教育基本法改正の諸課題
―宗教教育を中心として―

弁護士 秋山 昭八

 

1.改正問題浮上の背景

 まず、今日教育基本法の改正問題が浮上するようになった背景を考えてみたい。
実は中曽根内閣のときに、臨時教育審議会が設置され(1984年8月21日、会長:岡本道雄)、そのときも教育基本法の改正問題が取り上げられた。私は、「政治上の課題に困ったら教育問題だ」とよく言うのだが、中曽根総理がそのような動機だったかどうかはわからない。しかし結果としては、そのときは何も進捗しなかった。

 その後、「酒鬼薔薇」少年の事件(1997年)をはじめとして、17歳少年を中心とする凶悪事件が連鎖的に起きて、青少年問題が世の中の大きな関心事となった(2000年)。そこで少年法を改正して対策を講じることになった。現在、若年少年の凶悪事件が多発するという、戦後4番目の少年非行のピークを迎えている。

 戦後の少年非行の推移を概観してみると、まず終戦直後は、食うに困って物を盗むという窃盗事件が中心であった(第1のピーク、1951年)。その後、第2のピーク(1964年)、第3のピーク(1983年)があり、現在、第4のピークを迎えた(1998年以降)。今回のピークは、低年齢、凶悪化という特徴をもち、戦後の他の3つのピークとは様相を異にしている。

 こうした青少年をめぐる諸問題の原因を考えたときに、大きくは戦後の教育基本法体制が戦前の教育勅語体制を葬ったところから出発しており、そのことによって子どもの教育が誤ってしまったのではないかとの反省をするに至った。さらに家庭教育や社会教育がなおざりになっており、社会教育としてもっと奉仕活動もさせなければいけないのではないかということが言われるようになった。

 2000年(平成12年)暮、小渕内閣最後の時に、教育改革国民会議が17の提言を行った。その一番最初が、家庭教育、そして最後が教育基本法改正問題であった。そこから具体的な改正問題に火がついたといえる。私はここ一両年は、子どもたちの教育だけではなく、大人たちの社会自体の問題だという認識をもっている。政官界、財界などあらゆるところで不正問題が次々と摘発されているのを見るにつけそう実感せざるを得ない。

 昭和20年に6歳(小学校入学)の人が、現在63歳。そのような人たちが今の日本社会の中枢を占めている。彼らは戦後の教育基本法体制のもとで教育を受け、道徳・伝統教育がなおざりになった人たちである。それ故、このような目に余るモラルハザードが起きたと言える。

 そこで今後緊急な政策課題として、教育基本法から見直していかないと、日本は本当に「沈没」してしまうのではないかという憂慮である。2002年2月の「エコノミスト」誌をみると、だんだん日本の陽が沈んでいくと分析し、今辛い政策を行わずに、だらだらと沈んでいくままに、政治家たちは身を任せていると厳しく指摘した。またIMF事務局長や世界銀行総裁は、今の不良債権を基準としてこのままでは日本は今後世界のお荷物になると指摘している。今後立ち直るためには、本腰を入れて教育問題から立て直さないと、日本はこのまま本当に沈んでしまいかねない。

 90年代は「失われた十年」と言われ、さらにバブル崩壊から既に15年も経つのに、一向に先がよく見えてこない。本当にこのままでよいのか。これは戦後の教育改革、教育基本法体制のあり方に問題があったのではないかと考えざるをえない。

2.教育改革の歴史

(1)明治期から戦後まで
 明治5年の学制改革(施行)で日本は、「家に学無かりしものをなくし、村に学無かりし家をなくす」との方針の下、6歳になったら一律に学校に入るようにした(第1の教育改革)。その施策が成功し、世界の経済大国まで至った。しかし、第2の教育改革であった戦後の教育体制は、米国の占領政策に基づくものであったが、それは成功したとは言えない。そこには戦争の反省に立って、占領軍には日本国民を骨抜きにしようという狙いがあったと思う。実際、戦後の教育改革では、修身教育の廃止、宗教教育をなくすなどをして、「骨抜き」になった。

