日本における政教分離の現状と教育の課題

武蔵野女子大学教授 杉原 誠四郎

 

1.「宗教心」と宗教教育

 私に与えられた課題は「日本における政教分離の現状と教育の課題」であるが、この課題に答えるためにはひとまず教育の観点に立って「宗教心」とは何かについて、私なりの理解するところを明らかにしておかなければならない。

 すでに広く知られていることなので詳しく紹介する必要はないが、イランで発掘された人類の祖先のひとつのネアンデルタール人は死者に対する死者儀礼を行っていたことが考古学的に実証された。というのは、埋葬されたとしか解釈のしようのないところにネアンデルタール人の人骨があり、その人骨には花粉がたくさんまつわりついていたのである。ネアンデルタール人は仲間の死に対し、穴を掘り、死者を安置し、花で飾って埋めていたことがはっきりしたのである。このことによって、死んだ仲間のあの世での幸せを祈っていたことが分かるのである。(考古学の専門家のあいだでは、これらの事実をもっても死者儀礼があったとは見なさない見方があるようだが、私は死者儀礼があったと思っている。)

 つまり「宗教心」のひとつの言い方は、「死」という現実に対し、「あの世」という現実の時空を超えた世界からこれを認識する心の働きである。それは人間のように心が発達して初めて可能なことである。そしてそれは人間ならば幼児の段階から十分に見られる心の働きである。

 また、「宗教心」に関して哲学との相違も簡潔に考えておきたい。哲学については、人間の心の作用のひとつの「認識」の働きのなかで最高の「認識」にたどりつこうとする努力の働きであると一応は言えよう。「宗教心」も「認識」にかかわる問題ではあるが、「宗教心」における「認識」は、自己の存在から離れることができない。言うならば、「宗教心」とは自己の存在にかかわる最高の認識と最高の愛であると言えよう。「宗教心」は単なる「認識」の問題ではなく、自己の存在にかかわったその最高の認識とさらに愛なのである。つまり「宗教心」は最高の自己愛にかかわる心の働きなのである。そしてそれゆえに自己をより広くより大きな観点から眺め、心を豊かにするのである。そして人間としてよりよい発達を促進させるのである。それゆえ「宗教心」は子供の健全な成長発達を促すことになり、教育的にはかけがえのない意義があることになるのである。「宗教心」と似た言葉に「宗教的情操」という言葉があるが、「宗教的情操」という場合、特定の宗派宗教の信仰をともなう必要は必ずしもないが、すでに何らかの宗教的文化内容をもって、それにともなう態度、感情との結合をもって言うことが普通である。つまり一定の宗教的態度や宗教的感情をともなった「宗教心」の働きをさすことになる。が、単に「宗教心」と言った場合、必ずしも直ちにその文化内容をともなって言う必要はない。なぜならば単に心の働きとしてとらえるからである。

 ここで理解を深めるために、この「宗教心」について宗派宗教の側からも考えておかなければならない。宗派宗教は言わばすでに社会的に存在する特定に体系化した「宗教心」にかかわる文化内容である。歴史的、文化的にすでに形成され、社会的に存在する宗教的文化内容なのである。したがってこの文化内容から、子供たちの「宗教心」の心の働きに働きかけることは、通常で考えれば、効果的であり、有意義なことである。だがしかし、この社会的に存在する宗教的文化内容は、社会のなかにおいて唯一ひとつの種類として存在しているわけではない。宗派宗教として社会的には複数存在している。そして現代の国家としては、そのうちどれがよいかは、個人の信仰の自由として、個人に自由に選択させることになっている。そしてそのような保障をより完全に保障するための制度的原理として政教分離の原則が打ち立てられている。そのため、公立の学校では直接にこの宗派宗教の文化内容を教育に利用することはできない形になっている。つまり、公立学校では宗派宗教による宗教教育はできない形になっている。

