東アジアと日本の戦略
―北朝鮮問題を中心として―

筑波大学教授 近藤 三千男

 

1.マスコミ報道の問題点

 マスコミ報道には、いわゆる「安全神話」、「土地神話」、「右上がり神話」などといった「○○神話」や、多数説という名の俗説に基づく報道が非常に多い。すなわち今日の民主主義社会では、マスコミで作られたそのような多数説が幅を利かせている。そのために、内外情勢の見方が歪んでしまったり、日本の国策を間違った方向に導く危険性が大きい。

 喩えれば、マスコミに多く現れるのは多数説たる「天動説」である。天が動くのは誰の目にも分かりやすく、それが多数説となって世の中で幅を利かせている。一方、「地動説」は、物の本質を究明した数少ない研究者だけにしか分からず、一般の人にとっては、分かりにくいから少数説となる。

一例を挙げてみよう。
1994年10月カーター大統領(当時)が、訪朝して核枠組み合意を成立させた。それが基本となって、その後の安全保障論が展開されてきた。そしてこの合意文書によって、合意されたのは、核開発の放棄、凍結であると報じられてきた。ところがこのことが、大きな誤解を生んでしまった。それは「核開発」という極めてあいまいな「政治用語」を使っていたためである。実際には、その合意文書にも、秘密の付属覚え書きにも、そのような言葉は記されていない。

 北朝鮮は、「ならず者国家」と言われているために、わけの分からない非道理のことばかりを言っているように見られがちだ。ところが、実際の北朝鮮の言動を厳密に検討すると、この米朝核枠組み合意に関する限り、筋の通ったことを主張している。

2.戦略的視点の重要性

(1)日本の情報能力
 情報について、どの程度日本が米国に依存しているか、例を挙げよう。
 日本の海上自衛隊は、対潜哨戒能力を中心として戦力が整備されており、1992年に対潜水艦戦(ASW)システムが完成した。そしてその心臓部に当たるASWセンターは、現在、米海軍横須賀基地内にある。そこでは、対潜哨戒機、潜水艦、音響測定艦が収集する情報を総合的に分析し、周辺海域を潜航する潜水艦の水中音を割り出して位置特定、潮流などの海洋情報のデータベース作成などを行なっている。そこには米軍属専門家約20人が常駐し、自衛隊員の触れることのできないブラックボックスになっている米国製情報解析機器の管理、整備、操作指導などを行なっている。

 日本はこのように、情報に関していえば、米国に完全に握られていると言える。日本にとっては、完全なブラックボックスと言うわけだ。米国は情報を制するものは世界を制すると考えている。

 冷戦後の潜水艦対策は、日本海や東シナ海の浅瀬を通る北朝鮮や中国の潜水艦への対応に重心を移している。だが、冷戦時代に開発してきた深海域音響技術だけでは、雑音が発生しやすく、音波が海底にぶつかるなどする浅瀬では、探知しにくく、その「索敵」能力が極めて不十分で、中国の世界最新型「キロ級」潜水艦や北朝鮮の「ロメオ級」小型潜水艦と特殊部隊潜入用潜水艇に有効に対処できない。

 それゆえに、浅瀬での潜水艦の探知・識別などに利用する浅海域音響技術の研究開発を行なわなければならない。しかし、この分野でも、米国の助力なしにはできない状況なのである。

 日本では、「偵察衛星を自力で開発して打ち上げる」といっているが、この点についても検討してみよう。

 この「独自衛星導入論」は、衛星情報を米軍に一方的に依存する体制から脱却したいと言う願望から出たものであった。しかし、戦略的視点から見る時に、米軍に一方的に依存している重要情報は、衛星分野だけでなく、ほとんどすべての分野のあらゆる種類にわたっているので、日本が独自の情報収集手段を持とうとする場合には、米軍の情報の中でいかなる役割分担をすべきかという観点や、持つ必要があると見られる各種の独自情報収集手段開発の優先順位をどうすべきかという観点から検討しなければならない。