 戦前の教育勅語の中に盛られた大半の道徳律や伝統尊重などの精神それ自体は、重要な内容であり、今日にも通用するものである。明治5年の学制施行の時、脱亜入欧という西欧志向の動きがあり、全国を巡行しておられた明治天皇がそのことを憂慮し、日本の伝統をきちっと建てる必要があると考えて、明治23年に儒学者元田永孚に教育勅語を作らせたという経緯がある。ところが、この教育勅語が軍国主義の元凶であったとして、戦後全否定されてしまった。すなわち教育勅語体制を葬るために、教育勅語に盛られている価値までもが葬り去られてしまったのであった。ここに第2の教育改革失敗の原因があった。

 森戸辰男(注1)は、昭和42年ごろ既に「第3の教育改革」の必要性を訴えていた。そのころといえば、「期待される人間像」を中教審が発表した時期であった(1966年10月、第7期中教審第20回答申)。昭和35年に、池田内閣ができ、戦後の経済成長をすすめながらも、荒木万寿夫・文部大臣を据えて人づくりを推進しようとした。しかし思ったようには進まなかった。「期待される人間像」もさまざまな抵抗勢力にあって定着できなかった。

(2)家永教科書裁判の意味するもの
 そのような中、昭和40年から家永教科書裁判が始まった。そのとき私は文部省側の弁護人を務めたが、この裁判は、根本的には教育基本法の根幹にかかわる問題を扱っており、言葉を換えればこれは「教科書裁判」ではなく、「教育の裁判」であったといえる。つまり、教育基本法十条(教育行政)の解釈をめぐって、国が教育の内容を決定することが出来るのかということが、この裁判の争点となっていた。長い裁判の中でも特に、第二次教科書訴訟第一審(東京地裁)の杉本判決が有名だ(1970年)。杉本良吉裁判官は同法十条を盾にとって、「検定の審査が教科書の思想内容の審査、学術的研究の成果としての学説の審査、史観、歴史的事象の評価などに及ぶときは違法」となり、「一定の限度を越えて権力が介入することは不当な支配」だと判示した。

 日教組は、「教育は直接的に国民に対して負うべきものであり、それを担う主体は国ではなく、教育者、教師である。それゆえに国は教育に関与してはならない。」といい、これが同法十条1項の意味であるとした。次に、同法十条2項「必要な諸条件の確立」について、この「諸条件」とは、外的条件、すなわち、学校設立、教室の用件、教師の配置など外的な条件のみを教育行政は担うのであって、内的条件に関しては一切関与すべきではないという主張であった。こうした内容を背後から支援したのが、教育法学会であった。それに対して、京都の相良椎一が中心となって「教育行政学会」を起こし(1975年)、対抗してきた。

 そして教科書裁判では、双方から一級の証人が立ち、家永側の一番バッターは南原繁、国側の一番バッターが森戸辰男であった。私はその主尋問を行った。森戸は、戦後の教育改革がいかにまちがってなされたかについて発言した。戦後、教育勅語体制はなくなったとはいえ、そこに盛られていた伝統、道徳の価値までも葬ったわけではなく、今もその価値は生きており、これからも尊重すべきであると証言した。

 その上で杉本裁判官は、「国は教育内容に関与してはいけない。教科書検定に口出ししてはいけない」と結論したのであった。

 一方、損害賠償の裁判では、国側がずっと勝訴してきて、最高裁判所では、国が教育内容に関与できることは当然のことだとしたものの、最高裁の論旨は必ずしもすっきりはしなかった。最高裁は、「大綱的基準」とした表現を使い、「民主国家である以上、議会制政治に基づいて行政が営まれている限りにおいて、行政が教育に関与することは当然のことだ。しかし、一から十まで、こと細かく国が教育内容を決めると言うことはいきすぎである。できるだけ大綱的基準の中で、国は関与すべきだ」と示したのである。

 それでは「大綱的基準」とは何か。現在の学習指導要領を見れば、一から十までこと細かく書いてあり、それは大綱的基準とは言えないのではないかと、日教組は主張する。しかし最高裁は、現在の学習指導要領そのものも含めて、大綱的基準だと言った。それは国の教育行政として当然だと言う。そのような最高裁判決が確定した。

3.教育基本法の課題

(1)教育基本法の位置
 法律の中には、農業基本法などさまざまな「基本法」と名のつく法律があるが、日教組は「その中で教育基本法は、憲法に次ぐ準憲法的法律だ」とし、教育関係法規の中で他の法律より一段上と位置付けている。その上で彼らは、「教育権独立の原則、国家行政権は教育内容には口出しできない」などといった独善的解釈に基づいて、教育基本法を準憲法に仕立て上げたのである。その結果、その他の教育関係法はみな教育基本法の下におかれ、それに従わなければならないとした。しかし、教育基本法とはいっても、これも一つの法律であって、法形式上は他の教育関係法と同格のものであり、上下関係にあるわけではない。

