20世紀最終年を超える世界連邦運動

北海道女子短期大学元教授 荻野忠則

 

1.はじめに

 敗戦、終戦。それから2カ月を経て、北海道第一師範学校(札幌)の校舎は、1階と2階で授業、3階の教室は生徒の宿舎となっていた。全校生徒を収容し「純剛」(同校の伝統の精神)」の心の道場でもあった我が寄宿舎は、占領軍の軍靴の下にあって、近づくこともできなかった。

 援農先から戻った私は、先輩の本科3年が既に繰り上げ卒業のため、師範の最上級生となり、日本の教育再建の志に燃えていた。そのある朝、担任で音楽の千葉日出城先生が、一緒に中央階段を上りながら、「原子爆弾ができたのだから、世界はもう戦争してはいけない」と言った。勝者と敗者の別を超え、欧米と東洋の別を超えて、戦争なき世界の創造が、政治ばかりでなく、教育にとっても最大の課題だと心に感じた。

 それでは、なぜそれが教育の課題なのか。平和世界の創造は人間の為すべき業であり、人間をその創造の智恵を持つ人間に進化させる教育の創造が、日本の教育再建の課題だと考えたのである。日本の平和も大切だが、世界の平和創造に貢献することこそ本当の平和教育の課題であった。

2.世界連邦をめざす平和思想の系譜

 戦争の20世紀であった。しかし、植民地主義は克服され、人権の目覚めが広がった。しかし、兵器拡散や民族紛争克服の重い課題は残った。また、20世紀は、人口が1世紀で約四倍化するという人口爆発の世紀でもあった。急速な科学技術の進歩により、情報・通信・交通において、世界は一国のようになったが、環境保全が緊急の世界課題となった。今や、人類は軍事的平和のみでなく、民族・人口・環境を含む全面的平和を緊急に必要とする状況で世紀最終年を迎えた。

 その課題解決には、国連の総会や安全保障理事会を国益の呪縛から解放し発展させ、世界憲法を採択し、世界法に基づく司法・行政・立法のしくみを創り、世界規模の課題の対応策を、速やかに、公平に、効果的に遂行する世界機構にすることが考えられる。それは国家の解体や改革ではなく、国家主権のうち世界課題にかかわるものだけを、その上位共同体に委譲してできる世界連邦と呼ばれる機構である。そのような主権の一部の委議は、すでにEUに見られており、世界連邦を可能とする実例になっている。

 こうして迎える「20世紀最終年を超える世界連邦運動」の大綱は、
1)世界の全面的な平和をめざす。
2)基本機構は世界連邦憲章に盛る(世界議会・世界行政府・世界裁判所・世界警察軍―各国の完全軍縮・世界共通通貨)。
3)基本手順は国連の改善・改革による。
4)予想される関連課題(世界共同体の整備―補完性の原則・世界共通教育・文明の転換)
これらがこれまでの平和思想の系譜にどうつながっているのか、次に検討しよう。

3.世界の全面的平和

 先ず「戦争様相の拡大化」についてみてみよう。民族内の戦争(例、ペロポネソス戦争)や近隣の異民族との戦争から、やや大きくなった民族国家間の戦争(例、第一次・第二次の英仏百年戦争)や、征服とキリスト教化をめざす世界分割戦争(例、「大勅書」による異教徒への正当戦と称する戦争)、および宗教教権対立による宗教戦争(例、三十年戦争)を経て、国民国家の成立(ほぼ、米国の独立から日本の明治維新までの期間)に伴う植民地拡大と衝突の戦争へと、戦争が広域に及び、かつ兵器の発達に依存するようになり、激しい戦禍を伴うものとなった。

 強大な国民国家(いわゆる主権国家)がほとんど世界の分割を終える様相になると、それらが利害によって二つの陣営に別れて争う世界大戦となり、その戦禍は非戦闘員をも無差別に大量に巻き込むものとなった。さらに、その戦禍の極限を演出する核兵器の実現によって、兵器のみならず戦争を廃絶するという軍事的平和は、全世界の至上課題となり、20世紀の半ば、1945年の終戦を迎えた。

 ところがこの軍事的平和課題を解決できないうちに、2000年に踏み込むことになった。
この大戦後の半世紀に人類は、その存続を脅かす三大課題に直面したのである。その第一は、人口圧力による平和破壊の危険である。エメリー・リーブスの『平和の解剖』を翻訳・刊行した稲垣守克が、その理論に大共鳴して「世界連邦の歌」を創作した。その歌詞(1949年作)には「わが家はひろし五大州、わがはらからは20億」とある。その人口が、わずか半世紀で3倍の60億人になった。その人口圧力の増大は、地球の環境、資源、食糧の全体への脅威である。またその増大傾向の国・地域・民族間のアンバランスは、それぞれの国の脅威になりつつある。人口増大の停止、ないし漸減の状態を創造的に達成することは軍事的平和に匹敵する至上課題と言えよう。

