21世紀に向けた大学教育の課題と展望

京都大学名誉教授 一松 信

 

1. 大学教育の現状

(1)大学生の学力低下
 大学生の学力低下については、既に多くの人が論じており、マスコミなどでも話題になっている。私の専門領域でもある数学に関して言えば、数年前に日本数学会の中にある「大学の基礎教育法研究班」が、全国の主な数学教室(教員)にアンケートを出し、「今の学生の数学に関する学力は、以前と比べてどうか」と尋ねたことがあった。もちろん、この設問は教員の主観的な意見を聞いているのだが、それでもはっきりとした結果が出ている。

 それによると、「よくなった」という回答は一つもなく、約四分の三は「落ちている」と回答した。そして全体の約2割は、「変わらない」と答えているのだが、その回答者の大半が新米の教員であるために比較ができないと言うものであった。それでも、年配の人から聞くと、「昔より悪くなっている」と答えていた。この結果からも、全国的に(数学の学力が)低下していることは事実のようである。

「いつから学力が低下したのか」という点に関しては曖昧であるが、5の倍数の年数を記する回答者が多く、それを平均すると次のようなモデルで説明することができる。すなわち、慢性的に「株価」が下がっていて、何かの要因(特に、指導要領の改訂)が作用すると、学力ががくんと急激に低下するというものである。

(2)東大生の学力低下の現実
 もう一つの例を挙げてみよう。

 東京大学工学部では、数年ごとに一種の達成度調査を実施している。東京大学の場合、学生は入学した後ですぐには学部に分かれず、大きく文科、理科と分かれ、一年半ほど後に学部に分かれ、2年の後半から各学部に所属することになっている。各学部に振り分けれらた後に、工学部では「工業数理」という必修科目があった。

 これはかなり由緒ある科目で、古くは寺澤寛一『自然科学者のための数学概論』という名著がこれに相当する(大正から昭和初め頃)。その後、小谷正雄、山内恭彦など物理専攻の教授が講義をし、加藤敏夫、藤田宏といった物理出身の数学者が引きつぎ、最近では、森正武(工学部出身)が最後であった。このような講義が、永年日本の工学部における数学の講義の標準とされてきた。 

 ところが、1970年代から講義についていけない学生が多くなったため、80年に第1回目として、どの程度知っているのかという達成度調査を実施し、その後も数年ごとに実施してきた。興味深いのは、同じ問題でもって毎回調査をしている点である。全く同じ問題を、同じ採点基準で採点して比較しているため、客観性の高い結果が出ている。

 この結果を統計学的に処理すると、きわめてきれいなデータ分布で学力低下を示していることが分かった。それによると、平均点は毎年ほぼ1点ずつ低下し、今日までの間に累積で約15点低下した。

 それでは、どのように平均点が低下してきたのか。満点が減り、零点が増えたわけではない。満点と零点の層は変わらないのだが、中間の学力が著しく低下したということであった。特に、モード(最頻値)が毎年2点ずつ下がった。初年度には70点くらい取っていたのが、最近では40点になってしまった。幸いというか、昨年の調査では低下傾向が止まったようである。もちろん、単に「止まった」というだけであって、回復したわけではない。つまり「小康状態」といえる。だから、何かのきっかけがあれば、また低下傾向が現れないとも限らない。

 東京大学工学部というもっとも数学を必要とするところでありながらも、学力が低下している。先のデータの意味するところは、単に平均点が低下したというだけでは済まない。

 60点くらいを取っている学生が何番くらいかというと、20年前は、平均よりはるかに下で、落ちこぼれであり、下から数えたほうが早いという状況であったのに、現在では堂々と威張って優等生でいられる形になった。もちろんトップの実力は変わりないのだが、100番くらいのところの人の実力が、かつての500番くらいに相当するという状況になってしまった。

 もちろん、時代が変わりながらも(学習指導要領などの変化)、同じ問題で調査していることにも問題があるという議論もある。またこのデータが公開されているものではないので、それ以上立ち入ることもできない。しかし、大きな傾向としては、学力低下が顕著に見て取ることができる。

