大学・大学院教育における日米の比較

ラホイヤアレルギー免疫研究所名誉所長 石坂公成

 

1.大学入試制度における日米の相違とその根底にあるもの

 最近、世界平和教授アカデミーで一番問題にしていることは、日本の大学教育や大学院教育をどうしたらいいのかという問題であるときいている。一方、最近の日本の社会では、青少年が起こす多くの社会問題に絡んで、初等教育や中等教育をどうしたらいいのかということに関心が注がれているように思われる。また私はよく、子供たちの理科離れを防ぐ方法がないものだろうかという質問を受けるが、このような問題は全部関連があると思う。

 最近の子供たちは、学校の成績を良くするとか、良い高校や大学に入ることを人生の目的のように考えているのではないかと思う。自分が将来どういうことをやろうという目的を持たない場合に、理科のようにあまりテストと関係がないことに興味を持たないのは、当然ではないだろうか?また、何のために大学に入ってきたのかわからない学生もいるようだが、そのような学生には教育のやりがいもないであろう。おそらく高校で教えていることは、大学教育を受けるのに必要なことではなく、入学試験を通るために必要なことだと思う。もしそうであるとすれば、大学入試のやり方を根本的に変えないかぎりは、小・中学生の閉塞感を払拭することは出来ないだろうし、中学・高校の間に将来大学教育を受ける準備をすることも難しいだろう。従って、大学生の学力低下ということも避けられないのではないだろうか。

(1)米国の入学試験制度のしくみ
 そこでまず、米国の大学では入学試験がどのように行われているのかということから話を始めてみたい。米国の大学を受験する全ての高校生は、受験の前に全国一斉の試験を受けなければならない。共通一次試験のような考え方ではあるが、内容的にはちょっと違っている。大学の教育を受けるのに必要なこととして、どのようなことを知っていなければならないかという観点から試験をする。これが大学に入るための唯一の筆記試験である。この試験の成績は点数も順位も全部ついて、全国で上から何番目に自分がいるかということがはっきりする。大学側の選考は、この試験の成績と高校からの内申書と各大学で行う口頭試問で決める。各大学では小論文を提出させるが筆記試験は行わない。

 米国では日本の法学部、医学部に相当するものは、ロー・スクール、メディカル・スクールと呼ばれ、これらは大学院である。大学の中には、法学部や医学部というものはない。従って、これらのロー・スクール、メディカル・スクールには、大学(college)を出た学生が受験するわけだが、大学院の試験も同じやり方である。メディカル・スクールを受ける学生はそのための全国一斉の試験を受けるし、ロー・スクールを受ける学生もそのための試験を受ける。そして各大学院は試験を行わない。従って、この全国一斉の試験の成績がある程度以上でないと、良い大学や良い大学院には入れない。どこの大学ではどのくらいの点数を取ったら入学できる可能性があるかを学生はみんな知っているが、しかしそれだけの成績があったとしても、入学できるとはかぎらない。

 実際に学生を選ぶ大学の立場からいえば、有名校の場合には、試験の成績や内申書に関するかぎりは、大変成績の良い生徒がたくさん受験してくるので、学業成績だけでは選びようがない。全国一斉の試験は800点満点であるが、大学側はこの試験の成績が5点や10点違ったとしても、実力に相違があるとは考えない。この点は日本の大学とは大いに異なる。日本の国立大学の場合には、入学試験の成績が1点違うだけでも決定的だときくが、米国ではそんなことはない。

 しかし、そのような取り扱いをすると同じような良い成績の生徒がたくさん受験していることになる。そこで、それから先の選考は、生徒に書かせた小論文を参考にし、口頭試問とその生徒の課外活動の内容で決めることになる。課外活動というのは、例えば高校時代にクラスの委員をしていたとか、あるいはフットボールのチームのキャプテンだったとか、そのようなことである。これは学校側(教師)が選んだのではなく、生徒同士の選挙で選ばれたのだから、この生徒は仲間の間で信頼を得ている、つまりリーダーシップがあったということを意味している。

 このようなことがどれだけ大事であるかは、選考をする大学側が決めることであり、大学によってもだいぶ事情は異なる。例えばMITのような大学では、課外活動の評価よりも特別数学ができるとか、サイエンスが特別優秀な成績だとか、そのようなことに関心があるようだが、ハーバード大学のようなところでは、「自分たちの大学は世の中のリーダーを養成するための大学だから、リーダーシップをとれる証拠のある学生を選ぶ」と言っている。いくら成績が良くても仲間の信頼を得ていないような人間はリーダーにはなれない。試験の成績が少しぐらい悪くても、いままで仲間の間でリーダーシップをとってきた人の方が、将来世の中の役に立つ可能性が高いから、自分の大学ではそういう人を選ぶというわけである。

 個々の生徒の課外活動については、当然口頭試問でも話題にはなるが、我々が口頭試問で知ろうとしていることは、その生徒が将来どういうことをするつもりでこの大学に入ろうとしているのか、また生徒の社会性や世の中に対する考え方である。米国の子供たちは、小学校の頃から自分の考えをほかの人たちに分からせるということや、ほかの人の考えを理解するということを実によく訓練されている。小学校の時代には、実はこのようなことが学業成績よりも大事なのである。米国という国は多民族国家であり、違った習慣や考え方を持った人たちの集まりだから、ほかの人の考え方や習慣を理解し、自分の考えをほかの人に分からせるということができなければ、生きていくことができない。まして、リーダーシップをとることはできないのである。彼等は小さい時からそういう教育を受けているから、自分の考えをはっきり言う。「成績が良いからこの大学を受けた」などと言う人は誰もいないし、またそのようなことを言っても落第してしまう。

