大学院を中心とするネットワーク構想

北海学園大学教授 谷口 博

 

1.博士取得者が必要とされる時代

 各方面で論議されている「アジア大学連合」など新しい大学構想の件でいうと、最近になく有力かつ具体的な提案が含まれており、是非とも前進させてもらいたい。ただし、一部の方は、その構想が学部創設のみと勘違いしているように見受けられる。

 昨今の日本の情勢では、総ての国公私立大学における学部のリストラは避けられず、今後は大学院、すなわち博士後期課程の充実・拡充が論点であると思う。私の大学院教育での経験(大学院における研究ではなく、博士後期課程担当の経験を意味する)を踏まえて、大学院博士後期課程のみの大学もありうるとの構想を提案し、必要ならば付属教育施設としての修士(博士前期課程)・学部の創設を検討しては如何かと考えている。

 何故ならば、現在の国際間の技術競争、とくに高性能の機器の売り込みに際して、購入者側の技術者が博士取得済みで、売り込み側が学部卒あるいは修士取得の技術者ばかりでは、博士取得技術者の後塵を拝する結果となるからである。また、国際協力に従事しようとする場合にも、博士取得者の受け入れが増加する傾向がみられていることから、このような大学院大学の構想があってもよいのではないか。

 各分野の組織あるいは企業側で、博士後期課程として信用できる入学先を探している現状であるが、有名国公私立大学の大学院は博士後期課程の寡占状態にあぐらをかき、毎日の通学、あるいは毎週1回の通学を学生に強いており、該当する組織あるいは企業側の実状など全く省みないのが現状といえる。入学希望先の状況にうとい大学側、大学に強いことがいえない入学希望側のすれ違いか、双方の不信感を助長して、各分野の組織あるいは企業側の目が国外などの大学院へ向きつつある。

2.大学院を基礎とする大学構想

 このような現状を考えるならば、重要なテーマの一つとして新しい大学、特に大学院大学の創立を検討する時期にあるといえる。是非とも雑音に惑わされることなく、早急に大学院教育のプロ集団(国公私立大学の大学院で主査として直接に10人程度の博士後期課程学生を修了させた経験者による組織、ただし論文博士を世話した経験は別であり、その数から除外しておく)により適切な企画を立てることを希望する。参考までに、私の大学院博士後期課程での教育経験から、世の中に受け入れられる博士取得者の養成に際し必須と考えている項目などを列記したい。

1)新しい大学の大学院は、博士後期課程に重点を置き、学部および修士課程(博士前期課程)は当分の間対象としない。

2) 国際感覚に富む教育をするため、教授候補としては国外からの博士後期課程の留学生を指導し、3年(医学などでは4年)以内に3人以上を修了させた経験者か望まれる。

3) 上記教授候補者は、博士学位取得済みで、博士後期課程の指導審査にパスする見込み(例えば過去5年間に著書・論文か5編以上など)があること、国外の大学教授との交流があり、数カ月以上の共同研究の経験、あるいは共同著書執筆の経験を有することが望ましい。

4)上記教授候補者は、大学院教育のプロ(博士後期課程で主査として10人以上の研究指導を担当し正規の期間内で学位を取得させた経験を有すること)として認められていれば可であり、とくに年齢制限(米国の州立大学などでは年齢制限をすでに撤廃)を設けない。

5)博士後期課程入学者としては、各国の大学・公立研究所・企業研究所に所属する社会人を対象とすることが望ましいので、通学条件は制約せず主査予定教授に一任する。しかし、主査予定教授と連名の国際会議発表論文などを教材としての指導などを行い、課程修了時のレベル確保に努める。

6)新しい大学の大学院としては、法経文学研究科・理工学研究科・医薬農学研究科などにより構成し、博士(法学・経済学・文学、理学・工学、医学・薬学・農学)などポピュラーな学位取得を可能とすることか望ましい。

7)博士後期課程で学位請求論文の提出資格としては、残念ながらある程度の規制を設けておかなければならず、例えば在学期間2年間に国外で発行される学術誌へ論文が1編以上掲載決定した場合は可とする案などを検討願う。また、学位請求論文の提出資格がないときは退学することとなるが、主査予定教授と協議し再入学の機会を与えることも考慮しておく。

8)大学院博士後期課程の授業料は年額100万円程度とし、その40%を事務局費、60%を主査教授の研究費あるいは支払った学生への奨学金(ただしその額を主査教授か決め一律にはしない)に当てる。

9)新しい大学の学長・研究科長は原則として教授兼務とし、大学院の組織に所属して教育・研究指導を行う。研究科委員会の開催は全教授出席による審議と書面審議に分けて行い、大学院運営の合理化を図っては如何か。

 以上の提案のキーポイントは、まず博士後期課程の設立を認めていただくことであり、学部設立後4年で博士前期・後期課程の申請を行ったのでは、最低期間6年を経た後でなければ目標の博士後期課程のオープンとならない。その間に各国での既設大学院の充実・拡充は終了すると思われ、新しい提案の大学院など入る余地はなくなるであろう。

