道徳教育教材の課題とその在り方

武蔵野女子大学教授 杉原 誠四郎

 

1.はじめに

 98年8月に韓国に行き、道徳教育の教材などに接する機会があったが、日本の道徳教育と比較する契機となった。その観点から見ると、現在の日本の道徳教育は、「窒息状態」というよりは、「死んでしまった状態」というほどの状況であると感じた。

 そこでまず、日本の道徳教育の現状がどのようなものかを検討し、次に韓国の道徳教育の教材を紹介して、宗教教育という観点も含めて比較してみたい。

2.日本の道徳教育教材の問題点

(1)民主主義への誤った理解
 道徳教育の教材について説明するのに、日本で標準的なものとして一応考えられる放送大学の「道徳教育」のテキストを取り上げてみようと思う。「道徳教育」に関する放送大学のテキストとしては、今まで、3冊発行されている。それらを点検してみたところ、「これが果たして道徳教育か」と思われるような、愕然とするような内容であった。
 まず、宇佐美寛著『道徳教育』を例に挙げる。

 ここでお断りしておくことがある。私の意図としては、日本の道徳教育の水準がいかに低いかということを検証するために、これらのテキストを例として用いたということであって、著書たちを非難するつもりはない。これらの著者たちも、日本の道徳教育を何とかしようとして努力した方々であることは、間違いないことであり、私自身この方々にも敬意を表している。このことは、誤解のないようにと思う。

 その著書の中で、次のような話を紹介している(注1)。
 「先日、某小学校の近くを歩いていると、何対何で赤組の勝ち、という声が聞こえてきた。ついで、ワー、という子供の歓声。運動会の練習のようだ。ところが、このあとの『元気がない、やり直し』という声を聞いて、私は変だと感じた。よろこびを強要しているからだ。」

「この文を書いた学生の気持ちに対して賛成か、反対か」と、私の授業の学生に聞いて挙手させると、圧倒的多数の人が「賛成」に手を挙げる。2〜3年に一人か二人は、「これは必ずしも正しくない」という学生が現れるが、前者が現代の学生の趨勢である。

 私は、この文を書いた人の考え方は、間違っていると思う。この学生は、「子供が運動会の練習で勝ったからといっても、うれしいとは限らないのに、大きな声で『ワー』ということを教師が強制するのは、民主主義の考え方からすると、おかしい」というわけである。私は逆に、「子供に対してそのようなことを強制してもいいのだ。むしろ強制しなければ、教育は成り立たないのだ」と学生に切り返す。

 そのような私の切り返しに対して学生は、不信感や疑問を持ったような顔をする。「道徳教育研究」の授業が終わり、その中の何人かは、次の時間に私の「宗教教育」という授業をも受講している。その授業の終わりには、仏教に関する宗教教育なので「讃仏歌」を歌うのだが、大半の学生は恥ずかしがって、大きい声でなかなか歌わない。それで私が、「大きい声で歌え!」というと、ようやく声が少し大きくなって歌うようになる。それで、「今、私が『大きい声で歌え!』と言った指示は間違いか?」と聞くと、「当たり前です」と答える。それならば、先の運動会の例も同様ではないか。

 社会生活をする時に、自分たちの喜びの表現方法を子供たちは知らないかもしれない。公的には、大きい声でワーと言うほうがいいのだということを、手っ取り早く言う時に、「もう一回やり直し!」と教師が指導することがあるのだ。

 学生の考えのように、「喜んでもいないのに、喜びを強制するのはいけない。子供の自由に反している」という考え方は、戦後民主主義によって、すなわち小学校から高校までの教育によって、「強制はよくない」ということを逆に強制的に教え込まれたからと言える。すなわち強制されてそのような価値観を持つに至ったのである。

