創造神話の政治学
―キリスト教と家庭倫理―

米国・ブリッジポート大学学長 R. ルーベンスティーン

 

●聖書の思想が政治に影響

 大多数のアメリカ人が、独立宣言の「われわれは、すべての人間は平等に創造されたこと・・・、これらの真理を自明であると考える」という言葉を思い起こすとき、彼らはほとんど異議を唱える理由を持たない。この宣言文の“自明な”真理なくして、ほとんどのアメリカ人が、主として解放された奴隷の子孫たちによって構成される市民権を剥奪された人種的マイノリティーの政治的平等の主張を受け入れただろうとは到底思えない。また、アメリカ合衆国が地上における事実上すべての宗教的および民族的伝統の継承者たちを、自由な市民としてその囲いの中に抱えるようになっただろうとも考えられない。この宣言文に署名した者たちは、彼らが自明であるとしたことが、決して普遍的に自明であるとは見なされていないことを理解していた。ヨーロッパの社会や政治において、平等という思想がいまだ深く根を降ろしていなかった時代に、早くもジェファーソンのような男が、彼自身奴隷の所有者でありながら、人間の不平等というものを例外ではなく規範であると理解したのである。アメリカ合衆国誕生の瞬間を顕著に特徴づけているのは、西洋のキリスト教的文化遺産を有する他のいかなる国の場合よりも、神の創造と人間の平等に関する聖書の思想が、その創設者の政治的意識に対して大きな影響を与えていたということである。

 私はキリスト教の台頭と最終的な勝利の結果としてローマ帝国に引き起こされた、家庭倫理および市民倫理の主たる変容のいくつかについて考察してみたいと思う。キリスト教の時代の最初の四世紀は、この新しい宗教が急激な意識の変容の原因であった。男女両性の関係、個人の価値、苦難と死すべき運命などに関する思想は、政治的権威、人間の平等、および道徳的自由の思想と同様に、主としてこの新しい宗教によって発展したものである。さらにまた、これらの思想は今日に至るまで理論以前の意識のレベルにおいて、われわれの価値観に影響を与え続けている。

 プリンストン大学のイレイン・ペイジェルズ(Elaine Pagels)が指摘したように、一世紀のユダヤ教およびキリスト教の古典的な著作家たちは、結婚や家庭といった主題についての論文をほとんど書いていない。その代わりに、彼らは聖書の創造と堕落の物語、すなわち創世記の1章1節から3章22節までを、彼らの基本的な政治的・倫理的態度を表現するための「主要な伝達手段」として使ったのである。初期の教会の状況が、厳しい迫害を受けるマイノリティーの立場から帝国の公認宗教へと変化するに従って、変化した状況に対する思慮深いクリスチャンたちの反応を反映して、創造の物語が与えるインスピレーションもまた変化した。キリスト教に対してはるかに共感的であるとはいえ、現代の宗教史学者たちはニーチェや若きヘーゲルと同じく、ローマ帝国内、そして究極的には西洋世界全体の急激な価値観の変化は、キリスト教によるものであると見ている。

 表面的には似ているとはいえ、この時期の異教徒とキリスト教徒のライフスタイルの違いは、性と政治に関するものであった。イエスとパウロの独身生活は、結婚したクリスチャンにとってさえ、異教徒の規範と激しく反目するモデルを提供した。たとえば、初期のクリスチャンたちは異教徒が正常であると見なしていた売春、同性愛、婚外の乱交などの性的習慣を否定した。紀元後の最初の二世紀は、異教の習慣には幼児殺害も含まれていた。ユダヤ・キリスト教の伝統によって価値観を形成されたわれわれの視点から見れば、ローマの売春はとりわけ不道徳なものである。特に奴隷の子供たちはしばしば男娼あるいは娼婦として奉仕するように育てられ訓練された。さらに、日常的に奴隷を性的に使用したり虐待することに対しては、何の制限もなかったのである。

