国際的指導者をどう育てるか
―教員養成制度の課題―

岐阜聖徳学園大学学長 上寺 久雄

 

■国際化に通じる「日本化」

 近年教育においては、「心の教育の充実」が重要だと言われているが、かつての臨教審では、「新しい国際化」という言葉が登場してきた。いったい、「新しい国際化」とは何か。

 現在、日本から外国に多くの人が進出して、国外で働く時代を迎えている。さらには21世紀を展望して、高齢化、情報化、国際化、といったことが予想されている。その社会変化の中でどう生きていくべきか。それを求めて、どのような教育をしていくべきか。このこと自体、親や教師の生きる姿勢でもあるし、目標でもある。

「国際化」に対立する言葉を求めれば、「日本化」という言葉が浮かぶだろう。私たち日本人が日本人として徹底していく。そのことは国際化とどう関わるのか。常識的には、我々が一国民として徹底していけば、だんだん国際的でなくなるように思われる。右か左かの論理で考えればそういうことになる。しかし、今は、日本化に徹底することが、まさに国際化に通ずるという発想が必要になってきたのではないだろうか。

 歴史的に日本という国を考えてみた場合に、日本の国が成立した時点から国際化する傾向にあったとみることができる。例えば、平安・鎌倉時代には、「和魂漢才」という言葉が出てきた。日本に中国の文化がどんどん入ってくる中で、それらによって日本が中国化し、日本人が日本の魂を忘れてしまっては困るということから、当時の国際化に対する警告の言葉として「和魂漢才」という言葉が生まれた。日本人の魂である「和」の精神をもって、外国の文化を受け入れ、才能を発揮すべきであるという意味である(聖徳太子の「以和為貴」の精神につながる)。

 江戸時代にはオランダを通して西洋文明が入ったが、明治時代になって西洋の文明がおそるべき勢いで入ってきたときに出てきた言葉は、「和魂洋才」ということであった。西洋の文明に振り回されては困る、どこまでも日本人の精神を持って外国からの文明を駆使していこうということである。

 大正時代になると、「士魂商才」という言葉が出てきた。第一次世界大戦のころのことで、日本の製品が外国にどんどん出て行った。ときに石の缶詰さえ輸出したのである。これは日本人はあくまでも人間として正しい精神を持って商売を行なっていくべきだという意味である。どこまでも日本人として正しい生き方を基盤にしながら商売・貿易をしていこうという意味でもある(私はこれらの言葉から、「師魂教才」ということを提唱している。つまり「教師の魂を持って教育する才能を発揮しなさい」という意味である)。

 歴史的に見て、このような言葉がいろいろと出てきたということは、昔から日本が国際化の波にのり込まれつつあったということの実証であろうと思う。本来、日本人は、日本国内で日本化することを通して国際人たろうとしたのだということもできよう。

 そこで日本のあり方が問題になってくる。どこまでも日本文化を尊重して日本人として生きていく、すなわち日本化を徹底することにおいて、国際化につながることを信ずるべきであろう。日本人が日本人として成長し、中国人が中国人として成長するところに協力も成り立つのである。協力体制が組めるということは、すべてが同質になることではない。協力とは、異質間に成り立つ。どこまでも質が違うから協力体制が組めるのである。同質同士では、協力ではなく同一である。日本人は日本人として生きるからこそ、日本人としての特徴が出てくる。中国人は中国の伝統・文化の中に育ち生きるから、その特色のある生き方が出てくる。そこで相互に相手の立場を認めながら、協力体制が組めるのである。

 だから私たち日本人はどこまでも日本の文化伝統の中で日本人として徹底していくことで、世界の中の日本人として、国際社会の中で国際人として生きることの一翼を担うことが同時に可能になる。そこでお互いが相手の立場を認めて、協力できる道が生まれてくる。