 ところで、偵察衛星の場合、日本政府が策定中の基本構想では、国産衛星を主体に、解像度1m程度の光学衛星二基とレーダー・センサー搭載衛星二基を、2002年度を目標に打ち上げようとしている。ところが、米国製の場合は解像度はその約十分の一、すなわち十数cmである。また、写真を撮ったところで、それを正しく解析するには、情報の蓄積やノウハウの積み重ねがないとできない。ところが、日本にはそれがないから、必然的に米国に依存することになってしまう。このように独立してやろうにもできない状況にある。

(2)TMD計画への参加の問題点
 また、北朝鮮の核ミサイルの脅威に備えるため米国は、日本政府に「戦域ミサイル防衛構想」(TMD,Theater Missile Defense)開発計画への参加を要請しているが、日本の安全保障政策上、問題点はないのか検討してみよう。

 まず第一に、ミサイル発射から迎撃までの時間が、SDIの場合は30分だが、TMDの場合は数分に過ぎないなどの理由で、TMD開発は技術的に至難なため、現段階で開発成功の明確な見通しが立たず、構想の実現可能性さえ疑問符をつけざるを得なくなっている。また北朝鮮や中国などの核ミサイルの脅威を強調することで、クリントン政権に核ミサイル防衛計画の促進を働きかけてきた米国議会内でも、成果の出ない開発に不満を募らせ、構想の実現性や費用対効果を疑問視する声が出始めているのを踏まえ、開発計画の見直しなどを検討していることを明らかにしている。

 第二に、仮に何百億ドルもの巨費を投じてTMD体制が出来上がったとしても、潜在的敵国が核ミサイルに数百〜数万ドルの費用で作れる「突破補助装置(ペネード)」を活用することによって、突破されてしまう確率が極めて大きい。

 例えば、技術力の劣る北朝鮮でも、ミサイルの胴体にロープ状の爆破装置を巻き付け、飛行の最終段階で胴体を吹飛ばすペネードを作れる。このようなペネードが活用されると、TMDシステムは、空中に飛散するミサイル胴体の破片に撹乱され、撃墜すべき弾頭を探知追跡できなくなる。北朝鮮が空中に電波を反射するアルミの小片のような物体を無数に飛散させただけでも、TMDのミサイル探知追跡用レーダーは、核ミサイル技術研究の権威、テッド・ポストルMIT教授が証言しているように、「圧倒され、霧の中を覗きみるような状態に追い込まれる」のである。更に今後、10〜15年間で迎撃技術が格段に進歩したとしても、その間に「北朝鮮は、TMD迎撃システムを突破するペネードを容易に手中にするだろう」。

 冷戦後、防衛費縮小を余儀なくされている現状下で、完璧な迎撃システム完成の見通しの立たない研究に、他の有用な兵器調達を犠牲にしてまでも、巨額の資金を投入してもよいか、はなはだ疑問である。 

 このように日本が自力で開発するのならば、そこには自ずと優先順位があるので、それを考慮して戦略・政策を進めていく必要がある。

(3)抑止戦略
 抑止戦略の原点に返って検討してみたい。
「懲罰的抑止」効果を発揮させるためには、侵略行動を起こしたならば、耐えられないほどの「懲罰(制裁)」を受けることになるとの恐れを潜在的侵略国に抱かせる戦略体制を整えることが必要である。また、「拒否的抑止」効果を発揮させるためには、侵略目的を達成することによって得られる利得よりも、損失の方が多く、割に合わないと潜在的侵略国に思わせるほどの損害を与え得る戦略体制を確立しなければならない。

 対北朝鮮抑止戦略を具体的に考えてみよう。米国・モンデール元駐日大使が、「米軍は尖閣諸島の紛争に(武力攻撃を受けた際)介入する条約上の責務を有しない」(ニューヨークタイムズ1996年9月16日付)と言ったことを根拠にして、石原慎太郎は、都知事選の時などに、「日米安保は信頼できない」と言っている。