2.宗教教育を無視した今日の日本の教育

 ここで今日の日本の学校における「宗教心」にかかわる教育の現状を見ていこう。現在の日本の学校では、結論から先に言えば、この「宗教心」の教育についてはあまりにも顧みるところがない。すべての学校の例ではないが、給食の時間に「いただきます」という挨拶も宗教にかかわるということで中止している地域がある。食事を始めるとき「いただきます」と言うのは、感謝の意を表す日本の伝統的食事作法なのであるが、これが特定の宗派宗教にかかわるという問題提起によってできなくなっているのである。また、日本では、春分の日と秋分の日を昼夜同じ長さの日であることをもって、長い歴史を経て生まれた、中庸を重んじる仏教文化に基づいて、宗教的な日として国民の祭日としている。多くの家庭では、宗派宗教のいかんにかかわりなく墓参りをし、祖先を供養する日となっている。学校も当然休みなのだが、学校ではこの日が宗教的な日だとはいささかも教えない。宗教的だと言えば、結局いずれかの宗派宗教にかかわると解されるからである。

 子供たちに普遍的に存在する自己に対する最高の愛たる「宗教心」にかかわることについて、まったく教育を放棄していることになるのだから、子供たちには自己を最高の観点から愛し、見る心の働きが働かない。それによって衝動的欲求をコントロールする自己の心の働きが弱くなる。その結果、例えば、平成9年(1997年)に神戸で起きた事件、酒鬼薔薇聖斗こと、少年Aのような子供が育ってくる。この少年Aとは、中学生であったが、遊び友達を殺し、その殺した友達の頭を自分の学校の校門に置き、また、人間はどれほど壊れやすいかを実験してみたいと言って、幼い少女の頭に金槌を振り、少女を殺した少年である。少年A自身が自己流の変な神を立てていたが、それは彼にある普遍的な「宗教心」が適正な宗教教育によって適正に育まれなかったことを明かしている。平成7年(1995年)の世界的にも有名になった例のオウム事件も見るとよい。あれほど優秀な人たちが信仰を理由にしてあれほどの反社会的な行為をした。世間には、だから宗教は怖いというような印象を与えてしまったけれども、これは実は逆で、人間はほんらい宗教的であるのにもかかわらず、教育のなかで宗教のことをまったく教えず、そのために宗教について無知と飢えという負なる大きな空洞を育ててきた結果なのである。

3.宗教教育についての憲法の規定

 ところで、このような教育における宗教とのかかわりを回避する傾向には、社会的法的制度にかかわる原因がある。

 憲法二十条に「信教の自由」に関する規定がある。そこには次のように規定してある。

〔信教の自由〕信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
A何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
B国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

「信教の自由」は基本的人権のなかでもより重要な基本的人権であり、憲法として「信教の自由」を保障するのは当然である。その結果、個人が信仰しない宗派宗教の祝典、儀式等に参加することを強制されないことも当然であるし、国およびその機関が特定の宗派宗教に基づく宗教教育または宗教活動をしてはならないというのも、当然である。また特定の宗派宗教が政治上の特権をもってはならないというのも当然である。このような政治と宗教の分離、または国家と宗教の分離を、政教分離と言う。「信教の自由」を完全な形で認めようとするとき、当然にもたらされる原則であるとも言える。しかし直ちに問題になるのは、文面上すべての意味で、公立学校から宗教教育を排除したかのように読める第三項の規定である。

 一般的に考えて、「政教分離の原則」を過度に徹底させることは、社会一般から宗教を排除することにもなる。というのは、実際の社会では政治と宗教とがまざりあって存在しており、過度に分離を強調すると、政治を社会的に排除することは不可能であるから、結局、宗教が一方的に排除されることになる。つまり政教分離の原則は過度に強調すると、社会から宗教を排除するようにも機能するのである。そうすれば、「信教の自由」を保障するために置いた政教分離の原則が、実質的に「信教の自由」を抑制することになる。事実、かつての社会主義国で宗教を直接に弾圧したのはアルバニアだけだったと言われる。その他の社会主義国は、政教分離の原則を厳しく適用していたにすぎないと、原理的には言えるのである。宗教と国家の関係を友好的にして「信仰の自由」をよりよい状態で保障しようとした政教分離の原則が、厳しく適用されれば「信仰の自由」を抑圧し、宗教を弾圧することに変わるのである。良薬もすべて飲みすぎれば毒になるのと同じである。