 このように、口頭試問がかなり重要視されているから、学業成績からいえば非常に良くできる生徒が合格しないこともある。同じ高校の卒業生で、全国一斉の試験の成績も内申書に書かれた学校成績も良い方の生徒がハーバードを不合格となり、悪い方の生徒が合格するということは決して珍しいことではない。

 また、ひとりの先生が全部の受験生の口頭試問をするわけではないので、同じ受験生でも試験官によっては、評価がずいぶんちがうと思われる。このようなやり方で、良い大学に入れるかどうかが決められるということは、日本の常識から考えれば公平ではないと思われるかもしれないが、米国の人たちに言わせれば、試験の点数だけで入学を決めるのはたいへん安易で不真面目であるということになる。

(2)米国社会の「学歴」観
 もうひとつ日本と違う点は、米国の場合には有名校をいくつでも受験することができるということである。大学では筆記試験をしないし、口頭試問はひとりひとりの学生とアポイントを取って行うので、学生がすでに他の大学と口頭試問のアポイントがあれば、アポイントの日にちを替えてくれる。従ってひとりの学生がハーバード大学もスタンフォード大学も受験することが可能である。しかし、おもしろいことには、どんなに良くできる学生であっても、4つとか5つの有名大学を受けた場合、全部の大学に合格するという人はほとんどいない。しかし、良くできる学生はどこかには入る。

 日本の常識からすると、東大に入ったのと東北大に入ったのとでは、ちがうと思われる人もいるかもしれないが、米国では彼等の将来はハーバード大学を出ようとスタンフォード大学を出ようと、またイエール大学を出ようと大した違いはない。彼等が世の中で認められるのは、大学や大学院を出てから一体どんな業績を上げるか、どれだけ世の中や会社のために貢献したか、あるいはこれから貢献する可能性があるかということによって決まるのであり、卒業した大学によって決まるわけではない。従って、ある特定の大学に入るか入らないかというようなことは、あまりその人の将来にとって重大な問題ではない。

 今日までの日本は学閥社会だから、私がこのようなことを言っても信用できないかもしれないが、これは本当の話である。早い話が、私がジョンス・ホプキンス大学の教授になったのは1970年だが、その当時はユニバーシティ・オブ・トーキョー(東京大学)などと言っても、米国では誰も知らなかった。実は1960年代の後半には、日本では大学紛争があって、「安田講堂の攻防戦」などというのが米国のテレビにも出ていたものだから、ユニバーシティ・オブ・トーキョーなどと言っても「あの、戦争をしているところか?」というくらいの理解しかなかったのである。

 私は在米35年の間に、私の学歴を使ったことはほとんどないが、しかしそれは私が日本人だから例外であったというわけではない。我々がジョンス・ホプキンス大学で準教授や助教授を採用するための選考をする時にも、その候補者の学歴はたいした問題にはならなかった。
 このようなことからもわかるように、学生にとっては良い大学に入ることは、将来社会に出てから世の中に貢献するためのひとつの手段である。確かに良い大学を出ればその可能性は上がるわけだが、良い大学に入ることが人生の目的ではない。学生もこのことはよく知っているので、成績の良いほうの学生がハーバードを落ちて、自分より成績の悪い学生が入学したとしても、それほどシリアスに考えてはいないようである。

(3)職業選択についての考え方
 もうひとつ米国の学生たちについて言えることは、自分が将来何をするかということを決める上で、彼等は非常に慎重だということである。ある意味においては、のんきだと言えるかもしれない。高校生は大学に行く前に、自分が理科系統に行くか文科系統に行くかということは決めているが、自分が将来何をするかということについては、大学を卒業する時になってもまだ決めていない学生もかなり多い。例えば、大学院でメディカル・スクールに行こうとか、ロー・スクールに行こうとかいうようなことは、大学(college)を出て1、2年働いてみてから決める学生もかなりたくさんいる。もちろんそういう人は、自分は医者になりたいとか弁護士になりたいとか、そういう興味はあるわけだが、カレッジの学生の時には、弁護士は実際にどういう仕事をしているのか、研究者は一体どんなことをしているのかは分からない。だから、弁護士に興味がある人は実際に法律事務所などで働いてみる。あるいは研究者や医者になりたい人は、研究室や病院でテクニシャンとして、1年か2年働いてみる。自分が実際にそこでやらされていることは、もちろんたいしたことではないのだが、少なくとも法律事務所というものはどのように動いているのか、弁護士の先生はどんな仕事をしなくてはならないのか、また大学教授はどんなことで忙しくしているのかということは分かる。そういうことが分かってから、自分が一生かけてやりたい仕事を決め、その上で初めてロー・スクールやメディカル・スクールを受験するという人もいる。日本でいえば、なんだか浪人をしているみたいなので、日本でエリートコースに乗った人たちには考えられないことだと思うが、彼等は時間をかけて自分の体験から一生の職業を選んでいく。