 これが東京大学だけの問題ならそれほどの問題でないかもしれない。しかしこの傾向が全国的な傾向となっていることが、心配なのである。

(3)京都大学の実状
 もう一つショッキングなデータがある。99年2月の「京大学生新聞」に掲載されたものである。京都大学教育学部では、最近講義についていけない(講義が理解できない)学生が増えているということから、教育学部と理学部の学生を対象にアンケート調査を実施した。

 教育学部の場合、講義の理解が困難な学生の割合は、大体50%であり、理解の困難な科目を調査すると、特定科目だけの問題ではなく、広く分散化している傾向が見られるという。理解できない理由としては、予備知識の不足が挙げられている。つまり教授が、今の学生が高校までの教育課程の中で当然知っていると思いこんで講義しているためだという。それならば、教師がもう少し親切に講義をするとか、あるいは「分からなければこの本を読んでこい」とでも指示すれば済むかもしれない。

 ところが理学部の場合は、量・質とも手遅れ状態で、88%の学生が、理解に困難を感じる講義があるという。そのほとんどが、数学と物理であった。理学部の学生が、数学・物理ができなくては一体どうするのかといいたいほどである。特に80%の学生は、数学の中でも、線形代数、微積分の一方、または両方が分からないという。更に驚くべきことに、33%の学生は、数学・物理学の講義のほとんどが理解できないというのである。京都大学といえば、自他共に認める日本でも最高学府の一つであるが、その理学部の学生がこのような状態ならば、「学級崩壊」状態といえる。

 更に問題なのは、なぜ分からないのかというその理由について、本人がよく分かっていないことである。アンケートの回答によると、「何を言っているのかわからない」「先生の話している言葉の意味は分かるが、なぜそのように考えるのか分からない」「言語明瞭、意味不明瞭」。中には、「高校生まで、数学や物理は暗記物だと思っていた。暗記して問題を解けばいいと思っていた。どうやら大学の数学や物理は暗記ではだめなのだ。しかしだめなのは分かったが、どうやって勉強したらいいのか分からない」と悩んでいる学生もいるという。

 大体において、京都大学の先生方はプライドが高い。ある京都大学教授は、「(京都大学の先生方は)専門家の専門家による専門家のための講義しかしていない」といっていた。もし先生方が、今自分たちがやっている講義が学生と合わないということに気が付いてくれれば、そして学生が何を求めているのかということに、もう少し理解してくれれば、この問題も解決される可能性がある。

<著者付記>その後伺った話では、先生方も事態の深刻さに気づいてはいるが、もはや手遅れで、学級崩壊は大学院にも及んでいるとのことである。

(4)大学における補習授業
 駿台教育研究会の方から得た資料に基づいて、補習授業について少し述べたい。

 今、各大学において授業についてこれない学生が多いために、補習教育をやっている大学が多い。アンケートによると、多くの大学でそれを実施している。更に、検討中という大学も含めると相当の割合となる。ただ、これを実施するに当って、教員の不足、高コスト、カリキュラムの編成などが問題となるが、それでも実施してみた限りにおいては、積極的評価を下しているところが多い。その主なものとしては、大学の教育レベル維持に役立つ、受験生にアピールできる、大学生の満足度向上などである。

 その教材としては、受験参考書を使用している大学もあるようだが、実際には大学教員が独自に作成して進めていることが多い。ある意味で言えば、今後、補習授業の教科書は一つのマーケットになるのではないかと思う。

 例えば、『いろいろな関数』(注1)という本は、そのつもりで私が著したものである。中学から高校までの関数の話をまとめ、微積分の準備段階まで持っていくことを狙っている。既に習った人にとってもある程度興味深い話も含めていこうという方針で作った。
 補習授業としては実行困難だが、単に中学・高校の復習ではなく、既に学習している人にとっても、新しい見方が出来て有効で、面白いと感じられるものであり、習っていない人にとっては、それなりに学ぶ意味が感じられるようなものが望ましい。このように、はっきりとした目的意識をもって取り組むことが大切である。