 政治的な分野においても大きな違いがあった。イエスの「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」(マタイ16章26節)というメッセージは、私的領域よりも公的領域を尊重し、真に人間的であり、生きるに値する生は Zoon politikon、すなわちアリストテレスの「ポリス的動物」(注1)としての生のみであると考えるギリシャ・ローマ的な価値観と真っ向から対立するものであった。ギリシャあるいはローマの市民にとって、私的な領域のみで生きられた生は、「真に人間的な生にとって必要不可欠なものを欠いている」(注2)ものだったのである。新約聖書学者のウェイン・ミークス(Wayne Meeks)によれば、最も初期のクリスチャンたちは「高い地位と不釣合いな」人々、つまり通常は受け継いだ地位よりも高い地位を築き上げた人々であった。この状況は今日の学界や科学界で知られていないものではない(注3)。それと同様に、彼らは人間の価値をその人の公的領域に対する貢献によって計ろうとはしなかった。相続した地位が低い人にはよくあることだが、彼らは聖書の創造の物語に由来する、個々人には神によって賦与された、固有で無限な価値があるとする、キリスト教の信念により深く共鳴したのである。

 さらにまた、すべてのキリスト教改宗者は、家庭、親族、および血族という自然な絆を、そのような絆を超越すると主張する新しい共同体の一員となることを選ぶことによって否定したのである。タルソスのパウロは、キリストにあっては血縁と社会的階級による古い絆は壊され、「もはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである」と見なした(ガラテヤ3章28節)。多くの宗教史学者たちが、多くの人種・民族からなる「民主的社会」という現代の世俗化された思想は、初期のクリスチャンたちの「もはや家庭、氏族、あるいは民族といった自然の絆によってではなく、メンバーの自発的な選択によって形成される」新しい共同体というビジョンに多くを負っていると見なしている。そのようなビジョンは、組織的な絆を断つ者を見下したギリシア・ローマ的な視点とは真っ向から対立するものだったのである。

●繁殖を奨励しなかったイエス

 共通の礼拝をすることによって、人は血縁を超越した永続的な絆を自発的に形成することができるという思想には、もっと古いルーツがある。実は、この思想は神がシナイ山においてイスラエル民族に契約を授けたという聖書の教えに由来しているのである。聖書の出エジプト記の記述を詳細に読むことにより、現代の聖書学者たちはモーセの指導のもとにエジプトを離れた「ヘブルびと」たちは人種的には多様な部族の集まりだったのであり、エジプトにおける不本意な苦役という共通の経験によってのみ一つになってはいるものの、先祖から引き継いだ伝統、とりわけ重要な先祖の神々に関しては、バラバラであったという結論を下している。彼らは聖書では「入り混じった群集」と描写されている。シナイ山において、人種的に入り混じった「ヘブルびと」が、新しい神ヤーウェーのもとに契約共同体を形成するため、ファラオの異教世界と、彼ら固有の先祖の神々と、血縁による絆を否定したのである。いわば、シナイ山において自ら顕現した新しい神に対する共通の忠誠が、初期のクリスチャンたちが憧憬したような新しい社会のモデルを提供したのである。クリスチャンたちにとって変化したものは、契約というヘブル思想ではなく、キリストこそ真の礎であるという彼らの理解だったのである(注4)。

 にもかかわらず、初期のキリスト教徒たちはローマ人の価値観や習慣と同様、ユダヤ人の価値観や習慣からも極端にかけ離れていた。新約聖書において、イエスは一度だけアダムとエバの物語に言及している。パリサイ人が夫がその妻を出す理由に関する意見を求めたとき(マタイ19章3節)、イエスはいかなる理由をも否定する答えをした。イエスが無条件に離婚を否定したことは、ユダヤ人のコンセンサスからかけ離れており、これが二千年にわたってキリスト教的習慣に影響を与えたのである。彼の見解は、アダムとエバの物語の斬新な解釈に基づいている。

あなたがたはまだ読んだことがないのか。「創造者は初めから人を男と女とに造られ、そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。(マタイ19章4〜5節)

イエスは続いて創世記2章24節についての彼の解釈を提示している:

彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない。(マタイ19章6節)

 イエスはこのようにユダヤの伝統と断絶した。この断絶は、彼が天国のために独身を保つことは結婚よりも好ましいと示唆したときにはいっそう大きなものであった。これとは対照的に、ユダヤ人は繁殖に非常に高い価値を置いていた。創造の物語を読むとき、彼らは「生めよ、ふえよ、……」(創世記1章28節)という神のアダムに対する命令を強調した。彼らの先祖は、その生存を人間と羊の群の増加に依存している遊牧民であった。重婚と離婚はともに繁殖の機会を増加させる傾向にあったため、この機構はどちらも禁止されなかった。さらに、創世記の物語によって彼らの見解を裏打ちさせることにより、事実上、ユダヤ人はこれらの価値観は普遍的なものであり、物事の本質そのものに基づいていると主張していたのである。それとは対照的に、イエスの見解は繁殖に対して否定的な効果を及ぼすと見ることができるものでありながら、彼は結婚の価値の否定と離婚の否定を正当化するために、同じ解釈学的戦略を使ったのである。