 法律上は、日米安保は尖閣諸島にも適用になるはずである。1996年10月に米国で作成された「尖閣諸島紛争・米国の法的関係と責務」と題する報告書にそのことがはっきりと書かれてある。すなわち、その作成者と伝えられるラリー・ニクシュは、「尖閣諸島が、沖縄返還協定によって日本に返還された領土に含まれている事実に疑問はない。これらの返還領土に日米安保条約が適用されるという事実も、当時の一連の公式文書や日米間の合意により疑問の余地がない」と明言している。

 それなのになぜ、米国側は「適用しない」と言ったのか。それは日本自体が、尖閣諸島や領海へのいかなる形の侵犯にも、国家主権の侵害は絶対に許さないと言う断固たる意思を行動で以って明示すると言う、日本の明確な尖閣防衛意思のメッセージを諸外国に伝達しなかったためなのである。日本が守るとの意思を示さないのに、米国が支援すると言明し得るわけがない。

 それ故に、日本防衛の断固たる意思を行動を持って明示するために、日本有事の際に、米国の対北朝鮮報復力を誘発させる導火線の役割を果たせるだけの戦力、換言すれば、米国の対北報復の露払いを行なえるだけの戦力を早急に整備する必要がある。

 すなわち、現有のF15、F4戦闘機、及び来年3月に配備予定で実用試験を進めているF2支援戦闘機に加え、優秀な対地攻撃能力を持つF16、FA18戦闘機と空中給油機を導入し、これらの戦闘機に本格的な爆撃の前に敵を急襲して対空ミサイルや高射砲、レーダーなどの敵の対空砲火システムをつぶす対空火器制圧の任務を与える。更に、敵のレーダーにつかまらぬよう低空を飛行し、電波の障害となる山あいを抜けて目標に接近し攻撃するという実戦的な訓練を積ませて、パイロットに高度な操縦技術をマスターさせる。

 前述のようなことと並行して、このような戦力を最大限に活用し得るようにするための情報収集体制、日本有事に即応し得る意思決定システムと自衛隊出動を可能とする法制度、自衛隊出動マニュアルなどの整備も推進することによって、「導火線抑止戦略」が樹立され、初めて実効を期待し得る抑止戦略が成立することになるのである。
 この抑止戦略こそ、日本が現在実行可能な対処策なのである。

3.北朝鮮との交渉の進め方

(1)北朝鮮のミサイル打ち上げの真の狙いは何か
 北朝鮮が、昨年夏テポドンを打ち上げたのはなぜか、その背景・理由について考えてみたい。

 マスコミに登場した専門家は、異口同音に実験目的を次の三点に絞り、その政治的効用についての解説に終始し、軍事面における効用や戦略的意義などには、殆ど言及しなかったことに驚いた。その目的の第一は、国威発揚と国民の士気高揚であり、第二に、政治的・経済的果実を得るための取り引き材料としての「外交カード」、第三に、輸出による外貨獲得、であった。

 しかし、「軍権統治」体制国の見地から実験目的を見ると、その第一次目的は、当然軍事的なものとなり、その目的のために製造したものの中で、政治的な副次的目的のために利用し得るものは利用するということになる。このことは、例えば、北朝鮮の全桂寛外務次官が、「安保用ミサイルは取引きできないが、経済用ミサイルなら取引きが可能だ」と言及したことからも伺えよう。

 ミサイル発射後、最高人民会議第十期第一回会議が改定した憲法「金日成憲法」下の新指導体制は、金永南・最高人民会議常任委員長に外国首脳との会談など国家元首相当の職務を、洪成南新首相に国政一般を処理する政務院(内閣)の首長相当の職務をそれぞれ分担させ、自分は外交や行政の前面に現れないで、背後から党、軍、政務院を「統率指揮する」金正日国防委員長の軍事独裁体制ということができる。

 このような軍事独裁体制下で、新指導部は「強盛大国」をスローガンに掲げ、軍事強化路線をとっている。そしてその路線を推進する最大の手段が、大量破壊兵器とその運搬手段たる弾道ミサイルの開発と所有である。