2. 高等教育改革の方向性

(1)大学の多様化・分化
 齋藤諦淳・常葉学園大学長がある雑誌に寄せた文章「大学改革 夏の時代」(注2)を引用しながら、大学改革の方向性について考えてみたい。

「大学は冬の時代」とよく言われるが、齋藤氏は「夏の時代」といっている。つまり今は、一生懸命稼いで、汗をかかなければいけない時代という意味である。冬のように縮こまっていてはだめだという。今こそ、自由化、改革の絶好のチャンスである。

 これまで日本において大学は、唯一の成長産業であった。平成時代になり、バブルがはじけ不況になった後も、成長してきた。実際には、大学紛争の後、1970年代にベビーブームが谷間になり、人口が減ったはずだから、そこで改革しなければいけないはずであったのだが、当時進学率が上がり、押すな押すなの勢いで学生が増えたために、大学を改革しなくても大学経営をすることができた。そのうちに、第二次ベビーブームが来て定員増の措置が取られたのであった。

 ところが、昨年あたりからの18歳人口の激減とともに、大学経営を真剣に考えないといけない時代に突入することとなった。もともと大学は、進学率によって変質すべきものであり、このことが分かっていない大学人が多い。

 また、特に私学の場合、4年間に1000〜1500万円程の授業料などの教育関係費を払うということは、青春時代に莫大な買い物をしていることになる。しかしその金額に見合った価値のある「買い物」をしたと考えているのであろうか。つまり、その金銭的価値だけのサービスを大学が果たしてしているのかという問いかけである。それ以上に厳しい批判は、大学人自体に改革の意欲があるのかということである。

 結論を言うと、日本人の中には、まだ日本社会の意識が残っているのではないか、あるいは、大学の自治というものを穿き違えているのではないかということである。すなわち、大学における研究、教育、管理と言うのは、それぞれ別の分業でもってやることがしかるべきではないかということ。ところが、それら全ての機能を自分がやらなければいけないという意識が残っている。大学の教官が、そのことすべてをすることができるのかとの疑問を突き付けられているのである。

 進学率が15%までのころは、大学の性格は、授業の工夫やカリキュラムの改革もなく、教授は研究中心で、大学はいわば「エリート大学」であった。しかし進学率が15〜50%になると、「マス型大学(大衆大学)」の時代となる。この時代になると、専門技術を中心とした内容に関しては、大学院に移管すべきであろうし、もう一方で、ユニバーサル化した大学の特徴として、古典的な大学のイメージにはおよそ結びつかない具体的資格や生活設計に関する学習が求められるのである。別の表現を借りれば、「大学の多様化」ということになる。

 米国の実例をあげれば、次のような大学がある。一つには、小さな大学で、大学院はおかず、優秀な大学院生を各地の大学院に送り込むために、一種の予備校的な役割に徹するというものである。また、東洋医学(針、灸など)を扱うといった極めて個性的な大学もある。

 日本でもそのような傾向が出てきている。最近では、福祉や環境問題に関心が注がれているようだが、従来の区分とは違った分野に人気が出てきているように思う。このように、今後は日本の大学もいくつかのタイプに分化していくことになろう。

(2)学生のニーズと大学の乖離
 近年英語が必要だということから、英米文学科に人気があるように思われるが、実際には英米文学科にはあまり人気がないという。学生の言い分としては、「私は英米文学を勉強しにきたのではない。英語を習いに来たのだ」と。それに対して教授は、「文学というものは、精神の教育である。英語の技術だけではない」と苦し紛れに答えたという。このように学生の習いたいことと、先生の教えたいこととが食い違ってきているのである。このような現実も知っておくべきである。

3.北宋時代の改革論争

(1)司馬光の改革についての考え
 私は個人的に、中国史に関心を持っている。中国史の中には、成功した改革、失敗した改革の例が数多く記録に残っている。そこで、北宋時代の改革論争について紹介してみたい。

 それは、歴史学者であり保守派の司馬光(1019〜1086)(注3)と改革派の官僚・王安石(1021〜1086)(注4)の論争である。この二人が改革について書いた論文があるが、それを筆の達人がうまくアレンジして架空討論会にまとめたら、興味深い論争ができるにちがいない。司馬光と王安石は同時代の人であり、年も二つしか違わず、互いに個人的には尊敬しあった仲であったが、両者は保守派と改革派の領袖にそれぞれなっていったのである。

