国際的指導者養成と大学改革の課題

国際基督教大学名誉教授 一瀬 智司

 

1.戦後の民主主義

(1) 大学教育の大衆化、教育の平等化
 2年ほど前に旧制高等学校の出身者が中心となり「日本の高等教育を考える会」が発足した。代表には、飯島宗一氏(名古屋大学元学長、旧制第八高等学校卒)と西澤潤一氏(東北大学前総長、旧制第二高等学校卒)が就任し、事務局長は旧制松本高等学校卒の方が務めている。その他、旧制商科大学(現一橋大学や神戸大学など)、東京高等工業(東京工業大学の前身)、帝国大学予科などの出身の方が主な会員となって、活発に活動を展開している。

 そこで一つ問題となったのは、戦前の旧制高等学校、旧制専門学校等は、戦後新制大学となり「昇格」したが、旧制の大学は、戦後逆に「格下げ」になったということであった。

 例えば、旧制浦和高等学校といえば、相当の名門であったが、それが戦後埼玉大学となった。また、仙台にあった旧制第二高等学校は、東北大学の教養部(教養課程)になった。

 ところで、戦前の旧制高校、旧制専門学校、帝国大学予科等の旧制大学の前期課程に進学する学生数は、戦後と比較すると、全学生の10%未満であったという。つまり大学とは少数者教育(エリート教育)であった。

 ところが戦後、大学教育の民主化が謳われ、大学入学にできるだけ平等の機会を与え、旧制のよさを戦後の新制大学に引き継ぎ、それを国民に広く普及していこうとして、新制度が出発した。その結果、大学教育が大衆化し、大学生数が非常に増えた。このような量的な拡大や教育機会の平等化については評価できる点であるが、逆に問題点も出てきた。つまり、大学教育の大衆化が、今日大学が抱える諸問題の大きな要因となっているのである。

(2)民主主義の三原則、自由、平等、博愛
 教育機会の平等化は、趣旨としては悪いことではない。民主主義の基本には、自由、平等、博愛(人権)といった思想があるが、そのうちの「平等」だけが特化されて出てきたというのが、戦後の新制教育制度の特徴であった。そしてそのことをことさら強調して活動してきたのが、日教組に代表される組合であった。

 1945年以前は、旧制高等学校などへの進学者数が非常に少ないために、大学生といえば自動的に社会の指導的人材になるという社会構造であった。高等教育は、正に「指導者養成機関」という位置づけであった。

 「指導者」、「エリート」という言葉を言うだけで、戦後の新制高等教育制度の中では、民主主義の「平等」概念に反するということが言われ、そのような取り組みに対して足を引っ張ってきたのが実情であった。そのため、指導者養成ということを公然ということができなかったのである。

 ところが、今日、「犬も歩けば大学生に当る」というくらいに、大学生数が多くなった一方で、政治、経済、文化、宗教などあらゆる分野で、やはり優れた指導者、リーダーシップを発揮できる者、指導的人材が必要であり、重要だといわれるようになってきている。このようなことが特に叫ばれるようになったは、平成時代以降のことであった。

  旧制高校の場合、新制度になって東京大学では「教養学部」、それ以外の大学は皆「教養部」(教養課程)となった。そしてこの教養部の位置があいまいになり、大学内においては、教養課程(教養部)と、専門課程とが、対立関係になった。そのため、本来の狙いが実現できないまま戦後の歳月が流れてしまった。

 そこで平成3年、文部省が大学設置基準の改定を打ち出して、一般教養課程(教養部)をむしろ解体する方向を示した。そして学部教育の中に、専門課程と一般教育とを楔型に入れる方向へと変わってきたのである。

2.指導者(リーダーシップ)の重要性

(1)日本の高等教育―戦前と戦後―
 戦前の教育制度は、小学校6年、旧制中学5年(但し、旧制中学4年で高等学校などの上級学校に進学できた)、その上に、旧制高校・専門学校・予科等の3年、旧制大学3年と続いていた。即ち、6・5・3・3制度であった。

 戦後は、6・3・3・4制なので、戦前の方が就学年数で一年多いことになる。その一年は、今日の大学院修士課程2年の1年目に相当することになる。しかし戦後は大学4年で終わることが大半であった上、旧制の高等教育が3・3と6年間であった(しかも最後の1年間は現在の大学院修士課程の1年に相当する内容)のに比べ、新制では大学の4年間であるので、そこに戦後の高等教育における「不足」が生じることになった。

