政教分離と宗教教育のあり方

武蔵野女子大学教授 杉原 誠四郎

 

1、人間にとっての宗教の意味

 私の専門は、教育行政学ではありますが、宗教をめぐって教育はどうあるべきか、そしてそうした教育を育てていくためには、制度としてどのような理解が必要かなどについても研究をしております。

 そこで、宗教と教育の関係を検討する前に、まず制度としての宗教とは何かについて考えてみたいと思います。

 認識世界の中で、最高にすぐれた認識をしようとする営みが「哲学」と言えましょう。哲学の命題を考える場合に、「自分(私)」の問題は、ひとまず脇に置いています。ところが宗教の問題は、「自分」という存在を前提にしない限り始まりません。

 宗教学者が、宗教とは何かについていろいろと定義を下しています。キリスト教系の学者は、キリスト教的な神を前提にして宗教の定義をし、また仏教系の学者は、仏教的な説明をしています。しかしそれらに共通して言えることは、宗教の究極の点は、「自己」の存在を前提にするゆえの「自己愛」であるということです。

 私は宗教の核心とは、「自己への愛着」あるいは「最高の自己愛」だと思っています。宗教は一般に救いを説きます。この救いもすなわち、「自己愛」ゆえに、問題になるのであると考えています。低次元においては、人から傷つけられたりすると、これを怒るというような次元の自己愛もありますが、それが宗教的に高まれば「最高の自己愛」として存在するようになります。

 このように宗教心をとらえたときに、宗教心は教育において最も大切なものであるということであり、教育者自身がこのことを自覚する必要があります。

 人間以外の動物と人間を比較したときに、動物は、感情が豊かでないし、認知力が人間ほど優れていません。人間ほどすぐれて感情が豊かで、喜怒哀楽が激しく、認知能力がある存在はありません。そのため人間は、死んだ人に対して、その人が死後もどこかで生きていると考える同情心をもって受けとめます。これはすなわち、それだけの「想像力」もっていることを示しています。これが動物との大きな違いです。

 例えば、ネアンデルタール人という人類の祖先がいますが、彼らは穴を掘って人をそこに埋めるときに、その墓の中に花を添えていたとされています。このことは、ネアンデルタール人が宗教行為をしていたということで、それゆえ人類史の中で、すでに「人間の仲間」に入っていたことを示しています。

 このように人間である以上、宗教を離れて人間は存在できないのです。「精神的に弱い人が宗教に頼る」といったマルクス主義的な宗教観ではなく、「宗教とは、人間の唯一優れたことの証」であり、これが人間の最も重要な特徴でもあると考えるべきなのです。

 科学と宗教は、それぞれ特徴があり、相入れない部分があります。科学は現実世界の分析・整理であり、一方の宗教は総合的な視点ですから、そこにはどうしても両者が混ざらない部分というものが生じてきます。特に、我々人間誰しもが持っている根源的な宗教的問題は、科学では解決できませんから、この分野は宗教の独自の分野となります。その意味でも、宗教は精神的に弱い人が慰めとしてもつものではなく、人間としての特権、人間という存在の必然において宗教の問題が生じてくると言えるのです。こうした問題を、宗教は問題として大前提にもっています。

2、無意識的宗教と自覚的宗教 

 そういう中で、現実の社会問題を考えたときに、原始時代は人間の歴史の中に入るには違いないのですが、まだそれほど文明が進んでいない段階でした。この段階は、大自然の中で生活していますので、宗教は自然宗教的な形で存在しています。つまり自分たちの生活にちょうど合った宗教を、個々人が個性を持って信仰するのではなくて、まさに社会的共同体の宗教と言えます。古代の自然宗教は、言わば「無意識的な宗教」ですから、人々は共同で宗教を持つことになります。ですから、この段階はまだ「自覚的な宗教」ではありません。

 文明が高度化してきますと、宗教的問題に対する疑問の持ち方が、個々人により違いが出てきます。中には宗教的に鋭利な感覚の持ち主もいますから、そうしたところから始まって「意識的な宗教」が出てくるのです。そこには「宗派宗教」というものが当然生じてきます。一つの宗派では社会全体を包むことができなくなってきます。