 教育に関するかぎりは、人間にとって「宗教心」が普遍的に存在するものであり、この「宗教心」にかかわる教育なくして、本当の教育は成り立たないものなのであるが、そのことを理解できず、憲法二十条三項の宗教教育にかかわる政教分離の規定を過度に意識する結果、安易に宗教を排除して教育することになってしまったのである。

4.宗教教育を大切にしている戦後の教育法体制

 しかし、戦後の日本は、その出発にあって、戦争の反省もあって、本来は宗教教育を重視しようとしていた。憲法二十条三項は前記のごとく、一見、公立学校であらゆる宗教教育を禁止しているかのように規定をしているが、それでは本来の普遍的な教育が不可能になる。そのような誤解が起こらないように、憲法改正の帝国議会では昭和21年(1946年)8月15日、憲法二十条について「此ノ条項ハ、一宗一派ニ偏ッテ教義ヲ教ヘテハナラナイト規定スルカ、或ハ斯カル意味デアル旨ノ解釈ヲ後世ノ為ニ誤リナキヤウニシテ置クベキデアル」として、「宗教的情操教育に関する決議」を行っていることを忘れてはならない。そしてこのことを具体的に法律で示したのが、教育基本法九条の宗教教育の規定である。

〔宗教教育〕宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。

A国及び地方公共団体の設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

 つまり国および地方公共団体の設置する公立の学校でできないのは特定の宗教による宗教教育、すなわち宗派宗教教育であることをはっきりさせ、そして私立学校も含めすべての教育機関で「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位」を尊重しなければならないとしているのである。

 そして私立学校では、現行の学校教育法施行規則24条で、「道徳」に代わって「宗教」を教えることを可としている。そして私立学校の「宗教科」の教育のため、教員免許が授与されることになっている。この場合の「宗教」とは宗派宗教のことであり、私立学校では宗派宗教教育をしてよいとしているのである。

 以上のことからわかるように、日本の現在の学校教育制度は、宗教に対して好意的態度をとっており、宗教教育の振興を期待しているのである。

 このような前提のもとに、公立の学校ではどのような宗教教育が可能なのであろうか。それを具体的に示すものが、昭和22年(1947年)に出た学習指導要領に示す例えば小学校3年生を対象とした指導例である。そこには「国や宗教上の祝祭行事は、各地でどのように行われているか」と題して、次のような指導例が示されている。

国や宗教上の祝祭行事は、各地でどのように行われているか。

1 国民的祝祭日・地方的祭日の暦を作り、おのおのの日に子供がする行事や遊びを書き入れる。
2 国民的祝祭日や地方的祭日の由来の話を読んだり、話しあったりする。
3 国旗の立て方を学んだり、祝祭日の歌を習ったりする。
4 正月のお飾りを用意し、その由来を聞く。
5 神社・仏閣・教会で行われる年中行事を見たり、聞いたり、話しあったりする。
6 家の人たちが祭や行事の用意をする有様、どれくらい前から用意しはじめるか、といったことを話しあう。
7 祭や行事の時の特別なごちそうについて話し合い、その由来を聞く。
8 祭や年中行事の時の特別な風習や行事を話しあう。
9 祭や行事のある日に、よそからやってくる人について話しあう。
10 祭や行事の日に使われる特別な器具や装飾を見たり話しあったりして、その由来を聞く。
11 学校で、節句その他の特別の日に父兄を招待する会を計画し、実施する。
12 祭の日に使った小づかいについて報告する。

 こうして地域に伝わる伝統行事に宗教的由来があることについて、関心をもたせ、その意義を少しでも理解させて、子供たちにそれぞれの「宗教心」を育む契機にするわけである。