 そしてどうしてもこのような制度全体を改革するのが難しい状況の中では、6・3・3・4の上に、大学院修士課程2年と、博士課程3年を加えていかなければ、「高等教育」という観点から見た場合には、新制制度は意味をなさないと言わざるを得ない。戦前の教育制度と比較した場合には、このようなことが見えてくる。

(2)旧制高校の長所と短所
「日本の高等教育を考える会」において、旧制高校の功罪を検討した際に、戦後の教養課程(一般教育)がどうしても知育偏重になっていたのと比べ、旧制高校・専門学校・予科の時代の方が、特によかった点として、知育、徳育、体育のバランスがよく、更には人格・人間形成に集中していた期間であったという点がある。偏差値教育に代表されるような知識の詰め込み教育というよりは、人生いかにあるべきか、また平和とは何か、戦争とは何かなどといった世の中のことを哲学的に学んだのである。

 また、旧制高校において語学教育は、一貫して重視されていた。すなわち、旧制高校では文科と理科とに分かれた他、英語を第一外国語とする甲類、ドイツ語を第一外国語とする乙類、フランス語を第一外国語とする丙類にクラスを分けて、教育が行なわれていた。

 その他に、小人数教育が長所の一つとして上げられる。師弟関係(教授―学生)による陶冶(一種のチューター方式)、学生同士による切磋琢磨、相部屋の寮生活、学生が自主的に学びを行なう自主ゼミや読書会に教授を招いての議論。こうしたことを通して、人格形成、人間形成の基礎が作られたのであった。その上に、大学教育によって知識教育がなされたといえる。

 ただ、旧制高校へのノスタルジアを抱く人は、旧制はすべてよかったということをいう人もいるが、これはおかしいといえる。そこで旧制高校の長所とともに短所も考えておく必要がある。

 短所としては、旧制の専門学校や予科は、大学に進学する前課程であるので、それはエリートコースである。そのため、そこに進学する学生の中には、「自分たちは選ばれたエリートである」という傲慢な思いを持つものが少なくなかったという批判がある。特に、アジアの発展途上国の人々の痛みに対する配慮に欠けていた。また、人種差別、少数民族への差別(アイヌなど)、同和問題への配慮などに欠けていたともいえる。これらは反省されてよい課題であるし、これからも重要な観点と言える。

 また、第二次世界大戦に至る過程において、軍部に対抗した官僚も中にはいたかもしれないが、それらを誤った方向に導いた指導者たちも、旧制度の中から生まれてきたことを考えると、この点への反省も忘れてはならない。

 それでは、このような旧制高校に代表される長所(人格・人間形成)を、現在の教育制度の中のどの課程で行なえるのか、あるいは行なうべきなのか。

 知育については、大学院教育で行なうべきであろう。詳しくは、後の節で述べる。

(3)国際的に通用する人材の必要性
 大学改革、教育改革の原点は、教育体系全体の中で大学をどう位置づけるかという観点が非常に大切である。ところで、文部省の中教審もそうだが、官僚の進める審議会などには、官僚の考え方を批判するような人は遠ざけて、自分たちに賛同するような人を集めてくるという傾向がある。

 日本の教育改革、大学改革の一番のネックは、どこにあるかというと「東京大学」であるといえる。明治時代に、帝国大学という名前が付けられたが、最初にそれが付けられたのは、東京帝国大学で、次が京都帝国大学であった。ところで帝国大学の学則によると「(日本)国家に須要なる人材を養成する」と書かれてある。それ自体は悪いことではない。

 東京帝国大学法科大学(法学部)では、当初は無試験で高級官僚になれた。その後、無試験ではいくら何でも問題だということから、高等文官試験がスタートした(昭和20年まで)。このようにして法学部出身のものが大蔵省を筆頭に高級官僚になっていった。法学部出身(法律職)のものが大蔵省の(経済)官僚になり、主計官などを司る。まさに官僚養成の大学が東京帝国大学法科大学であった。

 私自身も学生時代(東京大学法学部)に、岡義武教授(政治史専攻)から次のようなことを学んだ。岡教授は、明治政府を薩長藩閥政権と呼び、時の流れと共に薩長藩閥政権の人材が少なくなったために、帝国大学を作って全国から人材を供給しようとしたと説明した。