(2)政教分離
 教育基本法九条1項は、宗教尊重の立場をうたっているが、憲法二十条の「信仰の自由」にならい同法九条2項では、「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」と定め、これに基づき国公立学校では事実上、宗教教育が行われてこなかった。

 しかし、特定の宗教教義と結合することなく、一般に宗教の理解や情操を養うことを国家が教育の基本方針と定めることは、信教の自由の実質的な地盤を培養することであって、望ましいことでさえある。

 現代の先進諸国家は宗教に関して分離主義か協力主義のいずれかを採り、わが国では明治以来(明治32年文部省訓令)、教育と宗教の関係については分離主義が採られてきた。しかし一方では、神社神道は宗教ではないとの解釈が採られ、事実上、神社神道の内容が学校教育の中に浸透する状態であった。終戦によって神社神道は国教的性格を失い、連合国総司令部は神道を国家から分離すること、神道の教義から軍国主義的および極端な国家主義的思想を除去するとともに、学校から神道を除去すべきことを指令した。

 憲法二十条は、宗教について「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定し、憲法八九条の公金及び公の財産の宗教団体への支出・利用の禁止の規定とあいまって、政教分離の原則を貫いている。

 しかし教育基本法(九条)を見る限り、(厳格な)分離主義を是正していることがわかる。ところが、例えば吉田昇(1916-1979、教育学者、お茶ノ水女子大学教授)は、それを「本当の分離主義を鮮明にした」ととらえた。彼は同法九条2項の「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他の宗教的活動をしてはならない」点に力点をおいて考えた。1項の方をまともに読まず、政教分離のみを強調したのである。吉田昇の説を紹介しよう。戦前は、神社神道は宗教ではないとして政策に組み込んだことが、政教分離の抜け道になってしまった。宗教教育をやるにしても、戦前の前轍があるからよほど注意してやらなければいけないとして、却って宗教教育に反対の立場を取ってきた。ここに彼の問題があったと思う。

 もちろん同法九条1項を読んでも、非常にわかりずらい内容である。「宗教の社会生活における地位」とあるが、それに対して田中耕太郎(注2)は「非常に文言が悪い。地位を使命と読み替えたらどうか」とも提言している(資料参照)。

(3)宗教的情操性の必要性
 2001年11月に文部科学大臣から中央教育審議会に諮問されていた教育基本法の見直しについて、02年7月16日、同審議会は答申を出した。その中で、宗教教育について積極的導入を避ける見通しを示したが、これははなはだ遺憾である。

 教育基本法九条については、宗教の教育的価値について消極的立場に立つ考え方があるが、しかし一般的には、宗教に教育的価値を認める考え方に立つと解されている。例えば、田中耕太郎は次のように言っている。憲法の精神及び教育基本法の規定からして禁止されている宗教教育は宗派的なものに限られ、非宗派的なものは禁止されておらず、教育基本法九条1項は教育上宗教を尊重すべきことを定めているが、被教育者がもし宗教の何たるかを知らないとするならば、宗教に関する寛容の態度や宗教の社会生活における地位も理解しないことになるゆえ、宗教に関する事項を教育内容のなかに加えるべきことは当然といわなければならないと説いた。それ故、同九条は、宗教教育が重んぜられるべきことを前提としていると見るべきである。

 このように教育基本法は、宗教の教育的価値を前提とするもので、学校教育では宗教的情操教育が重視されなければならない。ここでは、「宗教的情操教育」ということばがポイントとなっている。宗教教育というと「宗派教育」などと惑わされやすいために「宗教的情操教育」という言葉を使っている。すなわち、憲法、教育基本法は、政教分離原則によって成り立っているので、宗派教育に陥らないようにと「宗教的情操教育」という言葉を使用した。

 宗教的情操教育の必要性については、1945年に出た「新日本建設ノ基本方針」は、「国民ノ宗教的情操ヲ涵養シ」と言い、翌年の第90帝国議会は、「宗教的情操教育に関する決議」において、「宗教的情操の陶冶を尊重せしめ、以て道義の昂揚と文化の向上を期さなければならない」と決議している。