 幼稚園や保育所ではさまざまに宗教に由来する行事がある。一年に一度、天の川を挟んで織女と牽牛が逢い引きするという星の祭りである七夕も厳密には宗教的由来があると言えば言えなくはない。仏教系の幼稚園や保育所で盆踊りをするならば、それは単に子供たちの楽しい日とするだけでなく、先祖供養の意味があることを幼児であっても理解させることはできる。彼岸の日はお墓参りの日として教えることはできよう。子供にとって、おじいさん、おばあさんは、お父さん、お母さんのお父さん、お母さんであり、そして、おじいさん、おばあさんにも、そのまたお父さん、お母さんがいて、祖先がずっとあって子供の存在があるというようには、幼児であっても理解させることができる。

 年末にはクリスマスがある。昭和57年(1982年)、仙台市で市立の保育所でクリスマスは宗教行事だから中止するように市から指導が出た。このとき

子供たちが楽しみにしているクリスマスを中止するとは何事かと保護者の反対にあい、たちまち中止の指示を撤回した例がある。クリスマスは言うまでもなく、キリストの生誕日とされる日で、キリスト教文化圏では宗教行事として大々的に祝い、サンタクロースにかかわることはそのときの子供たちの楽しいイベントである。その楽しいイベントが日本の幼稚園や保育所に引き継がれているわけである。ゆえに保護者が中止に対して異議を唱えるのは当然である。だがこのときも、子供たちに向かって、ヨーロッパやアメリカの人たちを教え導いたキリストという偉い人のお生まれになった日ですよ、と教えることは可能である。

5.政教分離と宗教教育の接点

 ここで再び政教分離の問題に帰る。憲法二十条、教育基本法九条で、公立の機関で特定の宗教の宗教教育および宗教活動をしてはならないとあるとき、クリスマスのような歴然とキリスト教の祝日の行事を、公立の保育所でできるのか。そこが重要となる。

 クリスマスは前記のとおり、キリストの生誕を祝うキリスト教の歴然とした祝日であり、サンタクロースにかかわることも歴然としたキリスト教の宗教行事である。それがなぜ公立の保育所で可能であるのかであるが、その際の説明は、日本では、クリスマス会は宗教的色彩がうすく、日本人のあいだでは、習俗ないし社会的慣習として定着しているものであり、したがって特定の宗教のための宗教教育ではないとするのである。

 政教分離の難しさは、それが宗教教育として可能であるというときは、宗教的色彩が少なく単に習俗ないし慣習であると言いながら、一方では宗教教育としての意義を考えているところにある。

 日本語の「政教分離」(separation of state and religion)なる言葉は、英語の本来の言い方たる「国家と教会の分離」(separation of state and church)と違って、「政治と宗教の分離」( separation of politics and religion)という言葉で表しているが、要するに社会的には、政治と宗教の関係の問題である。社会一般には、政治的なものと宗教的なものとが入り交じって存在している。このとき政教分離を過度に厳格に適用して一切の交わりを禁止すれば、政治的要素は人間の社会生活のうえで排除することはできないから、したがって宗教の方を一方的に排除するよりほかはなくなる。これでは宗教弾圧に等しくなるわけである。社会主義国の宗教弾圧のための政教分離である。日本国憲法は宗教弾圧を意図したものではなく、「信教の自由」を十全に保障しようとして出てきたものであるから、社会における政治的な部分と宗教的部分の交わる部分については、両者が友好的に存在することを積極的に認めていることになる。まして教育における宗教教育の意義は絶対に否定できず、それの欠けた教育は普遍的教育ではないと言えるのであるから、この政治的部分と宗教的部分との交わるところは、このように説明をよほど注意していかなければならないのである。