 冷戦後の北朝鮮は、旧ソ連との盟友関係崩壊や外貨払底など、兵器部品購入や兵器調達が不可能に陥るなど、通常戦力の摩滅をきたしている上、兵器稼働率の極度の悪化や極度の石油不足等から、通常の訓練に大きな支障をきたすようになっている。このことは、次の二つの事実によっても、実証される。

@北朝鮮のミグ19戦闘機が、部品補給で各国製を寄せ集めた「ツギハギ」だらけの空中分解寸前の「オンボロ」機であったのに加えて、そのパイロット・李大尉の十年間の飛行期間は、韓国空軍の二年足らずに相当するにすぎず、訓練不足で空中戦やミサイル発射などをやれないような水準だった。

A98年、旧ソ連製のミグ15、17など旧式の老朽化した戦闘機に毒ガスなどの化学兵器を搭載して韓国の目標(大統領官邸や政府総合庁舎など)に飛行機ごと体当たりする「爆撃決死隊」(旧日本軍の神風特攻隊に似たもの)が編成された。

 それゆえに、最小の費用で最大の効果を上げ得る大量破壊兵器と、その運搬手段である弾道ミサイルの開発と所有こそ、軍事強国化路線推進に不可欠な最良の手段となっているわけである。

(2)日本の北朝鮮交渉の問題点 
 現在、自民党は、対北朝鮮政策として「対話と抑止」路線を打ち出している。しかし対話するにしても、戦略目的を持って、戦略的な検討をした上で、対話を進めなければだめだ。北朝鮮は、常に自らがイニシアチブを取り、自分のペースで外交交渉を進めようとしている。ところが、日本の国益を踏まえた戦略的視野に立った戦略的対話をする十分な準備をして訪朝しなければ、彼らのペースに巻き込まれてしまうだけである。村山富市氏を団長にして訪朝させたところで進展するはずがない。金丸・田辺訪朝団(1990年)の失敗の前轍を踏むことにもなりかねない。

 ところで、日本には、対北朝鮮戦略がない。昨年、テポドンが飛んで来て、日本だけが慌てふためいたのは、そのような戦略的展望に欠けていたからであった。米韓は、全く慌てなかった。以前からテポドンの開発がなされていたことは周知の事実であったのに、日本はそのことを十分に認識していなかったために、そうなったのである。

 自民党の「危機管理プロジェクトチーム」では、北朝鮮が弾道ミサイルを再発射した場合などへの対抗措置として、日本から北朝鮮への送金停止や貿易制限、人の交流制限などの法的措置について検討している。これらは確かに必要な措置だが、北朝鮮のソフトランディングを見据えた戦略的発想からのアプローチも必要である。日本にとっての究極的な戦略目的は、北朝鮮の現体制を民主化へと変革するように誘導するところにあるが、北の指導部は体制改革を忌避し、その誘導策には神経質な過剰反応を示す。それ故、現段階では北朝鮮の体制存続を保証し、どうしても改善しなければならないと北朝鮮が思っている農業や電力などのプロジェクトへの協力を通じて段階的な改革・開放政策の導入を必然的にもたらすように誘導し、中国や北ベトナムのような国にして然るべきだ。

 このような戦略的見地から見た場合には、人の交流を制限すると言った論議は、非常にマイナスである。これは全く戦略的発想がないばかりか、韓国の「太陽政策」や米国の「軟着陸政策」といった軍事政策の本質を全く分かっていないことを示すものだ。こんな状況では、米国および韓国との戦略的提携を深め、両国と足並みをそろえたシステマティックな動きをすることができない。

 一般に、韓国の「太陽政策」をかつてのチェンバレンの宥和政策と同じだとの認識で、批判する人が多い。しかし「太陽政策」や「軟着陸政策」は、戦略的なものであって、一つの大きな目的を持って、長期的観点からやっている。単なる宥和政策とみて、モノやカネを与えて、北朝鮮の指導者のご機嫌を取ろうとしていると批判するが、実はそうではない。それを正しく理解する必要がある。それから批判するならそれに対する代案を出すべきであるが、それをしていない。