 一方、早稲田大学の大隈重信などは、「日本国家」という次元にとどまらず、世界の平和など「国際社会」ということに、当時から目を向けていた。もちろん今日であれば、「日本のために」は、「アジアのために」「世界のために」と続いていくのであろう。しかし当時、「国家に須要なる」といえば、やはり「日本国家」「日本帝国」ということに集中せざるを得なかったと思う。このような考え方が、日本の明治時代の国作りの根幹にあったことは事実である。これは、日本の近代化の中における国立大学の一つの限界であったと思う。

3.日本の高等教育改革の方向性

(1)大学改革の課題―国公私立大学のイコール・フッティング― 
 大学改革の課題として、国公立と私立大学とのイコール・フッティングという問題がある。この問題については、特に西尾幹二氏が主張しているところである。すなわち、日本の国立大学は固定的な格付けができているために、そのことによる弊害が大きくなっている。文部省に言わせれば、過去の先例に従って予算配分を決めているだけで、特に大学ごとに差別しているわけではないというかもしれない。しかし事実として、予算上の序列があり、それが大学の格差として歴然と表われていると西尾氏は主張する。まるで共産主義の社会と同じだという。このような状況下で、一体公正な競争ができるのであろうか。やはりこの格付け問題を排除すべきである。

 大学間競争、教授間の(個人的)競争は、絶対自由化すべきである。また、国公立と私立とでは経営形態が全く違うので、ここでもイコール・フッティングにならないと言える。

私の考えでは、少なくとも学部教育については競争原理で大学間で競うのが適切ではないかと思う。例えば、国立大学の場合、入試に合格しただけで学生は、「公務員」になってしまい、「補助金」をもらう(授業料が安いの意味)のはおかしいのではないか。

 社会主義国やフランスなどを除くと、一般に(アングロサクソン系の国では)大学は私立大学が基本となっている(第三セクターによる運営もあるが)。私の専門である行政学の立場で、経営形態として考えた場合に、大学の経営は国公立というのはおかしいと言わざるを得ない。私立は学校法人による経営であるが、一方の国立大学は、国立学校特別会計で全部一緒となっており、その中で東大を筆頭として予算配分をすることになる(序列)。筑波大学、広島大学、一橋大学などがそれに反旗を翻した。文部省が慣習的に序列をつけて格付けしてきたといえる。

 そのために、現在審議されている国立大学の「独立行政法人」化の議論は、この流れからすると当然のことと言える。しかし国立大学の教授たちはこれには絶対反対の姿勢を取っているが、全くおかしいと言わざるを得ない。

(2)米国の大学のしくみ
 昭和36年、私は米国ハーバード大学の経営大学院と行政大学院に留学した。これらは明らかにgraduate schoolであって、単なるschoolではない。米国の大学のしくみのなかで、日本でいうところのいわゆる「学部」はどうなっているかというと、college(liberal arts college)4年間があり、その上にgraduate schoolいわゆるMBAがあり、更にその上に、doctor courseがある。だから「大学卒」というのは、college卒であって、university卒ではない。

 これはハーバード大学だけかと思って調べてみると、米国の有力な大学の多くは、universityの中にいくつかのcollegeをもっている。また、ハーバード大学の場合、collegeを出ても同じハーバード大学の大学院へ進学するのではなく、大半は別の大学の大学院へ進学する。自分の同じ大学院に残る人は極めて少ない。ハーバードの大学院にはさまざまな大学から学生がやってきて、そこに一つのスクールカラーが生まれる。その結果、切磋琢磨され、人格形成もされていく。このようにして大学院大学が形成されている。

 一方、日本の場合は、一直線のコースを辿り、同じ大学出身者が大半を占めるような大学院の構成になっている。この点は、米国と大きく違うところである。また、東京大学法学部を出たものが、そのまま大蔵省に大量に入るというようなことでは、視野が狭くて話にならない。

 そして今になって、日本の文部省も「大学院大学」という方向性を出して、やろうとしている。今後は、教育制度全体における大学院の位置づけが重要な課題となっている。

(3)高等教育における人格(人間)形成
 大学院の役割について考える前に、高等教育における人格形成の問題を考えてみたい。

 それでは、人格(人間)形成をどこでやるのがよいのか。米国の場合は、collegeでそれを行なっている。High schoolでは、体育、健康を鍛え、collegeに入学すると、ぎっちりと絞られ、鍛えられることになる。日本の大学のように、全然楽ではない。

