家族の未来
−スウェーデン・モデルの教訓−

米国・ハワードセンター アラン・C・カールソン

 

1.はじめに

 まず私は、「将来の家族生活」に関する議論を、一定の前提をもとに進めたいと思う。すなわち、人間の家族制度とは、順応性のある制度ではなく、急速な変化に左右されるものでもないという前提である。むしろ、それは男性と女性の生物学的構造やホルモン作用、心理学的性質などに根差した、人間の本性的な制度である。「結婚」とは、生涯を通じた責任と、家庭内の夫と妻の労働の分化を伴う性的、生殖的、経済的機能の統合と見ることができる。また「子供」は、責任ある結婚に基づいた家庭における自然で驚嘆すべき所産である。そのように理解すれば、家族生活は我々の人間としてのアイデンティティーそのものの一部を形成しているということができる。

 宗教者はこれを神聖な意思の現れと捉え、創造者がそこにおいて人間の二つの半分(霊と肉)が「一つの肉体」となり「産み、繁殖する」よう定めたと説明するだろう。一方科学者は、これほど詩的ではないとしても、本来的な人間の家族制度を何千世代にもわたる進化の結果として説明するだろう。事実、「サイエンス」誌に掲載された精子に関する記事の中で、古人類学者オーウェン・ラヴジョイ(C. Owen Lovejoy)は、特徴的な人間の「核家族」は更新世以前にまで遡ることを明らかにしている。「核家族」は「当時から確立したヒト科の動物の特性システムであり、徹底的な養育と社会的関係、(男女間の)単婚の一夫一婦関係の形成、性的生殖行動などが」含まれていた(注1)。どちらの見方にせよ、家族は特定の時間に特殊な性質に適合するために改造されるものではない。結婚と家族は強化されることも弱化されることもあり、結果もそれぞれ異なる。しかしそれらが新たに作り直されることはない。

2.「仕事」と「家庭」の分離

(1)「大分離」(The Great Divorce)
 そして、このことは現代に生きる我々に特別な問題を提起する。人間関係上の革命的できごとが、工業化の拡大プロセスと同様に、約200年前にまずある国の一地域で起こり、後に世界中へと拡散したためである。この形成過程は、動力機械や市場の拡大、高度に洗練された分業制などに基づいていた。我々の議論にとって最も重要なのは、そこに「仕事」と「家庭」(home、以下homeの場合を「家庭」と訳する)の革新的で急速な分離が伴っていた点である。その当時まで人類の歴史上も有史前も、男女のほとんど全てが同じ場所で生活し仕事をしていた。つまり、彼らの居住場所が同時に労働の場所だったのである。農民あるいは家庭の農園、職人の仕事場、猟師の小屋などでの生活は、人間生活の標準的な行動様式であった。より能率的な生産単位を再構成するために女と男の両方が家庭から新しい工場や事務所へと引きずり出されると、本来の家族関係は度をこえた緊張状態に置かれるようになった。すなわち、夫と妻の絆、親と子の絆が脅かされたのである。歴史家カール・ポラニー(Karl Polanyi)はこの「仕事」と「家庭」の分離を人間の社会生活における「大変換(The Great Transformation)」と呼んだ(注2)。我々が「世界化」と呼んでいるものは、単にこの過程が加速し世界規模で展開しているに過ぎないと見ることもできる。

 社会哲学者も人類のほとんどの家族も、同様に200年近くにわたりこの「仕事」と「家庭」の分離を甘受しようとしてきた。家庭を再構成しようとする最初の試みは、米国の作家・哲学者であるキャサリーン・ビーチャー(Catharine Beecher)によってなされた。彼女は著名なハリエット・ビーチャー・ストウ(Harriett Beecher Stow)の姉である。工業化の進展によって家族の間柄が危機に晒されていることを明確に認識し、1850年までにビーチャーは、「美徳や真の宗教、家族の絆は、家庭を工場や事務所の世界から完全に隔離することによってのみ存続可能だ」と結論付けた。男は取返しがつかないほど外の仕事の世界に引き込まれてしまったが(注3)、女は工場や外での他の職を捨て、家庭に戻って家族の小さな王国を築くべきだと彼女は考えた。要するに、ビーチャーは急速な家庭と仕事の分離を受け入れ、それを男女の性(gender)と結び付けて考えたのである。それでも結婚は家庭の基礎を成していたが、夫と妻は一層の役割の分化を迫られた。彼女は、夫・父は家族を扶養するために外で「苦労と自己否定」を引き受け、妻・母は家庭内で「自己犠牲的な労働者」となるべきだと考えた。そうすれば子供の養育に焦点を当てた住居や学校、教会の性質を兼ね備えた家庭を作ることができると主張した。「稼ぎ手」と「主婦」の役割の啓発によるキャサリーン・ビーチャーの家庭と仕事の「大分離」に対する解決策は、19世紀後半のビクトリア時代の家庭や、20世紀初めの家政学運動、更には1950年代アメリカの都市近郊の「ベビー・ブーム」家庭の焼き直しである。