 先に、彼岸の日は、幼稚園や保育所で、お墓参りの日として教えることができるとしたが、その結果はそれぞれの宗派仏教の行事と結びつく。しかしそれはいたしかたないのである。宗派仏教もそれぞれ宗派宗教の信者の枠を超えて日本の宗教文化に貢献し、彼岸の日が墓参りの日になるように長い歴史をかけて貢献してきたのである。他方、教育もまた過去の歴史と文化のなかで行うものであり、過去の歴史や文化から遮断してはその意義を貫徹できないものであるから、このような教育における宗派宗教との重なりは当然出てくるのである。公立の学校で、宗教教育にのっとって宗教的意義を説くとき、それが特定の宗派宗教の布教や教宣を意図するものでないかぎり許されるのだとしなければ、この問題は解決しない。

 アメリカの宗教社会学者、R.N. Bellah が、「市民宗教」(civil religion) なる概念を打ち立てているが、社会には宗派宗教を超越した宗教的儀礼や慣習があり、これら宗教的儀礼や慣習と政治とは同じ場所で友好的に存在しなければならない。そしてこの両者が好ましく共存することによって、個々の宗派宗教も健全にかつ積極的に存在することができるようになるのである。

6.宗教教育をめぐる占領軍の自己矛盾

 以上のように考えれば、教育において宗教教育を無視してはならないし、制度としても、現行憲法のもと、宗教教育は可能だし、むしろその振興を期待していると言える。

 しかるに現状は、教育においては、あたかも宗教を軽視、または無視しているかのようであり、宗教教育はつとめて避けているかのような状況になっている。なぜこのような状況に落ち込んだのか。それには昭和20年(1945年)から昭和27年(1952年)にわたる占領期の宗教教育政策に起因するところが大きい。それが現状のすべての原因とは言えないが、大きな契機となったことはたしかである。

 昭和20年10月15日、文部省は「学校ニ於ケル宗教教育ノ取扱方法改正ニ関スル件」なる訓令8号を出して、私立学校においては宗派宗教に基づく宗教教育を行ってよいということにした。従来は明治32年(1899年)の「一般ノ教育ノ宗教以外ニ特立セシムル件」なる訓令12号によって、私立学校であっても宗派宗教に基づく宗教教育はこれを認めないとしていた。制度上、すべての学校から宗教教育を排除する政策であった。キリスト教の宗教教育を恐れたからと、教育史のうえでは言われている。

 しかし教育上、あらゆる意味での宗教教育を排除することは教育の普遍性に悖るものであるから、昭和10年(1935年)「宗教的情操の涵養に関する留意事項」なる次官通牒を発している。宗派宗教はできないにしても、「宗教的情操」の教育はできるし、しなければならないという趣旨である。「宗教心」の教育という観点からは評価できる通牒であった。この通牒を出した昭和10年は日本に軍国主義が高まってくる時期であり、そのための国民動員に役立てるための施策ではなかったかということで、批判的に見る見方もあるが、研究者の調べたところでは、原点においては純粋に宗教教育の振興を目指したものである。かくしてその延長として右の昭和20年の訓令8号は、明治32年の訓令12号を廃して私立学校では宗派宗教に基づく宗教教育をしてよいというのであるから、このときはまだ草案もできていなかった現行憲法の規定と一致し、宗教教育重視の方向にあったと言わなければならない。

 しかるに、昭和20年12月15日、占領軍は、「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」なる指令、いわゆる神道指令を発し、「日本政府、都道府県庁、市町村或ハ官公吏、属官、雇員等ニシテ公的資格ニ於テ神道ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ヲナスコトヲ禁止スル而シテカカル行為ノ即刻ノ停止ヲ命ズル」とした。ここで神道の問題だが、神道は日本では日本国家が成立する以前から存在した自然宗教であり、そしてその祭主が天皇ということに歴史的になる。自然宗教だから害はないと一般的に断定して言うことはできないが、日本の神道のそれは古代の稲作文化のなかで生まれたもので、現代人の目から見ても、そこに直接、弊害となる要素は見当たらない。言うならば、原始的素朴さのなかに人間の真実を伝えている宗教と言えよう。文書による教義はいっさいなく、しかしそれでいて人間が混迷したときに、そこに帰って憩うことのできる素朴な真実があると言えよう。そして多くの場合、宗派宗教としての仏教を受容するにあたっても、神道という自然宗教が介在する、

