大学活性化のための経営戦略
―インセンティブを高める大学改革―

静岡県立大学長 廣部雅昭

 

1.はじめに

 日本の大学は、現在大きな転換期にある。例えば、来年度からすべての国立大学は独立法人化され、自立的経営、個性的な研究や教育を推進すべき方向性が打ち出されている。これは単に国立大学に限った問題ではなく、これまでとかく無風状態の中にあった大学に競争原理を導入し、存立をかけた自助努力を促すことで、大学の質的転換と大学人の意識改革を図る国家的施策の一環であるといえる。

 戦後約半世紀を経て、わが国には民主主義と平等主義が浸透し、それが国民の平均的教育水準を高め、勤勉な社会を形成し、戦後の大きな経済繁栄を支えてきたといえる。しかしそれが今日、逆に画一的で個性に乏しい人材を育成する結果となり、熾烈な国際競争時代に、たくましく勝ち抜いていく力強さが、国全体としても、個人としても失われているように感じられる。このような教育環境の変化の中で、上述のような課題を克服すべく、現在国がさまざまな教育改革、大学改革に取り組んでいると理解することができる。このような状況の中で、私は公立大学の学長としての立場から、大学の研究・教育の活性化のためにどのような考え、理念をもって取り組んでいるか、その一端を紹介しながら、これからの大学改革を展望してみたい。

2.創造的研究・教育に向けた取り組み

(1)大学における競争原理の必要性
 少子化がこのまま進むと大学も数年後には全入時代を迎え、それに伴って学力の低い多くの学生が大学に入学してくると心配されている。その原因の一つとして、1980年代後半、学生が急増する時期に合わせ、大学の入学定員を“臨時”に増やし、教職員や建物・施設も同時に増やしたことがある。そのピークが過ぎ、少子化に向かう時代なれば、受験生の減少に合わせ入学定員を削減し、適度の競争原理を維持しつつ、少人数による“恵まれた”環境下での教育が可能になる…という発想が何故生まれないのか不思議である。現実は歯止めなく大学数を増やし、大学の生存競争に拍車をかけている。大学が大衆化し、競争原理が働かなくなれば、全てが安易に流れ、全体としての質の低下を招くことは必定である。それを前提とした上で、大学あるいは学生の質をいかに高め、社会の要請に応えていくかが今後の最大の課題となっている。現実問題として、大学の大衆化傾向を改め、かつてのように一部のエリート学生のみが大学に進学するという状態をつくることは困難だろう。しかし時代の状況に合わせて大学の量的な問題も、大学改革の一つの課題として取り上げることは必要ではないか。

 強調したいことは、競争原理に基づく選抜機能が働く中で皆が努力するという社会のあり方の重要性である。これは何も大学に限ったことではなく、初等・中等教育でも同様であって、人生においてひたむきに努力する過程が人格形成にも重要なのである。よく「受験地獄」とマイナス面のみが強調されるが、人生のある時期、特に記憶力の確かな若い時代に集中して勉強することは大切なことであり、教育の場における競争は避けるべきであるという発想は必ずしも正しいとは言えない。

 1998年大学審議会は「21世紀の大学像と今後の改革方策」について答申を行ったが、その中で、「競争的環境の中で個性が輝く大学作り」ということが謳われている。競争する動機があってこそ、大学も存立をかけて努力する。その上で自然に学生が集まってくるようにしなければならない。様々な手段を弄して学生をかき集めるようでは長続きはしない。
 「あの大学に是非行きたい」と思わせるには、大学の個性化が重要である。その評価は大学ではなく社会がするものであるから、そうした社会の期待と評価に応えられるような、学生に魅力を感じさせるような大学づくりが求められるのである。容易に入学できる大学が学生にとって真に魅力ある大学とはいえない。

(2)「ナンバー1」か「オンリー1」か
 競争には、大きく二種類あると思う。一つは「ナンバー1」を目指す方向であり、もう一つは「オンリー1」を目指す方向である。例えば、国立や私立の大きな大学は同じ分野の多数の中でナンバー1を競うという方向性がある。それらは人材や設備も豊かであり、総合力でナンバー1を競うことが出来るからである。しかし規模の小さな地方大学などは、むしろ地域性を発揮した個性豊かな「オンリー1」を狙うことが賢明である。なぜならアイディアや戦略次第で「オンリー1」になれる可能性は常にあるからだ。創出した独自の分野において、オンリー1として社会が評価する画期的な研究成果などをあげれば、後発の研究者も追随するようになるだろうが、その段階になればプライオリティを確保した上で今度はナンバー1を競えばよい。研究者は水準の高度化を図り、常に頂点を維持しようと努力する。新分野創出時点では「オンリー1」は同時に「ナンバー1」でもある。このような戦略は、特に地方の小規模大学が個性を輝かせるために重要だと考えている。その具体的方策の一つとして、私は「地域に根ざした研究」を目指すべきであると考えている。そのような研究は、他地域の研究者のターゲットにはなりにくいことがある。また大学が擁する部局の特殊性を最大限活用することにも目を向けるべきである。