 それとは正反対に、世界資本主義の必然的な発展とその後に続く社会主義の勝利を単純化して断言したマルクス主義の理論家たちは、古い家族の在り方を断罪した。V. I. レーニンの旧来の共産党同志であるアレクサンドラ・コロンタイ(Alexandra Kollontai)は、「家庭はもはや必要でない」と述べ、次のように続けた。

 家庭は国家にとってもはや必要ない。それがより有用な生産的労働からいたずらに女性労働者の気を散らすため、国家にとって利益とならないからである。また家族はその構成員たち自身にとっても必要ない。家族の他の役割―子育て―は徐々に社会が引き受けるからである(注4)。

(2)スウェーデンモデルの形成
 これと同種ながら微妙に差異のある「仕事」と「家庭」の大分離の解決方法がスウェーデンで生まれた。私の議論の大部分はここに費やしたい。フェミニストと社会民主主義理論の要素を混合したスウェーデンの家庭政策の完全なビジョンは、社会科学者アルバ/グナール・ミュルダール(Alva and Gunnar Myrdal)が1934年に発表した「Kris I Befolkingsfragan(Crisis in the Population Question/人口問題における危機)」という研究によって形成された(注5)。この著書の動機となった問題はスウェーデンにおける1920年以降の出生率の急速な低下であり、彼らはそれを包括的な家庭・児童政策を正当化するために用いた。それは新たなモデルによって「家族を救い」、安定した多産な結婚を築くことを目的として立案されたものであり、世界の産業秩序と矛盾しないと彼らは考えた。ミュルダール夫妻は1935年の「人口に関する王立委員会」に対するイデオロギー的な支配権を獲得し、それを社会管理のプロセスを始めるために利用した。1969年に発表されたいわゆる「平等に関するアルバ・ミュルダール報告」(注6)内容の政治的実施により、彼らはスウェーデンにおける実験を35年後に完成させたのである。

 この家族政策のスウェーデン・モデルは、意識的に一連の特別な仮定と戦略に基づいていた。

 すなわち、第一に、人間性に対する進化論的唯物主義の勝利である。ミュルダール夫妻は人間関係と性道徳は人間性に付随するものではないと主張した。むしろ、人間が持つ結婚と親子関係などの結びつきは絶えず変化する社会的・経済的様式の所産であると断じた。「家族は社会の細胞である」という有名な文句は、あたかも家族が確固たる制度であるかのような誤った意味を持っているとミュルダールは説明した。彼女は農民と手工業労働者を中心とした前工業的経済から工業的賃金経済への転換は、その結果として新しい家族の形態を生じなければならないと主張した。そして「我々にはもはや『家族』という言葉を100年前と同じ意味で使う正当な理由がない」と述べている(注7)。さらに彼女は、このことは政治学的用語でいえば、「家族の伝統的な役割の一部は社会化されなければならず、現代社会(すなわち政府)は、社会が家族に課した不安から家族を解放しなければならない」ことを意味すると述べた(注8)。

 第二に、スウェーデン・モデルはまた、人間の本来的きずなを破壊するフェミニズムの勝利に基づいていた。ミュルダール夫妻が政策形成に用いた価値観の尺度は、個人の社会的自由と平等で、特に男女の性に関する事柄に最高の優先順位を置いた。女性と男性は独立した行為者であるべきで、任意に結ばれた情緒的関係を除き何ら個人的な束縛がない。より根本的には、アルバ・ミュルダールは次のように強調している。たとえ男女間に「自然によって偉大で根本的な差異が作られた」としても、今それらは国家行政によって平準化または補償されなければならない。それは明らかに人為的であるが、我々が必要とする完全な平等を作り出すためである。