 第二は、地球環境の保全である。人口の増大による森林の破壊の他に、近代化によってもたらされた大量生産、大量消費による資源の枯渇、大気の汚染や温暖化、オゾン層の破壊などの脅威は、いずれも国境を超えている。この脅威の止めることは、もはや、待ったなしの地球的課題となっている。

 第三は,民族間の平和の創造である。宗教、歴史、生活習慣、人種の異なる民族が、接触するばかりでなく、多くの地域で混在する状況にある。その民族対立が武器を要求し、その武器を供給する市場が存在する状況から、残虐な殺戮や大量の生活破壊、難民を生みだしている。また大国による民族の圧迫は、人道上許されない状況にある。冷戦が終結して10年、世界の状況は、民族間の和解が全世界の至上課題であることを示している。

 以上の考察から、これからの平和運動の課題が、軍事的平和ばかりでなく、人口、環境、民族の課題を含む全面的平和でなければならないのである。

4.基本機構―国家主権の一部委譲による世界連邦の実現―

 次に世界連邦憲章に盛られるべき基本的機構を検討しよう。

(l)国家の成り立ちの4類型と支配者・元首のあり方
今、世界には二百に近い主権国家が併存している。しかし、その国家の成り立ちは一様ではない。初めは、地域の部族を統御する強い支配者の出現、そしてその征服ないし併合によって強大な王権が成り立って国となった。その中で、僭主独裁制国家に対する貴族制政治国家および民主制国家が現出したのがソクラテスのころのギリシアであった。プラトンはその民主制国家アテネの有力な市民として生まれ、師ソクラテスの法(市民の契約)に従っての毒盃死に強烈な影響を受け、理想国家を生涯の一課題とし、『国家』を著わした。その結論は有名な「哲人君臨せよ」であった。その真意は何であったか。

 プラトンには人間の魂の機能の三区分から、知を求める人間、名誉を求める人間、金銭を求める人間があるという人間観があった。その人間にとって、自然本来の欲求のままに、さまざまな生産業者や商人として適正な限度内で、十分に富を得させるのが良いと考えた。同様に、名誉と勝利の快感に何よりも惹かれる人間には、軍人その他として、十分に彼の自然の欲求を満足させても良いとした。

 ただ国家の統治だけは、何が国家と人間にとって真の幸福であり善であるかを知っている人たち(哲学者)に委ねなければならないと考えたのである。その統治者は世俗の楽しみに囚われないために財物の私有を排するのみか、家族の私有も不可とし、天地・万象・万物・万人の真理のはたらきであるイデア(政治にあっては善のイデア)がわかる究極の深さと、全世界・全事象を全体からみる広さが欠けてはならないと考えたのであった。それは、哲人にして可能なことだというのである。

 同じ頃、東洋には孔子が現れ、「王道による政治」を呼びかけていた。東洋の王権国家は王の専制を常とした。だから王を倒して覇権を握り王となった者は、ほしいままに人民を支配するに至るのである。その覇道に対して、力だけでなく政治道徳による王道によって支配せよと教えたのである。

 孔子の開いた儒教の流れの「大学」に「修身・斉家・治国・平天下」の語があることは多く知られている。これらは一般の人間の修行の原則として見直されてきているようであるが、その語の源流を考えるとき、それは王道理想の表現であったと思われる。「天の命これを性と謂い、性に率(したが)う、之を道と謂い、道を修むる之を教と謂う」という修身の要は、天地・万象・万物・万人の真理のはたらきである天にかかわり、それに率(したが)うことであった。それを統治・王道の要諦としたことは、プラトンの主張と軌を一にする。

 それに対して、日本国の伝統の中で、その大きな節とみられる聖徳太子の「十七条憲法」に目を転じよう。その第一条に「和をもって尊しとなす」とあることは、日本人の誰もが知るところであろう。この和は「わ」と読むのではなく、日本書紀によると「やわらぎ」と読むのだそうである。その意味は漢字の「統」の意味で、統は単に一つにするのではなく、構成する部分そのものが生き生きとしている場合の一つの生き生きとした全体を意味する。統治とか統合とかいうことの哲理の深さを思わずにはいられない。

 第二条に「篤く三宝を敬え」とあることもご存知であろう。和(統)をなしつつ生きる根本に仏法の「法(三宝すなわち仏法僧の根源、天地・万象・万物・万人の真理のはたらき)」のあることを明示されている。そこから日本統治の承詔必謹(第三条)勧善懲悪(第四条)裁判の公平と政治(第五条)人材登用(第七条)職務の厳正(第八条)背私向公(第十五条)独裁の排除(第十七条)の原則が出ていたのであった。

 聖徳太子の事例は、日本の伝統が創りあげてきた和(やわらぎ)を心とする君民共治の天皇家の統治が、仏法をとりいれつつもそれを消化して伝統を磨き生きたひとつの節とみられよう。こう見てくると、明治維新による国民国家への脱皮も、敗戦による日本国憲法体制への移行も、同様の目本国らしい節であったとみられるように思えてくる。その伝統の中核には天皇家を宗家として全国民が相睦ぶ「くにいえ」(国・家)の思いがあるといえよう。