 宇佐美氏は、この学生と同じ考え方に立って、話を展開している。はっきりとは書いていないが、前後の文脈を見るとそう読むことができる。

(2)学級会の議題選びの問題点
 もう一つの例がある(注2)。ある学級の中で、ドッヂボールを使うのに、ある子供が独占的にそれを使っていた。そのことに対して、他の子供は文句を言う。それで「次の学級会の時にそれを議題にして話し合ってくれ」ということをその子供が書いて、学級のポストに入れる。そうした提案を学級委員が見て、議題を選り分ける。そのときの主人公は、ドッヂボールを使っている子供とは親友であった。彼が親友のためであれば、この問題を議題にしないほうがよいし、自分がそのように議題にしないようにと意見を言えば、そうなるのに、結局、議題にすることに賛成して、正式に議題になってしまった。それで多少自分の親友を裏切ったようになったものだから、主人公は内心葛藤状況に陥った。が、最後のところで、ドッヂボールを独占していた友達に、会議の後で、「君は公正だ」と誉められて物語は終わる。

 これに対して、宇佐美氏は批判する。「学級委員だけで、ある問題を議題にするかしないかを決めてしまうということは、学級委員が一部の意見を握り潰してしまうことになる。これは民主主義に反する」と。学生にも聞けば、恐らく宇佐美氏と同じ意見になるであろうと思う。

 が、この宇佐美氏の考えは間違っている。例えば、ある人がカンニングをしたことを学級会の議題に取り上げ、今後カンニングができないようにするための方法を話し合ってほしいという提案があった時に、たとえそれが真実であったとしても、それを議題にすることはできない。それじたいでいじめにつながる。

 このように議題の選定を、学級委員という人の良識に一回渡して、その人たちの良識によって選定させるということは、「学級経営」という教育の場においては、ありうることである。学級委員が選定した上でも、まだ望ましくないものを議題にした時には、今度は教師がそれを潰さなければいけない。例えば、上記の例のように、議題によっては、特定の人のいじめにつながることがあるからである。「学級」という教育機関の中で行なう学級会と言うのは、教育という目的のほうが、より大きく優先的な目的であるから、それに合わない議題は取り扱わせることができない。しかし許容される範囲内の議題については、まさに民主主義であるから、自由に議論させることは可能である。

「民主主義の会議」という名を借りれば、全て何でも話し合えるのかというと、そういうわけではない。会議というものは、その設定された目的に沿って議題の制限がある。このように、学級会で何でも話し合えるわけでないことは、少し考えればすぐ気がつかなければいけないのに、宇佐美氏は気がついていない。宇佐美氏は、学級委員が議題を制限するのは、非民主主義的だと考えている。「民主主義とは何か」ということを、十分に認識されていないといえる。

(3)子供をどうみるか
 木原孝博著『道徳教育』(注3)では、三つの子供の作文を比較している。
「問題解決能力のある子供」というテーマの下、三つの作文を並べ、三人の子供を比較して、どれが一番優れているのか、どれが劣っているのかを評価している。

 木原氏に言わせると、「ふくしまにいったとき」というのが最も劣り、「あだなをやめて」が最も優れていると評価を下している。
「ふくしまにいったとき」では、子供は人形を見て「かわいいね」とだけしか言わず、「(人形が)ほしい」と言わなかったので、これは「子供らしい感情が枯渇していてだめだ」という。また、「ごみ箱」では、作者は自分の不満を言ってはいるが、解決方法を言っていないのでよくない。「あだなをやめて」では、作者は自分の苦情を言いながらも、それを止める方向に問題提起しているので、これが一番優れているとしている。

 この結論は、納得いくであろうか。この程度の作文だけで、問題解決能力のある子供というテーマに合わせて見た時には、そういう結論になると言えなくもないかもしれない。しかし、「ふくしまにいったとき」の子供が、「(人形が)ほしい」と言わなかったからといって、どうして子供らしい感情が枯渇していると言えるのか。

 この話は、昭和30年代の話であろう。福島県の山間地に住み、父親に連れられて福島市に行き、作者は、きれいな人形を見て、「きれいだ」としか言わなかった。作者は、自分の家の貧乏さを最初から考えて、初めから「ほしい」といわなかったのかもしれない。そうだとすれば、見通しをもつ我慢強い子供と言える。女の子として、「かわいいね」と言っており、そこには人間としての気持ちが表われている。このように解釈することもできる。小学校3年のこの子の表現力は、それなりのものだ。もしかすると、三者の中で一番優秀かもしれない。