 第三に、スウェーデン・モデルは、都市近郊の生活に対する都市部の生活の勝利に立脚していた。産業化された諸国家が一様に農村から近代的な都市への人口移動を経験する一方で、家族にとって全く異なる結果をもたらした二つの相克する居住形態が出現した。たとえば米国では、1940年代および1950年代に政策の優先事項が単一家族住宅へと移ったが、これは田舎に類似した郊外地帯の建設を選択したものであり、キャサリーン・ビーチャーのビジョンとも合致していた。

 しかし、スウェーデンではミュルダール夫妻が数家族共用の高層建築に焦点を当てた政策の形成に尽力した。夫妻は都市部の環境に子供の居場所がほとんどないことを認めた。アルバ・ミュルダールは1935年に「都市は小さな子供にふさわしくない。少なくとも都市が現在のように構成されている限りは」と記している(注9)。しかしミュルダール夫妻は、再構成され科学的に誘導された社会環境の中で子供たちを都市と調和させようという賭けによって、あえて若者を消滅の危険に晒したのである。中でも、夫妻は中央政府の資金によるデイケア・センター制度の創設を迫った。それは平等と社会協力というイデオロギー的な目標に基づいており、都市部の生活により適応した「新しい人間素材」を作ることを意図したものであった。

 第四に、スウェーデン・モデルはまた、道徳に対する治療法の勝利に基づいていた。非宗教的な唯物主義者であるミュルダール夫妻のビジョンは啓示的真理に基づく主張を寄せ付けなかった。彼らは道徳を社会制度や社会的進化の一機能とみていた。もし人口の過半数が宗教的あるいは伝統的な規範に反する行動をとった場合、その規範は有用性を失ったのであり、行動と一致するように誘導する必要があるという。夫妻は「自己」を取るに足らない絆や親類、地域社会、宗教的伝統などの圧力から束縛を受けない存在として位置付け、道徳性を「人間の欲求と衝動を満たすこと」と再定義したのである。彼らはそれを社会心理学が処理すべき課題とした。

 このことは何よりも性に関しては真実であった。新しい秩序の中では子供の養育は自由な選択によるものでなければならなかった。出産を奨励する宗教的偏見に妨げられることなく・・・。これは「性に関する啓蒙」や受胎調節の実践訓練を意味し、広く普及され初期段階に開始される学校の共通カリキュラムの一部とならなければならなかった。

 要するに、スウェーデン・モデルは工業化される以前の家族に対する法人型国家の完全な勝利を容認したのである。ミュルダール夫妻はプロジェクトの主要な目標として米国の1920年代の社会学を取り入れ、それに積極行動主義的な要素を加えたのである。夫妻は特に、「一層拡大する家族の分裂」と家族機能が工業社会や国家によって常に侵食されてきたことを力説したアーネスト・グローブス(Earnest Groves)、ウィリアム・オグバーン(William Ogburn)、アーネスト・バージェス(Earnest Burgess)らの研究を重要視した(注10)。ミュルダール夫妻は、特に若い母親を含む全ての大人が雇用労働力となる全く新しい社会秩序へと飛躍することを目指し、家族に付随している機能を取り除くことに力を注いだ。そして家庭から派生する副産物、即ち、育児、庭仕事、食事の準備などの活動を排除することに焦点を当てた。これらの活動も国家が誘導する産業分野に組み入れられなければならなかった。

 極めて若い世代、年老いた世代、そして身体的に弱い人々を抱える社会が共通して抱える「依存」という課題もまた、完全に政府によって管理されなければならない。女性は決して夫に依存すべきでなく、男性は妻に、老人は成長した子供に、幼い子供は親に依存すべきでない。むしろ、ミュルダール夫妻は全ての個人が等しく国家に依存する社会体制を構想したのである。夫妻はこの無宗教的な共同体主義と個人の道徳からの解放を組み合わせて、結婚生活をより優れた土台の上に築き、将来の社会機構全体を維持すために必要な子供を確保することができると主張した。