 以上の考察から、第一に支配者の資質の理想に共通するものが、天地・万象・万物・万人の真理のはたらき、つまり大いなるいのちを体現しうる人格ということであり、第二に、国家の主要な成り立ちに、力による制覇に王権の根元をおく「覇権国家」、市民の契約の法に統治の根元をおく「民主制国家」、家族愛のような君民共治の伝統に育つ「くにいえ国家」の三類型が見られることである。ほかにアフリカに見られるような植民地分割のために不自然に引かれた国境線をもつ国家などもあり、複雑な実情におかれるその他の類型も考えられよう。これらのことは、世界のひとつの統治と、その構成国家それぞれの自立的統治とともに生き生きとした幸せなものに完成する要になる原理にかかわるであろう。

(2)カントの永久平和論を巡って
 大哲カント(独、1724〜1804)の『永遠平和のために。哲学的構案』(1795年)は、ヨーロッパ列強国家による戦争が絶え間のない状況のなかで、平和を求めた人々の考察をまとめ、そこに永久平和の保障があるかを考えたものであった。カントに先行した人々の考えの主なものは次のようであった。

@モンテスキュー(仏、1689-1755)の三権分立、立憲君主制の考え
Aサン・ピエール(仏、1737-1814)の国際的連盟・連合の考え
Gルソー(スイス、1712-78)の社会契約論、民主制(共和制)の考え

 カントは天地・万象・万物・万人の真理のはたらき、つまり大いなるいのちを「自然」と呼んでいた。それは当時、教育学の源流となったペスタロッチやヘルバルト、フレーベルなどが「神」と呼んだものと同じ概念と思われる。カントはいわゆる三批判書を仕上げ、人間の認識能力の限界を確定し、自然の歴史と、人間の業(自由の歴史、悪から始まった)を対比させ、人間の行為の経過のうちに、ある一定の自然意図(Naturabsicht)が発見されないかと探究していた。その中に世界市民的関係を創造することが、歴史の目的であり、それを可能にするのは、人間に与えられている「非社会的社会性(die ungesellige Geselligkeit der Menschen)という性格であることを発見した。その性格とは、人間は他者と結合し社会関係をもとうとする性向をもち、同時に、人より孤立して成功しようとする自己的性向を持つことである。この利己的性格は人間の進歩の原動力であるが、名誉・支配・所有の欲ともなって人間の争いの種にもなる。そこから脱出しようとして新しい努力で、その自然状態を脱し、社会・共同体を形成した。その性向の全体が非社会的社会性である。国家連合をつくり、国際的法秩序をつくり得るのも、その性格に起因するのである。自然意図に秘められたこの性格の人間の自由行為は、法的、道徳的文化という自然の目的の方向に進む。それが人間の歴史である。先天的な原理としてその判断力は働く。

 そのカントの平和論は、平和つまり、あらゆる敵意の終末をもたらすべき予備条項の6項目と、平和を保障する確定条項、そして、永久平和の保障を考える追加条項の2項目からなっている。確定条項は次の3項目であった。

@各国家における市民的憲制は共和的でなければならない。
A国際法は自由な国家の連合に基礎をおかなければならない。
B世界市民法は普遍的な友好の諸制約だけに限られるべきである。

 @は、今風に表現すると、人権の尊重を原理とした制度の原則で、統治者の人格と三権分立の代議制が考えられている。Aは、諸国の自由の維持と保障を目指すために、戦いを抑制するという連合の理念によるものであった。全世界の連合、諸国の完全軍縮には思い及ばなかったが、国際法の理念を抑制に服する国家の方向に拡大したといえよう。Bは、たとえば他の国を自由に訪問する権利を認め、交流を広め、相互に平和に生きる世界市民体制を必要と感じ、世界市民法が必然と考えられ、それが国家法@や国際法Aを補足するというものであった。世界法の芽がここに芽生えたとみられよう。

 以上のように、カントは先行したモンテスキュー、サン・ピエール、ルソーの平和論を、時代相の制約の中ながら、集大成したのであった。その上でカントは、追加条項の第一「永久平和の保障」で、不和を通して和を求める非社会的社会性を永久平和実現の手段とし、法の強制に服する必要を学ばせ、自己をひとつの国家にまで形成すると言っている。それは政治面においてばかりでなく、言語、宗教、商業も原理的に一致へと接近する必然が、自然によって保障されているというのである。そこに私が提唱する世界共通教育(政治、経済、言語、宗教、人種の統合をめざす情操の形成)への示唆がひそむものと思わざるをえない。