 イエスには神の国が間近に迫っているという確信があったので、繁殖を奨励する理由はほとんどなかった。ラビも、パウロのような初期のクリスチャンも、人間の死というものはアダムの罪に対する神の罰であると確信していた(注5)。この見解に基づき、繁殖はアダムの堕落に対する人類の反応であると見ることもできる。キリストの復活は、パウロやその他の人々によって、最も顕著な堕落の結果である死というものが克服される過程にあることの予兆であると捉えられたのである。したがって、繁殖しなければならない主要な理由はもはや差し迫ったものではなかった。独身生活に対する神学的な動機は、初期キリスト教運動のメシア主義的な終末論に根ざしていたのである。

 しかしながら、この終末論的な動機に加えて、初期のキリスト教には、とりわけユスティヌス(Justin)やアテナゴラス(Athenagoras)やアレクサンドリアのクレメンス(Clement)のような非ユダヤ人改宗者には、独身生活をする現実的で社会・政治的な動機があった。独身生活を説くクリスチャンたちは、異教社会における家庭とポリスの伝統的な秩序を混乱させた。結婚は世代の繋がりと社会の包括的ネットワークの中に個人を位置付ける。独身生活はこうしたネットワークからの出口を与えたし、結婚した人には望めないほどの個人の自律性を提供したのである。キリストがモデルとなり、独身生活はもはやソクラテスのような例外的な個人にのみ可能なものであるとは見なされなくなった。多くのクリスチャンにとって、独身生活は結婚に優るものと見なされるようになった。ペイジェルズ(Pagels)は、「改宗が意識と行動を共に変容させた」と強調している。現代の批評家たちと違って、クリスチャンたちは独身生活に抑圧や自己否定を見出さなかった。反対に、多くの者は独身生活を、自己の衝動とローマ帝国の両方から来る罪深い要求から自己を解放する道であると見たのである。

 ペイジェルズによれば、二世紀の初め頃までにはクリスチャンたちは創造の物語を彼ら自身の政治的状況に当てはめていた。二世紀前半に著作を著したキリスト教思想家である殉教者ユスティノスは、ローマの皇帝とその神々を悪魔的であるとした。彼はローマの神々を、創世記6章2〜4節に出てくる「人の娘たち」を妻にめとったと描写されている悪意ある堕天使と同一視した。ユスティヌスにとって、異教の神々は悪魔の創作物であった。「あなたはクリスチャンか」というたった一つの質問をされたキリスト教の教師プトレマイオス(Ptolemy)の裁判と処刑に関して、ユスティヌスはローマの神々を性的乱交と無実の男女の虐殺を支持するものであると指摘して攻撃している。不可避的にユスティヌス自身も捕らえられ、ローマの長官ルスティクス(Rusticus)の前で裁判にかけられた。ユスティヌスに要求されたことは、ただ「神々に従い、皇帝に服従せよ」というルスティクスの命令に留意するということだけであった。ユスティヌスがこれを拒否した結果、彼は処刑された。

 ペイジェルズが指摘するように、ユスティヌスとルスティクスが対立したのは根本的かつ交渉不可能な議題であった。正しく皇帝を崇拝することを拒否することにより、ユスティヌスは帝国の神聖なる基盤を攻撃したのである。これはイエスの名のもとに行なわれた動乱扇動であり、ローマ人にとって彼は暴動扇動の初期行為の故に正当に処刑された「犯罪者」であると見なされたのである。ユスティヌスもルスティクスも共にユスティヌスの拒否の意味を完全に理解していた。ペイジェルズの言葉によれば、ユスティヌスのようなキリスト教徒は「事実上、社会的・政治的義務の力というものを、世俗化し、また非常に急激に減退させ始めたのである」。