 人間というものは、元来自然な存在です。文明が高度化しても、原始人と同じような心のメカニズムを本来もっています。原始人のそのままの心のメカニズムを持って文明の中で生活していると言えばよいのです。その意味で、ある宗派宗教を信仰するには、社会の共通の宗教的雰囲気が影響することは明らかであり、その問題が決定的な役割を持つことになります。

 キリスト教社会では、いろいろな分派、考え方があっても、社会全体ではキリスト教的な慣習といった社会的・宗教的雰囲気が、キリスト教的な宗教心を満たしてくれています。文明社会においては、個別の宗派宗教も歴然と存在しますが、同時にそれはそれだけが存在するというのではなく、社会全体の中に、宗教を信仰していない人の心をも満たすような感じの宗教的「共通項」があるのです。

 例えば、チベットで人が死んだときには、「鳥葬」といって人間の死体を鳥に食べさせるように晒しておきます。その社会ではこの行為は、神聖なものなのですが、日本でそんなことをしようものなら、残酷な印象が生じてきます。それはその土地の長い文化の中にある共通性(共通項)のためであり、これらは離れた地域間では当然差異が生じてくるのです。

 こうした社会の共通の宗教的雰囲気を大切にし、それを前提にしなければ、個別の宗派宗教もまた生命がかよってこないのです。意識的な宗教の信仰を持てる人はいいのですが、そうしたところまでいかない未自覚的な人も社会にたくさんいます。しかしそのような人たちも事実上、宗教的な存在であろうとしていますし、しようとするのならば、無自覚的な宗教というレベルをも認めないといけないのです。

3、政教分離の考え方

 以上の前提をもとに、今日の憲法における政教分離問題を考えてみましょう。

 制度的な意味での憲法のいう「政教分離」は、非常に慎重に解釈しないといけないという結論になります。

 日本の場合、特に「政教分離」の原則は、(通説に従えば)戦前日本が神道を国教化した反省から(神道側は、そうではないと言っていますが)生まれたものです。この限りにおいては、妥当性があるということなのです。

 しかし政教分離を過度に強調していくと、問題があります。例えて言えば、風邪を引いて風邪薬を飲む場合に、薬を必要程度に飲めば風邪を治すのに有効であることは、いうまでもありませんが、それを適量の10倍、20倍も飲めば薬は毒になるのと同じ論理です。すべての薬は、飲みすぎれば毒になるのです。政教分離は戦前のような状況に対して強調することは意味がありますが、度が過ぎることは問題の方が多いといえましょう。つまり過度の政教分離は、宗教を窒息させているのです。

 現在の日本の教育の中では、政教分離が一人歩きをしまして、宗教が全部排除されてしまっています。この結果どうなったでしょうか。この結論として社会問題となって現れたものが、オウム真理教事件であり、神戸の連続児童殺傷事件などの問題です。

 どうしてオウム事件のような知性のある優れた人が、あのような宗教(信仰)の下に、人殺しをしてしまったのでしょうか。人殺しをするときに、歯止めがかからなかったのは、どうしてなのでしょうか。結論を先に言えば、エリートの若い人たちが、小さいときに宗教心に対する教育を受けてこなかったからだと言えます。

 元来人間は、宗教的な存在でありながらも、子どものときに宗教を全く抜き取った教育を受けてくると、人によっては非常に宗教的「飢え」が心の中に生じてきます。あの程度の宗教に対してでも、強烈に説得されるとそれになびいてしまうわけです。そうするとその満足感が忘れられなくて、盲目的信仰に入ってしまうことになります。

 こうした宗教的な「飢え」の中で、強引に説得されるとしびれてしまいます。もちろん宗教にはそうした現象はつきものですから、そのこと自体がすべて問題ではないのですが、宗教的な知識を持っていれば、「理性を持ってしびれる」ことができるのです。そこに人殺しに至らない歯止めが生まれてきます。その意味で、オウム問題は宗教と教育の考え方を見誤った戦後50年間の結論であったといえます。

4、教育における政教分離 

 日本国憲法、教育基本法など法律上の制度は、宗教をどう位置づけているかといいますと、宗教を排除しているのではなく、むしろ宗教を重んじているのです。いろいろな条文を突き合わせていくとそういう結論になります。