 司馬光の主張のキーワードは、「遠慮」である。しかし、「遠慮」といっても日本語の遠慮とは意味が違う。「遠謀深慮」(あるいは、深慮遠謀)から出たことばであり、「遠くを見て深く考える」という意味である。中国の人に聞いてみると、現代中国語でもそのような意味だという。

 彼は、「改革のとき(チャンス)は、万事好調のときだ」といっている。普通の人であれば、万事好調のときは改革をする必要がないと考えるであろう。しかし彼はそうではないと言っている。司馬光が保守派だといっても、改革を考えていないのではなかった。彼のいわんとすることは、つぎのような内容である。

「今は、たまたま環境がいいので好調に進んでいるのであって、時代が変わればうまくいかなくなる。次の時代がどうなるかをよく考えて、そのためのレールを敷いておく。そのようにして少しずつ変えていけば、その途中においてはその変化に気が付かなくても、10年も経てばすっかり変わっている。このような改革こそ、正しい改革である」と。

 改革が失敗するというのは、泥縄式だからである。つまり、改革したくないのに改革せざるを得ない状況に至り、切羽詰まって仕方なく慌てて改革するからうまくいかないというのである。彼の言いたいことは、きちんと計画を立てて、初めから少しずつ改革を進めるのがよいのであって、性急な改革はいけないということである。

 彼の文章はきらびやかな文体で、恐らく中国語で読めば音楽的だろうと思う。それだけに、一字一句にこだわらずに、趣旨を理解する読み方が必要らしい。

(2)王安石の改革
 一方の王安石は、一般には「急進改革派」と見られている。本人はそのようには考えていないようであったが。彼の考えでは、一番大切な問題は、教育だということであった。つまり、当時の政治が悪いのは、官僚の教育がなっていなかったからだと考えた。当時中国では、宋の時代から貴族がなくなり、官僚は科挙による試験合格者に一本化された。その教育は民間に任せ、政府はただ試験(科挙)をやっていい人材を採用するだけであった。それに対して、王安石は役人をしっかりと教育しないといけないと主張したのである。

 彼は、「学堂は、ただ塀壁あるのみ」と言っている。今の言葉に翻訳すれば、学校のハードウェア(建物など)は立派だが、その教育内容として一体何を教えているのかよく分からず、ソフトウェアは怪しいという意味である。現在の大学も同様のことが言えるのではないか。

 もう一つは、役人の給与が低いので、これは役人のモラル(職業倫理)に関わる重要な問題だという認識であった。

 実は、宋の時代は、中国の歴史上、役人の待遇が最も良い時代だったといわれている。実際、唐や明の時代よりも役人の給与は高かった。しかしそれはあくまでも、一部の高級官僚のみであって、下級官僚の生活は苦しかったらしい。彼らが自分だけの生活であれば何とかできても、家族を養うまでのものではなかったために、結局「アルバイト」をせざるを得なかった。別の言葉で言えば、「役得」「袖の下」となろう。これでは役人のモラルが保てない。そこで手のつけられるところから改革していこうということになった。このように、彼は理想主義者ではなく、むしろ合理主義者であった。

 また、彼の施策には、一見当たり前のことが書かれてある。

 例えば、役所は予算を立て、予算の範囲内で運営しろとか、大きな物を買うときには、複数の業者から見積もりを取って比較し検討してからせよなどである。当たり前のことが強調されているということの裏には、当然のことが行われていなかったと推察される。すなわち、当時も業者と政府との癒着の問題があったのである。

(3)弱者救済の法「青苗法」
 王安石の改革の特徴の一つに、弱者救済という性格がある。その施策として、彼は「青苗法」を実施した。この法は、農閑期の農民(小作人)に低金利で金を貸す施策であった。当時は、うっかり高利貸しから金を借りると利子が利子を生み、それが雪だるま式に増えて財産すべてが没収されてしまいかねないという状況であった。それで農民を守るために、この法を実施したのである。

 しかしこれには裏があって、その金の返済方法が面白い。金を政府から借りたとき、秋になり収穫した農作物の売り上げから、利子を上乗せして現金で返済してもかまわないが、あくまでもこれは例外のやり方。原則としては、政府に米、小麦などの作物(現物)でもって返済する方針であった。