 また昭和22年の教育基本法の制定会議で、政府委員は「学校教育におきます宗教的情操の涵養の点につきましては、これは十分重視してまいるつもり」と述べている。また教育刷新委員会は、昭和23年7月に「学校教育と宗教の関係」の建議を行って、「すべての教科学科を通じて、一般的な宗教的情操の涵養に留意すること」と強調している。昭和38年7月には教育課程審議会が、「学校教育における道徳的教育の充実方策」として「今後宗教的あるいは芸術的な方面からの情操教育を一層徹底するよう」答申している。にもかかわらずその後、学校では政教分離ということが障害となって、実際上宗教的情操教育はほとんど行われていない実情にある。

4.最後に

 中教審が2002年2月に、「新しい時代における教養教育のあり方について」と題する答申をまとめた際も、「東西冷戦の崩壊後、他者や異文化やその背景にある宗教を理解することの重要性が一層高まる」と指摘しているように、宗教的情操教育により国民の道徳生活の向上、個人の人格の完成、家庭の価値重視、民主主義社会の建設、平和主義社会の建設を目指さなければならない。(文中の人物はすべて敬称略、2002年9月26日発表)


注1)森戸辰男(もりと・たつお)
 1888-1984、広島県生まれ。東京帝国大学卒(経済学科)。東京帝大助教授時代に「森戸事件」が起こり、休職処分を受ける。戦後、社会党結成に参加し、46年から衆議院議員に3選。片山、芦田内閣時に文相を務めた。50年〜63年広島大学長、その後、中央教育審議会会長、日本育英会会長、国語審議会会長などを歴任。

注2)田中耕太郎(たなか・こうたろう)
 1890-1974、鹿児島県生まれ。東大教授、文相、参議院議員、最高裁長官、国際司法裁判所判事を歴任。法哲学者、商法学者。カトリックの自然法思想の影響の下に人類社会に共通の法を探究し、主に商法を内容とする「世界法の理論」を展開。長官時代、戦後の司法政策に基本方針を与えた。(三省堂『大辞林』第2版より一部引用)

■参考資料1

秋山昭八、「宗教的情操教育の必要性確認を」、世界日報、Viewpoint、2002.8.20
秋山昭八、「自己決定権という名の欺瞞」、世界日報、Viewpoint、2002.9.24
「新しい理念の下、教育基本法の総括」、読売新聞社説、2002.9.25

■参考資料2

教育基本法
 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

(教育の目的)
第1条 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(教育の方針)
第2条 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

(教育の機会均等)
第3条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
A国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって就学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

(義務教育)
第4条 国民は、その保護する子女に、9年の普通教育を受けさせる義務を負う。
A国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。

(男女共学)
第5条 男女は、互いに敬重し、協力しあわなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない。

(学校教育)
第6条 法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
A法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。

(社会教育)
第7条 家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。
A国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によって教育の目的の実現に努めなければならない。

(政治教育)
第8条 良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。
A法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

(宗教教育)
第9条 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
A国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

(教育行政)
第10条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
A教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

(補則)
第11条 この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。

■参考資料3

[田中耕太郎、『教育基本法の理論』(有斐閣)より抜粋]
 宗教は道徳教育に基礎を与え、それを一層効果的ならしめる。宗教は人類の道徳的および文化的発達に偉大深甚な影響を及ぼしたものであり、従って教育の内容材料としても重大な意義を有する。この意味において国家は教育上宗教に対して積極的価値を認めなければならない。

 世界には多数の宗教が対立しており、国内の宗教事情もまた決して単純ではない。従って国家が現実に宗教教育を行うとすればいずれの宗教に従うべきかが問題となる。いずれかの宗教を選ぶとするならば、国家はそれに特権を附与し、特別の優遇を与えることになり、国家の宗教政策の根本に抵触する。従って国家または地方公共団体による宗教教育に関しては、憲法に規定する国家の宗教政策を適用して判断しなければならない。

 宗教教育に関しては大別次の三主義が存在する。(上記書576頁)
1)協力主義 これは国民が無信仰者や各種の宗教宗派を網羅する現代国家においては採用し得られない。

2)分離主義 これは教会が国立諸学校の教育に干渉することを禁止し、学校の学科課程から如何なる宗教教育も排除するものである。フランスとソヴィエト連邦の国立学校においては、宗教教育に代わって道徳および公民教育が行われた。ソヴィエト連邦においては、国家と宗教との分離が一層徹底し、フランスの中立主義ではなく、敵対主義の政策がとられている。宗教を阿片とする共産主義思想の当然の帰結である。