(3)対イラク戦争の教訓と北朝鮮
例えば、代案として、イラクなどに対して行なっているような強硬策がある。しかしいかに強硬策をとっても、核兵器開発を若干遅らせることはできても、これを阻止することは全く不可能だ。このことは、イラクの例によって実証されている。

 98年12月の米英両軍による「砂漠の孤」作戦が、大量破壊兵器関連拠点に与えた損害の程度は、「イラクの弾道ミサイル製造計画を1〜2年遅らせた」(シェルトン米統合参謀本部議長)に過ぎない。7年間、対イラク国連強制査察活動に従事してきたスコット・リッター査察官は、98年9月の議会公聴会で、「これまでのような査察だけでは、イラクは核、化学、生物兵器を6カ月以内に作り上げる可能性がある。少なくともイラクは、3個の核兵器を作るのに必要な部品を保有している」と証言している。

 朝鮮半島の場合は、イラクの場合よりももっと危険である。強硬策を取れば、全面戦争となる確率が高いと言わざるを得ない。そうなれば1994年の緊急状態の時にやったシミュレーションによると、米国側で5万数千人がやられ、韓国側で49万人、一般人も100万人くらいやられるという。甚大な被害になると予想されている。

 この核の脅威、核開発を阻止することが出来ないとすれば、核兵器を実際に使う可能性を少なくする方向に持っていくことが、賢明である。それを段階的に進めながら核の脅威を根本的に変えていく。

 中国は核兵器を持つが、北朝鮮に比べればそれを使う可能性は相当低い。北朝鮮の場合も、そこまでもっていければ、北朝鮮の脅威はかなり改善されるであろう。さらに民主化や市場経済化を進め、核開発が透明化すれば、ほぼ完全に消滅させることができる。
 このような方向に進めることが根本的な方法と言える。それしかないと思う。その方法がまさに「太陽政策」であり、「軟着陸政策」なのである。

4.透過革命

(1)米国の北朝鮮政策
「北朝鮮の黒鉛減速型原子炉を、軍事利用しにくい韓国型軽水炉に替える」というのが、94年8月核枠組み合意の核心である。しかし新聞などを見る限り、専門家でもこの本当の狙いを分かっていない。米国などの本当の狙いは、「北朝鮮の体制を変える」というところにあり、それがまた「軟着陸政策」の中心になる。しかし、それがなかなか報道されない。

 黒鉛減速型原子炉は、プルトニウム生産型であるので、プルトニウムを生産しにくい軽水炉に替えると言われている。これが間違いである。このことは米国議会で専門家によってはっきりと証言されている。軽水炉は、運転期間(通常は3年)を半年、1年などの短い期間で燃料を取り出すと、プルトニウム239が94%以上の純度の高い「兵器級プルトニウム」が生産される。つまりこの交換は、喩えてみれば、米国の専門家のいうように、「拳銃」と「散弾銃」を交換するようなものである。却ってプルトニウムが数倍に増えるのである。

 北朝鮮の指導者にとっては、カーター元大統領は実に有り難い存在だ。次のように言っている。「カーター元大統領は、我々の要求を全部合意事項に入れてくれたので、我々の大勝利に終わった」(1996年11月1日付「中央日報」)と。この合意は、法的拘束力のある条約ではなく、単なる政治的合意であるから、これを履行せず反故にしても国際法違反にはならない。利害関係が一致している間だけ存続するものであり、北朝鮮にとっては最も有利であるからそれを履行しているだけのことなのである。このことがわかっていない。

 米国がなぜこのような不利な条件の合意をするのか、その裏の意味が分かっていない。そこには「透過革命」による体制の変革という狙いがある。韓国製の軽水炉を北朝鮮に飲ませた。北朝鮮は最初、米国製軽水炉を狙っていた。韓国製軽水炉が導入されれば、韓国のほうが北朝鮮よりも進んでいることが一般に知れてしまう。つまり、韓国製軽水炉が、日本に対して開国を促した「黒船」の役割を果たすのだ。だから北朝鮮は、これは「トロイの木馬」だと警戒している。しかし警戒はしているものの、これがものすごく利益があるために導入した。

