倫理と社会倫理の保持と密接に関連し、その確立には、人格教育、宗教教育が重要な役割を持つ。宗教は人類の最大文化遺産だからである。
キャンパスに「文明間の対話と調和」のモデルを作る
大学は、文明の衝突を拡大する可能性と、逆に対話と協調をもたらす可能性の両方を持っている。21世紀の大学は、文明間の対話と調和をもたらす責任がある。
それには、第一に、キャンパスを、多様な国家、人種、宗教、文化的背景を持つ学生、教授からなる「世界的文化村」にする。海外留学生の受け入れを積極的に推進し、ネイティブな専門家を教官として多く招く。経済的支援(奨学金)など、留学生の受け入れ体制を整備することなどが必要である。
第二に、普遍的な人格教育、世界宗教、倫理(特に、比較倫理)、日本の歴史や文化、国際社会の直面する重要課題への認識を深める教育を行う。
第三に、国際文化交流と相互理解にとっての最大の壁である言語教育を強化する。コミュニケーション・ツールとしての英語教育に力を入れる。留学生を対象とする日本語教育を強化する。
第四に、世界各国の大学との単位互換制度や教授学生交換プログラム、国際機関等との連携によるインターンシップ、ボランティア活動、現地調査などのプログラムの推進を図る。特に、アジアの文化・歴史に対する広範な教育が必要である。
4.大衆の中から「エリート」が出てくる制度を作る
戦後の日本社会では、民主主義の基本にある、自由、平等、博愛(人権)の中の「平等」のみが、特化されて施策され、「悪しき平等主義」が横行した。その結果、「競争」が正しく評価されず、弱者中心の社会となった。また、「平等」に反するとの理由から、「指導力」「エリート」がタブー視され、指導者教育もなされてこなかった。「結果の平等」ではなく、「機会の平等」を追究すべきである。
21世紀に向けて、大局が見渡せるとともに、幅広く問題状況が看取でき、しかも謙虚で奉仕の念(「公」重視)を身につけた真の指導者を養成することが求められている。これからの指導者は、専門分野や社会で指導的役割を果たすだけでなく、家庭においても良き父母であり、良き配偶者でなければならない。そのような真のエリート、指導者の養成を目指す世界水準の大学が必要である。
日本の真の強さは、「草の根エリート」を輩出してきた点にあった。社会大衆の中からエリートが出てくる制度が必要である(陸軍の失敗に学ぶ)。
5.大学院は、専門職業教育(大学の教育担当を含む)を重視し、職業倫理教育によって公的精神を身に付けた専門職業人を養成する。
高度の専門職業教育(大学の教育担当を含む)と職業倫理の教育を行う
従来の大学院は、研究者養成を主要な役割としてきた。そのため、大学の教育担当を行う人材の育成は考慮外と言わざるを得ず、大学教育の危機を招いたのである。大学院は、研究とともに高度な専門職業教育(大学の教育担当を含む)を行うべきであり、当然のことであるが産業界・官界などにおける高度の専門知識・能力の育成、大学の教育担当としての教育・研究能力の育成を目的としなければならない。そのために、実践的な教育(大学の教育担当としての研究指導を含む)を行う修士課程・博士課程の設置が必要である。その際、職業倫理教育に力を入れ、公的精神を身に付けた専門職業人(大学の教育担当を含む)を養成し、産業界・官界はもとより、この提言の主題でもある大学の教育を担当する人材を確保することを目指すこととしたい。現在は、ビジネス(経営)倫理、医療倫理がカリキュラム化されているが、知的所有権の尊重を含めた職業倫理全般に関連するカリキュラムは未完であり、役立っている事項は数少なく、大学院教育に限界があると言えよう。
社会に開かれた大学院に
「たこつぼ型」の大学院における研究偏重主義を是正し、教育面を十分に加味し社会に開かれた現場主義の大学院とする。そのための要件として、大学院の教育担当の人材育成は大学院のみでは完成できないとの反省から、大学院修了後の産業界、官界経験者を大学院の担当として迎える習慣を確立すべきであろう。例えば、法学分野なら法曹界の経験、経済学分野なら企業経験、文理分野なら大学以外の教育界あるいは企業経験、医歯学分野では大学以外の病院経験、農工業分野では企業経験などを大学院の教育担当への用件に加える。もちろん、各分野とも官界の経験も可として良いであろう。社会に開かれた大学院を目指すためには、まず教育担当の人材育成に際しての「たこつぼ型」の排除を行う必要があり、大学院教育の改善が大学教育を社会に開かれたものにすることに直結するのである。大学院は、能力に応じた年限の短縮(修士では1年に、博士後期では1〜2年に)を考慮するが、週末や夏期休暇を活用した教育、インターネットを活用した遠隔教育などを積極的に導入して、社会人の受け入れを容易にする努力が必要であろう。このように、社会人が学習し易い大学院の教育環境を整備すれば、産業界・官界との大学院の交流は盛んになるので、21世紀の大学院に相応しい教育の実践が可能となり、同時に国際的に認知される大学院の研究レベルも確保されるものと考えている。当然のことであるが、地域指導者の養成、国際人の養成、国際的レベルの研究者の養成も自ずから達成できるので、大学院教育の役割が見直されることとなろう。
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