 アメリカにおいては、フランスの中立主義が一層緩和されている。宗教を教育の目的の一つに数えてこれを奨励しているものもあるし、宗教を奨励はするがそれを特定することなく、すべての異なる種類の信条や信仰を包容するものもある。
宗教は広義に解せられ、宗派的教育を禁止することにおいて一致している。

3)協力主義 大戦前のドイツおよびイギリスの制度。 
 イギリスにおいては、1921年の教育法。宗教教育はもしこれを行うとするならば非宗派的なものにかぎられる。
 わが国においては、明治以来宗教と教育の分離の主義が採用されていた。明治32年8月3日文部省訓令第12号。

 この方針が国粋主義的傾向からの外来宗教に対する反感。わが国の教育は外来宗教に好意的ではなく、従って教育を宗教から絶縁するとともに、制度上宗教とせられていなかった神社神道を教育と結合することを奨励した。

 満州事変が勃発し、社会が急激に国家主義的方向にはしり、とくにマルクス主義、唯物史観等を克服する必要が感じられた。
 「宗教的情操の涵養」の指令を発した(「宗教的情操ノ涵養ニ関スル件、昭和10年11月28日文部次官通牒」)。
 この指令は形成上、宗教教育を奨励している如くみえるが、宗教的情操自体が神社神道的のものと想像し得られないことはない。
 終戦後間もなく、明治32年文部省訓令第12号が課程外の宗教教育をも禁止した政策を是正した(昭和20年10月12日閣議決定)。
 昭和20年12月15日の「国家神道神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督及び弘布の廃止に関する覚書」
 昭和21年8月15日帝国議会衆議院本会議は各派共同提案の「宗教的情操教育に関する決議」の案圧倒的多数を以って可決し、その際に文部大臣(田中耕太郎)は「過去の民族的、個人的利己主義を克服して、道義頽廃から国家を救うには教育の中に宗教的要素を浸透せしめる以外に途がない」といって賛成の決議を明白に表示した。

 憲法20条第3項。
 教育基本法第9条第2項。
被教育者の信仰の自由。宗教宗派間の平等取扱の原則。
 私立学校によってなされる教育に適用がない。
憲法の宗教教育の禁止の真の意義はどこに存するのであろうか。宗教を国家社会に有害なものと認め、宗教を敵視する態度から教育と宗教との分離をはかったのであろうか。宗教に教育的文化的価値を認めながら、上にのべた諸宗教宗派平等取扱の宗教政策から分離の原則を採用したものであろうか。
 憲法の前文が宣明している民主主義や平和主義の原理およびさらにその基礎として認められるべき理想主義、倫理主義、ヒューマニズム、文化尊重の態度等からして判断。
 宗教一般に対し敵対的態度をとってはいない。少なくともそれは無神論的、唯物主義的世界観に立脚しているものとはいえない。平等取扱の保障以上に出てはいない。

 教育基本法第九条1項は憲法の宗教に対する態度を一歩すすめて、好意的中立主義が教育基本法によって明瞭にせられた。
宗教の社会生活における地位はこれを尊重しなければならない。
 ここに「地位」というのは措辞必ずしもよろしきを得ていない。むしろ使命とか意義とか価値とかいう意味の言葉を用いるのを適当とする。

 教育基本法第九条第2項は、宗派意識を去った宗教一般に関する教育はこれを否定するものではない。
 私立の学校はたとえ学校教育法の規定する学校であっても、特定の宗教教育を施し、その他宗教的活動をすることができる(教育職員免許法四条によれば、宗教に関する免許状も存在する)。