 カントの追加条項の第二「秘密条項」は、国家の最高責任者は哲学者に平和の可能性の条件を率直に聴けというものであった。権力の所有者はプライドがあるため、表面的に聴けないかも知れないが、それとなく聴けというのである。カントが統治者の資質に説き及んでいることは、プラトン、孔子、聖徳太子の事蹟や思考につながるものを感じさせる。そして、世界連邦の創造をめざす者に、二つの点で示唆を与えると受け止めたい。そのひとつは創造過程における指導者の問題(→日米EU三極合意の醸成)、もうひとつは世界連邦政府の大統領の持つべき条件についてである。

(3)ガンジーの非暴力・不服従・非協力
 プラトンの理想国家の思索は、すばらしい人類の遺産であるが、当時の時代相の制約をまぬがれてはいない。彼は戦勝国が敗戦国の富や財産を掠奪し、家を焼き、人々を奴隷とする時代相について、ギリシアの国々がギリシア人を奴隷にすることが正しいと思えるかと問い、夷狄の方に立ち向かい、自分たちの間では互いに手を控えるという議論をしている。それから2300年を経た世界は、白人による世界分割の極点にあった。それを成し遂げさせたのは、近代文明と称する近代国民国家の武力とキリスト教宣教の情熱と資本主義経済による植民地主義正当化の風潮であった。それは被支配民族にとっては耐え難い不安・非平和であった。

 これに西洋そのものの論理に似た近代文明化を採用して対抗し、自国の伝統を保持し、安全を確保し得た好例が日本であった。それに対して、すでに奪われてしまった自国の伝統を取り戻そうとして近代文明化を否認して対抗したのがカンジーであった。ガンジーの「現代文明七つの大罪」はその精神を見事に表現している。

@ 原則なき政治 A労働なき富 B道徳なき商業 C人間性なき科学 D人格なき教育 E倫理なき愉悦 F犠牲なき宗教

 これは、平和が文明の転換を考えなければならないことの表明でもあった。彼は、この精神のもとに非暴力、不服従、非協力の方法で近代化の暴力に対抗することを教えた。

(4)国際連盟の失敗・国連の限界と世界連邦論
 第一次大戦の戦禍は、世界規模の永久平和を求める気運を生み、カントの永久平和論にみたような国家の連合による平和を世界規模で実現する機構として国際連盟が作られた。しかし、周知のようにこれは失敗し、第二次大戦が起きてしまった。その失敗の一大要因は三大強国と言われた英米仏の一角米国が、その議会の批准が得られず不参加であったことであった。第二次大戦後の世界平和機構に熱意を持った米大統領ルーズベルトと英首相チャーチルは、国際連合を構想し、苦心、努力して成立させた。

 今度は、前回の批准失敗をかんがみ、国民の平和への熱意の冷めぬうちにと考え、設立会議の議決を急ぎ、終戦前の3月にはそれを終えた。この急いだ事情が、成立した国連の案に不都合を残した。@戦勝が確定的であった米英中ソ仏等連合国として参戦した国が加盟する機構としてしまい、敗戦の枢軸国側の加盟は当初には認められなかった。(敵国条項すら残ったままである)A原子爆弾が出現する前の成案で、その対応策が考えられていない。また、時期にはかかわらないが、B安全保障理事会の常任理事国に拒否権を認めているため、紛争への対応や加盟の承認も、総会の決定事項さえも、一国の反対で先に進めない状況があった。

 このような連盟や連合に対して、それが世界平和の機構ではありえないことを論じ、世界政府思想の聖書とまでいわれた著書『平和の解剖』(The Anatomy of Peace,1945.6., 日本語版は1949年、稲垣守克訳、毎日新聞社刊)を発表したのはエメリー・リーブスであった。
その理論の大要は次の三項となっている。

@世界平和は世界連邦政府の成立以外の方法ではありえない。
連邦というシステムは米国、カナダ、メキシコ、ブラジル、ドイツ、スイスなどの連邦国家において実験済みで、連邦内の国家間では戦争は起こっていない。
 このシステムは、現在の各国国家主権の一部を世界連邦政府に委譲すればできる。委護する主権は世界政府の活動に必要不可欠なものだけに限られる。

A国際法ではなく、世界法によって統治する。
カントの世界市民法の芽が世界法になった。世界平和には国家間の条約である国際法は、国際連盟の失敗の如く無力である。制裁は国家を対象とする限り不合理である。その武力行使は罪なき老若男女を殺傷する罪を犯すことになる。個人のための法律でなければならない。

B国民主権は分割され、地方自治体と国家と世界連邦の各段階で生かされる。
この@とAは世界平和理論の画期的な前進であったと思われる。また、@の国家主権の一部委譲は1999年1月のEUの通貨統合がその実例となった。Aには、人権の尊重による自由と幸福の実現を日指して人類が蓄積してきた民主制などの全ての知恵が生かされるような世界連邦憲章案等の議論が必要である。Bは、私には「人類の共同体体系」として考究、確立されなければならない課題に思える。(私案、後述6.(2)「世界の共同体の体系」)