 宋の時代、政府の悩みの一つは、軍隊を養うための食糧確保の問題であった。そのためにありとあらゆる手段を使ってきたのだが、皆失敗してきた。王安石の青苗法は割合成功した方法であった。前述のように、政府は利子の分だけ安く作物を手に入れることができる。同時に、穀物ブローカーに不当利得を与えないようにする。このように、農民を救済しながら、政府も食糧を確保できるという一石二鳥の方法であった。

 これに反対したのは、当然、高利貸しと穀物ブローカーであった。しかし、王安石はそのような人たちに対しても、「アメ」を与えている。それは、減税である。

 金持ちに対して減税することには、けしからんと主張する人もいるだろうが、そこには少々説明が必要になる。宋の時代の税金は極端であった。大雑把に言えば、政府の政策は、地方を搾取し、都を富ませるという方向であった。少しでも金持ちであれば、税金を掛けて徹底的に潰してしまう。しかし、それに対してそのようなやり方は行き過ぎだという抵抗があった。「生かさぬよう、殺さぬよう」という徳川家康のことばがあるが、税を払っても食っていけるだけのものは、残してやるという側面が必要であろう。

 そこで彼は、むやみに税を取るなとして、金持ちを優遇した。そのかわり悪どいことはするなともっていった。彼の理論通りにはいかなかったようであったが、それなりの成果を収めた。農民は弱者であるが、金持ちも政府に対しては弱者となり、また政府はある意味(穀物を買う側面)で、農民に対して弱者でもあるという「三すくみ」をうまく利用して、王安石は施策を実施したといえる。

 今日伝えられている王安石の文章には、非常に誤字が多いと言われている。特に、否定辞(非、無、不、没など)が間違って別の字に置き換わっていることがあり、そのためにあることがらを実施すべきなのか、それとも実施してはいけないのかがわからず、しばしば混乱するという。これは大変なことである。しかし、ある翻訳者は、「(逆に)彼の文章は誰もきちんと読んでいなかったのではないか」と言っていた。結局、意味(文脈)を考えながら読まなければいけないのである。

(4)改革論争の行く末
唐の時代は、貴族と学者官僚(科挙合格者)との対立という図式があった。宋の時代は、保守派と改革派が闘争を始め、最後には「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」となって、一方が政権を取ると、反対派の作った法は全て無効にするということまでやった。これでは、国政がうまくいくはずがない。

 普通の国では、反対派が政権を取ったとき、細かいことは随分直すものの、政策の根本まで変えることはしない。前政権のやっていたことを形を変えて踏襲するのが普通である。もし完全に変えるのであれば、革命となる。

 徳川時代も、改革派と保守派との抗争がかなりあった。しかし、だいたいは前任者が考えて出来なかったことを次の人が引き継ぎ、やっていくということが多かった。前任者の立てた法をすべて廃止するというような無茶なことはやっていない。しかし、宋の時代は、そのようなことが行われていた。これでは国の発展は見込めない。

 改革ということは、なかなか難しい。むしろ新しいものを作る方がたやすいといえる。今を変えていこうということは、大変結構である。しかし、今の時代の大学改革について言えば、場合によってはすっかり新しいものに作り直すことの方が可能性があるのではないかという気さえする。

4.「数学検定試験(数検)」の試み

(1)「数検」とは
 まず実際にできるところから進めるという意味で、私がかかわっている「数学検定試験」について紹介したい。

 偶然、この協会の会長職を引き受けたことから、関わりが出てきたのだが、私にとって受験生と直接接する機会も持てて、非常によい経験となった。また、この過程を通して数学という一面ではあるが、学校現場の問題点も見えてくるので、そうしたことが参考になれば幸いと思い、紹介する。

「数学検定試験(略称、数検)」は、今から10年前に自己資金でスタートし、幸いにも今年7月13日に、財団法人となった。今のご時世にあって、短期間に法人化できた背景には、まず「検定」ということに世の中の関心が高まっている時流に乗ったということが挙げられる。今は、「教育」の時代から、「学習」の時代に入ってきた。つまり、資格が重視される時代になったのである。そして、昔ながらの珠算、書道などといった資格よりも、英検、漢検、数検といった実務的な資格がより求められる時代と言える。

