教育と家庭をどう再建するか
―米国からの提言―

米国・厚生省元事務次官補 パトリック・フェイガン

 

1.はじめに

 私は、凶悪犯罪の増加、学級崩壊、そして援助交際など、日本が抱える社会問題への不安が高まりつつあることについて、読み聞きしてきた。これら三つの問題はすべて、機能不全に陥った極度の個人主義、責任を全うするよりは本能的衝動のままに行動すること、永遠の善を求めるよりは刹那的な喜びを求めること、等を表現したものと言える。

 これらはまた、程度の差こそあれすべての先進国をさいなむ現代病の現れである。日本は、強力な社会的結合性と根底において同質性をもった文化が、社会生活と国民生活のすべての面に浸透している国であるが、その文化的防御をもってしてもなお、こうした影響をすべて食い止められるわけではないことが明らかになってきている。すなわち、日本が「同じ川の水を飲む」(他の先進国と同様の発展を指向する)限り、同じような副作用を示すであろうし、それは独自の文化のゆえの変型はあるとしても、ほぼ同じ方向へ向かうであろう。

 別の言い方をすれば、日本人も米国人やヨーロッパ人と共通の人間性をもつということである。

 米国は、きわめて特異な国であり、多様な文化を持っている。それは一つの民族ではなく、地球上のあらゆる所から集まった人種が交じり合った国であり、常に変化し続けている。その結果、米国は社会的結合性が弱く、その社会指標は常に外部の人々を驚かせるに足るものであった。殺人、強盗、離婚、婚外出産の割合は、最近顕著となっている家庭崩壊が起こる数十年前でさえも、常に他のほとんどの国より高かったのであった。

 米国の強みは、個人の自由と大きな経済的自由を保障する、その政治制度にある。米国は、引き継いできた文化的伝統よりは、むしろその政治文化によって規定される国である。もちろん、そのヨーロッパ的なルーツの故に、米国はユダヤ・キリスト教的西洋文明の一部を成しており、その伝統はロンドン、パリ、ベルリン、ダブリンを経て、アテネ、ローマ、そしてエルサレムへとさかのぼる。

 しかしながら、欧米は、日本と同様に偉大な経済的繁栄を経験しつつも、それぞれ違った形で、既に社会的結合性の衰退を経験している。

2.結婚破綻の社会的影響

 米国社会の変化を理解するためには、その根底にあるもの、すなわち米国の子供たちが成長過程で体験することを把握する必要がある。

 結婚しない両親、あるいは結婚はしたものの、子供たちの成長過程で離婚した両親のもとで成長する子供たちが、ますます増えている。こうした子供たちは、両親がお互いを拒絶し合ったり、同居していながらも愛憎相半ばしているような状況を経験することになる。
 1950年には、上記のような「崩壊した家庭」に生まれる子供たちは100人中12人であった。そのうち4人が私生児として、8人は親が離婚していたケースであった。ところが、1993年までには、100人の子供のうち、60人近くが壊れた家庭に生まれるようになっていた。そのうち33人が私生児であり、25人が両親の離婚によるものである(図1)。
 図2は、子供の父母の状況別構成比を示している。

(1)結婚の破綻が子供の成長に与える影響
 両親がお互いに対しての責任を果たすことができなければ、子供たちは高い代価を支払うことになる。婚外出産と離婚が与える一般的な影響は、総じてネガティブなものであり、これら二つの状況は、ある結果に関しては、若干異なった比率を示してはいるものの、同様の影響をもたらす傾向にある。(注1)

 その影響の主なものを挙げると(図3)、
1)新生児の健康状態が悪化し、幼児の死亡率が高くなる。
2)知能、とりわけ言語能力の発達が遅れる。
3)学校の成績が低下する。
4)仕事を達成する能力が低下する。
5)行動上の問題が増加する。
6)衝動を抑える力が低下する。
7)社会性の発達が歪められる。
8)福祉への依存度が高くなる。今日、福祉に依存している子供たちの約92%は崩壊した家庭の出身である(注2)。
9)地域社会における犯罪が増加する。
10)肉体的または性的な虐待を受ける危険が増大する(注3)。
(2)結婚の破綻が成人に及ぼす影響(注4)

 大人といえども、自分自身の結婚の拒絶状態あるいは破綻による影響を免れるわけではない。その影響をいくつか挙げてみる。

1)平均余命の短縮
 結婚している人々は一貫して病気、自殺、および事故による死亡率が低くなっている(注5)。タバコを吸わない離婚男性の死亡率は、1日に少なくとも1箱のタバコを吸う男性の死亡率とほぼ同じである。概して、離婚した白人男性が早死にする割合は、結婚している場合の4倍も高くなっている(注6)。

2)肉体的健康の悪化 
 離婚した人や別居している人は、伝染病や寄生虫による病気、呼吸器系の病気、消化器系の病気、および大けがなどの深刻な状況を、離婚・別居以外の状態にある人よりも数多く経験する(注7)。

3)精神的健康の悪化 
 離婚者はストレスや精神疾患(例えばうつ病など)のレベルが高く、その結果、免疫力の低下など、肉体的健康にも深刻な影響を受けている(注8)。

4)経済的状況の低下
離婚後に収入が増えた女性は、非常に貧しくてAFDC(扶養児童世帯補助)を受けている者か、あるいは離婚以前よりも長時間働いている者のどちらかである(注9)。

 結婚している黒人の米国人は着実に貧困を脱してきており(このグループの貧困率は、1994年の数字で、今や11.4%)、既婚の白人の貧困率(8.3%)に迫りつつあるが、黒人の母子家庭における貧困率はいまだに53.9%であり、既婚の黒人米国人の5倍になっている(注10)。

(3)婚外出産
 婚外出産の割合(図4)は、近年33%で横ばい状態である。最近、米国では良い変化が、ティーンエイジャーの間で起きている。

 多くの米国人が、18,19歳で結婚した時期があった。結婚しているティーンエイジャーから生まれた子供の数は持続的に減少したが、未婚のティーンエイジャーから生まれた子供は劇的に増加した。1982年頃にはその比率が50%対50%になり、それ以降も未婚のティーンエイジャーから生まれた子供の数は増加し続けた。ティーンエイジャーから生まれた子供の数の総数はあまり変化が見られないが、その割合が大きく変わったのである。(図5)