 もちろん、このような私の判断も間違いかもしれない。しかしこの作文だけを見て、この子はだめだとどうして断定できるのか。しかも、現実の子供の生活の中には、子供にとって問題解決のできない問題はたくさんある。

 これだけの作文から判断して、その人間を比較させて、その優劣を子供たちに議論させて、果たして道徳教育になるのであろうか。また、それが中学校の道徳教育の教材として適切なものであろうか。むしろこのことは、人間を見る目を粗雑にしなさいということを、逆に訓練しているようなものにさえ思える。

(4)普遍的に使用できない道徳教材
 1995年に、木原孝博氏と武藤孝典氏とが作成した放送大学の教材の中に、「白いテープ」という作文が出ている。

 木原氏は、この教材を使った時に展開として次のように言っている(注4)。
「子どもたちの現実の友人関係について、発表させる。その過程で、友人関係の中に具体化している友人への心的態度、友情について関心を向けさせる。友情についての子どもたちが、すでに現実に身に付けている道徳的価値意識について、気づかせていく」。

 私はこの「白いテープ」は、道徳教育の教材としては不適切だと考えている。
 一人だけかけっこの遅い子がいて、このためにクラスが迷惑がっていた。「その子がいなければ、クラスが優勝できるのに」と、白い目で級友は見ている。しかし級友たちがこの子を助けて、最後にはいいところにまでいったという話である。しかし、その子が一番になったのか、それでも追い抜かれたのかは、不問に付している。もちろん文学作品として見れば、これは悪いものではない。

 それでは、道徳教育の作品としては、どこに欠陥があるのか。
 学級の状態がこれと同じように、学級のまとまりが非常によくて、一人だけ落ち零れのような関係があり、ちょっと白眼視しかけたような雰囲気が生まれかけている状態の学級で、この題材を提供すると、これは間接的にその子供に対する白眼視を止めようという暗示としては、非常によい教材だ。

 しかし既にいじめが始まっている学級で、これを提供した時に、子供たちは現実のいじめをしている友人関係を見ているので、これに対して意見を言うことができない。この教材を扱うことによって、もっと学級の雰囲気がかえって悪くなり、現実のことには通用を全く感じなくなってしまうであろう。学級の状態がさらに乱れ、このような状況から程遠い時には、逆にはいはいと手を挙げる状況が起きるのかもしれない。だとすれば、偽善を教えるようなものだ。この題材の状況と学級のそれとが合っていれば、いい効果を出す。しかし現実には、それと合わない学級のほうが、圧倒的に多いであろう。

 結局、この教材は、提供するのにふさわしい学級にしか通用しない教材であり、ある限定された状態における生徒指導の教材としか言えない。これを全国に一律に応用することはできない。これを一般的に教えた場合には、子供たちに偽善を教えることになってしまう。このような教材を、一律に道徳教材としてふさわしいと考えるのは、非常にまずいと思う。このことに著者は気がついていない。

3.道徳教育方法のはきちがい

 戦後の道徳教育においては、子供たちの身近な話を教材に使おうとする傾向があった。なおかつそれを子供たちに議論をさせる。「子供たちの中には既に道徳心があり、それをより築いて、より強化していくように気づかせるのが、道徳教育の授業だ」という原理があるために、こうなる。しかし、現実の千差万別の学級の中で、一律にこのような教材を使う場合には、非常にマイナスになることがありうる。

 前述の例で言えば、いじめが平然と行われているところに、この教材を使用し、理想的な受け答えを教師が子供たちに強制すると、それは偽善になる。にもかかわらず、どうしてそれが「道徳教育」の題材として推奨されるのかというと、戦後民主主義において、「押し付けはいけない」ということを至上の原理にしたためであった。

「押し付けをしない」ということは、すなわち子供たちに自主的に気づかせ、自主的に納得させる。そのために子供たちに身近な話題をもとにした題材を与え、子供たちに議論をさせる。だから「教師としては一度も強制したことはない」という言い方になる。