 このように、米国の学生の大学や大学院に対する考え方は、日本の学生とはかなりちがっているが、大学の役割を考えると、米国の学生のほうが健全な考え方ではないかと私は思う。原因はいろいろあると思うが、大学が入学試験の点数だけで学生を選ぶという現在の日本のシステムは、高校での教育を含めていろんな意味で悪影響を及ぼしているのではないかと思う。

2.メディカル・スクールにおける教育の特徴

(1)大学の授業の進め方
 ところで、私は長い間メディカル・スクールに勤めたので、次に米国のメディカル・スクールでの教育について、日本と違うところを申し上げたい。

 メディカル・スクールを受験する学生の大部分はカレッジでプレメディカル・コースを取った人たちだが、中には理科系統の大学院ですでにPh.Dをとったけれども、やはり自分は医者になりたいからというので入ってくる人も年に2、3人はいる。何年かに1人ぐらいは、カレッジは文科系統だったという変わり種もいる。もちろん、全ての受験生は、メディカル・スクールを受験するのに必要な全国一斉の試験を受けなければならない。その成績さえ良ければ、カレッジはどういう経歴であったとしても受験資格はあるわけである。

 米国でもメディカル・スクールはかなり忙しくて、ずいぶん勉強させられるが、日本と違ってメディカル・スクールのコースは集中講義の形式で行われている。例えば細胞生物学の講義が1ヵ月、解剖学が2ヵ月、免疫学が1ヵ月、生化学が3ヵ月というような具合で、日本の大学のように毎週1回の講義を1年間続けるというような形式をとっていない。例えば、私がジョンス・ホプキンス大学の免疫学部長をしていた時には、免疫学を教えている期間は、毎日午前中の3時間は全部免疫学の授業にあてられていた。この期間の午後は解剖学か生化学の授業で、要するに学生とっては1日のうちに2科目しかない。

 免疫学のコースは、毎日最初の1時間は講義である。この講義は、大学の免疫学部の6、7人の教授、準教授、助教授が自分の専門によって手分けして受け持つが、他の学部で免疫学的な研究をしている人にも応援してもらった。例えば、免疫グロブリンの遺伝子の話などは、分子生物学の準教授が講義してくれた。従って、1回1回の講義は専門家によるまとまった話になる。たいていの講義は、1時間の中で歴史的なことから現在の知識まで系統的な話をすることになるので、これは決してやさしいことではない。その領域の専門の研究者でも、このような講義をまとめるには結構苦労する。それだけ苦労してまとめた講義だから、この講義にはPh.Dをとるための大学院生も、ポストドクトラル・フェローもききにくる。したがって、講堂はいつも満員である。

 日本と違うところは、学生たちは講義が終わると拍手をすることである。よくわかる講義だと大変な拍手をするし、よくわからない講義だとほとんど拍手をしないから、それだけで学生がどのくらい理解したかわかる。数人の学生は講義が終わると、質問にやってくる。

 実は我々のコースの中で最も大切な部分は、講義のあとの2時間なのである。学生たちは8人ずつのグループに分かれ、各グループにひとりずつ教官がつく。日によっては簡単な実験もさせるが、大部分の時間は学生たちと質疑応答をする。この2時間の目的は、その日や前日の講義の内容を各学生の頭の中に叩き込むことなのである。グループリーダーを務めるのは教授、準教授、助教授のほかに「Research Associate」と呼ばれる助教授相当の研究者であるが、ひとつのグルーブが小人数だし、毎日顔を合わせているリーダーだから、学生たちも遠慮なく質問するし、その討論は他の学生の理解にも役立つ。1時間の講義について毎日1時間以上をかけて討論や解説をするのだから、たいていの学生がその日のうちに講義の内容を理解してしまう。

 この講義は別に出席をとるわけではないが、学生が講義をサボるということはほとんどない。講義とグループ・ディスカンションで得るだけの知識を、サボって本を読んでも3時間で得ることは不可能だからである。また、講義では毎日新しいことを教わるわけだから、講義に出なければとてもついていけない。さらにこのコースが終わって3、4日した時に免疫学全般の試験をするから、あとから勉強するなどということはできないわけである。

 私は1970年代の半ばから5年間、京都大学教授を兼任した。毎年日本にきて、1週間から10日ぐらい毎日、集中講義をするのだが、どうみても学生が半分ぐらいしか現れない。それで助教授に「ずいぶん学生が少ないんだね」と言ったら、彼は「でも、先生の講義は学生が多いほうですよ」と言っていた。日本の大学では今は講義に出席する学生が増えているそうだが、果たして日本の大学の講義が、ジョンス・ホプキンス大学のように学生の熱気を感じるような状態になっているだろうか? このことについては、私は疑いを持たずにはいられない。

 日本の初等教育や中等教育は、米国に比べたらレベルが高いと思う。米国の小学生や中学生はほとんど勉強しない。しかし、大学になると勉強し出して、大学院になると米国の学生の方が、日本の学生よりはるかに勉強をする。日本では何故、高校まで一生懸命勉強していた学生が、いざ専門教育を受けるという段階になってそれを身につけようとしないのか。彼等が勉強したのは、よい学校に入るためであったのか。彼等が大学にいるのは資格を取るためだけなのか。そういうことが疑わしくなってくる。自分が終生その専門知識を使って社会に貢献することを目的として医学部に入ってきたというのであれば、もっと真剣であってもいいと思う。日本のエリートたちが、大学に入ると勉強しなくなるというのは実に不思議な現象であるが、これは彼等がどうも人間として幼稚であり、独立した人間としての意識や社会に対する責任を感じていないからではないかと思われる。