 その一つの実例として、文部科学省が推進する「21世紀COEプログラム」に昨年度本学から「健康長寿・薬食同源」をキーワードに、二つの大学院研究科の研究を融合した拠点形成計画を申請し、採択されたことが上げられる。これは薬学部と食品栄養科学部を一つの大学の中に持ち、それぞれ大学院博士課程までを有するのは、我が国では本学だけであり、それを活かしたユニークな計画として、さらに静岡県に集積する全国有数の製薬産業と食品産業との連携が可能な、いわば「地域に根ざした研究」として評価されたものと思う。また本学のような中規模大学では部局間の“壁”が薄くかつ低いために融合型研究が行いやすい利点もある。しかしオンリー1の研究も低レベルで留まっていては評価されない。文科省の「21世紀COEプログラム」が期待する世界最高水準の研究を目指すことによって、特色のある高水準の研究を創出しなければならない。

(3)部局を超えた学際的研究の推進
 大学の個性化を目指すためには、社会が何を求めているかを捉えつつ、大学の持つ知的資産を戦略的に融合するという視点が重要である。換言すれば、専門分野が異なる部局がただ混在する「混合型総合大学」ではなく、社会のニーズに応えるために部局の壁を超えて大学のシーズを融合する「融合型総合大学」を目指すことである。そのためには、他部局(学部・大学院)で行っている教育・研究を相互に認識することが先ず必要である。専門が違う他分野の教育・研究には関心を払わないのが通例であるが、本学では部局間の教育交流を奨励し、部局間の単位互換制度や、教官の相互乗り入れなども行っている。研究面でも4年前から、全部局の研究成果を学外者も含めた全学公開で行う「静岡県立大学学術フォーラム」(略称:USフォーラム)を立ち上げた。当面「学長特別研究費」の受領者と、「21世紀COEプログラム」の研究推進者の範囲で行っているが、約3日間を要する大型学会・シンポジウムの様相を呈し盛況である。各部局長を含む全評議員が評価を行うが、同一専門家による質的評価と併せ、専門外の人達にもその研究の趣旨が理解できるように発表する努力も評価の対象となる。それは研究者の教育スキルの向上にも繋がると考えるからである。評価結果は次年度の研究費配分にも反映させることで研究者の緊張感を高めることにもなっている。学長特別研究費の配分は学長の専権事項であり、部局横断型のオンリー1を目指す個性的な研究などを奨励しているが、大学ならではの重要な基礎研究にも十分配慮している。従来研究費については事後評価に甘さがあったが、今後は事前評価に加えて、中間評価、事後評価も厳格に行われる時代になる。それに向けての研究者の意識改革を行っているつもりである。また本フォーラムは一般公開の形をとっており、大学の「知的資産の発信」として学外からの評価は高く、産学連携の動機づけにもなっている。当然知的所有権の確保には十分配慮している。

(4)自助努力を促す予算配分方式
 今後大学の法人化がなされた場合、教員研究費を含めた経常費は、設置者から「交付金」という形で支給され、自律的な運用が可能となる利点はある。しかし目標設定と達成度の評価が前提になるので潤沢で安定的な資金交付が保証されるとは限らない。研究者は自助努力による資金の形成や外部資金の積極的な導入を従来以上に図るなど大学経営の意識・感覚が必要になってくることは必定である。

 与えられた予算の範囲で、つつましく研究を行う従来の発想では、これからの競争時代に生き残ることは難しい。限られた原資などをどう有効に配分し活用できるかが、これからの時代においては重要な課題である。平成12年度より国立大学の教員研究費配分方式が変わり、それをうけて本学も研究予算の約半分が学長裁量扱いとなったので、評価に基づく重点配分方式を採用した。まず外部資金の導入実績を評価する仕組みをつくった。それまでは、外部資金を多く獲得した研究者よりは、そうでない者に対しより配慮した予算配分を行ってきたが、これではインセンティブに欠ける。そこで獲得努力が反映するような配分方法として「外部資金導入奨励加算方式」というものを考えた。

 まず各研究者には科学研究費その他の外部資金獲得のための申請を積極的にしてもらう。そして部局ごとに、採択件数(実績)に申請率(努力)を乗じた数値を出し、その数値に応じて「学長裁量経費」の一定枠を部局ごとに配分する。それぞれの部局では教員に対し貢献度に基づく再配分などを考えてもらう。そのようにすれば部局間での競争原理が働き部局からの応募件数が各段に増える。たとえ自分の応募したものが採択されなかったとしても、応募することで部局に貢献することができ、結果的に自身への予算も増えることになる。特に地方の小さな大学の場合は、科学研究費を申請しても採択されないと最初から諦めてしまう傾向があったが、まずは申請書を書いて応募することに意義があると強調している。申請書を書くためには必ず自分の研究をどうアピールしようかと考える。またこれまでの研究実績を自ら省みる機会にもなり、研究の進め方が見えてくる副次的効果もある。部局によっては研究よりは教育に重点を置くところもあり、研究一辺倒の評価にも問題があるので、そのために各学部の教育改善計画を提出させ、その改善実績を評価して学長裁量経費の一定部分を学部ごとに配分することも行っている。いずれにしてもこのように競争原理を導入することで研究・教育の活性化を図っている。