■「新しい国際化」の意味

 大学の卒業生で外国に行っている人の意見を聞くことがあるが、彼等が口をそろえて言うことは、「日本は本当に天国ですね」ということ。その意味は、「日本の国は実に平和で、日本で生活するような気持ちでは、外国では生活できない」ということである。それはまた、異文化の中で生活するには、日本国内の感覚だけでは限界があるということでもある。

そこで今後海外に出て行かなければいけない趨勢の中で、教育はどうあるべきなのかが問題になるのである。冒頭で示したように、昭和62年の臨教審答申の中に、「新しい国際化」という言葉が出てきた。「新しい国際化」とは一体何か。まず「化」という言葉について考えてみよう。「化」といった場合、その状態に行き着いたという意味ではなく、変化してそれが望ましい方向に近づいていくという意味である。「国際化」といった場合でも、今の現状が最高であるということではなくて、よりベターになっていくという進行を示す語である。

 いったい、「新しい国際化」というが、「古い国際化」というのはあるのか。明治時代の国際化は、主として外国の文物を受け入れていくという形のものであった。国を開いたら外国の文物が入って来た。その時代は、日本を外に向かって開くことによって外国のものをどんどん取り入れていこうという意味の国際化であったと思われる。特に世界の文明を吸収することによって、自国の文化を高めていこうとしていたのだといえないことはない。

 それでは、現在の国際化はどうか。受け入れるばかりの国際化なのか。日本を起点として外に働きかけていくという国際化、これが「新しい国際化」の意味ではなかったか。受け入れる国際化から、飛び出して外国に出て行き、国際社会の中で働いていく。そして日本の文化を伝えていく。そうしたときに日本人のあり方はどうあるべきか。これはまさに教育の問題と直結してくるのである。

 昔は外に出て世界の文明を吸収することに重点をおく教育であった。現在は、積極的にそれぞれの国に進出して行ってそこでどう生きていくのか、そこに新しい国際化の意味があるし、新しい教育の問題がある。そこには「教育の国際化」、すなわち教育を国際化していく作業もある。もう一方には、「国際化の教育」もある。これは次世代の国民に向けた営みである。従って明治時代のような受容のための国際化と現代のような世界の中に入り込んでどのように生きていくべきかという国際化の二つである。これが私たちの課題ということができる。

■人間性と職業性の融合

 こういう教育環境の中で、教員養成はどうあるべきかを次に考えてみよう。その前に、まず人間教育について教師養成の観点から検討してみる必要がある。

 教員養成を考えるときには、「専門職としての教師養成」とよく言われる。そこでは人間性と専門性とを対比して考えることがよくある。しかし私の考えは、少し違っている。人間性教育は確かに必要である。人間性と対立する位置にくる概念は何かというと、職業性だと思う。この二つが融けがたく絡み合った結果として、初めて専門性が出てくるのだと考えているのである。

 職業性とは何か。教師はどのような教え方をすべきか。導入・展開・結末と進める授業の中で、どのような技術・方法をもって教えていくのか、子どもの心を開発するにはどうしたらよいのか、あるいは生徒指導はどのような方法でするのがよいのか……など。教師は、教育という場においてどのような働きをするのか。このような職業的機能から生じる技術や考え方を、職業性といえる。

 一方の人間性は、その教師自身の過去から生きてきた歴史から出てくるものだ。これはすべての教師が同じ性格を持つことはありえない。一人ひとり性質の違う人間である教師が、職業性から生じる客観的なルールや方法が融けがたく絡み合わされて私の教え方が出てきたときに、初めてその人なりの専門性が認められるのである。客観的なルールを持ちながらも、それを私なりに駆使することによって、「私の専門性」が生まれる。教師個人の個性だけをむき出しにしていては教育にはならない。その個性を客観法則に従って、私なりに解釈し、クラスの子どもの個性に応じて授業を展開するのである。人間性と専門性とを対比させてしまうと、相互の関係が説明つかなくなってしまうというジレンマに陥ってしまう。