(2)徹底した臨床研修
 私は臨床の講義については経験がないので、米国の大学での臨床関係の教育の内容を紹介することはできない。ただ、臨床関係の卒後教育において非常に印象的なのは、「レジデント(実習医)」(resident)という制度である。これは内科や外科はもちろん、各科にあり、専門医になる以前の研修であるが、彼等は各病棟を受け持って入院患者の毎日の治療に専念する。

 私は一度、甲状腺摘出の手術を受けるために、ジョンス・ホプキンス・ホスピタルに入院したことがあるが、その時にレジデントにお世話になった。彼等はたくさんの患者の世話をするため、時には夜の12時か1時になって診察を終えることもあるが、翌朝7時に外科の教授が回診にくる時には、一緒に来て教授に病状を説明し、指示を受けている。彼等はいつ寝ているのかと不思議に思ったほどである。彼らは悪くいえば奴隷のように働かされており、レジデントの期間は離婚率も高いそうだが、このトレーニングを通じて彼等はどうしたら患者を殺さないように出来るか、病状を悪化させないように出来るかを学んでいくのだそうである。私は体力には自信があったが、彼等の生活を見て感じたことは、「私は臨床をやらなくてよかった。これでは体がもたない」ということであった。

 とにかく、レジデントの期間はどんな人でも臨床の医療に徹しており、片手間に実験をするなどということは全然ない。ジョンス・ホプキンス大学やハーバード大学の内科の教授や外科の教授をしている人たちは、ほとんど全てがジョンス・ホプキンス・ホスピタルやマサチューセッツ・ゼネラル・ホスピタルでチーフ・レジデントをやった人たちである。つまり有名な病院でチーフ・レジデントをやるということは、有名な大学の臨床の教授になる登竜門なのである。

 日本の大学では最近、臨床経験は業績として表面に出てこないので、将来教授や助教授になろうとする人たちは臨床にあまり熱心でないのではないかと思う。彼等の間では、医者は患者のためにあるという観念があまり強くないのではないか?外から見ていると、彼等が臨床をやっているのは大学教授になるためであって、患者を治療するためではないように見える。

 私がジョンス・ホプキンス・メディカル・スクールにいた間は、自分の専門の関係で臨床部門の教授たちの研究の相談にのる機会がかなりあった。彼等はそれぞれの分野では世界的に有名な人たちなので、私はある時「あなたは大変おもしろい研究をしているが、あなたにとって臨床と研究とでどちらが大事なのか」ときいたことがある。彼等の答えはきわめて明瞭であった。「自分は確かに研究が好きだ。しかし自分の使命は臨床である。どちらをとるかと言われれば、もちろん臨床をとる」とはっきり言っていた。彼等の医者としての使命感は非常に強いものがあった。

 日本でも私どもが学生の頃、内科や外科の教授は、臨床家として非常に尊敬されていた。難しい手術などは東大の教授にお願いするというようなことがよく行われていた。しかし最近では、臨床経験が非常に少なく、場合によっては研究所で基礎研究をしていた人が、有名な大学の内科や小児科の教授になるということすら起こってきているようである。日本の大学の人事は米国とちがって、外部の意見を全然入れない。教授会のメンバーは欠員教授の専門から言えば素人である。そういう人たちが投票して後任の人事を決めるために「非常識な」人事が行われるのではないかと思う。これでは臨床の医者をつくるということは不可能であろう。私はこのような習慣は将来の医療にとって非常に危険なことだと考えている。

3.Ph.Dプログラムはどのように運営されているか

(1)プロの研究者をつくるための政府の援助
 ここで話をもどして、いわゆるPh.Dプログラムについてお話し申し上げたい。このプログラムは、プロの研究者をつくるための大学院教育であり、最短4年間の教育である。これに応募する人はカレッジの卒業生で、普通はメディカル・スクールの卒業生ではない。ただし、米国にはMD・Ph.Dプログラムというのがあり、カレッジの卒業生がこれにアクセプトされるとメディカル・スクールに最低2年いて、その後Ph.Dのコースを2、3年やり、またメディカル・スクールに帰ってきて臨床を2年間勉強して、MDとPh.Dの両方の学位をとることが出来る。しかしMD・Ph.Dは、1年に10人足らずなので、本日はそのことについては申し上げない。

 Ph.Dプログラムを持てるのは基礎医学の教室に限られている。メディカル・スクールでは、基礎も臨床も専らMDをつくる教育をするのが主であるが、基礎医学の教室はそれに加えて、専門の基礎医学者をつくるためのPh.Dプログラムを持つことができる。優秀な大学におけるPh.DコースやMD・Ph.Dプログラムは、ほとんど国からのグラント(助成金)を受けている。

 このグラントは大学が政府に申請して、政府からもらっているのであるが、経済的に言えばPh.Dコースは、このグラントに100%依存していると言ったほうがよい。私は1980年から10年間、免疫学者をつくるためのPh.Dプログラムを主催した。このプログラムで学生を選ぶのは我々であるが、入学を許された学生は政府のグラントにより月謝はもちろん、生活費も支給される。そのような学生を我々は毎年2名から4名選んだが、NIH(National Institute of Health/国立医学研究所)からのグラントはそれだけではなく、Ph.Dプログラムの免疫学の講義のために他の大学から講師を招いた場合の謝礼なども全部カバーしてくれる。要するに我々教官が学生に教える労力以外の全ての経費はそのグラントで支給される。つまり、大学は一文も使わないで、Ph.Dプログラムをやっている。