宗教教育自体は好ましくないどころか、教育上大いに奨励されるべき性質のものである。
 宗教に関する智識は歴史的に存在する具体的な諸宗教を離れてはこれを授けることができない。そこで非宗派的宗教教育が如何なる方法によって可能かという問題が起こってくるのである。
 非宗派的宗教教育として考え得られることは、神仏基回等多数の宗教から共通なものすなわち最大公約数的要素を抽出してそれを教授することである。しかしこのような最大公約数は、無味乾燥な神学乃至宗教学の智識を授けることに堕してしまう。
 如何にして非宗派的宗教教育を実施するかは、結局学校当局や個々の教師の良識、見識によって判断するほかない。
 人類の歴史上に現われた重要な諸宗教の主な特色やそれらが演じた歴史的文化的役割に関しある程度の智識を与えることは有益のみならず必要である。
 キリスト教の出現、ローマ帝国のキリスト教化、東方教会の分離、中世における教会の政治的・文化的影響、ルネッサンス文化、ラテン・アメリカの征服、宗教改革、英国国教の分離、三十年戦争等を考えれば、キリスト教に関する智識は絶対に必要である。東洋史に関しては、とくに仏教、道教、国史に関しては神仏および基の諸宗教に関する智識が要求される。
 諸宗教の関する単なる歴史的文化的智識を授けるだけでは、被教育者に宗教の本質や意義を理解させたことにはならない。我々は宗教が人間の改造や社会の進歩について有する偉大内内的の力と使命とを理解させなければならない。宗教というものに対する畏敬の念を起こさせ、求道の要求を感じさせる。
 宗教的な偉人の伝記を教材に使用するのは、およそ考え得られる最も適切有効な方法である。有徳な模範的人物の生涯、教えのために殉じた人々の物語程印象深いものはない。すぐれた芸術家や科学者であって敬虔な信仰をもっていた者が、如何にその信仰と芸術や科学を偉大ならしめたというような例は、若い世代の心に深い感銘を与えずにはおかないのである。
 国立および公立の学校における、許された範囲内の宗教教育は、歴史、倫理、法、政治等の事項の教授に際して行われることになる。正課外として宗教に関する講話を聞く機会をつくることはむしろ奨励されるべきである。

アメリカでは連邦最高裁判所の注目すべき次のような判例が存在する。

(1)1940年にイリノイ州シャンペーン郡学校委員会は、宗教教育は一週約45分で、それを引き受けるのは、カトリック、ユダヤおよびプロテスタントの一部をふくむ「宗教教育評議会」であった。授業は正課の次官に、校舎の中で行われた。出席は強制的であり、出席簿をとって報告した。両親が宗教教育を要求しなかった子供達は、正規の教室から退去させられた。マンダマス(職務執行令状)を請願した。無信仰者として仲間からあざけられた。

 イリノイ州巡回裁判所はこの請願を却下し、州最高裁判所によって是認された。連邦最高裁判所は、この企画が修正第1条の「宗教設定」条項と修正第14条の「法の正当手続」条項に違反するという理由から州裁判所の判決を破棄した。 
 「本件の場合においては、州の税金で賄われた公立学校の建物が、宗教の教理の弘布のために用いられたばかりではない。州は義務的公立学校機構を利用して宗教の授業を生徒にうけさせる便宜をはかることによって、宗派的諸団体のために非常に大きな援助を与えた。これを教会は国家との分離とはいえない。」
 この判決はアメリカの教育界に大きな波瀾を巻きおこした。しかし最高裁判所がこの判決によって倫理や宗教の性質または価値を教えることを禁止していないことについては、大多数の教育者は疑問をいだかなかった。

(2)1952年の聖書の講読で、毎日授業の開始にあたって旧約聖書から5節だけ朗読することを要求した。
 法律が修正第1条に違反することを主張した。州裁判所が一審二審ともに、聖書朗読が違憲でないと判断したので、事件は連邦裁判所に上告された。上告は六対三で棄却された。
 子供の権利の問題が高等学校の卒業によってなくなったことの理由でこの問題についての紛争はもはや存在しないというにある。
 しかしその後ニュージャージー州では公立学校への聖書の頒布の問題で訴訟がおこった。州最高裁判所もその措置を維持した。

(3)1952年のニューヨーク市の法律と学校委員会が、宗教教育を学校時間内ではあるが、校舎内で、休み時間のプログラムとして実施したことが、修正第1条に違反するかどうかという問題で、ニューヨーク州控訴裁判所(最高裁判所)は違憲でないとした。この事件は連邦最高裁番者に上告され、六対三で州の判決が支持された。
 宗教の授業についての強制の行使ということはぜんぜん存在しない。
 このタイプの「休み時間のプログラム」によってニューヨーク州が、修正第1条の意味での宗教の設定を意図する法律をつくったと見ることはできない。