(3)スウェーデンモデルの世界的影響
 キャサリーン・ビーチャーは「家庭」と「仕事」の大分離に対し、それを半ば受け入れることによって戦おうとした。すなわち、父親/夫は新しい現実に適応するために家庭から引き離される。母親/妻は残された家庭を子供の避難所として強化しなければならない。これと対照的にスウェーデン・モデルは、新しくより優れていると信じる秩序を構築するため、「家庭」と「仕事」の完全な分離を格好の機会として受け入れた。これはビーチャーの主張にある「残された家庭」をも一掃するものであった。

 この二つのモデルのうち、ビーチャーは子供にとってより良い対応をとったと言える。つまり、子供たちは母親が常時存在することによって、そこから得られる喜びと愛を知り続けることができた。しかし家族の生活に深く関わる父親が不在になることにより、母親は内向的で孤立した家庭に隔離され、家政は単なる消費の場に降格するといった深刻な問題と歪みが残された。またそのような家庭は、いわゆる「伝統的な家庭」に対する度重なる反乱の源ともなったのである。

 しかしながら、スウェーデン・モデルがもたらした結果はより広範な影響を及ぼした。

 先ず結婚を消滅させたことが挙げられる。上述のように、ミュルダール夫妻は彼らのプログラムが産業資本主義の圧力から「家族を救う」ために計画されたと主張する。しかし実際のところ夫妻が構築した社会保障制度の存在自体が、家庭の核である結婚の成立と維持の理論的な根拠を弱める傾向を持っていた。この点について、結婚はある普遍的な社会問題に対する個人の次元における解決方法と見る必要がある。結婚は「病の時も健康な時も…死が二人を分かつまで」お互いを愛する、という約束の上に成り立っている。この約束は何らかの形で古代から伝わる偏在的なものである。それを通じて二人の成人がどのような運命になろうとも、互いの第一の保護者であることを誓うのである。

 しかしあらゆる社会保障制度によって施される「サービス」はこの結婚の理論的根拠を破壊する。政府が普遍的な保護者となる時、個人も地域社会も以前と同様の結婚を必要としなくなる。もし私が重病になれば、政府――私の配偶者ではなく――が世話をしてくれる。おそらく世界で最も気前の良い社会保障制度を持つスウェーデンが、40歳未満の人々の間で結婚よりも独身や同棲が一般的な国となったことは偶然ではない。

 実際、高い離婚率、同棲率、私生率が社会保障制度を持つ社会でのみ見られる事実は特に注目すべき点である。そのような国々の政府は自身を生涯を通じた代替「配偶者」として提供しているのであり、いつでも喜んで人々の痛みを気遣い、不満に耳を傾け、子供に対する責任を負うのである。端的に言えば、「完全な」社会保障制度が成功する場所はどこでも「夫」と「妻」――社会的範疇としての――はもはや必要とされないのである。

 第二に、スウェーデン・モデルは子育てを消滅させた。スウェーデンの社会保障制度が提供するインセンティヴは、親子の間の道徳的・経済的な結びつきを切り払った。児童心理学者のジェイ・ベルスキー(Jay Belsky)らの研究は、子供の初期におけるデイケア――政府の交付金や税額控除によって必然的に多額の補助金を給付されたもの――が直接的に母親と子供の絆を弱めることを明らかにした(注11)。その他の研究は、デイケアが父親と子供の絆をも弱めることを明らかにしている(注12)。

 デイケアによる子供の「早期の社会化」という広範に宣伝された価値観も、実際には価値観を混乱させる家庭を増やしているのである。「質の高い」デイケア・プログラムに預けられた子供でさえ、家庭で面倒を見てもらう子供と比較すると友だちに対して「より攻撃的」であり、親や他の大人に対して非協力的であったとの調査結果もある(注13)。

 社会保障制度による家庭崩壊の影響は、幼少期の他の側面にも表れている。デンマークの社会学者であるベント・ロルド・アンダーソン(Bent Rold Anderson)は、数年前に不穏な現象についてコメントしている。すなわち、スカンディナヴィアの家庭おける18歳以上の若者に対する親の経済的援助の拒絶である。親たちは「今から彼らを援助するのは社会の義務だ」と主張するである。また、それまで社会福祉制度の適用を受けていなかった若者たちは「損をした」と感じるため、より多くが社会福祉事務所に群がるようになる。結果的に一層の家庭の弱体化と社会福祉制度の拡大が起こるだろうとアンダーソンは予言した(注14)。

