米国の家族を巡る新しい潮流

アメリカン・バリュー研究所長 デビッド・ブランケンホーン

 

1.ポスト核家族時代の特徴

 一部の社会学者たちは、世界は「ポスト核家族」時代なるものに移行しつつあると主張してきた。特に米国がこの「ポスト核家族」への流れを主導してきたと言われている。そして、この流れには4つの特徴がある。

 まず第1に、「核家族」の「核」である父親と母親の絆の崩壊が広範囲に進行してきたということである。米国の離婚率は世界でも最高水準にあり、米国の子供たちの31%が未婚の親の下に生まれ、米国における第1子の40%が未婚の母の下に生まれている。これは米国によって導かれる西欧諸国全体において、核家族の「核」そのものが崩壊しつつあることを意味している。

 第2に、家族そのものが小さくなりつつあるという点である。米国における結婚家庭の出生率は1950年代後半には約3.7であった。この数字は、平均的な家庭に4人の子供がいたことを意味するが、現在ではこの数値が1.6にまで減少している。

 第3の特徴は、家庭がその基本的機能を果たせなくなってきているということである。とりわけ、子供の社会化と、次世代への文化・伝統の継承という家庭(家族)の機能が、機能不全に陥っていることが指摘できる。その結果、かつては家庭が果たしていた機能を、次第に社会の他の機構が果たすようになってきた。とりわけ米国では、メディアが子供たちを育てていると言っても過言ではない。そして子供たちは自己のアイデンティティーを家庭の中ではなく、街角の同世代の友達との間で形成するようになっている。すなわち、人格の形成と文化の伝承という家庭の機能が脆弱化しているのである。

 第4の特徴は、社会全体の中で家庭そのものの価値が低下しているということである。とりわけ米国では、いわゆる自己実現を追求する個人主義の台頭によって、家庭の価値が相対的に低下している。

 90年代に学者たちは、このような傾向は西欧、とりわけ米国によって世界化されるだろうと論じていた。そして彼らは、結婚した男女が父親と母親となって子供を育てるという伝統的な核家族のシステムは、もはや人々が憧れる主流の形態ではなくなり、さらには実際に子供たちが育てられる主流の形態でもなくなると主張して、「ポスト核家族システム」の時代が訪れると説いたのであった。

 そして恐らく1990年代初頭の米国は、人類史上初めてその主張が真実となった姿であったと思う。すなわち、米国の18歳の子供たちを、@結婚している同一の両親の下で18年間過ごしたグループと、A結婚している同一の両親の下で18年間過ごさなかったグループの2つに分ければ、90年代は両者がほぼ同数になった時期であった。これは人類歴史上恐らく初めてのことではないかと思う。これが、私が伝えたい最初のポイント、すなわちポスト核家族時代への流れである。

2.家庭再建の時代

(1)1995年以降の大きな変化
 私が伝えたい2つ目のポイントは、米国においてこの傾向が5年ほど前にストップするという「面白い現象」が起こったということである。結婚している実の両親と暮らしている子供の割合は、米国では減少傾向が続いていたのだが、1995年をボトム(折り返し点)として再び増加し始めたのであった。現在では、米国の子供たちの約64%が結婚している実の両親と一緒に暮らしている。そして両親と一緒に暮らしている子供の割合は、現在72%に達している。この数値は1996年に最低値を示し、その後は上昇傾向を示している。

 さらに米国の低所得者層の中では、結婚している両親と一緒に暮らしている子供の割合は、非常にはっきりとした上昇傾向を示している。また黒人家庭においても、結婚している両親と一緒に暮らしている子供の割合は、1995年以来4%上昇している。その数値はまだ非常に低いものではあるが、この30年間で初めてプラス傾向を示した。

 したがって、米国における1965年から1995年までの時代は、確かに「家庭崩壊の時代」であると振り返ることができるであろう。しかし1995年以降は、「家庭再建の時代」になるのではないかと思われる。なぜならさまざまな統計的数値がこれを示唆しているからなのである。

(2)変化の社会的背景
 次に、そのような変化が一体なぜ起こったのかということについて分析してみよう。
この理由として、米国の好景気をあげる人がいる。しかし、これは理由にはならない。なぜなら、過去30年間に好景気の時期は幾度もあったにもかかわらず、その間継続して家庭崩壊は進んできたからである。したがってこの変化の原因を経済的なものに求める合理的な理由はない。

 米国においては近年、州レベルで婚姻法と福祉法の改正の動きが始まりまった。とりわけ、1990年代半ばに行われた福祉法の改正は非常に重要と思われる。これまでの福祉法は家庭の崩壊を助長するようなものであったが、それが是正されたのである。両親と一緒に暮らしている子供の割合が増加しているのは、この法律の影響であると多くの学者が指摘している。

 しかし、私が指摘したいことは、さらに一歩進んで、なぜこの法律の改正が行われたのかということなのである。なぜ私たちは過去数十年間にわたってこのような法律を変えず、90年代の半ばになって初めて改正を行ったのであろうか?この法律の変化は、米国人の価値観の変化、文化の変化を反映しているのではないか?すなわち、人々が家庭崩壊の問題の深刻性を認識し始めたということなのである。こうした認識が議論の段階から、具体的な法改正へと進んで行ったと見ることができる。そして、それが現在の人口統計学的な変化へとつながってきているのである。

 私自身、これまで「結婚運動」(marriage movement)というものを展開してきたが、こうした市民による社会運動もそうした変化に貢献していると言えるであろう。

3.変化を生み出した米国社会

 私が最後に伝えたいことは、米国において家庭崩壊の進行がストップし、方向転換したことは、何を示唆しているのかということである。それは、「ポスト核家族」への流れが不可避的なものではないということである。私たちの社会において最大の問題は、「この流れは不可避的なもので、これに対しては何も抵抗することはできない」と主張する人々の存在である。彼らは、「これはまさに現代社会の一部であって、われわれが豊かになり、われわれが自由になり、われわれが自分のしたいことが何でもできるようになれば、家族は崩壊するのである。この流れは現代人の生活の特徴そのものなので、これに抵抗しても無駄である」と主張する。

 しかしこれは真実ではない。この立場を取る人々は、「この流れは不可避的なものなのだから心配するな」と主張してきた。しかし、その流れは不可避的なものではないのである。私たち自由人は学ぶことができ、変化をもたらすことができ、実際に社会を変化させているのである。

 前述した米国の最近の家庭を巡る社会状況は、劇的な変化というほどのものとは言えないが、30年間継続した悪い状況がストップし、好転し始めたことは確かなことである。そして福祉法の改正や州による結婚の奨励など、具体的な社会的変化が生じていることからみても、一部の学者たちの主張する「ポスト核家族」への世界的な流れなるものは、不可避的なものではないことは明らかである。家庭の弱体化によって悲惨な苦しみを味わった子供たちの経験が、こうした動きを生み出したといえよう。

 「ポスト核家族」への流れを逆転させることは、ただ単に必要なのでもなく、ただ単に可能なのでもない。それは既に起こっている事実なのである。
(2001年10月19日〜21日に米国・ニューヨークで開催されたIIFWPアセンブリ2001国際会議において発表された講演をまとめたものである)