 その間、米国では出生率が低下してきた(図6)が、このような現象は世界中で見られ(図7、8)、すべての国で出生率は低下の傾向を示している。最新のデータでは、最も低いのがスペインで、1.15人となっている。

 ある国家が同じ人口を維持するためには、女性は平均して2.1人の子供を産む必要があるといわれている。スウェーデンは出生率を上げようと試みて、2〜3年間は成功したものの、再び下降傾向に戻ってしまった。

 ところが、結婚による出生率の低下も含め、このように出生率が低下しているのに対して、すべての年代層において婚外出産が急速に増加したことは、深刻な影響を及ぼしている。17歳以下のティーンエイジャーよりも、30歳以上の女性に婚外出産が多いことに留意してほしい(図9)。

 図10は、第二子目の婚外出産についてのデータである。この問題は、母親に貧困生活を固定化する要因であり、第二子目になると確実に、しかも長期的に影響を及ぼすことになる。そして米国では、このような婚外出産のほとんどが、より年齢の高い女性(20歳代とそれ以上の年齢層)となっている。

(4)離婚
 次に、離婚について見てみよう。
 米国は、常に他の国々に比べて高い離婚率を示してきたが、特に過去50年間に急激に上昇した。1950年には、両親の離婚を経験した子供の実数が25万人であったが、70年代に急激に増加し、80年代初期に頂点に達した。最も多い時期で、約120万人の子供が両親の離婚を経験した(図11)。

 両親の離婚によって、子供たちには次のようなリスクが生じる傾向が見られる。
1)両親に対する愛情が減退し、後に結婚に対して好悪相半ばする感情を持つようになり、結婚する前に同棲する可能性が高くなる。

2)友人や将来の配偶者との間に生じる葛藤を処理する能力に欠ける場合が多く、その結果、離婚の可能性が高くなる。娘たちの間では一層この傾向が顕著に見られる。

3)子供がティーンエイジャーの時に離婚が起こった場合には、簡単にフリーセックスに陥りやすくなる。十代の少女の妊娠が増加し、十代の少年は怒りにまかせて暴力を振うようになる。

4)仲間たちとうまくいかなくなり、社会的不安や拒絶される恐怖を感じやすくなる。

5)住居を変えなければならない必要から、隣人も変わりやすくなる。その理由は、その子供の家庭の収入がかなり減少するためでもある(28%〜42%の低下)。

6)少なくとも、しばらくの間は学業成績が下がり、学校全体のレベルが下がる。

7)長期的には身体的健康が低下し、寿命が短くなる。

8)麻薬の濫用が増加し、喫煙も増加。

 米国には離婚した片親と共に住んでいる子供が810万人以上いる(図12)。
 米国では、20代の若者の同棲が激増している。その傾向は、健全な家庭で育った若者にも見られる。両親が結婚前に同棲していた場合には、そうでない時と比べ離婚の可能性は2倍になり、また最終的に結婚した相手とは別の人と同棲していた場合には、離婚する可能性は4倍になる。つまり、若者の同棲と離婚には強い相関関係があることがわかる(図13)。

(5)家族構成と経済状態の関係
 家族構成は、貧困と非常に深い相関関係がある(図14)。

 米国では、貧困が子供に与える影響について活発な議論がなされている。膨大な予算を伴う福祉政策は、貧困を食い止めるためのものである。では、どこに貧困があるのか。もちろん父母の揃った家庭にも貧困家庭はある。しかしその割合は、5.2%に過ぎず、父子家庭では13%、母子家庭では31.6%となっている。

 家族の類型別に、貧困家庭の割合を見てみると、初婚の家庭は10%、継父(母)家庭(離婚後に、再婚した家庭)は9%。初婚家庭よりも若干低い値となっているのは、離婚後の再婚であるために、少し本人の年齢が高くなり、その結果、収入も増えているためと考えられる。一方、未亡人の家庭の場合は、39%が貧困家庭であり、同棲家庭では42%となっている。恒常的に片親の家庭では、66%が貧困状態である(図15)。 

 次に、収入についてみてみよう。米国では、収入の多寡も家族構成と関連している。最も高い収入を得ているのは、初婚で一度も離婚していない健全な家庭で、平均年収が48,000ドル。夫婦が恒常的に結婚状態にある家庭は、片親家庭より多くの収入を得ているのがわかる(図16)。ところが、恒常的に片親の家庭は、15,000ドルとなっており、きわめて貧しい状態にある(図17)。

 福祉の援助金や援助物資の大幅な増加は、貧困の減少傾向を促進するよりは、むしろ抑えただけで、婚外出産の増加と連動して、貧困を徐々に増加させたように考えられる。5.4兆ドルを投じた米国の貧困との戦いは、失敗したのである。

 ところが、社会福祉制度が取り入れられてから、この急激な貧困率の下降は、誰もが予想し、期待したように継続するどころか、下降は止まり、そして上昇し始めた。社会福祉制度は、貧困を減らすことができないのである。政府は何もすべきではないと言っているのではなく、その方法がうまく機能しなかったということである。

 それとは対照的に、福祉の援助を受けるためには働くべきことを要求する福祉改革は、その政策を最も多く遂行したウィスコンシン州においては、貧困が90%減少するという結果をもたらした(しかしながら、この福祉による貧困の減少によっても、その地域での婚外出産の割合を変えるには至らなかった)。

 片親家庭の貧困率とは対照的に、常に結婚している健全な家庭は、50代ないし60代までに家庭の富が非常に大きくなる傾向が見られる(図17)。

(6)家族関係と学業成績の関係
 しかし、米国では家族関係においてもう一つ大きな変化が起こりつつある。それは子供の幼少期に、母親が子供のそばにいないことである(図18)。