 二十年後、アレクサンドリアのクレメンスは神は人間を「自分のかたちに」創造したという聖書の言葉をとって人間平等の証拠とし、ローマ帝国の支配に対する深遠な告発とした。クレメンスは創世記を根拠として、神は人間一人ひとりをご自身のかたちに創ったのであるから、人々が別の主人に仕えることは極悪非道なことであると主張したのである。

●「洗礼」の政治的な側面

 初期キリスト教のユニークな特徴の一つは、洗礼によってクリスチャンの古い自己は死に、キリストにあって生まれ変わる、という主張であった。同様に、聖体拝領は信者がキリストと一つになる儀式であると見なされるようになった。キリストと信者の一体化はパウロによって「私はキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである」(ガラテヤ2章19〜20節)と表現されている。キリストと一体であるというクリスチャンの主張は、誕生と死という古い生物学的な秩序は、アダムの堕落の結果であり、キリストの復活にあずかることによってもはや過ぎ去ったのだ、という主張であると見てよいであろう。キリストが死に打ち勝ったのであるから、「キリストにある」者たちもみなそうなのである。パウロは次のように書いている。

それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。(ロマ書6章3、4節)

 しかしながら、キリストにあって生まれ変わったというクリスチャンたちの主張には政治的な側面がある。上述したように、キリストにある実存は、少なくとも原理的には家族、氏族、ポリス、そして帝国といった自然の絆の中における実存の縄目から自由である。それ以上に、新生したクリスチャンたちは自分自身を皇帝と同等であるか、さもなくば優っていると見ることができたのである。アレクサンドリアのクレメンスはキリストの来臨以来、「神性はいまや全人類に平等にゆきわたり、……人類を神聖化している」(注6)と主張した。クリスチャンにとって、皇帝崇拝は神に対する傲慢なる冒Bであった。クリスチャンたちが聖体拝領にあずかる度ごとに、彼らは神と一つになり、それによって、冒B的な傲慢によって神性を主張する皇帝に優る者となるのであった。聖体拝領はこのように急進的で政治的な皇帝の神性否定行動だったのである。キリスト教のメッセージは、政治的・社会的に爆発的な効果を持っていた。洗礼や聖体拝領のようなサクラメントも同様であった。これらによって、最も貧しい信者でさえ自分自身が神と一つであり、血と肉を持つ支配者よりもはるかに優るものであると見なすことができたのである。

 これまでわれわれは、キリスト教がさげすまれた異国のセクトと見なされていた時代に、聖書の伝統がクリスチャンたちに与えた影響について論じてきた。皇帝自身がキリストにある一人の兄弟となったときに起こった変化について簡単に考察してみるのは面白いことである。キリスト教の時代となって最初の四世紀の大部分の期間は、自由こそ福音の主要なメッセージであると見なされてきた。キリスト教の自由に対する見解には、自由意思、悪魔の力からの自由、社会的・性的義務からの自由、専制的政府からの自由、および運命からの自由が含まれていた。

 しかしながら、五世紀までにはローマ・カトリック教会はローマ帝国に対して、たゆみない助言者というよりはむしろ同盟者となっていた。もはや教会は、教会のライバルを積極的に迫害し、国家の力を利用して教会の優位性を確立しようとしていた帝国を、悪魔的であると断罪することはできなかったのである。また、自由を福音や創世記の主要なメッセージであると宣言することはもはや機能しなくなっていた。さらにまた、独身生活の理想は決して放棄されてはいなかったものの、結婚には、教会によって聖化され規定された機構としての、新たな尊厳性が賦与されるようになった。

●アウグスティヌスの斬新な解釈

 状況が急激に変化したことにより、まったく異なる神学が必要となった。西洋のキリスト教帝国に対して、新しい状況に相応しい神学を与えたのは、ヒッポのアウグスティヌスであった。彼の先達たちとは異なり、アウグスティヌスは創世記第1章〜3章を、人間の自由ではなく、普遍的な人間の従属を肯定しているものと見た。アウグスティヌスは西洋のキリスト教を道徳的自由の思想から、天地の至高の主に対する従属の思想へと変容させたのである。アウグスティヌス以前は、創造の物語は、アダムは最初は自由な道徳的存在であったのであり、彼の子孫はそうなる潜在的可能性を残しているといういことを意味するものと捉えられていた。聖人的な独身生活を送ったクリスチャンは人間の道徳的自由を確立したのであり、堕落以前のアダムの栄光の基準を回復したのであると見なされた。アウグスティヌスは、人間の死がアダムの罪の結果であるという考えに関しては、彼の先達たちと対立しなかった。しかし、彼はアダムの反逆によって、人類はその本来の不死性と共に道徳的自由をも失ってしまったと主張したのである。アウグスティヌスは、罪が人間の性を完全に腐敗させており、政治的自由を発揮できないようにしていると考えたのである。