 この潮流のなかで各国に世界連邦設立推進の団体が生まれ、1946年10月にはルクセンブルグに集まって、この運動の世界組織「世界連邦政府のための世界運動(WMWF,現在のWFMの前身)」を結成し、本部をジュネーブにおき、1947年8月、スイスのモントルーで第一回総会を開いた。23カ国の代表が出席し、モントルー宣言を出した。

モントルー宣言の「世界連邦の6原則」
@全世界の諸国・諸民族を全部加盟させる。
A世界共通の問題は、各国家主権の一部を世界連邦政府に委譲する。
B世界法は一人一人の個人を対象として適用される。
C各国の軍備は全廃し、世界警察を設置する。
D原子力は世界連邦政府のみが所有し、管理する。
E世界連邦の経費は各国政府の拠出ではなく、独自財源でまかなう。

 ここにおいて世界連邦運動の基本原則が確立されたといえよう。

(5)アインシユタイン、湯川秀樹等原子物理学者の世界連邦論
 ドイツにおける迫害を逃れて米国に亡命したアインシュタインの進言で、米国の原爆開発が始まり、オッペンハイマーを主任としてその開発は成功し、1945年8月、それが広島と長崎の悲惨につながったこと周知のことであろう。原子物理学者は、その悲惨に大きな責任を感じ、以後は絶対に原爆が使われない方途を構じたいと熱願した。

 湯川秀樹夫妻が、オッペンハイマーの招きにより渡米したのは昭和23年(1948)であった。湯川博士はプリンストン高等科学研究所の教授として、同研究所のアインシュタイン博士(1879-1955)に出会った。アインシュタインはすぐに二人の手を固く握って、涙をポロポロと流した。「自分が、ヒトラーを恐れるあまり、原子力を兵器にすることができると漏らしたのが、当時の米国大統領ルーズベルトの耳に入り、結果として罪もない日本人を殺傷してしまった。本当に申しわけない」というのであった。以後、アインシュタインと湯川秀樹は、しばしば、核兵器の存在と人類の行方について話し合うようになった。「人類が滅びないためにも、世界連邦を実現させる以外に道はない」というのが結論であった。

 アインシュタインは、1947年、第二回国連総会に公開状を送り、国連は究極の目標、すなわち「平和を維持するために十分な立法、行政的権限を持つ超国家的な権威を確立する」よりほかに平和の手段はないことを訴え、世界連邦の実現の提案を示した。これに対しソ連の代表的科学者四人が連盟で抗議の公開状を送った。それに答えたアインシュタインの回答には「アインシュタインの平和原則」と呼ばれる次の言葉があった。

「全面的破壊を避けるという目標は、他のいかなる目標にも優位しなければならない」(The objective of avoiding total destruction must have priority over any other objective.)

(6)世界連邦憲法草案を巡って
 初期の世界連邦憲章案
 国連の発展が世界連邦に至るという現実的なあゆみを想定した世界憲法草案は、ほぼ次のようなものであった。世界議会は、下院(人口百万に一人ずつ世界選拳で選出された議員による)と上院(各国から選出された議員による)の二院制。世界政府に大統領と閣僚を配し、世界裁判所も整備して、三権分立が行われるようにする。各国の軍備はすべて段階的に解消し、人類すべての安全を守るに足る世界警察軍を、厳格な三権による統制のもとに創設する。
新しい世界連邦論の展開(荻野著『心育て』1986年、pp.193-195)

 そこには、いくつかの新しい概念が登場する。戦争の防止が至上命令であることには変わりはないが、人類の幸せ、真実を貫く生き方を保障するには、南北問題、地球環境汚染、資源エネルギー問題、通貨の混乱、人口、宗教など地球規模の課題を解決していくことも、また至上命令とみなければならないからである。

【国家主権の一部委譲】
 それは、初期の世界連邦論の基本精神を引き継ぎつつ、世界の変貌に応じ、国連やその機関が40年にわたり国際機関として培った経験を引き継ぎ、生かしていくことになろう。革命的な変化ではなく、現在の国や政治のシステムはそのままに、国連が一歩発展した世界連邦政府という上位機関が加わるだけである。ただ、国家主権のうち国際的な問題の処理にかかわるものを、上位機関としての世界連邦政府に委譲するのであるから、その限りにおいて現在の国家主権は制約をうけ、至上でなくなるわけである。

【選挙と議会の構成】
 その運営を律する世界連邦憲章のもとに、世界連邦議員の選挙が行われる。それは、初期の代表民主制ではなく「専門民主制」と呼ばれる方法となる。それは数だけによる意思決定が、高度に専門化した社会に対し最良の知とはならず、民主政治の機能麻痺をもたらしかねないという反省から、数と知を調和させるシステムとして工夫された。

 選挙人も、候補者も、あらかじめ各自が選んでおいた専門あるいは得意で関心のある分野、例えば社会、労働、経済、教育、文化、科学、観光・レジャー、環境、司法、安全保障などに分かれての投票で選ばれる。議員は、三分の一交代制で、党利党略でやたらに変わることを防ぐ。しかし,多数決原理は変わらない。