 それでは教員養成において何をすべきか。最初に大学に入学したころは、人間性の教育に重点を置いて進める。だからといって教師になるという専門性をまったく無視して、基礎教育だけでもだめだ。初めは人間性の教育の割合が多く、学年次が上がるにつれてそれが次第に深まっていく。人間性を高める教育を積み重ねていく。一方では将来教師になるのだという意識を涵養しながら、だんだん技術的・専門的にも教師としての働きができるようにしてやらないといけない(図1)。

ところが従来の教員養成制度では、このようには考えなかった。1・2年生では基礎教養教育をやり、3・4年で教師としての技術的教育をやるという「積み重ね方式」で教育課程を組んできた。しかしこれではいけないとして、前述のような方式に改めるようになったのである。

 教員養成と合わせ教員の再教育をしようということから出てきたのが、新構想における教員研修大学制度である(あるいは大学院大学とも言う)。これは後に兵庫教育大学、鳴門教育大学、上越教育大学というように一般の教育大学と同じ名称になったが、新しい考え方、新しい構想で作られた大学である。教員養成での人間形成は、入学したときから卒業するまでしなければいけないし、同時に専門性を徐々に深める必要がある。この二つのバランスをうまく調整して進める。人間性教育はピラミッド型で学年次とともに密度を高くし、専門性はクサビ型にして進めていく。そしてそれらが相互に絡んでいる科目があってもいいのではないかということから、「総合科目」というものも出てきた。

■教師の資質・特性の把握

 それでは教師の資質・特性をどのようにして把握するのか。一般的にはそれらを人間性、職業性というように平面的に考えようとしている(図2)。これに対しても私は異論がある。むしろ次元の違うものとして重ねていくべきではないかと思っている(図3)。

 第一次元は、教員になるための素地として持っている資質・特性である。その人の性格、成育環境、教養など教師になる以前の問題である。これを無視しては教員養成の教育は成り立たない。素地としての資質・特性である。

 第二次元は、そのような素地が、指導の中で生きて働く資質・特性に変えられる。例えば、指導方法、指導力の有無、教材研究の資質・特性。そのためには第一次元の性質を、どう展開し、育てていくべきかということになる。ここに教師養成の第一の問題が生じる。まず素地を見い出してやり、それを指導の中で生きて働く力に変えてやる。そのような見識を教員養成の教授する立場の人がもっていなければいけない。

次には第三次元。これは組織の中で働く資質・特性をどう育てていくかということ。

 私は幼稚園の教員以外はすべて経験したが、その経験から言って、小学校での教師のあり方、中学校での教師のあり方は、資質・特性は同じであっても表現方法は違ってくる。それは対象が違うためである。小学生の時、中学生の時、大学生の時、それぞれの指導の仕方が同じであるはずがない。もちろん教師の精神的姿勢は同じであるが、その発現の仕方は違うのである。

一般的にいって、組織の中で協力のできない典型的なものが教師である。協力体制が組みにくいのが教師であると言ってもよい。教師は自分で教えるのだから、責任を持つのは当然だが、同じ学校におりながらも、Aという先生とBという先生が全然別の方法で教えるというのもおかしな話である。

「ティーム・ティーチング(TT)」という言葉がある。これは先生同士がティームを組んで教える方法である。先生同士のティームがなかなか組めないのが教師社会である。小学校は学級担任、中学校は教科担任。昔から自分の担当する学級の教育に対しては、よそから口は入れさせないという雰囲気があった。これを「学級王国」と呼んでいる。担任教師と子どもとで一つの王国を作り、外から指図はうけないという考え方である。これにも長所があったことも確かだ。しかし同じ学校でクラスによってバラバラな指導をしていたのでは、教育にならない。クラスごとの教師と子どもの特性を活かしながらも、最終的な目標は同じ方向でなければいけないし、組織として統制のとれたものでなければならないが。

 従来は一人の先生が自分のクラスに責任をもつと考えた。しかしそれに固執する必要はなく、同学年のいくつかのクラスが協力体制を組んでもいいのではないか。一人の人と、もう一人の人が協力したら、1+1=2であるならTTをする意味はない。1+1=2+αのαが入ってくるから、協力してチームを組む意味が出てくる。一人でやるよりも、二人が協力したときにαが生まれてくるのである。