 離婚した母親が、外で働かなければならないのは理解できるが、しかし増加しているのは結婚している家庭の母親においてである。この変化が重要であるのは、幼少期の子供にとって、母親が一緒にいなければ、その子供に対する愛情が不足する危険性が増大するためなのである。アマト(Amato)とブース(Booth)による最近の研究では、子供が生まれた後にフルタイムの仕事に戻った母親の子供は、子供と共に家に留まった母親の子供に比べて、1.6倍の割合で離婚している。

 家族構成は、学業成績にも大きな影響を及ぼしている(図19)。
 米国での高校の例をとると、健全家庭では7.33%の親が高校中退で、93%が高卒であるが、継父(母)家庭では、若干それが低くなっている。ところが、離婚・別居家庭、未婚の片親家庭の親は、33%が高校中退となっている。

(7)犯罪と虐待への影響
 両親の結婚は社会に広範な影響を及ぼすことになる。家族構成ほど、深刻な児童虐待の問題に深く影響している要因はない(図20)。伝統的な結婚家庭を1とすると、離婚・再婚家庭でその6倍となっている。一般に継父(母)は子供に肉親同様の愛情を注ぐのが困難であるために、間違った行為に走りやすいと言える。実の両親でも結婚していなければ、20倍となり、更に子供にとって最も危険なのは、母親が男友達と同棲している家庭で、33倍に上る。 

 そして、その影響力は、虐待が致命的であるようなケース(子供が死亡したケース)においては、なおさら深刻である(図21)。というのは、児童虐待は子供が将来犯罪者となる危険性を増大させるからである。

 これらの現象についての適切な米国のデータがないので、英国のデータを紹介するが、そこで明らかになった方向性は、米国の小規模な研究によっても確認されている。

 米国では、家庭の崩壊に伴って虐待の割合が上昇している。強く殴るなど身体的な虐待、そして性的虐待も図22のように増大している。「子供に対する感情的虐待」とは、両親が互いに肉体的に虐待するのを子供が目撃した時に生じるものである。これは、子供自身が身体的に虐待される以上に、悪い影響を与えている。これも確実に増加している。

 子供の時に受けた虐待は、彼等が引き起こす暴力犯罪と関連している。ある研究によると、1986年に死刑を宣告された少年14人の内、12人は子供の頃に身体的虐待を受け、6人は性的虐待を受けていた。肉体的・性的虐待には、子供を破壊してしまう可能性がある。

 図23は、犯罪と家庭崩壊の関係を示している、。犯罪率と片親家庭の子供の割合との間に相関関係があることが分かる。

(8)結婚の破綻が地域社会の崩壊に及ぼす影響  
 ある地域社会において片親家庭の占める割合が約30%に達すると、その地域社会は崩壊し始め、子供たちの成長にとって「助け」となる状態から「危険」となる状態に転じる。そして、その地域社会における犯罪の発生率が急激に上昇し始める。日本でも婚外出産や離婚が増えると、地域社会の崩壊を予期すべきである。

 都市中心部の貧しい人々が住む地域で、両親のそろった家庭が事実上消滅したことが、その地域の崩壊を招くことになった。父親がいないということは、大人の男性による子供たちへの経済的支援、教導、あるいは保護がないことを意味する。その結果、若い男たちの集団は、父親による指導の代わりに破壊的な信条によって駆り立てられ、若い女の子たちは虐待を受けやすくなり、子供が子供を生み、又、軽率で暴力的な犯罪が起こる。

 米国の黒人の犯罪率がきわめて高いといわれているが、しかし、ある研究資料によると、犯罪と投獄の比率は、白人と黒人の間では同じことが分かっている。すなわち、結婚している黒人家庭の子供の犯罪率は、結婚している白人家庭の子供の犯罪率と同じ程度に低い。そして離婚し崩壊した白人家庭の子供の犯罪率は、同様の黒人家庭の子供のそれと同様に高くなっている。米国の黒人家庭は、ひどい崩壊状態にあり、黒人の子供の69%は婚外出産による子供たちとなっている。このことが黒人の犯罪率の高さを生む背景となっているのである。

 州ごとの分析によると、一般的に、片親家庭(離婚も含む)に住む子供たちの割合が10%増加することによって、青少年犯罪が17%増加することが分かっている(注11)(図24)。

 犯罪発生率が高い地域は、片親家庭の地域であるという傾向にある。研究者の調査でも、かなり以前から、凶悪犯罪はティーンエイジャーによるものにせよ、大人によるものにせよ、片親家庭の比率が非常に高い都市部に最も集中しているということが分かっている(注12)。

 今日の研究者も、以前と同様、主として片親家庭によって構成される地域は相変わらず混乱し犯罪に悩まされ(注13)、ギャングの支配する地域であるということ発見している(注14)。こうした混乱した状況下では、青年期や少年期の子供たちに対する両親の監督はほとんど不可能である(注15)。むしろ、こうした地域に住む子供たちは、自分の欲求や必要を満たすために物理的暴力を学び、それを受け入れ、使用する傾向がより強い(注16)。

さらに、かつて貧困地域において、家庭での援助や指導を受けられないでいる人々にそれを提供していた諸機関は、福祉国家の発展に伴い、却ってしめ出されてきた。地域住民の世話や実情把握の仕事は、自由と責任に基づいて行われるのではなく、権利や規則を強調するプロのソーシャル・ワーカーや官僚に、次第に取って代わられてきた。

 さらにまた、これらのプログラムの中で最も金はかかるが最善のものでさえも、効果を発揮していない。教育上や社会上の欠陥を是正するのに効果的な信仰に基づく解決策は、実行に必要な政府の資金的支援を受けることがむずかしくなっており、たとえ支援を受けることができるとしても、それは宗教的メッセージを放棄することによってのみ可能となることがしばしばである(注17)。

 米国の司法制度に与える影響の大きさについて、いくらかのイメージを与えてくれる研究は一つあるだけである。ウィスコンシン州では、その比率が劇的に異なっている(高くなっている)。すなわち、いつも片親しかいない家庭においては、22倍高い(図25)。