【専門議会と総合議会】
 議会は、その専門議会のほか,各専門議員毎に互選された代表議員が集まる総合議会ができ、二院制に似た制度となる。総合議会は、二つ以上の専門にまたがる問題を審議する他、専門議会で成立した法案の承認権を持つ。また、総合議会の議決法案の成立には、その内容に関係あるいくつかの専門議会の承認が必要とされよう。

【大統領の選出と権眼】
 世界大統領の選挙は、最終的に人類有権者の過半数の支持を受けるため、二度の予備投票のうえで決戦投票に持ち込む制度を工夫する。大統領には、行政府の長として議会で成立した法による施策の執行を進めるほか、議会の議決への拒否権を持つことによって、数と知の調和がはかられるようにする。

【経験による世界市民意識の成長】
 EC(ヨーロッパ共同体)の諸活勤の経験が、EC地域の人々の心を確固とした「平和のとりで」に育て、EU(欧州連合)を成立させたように、人類は、これらの選拳を経験することによって、人類における世界市民意識を大きく育てる契機になるであろう。

【そのための教育】
 しかし、その選挙にたどりつくまでには教育が必要と思われる。

5.基本手順は国連の改善・改革による

 モントルー宣言のあと、コード・メイヤー(米のWFM組織代表)が、『平和か、無政府状態か』(1947.10)を著わした。それにはモントルー宣言を実現する方法についての重要な提言を含んでいた。一言で言えば、国連強化による世界連邦設立推進であった。

@国連の安全保障理事会を拡充し世界政府にする。
A国連総会を改善して世界議会にする。
B国連裁判所を新設する。
C国連警察軍を創設する。
がその提案の要旨であった。

 北海道WFMネットワークでは現時点において、実現への見通しを次のように考える。

第一段階:日本に世界連邦創造成立の先頭に立つ国是を
 世界の国家・文化は多様である。足元から始めよう。
国連は、世界の声をまとめる総会をもっている。その総会には、国を代表する首相や外相などの演説の場がある。日本の首相や外相が、その総会で世界共同体の必要を説き、賛同を得るための第一歩は、首相や外相にその使命を与えることである。そのために日本が世界連邦創造成立の先頭に立つという国会決議をする。それができるような世論を形成し、その使命をもった国会議員によって国会決議を実現するのが第一段階である。
それは日本国憲法前文の理想を空文に終わらせない現実的な努力の一歩である。

第二段階:日米EU3極による基本合意の醸成と国連総会決議
国連総会で、
@世界連邦憲章の起草機関を作ること
Aそれを採択するための暫定世界議会を構成すること
B世界連邦のための世界共通教育委員会を作ること
を決議する。

 そこに至るまでには、世界の経済力の過半をもつ日米EU3極による世界連邦形成基本合意を醸成する日本外交が必要である。

第三段階:暫定世界議会の構成
 国連総会決議に基づく暫定世界議会議員の選拳実施。暫定世界議会の構成。

第四段階:世界連邦憲章の採択と施行
 暫定世界議会において世界連邦憲章を採択、施行。

第五段階:世界政府と世界議会と世界司法機関の構成
 世界連邦憲章に基づく世界連邦政府と世界議会と世界司法機関を構成し、そこに国連の機能を漸次移行する。その過程で、各国軍備の全廃と世界の軍備を管理する世界警察軍の構成や世界共通教育の実施を漸次推進し達成する。

6.世界の共同体の体系

(1)愛法一体と補完性の原則
 湯川秀樹は、昭和36(1961)年に世界連邦世界協会の会長となり、昭和38年に第11回の世界連邦世界大会を主宰した。その大会基調講演で湯川秀樹は、「世界連邦思想の根元は、国境や人種や特定の宗教や主義を超えた人類全体に普遍的な意識としての人類愛にある」と述べている。その人類愛は、家族愛、郷民愛、国民愛と矛盾するものではなく、ともにあるもの、ともになければならないものである。

 教育は、その愛を育み育てることを任務とする。もしその愛が衝突、矛盾する事態が生ずれば、それを民主的な法によって解決する。理解のために極端な例をあげよう。家族ABCは、愛により相助け支えあって生活している。もしもBとCが病み、Aの働きで養うにはこと欠く状況に立ち至ったとしよう。Aはいろいろな策と努力で、その不足を補うのは愛にねざす働きである。しかし、万策尽きて、Aは他の家のものを盗むことで不足を補うとしたらどうであろうか。盗むことは家族を養う意味では愛であるが、盗まないことは、ひとつ上位の共同体(市町村)の安寧を保つ意味で愛である。家族愛と郷民愛が矛盾衝突している。この矛盾を、盗みを罪として、これを行わせず(介入@)、郷民の平穏を護りつつ、家族ABCに必要な最小限の扶助は市町村の財政でこれを行う(介入A)などは、法による行政措置で可能となる。このように、下位の共同体と上位の共同体の関係は愛法一体の原則で成り立っている。