 例えば、憲法が制定される過程においてもそうでした。憲法第20条をみると、公立学校は宗教に対して一切かかわってはいけないと読み取れる可能性があるので、そうした誤解をしないようにと、昭和21年8月15日に国会において「宗教的情操教育に関する決議」を憲法制定時にわざわざしたのでした。そして教育基本法も宗教教育を重視しているのです。

 法律の基本は、このような趣旨になっているのですが、政教分離規定を楯に振りかざす人たちの意見を考慮しすぎると、宗教に関係する教育に対して、あれはしてはいけない、これをしてはいけないといった禁止事項の羅列に終始することになってしまいます。

 教育基本法が制定されたときと時を同じくして、昭和22年教育内容を定めた学習指導要領というものが出てきます。その指導要領の中の社会科授業の中には、宗教を大切にしようという趣旨の教育活動の例がたくさん列記されていました。これは、憲法、教育基本法の趣旨を活かし、それを実行するような形でした。またこれは、米国バージニア州の指導案をそのまま翻訳して日本に導入したものでした。

 ところが憲法の政教分離規定をそのまま適用させて問題にされたために、昭和24年「社会科、その他初等および中等教育における宗教の取扱いについて」という通達を文部省が出しました。その趣旨としては宗教教育の大切さを訴えているのですが、あのような教え方をしてはいけない、このようなことはいけないといったように、禁止事項がたくさん列挙されていました。その結果、教員の間でそんなに問題になるのだったらそれは初めからしない方がいいという結論になっていったのでした。

 宗教を大切にしようという雰囲気は、戦前及び戦後直後の方が今より豊かでしたから、そういう指導が出てきても、すぐ宗教教育がなくなったわけではありませんでした。しかしそのような結論で、50年間やってまいりますと、やはりその影響は少なくありませんでした。

 現在では、極端な場合は、学校給食のときの次のような例があります。先生が食事の前に「いただきます」と言ったら、ある生徒が「私はいただきますとは言いません」と言ったというのです。なぜかと問うてみると、「私は給食費を払っていますから、いただきますという必要はありません」という論理です。確かに経済的に見れば、「いただきます」という意味は、人からもらうことであり、そういう理屈の上ではあっているかもしれません。子どもの中には「いただきます」という言葉の中に、「人のおせわになって生きています」という意味が育っていなかったということです。問題なのは、そのこと以上に教師がそれに対して答えるべき回答をもちあわせていないという事実です。宗派宗教にかかわることを恐れ、宗教をどのように指導したらいいのか全く分からないという状況なのです。

 こういう例もありました。昭和58年、ある校長が宗教的情操を高めようとして、彼岸の日などにお墓の掃除をするという指導をしようとしました。ところがそれに対して教育委員会が禁止をしたのです。おそらく父母などから突き上げがあったからでしょう。このような公教育の中では、宗教に対する無知が生まれ、宗教に対するいささかの経験もしない結果が生まれてきます。こうした土壌から、逆に強烈な宗教的な「飢え」が生じてくるのです。オウム事件の場合は、その典型でした。結論的には、戦後教育の中で、教育と宗教の接合を誤ってしまったということなのです。

 政教分離について、別の面から考察してみます。

 社会主義国の中で、宗教を直接弾圧した国はアルバニアのみだったそうです。そこではすべての教会を閉鎖させました。旧ソ連でも、外での宗教活動は禁止しましたが、教会内における個人の信仰までは弾圧しませんでした。純粋に私的な行為としての宗教は認めていたのです。しかし公の分野においては、宗教の介入を認めないという態度です。この意味で、政教分離をしていたということになるのです。

 日本のように、本当の信仰生活を育成することを目指している中では、政教分離の程度は当然上記の程度とは大きく異なってきます。つまり薬の適量は、どの程度なのかということです。日本には政教分離をきびしく適用しようとする立場の人たちがいますが、彼らがいかにご都合主義かということです。 

 彼らの言うとおり政教分離を実行すれば、秋祭り、除夜の鐘などすべてができないことになります。秋祭りは特定の宗派活動に与しています。彼らの言う基準に従うならば、これを禁止して「神社の境内の中でやりなさい。しかも騒音を出さないで静かにやりなさい」ということにしなければいけません。除夜の鐘も同様です。こうしたものが騒音ではないという意味になるのは、日本の文化・歴史を前提としなければ言えないことです。我々人間存在は、歴史的、文化的、社会的存在ですから、それを前提にしないような心の潤いはありえないのです。そういう蓄積の中で、自分の世代の生活が存在しています。結局、それに合った生活が保障されないかぎり、現代の宗派的信仰も完全な意味をなさないのです。その点で、宗教と社会活動との問題は、よく考えませんと、人間自身を「疎外」させることになってしまいます。