3.宗教的礼拝の社会的影響

 社会学的なデータを見る社会科学者が誰しも驚くことの一つは、規則正しく神に礼拝を捧げる習慣が、家庭の崩壊とは正反対の結果をもたらすという明白な証拠があることである。

 宗教的礼拝のもたらす恩恵(インターネットで入手可:www.heritage.org)を私が概観したものを以下に挙げてみたが、それらは規則正しい宗教的礼拝の恩恵であると確信をもって言える。

1)家庭の強さは、宗教の実践と切っても切れない関係にある。教会に行く人々は結婚する率が高く、離婚したり独身であったりする率が低く、また結婚の満足度において高いレベルを示す率が高い。

2)教会への出席は、結婚の安定と幸福度を予言する最も重要な指標である。
米国の健全な家庭のほとんどは、毎週教会に通う人々である。

3)宗教の規則正しい実践は、貧しい人々が貧困から抜け出すのに役立つ。
ハーバード大学の研究によると、フィラデルフィアにおいては、都市部の貧困層の子供の中で、その後中流階級へ加わることができたのは、毎週教会に通っていた片親家庭の出身者であった。

4)宗教的信仰と実践は、個人の道徳基準と健全な道徳的判断力の形成に実質的に貢献する。

5)規則正しい宗教の実践は、自殺、薬物濫用、婚外出産、犯罪、離婚など多くの社会問題に対する予防効果を個人に一般的に植えつける。

6)規則正しい宗教の実践は、うつ病(現代の流行病)を低減させ、自尊心を高め、家庭および結婚における幸福を増すなど、強力な精神衛生上の効果がある。

7)アルコール中毒、薬物濫用、結婚の崩壊によるダメージの回復において、宗教的信仰と実践は、回復と強化の主たる源泉となる。

8)規則正しい宗教の実践は個人の肉体的健康にとって良い。すなわち長寿や、病気からの回復を可能とし、多くの致命的な病気にかかりにくくする。

(1)宗教に関するデータと公共政策との関係
 以下に示すような米国に関することは、すべての国に当てはまることでもある。

「宗教的信仰の広範な実践は、米国の最も偉大な国家資源の一つである。それは個人、家庭、地域社会、そして社会全体を強化し、恩恵をもたらす。固有の宗教の実践が広がれば広がるほど、それは家庭の強化、教育や職業の向上に役立ち、そして婚外出産、麻薬およびアルコール中毒、犯罪や非行など主要な社会問題に対して新しい世代を予防する上で、有益な効果をもたらすであろう。したがって、国民生活の中で、米国の未来の進路を主導する者たちが最も高い関心を持つべきことは、家庭の健全さということである。そしてデータが示すように、家庭と結婚の健全さでさえ、宗教的信仰の実践と強力に結び付いているのである。宗教の広範な実践を促進することは、良い社会政策である。それを妨げるのは悪い社会政策である。宗教の実践は、憲法が保障するすべての市民の自由に対して何らの危険をもたらすものではない。宗教実践の消失こそが、危険をもたらすであろう」。

 政府は、神と同様に振る舞うべきである。すなわち、人間に神を信じるか否かの選択の自由を与える。しかし教育や国民生活から宗教を排除することは、人間の理性にも、従って人間の本性にも反する。他の事柄と同じく、人間には選択の自由があるが、その選択の結果どうなるかは、先天的に付与された人間の本性の問題であり、自由に選ぶことはできない。

 家庭崩壊が及ぼす影響に関するデータは、国家としての米国の強さがどこにあるのかを明らかにしている。米国の健全な結婚は、頻繁な宗教的礼拝と密接な関係がある。また、性感染症に対しても、宗教が果たす予防的役割は大きい。

(2)宗教的礼拝の効果
 その最も根本的な効果は両親の結婚の絆を強め、家庭をより教育的で強いものとすることである。それはまた善悪に関する地域社会の規範を形成し、より高く広まりやすい水準でお互いに助け合い世話し合う同じ地域社会の人々を助けるネットワークを築く。

 例えば、スウェーデン(宗教的実践の高さで知られている国ではない)では、ある都市において実践するクリスチャンの率が高いほど、離婚、中絶、借金の返済不履行、および婚外出産の割合が低い。これはクリスチャンのみならず非宗教的な彼らの隣人においてもそうであり、宗教的な地域社会における非宗教的な個人が、全体的に非宗教的な地域社会に住む同様な人々と比べると、より道徳的に行動する傾向をもたらす結果になっている(注18)。

 人間は社会的存在であり、良かれ悪しかれ周りの人々の行動によって影響を受けざるを得ない。地域社会の環境は我々に大きな影響を及ぼすが、子供たちにはさらに大きな影響を及ぼす。たとえば、地域社会の中のより劣悪な部分、つまり虐待や犯罪が、より多い部分について記してみる(注19)。

 ある地域社会は、別の地域社会よりもかなり高い児童虐待率を示している。そのような地域では結婚はあまり一般的でなく、個々の家庭はより孤立しており、アルコールの濫用が広がり、麻薬の不正取り引きが多く(注20)、男性の間では女性を虐待するのは普通のことだと受け入れる傾向がある。これらの地域社会では、家庭の孤立化は頻繁である。悲しいことに、これらの地域社会は上記の貧困・家族構成の相関データが示すように、家庭所得が年3000ドル以下の地域であり、米国においてはっきりと認識できる看過できない一定の地域なのである。

 これらの地域社会においては、安定した結婚は、「パートナー」が頻繁に入れ替わる不安定な「家庭」によって取って代わられ、結果的に母親により大きなストレスを与え、家庭や隣人から彼女を孤立させている(注21)。こうした頻繁な家庭の変化は、結果的に大人たちの頻繁な役割の変化をもたらし、家庭全体により多くの混乱とさらに一層のストレスをもたらすようになる(注22)。

 その結果、婚外出産で生まれた3世や4世の少年少女の数が増大し、健康状態が悪化し、知能、学校の成績、および仕事の実績が低下し、薬物中毒、犯罪、福祉への依存が増大し(注23)、若いティーンエイジャーによる婚外出産がさらに増加した地域社会が形成されることになる。こうした退廃傾向には、世代から世代へと受け継がれ、より顕著になるという証左がみられる(注24)。