 この関係は、上位の共同体が下位の共同体に介入することを必然としているから、その限度を定める原則が必要である。それが「補完性の原則」と呼ばれるものである。それは「上位共同体は、下位共同体(個人も含む)が自ら目的を達成できるときには、介入してはならない」「上位共同体は、下位共同体が自ら目的を達成できないときには、介入しなければならない」というものである。この原理が、今回の通貨統合に至るEU(欧州連合)の成功を導いていると言われている。

 今、混沌の状態にあるとも見られる世界の秩序の状況を整頓し、新秩序を導き出す原理も、ここにあるのではないだろうか。

(2)世界の共同体体系その全体像
 エメリー・リーブスの理論のBは、国民主権の分割という思想であった。これを極限まで突き詰めると、世界の「共同体体系」を考えざるをえない。それは補完性の原則でいう共同体の上位と下位の関係の体系となる。

 日本では今、地方分権がいわれている。それは、この体系の中の調整とみられよう。その調整にかかわって市町村の適正な合併の工夫も語られている。同様に、世界連邦ができて世界の治安の不安が除かれた後には、現状では非常にバランスを欠く国家の調整も可能になるであろう。

 その共同体の全体像を個人をも含めて描いてみよう。全ての下位共同体がすっぽり上位共同体に含まれていることは、誰もが実感していることなので説明を要しないであろう。

世界連邦(地球の全体を共有する人類全体の共同体。世界共同体)

大陸的連邦(大陸的な広い陸地・海洋を共有する、その地域の人々の共同体。経済や国境のボーダレス化に伴う広域の共同体で、進行段階はまちまち。例EU、APEC、NAFTA)

国家(連邦国家を含む。歴史的、文化的、民族的な共通制に規定される国土を共有する国民の共同体。個人及び地方自治体を基本単位とする。)

都道府県・州(地域的、社会的、経済的関連活動の地域を共有。個人、世帯、市町村を基本単位とする。地方自治体A)

協働体(目的共同体。一定の地域を保有し、自的を同じくし、経済・文化を協同で営む。例、フッタライト、キブツ、ヤマギシ会。※共同体体系の安定的な進展でどうなっていくか?)
市町村(身近な自然的社会的生活空間の共有、郷里的なつながり。個人及び世帯を基本単位とする。地方自治体B)

家庭(住空間の共有、家族。個人及び世帯が基本単位。経済的健康的生活の共同協働)

個人(共同体に一貫する基本単位。人格によって補完性の原則につながる。)

・「人格」とは情操(知性と白己抑制を基調とする)に裏付けされる人間であることの基本資質である。

・大陸的連邦ができること、それが有用であることは疑えないが、その成立は世界連邦の成立より先でなくてもよい。大陸的連邦の成立や進展は、他レベルの共同体の調整と同様に世界連邦による治安の安定により進めやすくなると期待される。

・補完性の原則は共同体の垣根を大事にする。

7.文明の転換

 ガンジーやアインシュタインの訴えは、それから半世紀を経た今、「抑制」が人間の本質として自覚され、新しい文明を創造すべきだとの響きに聞こえる状況となった。資源に限りある地球は、人類の人口増大や人間文化による消費拡大には耐えられない。また、限りある環境の維持(循環活動による復元力)は、人類の環境汚染に耐えられない。

 人口の一定化ないし漸減化、生産・消費量の一定化ないし漸減化、環境汚染物質排出の停止ないし縮小は、今や人類の至上課題となった。

 その課題対処に力を持つ世界共同体がどうしても求められる。その世界共同体の仕組みが世界連邦である。私は文明転換を成功させる鍵の一つは、世界連邦にあると期待する。

8.NGOが国際政治と多国籍企業とともに世界を動かす

 個人の儲けとか国益を超える非政府組織、ボランティアの組織としてのNGOが増え続けている。ノーベル賞に輝いた「国境なき医師団」や「地雷禁止条約を導いたグループ」などをはじめ、この世界連邦運動(WFM)もその一つである。日本においても阪神・淡路大震災のおりには、若者を中心に延べ約150万人のボランティアが自然発生的に活躍し、98年12月からはNPO法(特定非営利活動促進法)が施行された。1999年5月にはWFMの働きかけにより、第3回ハーグ平和アピール(HAP)会議がもたれた。約百カ国から9千名を超すNGO関係市民や政府・国連の代表が集まり、「21世紀への平和と正義のための課題」を採択した。日本からも約四百人が参加。そのアピールの「公正な国際秩序のための十原則」の第1項には「日本国憲法の世界化」も盛り込まれた。