 これが「文学作品」としての鑑賞であれば、最後のところでは結果が分からないままになっていて、それによって感動を呼び起こすようになっている。その感動は、個人個人によって特殊性を持っている。原理的には、それは絶対に議論させて画一化させてはいけない。それについて議論させると、平均化してしまい、それによって自分のもった感動が壊れてしまう。だから「文学作品として感動を与えるといった教え方」のほうが、はるかに道徳教育として優れていると言えるのであり、「道徳教育として教えた教え方」のほうがはるかに非道徳的なのである。

4.戦後の道徳弱体化の背景

 どうしてそのようになってしまったのか。その一つの原因は、「修身」が廃止されたためであった。(注5)

 東大教育学部の事実上の創設者であった海部宗臣は、昭和20年のGHQの占領が始まった時に、彼の本心ではなかったのだが、占領軍が「修身」に対して非常に批判的だということを察知して、「(修身の)授業の停止」などを占領軍に提案した。ところが彼の回想録によると、占領軍の「修身」廃止に対して批判したと書いてある。しかし、実際はその逆であった。

 つまり彼自身がパージになりかねない状況にあったために、いち早く占領軍に取り入る必要があった。その指令が出た後で、占領軍が全く社会科の授業など構想していなかった時に、海部は社会科の授業の実験をしていたのであった。

 日本側でも、「修身」を「公民科」と換えたことも災いしたのだが、最初の占領軍の命令は「修身の停止」であったのにもかかわらず、「停止」は、すなわち「廃止」の意味になってしまった。海部の社会科の構想が「修身」廃止の意味に引っ張っていった。

 社会科というのは、原理的に言うと、道徳教育を含んでいるので、「修身」はいらないという結論になったわけである。歴史と地理は復活したのであるが、「修身」は復活にならなかった。その過程で、「『修身』は戦前教育の悪を象徴する教科だから、廃止になったのだ」という観念が固まっていった。

 実は米軍は、最後まで「修身」の廃止の意図はもっていなかったのである。「修身」の停止指令を出したロバート・キング・ホールは、すでに1949年、自らの研究書の中で、そのことをはっきり述べている(注6)。占領軍も修身を非常に高く評価していたのである。もし「修身」と民主主義が結びついていたならば、戦後教育は今日の状態のようにはならなかったであろう。

 文部省は昭和33年に道徳の時間を作るのだが、上述のような経緯から「道徳は教科ではない」と言った。「修身の復活ではない」ということを強調するために、道徳教育の原理を変える必要があった。そこから「押し付けはしていない」という考えが出てくることになる。子供たちが自主的に議論し、自主的に気がついたのであるから、押し付けではないという論理である。しかも先述したような粗雑な題材を使って授業をやるために、日本の道徳教育は力を持つはずがない。

 本来ならば、教育学者がそのような問題点を明らかにすべきであったのだが、日本の教育学界はイデオロギー的対立に巻き込まれていたために、そうできなかった。これは文部省の努力不足でもあったと思う。このように、おかしい原点に立脚した道徳教育を、文部省がやれやれといったところで、どれほど効果があるのかという気持になる。むしろやめるべきだとさえ言いたい。

 このような結果では、戦後の道徳教育は、むしろ生徒指導に終始すべきである。生徒指導の中に道徳がある。生徒指導は、目の前のいじめをやめさせたり、学級のやる気を出させるなどといった直接的問題を扱う。その中の道徳教育の方が、よほどいい。それを無視して先述したような題材を使って授業をやるのは、むしろ害のほうが多いと言える。この点をはっきりと反省し、改める時にきていると思う。

5.韓国の道徳教育教材

韓国の道徳教育の教材例を紹介する。小学校6年の教科書『道徳』(pp40ー46, 1997年3月発行)に、次のようなものがある。

※ ※ ※ ※ ※

偉大な教え
 釈迦とイエスは、どちらも違う時代に、そして違う土地で生まれました。育った環境も違い、覚りへの方法も違っていました。しかし私たちはこの二人の教えのなかに、すべての人たちの心の中でつき動かしているある心を見つけだすことができます。それは、慈悲と愛の心です。

 なぜ人々はこの世に生まれて、生き、老い、病み、苦しみながら、ついには死んでいくのか。これは釈迦が少年時代にいつも考えていた疑問でした。釈迦は成人して、ほんとうの真理を覚るため、長いあいだ苦しい修行を行いました。そうして偉大な覚りを得たのです。