 例えば、数検を受験した場合に、何かいいこと(メリット)があるのか。数検2級を取ると、今年から大検の必修科目である数学Iが免除されることとなった。大検は年一回の試験だが、数検は年三回実施しているために、受験機会が多く大検より有利でもある。また、一部の高校や高専では、学校の単位認定にもなっているほか、中学校の中には、内申書に記載しているところもある。最近では、珠算何級、書道何段よりも、英検1級とか、数検1級といった資格の方が断然人気もあるようだ。

 更に、一部の大学では、すでに数検を入試に組み込む動きも出てきている。大手の塾などでは、教員の資格として数検の上級を要求する動きも出てきている。

 実際に、数検受験者の動機をアンケートしてみても、資格が欲しいというものが多い。

 数検は、8級から1級まであり、3級が大体中学卒業程度、準2級が高校1年程度、2級が高校2年程度、準1級が高校3年程度、1級が大学というレベルに定めてある。ここで、「中学3年程度」といった場合に、中学3年の学習内容だけという意味ではなく、それまでに学習した内容全般を含むという意味である。それで、今後学習指導要領が変わっても対応できるような仕組みになっている。

 数検1級は、理工系の技術者の常識的レベルとなっていて、今後、理工系大学の数学の基礎学力になるのではないかと思っている。

 しかし、それぞれの内容は、普通に学習していれば合格できる程度となっている。ただ、満点を取りたい場合には、多少普通以上の勉強が必要になってくる。

(2)垣間見た現代学生気質
 今まで、採点などの過程での私の印象的なものではあるが、気がついたことがあった。それは一種の「逆転現象」とでも呼べるものである。

 準2級などのレベルで見ると、年齢が若いほど点数がよくできる。すなわち、中学生ほどできがよく、高校1年、2年と学年が上がるにつれて、成績が悪くなるのである。また、どのくらい勉強したのかと聞いてみると、時間が短いほど成績がよく、一週間、一ヶ月と期間が長いほど成績がよくないという傾向が見られる。これは、個人の質的差に起因するものであろうと思う。中学生で準2級を受けるということは、早々と中学の学習を卒業して、更に上の学力を狙い、高校まで勉強しようという数学の好きな人である。一方、高校生で準2級を受けるというのは、普通の成績以下の人であるし、高校3年で受ける人は、あまり自信のない人である。自信のない人が、にわか勉強してもあまり効果はなく、普通にやっている人であれば合格できるのが、数検なのである。

 準1級、1級になるとやはり年齢が上の方が成績がいいようである。高校1年、2年で受ける人はたいてい歯が立たない。大学生の方が成績がよい。

 非常に出来る人の場合、小学生の段階で、3級(中学卒業程度)に合格する人もおり、さらには、準2級合格者もいる。大学生でもなかなか受からないと言われる1級に、中学3年生が受かったという極端な例もある。

 受験生の解答用紙を見たときに、非常に気になったことは、学生に余裕がないという印象である。これは詰め込み主義の弊害であろうか。試験問題を見たら、よく問題文を読まずに追い立てられたように答えを書いてしまうという傾向である。そのため発題者の意図が受験生に伝わりにくいということから、問題文の書き方に相当気をつかっている。すなわち、我々からするとややくどいという程度の表現をするようにしている。

 例えば、三角形の三辺を示して、「この三角形の中で一番大きな角の大きさを求めよ」と出題する。多くの人は角の大きさを解答しているのだが、中には角の名前だけを書いた人がいた。そこで、もっと正確に表現するようにした。すなわち、「この三角形の中で、一番大きな角はどれか。その角の大きさはいくらか」と設問を変えた。

 別の例では、「ある勝負ごとで、AとBとではどちらが勝つ確率が高いか」という問題で、受験生の中にはただ「A」とだけ書く人がいた。これだけでは、本当に計算をして解答したのか、適当にどちらかを選んで書いただけなのか区別がつかない。そこで、「Aの勝つ確率、及びBの勝つ確率をそれぞれ計算せよ。それぞれを比べてどちらが大きいか」とより正確に表現するようにした。そうすると、てきめん間違える人が出てきた。