(1)各国議会は日本国憲法第九条のような政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである,

(2)すべての国家は、国際司法裁判所の義務的管轄権を無条件に認めるべきである。

(3)各国政府は、国際刑事裁判所規定を批准し、対人地雷禁止条約を実施すべきである。

(4)すべての国家は「新しい外交」をとり入れるべきである。「新しい外交」とは政府、国際組織、市民社会のパートナーシップである。

(5)世界は人道的な危機の傍観者でいることはできない。しかし、武力に訴える前に、あらゆる外交的な手段が尽くされるべきであり、かりに武力に訴えるにしても国連の権威のもとでなされるべきである。

(6)核兵器廃絶柔約の締結をめざす交渉が直ちに関始されるべきである。

(7)小火器の取引は厳しく制限されるべきである。

(8)経済的権利は、市民的権利と同じように重視されるべきである。

(9)平和教育は世界のあらゆる学校で必修科目であるべきである。

(10)「戦争防止地球行動」の計画が平和な世界秩序の基盤になるべきである。

 今や、世界も日本も、行政と企業と市民ボランティアの三本柱で動いていくという時代になった。

 以上のように、世界連邦創造を具体化する機は熟した。日本国憲法の平和の理想を現実にする道は世界連邦実現のほかには考えられない。

 平和都市2000年宣言は、全道の平和を願う人々の心に希望と勇気を与えるばかりでなく、全国の平和宣言都市にも21世紀の平和構築への新たな覚醒と希望をもたらすに違いない。それは、日本の国会を動かし、世界の全面恒久平和の先導者となるべき日本の国会決議にもはずみをつけることになるであろう。
(1999年12月25日発表)

注1「平和への情操教育」、荻野忠則著『心育て』pp.195-211
注2北海道WFMネットワークの「しおり1」のpp.13-15「世界益優先の国家目標と教育を」「世界共通教育の創造」
注3カントの平和論については梶浦善次「平和論の系譜――カントを中心とする素描」(『梶浦善次論集』1992年、北海道教育社刊行第一篇第二章)。

補足1:カントの永久平和論に先行したサン・ピエールとルソーの考え

 従来の歴史は、戦争の歴史と言うことができる。戦争は夫や兄弟の死、家庭の幸福の破壊、略奪であり、人間生活の破壊を意味した。したがって武力による戦争がなく、また、それを導くような精神的対立のない状態を求めることは、人類の普遍の願いであった。

 梶浦善次の考察(注3)によれば、カントは、その傾倒したルソーを通してサン・ピエールの平和の構想を知ったという。その構想は、条約や勢力均衡のシステムによって永遠平和を達成しようとする努力は無効だとし、「ヨーロッパ諸国の永久連盟」を組織すべきだと説いたのである。その肝要な点には、国家間の対立を判定する永遠的国際法廷の創設、その決定を実施するための連盟が使用すべき国連軍の創設が含まれていた。その計画の実行の過程で、諸国民の理解と協力が生じ、計画の進行を早めるとしていた。

 ルソーは、この構想の大きな価値を認め、『サン・ピエール僧正の永久平和草案抜粋』としてまとめ、それを検討し、批判した。その批判のひとつは、現状維持を原則としていることに対するもので、現状には暴力、詐欺、簒奪、あるいは権利の侵害などによったものもあり、征服の犠牲であるような場合は、復讐もまた国民の義務ですらあるので、従来の条約で認められた国境を保障するのは意味がないとするものであった。他の批判は、美しく建設的でかつ健全な理論のようであるが、人問性の現実に反し、実際的でないとするものであった。サン・ピエ一ルは君主や政治家に希望を託して実現するというが、君主の目的は、絶えず国境を拡大すること、領土内で絶対的な権力をもつことの二つであり、政治家は、主人に奉仕するために絶えず戦争を求めているというのである。

 それでルソーの理想は、大衆の安寧を個人の利害の上におくことを原理とするデモクラシーのみが、強者、つまり人民の苦痛から利益を得る人の意志に反対できるから、永遠平和を実現できるというのであった。したがってルソーは、ヨーロッパの王権が崩壌するまで平和は期待できないと考えた。

 しかし、それでも、国家と国家の相並んでの存在は戦争状態を作りうる。それを絶滅する条件は国家間の連盟の成立である,各々の国をその連盟の一般意思に服従させうるために人権主権の民主的政治の必要性も説いた。

 サン・ピエールの考えの根底にあったものは、人間としての王者も人民も「慈悲」につながるとの思いであり、ルソーのそれは、権力者と人民はあくまでも対立し、不信は拭えないとの思いであった。

補足2:理想と現実はひと続きの路線である

 第一回年次大会の開会式の代表挨拶において、誤解されないために、特にふれておきたいことの第二として、「日本国憲法についての護憲派とか改憲派という対立のどちらにも偏らないということであります。世界連邦ができたときの理想国家像の一面は、まさにこの第九条に示されております。しかし、世界連邦ができるまでは、国家は自力で、あるいは同盟国と共同で国民を護るための現実的な対応が必要であります。その双方は決して矛盾ではなく、理想と現実はひと続きの路線である」と述べた。「やわらぎ」の心で憲法調査の論議が進むように願っている。