 第三に、スウェーデン・モデルは、公共機関への雇用と給付金の支給によって、女性を国家の経済的依存者にした。スウェーデンの隣国デンマークで明白な統計データが報告されている。それによると、デンマークの主婦の人数は1960年から1981年にかけて579,000人減少している。同じ時期に、公的機関の雇用者は532,000人増加した。一方、デンマークで増加した労働者の雇用先は、その3分の2が三つの分野のみに限定されている。すなわち、デイケア施設および老人介護(25%)、病院(12%)、学校(27%)である。これらの数字を加算すると、主に女性たちが家庭での子育てや老人の介護を辞め、同じ仕事をするために政府に雇われる過程が見て取れる。ただし、彼女たちの仕事は非効率的になり(彼女たちの行為の対象が現実的な利害関係のない家族以外の人々であるため)、税金による(個々の家計からではなく)給料を支払われなければならないという点が異なる。75年前、英国のジャーナリストであるチェスタトン(G. K. Chesterton)は公共のデイケアに関する論評の中で、「究極的には、我々は女性が自分の赤ん坊の母親になるべきではなく、子守女が他人の子供の母親になるべきだという議論をしているのだ。しかし、それは理論的にもうまくいかない。我々はエプロン姿でお互いの洗濯を引き受けて生活することはできない」と述べている(注15)。

 第四に、スウェーデン・モデルの下で個人の責任が消滅した。私が発見した民主主義的公共政策の鉄の法則はただ二つである。すなわち、補助金を与えればより多額の補助金が必要となり、より多く課税すれば税収はより少なくなる。現在よく知られている例を挙げれば、未婚の母親に与えられる非課税制度と給付金が未婚の母親の激増を招き、無傷の結婚家庭に対する課税がその創造を妨げていることなどである。今日、西欧と北米のほぼ全域の平均的な未婚の母親が受け取ることのできる補助金総額は、子供を持つ平均的な若い既婚夫婦が得ることのできる補助金総額の5倍から10倍におよぶ。結果として、この制度は無責任な行為を助長するのである。なぜなら社会にとって破壊的な行為に対して当然発生するはずの経済的制裁が欠如しているからである。一方、無責任な者たちにかかる費用を負担するため、責任ある若い夫婦に対する課税額は上昇するのだ。

 第五に、スウェーデン・モデルは出生率を「人口補充水準」以下に引き下げる。あるヨーロッパの専門家たちが1990年代初めのある期間、スウェーデンがヨーロッパを彷徨っていた人口減少の亡霊から逃れる道を発見したと楽観視していたことは事実である。政府の大規模な「親の有給休暇」プログラムに対する表面上の反応として、スウェーデンの出生率が1983年以降上昇を始め、1990年までに女性一人あたりの子供の数がちょうど世代の「補充」に必要とされる平均2.1人に達した。全ての女性(特に母親)が外で雇用されることを目指すスウェーデンの異例の努力にもかかわらず、ミュルダール夫妻の家族を対象とする社会福祉プログラムが遂に問題を解決したかに見えた。おそらくこれが「他国の人口の前途がどうなるか」を示していると、あるアナリストは希望的に考えた(注16)。

 しかし、スウェーデンの総合出生率が1990年代終わりまでに再びヨーロッパの平均値に近い女性一人あたりの子供の数1.5人まで下がると、楽観主義は間もなく消えた。新たな資金と政策による操作は出産の時期にのみ影響を与えるのがやっとであり、それによって出生率が暫く人工的に上昇していたに過ぎないことが判明したのである。働く母親たちのために無料のデイケアサービスを供給しても、実際それはより多くの女性を雇用することを意味していた。育児の社会的「費用」は上昇し、更に出産を躊躇させる要因を作り、結局非生産的であることが分かった(注17)。

 総じて、これらの意に反する結果は結婚本来の性質を否定したシステムによって生じたと見ることができる。言い換えれば、新しい形の結婚に基づく新しい家族の秩序を一気に構築しようとしたスウェーデンの試みは失敗したのである。それが人間本来の性質に背いていたからである。