 Aという先生はその先生なりの特性がある。悪いところもあるだろうが、その先生のいい面をできるだけたくさんの子どもに及ぼしてやろう。B先生のよい面もそうしよう。そうしたことが相乗効果を生んで、単なる足し算以上の力が子どもに働きかけるのである。ここにティームを組むことの最大の利点がある。

 教師族ほど協力の組めない種族はなかったのだが、TTができるようになったということは、協力しはじめたということがいえる。組織の中で、互いの特色をあらわしつつ,プラスαがでるような体制を組み、さらに学校全体でも協力体制を組んでいき、横にも縦にもTTは広がっていく可能性を持っている。

 第四次元は、モラルとモラールである。これは教師が持つ大事な精神的なものである。モラルとは、どの子どもにもまんべんなく恩恵を及ぼしてやろうというもの。もちろん対象の子どもによってはその及ぼし方(接し方)は違う。

 例えば、小学校の教師が、新学年が始まり最初にクラスで担任としての挨拶をするとする。そのときクラス全員の子どもの顔を見回すと、子ども全員が同じように見えるというのはうそである。Aという子どもを見ると「こいつはついてきてくれるな」と感じ、Bという子どもを見ると「これはちょっと扱いが難しいかもしれない」、Cという子どもに対しては「これは難しい。完全に反対方向を向いている」というように、いろいろと直感する。これは「教師としての感性」である。教育の出発はここにあるので、この感性は指導の重要な要因である。同じクラスの中でも、プラスとプラスの関係(上述のA)もあれば、プラスとマイナスの関係(Bの場合)もあり、またマイナスとマイナスの関係(Cの場合)もある。しかし教育はまさにここから始めないといけない。一人ひとりの個性が違うので、それぞれに接する接し方も当然違ってくるのだが、どの子どもにも目を向けてあげる。これがモラルなのである。モラールというのは、教師として生きようという意欲である。

 以上の第一次元から第四次元までは、それぞれが循環的相互関係にある。そして教師の資質・特質というのは、これらが4つの立体的な固まりとなっていると考えている。教師養成において、素地としての資質・特性をどう養うか、指導力をどうつけてやるか、組織の中での協力体制を組めるような性格養成をどうするか、こういった課題がある。この中で、組織の中でのあり方の問題に関連して、国際性というテーマが従来は入っていなかった。国際的な指導力のありかた、世界という組織の中で協力体制をどう整えていくべきかということが、現在、大きな課題となってきているのである。

■変化が激しい時代の教員養成

 実は、私の現在勤務する大学で、大学院を作る際に従来のように積み上げ(煙突)方式で作るのをやめた。つまり各学部の上にそれぞれの大学院を作ることはしなかった。2学部(教育学部、外国語学部)の上に、両方を絡めて国際文化研究科を設置し、その中に国際教育文化専攻と国際地域文化専攻を置いた。これからは単一の狭い視点に立って単なる地域研究をするのではなく、常に国際的視野に立って教育研究を進める姿勢をもつためである。

 こうした流れは、教育に関する国の方針においても見られる。第15期の臨教審では、「新たな時代に向けての文化のあり方」、また教員養成課程の審議会ではそのような時代に向けた教員養成のあり方を検討した。平成9年7月に教員養成審議会が答申(『新たな時代に向けた教員養成の改善方式』)をしたが、その中で「教員は使命感(モラール)、得意分野を持つべきだ」と言っている。まんべんなく何でもできるだけではなく、得意分野を持ち、それを核にして個性豊かな教師として現場の課題に適切に対応できる力量のある教員を養成しようとしている。

 人間は不思議なもので、あることに秀でた特色のある人は、ほかのことについてもまとまった力をもっているという傾向がある。例えば、著名な陶芸家が教育について話すのを聞いても、我々もなるほどと納得することが少なくない。教師でも同様である。