 アウグスティヌスと同時代に生きたヨアンネス・クリュソストモス(John Chrysostom)は、政府の剣は腐敗した大多数の人々には課せられねばならないものだが、キリストにあって真に義なるものにはそのような支配は必要ないと論じた。ヨアンネスは、異端を扱う上においてさえ、国家の剣と教会によってなされる説得とを区別した。初期キリスト教とラビ系ユダヤ教に共通の伝統に従い、ヨアンネスは悪を行う者には信仰も道徳も強制することはできないのであり、説得のみが教会が悪を正す方法であると考えた。ペイジェルズが指摘するように、ヨアンネスにとって「教会の統治は、ローマの統治とは異なり、完全な自発性を保っており、階層的構造をしてはいても、本質的には平等主義であり、実際には本来の楽園の調和を反映しているのである」。

 アウグスティヌスの見解ははるかに悲観的である。彼はクリスチャンが自由に善を選択する能力を持つという観念を否定しさえした。アウグスティヌスは、洗礼を受けたクリスチャンでさえ完全に腐敗しているという彼の見解を、パウロの書簡にまでさかのぼって読み込んだ。パウロは自分の回心以前の体験を描写して、「わたしは自分の欲する事は行なわず、かえって自分の憎む事をしている……。善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がない」(ロマ書7章15〜25節)と書いている。アウグスティヌスはパウロの描写を洗礼を受けたクリスチャンに当てはめたが、これは実に斬新な解釈であった。アウグスティヌスは、アダムが神に対して彼自身の自律性を主張した罰として、アダムとその子孫が自律性を失ったのであると考えたのである。これはアウグスティヌスにとっては、クリスチャンでさえ国家の規律と権威主義的な教会の道徳的指導を必要とするということを意味した。これが今度は結婚と家庭に対する教会の影響力に大きく作用することとなったのである。アウグスティヌスは「男と女の結合は、言ってみれば、そこから国家が成長すべき苗床である」(注7)と書いた。その結合が堕落によって汚されたのであり、その結果は結婚の問題であると同時に政治の問題であった。クリスチャンと言えども、国家の政治と教会政治の両面において、自分自身を統治できると信頼するには値しないのである。

 しかしながら、ほとんどの古代の政治思想家や一部の現代の政治思想家とは違って、アウグスティヌスは国家を本来的に神聖なものであるとは考えなかった。アウグスティヌスにとって国家は、堕落によって腐敗した人間の性質に故に欠くことのできない世俗的な必要物であった。クリスチャンは神に対するより高い義務を有している。政治的な絆はもはやその性質において神聖ではない。さらに、アウグスティヌスにとっては教会でさえも、堕落後の人類の状況の故に必要なものではあるものの、不完全な機構なのである。アウグスティヌスの悲観的な見解はカトリックとプロテスタントのキリスト教の両方に支配的な影響を与え、「それ以来、キリスト教であるなしに関わらず、西洋文化のすべてを色づける」ようになったのである。このように、アダム、エバ、そして蛇の聖書の物語は、今日に至るまで西洋世界の宗教的・政治的意識の中に持続してきているのである。

注1)古代の異教世界における公的領域と私的領域の違いに関する公開された議論に関しては、Hannah Arendt, The Human Condition (Chicago: University of Chicago Press, 1958), pp.22-67. を見よ。

注2)前掲書、Arendt, p.58

注3)Wayne A. Meeks, The First Urban Christians: The Social World of the Apostle Paul (New Haven: Yale University Press, 1983), p.73

注4)たとえばヨシュア記24章1〜28節を見よ。

注5)この主題は、Richard L. Rubenstein, The Religious Imagination, 2nd ed. (Lanham, MD: University Press of America, 1985), pp.43-47. において論じられている。

注6)Clement, Protreptikos Logos, 11, 114, Pagels, Adam, Eve, and the Serpent (New York: Random House, 1988)によって引用。

注7)Augustine, De Civitate Dei, 15, 16, Pagels の前掲書に引用。