 最近の学生は、不等式の解法が苦手なようである。そこで、不等式の解を求めさせると同時に、それを実数直線上に表記せよと出題している。式は解けているのだが、図示できない受験生が多いことが分かった。このことから、計算問題では、単に式の解法のみならず、図示もさせることが重要だということが分かったのである。

 また、数検では、一次試験と二次試験とを同じ日に実施している。一次は、計算検定で、二次は数理検定(電卓使用可)となっている。それぞれの結果を比べてみると、相関関係が高く出ている。計算はよく出来るが、数理はだめという学生は多いが、逆の例は少ない。

(3)数検の目指すもの
 現在、数検は、シンガポール、インドネシア、フィリピンなど、一部外国でも既に実施しているほか、今後、ベトナム、タイ、韓国などでも実施する計画があり、試験段階に入っている。更に、米国にも進出していきたいと考えている。それは、世界的な国際数検グローバルスタンダードを作りたいという希望からである。

 これは、一種の草の根運動であり、末端までの掘り起こしになっている点で、評価されているといえる。しかし、一方で数検は、エリート指向の性質も持っている。

元来、数学は世の中にとって役に立つものであるのに、どうも世の中では数学が悪者にされる傾向が見られる。すなわち、数学が諸悪の根源であり、数学ができる生徒や学生がいじめられているという。しかし、そのような人材は貴重であるから、むしろ励まして、数学の能力を伸ばしてやりたいという動機もあった。

 このような意味で、エリート指向ということも出来る。このような側面に、今の世の中の人々の願いにかなってきた部分があったように思う。もちろん「エリート」といっても、数学オリンピックに出場するといった世界のトップを狙うようなエリートではなく、それを支えるもう少し下のランクの人たちである。

5.生涯学習時代と基礎教育

 制度の改革は時には必要であるが、できるところから進めていくことが可能であるし、大切だと思う。大学も、専門教育は大学院に任せ、大学(学部教育)においては実務、世界に通じる普遍的教養などを教育すべきではないか。

 学力の基礎・基本とは何かということに関しては、「個人が必要なことを学習できる能力である」と考えている。端的に言えば、「読み、書き、話し、そろばん(コンピュータ)」である。一般的には「読み、書き、そろばん」といわれているが、そこには「話し」が抜けている。すなわち、会話である。英語会話などの意味の他に、コンピュータとも会話をすることが必要な時代である。会話とは、別の言葉で言えば、「情報通信」「情報発信」と言える。

 これらが学力の基礎・基本であり、その上に立って、本当に自分に必要なことを(書籍やインターネットなどのコンピュータを利用して)学習する。時には、グループを作って検討する。これが、これから必要な生涯学習の姿ではないかと思う。それゆえ、大学改革においても、そのような観点からの発想が必要になってくるだろう。
(1999年7月25日発表)

注1 『いろいろな関数』、一松信著、森北書店、1998年
注2 「大学改革 夏の時代」、CEL(大阪ガス発行)、No.49、1999年夏号
注3 司馬光(1019-1086) 北宋の政治家・学者。字は君実。山西夏県の人。神宗の時、翰林学士・御史中丞。王安石の新法の害を説いて用いられず政界を引退、力を「資治通鑑」の撰述に注いだ。哲宗の時に執政、旧法を復活させたが、数ヵ月で病没。太師温国公を賜り司馬温公と尊称。文正と諡。(広辞苑第五版より)
注4 王安石(1021-1086) 北宋の政治家。字は介甫、号は半山。江西臨川の人。神宗の信任を得て宰相となり、青苗法・均輸法・市易法・募役法などの新法を実施したが、志半ばで地位を去った。唐宋八大家の一。著「周官新義」「王臨川先生文集」など。(同上)

【参考文献】
上野健爾:鈴木大拙と数学、「数学の楽しみ」No.15(1999年9月号)、日本評論社
宮崎市定:中国政治論集(特に第8章、司馬光と王安石)、全集別巻、岩波書店、1993年