 米国のPh.Dプログラムの特徴は、これに関与する教官の数が多いということである。我々の学部は小さかったが、それでも教授、準教授、助教授を合わせると6、7名いたし、ジョンス・ホプキンスの他の基礎の教室で免疫関係の研究をしている教授も4、5名いた。そのような人たちもPh.Dプログラムに関与しているので全部で10名から12名の教官がいることになる。したがって、学生と教官の数はほぼ同数である。しかし、これは何も我々のプログラムにかぎったことではなく、例えば生化学や分子生物学ではもっと多くの学生をとっていたが、教官も多いので比率は1対1に近かった。

(2)大学院学生の教育
 大学院に入学を許可された学生は、要するに勉強さえすれば学費なしで学位がとれるということである。これはありがたい話だと思うが、このコースは決して易しくない。彼等はまず最初の1年は専ら講義を受け、それぞれの試験を通らなければならない。免疫学のPh.Dコースの学生は、免疫学だけでなく、生化学や分子生物学はもちろん微生物学や細胞生物学などのコースも取らなければならない。一方、生化学や分子生物学の大学院生も免疫学のコースを取らなければならないから、免疫の講義を受ける大学院学生は1年に20〜30人ぐらいになる。このコースは、先ほどのメディカル・スチューデントに対する講義の2、3カ月後に行われるもので、より専門的な講義であり、講師にはジョンス・ホプキンス大学の教官だけではなく、NIHやペンシルバニア大学、コロンビア大学の教授にも応援してもらっていた。

 Ph.Dコースの学生のためには、免疫学だけでなく、生化学や分子生物学などのコースもメディカル・スチューデントのためのコースより難しいコースがつくってある。学生たちは1年から1年半でこれらのコースを終えて試験を通ると、自分の興味を考えてひとりの指導教官を選ぶ。そしてそこに配属されて、学位論文のための実験を始める。学生の実験は、指導教官がNIHのグラントなどでとっている研究費を使って行うことになるので、研究課題が初めから決まっており、その範囲内の仕事をすることになる。したがって、学生が勝手な実験をするなどということはできない。

 ところで、学生を教官に配属させるときの私の原則は、ひとりの教官は同時にふたり以上の大学院生をもつことはできないということであった。自分が世話をしている学生が実験を全部終えて、学位論文を書き始めたときには、新しい大学院生をとってもいいが、それまではひとりの教官はひとりの大学院生に集中してもらった。もちろん教官たちはポストドクトラル・フェロー(博士号取得後の研究者)を抱えているわけだが、大学院生に関するかぎりはひとりにしてもらった。これは米国では、教授、助教授がたくさんいるからできるのだが、私がこういう原則を決めたのは、学生が毎日のように自分の先生と議論をしながら育っていくことが、研究というものを理解するためには必要だと信じていたからである。

 このようにして、この指導教官(supervisor)のもとで実験を始めてから半年から1年ぐらいすると、彼等は口頭試問を受ける。この試験はその学生を博士課程にまで進めるか、修士課程で止めさせるかを決めるための試験である。この口頭試問の試験官には免疫学者だけでなく、生化学者や分子生物学者も入れてあるのでいろんな質問が出る。この口頭試問で我々がテストしようとしていることは、学生の知識だけではなく、その学生は果たして「自分が何をしているのかを知って実験しているのか?」ということである。学生がやっている実験に関連して「なぜ蛋白質には等電点というものがあるのか?」とか、「蛋白の分子量を測定するためには沈降恒数だけでなく、拡散恒数も測らなければならないのはなぜか?」とか、「なぜこのイオン交換樹脂を使うと血清蛋白を分画できるのか?」というような根本的な質問をする。どれをとっても免疫学の教科書にはその答えは書いてない。しかしプロの研究者たるものは自分が何をやっているかを知って実験をしなければならない。それがわからないでは本当の意味で自分のデータを理解することはできない。「なぜその方法で結果が出てくるかを知らないで実験するのでは、Ph.Dの資格はない。おまえたちはプロの研究者になるのだから、医者(MD)と同じでは困る」というわけである。

 確かにサイエンスでは技術がどんどん進歩している。私の経験でも30年前に我々が習った方法などは、それから20年もたってみるともう誰も使っていない。プロの研究者は自分で新しい方法の基礎になる理論を理解し、自分でキーポイントをマスタ一できなくてはいけない。自分が何をやっているかを知らないで実験をしている人には、そういうことはできない。

 米国の大学での大学院教育はそれぞれの大学によって特徴をもっているが、一般には個人教授的な要素がかなり入っている。また学位をとるためには、数百ページに及ぶ学位論文(thesis)を書くわけだが、別に引用度の高い雑誌に論文を出すなどということは、学位をとるための必要条件でも十分条件でもない。米国においては、学位を与えるかどうかは我々教官が「この学生は一人前の研究者になれるかどうか」を判断することによって決めるのである。日本では、ボスとの連名の論文がどの雑誌に出たかなどということを問題にしているようだが、そんなことは一人前の学者になってから心配すればよいことである。