 しかもこの軽水炉を建設するためには、南北双方で1日最大7000人の労働者が共同作業しなければならない。ここで交流が生まれ、それに伴って多くの情報が流入することになる。それによって北朝鮮の実情が透き通って見えてくると言うわけである。基礎工事が終わったばかりの軽水炉の建設には8年かかるので、その間に多くの人の交流が生まれてくる。また北朝鮮は、韓国から軽水炉を運転するためのノウハウやソフトウェアを修得しなければいけない。そのために、韓国にまで研修に行かざるを得なくなるだろう。

 その過程で、北朝鮮の人が南の人といっしょに食事する場面が出てこざるを得ないために、北朝鮮政府としてはそのような場をなくそうと努めている。軽水炉建設敷地は、KEDOが管轄権をもっているために、外交官特権が与えられ、治外法権となっている。何を持ち込んでも良いと言うような解放区になっている。北朝鮮内の唯一の「資本主義地区」として資本主義社会の「ショーウィンドー」の機能を果たしている。

 ここに米国の狙いがあり、北朝鮮が警戒しているところなのである。ところが北朝鮮としては、そのようなリスクがあってもそれ以上に利益が見込めるので、これを導入したのである。だから日本も、米韓と協調して提携を強化しなければ、本当の提携にならない。

 この意味で言えば、北朝鮮との人の交流を制限することはよくないことになる。例えば、在日朝鮮人が北朝鮮を訪問した場合、彼らの服装のほうが格段にすぐれているから、北の人たちはその現実を知るようになる。更には、合弁企業をやれば、そこからさまざまな情報が北に入って、透過革命に寄与することになる。韓国の財閥の北との経済協力もその流れなのである。この先鞭をつけたのが、文師であった。

(2)核査察の真の目的
 北朝鮮は体制変革を極度に恐れており、その動きがあると強い警戒反応を示す。そこで最初は、相手の警戒心をなくすために、北朝鮮の体制の存続を保証してやることが重要だ。さらに政治と経済を分離する。しかし、北朝鮮にとって、どうしても構造改革を進めなければ生き残れない分野がある。

 例えば、「主体農法」というのがある。山間地を切り崩して農地を開拓したり、密植栽培などだが、その結果山林を破壊し、農地を荒廃させ、土壌を悪化させたために、現在の食糧飢餓が生じていることが分かった。そこで北朝鮮は、森林破壊、地力低下をもたらす従来の主体農法から転換する農業構造改革や、やせ地で栽培に適し、収穫も簡単なジャガイモの増産を図る「ジャガイモ革命」とよばれるキャンペーンを展開している。

 中国の例を見れば分かるように、一旦改革・開放路線を取って、大きな利益が上がり、その味をしめると、それを拡大していくようになる。現在、北朝鮮の地下核施設の疑惑のある場所に「アクセス(access)」(Inspectionとは言っていない)するために、合意に基づいて食糧援助などを行なっている。その合意の中に「ジャガイモ革命」に協力するための「農業合同開発試験プロジェクト」(米民間団体が中心となり北朝鮮にジャガイモの種芋を供与し、共同栽培する計画を柱とするもの)が明記されている。

このような改革・開放へと進む可能性を秘めた萌芽を育成するのに資する北朝鮮との協同プロジェクトなどの話し合いをするのが、戦略的対話であり、これが米国の狙いなのである。

 日本のマスコミは、このことを全然報道していない。米国の「核査察」チームが現地に行った時には、仮に核施設があったとしても、それを他の場所に移動させてしまうほどの時間的余裕を北朝鮮に与えた後であったので、これはまさに「芝居」としかいいようがない。このことに照らしても、米国の本当の目的は、核査察以外のところにあったとみるべきであろう。

(3)「太陽政策」の意義
他の独裁者と同じように、金正日も「ノミの心臓」を持ち、「西側の体制変革の策動」にものすごく神経過敏になっている。カリスマ性と自信がないために、軍部に依存するようになり、そのことのために更に過剰反応をするようになる。だから彼らの警戒心をできるだけなくして、彼らが改革せざるを得ないところから入り込んで、北朝鮮の開放へと徐々にもっていくのである。しかし、これは非常に時間がかかる。
 現実に、太陽政策などの狙い通りの兆候が出てきている。例えば、次のようなものである。