と言ってよいであろう。そういう神道が天皇制とともに20世紀の終わろうとしている今日まで伝えられてきていると言えるのである。

 神道指令はと言えば、要するにこの神道を一宗派宗教として公の場から排除しようとしたものである。神道を一宗派宗教とすることには、宗教学的にはある程度の合理性があると言わなければならないのだが、他方で、日本では古来より伝えられてきた創始者の存在しない自然宗教であり、社会的儀礼のような意味で存在している面がある。その面から考えれば、通常の宗派宗教が個人の信仰に基づいて存在するのとは違い、通常の宗派宗教とは必ずしも同列に扱いにくいところがある。伝統的な社会的慣習になっているものを、一宗派宗教として行政の場から完全に排除すれば、これはまったく宗教弾圧の政教分離と同じことになる。政治と宗教の共存する部分の宗教であり、宗派宗教を超えて存在する宗教であるとも、たしかに言える。アメリカの大統領が就任にあたって聖書に手を置いて神に誓う儀式や、議会で審議を始めるにあたって神に祈る儀式についてはたしかに宗派宗教を超えた国家の宗教儀礼であることはたしかである。神道にはこうした国家の、または社会の宗教儀礼という側面がある。神道という日本の古来の宗教の存在の上に、古代日本は、韓国や中国から仏教を取り入れたので、神道は国家的、社会的儀礼の形で、仏教は宗派宗教の形でという、日本独特の重層信仰(syncretism)にあり、それによって日本の宗教文化が形成されているというところがある。そこのところを理解の仕方によっては、宗教学的に、一宗派宗教と見ることができるからと言って、そのように取り扱えば、国家的、社会的儀礼を国家、社会から排除することになる。神道指令は、これを制度的に一宗派宗教として位置づけ、政教分離の対象の一宗派宗教としたのである。そして他の宗派宗教とともに公立学校からも排除したのである。

 こうして昭和21年(1946年)11月3日、先に見た政教分離の原則を定めた現行憲法が公布され、翌昭和22年(1947年)5月3日から施行となった。政教分離の規定は、先の神道指令を引き継いだとも言えるような厳格な規定の仕方ではある。それを文字どおり実行すれば、あらゆる意味での宗教教育

の排除になる。一方で普遍的な教育改革を推し進めようとしていた占領軍としては大きな自己矛盾に遭遇したのである。

 しかし前記のとおり、昭和21年8月15日に「宗教的情操教育に関する決議」が憲法改正の帝国議会であり、昭和22年3月31日、宗教教育を尊重すべく教育基本法が公布、施行され、そして同年5月には、先に示したとおり、学習指導要領で、学校での、宗派宗教に基づかない宗教教育の例示があったのであり、宗教教育を重視することを明らかにしたのである。それで戦後の宗教教育を重視する学校教育制度は固まったはずであった。

 しかるに占領下、このような体制に、昭和22年10月、幾人かのキリスト教教育の指導者たちによって抗議が申し込まれた。キリスト教の力の弱い日本では、前記のような宗教教育はキリスト教にかえって不利だという、まことに反普遍的抗議であった。

 キリスト教に関する教材が中学校の学年まで全く採用されていない点にキリスト教徒たちは懸念を抱いている。神道や仏教の祭典のことは詳細にわたって採用されているのに、キリスト教の祭典としてはクリスマスのことしか触れられていない。さらに、児童たちは、関心が出てきたことがらについて知識を得るために僧侶や聖職者のところに出かけていくよう助言されているが、これは神道信仰者や仏教徒にとってはけっこうなことである。なぜなら神社やお寺はいたるところにあるからである。しかし、キリスト教の教会はといえば、日本中どこをさがしてもほとんど無いといっても同然である。したがって、そういうところでは、児童たちの大多数が、質問に対して公正な返答を与えてくれるキリスト教徒をさがすことはできないであろう。