 地域社会の影響は、とりわけセックスに関する同年者の規範、そして礼拝、更にそれらと青少年の性行動との関係に関する相関図において見ることができる。

 図26は、米国における16歳の青年の性体験率と、同世代の仲間及び礼拝との関係を示している。近似曲線が安定しているので、明確な相関関係があることが分かる。もし16歳の青年が全く礼拝に行かず、性体験のある友人がいる場合、その人が性体験を持つ確率は96%である。逆に、同じ年齢でも、毎週教会に通い、友人も性体験がなければ、性体験を持つ確率は3%である。友達がどのような行動をとっているか、また自分がどのくらい礼拝に通うかに応じて、性体験を持つ割合が変化するという関係が出てくる。

 図27は、毎週の礼拝ではなく、過去4週間にどれだけ両親が礼拝へ行ったかによるものである。もし両親が全く教会に通わなければ、12歳から17歳までの米国のすべてのティーンエイジャーのうち、61%が性体験を持っていない。もし母親のみが教会に通っていれば、もっと多くが性体験を持たない。父親のみが教会へ通う場合、更に多くなる。もし両親とも教会へ行けば、性体験を持たない割合は最高になる。

4.米国社会の変化を促してきた原動力

 さて、私たちは米国の家庭に何が起こっているかに関するデータを概観したので、この膨大な社会的変化を培ってきた根本的な原動力について、見てみることにしよう。

 家庭崩壊が及ぼす影響を分析したデータは、国家としての米国の強さがどこにあるのかを、逆の形で明らかにしている。それは結婚と宗教的礼拝にある。言いかえれば、われわれが共に住む人々および創造主との親密な関係の中にあるのである。

(1)避妊の合法化とその社会的影響
 結婚とそれを可能にするすべての要件は、犯罪率、福祉、失業、教育の失敗、薬物中毒、および健康問題を説明するための非常に大きな説得力を持つ。例えば、黒人と白人の犯罪率の違いは、結婚を要因に入れると、ほとんどなくなってしまう。結婚している家庭においては、白人にせよ黒人にせよ、犯罪率は同様に低くなっている。崩壊した家庭の場合、白人にせよ黒人にせよ、犯罪率は同様に高くなっている(注25)。養子縁組もまた、健全な家庭が子供たちに与える恩恵を示しており、これはそれ以前にひどくないがしろにされていた子供についても言えることである。

 新しい性的慣習によって形作られた変化がどれほどのものであるかを理解しなければ、ここ数十年の間に米国の文化に起こった変化は見えてこない。蔓延する離婚、妊娠中絶、婚外出産、性病(最も治療が難しく、長期的に深刻な影響)の大規模な増加、同性愛運動の力、そして今や米国心理学会は大人と青少年の間の「合意したセックス」に対して寛大になりつつある。

 性行為の性質に関する思想の大きな変化は19世紀の後半に始まり、今世紀の初めに力をつけ、1930年に性行為の性質に関するキリスト教の宗教的・道徳的教えの共通した伝統に重大な変化をもたらした。

 1940年代の終わりまでには、米国の結婚したカップルで避妊をする者たちは、かなりの数に増加していた。1960年代までに、これらの避妊をしていたカップルの子供たちが性革命を主導し、性行為のために必要なものとしての結婚の必要性を(論理的に)否定するようになった。1970年代までには次の世代が、性行為の自然の実を取り去る行為である中絶を、「女性が選択する権利」を大切なものとして主張した。一世代後の1990年代には、同性愛の権利が台頭している。

 教育における大がかりな努力の結果、ティーンエイジャーたちは今や、過去のいかなる時代よりも高い割合で避妊をしている。

 社会的に合法化された実践としての避妊の導入は、西洋においては前世紀末以降、急進的な文化革命論者の緩やかなネットワークによって推し進められてきた。

(2)避妊の是非に関する論争
避妊の実践による産児制限運動の歴史は、キリスト教の外側の、しかもキリスト教に対して極めて敵対的なグループの中にそのルーツを持っている。こうした伝統的道徳原理に対する外側からの攻撃は、英国国教会聖職者の以下の発言が示しているように、しばらくの間続いた。

 「多くのマルサス主義者は合理主義者であるが、彼らは何らかの宗教的承認がなければ彼らの政策は言及されることも尊敬されることもない裏舞台から脱して晴れて表舞台で公然と唱導されることはあり得ないことをよく自覚している。この目的のために、産児制限は一見詩的で宗教的な響きを持った言い回しによってカモフラージュされ、英国国教会は自らの教えを変更するように求められている。産児制限の支持者たちは、これをカトリック教会に求めるのは無駄であるが、「無謬性を主張しない英国国教会については、事情は異なっており、議論は可能である」と認識している(注26)。

 この発言の直前に行なわれた1908年および1914年の会議と、1920年のラムベス会議において、英国国教会はその道徳的教えの変更を迫る圧力を受けていると感じ、その圧力のゆえに以下のような伝統的な道徳律を繰り返す必要性を見出した。

 われわれは妊娠を避けるための不自然な方法の行使に対し、それによってもたらされる重大な身体的、道徳的、宗教的危険をも含め、またその行使の拡大によって人類が脅かされるような悪に対し、強く警告を発する。結婚した人々に対して性的結合は、それ自体が目的であると、科学と宗教の名によって、故意に教え込むような教えに反対し、われわれはキリスト者の結婚において、常に何が中心的に考慮されなければならないかを断固として掲げる。その一つは、結婚が存在する第一義的な目的、すなわち、子供という貴い賜物を通して人類を継続させることであり、もう一つは、慎重に思慮深く自己をコントロールする結婚生活が何にもまして重要であるということである(注27)。

もし性道徳についての伝統的な自然法原理からの歴史的な決別の日として、一つの日付を特定できるとしたら、――もし西洋が滑りやすい下り坂へと公式に踏み出して行ったまさに最初の一歩を明白にしたいと願うならば――、1930年8月15日に注目すべきである。その日こそ、歴史的な1930年8月15日の英国国教会司教決議が193対67で可決された日であった。その内容は以下の通りである。