米国でいうところのliberal arts collegeまたは liberal arts educationというのは、教養学部、あるいは教養大学となる。私の奉職していた国際基督教大学は、米国型のカレッジの大学であった。ただ、liberal artsという言葉の訳が、日本では「教養」となっているが、果たしてこれが妥当かは、若干疑問に思っている。

 何れにしても、liberal artsにおいて、基礎科目、基礎教育をがっちりやることは共通している。もちろん、これだけでもって人間形成ができるとは言えないが。そして基礎科目の中心は、まず古典の学習、そして外国語教育である。基礎的なトレーニングをしっかりとやる。そうした基礎教育の上に立って、大学院教育(マスター)、いわゆる専門教育をやる。そうすれば卒業後にはすぐ、初級リーダーになれる。

 また、カレッジを一旦卒業してから、就職して、その後もう一度専門教育を学ぶために大学院に入るというシステム(リカレント)が米国には確立されているが、日本でもようやく最近その道が開かれつつある現状である。

(4)大学院教育の役割―指導者養成―
 そもそも大学院は、professional schoolであり、したがって専門課程であるから、知育、知識の教育は専ら大学院で行なうのが適切であろう。

 従来の日本の大学院教育の目的は、修士課程から博士課程までみな研究者養成一本であった。しかし現代になり、その目的だけでは時代の要請にこたえられなくなってきた。一つには、海外からの留学生問題があり、もう一つは、地域の指導者養成という課題である。一旦社会に出た人の中で、更に専門知識を習得するための期間としての大学院の役割である。このように大学院の役割が、多様化してきたのである。

 ところで現在、国民のためには犠牲にもなり、尽くすべき時には尽くすという「先憂後楽」の人材、指導者が要請されている。更には、それが国内的なレベルだけにとどまらず、国際的にも通用する人材として、政治、行政、文化などあらゆる分野で渇望されているのである。

 明治政府の時代は、当時の先進国に追いつけ、追い越せでやってきた。その後、戦後を経て日本も先進国の仲間入りはしたものの、今度は国民国家として「品格のある」国民、国家となり、ひいては品格のあるサミット国のリーダーとなれるような人材を輩出できるよう期待されている。

 国際機関、国際企業(多国籍企業)に勤める人材というものを考えたときに、大学院修士課程(マスター・コース)を修了した人でないと問題にしないという現実がある。中には、ドクターを重視しているところも少なくない。これが国際社会の常識となっている。こうした条件を満たしてこそ、先進国としてふさわしいといえよう。これに相応する教育が、今日における大学院教育の役割と言えるのである。

(5)宗教倫理教育の位置付け(徳育に関して) 
 最後に、宗教倫理教育について、若干補足的に説明したい。

 戦後教育の中では、道徳教育があまりできてこなかった。道徳教育の背景にあるのが「宗教」であり、更には「宗教倫理教育」であるが、それがきわめて重要なことは、多くの識者が指摘するところである。しかし、その障害になっているのが、昭和22年に制定された日本国憲法である。その20条三項には、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定している。ところが、昭和21年8月15日、帝国議会は、憲法20条について「此ノ条項ハ、一宗一派ニ偏ッテ教義ヲ教ヘテハナラナイト規定スルカ、或ハ斯カル意味デアル旨ノ解釈ヲ後世ノ為ニ誤リナキヤウニシテ置クベキデアル」として、「宗教的情操に関する決議」を行なっている。

 その趣旨は、「宗教教育を禁止する」の意味として、特定の宗教教育はしてはいけないということであって、宗教の自由と考え合わせると、平和教育のためには、宗教や宗教の情操教育は大切だから、それについて進めることはさしつかえないということであった。
 しかしながら、私立学校は別にして、公立学校では(宗教倫理教育について)全く教えられてこなかった。そして宗教の情操教育まで否定されてしまったのであった。その結果、宗教に関する知識さえも全く欠如した若者が出てきて、その一つの悪い例がオウム事件であったのではないかと思う。少なくとも、比較宗教的考え、さまざまな宗教の教えを学び、そのことが倫理・徳育の教育にもいい刺激となると、私は考えている。
(1999年7月21日発表)

【参考文献】
一瀬智司:指導的人材養成の必要性(上・下)、東大新報第716,717号(1997年7月)。
一瀬智司:宗教倫理と公共政策、政治理論と公共政策、1998年10月、日本政治総合研究所、新評論。