5、宗派教育について 

 宗教の知識を与えようとするときには、既存の宗派教育に触れずに教えるというとは、意味のないことです。宗派宗教も伊達や酔狂で出てきたものではありません。人間の悪戦苦闘の中から歴史的に生まれたものです。私たちの中に潜在的な宗教心があり、それと宗派宗教とがスパークして火花が散るのです。既存の宗派宗教に触れないようにして、宗教心の教育をしましょうというのは、宗教教育をしてはならないと言うのと同じことになるのです。宗教に関係した教育を考えるときには、宗派宗教とのかかわりがあることをもって、政教分離に反すると言ってはいけないのです。

 私の一つの体験をお話します。

 現在、私は大学で幼稚園の教員養成のための授業で、「幼児宗教教育」という科目を受け持っています。その中で、学生に「幼児にとっても宗教心が大切だ」ということを説得していますが、なかなか大変な作業です。そしてそのことを彼らが一応理解した段階で、次に讃仏歌を歌いましょうと指導したところ、「幼児宗教教育という科目なのに、どうして私たちが讃仏歌を歌わないといけないのですか」と反発しました。私は「子どもにとって宗教教育が大切だということが理屈でわかっただけではだめです。君達自身が自分の自覚として宗教心が大切だということを自覚する必要があるから、讃仏歌を歌うのです」と説明しました。

 幼児には、宗教心が大切だからといって、宗教の教義を教えることはできません。この時期は、生活経験の中から学びます。例えば、おばあさんが死んだときに、その写真の前で、手を合わせて拝む。あるいは、就寝前に、仏前でもキリストの像の前でもいいのですが、その日一日を反省してから寝るということです。

 特に後者は、意味のある行為です。「今日は、○○さんをいじめました。明日はしません」といったように祈りながら、その日自分の行ったことを距離を置いて見つめるのです。自分の悪かった点を修正して、心を清くしてから寝るわけです。このような心の動きを、1分でもいいから1日一回します。そうすることで、現実の自分をもっと高いところから見つめるという自分をよりよい方向に導いていく心のメカニズムが動きだします。

 中・高校生になったときに、例えば性欲が高まるとか、親に対しての反発心が高まったときなど、自分をより広い観点から見つめることができるようになっておれば、その瞬間の衝動のままに行動するということは少なくなります。この心の動きが「自己愛」であり、さらに言えば「神仏との心の交流」です。そのことによって、自分を客観視することができ、清らかな方向に自己を導き、さらにはその結果として自己の欲望を抑える(コントロール)することができるのです。

 神戸の児童連続殺傷事件は、全く物的な世界にのみ生活してきたために、ゲームで人を殺すように生身の人間も殺してしまったのです。人間が「死ぬ」といわず、「壊れる」といっているのはその少年の心の動きの象徴でしょう。仮想の世界で現実を見たのです。「殺す」という自覚なしに、そうしたのです。 

 さらに進んで、中・高校生になると、自覚的宗教の段階に入っていきます。ですからそれ以前は教義は教えられないのです。しかし社会の中にある宗教的雰囲気を豊かにしてあげて、きちんとした環境を整えてやれば、自覚した段階で自分の納得する宗教を意識的に持つようになるのです。

 学校教育においては、特に父母に対しては、どの宗教とは言えませんが、「宗教心は子どもにとって大切なんだ」というところまでは、言ってほしいと思います。宗教心は、子どもの成長のためにも助かるし、立派になった子どもは家庭内暴力を振るわないし、社会はよくなるし、といったように、そのような観点をもった教育を育てることが大切だと親に理解させてほしいのです。そのような教育学的見識が必要です。戦後の教育学の中で最も弱体化したのは、教育哲学でした。それが壊滅したことによって、現在の教育学全般が浅薄になってしまったのです。今日の教育の混迷は、教育学の立場から一言余計なことを言えば、教育哲学の貧困に帰せられるのです。     

 (1997年10月18日発表)