 生きることと死ぬことに対するとらわれを捨ててしまえば余計な欲望も恐怖もなくなります。この欲望と恐怖を捨ててしまえば、ほんとうに静かな心を持つことができます。そしてすべての人に慈悲を与えることができます。

 自分のことだけを考えて、心配が絶えず、苦しんでいる人たちは大勢います。欲望を捨て、大勢の人たちを慈しんで見れば、慈悲を与えることができます。そうすると平安な心を持つことになり、喜びの中に生きていくことができます。

 これがまさに覚りで、この覚りを得て仏になった釈迦の教えです。二千五百年が経った今日でも仏陀との教えに大勢の人たちが、欲望のない静かな心で大きな慈悲を与えながら、生きていこうと努力しています。

 イエスは、イスラエルの小さな町で貧しい大工の子供として生まれました。イエスは三十歳になって、あちこちと地方を廻りながら、人々に教え始めました。イエスが行くところにはどこでも大勢の人たちが集まりました。

 隣人をあなた自身のように愛しなさい。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎んでいる人たちのために祈りなさい。静かに言っている言葉であっても、すべての人々の心をとらえました。イエスはしだいに救世主として尊敬されるようになりました。

 イエスが人々のために力を入れて教えるようにしたのは、ひたすら隣人に対する愛です。イエスは恵まれない人たちを救うためにつくしました。そして真の救いは、愛によってしか救われないことを教えました。

 イエスはとくに貧乏な人たちと、病んでいる人たちと、大きな苦しみにあえいでいる人たちを探し求めました。イエスは、その人たちを慰め、希望を与えました。また罪を犯した人たちには反省するように導きました。

 イエスが教えを伝えて二千年経ったいまでも、イエスを信じて、イエスの教えを実践しようとする人たちが大勢います。この人たちはみんな喜びに満ち、お互いに愛し合い、助け合いながら生きようと努力しています。

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★周りの人たちに愛と慈悲を与えた身近な例を考えてみよう。
★愛と慈悲の心が私たちの社会にいかなる影響を及ぼしたか考えてみよう。

実際にやってみよう
 昨日のことです。AさんがBさんに童話の本を貸して下さいと言いました。しかし、Bさんはすでにその本を隣のクラスの友達のCさんに貸してあげると約束をしていました。そのため貸してあげられないと話しましたが、Aさんはその本を奪うようにして持って帰りました。Bさんは仕方なく、Cさんにそのことを話しました。

 「Cさん、ごめんなさい。Aさんに戻してもらったら貸してあげます。」

 Bさんは何度もそのように言いましたが、Cさんの表情はだんだん固くなっていきました。

 C「これはあなたが私のことを無視し、私のことを見下しているからとしか思うよりほかはないわ。」

 B「いや、そんなつもりではないわ。あなたは、そんなに私の心をわかってくれないのですか。」

 C「私に自尊心がないとでも思っているのですか。これからはもう私たちは会わなくてよいわ。」

 そうするとBさんも怒り始めました。

 B「あなたが会わなくてよいと言うのなら、私も会わなくてよいわ。私もあなたのように狭い人とは友達になりたくありません。さようなら。」

 それから二人は今朝、廊下で顔を合わせましたが見向きもしませんでした。Bさんは一日中勉強に身が入りませんでした。

◆BさんとCさんとが再び仲良くなろうとすればどういうようにすればよいと思うか。
◆グループ別に、この物語の役割を分担して演じてみよう。

もっと勉強してみよう
 ジャン・バルジャンは、パンを盗んだ罪で五年間監獄に入りました。しかしそのあいだ、四回も脱出しようとしたので十四年間追加されて、合わせて十九年間、監獄で暮らしました。

 監獄を出たとき、ジャン・バルジャンにはどこにも行くところがありませんでした。どこにも彼に寝るところや食べるものを施そうとする者はいませんでした。ジャン・バルジャンは、ミリエル司教の家を訪ねました。司教は彼においしい食事を与え、親切にしてくれました。