@ 北朝鮮は市場経済の研究を強化し、昨年には一昨年の約十倍に達する約100人の専門家を市場経済の研修目的で海外に派遣し、IMFやUNDPの研究プロジェクトに参加させ、更に今年、これを拡大させる計画を進めている。(UNDPソウル事務所や世界銀行当局者の証言)

A 北朝鮮の経済担当者の間で、「中国式の改革・開放政策をとらなければ、経済破綻状態のまま崩壊してしまう」との認識が広がっている。(北朝鮮からの亡命者の証言をまとめた韓国国家情報院の報告書「最近の北朝鮮の事情」)

B ほぼ自由に商品を取引する「農民市場」が90年代半ばから急増し、一般市民の市場経済に対する学習効果を上げている。(韓国統一教育院報告書など)

C 昨年一年間の南北間の人的交流数は、89年から97年までの9年間の合計数を上回っている。(同報告書)

D 予測し得る将来に、「改革・開放を支持する者が、政権を掌握することになろう」(北朝鮮の黄長 元労働党書紀)との展望や、「金総書記5年以内に失脚」(米・国防省の国防情報局<DIA> 文書、98年9月4日公表)との予想もある。 

 外側だけを見ていると、北朝鮮は、ベルリンの壁のようにびくともしないように見えるが、案外もろい。がたがたと一気に崩壊する可能性がある。そのためには、小さな兆候でも見逃さずに突いていく必要がある。戦略は、その方向に持っていかなければいけない。戦略・危機管理の観点から言うと、これはきわめて現実的なものである。ベルリンの壁・東欧諸国の崩壊の過程を研究すれば、このことははっきりとわかることなのである。

 東西ドイツの統一がなぜ無血でできたのか。それは72年の基本条約に基づいて、東西間の完全な交流が活発になったからであった。これは「透過革命」の進展を意味する。そしてその結果、人の交流が押さえ切れなくなり、東西の壁が崩れてしまったのである。

 神谷不二氏は、「米国は、あのベルリンの壁が無血瓦解し、東ドイツの崩壊が予想されたほどの大混乱を伴わなかった歴史の先例があるにもかかわらず、金正日体制の急激な崩壊を必要以上に恐れている。これは米国が同体制のソフトランディングという幻想にまどわされているからだ」と批判する。しかしこれは、本末転倒で「透過革命」が成功したからこそ、大混乱を伴わない東独崩壊がもたらされたのである。

 中国は、1978年以来、改革・開放路線を堅持して経済建設に努め、確実に勝てる状況にならない限り、勝負にはでない戦略体制をとっているが、北朝鮮は冒険を冒す可能性がある。それで中国のような方向に、北朝鮮を持っていけば、かなり核の脅威は軽減されることになる。第一段階としては、まずこのような改革・開放政策と体制変革の方向に持っていくことが重要なのである。

5.東北アジア共同体に向けて

 99年版「通商白書」を見れば、日本の対東アジアの貿易比重は40%を占めている。イデオロギーの壁を超えられれば、東アジアの三カ国は兄弟分の関係なので、「東北アジア共同体」の方向に向かって、地域連合を進めることは、それほど難しいことではないだろう。

 東アジア諸国間の体制、価値観など似ているところを取り入れるところから始め、そして共同体形成に向かう。同一の精神文化的基盤を持つ「東北アジア共同体」のビジョンを描きながら、東南アジア諸国連合(ASEAN)の一部国家の取り入れを図りながら、東北アジアの地域統合を進めるべきである。このような地域統合の進行・実現を図るためにも、北朝鮮の改革・開放・体制変革が不可欠である。

 今度の「通商白書」も地域統合の方向性を初めて打ち出している。大きなビジョン・戦略をもって進めていく。安全保障、危機管理の視点から21世紀の東アジアを見渡した場合には、そのような観点から進めるべきだと言うのが、私の主張である。
(1999年5月29日発表)