 要するに、キリスト教徒が圧倒的に少ない日本のなかでは、憲法、教育基本法、学習指導要領に定めたような宗教教育を実施すればキリスト教にとってはかえって不利になるから、学校教育からいっさいの宗教教育を排除するような厳格な政教分離にしてほしいということである。

 もともと先の学習指導要領に示した宗教教育の例示は、アメリカ、ヴァージニア州の宗教にかかわる社会科教育の例を日本の場にそっくり合わせて翻訳、規定したものである。教育の普遍性を考えたとき、当然に出てくる指導例であった。これを日本の場合、キリスト教にとっては不利になるから、宗教教育を公立の学校から排除してくれというのは、教育の普遍性を考えたとき、明らかに不当な要求である。しかしこのときは占領下であり、先のいわゆる占領軍の発した神道指令のもとにあった。占領軍民間情報教育局教育課は、学習指導要領に定める宗教教育重視の方向を守ろうとしたのだが、占領下としては守りきれなかった。

 かくして、占領軍は、昭和23年(1948年)7月9日、文部省から、「学習指導要領社会科編取扱について」なる通達を出さしめて、学習指導要領に記載してある例は、いわゆる神道指令の原則に反する箇所があるとして、公立学校では、学校が主催して神社、仏閣、教会を訪問してはならないとするわけである。そして教師は、宗教上の施設あるいは神職、僧侶、牧師等を訪問しなければ、学習目的を十分に達しえないような学習問題を指示してはならない、となるわけである。そして児童・生徒が学習の際の討議で、神社、仏閣、教会を訪問したことについて語ることは神道指令に反しないが、しかし教師はそのような訪問について語るように要求してはならないとあり、結局、学校教育からの宗教教育の全面排除である。

 だが、問題はまだ終わらない。この通達は、従来修学旅行の行き先となっていた神社、仏閣のある地域の死活問題を含んでいた。そこでさらに占領軍は、昭和24年(1949年)10月25日、「社会科その他、初等および中等教育における宗教の取扱いについて」なる通達を出さしめる。公立学校が、国宝や文化財を研究したり、あるいは、その他の文化上の目的をもって、宗教施設を訪問してよいとするのであるが、その場合、児童・生徒に訪問を強要してはならない、とか、教師が、その宗教施設で命令して、敬礼その他の儀式を行わせてはならないとか、留意事項を多数つけるわけである。一面からすると、政教分離の原則から当然な留意事項として見受けられるが、昭和22年(1947年)の学習指導要領の宗教教育の例示をすべて神道指令に反するものとして無効とすることを前提とするものであるから、公立の学校教育からいっさいの宗教教育を排除することになる。そしてやむをえず宗教施設を訪問しても、実質的には、その宗教的意義については無視することを強制することに等しくなる。したがって、あたかも宗教を軽視することを促しているかのような指導となる。

 こうして、宗教を軽視し、宗教教育から逃避する現状の学校教育の状況と一致する政策の原理的状況が生まれるわけである。

 だが、これらすべての宗教教育を排除するかのような二つの通達はあくまでもいわゆる神道指令に反するからという前提の通達であった。昭和27年(1952年)、占領解除となってからは、いわゆる神道指令は非存在となった。再び憲法、教育基本法の体制下になり、ほんらい宗教教育を重視する体制にもどったはずである。しかし、そのことをはっきりと確認する措置が文部省によってとられなかった。いわゆる神道指令は存在しなくなったのに、神道指令を前提としたことを規定文のなかに明瞭にもっている通達が無効か無効でないかをはっきりさせないまま、今日に及んでおり、事実上は、昭和22年の学習指導要領に例示した指導例は実施が原理的には可能でありながら、文部省がそのことを明示する努力を怠っているため、困難となっているのである。

(1998年5月24日発表)