3.新千年紀に向けた新しい家族像

(1)「生産的家庭」を築く
 それでは、家族は新千年紀においてどのように理解され扱われるべきか。スウェーデン・モデルが結婚と家族を効果的に破壊したとすれば、キャサリーン・ビーチャーの代替案は、父親は概ね不在で、母親は特殊なストレスを被り、結婚は相対的に脆弱なものという弱体化された家族制度を守ることにのみ成功したと言える。しかし、「大分離」に対するどちらの取り組みも、将来のモデルとして満足できるものではない。

 「仕事」と「家庭」の根本的な分離は、本質的問題として未解決の破綻する。人間の家族生活はこの二つが統合された時に繁栄し、分離された時に損害を受ける。家族生活の真の基盤はこの問題の解決に焦点を当てなければならない。米国の詩人・哲学者であるウェンデル・ベリー(Wendell Berry)はエッセイ「米国の動揺」の中において、彼独特のぶっきらぼうさで次のように指摘している。「もし我々が仕事をする場所で生活せず、そして我々が仕事をするならば、我々は自分の人生と仕事を無駄にしているのだ」(注18)。

 我々が取り組むべき課題にはある種の社会管理が必要であろう。すなわち、スウェーデン・モデルが提唱したごとく、結婚を社会的・経済的変化に順応させるために政府を利用しないこと。また、企業の要求を受け入れるように家族の在り方を変えないことである。これは最近の「仕事と家族」などの会議でしばしば奨励される新しいタイプの封建主義である。むしろ、たとえ世界化の波の中に置かれても、人間の本性に根差した家族を保護するために我々自身が社会的・経済的変化を管理し支配しなければならない。ベリー氏の言葉を借りれば、我々は政府、企業、専門家の手に渡った「知識と責任の断片を寄せ集め、そしてそれらを我々自身の心の中や家族、家庭、地域で再び組み立てなければならない」のである(注19)。

 部分的にはこれはいくつかの機能を再び家庭に取り戻すことを意味する。すなわち、結婚の維持と子供の養育に不可欠な機能である。「家庭内出産」から始める夫婦もいるかも知れないが、それによってもっとも重要な行為が再び家庭に連結されることになる。また、自然と自然神が意図する家庭形成の根本的な在り方であると考えて、母親による子育てや母乳養育を始める夫婦もあるだろう。あるいは、意識的な在宅教育を始める多くの家庭がそれを継続するだろう。米国では現在その「開拓期」を過ぎ、在宅学校教育を受ける子供たちはおよそ200万人にのぼる。在宅教育が重要なのは、単に子供に対する教育的効果が優れているためだけではない。家庭における教育は子供と学習という課題に家族全員が一丸となって取り組むことにより、問題のある家庭や結婚生活を強化するのである。在宅教育を行う家庭はより多人数で、彼らの結婚生活はより安定している(注20)。家庭菜園など、その他の家庭を中心とする生産的で自足的な活動がこれらに続くだろう。

 また一面では、仕事と家庭を再び連結するという課題は、市場労働を再び家庭に統合することをも意味している。このプロセスは新たなコンピューター技術やコミュニケーション技術によって非常に容易になっている。家族ぐるみのビジネスが解決方法となる人もいれば、自宅をオフィスにする人もいるだろう。またテレコミューティング(在宅勤務)を取り入れる人々もいるだろう。新しいコミュニケーション技術を利用して、家庭での仕事に関連する新しい職業を創造的に開発する道もある。これら全ての発展は、結婚の経済的基盤を強化する方向に向かうべきである。

(2)公共政策の役割
 公共政策はこの流れに何らかの役割を果たせるだろうか。もちろんである。生産的な家庭の建設に貢献するための行動は、次の三つの税制上の措置を含む。

 第一に、国家所得税法における「2分2乗方式」等の活用である。これにより直ちにいわゆる「マリッジ・ペナルティー(結婚罰則金)」を排除することができ、代わりに結婚に対する普遍的な促進要因と離婚の歯止め要因を形成することができる。

 第二に、就学前の子供を持つ全家庭を対象とする「保育税控除」の設定または拡大である。米国においては子供一人あたり2000ドルとするのが適当と思われる。この変更により小さな子供を持つ全ての家庭の選択肢が広がり、彼らの養育に対して現在連邦政府が行っている非良心的な差別が終わるであろう。