 現実に子どもを目の前にしたときに、適切な対応ができなければ意味がない。例えば、いじめがいい例である。いじめが起きても具体的にそれを解決することができない。いじめ解決法の一般論は知っているけれども、目の前の子どもの場合にどうすることもできない。そのために、大学が独自の教育課程を作れる弾力性のある教員養成のカリキュラムをやろうということに文部省もようやく動き出してきた。各大学が社会的要請に応えて独自にその地域にあった教員養成のカリキュラムを組んでもいいということになったのである。また教育課程の編成に当たっても、学問的基準にだけよらなくても、実際問題としてどうすべきか(例えば、地域性など)ということを考えながら、広がりのある展開をしてもいいという。特に原理を応用する演習や教育実習、介護実習などを実施することによって、実践的能力を養成しようと狙っている。また社会人を受け入れて、その人たちを学校の非常勤講師として教師としての役割を果たしてもらう。このように新しい時代に即した教員養成や教師の登用の仕方を考えていこうとしている。変化の激しい時代に、教師養成をどのようにもっていこうとするのか。これこそ現在の大きな課題である。

 そこで最近出てきたキーワードに「生きる力」ということがある。「生きる力」とは一体何か、それを子どもにどうやって養成するのかなど、いろいろと課題もある。例えば、地球、人類といった広い視野からものごとを考えていくことのできる子どもを養成しよう、また変化の時代に生きてゆける社会人としてのあり方、資質・特性を身につけられるようにしよう、ということなどである。

子どもを養成する際にも、「生きる力」を養成することのできる教師とはどのような教師か。先生自身の「生きる力」とは何か。上記のことは、教師自身にも該当する。教師としての能力をフルに生かして、個性を発揮しつつ、4つの能力が全体としてまとまった教師を養成しなければならない。子どもに生きる力を養成することのできる教師は、教師として生きる力を備えているということでもある。

■第3の教育改革

 また教師自身が国際化を推進していかなければいけない。例えば明治時代(鹿鳴館時代)の国際化は、日本を外に開いて外国の文物を受け入れていこうというものであった。文明開化といわれたように、これは外のものを融合的に受け入れていくアイデンティティーをもっていた。これが第一の開国(国際化)。

 第二の開国(国際化)は、第二次世界大戦後の開国。飛躍的な考え方が出た。人類の平和的、平等的発想で国際化を進めた。そのときの国際化は、日本人を世界人にするというように無国籍的な国際化であった。それは無差別的アイデンティティーといえるかもしれない。しかし現在の「新しい国際化」とは、日本の文化伝統の中で生き、日本化を徹底することによって国際化を進めるものであり、第三の国際化と呼べるものであろう。

第一の国際化はどのようにしてなったのか。それは国家体制が変化したためであった。江戸時代の鎖国から開国して明治になった。第二は、終戦によって国家主義の枠組みが壊れ、新しい平和国家として出発した。第三の国際化は、日本の文化・伝統に生きながら、世界的視野に立って世界の日本となっていく国際化。その際に一番重要な機能が、コミュニケーションである。真のコミュニケーションを身につけていないと、交流が成立できない。相互にコミュニケーションができるということは、先述したように互いに異質であることが前提条件である。日本人一人ひとりの心の中に、世界人として生きる姿勢を堅持しつつ、同時に日本人として生きながら世界人の中に列する姿勢。ここに教育の基盤も持っていくことが要請されていると思う。

 第三の教育改革をどうするか。第一の教育改革、これは明治維新によって国家体制が変わった。第二の教育改革は、終戦後、国のあり方が民主主義国家という新しい体制に変わることによって、教育も変わった。現在進めようとする第三の教育改革は、一体何を拠り所として実行すべきなのだろうか。現在は、平和であり、国家体制の変革はない。その中で、教育改革をどのように進めるのか。平穏な時代の教育改革である。第三の国際化という方向を目指しての日本人の生き方の問題なのである。

(1998年5月30日発表)