 しかし夜になって、司教の家の人たちが寝静まったとき、ジャン・バルジャンは司教の家の食堂に置いてあった銀のお皿を盗んで逃げてしまいました。

 次の朝、ミリエル司教の家では銀の皿がなくなっているのに気づきました。しかしミリエルは何事もないように言いました。

 「あの皿はずっと以前に貧乏な人たちに与えるものでしたが、それでもいままで私たちの家にありました。それで、昨夜、この人はまちがいなく貧乏な人でした。いまこの銀の皿は持ち主のもとに行ったのです。」

 そのとき、警官たちがジャン・バルジャンを捕まえて連れてきました。司教は近づいて大きな声で言いました。

 「ああ、再び会えてうれしい。でも、なぜ、銀の燭台を置いて行ったのですか。」

 「ああ、この人が言ったことは本当なんですね。」
と一人の警官が言いました。

 「そうです。みなさんは誤解したのです。」

 「では、この人を放してもいいですか。」

 「もちろんです。」

 警官たちは後ずさりするジャン・バルジャンを放しました。

 「では、ここに銀の燭台があるから持って帰ってください」

 司教は、ジャン・バルジャンの手に銀の燭台を手渡しながら小さな声で言いました。

 「あなたは忘れてはいけません。立派な人になるためにこの燭台を使うことを。」

◆上の物語を読んで寛容な心が美しい理由を考えてみよう。
だれにも人の不幸と苦痛を見て、見るに忍びないと思う心がある。

※ ※ ※ ※ ※

 この教材を読んで、最初に言いたいのは、教材に、子供に妥協しないところがあるということである。大人が読んでも、キリストと釈迦の教えが、感動的にコンパクトに分かるようになっている。子供のためとして平易すぎないところがいい。子供たちがある部分では感動するが、またある部分は、将来理解できるものとして将来に取ってある。またあるところは議論をする。そうすると一人一人のアイディアよりもいいアイディアが他の人に提示されて伝わるから、限定された範囲内で学級内で議論するのは、非常にいい結果を生む。
このような教材と比較して見るときに、日本の道徳教育は完全に死んでいると言える。

6.教育学の課題

 このようになってしまった背景には、日本の教育学が体をなしていないということを指摘したい。むしろしっかりしないといけないのは、教育学である。それでは、教育学とはいかなる学問か(注7)。

 学問とは、個別的な、または個別経験的な認識ではなく、整理され体系化された社会的認識であると言われる。このときの「社会的」とは、完全なものではなく、その整理され体系化した認識も発展し変化するものであるという意味を一般に表しているものであるが、同時に、自然科学と社会科学とでは著しく異なった意味をもっていることを表している。

 自然科学の場合は、「社会的」と言った時、それは、個人的な、恣意的な、といったような意味を排除するという意味が強いのだが、社会科学の場合は、その認識じたいがまさに社会的産物であり、人間が行為し、社会を運営するための要素になるという意味がある。自然科学は自然を対象としているから、人間や社会がどのようにそれを認識しようと、その対象たる自然はいささかも変化することなく、厳として認識とはかかわりなく、同じものとして存在している。

 しかし社会科学は社会にかかわる認識であるから、その認識じたいが社会の人々の判断や行動を規制していき、その認識じたいが人間や社会を動かしていく要素となるところがある。その意味では、社会科学の認識が「社会的」と言う場合は「政治的」とも言い換えられる。自然科学は説明科学であり、社会科学の多くは規範科学であると言うのもこの意味である。

 教育学は大局から言えば、結局、規範科学の要素を顕著にもつ社会科学なのである。そしてそのなかで考えれば、教育学はまさに人間および社会の実践行為として存在するものであり、その実践行為は、理想を求めて人間を変えていく学問であると言える。それゆえに、教育学は経済学や法学に優るとも劣らない学問にならなければならない。

 日本の教育学は崩壊し、教育現場に対する指導力を失っただけではない。教育を包む環境が文明の高度化によって、教育を不可能にするかのように、変化、変質してきているのである。この問題は日本の教育だけが直面している問題ではなく、世界の先進国の全てが直面している問題である。
(1998年11月13日発表)