 第三に、扶養を必要とする子供がいる場合の税免除、一般的な児童税控除、または任意の児童手当の設定または拡大である。これによって子供を養育する家族の総合的な税負担を大きく軽減することが可能である。これら三つの減税措置を同時に行うことにより、親が家庭で過ごす時間や家計への投資を保護し促進することができるだろう。

 更に重要なのは、各家庭が自由に独自の方法で世界経済に参加できるようにすることである。200年近くにわたり、工業化が普及する場所では常に中央の役員や工場が家庭以上の法的恩恵を享受してきた。新しい技術の進歩により、もはやこのような状況は正当化されない。必要とされる変化は次の通りである。

 △政府機関が家庭内労働の規制撤廃を進め、家庭にいる人々が在宅で自由に生産的な市場業務を遂行できるようにする。
△住宅地帯に対する利用や地帯設定の規制を大幅に緩和し、家庭を生産的拠点として蘇らせる。

 △政府機関はまた、家族に最大の教育的自由を与えなければならない。在宅教育は政府の規制から完全に解放されるべきである。政府は法律・保健などの職業分野への参入に対する規制を緩和し、新しい形態の技能習得制度を取り入れるべきである。そして、いずれは税金によって資金を投入されている公立学校の独占を解体すべきである。

 これらの変化により、一度は無人のリビングルームばかりだった場所に小さな店が立ち並ぶ近郊住宅地が再生することさえ可能である。そこでは再び弁護士や医師が自宅の事務所で仕事をし、実り多い畑やささやかな家畜農業も営める。静けさのみが漂う場所で在宅教育を受ける子供たちの笑い声が日中でも聞こえる。このような環境こそ、結婚生活と家族が再び花開く場所なのだ。

 最後に、様々な国の結婚に関する法律は、最低でも平均的な商業契約の水準にまで強化されるべきである。つまり、破綻離婚(無責離婚)の概念をやめ、結婚を維持しようとする配偶者に法的優遇措置が与えられるべきである。

 そうなれば、これらの変化は世界中で家族を大切にする気運を圧倒的に高揚させるであろう。昨秋、ハワード家族・宗教・社会センター(The Howard Center for Family, Religion & Society)および世界家族政策センター(World Family Policy Center)は結婚と家族に関する世界的な調査を行った。著名な国際世論調査機関であるワースリン・ワールドワイド(Wirthlin Worldwide)によって実施されたこの調査は次のことを明らかにした。

 世界中の圧倒的多数の成人が、男女の法律上の結婚に基づく本来的な家族が社会の基本単位であることに賛成した。全ての文化圏の人々が、夫と妻の間の永続的な結婚と子供の養育が家族の幸福の鍵であることを支持した(注21)。

 またこの世界調査は世界の五地域(ヨーロッパ、アジア、南米、中東/アフリカ、米国)の成人2,893人の無作為標本により、以下のことを明らかにした。

 △10人中8人近くの世界の回答者が、「法律上の結婚による家族が社会の基本単位である」ことに賛成した。

 △3分の2近くの回答者が、もし彼ら自身の社会を作る機会が与えられれば、家族を中心とする社会にすると回答した。(他の選択肢は政府、個人、教会、会社)

 △84パーセントの人々が「結婚の定義は一人の男性と一人の女性の結合である」ことに賛成した。

 △4分の3以上(77パーセント)の回答者が「子供を産み育てることは、人生の豊かさにとって重要なこと」と考えている。

 △世界の人々の86パーセント、また驚くべきことにアジア人の92パーセントが「結婚した母親と父親のいる家庭で育てられることが子供にとって望ましい」と考えている。

 総じて、新千年紀の最先端において、また経済の世界化が迫っている現在も、人々の家族に対する思いは驚くほど強いものがある。これは家族が現実に人間の本性に根差した制度であることの証である。

 同様に、我々が直面している問題を解決するのも容易ではない。現代の工業化社会と人間の結婚や家族との間に続く緊張は、長い間膠着したままである。しかし、我々は様々なモデルの実践経験からその教訓を学ぶことができる。新千年紀においてより強固な結婚とより自律的な家族を築く良い解決方法を目指し、前進することができるだろう。