「親となることを制限したり避けたりすべき道徳上の義務が明らかに感じられる場合においては、その方法・手段はキリスト教の原理に則って決定されなければならない。第一の明白な方法は、聖霊の力の中で生きキリストの弟子としての自制の生活の中において(必要な限り)性交を完全に自制することである。しかしながら、親となることを制限したり、避けたりすべき道徳上の義務が明らかに感じられ、しかも完全な禁欲を避けるべき道徳的に健全な理由がある場合には、同じキリスト教原理に照らして行なわれる限りにおいて、他の方法も使用してもよいことに会議は同意する。会議は利己心、快楽、あるいは単なる利便を動機とするいかなる避妊方法の使用も強く断罪することを記録する」。

(3)英国国教会の避妊承認への反応
この変化によって、この問題に関するキリスト教世界の伝統的な道徳的一致が崩壊したのであった。

米国における反応はさまざまであった。一部は好意的であったが、ほとんどはそうではなかった。世俗の報道機関においてさえもそうであった。この問題は道徳の問題であり、その当時は米国の宗教は圧倒的にキリスト教であったため、反応はすべてキリスト教用語で表現された。

<バプティスト教会の見解>
「南部バプティスト教会はここに、現在米国下院で懸案となっているヘイスティングズ法案を否認することを表明する。この法案の目的は、避妊用具や産児制限に関する情報の流布を可能にし許可するものだからである。そのような提案の意図や動機が何であれ、われわれはそのような法律は不道徳な性格を持つものであり、わが国の道徳に深刻な害を与えることになるであろうと信じざるを得ない」。(注28)

<ワシントンポスト社説>
「教会があまりにしばしば宗教とは関係のない分野における『改革』の促進のために夢想家たちによって誤用されるのは、教会にとって不幸なことである。キリスト教の教えからの逸脱は多くの場合驚くべきものであり、ある教会が「キリストと神は十字架に付けられた」と教えようとしているのは、見る者を唖然とさせる。もし教会が政治的科学的な宣伝のための組織になろうとするならば、正直に聖書を否定し、キリストを時代遅れの非科学的な教師であると嘲笑し、旧時代の宗教に取って代わるべき現代の代替物としての政治と科学の擁護者として大胆に歩み出すべきである」。(注29)

 世界の指導者の中には、上記のデータで概観したのと同じような結果を予言していた人々もいた。

セオドア・ルーズベルト:
「産児制限はその罰として国家の死と人類の死が課せられる唯一の罪である。それはあがないのない罪である」。(注30)

マハトマ・ガンジーは、「計画的に親になろう」という運動の創設者であるマーガレット・サンガーの強力なロビー活動にもかかわらず、人工的避妊が不可避的にもたらす有害な影響を次のように概説した。

「[避妊の]人工的な方法は不道徳を奨励しているようなものだ。それらは男と女を無謀にする…。自然は容赦しない。その法則に背くいかなるものに対しても全面的な復讐をするであろう。道徳的な結果は、道徳的抑制によってのみ生み出され得る。その他のすべての抑制は、それらが意図された目的そのものを挫折させる。もし人工的な[避妊の]方法が流行するようになれば、その結果もたらされるのは道徳的堕落以外のなにものでもない。さまざまな原因によって既に無力化された社会は、人工的な[避妊の]方法の採用によってさらに一層無力化するであろう…。実際、男性はその情欲のために女性の地位を十分に低下させており、人工的な[避妊の]方法は、それを擁護する者たちがどんなに善意であろうとも、女性たちの地位をいっそう低下させるであろう」。(注31)

 避妊の広範囲な導入から70年が過ぎた現在、社会問題を真剣に研究する人々は分析を通して、こうした人々が道徳的洞察から予言したことと同じ結論に到達しつつある。

『歴史の終わり』と『信頼』の著者であるジョージ・メーソン大学のフランシス・フクヤマは、この6月に『大崩壊』という本を出版する予定であるが、その中で彼は1960年代に西洋の先進諸国全般で(われわれが概観したような)機能不全が急激に増加した理由を説明する唯一の要因は、避妊の実践の莫大な増加であると結論している。違った方法により、ワシントンDCのリベラルなブルッキングス研究所のジョージ・アカーロフも、婚外出産の増加の理由に関して、付随する貧困の影響と共に、同じような結論に達している(注32)。

(4)性行為と子供の分離及びその影響
 避妊の習慣は人間の節度を失わせる。性行為は、生命の誕生の可能性を有している限り、人間を最も少なくとも「他者」(生まれてくる新生児)へ指向させる効果を持つ。そのような最小限のものなしには、人間は次第にその行為を完全に自己中心的なものへと変質させてしまう…そしてすべての行為の中で最も快楽的であり得る行為が、他者中心から自己中心へと変わる。そして、(避妊によって)性行為はそのことがもたらすすべての社会的結果と共に他者中心から自己中心へと変わる。

 ひとたび性行為を子供から分離したとき、われわれは結婚関係を性行為に変えてしまった。これは自然に性行為と結婚の関係を変えることに結びついた。この仕事は西洋においては1960年代の世代によって成し遂げられたが、彼らは初めて一世代にわたって広範に夫婦間の避妊を実践した親、すなわち40年代と50年代の親の子供たちであった。しかし、結婚をの意義を失わせてしまったこの世代は、婚外出産の子供を処分する必要があったため、西洋では1970年代に中絶が広く行なわれるようになった。子供と結婚を処分してしまった後には、次第に同性愛の行為が、現代的な性行為のもう一つ新たな形態としてとらえられるようになってきた。

「援助交際」は、このような発展の日本的変型と見ることができる。
 心構えや心情をこのように内的心理的に再編成することが、急速に、最初は自分自身との関係へ波及し、次に配偶者、異性、そして子供との関係へと波及した。そして、離婚、婚外出産、中絶、子供の放棄という結果をもたらした。

