高等教育における草の根とエリート

名城大学教授 四方 義啓

 

 「現在の問題に対してけちをつけるばかりではしょうがない。とにかく、手がつけられるところから実施していこう」という一松氏の主張に、共感を得た。その一つの試みとして、数学の学力低下を嘆いているばかりではなく、学力を高めるために大学の外からそのことをつつこうということで、数検を始めたということであった。

 この数検は、草の根の運動という側面とともに、もう一方ではエリートを目指しているという一見すると二律背反的な内容を指向しているところに、大きな興味を持った。実は、「草の根」と「エリート」というのは、どこかでつながっているような気がする。

 日本が戦後の塗炭の苦しみの中から抜け出して、今日の繁栄に至るまでには、日本民族の草の根の強さがあったのではないかと考えている。一方では、草の根の中でも優秀な部分があるのに、現在の能力差を認めない教育、例えば、いくら能力があっても、同じ年齢で学年をきってしまう今の制度のなかでは、それが窒息しかかっているのではないかと思う。

 それが数検という一つの制度の中で、生かされるのではないか。数検の例では、中学生が大学生レベルの試験に合格するというものがあった。もともと秀でたものを伸ばすことのできる道をどこかに欲している部分が、世の中にはあるのではなか。ここに、日本をはじめとするアジアの草の根の教育の強さの原点があったように思う。

 一松氏は、1000年前の中国の改革の例を出されたが、私は明治時代の話を紹介したい。

 その当時、日本はどのくらいの改革を経験したのだろうか。この改革は、社会、経済の改革にとどまらず、文化面にも大きな影響を及ぼした。例えば、東京大学は、明治維新の所産といえる。

 東京大学と京都大学とは性格を異にしていた。東京大学が政府直轄の西洋に開かれた門戸であったのに対して、京都大学は、別の地位を主張しようとしたはずである。東大の役割は、当時の西欧諸国から先進的な知識をものすごいスピードで取り入れて、それを消化し、遅れていた日本に広めていくことであった。今であれば、そのことに対して「けち」をつけることができるけれども、当時においてはそのこと自体素晴らしいことではなかったかと思う。

 京都大学は、「アンチ東京大学」という性格上、東京大学がもってこれなかったものをもつべきであった。ところが、戦争という不幸な事情から、京都大学はそのような役割を十分果たせなかったのではなかったかと思う。それはどのような意味か。

 東京大学は、西洋の知識を日本に普及するのに、取り入れた知識を本にして、すなわちペーパー上の知識にして広めたのであった。知識が作られる現場であった西洋では、いろいろな実験をした場合に、研究者同士の血なまぐさいやりとりといった背景があった。それが本となって紹介されるときには、皆きれいごとになってしまって、血なまぐさいものが一切消えてしまう。そのようにして東京大学はものすごい勢いで、外来の知識を西欧から吸収し、消化し、普及してきた。一方、それによって現実の匂いが消えてしまったのである。

一方の京都大学は、その現実の匂いを復活させようとしたわけである。しかし、それは西田幾多郎の哲学の頃までで、吹っ飛んでしまった。つまり、西洋には学問が形成されていく過程での現実、あるいはどろどろとしたものがあったが、それが輸入によるペーパー上の知識となったときになくなってしまったのである。

今、我々は豊かになった状況の中で、逆にそのような京都大学的なものを求めているのではないかと思う。

 例えば、英検を受ける学生が多いという場合に、彼らはペーパー上に圧縮されてしまった単なる英文学の知識を求めているのではないと思う。彼らは外国語と日本語とはどう違うかなどといった観点から、生きた英語そのもの、外国語に含まれる一哲学を学びたがっているのではないだろうか。

 一松氏は、「読み、書き、そろばん」に「話す」を付け加えられたが、話すという意味には、「哲学」ということが含まれている。この場合の哲学とは、高尚で使えない哲学ではなく、まず自我が先行するものである。自分を世の中の流行の波の中に消してしまいたくはないという思いである。

 このような意味で、明治維新の改革についても考察してはどうかと考えた。明治維新以降の改革で、ペーパーの知識と化したものを、どこかで現実の知識に戻す必要があったということなのである。その役割を担ったはずの京都大学が、どこかで「東京大学化」したような気がしてならない。戦後、日本の全部の大学が「東京大学化」したところが非常に危険であったように思う。

 そのような中で、数検の例に見られるように、年齢に関わらず高いレベルにチャレンジする若者の姿は、いい芽ではないかと感じた。こうしたことを大事に考えていくことが、これからの教育の重要な柱の一つになるのではないか。

 実際、私のいる名城大学でも近い将来、飛び入学を実施することになるであろうが、このような芽は、是非とも支えてゆきたいと考えている。

 東京大学と京都大学のどちらを“エリート”、どちらを“草の根”と呼ぶべきかは判らないが、草の根とエリートの両方を目指すということは、決して二律背反ではないと思っている。それらは、奥ではしっかりとつながっているべきである。それをこれからしっかりと進めることが、我々の役割ではないだろうか。
(1999年7月25日発表)