 私は、一人前の研究者は、4年間(あるいは人によっては5年間かかるのだが)の大学院教育と2、3年のポストドクトラル・フェローのトレーニングによって出来上がると考えている。そのような意味では、ポストドクのトレーニングは研究者をつくるうえでは非常に大事なものであるが、米国の場合、学位をもらった大学院に留まってポストドクのトレーニングを受けることはまずない。

 学位をとったら今度は新しいボスのところへ行って、新しいプロジェクトに取り組む。したがって彼等は、大学院からポストドクの6、7年間を何年かずつ、2人から3人の異なった指導者と額を突き合わせて毎日議論をしているわけである。研究のテーマはもちろんボスのテーマだから、自然にその先生の考え方やアプローチの仕方がわかってくる。研究者の考え方やアプローチの仕方には特徴があるから、先生のやり方を習ったからといって若手の研究者のやり方が先生の通りになることはまずないが、彼等はそのような経験を積んでいくことから、自分のやり方を確立させる。それが我々教官がしなければならないトレーニングなのである。したがって我々は、大学院学生をマンパワーとして使うということはしなかった。マンパワーとして使ったのでは、自分の考えで自分のやっていることを、自分の仕事として研究するという習慣ができてこないからである。

 日本の教室は非常に大きいから、下手をすると大学院学生がマンパワーとして使われてしまう。そうなると一人前の研究者が育たない。大勢の若手研究者が手分けして仕事を進めることは、研究を完成させるには都合がいいかもしれないが、研究者の教育のためには決していい方法ではない。

 現在日本では、大学院を拡充させる方向にあるが、学生の数を増やすだけではプロの研究者をつくることはできないと私は思う。日本には日本の事情があるから、米国の制度をそのまま取り入れることはできないと思うが、知っておかなければならないことは、これからの大学院生が将来競争しなければならない同世代の米国の若い研究者たちは、今述べたようなトレーニングを受けて育ってきているということである。それと競争することのできるような研究者を一体どうやって育てたらいいのか。これは今から真剣に考えなければならないことだと思う。

 私が若い研究者を教育していた時に感じたことは、日本人はいつも日本人だけを競争相手としている傾向があることであった。これはどうも中学や高校以来のひとつの習慣で、そのグループで一番であればそれで満足していることと関係があるらしい。研究は国際的なものであることを考えると、このような考え方は我々の職業では通用しない。この点、若いときからそういう考え方をしないようにしておかなくてはならないと思う。

4.米国政府の基礎研究保障制度

(1)研究費支給制度の始まり
 さて次は、米国政府の研究支援体制について述べてみたい。米国においては政府が大学の基礎研究をサポートするという考え方はずいぶん以前からあった。しかしそれが真剣に考えられるようになったのは終戦後のことである。皮肉な話だが、原爆のマンハッタン計画の成功がひとつの起因になった。原子核の基礎研究がなかったら核兵器はできなかったはずであり、それは政治家にもわかることである。マンハッタン計画は、日本にとっては迷惑なことだったが、おそらく大学における基礎研究が国防の役に立った最初の例だったと思う。

 このような経験から、「大学で行なわれている基礎研究は国にとって大事なものだから、国がサポートすべきである」という考えが議会にも出てきた。それでナショナル・サイエンス・ファウンデーションやNIHのような、研究費を与えるシステムができて、それを通じて基礎研究にお金を出すことが政府の大きな役割のひとつになっていった。

 実際に米国政府が国の責任において、基礎研究を全面的に支援し始めたのは1950年代である。我々が属している医学・生物学の領域で、NIHを中心とする研究費の支給制度(グラント・システム)ができたのもその頃である。基礎研究はただちに社会に役立つものではないが、米国の将来にとって大切なものだから、米国の基礎研究を発展させるためには、どうしても国が全面的に支援しなければならないという考え方である。

(2)研究の評価システム
 では、政府はどういうかたちで研究を支援するのか?学問的に優れたそして意義のある研究を選んで支援するということになると、どうしても一流の科学者による研究計画の評価・選択が必要になってくる。そして、それは純学問的な立場で評価されなければならないから、その評価は全面的に学者に任せることになった。また、専門家であればその研究を行うためにどれだけ研究者や技術者が必要であるか、どのくらい研究費が必要であるかもわかるわけだから、予算の評価も全部専門家に任せてしまおうということになった。学者のほうも自分たちの考えに従って政府が研究費を配分するというのだから、喜んでその仕事を引き受けようということになった。

 こうしてでき上がったのが研究者によるpeer reviewシステム、NIHの場合でいえば「スタディ・セクション」と呼ばれているシステムである。このシステムができた1950年代は、研究人口もそんなに多くはなかったので、免疫学のためのスタディ・セクションはまだひとつだったが、今から考えてもそのメンバーは、まさに国際的に一流中の一流の学者たちだった。こういう人たちが評価するのでは、申請をした人たちは全く文句を言えないというような、メンバーをそろえて出発したのである。

 私がこのスタディ・セクションのメンバーになったのは1971年だった。その当時は免疫関係のスタディ・セクションは既に二つになっていたが、ひとつのスタディ・セクションは12人のメンバーからなっている。免疫学といっても専門が結構細分化されているので、スタディ・セクションの中にはひとつの領域を専門とするメンバーが二人ずつ入っていて、全部で6つの分野の専門家からなっているが、もちろん全部免疫学者である。