 このような急激な変化によって、「子供の為に」から「個人の為に」という社会に変質することになった。一人の経験ある母親は本音をこう述べた。「次の子供について、私には選択権がある。非常識にも自分の人生の一駒を自分自身の為に保っておこうとするか、子供に仕えるために予見できる未来において自分の為の人生を全てあきらめるか」と。

 これは、変化した家庭の力学と個人の人生について、すべてではないにしても、少なくともかなりの割合で説明する力を持っている。

5.性行為の目的と家族の役割

(1)「偉大な善としての家族」の崩壊
 人間は自分のエネルギーを傾注できる「偉大な善」を持っているときに最善を尽す。人間の歴史の大部分において、その「偉大な善」とは生命を保持することであった。すなわち、十分な栄養とわずかばかりの基本的な住居と衣料を得るために、一生懸命に働くことであった。その努力に駆り立てていたものは単純であった。死と極度の貧困への恐怖が何千年にもわたって人間を駆り立ててきた。今日、われわれはこれらの基本的な生活必需品を豊富に作り出す能力を持つことによって、そうした恐怖を取り除いた。

 米国においては、福祉を受ける貧困者にどの程度の安楽を与えるべきかに関して新しい議論が巻き起こっている。それを過去の世紀の貧困と同じ種類のものとして見ることを主張する学者もいれば、彼らがどのような安楽を楽しんでいるか、どのような食物を消費し、どのような家に住んでいるか、に関する客観的なデータを提示する学者もいる。死や飢餓に対する恐怖だけでは、もはや十分な説明はできない。

 ほとんどのわれわれにとって、今日そのような恐怖は無縁なものである。われわれはそのような広範な富に囲まれた歴史上、はじめての潮流の中に生きている。欲望を満たすことができるようになったのは、欲望を満たす能力は、欲望が生まれてまもなく獲得される。われわれの子供たちは抑制を学ぶ必要がない。何故なら、親が欲望を妨げるいかなるものをも取り除く目的で生きているからである。

 ますます多くの人々にとって、献身的に自分自身を犠牲にし、自分の子供もまた犠牲的に成し遂げるべきだと確信できるような善がなくなっている。

 われわれは自己のエネルギーを傾注すべき偉大な善を必要としている。最も偉大な善とは、創造主を除けば、人間自身である。われわれ一人一人にとって、存在するすべての人間の中で最も重要な人間は、自分の直接の家族である。もし直接の家族をほとんどあるいはまったく持たないことに決めたとすれば、そのときわれわれにはそれほど大きな要求は降りかかってこないであろう。われわれが子供から背を向けるとすれば、創造主からも背を向けることになるのではないか? 

 このようにして、われわれは結局「緊急かつ生命を削るような要請に直面することはほとんどなく、大多数のカップルは夫、妻、生まれてくるであろう子供との結束を弱めるような方向にほとんどの場合多くの性的なエネルギーを発散することになる。家族の結束に向かう代わりに、その目的からはずれた方向に莫大な性的エネルギーが漂流している。もしわれわれがその目的(家族の結束)を否定すれば、子供たちはどのような目的を見出せるであろうか。

 中流階級の援助交際をする少女たちは、野蛮なまでに論理的である。なぜなら彼女たちより年上の人たちは、彼女たちに対し今や理由のないルール以上の理由づけをすることができないからである。(性行為の目的としての子供という)理由は全く消滅している。彼女たちは、そのようなことを聞いたことがなかったし、従ってそれを信じない。(彼女たちの親も、同様に信じていない)。彼女たちの性的能力は、自己の利益のためだけにあるのである。

(2)性行為の目的
 この困難な問題の核心にあるのは、性行為の目的に関する現代人の混乱である。われわれは皆、性行為から派生する恩恵や喜びを知っているが、そもそも性行為の目的とは一体何か。性行為は、社会を秩序あるものとするか、秩序なきものとするかに大きな影響力を持つが故に、その目的に関する混乱は、原子力の性質に関する混乱と同じくらいに大きな荒廃をもたらす力がある。

 さて、虐待、犯罪、婚外出産などによって変えられてしまった最も深刻な機能不全をきたしている人々はさておき、その生活が社会の望む指標の範囲内にある人々に目を向けてみよう。

 西欧は、かつてないほどに豊かな時代にあるが、急激に異なった社会への道を歩みつつある。今から50年後には、地中海諸国の子供たちには兄弟や姉妹、伯父や伯母、そしていとこがいなくなるだろう。社会を束ねる接着剤の役割を果たすのはもはや家庭ではなく、職場と国家となるだろう。

 スウェーデンでは今日、大家族を持つ自由がない。それは国家・職場・税金の制度の故に、経済的に不可能である。その歴史的に巨大な富の高さにもかかわらず、「最大の善」である人間自身、そして子供たちをもっと持つことができない。興味深いことに、低下しつつある出生率を上向きに転じた国は一つもない。スウェーデンはこれに挑戦したが、3年後に方向が変わって失敗した。

 これらすべては何を指し示しているのか。何を失敗したのかが分かれば、自然に帰らなければならず、自然の神に帰らなければならない。キリスト教の観点では、神はわれわれを天において永遠に神の子供たるべく創造したと見ている。神が願うのはそれ以上ではない。人間は神の創造的能力の最高傑作なのである。

 理性が知り得る限りにおける神の最高の創造行為は、人間の創造である。性行為において創造主は、人間を自己の「共同創造者(co-creator)」(注33)とする。そして人間も神も共に、人間の最高の自然的創造行為であると同時に、神の最も偉大な創造の行為である、もう一人の人間を永遠に存在せしめるという行為に参加することになる。正統ユダヤ教の伝統においては、性行為は旧約聖書に出てくるエルサレムの神殿の至聖所に入り、神が最も特別に臨在される契約の箱において神と出会う行為と同じものとして、賞賛せずにいられないように描かれている(注34)。

 決意して避妊を行っている結婚した人が、神を礼拝するために神殿に行けば、その人は事実上「私はあなたを私の創造主として礼拝しますが、私は最高の行為、すなわちあなたが永遠に存在せしめようと望まれる次の人間を創造する仕事をなすために、共同創造者として共に働くことはお断りします」と言うことになるため、根本的な矛盾が神の前に立つその人の姿勢の中に忍び込んでくる。