 (これは、2000年2月11〜14日、韓国・ソウルで開催された第8回世界平和教授アカデミー世界大会において発表された論文である)

注1 C. オーウェン・ラヴジョイ『人の起源』Science 211号(1981年11月23日): 348項。

注2  カール・ポラニー「大変換(The Great
Transformation)「(ボストン: Beacon Press, 
1999年)。

注3 キャサリーン・ビーチャー『女性教師の教育に関するエッセイ』[1935年]、バーバラ・M. クロス編「アメリカの教育のある女性」(ニューヨーク: Teachers College Press, 1965年):67-75頁およびキャサリーン・ビーチャーおよびハリエット・ビーチャー・ストウ「アメリカ女性の家庭」、または「家庭科学の原理」(New York: J.B.Ford, 1869年)第1章を見よ。

注4 エドワード・H・カー「ある国の社会主義」第1巻(ニューヨーク: Macmillan, 1958年):31頁から引用。

注5 アルバ・ミュルダールおよびグナール・ミュルダール「人口問題における危機(Kris I Befolkningsfragan)」(ストックホルム: Bonniers, 1934年)。同書の起源とその影響に関する詳細な議論は以下の書中: アラン・カールソン,「家族政策におけるスウェーデンの実験:ミュルダール夫妻と人口危機戦争」(ニューブランズウィック, ニュージャージー: Transaction Books, 1990年)。

注6 アルバ・ミュルダールその他「平等を目指して:スウェーデン社会民主党に対するアルバ・ミュルダール報告」(ストックホルム: Prisma, 1972年[1969年])。

注7 アルバ・ミュルダール“Familijen gores om”Morgonbris (1933年7月号)13頁。

注8 ミュルダール“Familijen gores om”15頁。

注9 アルバ・ミュルダール Stadsbarn: En bok om deras fostran I storbarnkammare(ストックホルム: Koopertiva forbundets bokforlag, 1935年)。

注10 アーネスト・R. グローブスおよびウィリアム・オグバーン『米国の結婚と家族関係』(ニューヨーク: American Book Company, 1945年)、E.W.バーゲスおよびH.J.ロック『家族』(ニューヨーク:American Book Company, 1945)を見よ。

注11 ジェイ・ベルスキー「幼児のデイケアと社会感情的発達:米国」Journal of Child Psychology 29号(1988年):398頁以下。

注12 F. ピーダーソン、R. ケイン、M. ザズロウおよびB. アンダーソン「家族の代替的役割に関する児童実験における変化」『子供の学習環境としての家庭』(ニューヨーク: Plenum Press, 1983年)。

注13 例:J. ルーベンシュティーンおよびC. ハウズ「幼児デイケアへの適応」『早期教育とデイケアにおける進歩』(グリニッチ, コネチカット: JAI Press, 1983年)39-62頁。

注14 ベント・ロルド・アンダーソン「北欧の福祉国家の合理性と非合理性」Daedalus 113号(No.1, 1984年):128頁。

注15 G. K. チェスタロン「論文集」第4巻(サンフランシスコ: Ignatius Press, 1987年)254頁。

注16 ジャン・ホーム「社会政策とスウェーデンにおける最近の出生率の変化」Population and Development Review 16号(1990年12月)735-745頁。

注17 ジョン・アーミッシュ「家族形成のための経済環境」、デヴィッド・コールマン編『1990年代のヨーロッパの人口』(オックスフォード: Oxford University Press, 1990年):159頁。

注18 ウェンデル・ベリー『米国の動揺:文化と農業』(ニューヨーク: Avon Books, 1977):79頁。

注19 ウェンデル・ベリー『持続的調和:文化と農業のエッセイ』(サンディエゴ, カリフォルニアおよびニューヨーク: Harcourt Brace Jovanovich, 1972年、1970年):79、82頁。

注20 アラン・カールソン「学校と国家の分裂は家族を強化するか?:出生率パターンからの事実」Home School Researcher 12号(No.2., 1996年)1-5頁を見よ。

注21 「特別報告:結婚と家族に関する世界調査。ワースリン・ワールドワイドによる第二回世界家族会議のための報告書」(ロックフォード, イリノイ: The Howard Center, 1999年):1頁。