 ひとつのスタディ・セクションが一度に審査するのは、大体70件から80件の申請書である。ひとつの申請書はシングル・スペース(行間なし)でタイプして、約50ページぐらいである。自分がその課題について、今までどんな研究をやってきたのか、どんな基礎的な事実を持ち、したがってどういうような仮説に到達したか?その仮説を証明するために3年から5年かけてどういう研究計画で、どういう実験をするかが実に細かく書いてある。NIHの係官は、審査員の専門にしたがって申請書を分類し、ひとりの審査員に10件から12件の申請書の検討を依頼する。審査員は各申請書について研究計画を総括し、そのいいところ、悪いところ、またその申請者はこの研究を行うために最も適切な人なのか、あるいは他の人がもう既にそれをやっているのかなどを検討し、最終的には自分の評価、そして予算が適当かどうかを加えたものをタイプに打って、1件につき3、4枚にまとめたものをNIHに提出する。NIHはそのコピーを審査員全員に送る。

 審査委員会の当日には、ひとつひとつの審査結果について、二人の担当審査員が自分の意見と評価をみんなの前で読み上げる。二人の審査員はお互いに独立して評価したものだから、意見が違うこともある。そうなると議論になるし、担当をしていない審査員も意見を求められることもある。最終的にはひとつひとつの申請書に全員が点数をつけて、平均がその申請書の得点になる。したがって、担当の審査員は、「これは非常に良い研究計画だ」と思ったら、よく説明して他の審査員に良い点をつけさせなければならないわけである。それをやらないと自分の領域の研究計画で、お金をもらえる人がひとりもいなくなることもありうる。ある意味においては、審査員は利益代表のような立場にも立っている。

 この1回の審査委員会は、朝から晩まで行ない3日間かかる。NIHのほうは、この各申請書の得点を良い方から並べて、上の方から研究費を支給する。年によって違うが、普通は全体の10%から20%の申請書が研究費をもらうことになる。つまり全体の80%以上の申請書に対しては、研究費は一文も出ない。このスタディ・セクションは年に3回開かれ、ひとりのメンバーの任期は4年間である。したがってスタディ・セクションのためにメンバーが費やすエネルギーはたいへんなものである。審査員になると1年のうち3、4ヵ月は、専ら他の人の研究申請書の審査の仕事をしていなければならない。しかしおもしろいことに、これに対する報酬は一文もない。

 私は、このシステムは米国の民主主義の現れであると考えている。彼等の民主主義とは、政府ではなく自分たちがこの国を支えているという自覚の上に立っているわけだが、米国の学者たちが進んで研究費の審査にたいへんなエネルギーを費やすのは、学問の将来に最も大切と思われる研究課題を自分たちの手で選び、それによって、国の基礎科学の発達を維持していこうという意図の現れである。

(3)NIHグラントの特徴
 このような米国政府の出す研究費が、日本の政府の出す研究費とちがうのは、NIHグラントはその研究を行うための全ての経費をカバーしているということである。まずNIHグラントの中には、研究費だけでなく人件費も入っている。例えば主任研究者がその研究をするために、自分の時間の50%を費やす計画をしており、スタディ・セクションがそれを適切だと認めると、主任研究者の年俸の50%がNIHグラントの予算の中に入れられる。もちろん、ポストドクやテクニシャンの月給も全てNIHグラントから支給される。したがってアクティブな研究者が2、3件のNIHグラントを取ると、大学教授でありながら彼の月給の80%から90%は国が払ってくれていることになる。

 米国政府の出す研究費のもうひとつの大きな特徴は、間接費である。米国の研究機関や大学の建物は、普通はその機関の所有物ではない。大学が10年間の契約で、毎年その建物のリースを払っている。また、研究をするためには事務員やセクレタリーも必要である。電気・水道代もいるし、放射線物質の管理も必要である。NIHはこういうことに必要な経費を全部払ってくれる。

 これらの間接費が、研究者の人件費を含む直接費と比べて、どれぐらいかかるかは各研究機関によって異なる。また、ひとつひとつの研究課題について、事務員や会計係の人件費の何パーセントがそのプロジェクトに必要かということを計算するのは不可能である。そこで、NIHは各研究機関全体として研究に使われた直接費(研究者の人件費を含む)と研究活動をさせるために必要なすべての経費(建物のリースも事務員の人件費も含む)の比率を計算し、その比率を直接費にかけたものをそのプロジェクトの間接費としてその研究機関に支払う。

 例えば1980年代のジョンス・ホプキンス・メディカル・スクールの間接費比率は55%程度であった。後でつくったラホイヤアレルギー免疫研究所の現在の間接費比率は70%である。これはどういうことかというと、例えば私がジョンス・ホプキンス大学にいて年間1000万円の研究費をとると、NIHはジョンズ・ホプキンス大学に1550万円の金を支払う。私が同じことをラホイヤでやる場合には、NIHは合計1700万円を研究所に支払う。もちろん研究者が自由に使えるお金はその内の1000万円である。間接費が研究所に入ってきてどのように使われるかは研究者の知るところではない。

 政府がこのように大学に間接費を払っているということは、我々研究者が国によって保障されているということを示す。我々が研究をするためにどれだけ時間を使うかは申請書に書いてあるのだが、その分の月給は国から来るわけだから、その分の時間を研究に使うことを大学は反対できない。忙しくなったから、これをやってくれ、あれをやってくれと言うわけにはいかない。主任研究者がその研究をするために50%の時間を費やすことを認められたら、大学は彼に50%の時間をその研究のために費やさせなければならない責任がある。