 この矛盾は深刻なものであり、その結果もまた、データが示しているように深刻なものである。これをただすには、次の二つの原則が共に保たれなければならない。@性行為の根本目的は、一人一人の子供に託される次世代の人類の種の保存と継続である。A性行為は、男女を一つに結びつけ、最高の喜びをもたらす、ということである。

 子供はその潜在的な可能性を最大限に引き出すために、結婚している父親と母親の愛情を必要とする。この結婚による自然で有機的な愛の統一性は、子供に向けられ、性行為の中に完全性をもって存在するが、私はそれがすべての鍵だと考える。そしてその崩壊は、男女と親子の断絶につながる。

 現在、何が起きているのか。米国は混乱し、混沌とした社会となっていることをみてきた。欧州は、徐々に死滅に向かっており、人口統計学的に見て崩壊しつつある。

 米国のティーンエイジャーたちは変わりつつある。若者たちの婚外出産率は下がっている。大人たちの間では今なお上がり続けているが。ティーンエイジャーたちの中絶は減少している。ティーンエイジャーの処女・童貞は増加している。ここ2〜3年間で、250万人の米国のティーンエイジャーが結婚まで貞操を守ることを誓っている。

 社会科学のデータは、子供たちは両親のそろった家庭において良く育ち、結婚している両親のそろった家庭において一層そうであり、定期的に神を礼拝する両親のそろった家庭においてさらにそうであり、毎週礼拝に行く両親のそろった家庭において最高である、という結果を繰り返して示している。そのような調査が影響を与えるようになるには、しばらく時間がかかるであろうが、指導的な家族社会学者たちの間では、家庭と宗教的礼拝が二つの最も強力な子供たちの擁護者であり、地域社会の擁護者であり、最終的には国家の擁護者である、ということにますます気づき始めている。

 これからの10年間に、調査結果が徐々に明らかになるにつれて、米国の大学においてこれらの問題に関して大きな変動があるであろう。

6.家庭強化に向けた公共政策

 社会を正しい方向へと押し出すために、政府は何ができるか? 
 政教分離の憲法下において、政府はいかにして信仰に基づく活動を支援できるか?
政教分離に関する極端にリベラルな見解は法廷において根拠を失いつつある。保守的な見解では、政府が公然と、宣教、祈祷、あるいは礼拝を支援したり、資金を提供することは全面的に禁止されるが、慈善、慈悲、および社会支援の仕事において政府と信仰に基づく活動が協力することは許される。いかなる信仰であれ、信仰に基づいた活動を社会奉仕に取り込むことによって、受益者はそうした関与によってもたらされるより献身的な奉仕を受けることができる。たとえば米国の、私自身の住んでいるメリーランド州のアンネ・アランデル郡では、教会のボランティアが6ヶ月以上にわたって平均400時間を、助けを必要とする家庭と共に過ごすが、これは政府のソーシャル・ワーカーが働くことを許される時間よりも明らかに長い時間である。

 もっと家庭に優しい文化(family-friendly)を作るために、政府は何ができるか?
 第一に、家庭に対して優しくない(family-unfriendly)活動に対する資金援助を停止し、子供を育てている家庭に対する税負担を大幅に削減することができる。米国では、子供を育てている家庭に対する税制上の地位を、1950年代そうした施策が活発にとられていた時のの状態に戻そうとする努力がなされている。

 第二に、政府は、家庭(特に結婚と教会への出席)がどれだけうまくいっているかに関するデータを政府機関が収集し、分析し、広布するようにすることによって、文化に関する議論に影響を与えることができる。これが国の社会的紐帯の強化に関する議論を促進するための最も強力な方法である。

 第三に、政府は、家庭に優しい職場を作ろうとしている労働者たちが直面している障害を取り除くことができる。たとえば、両親が給与を失うことなしに労働時間を調節できるように、政府は「フレックスタイム(勤労時間の自由選択制)」のより広範な使用を許可するように連邦労働法を改正すべきである。米国では、連邦政府で働く人々は現在この権利を有している。

 家庭を強化するために政府は何ができるか?
公正で平和な法秩序を確立し、市場の健全な働きを保障するような税法を制定するという、その最も重要な機能のうちの二つを追求する上において、政府は結婚と家庭に特別な関心を払うことができる。米国においてはこの中に、もはや結婚の認可と離婚の記録を監視していない怠慢な州に対して制裁を加えることも含まれるだろう。これも政府が結婚と家庭を保護する一つの分野なのである。

 政府は税法を改革することができる。とりわけ、米国では政府が過去30年間にわたって、他の人々に対する相対的な税負担は変えていないにもかかわらず、子供を育てている家庭の税負担を上げることによって、家庭の家計を大きく歪めてきた。このシステムは多くの母親が家の外に出て働くことを強制するが、米国の働く母親の平均収入は、子供を育てている家庭の税負担の平均増加額をまかなっているだけである。これらの家庭は数年間働いて得た余分のお金によって何が得られたのかを尋ねる理由がいくらでもある。その答えは、米国の親と子供にとって具体的な利益となるものは何もない、ということである。

 結論として、大まかに見て、われわれは将来のための答えは、過去のための答えであり、そしてすべての世代のための答えである、ということを理解することができる。人間は愛するために、隣人と神を愛するために創られている。最も近い隣人は配偶者と子供たちである。もしこうした人々が神と共に愛され尊重されなければ、他の誰がそうされるというのであろうか? そうなれば社会の骨組みは、初めはゆっくりと、そして次第に速度を増しながら、腐り始めることになる。

 すべての国はこのことに関して互いに助け合うことができる。なぜなら、愛、性、家庭、および創造主を敬拝するということに関する人間の性質は、同様の基本的ニーズ(必要なもの)を求め、人生のこうした面における善に対しては同様の基本的な反応をするものだからである。

(1999年4月24日、PLA国際教育シンポジウムより)