 大学院博士後期課程から始めて修士(博士前期課程)および学部へと順次進める提案は、全く新しい方式であり、今後の大学設立方式を根本から変える考えなのである。

 すなわち、教育・研究を一括してとらえることのできる経験豊富なスタッフのみで大学の運営を開始し、必要に応じて研究のプロは教育の経験を積み、あるいは教育のプロは研究の経験を積むなどの経過を経て、教育・研究の層の厚みを増やして行くことが、将来の大学教育の発展を可能とする途と思われる。

 現在、新しい大学設立に際しでは、アジア大学連合の場合でも学部を主体としてスタートさせるという従来型の考えに基づいているので、各大学間で斬新な企画を立てたつもりでも、最終結果は当たり前のものとなってしまうであろう。例えば、インターネットを活用しても発信する内容が数年前の成果では図書利用と変わらないので、課題が情報手段ではなく発信内容にあるとの自覚が必要である。もし、大学の使命が教育のみであるならば、学部を主体とする考えも可とされるが、現在の常識では大学の使命が教育・研究の双方であるとされている。勿論、学部のみの大学が存在しているとしても、常に研究成果を教育にフィードバックしておき、教科書の執筆などによりその成果を世に問うことで、大学院教育に間接的に貢献することも可能である。

 従って、まず大学院からとの発想で大学設立の構想を立てることが、21世紀型の高等教育システム構築の一方式であると提案したい。

3.博士取得者養成の必要条件

 以上に述べた博士取得者養成に必須な項目を論議するに際して、私見ではあるが、自分の経験を紹介し参考に供したい。(前節 1)〜9)と照合のこと)

1) 博士後期課程に重点を置く理由として次のようなことがある。谷口研究室では最近博士学位の取得学生2名を教育したが、2名とも学部卒であり修士学位を持たない社会人であった。定年退官した北海道大学の谷口研究室で9名の課程博士取得学生を指導したが、前者の2名は自分の職場のテーマでの3年間で学位取得、後者の9名は谷口研究室のテーマでの3年間で学位取得と状況は異なっていた。また、後者の9名は修士論文と異なるテーマに取り組ませての3年間で、修士・博士5年間という安易なコースは選ばせなかったのである。

2) 国際的な教育経験者を指導教授に選ぶ理由としては、アジア大学連合などの理念から当然のことであるが、語学堪能なことのみ条件とするの愚を避けるため、国外からの留学生の指導経験を問うこととした。3年(医学などでは4年)以内での修了させた経験を重視するのは、修了年限のルーズな点を外部から批判されていることへの対応で、学位取得見込みのない場合は早めに退学させればよい。谷口研究室では1名の退学者はあったものの、北海学園大学および北海道大学とも全て3年での博士学位取得の学生ばかりであった。

3) 博士後期課程の指導資格として国外の大学教授との交流経験を問う理由は、アジア大学連合などへの参加を可能とすることを重要視するためで、共同著書執筆が最も望ましいといえる。現在の社会情勢から考えると、国際会議などへの発表が全て自己の研究グループのみとは限らず、国外に同じ専門分野の人を探し共同研究するのが常識となっているためである。

4) 大学院教育のプロを選ぶ理由は、研究に専念するとの言い訳から学生の受けいれを避けた人に指導資格を与えることはできず、2〜3名程度の博士修了者でお茶を濁すようでは大学院教育のプロといえない。

5) 博士後期課程への社会人入学を勧める理由は、近年重要視されつつある社会人の再教育(リカレント)を目指しているからで、学部卒あるいは修士修了者に同じレベルの再教育では効果が認められないといえる。本人の職場での研究テーマ次第であるが、博士学位取得の可能性を引き出すことも重要なことである。

6) 新しい大学院の専門分野を限定する理由としては、少数の教授陣で発足できることを考えるためで、当初は助教授・助手の支援を必要としない分野から出発するほかなく、既設の博士学位で十分対応できるためである。

7) 学位請求論文の提出資格を論議する理由としては、本来学位請求論文そのものの独創性・有用性の審査で十分であっても、その内容か査読のある学術誌に掲載される条件か満たされない場合の対応への考慮からである。もし学術誌への掲載が否になった場合に、学位を返上することを決めておけば、提出資格のチェックなど必要ないといえよう。国外の学術誌への投稿相談ができる友人としての大学教授が皆無では、新しい大学院への参加など無理かもしれない。

8)および9)に関する提案理由は、小さな組織でも発足できる方策の論議を提案したもので、如何に立派な構想による大学設立であっても、時代の変遷に取り残されては無意味であろう。21世紀型の大学を模索するためには、試行錯誤の可能な方策を選定して欲しいので、このような試案を検討することをお願いしたい。

 現在、所属する北海学園大学および定年退官した北海道大学では大学院博士後期課程の充実へと努力を払っているが、必ずしも大学院教育を目指しているとは限らず、大学院研究を重視しつつあるかもしれない。後者の立場を取るならば、研究テーマの有無によって学生の受け入れを決め、希望する学生の有無によって研究テーマを探る能力のないことを認めていることになる。前者の大学院教育の立場を取るためには、何時も十分な複数の研究テーマを持っていなければならず、広い視野と広範囲な研究分野の保持への努力が必要となろう。

 アジア大学連合の構想を聞き、日本の大学関係者として協力をするには、どのようなことが大切かを考えて提案をした次第である。