 また、その研究をするためにどれだけ研究室のスペースを使うかということも申請書に記載してあるが、そのスペース分のリースはNIHがお金を払っているわけだから、大学は、狭くなったから研究室を提供しろなどということは出来ない。一方、大学の方からいうと、自分のところの教官の研究に一文も使わないでいいわけである。もちろん、その研究者の研究成果があがらなくなれば、研究費が入らなくなってそれでおしまいだが、その人の研究が全国的に見てトップレベルにあるかぎり、その研究者の研究は国によって完全に保障されているわけである。

 しかしここで注意すべきことは、この制度は、学問的に必須と考えられる研究課題が、それをするために最も適当と考えられる研究者によって行われることを目的としていることである。その研究者の研究成果が二流に落ちてしまったら、今度は同じような課題のトップの人が研究費を受けて、二流に落ちた人は研究費を失うということになる。したがって、このシステムでは自然に研究者の新旧交代が進められ、研究者個人にとっては決して楽なシステムではない。

 このシステムでもうひとつ強調したいことは、研究計画が科学的価値の評価だけで選ばれるということである。この点は、スタディ・セクションの際に政府が特に要求することなのだが、審査員はサイエンス以外のことを考えてもらっては困るというのである。米国でも師弟関係や交友関係はあるから、いくら米国人でもそれらのことを全然考えないというのは決して易しいことではない。しかしスタディ・セクションのメンバーは実に公正にこういうことをやってのける。そういう意味で私は感心したが、これはやれば出来ることである。

 米国はこういう制度を確立して改良を加えながら、それを50年近く継続している。ある意味ではこのシステムが適切に機能するかぎりは、米国の基礎科学は安泰であると私は信じている。

5.日本の制度改革への提言

 以上述べたように、米国の大学・大学院における教育のシステムは、日本の教育とはかなり違ったものである。おそらく日本の制度は米国から導入されたものであると思うが、大学院教育に関するかぎり、教官と学生との関係は日本と米国ではかなり違っていると思う。その大きな原因のひとつは、米国の大学では教官の数が多いので、ある段階で個人的な教育ができるということだと思う。日本では大学院を拡充する計画があるようだが、一体どのようにしたらプロの研究者を育成することができるかを真剣に考えなければならない。現在の日本の国立大学のシステムでは、教官の数を増やすことはほとんど不可能だが、それではどうしたらよいのかということを考えるべきである。

 また、最後に述べた政府の研究支援制度については、米国と日本ではずいぶん大きな違いがある。日本で最も代表的なものは文部省の科学研究費だが、この助成金は毎年1年分を申請するかたちになっている。1年で研究が完成するということは考えられないことだから、1年毎に申請するということ自体、意味がないことである。また日本では1件あたりの研究費が少ないので、ひとりの研究者が自分のプロジェクトをコマ切れにして、何件かの申請書を提出するのが常識のようだが、そういうこともあって科学研究費の申請数は米国のNIHグラントの申請よりも多いのだそうである。そんなに多くの申請書をNIHのグラントのように詳しく書かれたら、審査をすることも不可能である。従って、日本の申請書ではサイエンスの部分はNIHグラントの10分の1以下である。また、日本の審査では3人の審査員が独自に審査して、その集計が得点になるが、審査員同士が議論するチャンスもないから、審査員全員が「もっともだ」と思うような計画しか通らないことになる。

 私の意見では、このシステムを変えないかぎりは、日本から独創的な研究が生まれる可能性は少ないと思う。独創的な研究は、必ず学問的常識から外れたことである。そのような仮説を審査員に納得させるためには、自分が得た証拠をあげなければならないし、常識からはずれたことであればあるほど細かい研究計画がないと、できるかどうかもわからない。また、ひとりの審査員が興味をもったとしても、NIHのスタディ・セクションのようにその審査員が他の審査員に「これはたいへん面白い研究計画だ」ということを強調して賛成させるというようなチャンスは日本の場合はないわけである。そうなるとユニークな研究計画は、全体として高い評価を得ることはどうしても難しくなる。それに対して、流行している課題を流行している技術を使って研究するのであれば、簡単な記載で誰にでも理解できる。つまり現在の日本のシステムでは、研究者が下手に独創性を発揮したら“干上がる”ようなシステムになっている。これでは誰も独創性を発揮しないであろう。私は決して「日本人には独創性がない」とは思わないが、独創性を発揮したら損をするようなシステムでは、誰も独創的な研究は計画しないであろう。

 米国では、ユニークな研究を支援するためには一体どんな方法がいいかという理想的な方法を考えた。理想論を通すことは大変なことなのだが、学者も大変な努力をしたし、政府も他の政府の事業とは違ったかたちで、研究費やトレーニング・グラントの支払いをする方法を確立していった。研究や教育の目的で最も有効に税金を使うために、米国政府はその権限を放棄し、決定を学者に委ねた。この米国の先例を見ると、日本の政府も従来政府内のしきたりとは違った方法をとる勇気がないと、文教・科学研究振興政策においてはその本来の目的に沿った税金の使い方をすることが難しいのではないかと思う。

 米国のシステムと比較して感じることは、官主導で政府に都合のよいようなシステムをつくったのでは、文教や研究関係の予算の配分は有効には働かないのではないかということである。
(文責編集部、2000年9月30日発表)