3.大学運営システムの改革

(1)迅速な運営の意思決定機関としての「大学経営会議」の設置
 これまで大学の自治といった場合は「教授会自治」を意味していた。しかもその教授会というのは、各学部の教授会であった。それに対しては学長といえども介入することはできない。大学運営の基本構造は、教授会、学長、評議会の三者によって構成され、最高意思決定機関は評議会となっている。しかし評議会は形式化しており、実質的には学部教授会が中心で、大学全体の問題を協議する場は部局から選出された委員によって構成される各種委員会のみであった。部局長会議(学部長等の集まり)はあったが、学則に定められた意思決定権はなく、評議会も月に一度では、意思決定・実施において機動性に欠ける難点があった。大学審議会の提言でも学長のリーダーシップ強化を謳っているが、本学では平成12年度より学長を中心として、大学全体の問題を審議(協議)・決定・実施に移す「大学経営会議」を設置した。構成員は、学長、学部長、大学院研究科長、事務局長、図書館長、学生部長、学長補佐からなっている。学則の改定などの評議会審議事項については従来通り評議会に上程するが、実際に大学の運営に係る事項は大学経営会議で決定し、評議会に報告するという形に学則を改定した。これらは法人化後に想定される大学運営の方向性を先取りしたものであるが、当時大学に「経営」という言葉はなじまないと猛反対されたものが、現在では抵抗なく受け入れられているのも大学法人化が現実の問題になって来て教員の意識が変わって来たことを示しているといえよう。

 法人化については、良い面と心配な部分とが混在している。良い面だけを見れば、反対する理由はないが、心配な部分もあるのでその点については注意深く見守って行く必要がある。公立大学の法人化については、地方独立行政法人法の特例事項として位置づけられており、法的には国立大学と同時に実施することは可能である。しかし公立大学の場合、設置者(都道府県)と大学との協議によって、時期、形態等さまざまな選択肢が存在する。国立大学法人の推移が不明確な現時点で徒に浮き足立つことは賢明なことではなく、法人化も視野に入れながらこれからの公立大学のあり方を模索しつつ自律的な変革と意識改革を先行させておくことがまず重要であると考えている。

(2)基礎研究重視の施策
 大学が独立法人化された場合、基礎研究部門には研究費が配分されず衰退してしまうのではないかと憂慮する声がある。しかし予算(交付金)は大学に一括して配分されるようになるので、大学の裁量で分野別に予算の重点配分を行うことができる。従って大学の経営者が、基礎研究重視の考え方・哲学を持ってさえいれば、十分配慮される筈である。また法人化によって「学問・研究の自由が脅かされる」などの反対意見もあるが、必ずしも当を得た議論になっていない。反対する人の中に、「学問・研究の自由」を「何もしない自由」の隠れ蓑にしている人が少なくないからである。私はどのような時代が来ようとも、大学から「学問・研究の自由」や「基礎研究」が失われたら、存在意義そのものが問われると考えている。むしろ真に正しい評価によって「何もしない自由」や「行う意義が自身説明できないような研究」を排除することで、本当の意味の「学問・研究の自由」や「基礎研究の重要性」を主張でき、第三者の理解を得ることが可能であると考えている。また忘れてはならない分野として伝承的学問がある。すなわち、もはや完成し、新しい発展が期待できない分野の「知的資産」も後代に伝えていくべき責務が大学にはある。とくに教育の面での後継者を養成することが必要である。そのような基礎的な蓄積の上に先端的な学問の発展があることを認識すべきである。そういう「日の当たらない学問領域」の研究者が次第に減少するために衰退してしまう危惧がある。法人化によってこのような部分に目が届かなくなった場合には、大学(学問)の危機であるとさえ思っている。

(3)地域連携の推進
 産学連携等によって社会に大学の知的資産を発信・還元することは、今後も当然重視して進めていく必要がある。この点について言えば、これまで社会の側にも大学の側にも不十分な面があった。例えば、社会には大学の中にあるシーズに対して積極的に求める姿勢が欠けていたことがあるし、大学の方にも社会に向け情報発信や連携を行う姿勢が乏しかったといえる。大学と地域の連携、高大連携などが叫ばれる時代になった現在でも、大学には地域のニーズが十分伝わってこない。大学にいると社会が何を求めているのかがよくわからないことが多い。社会の方からすれば大学の敷居が高いと言うし、一方の大学の方は、社会に向けて門戸を開放しているつもりなのになかなか入ってきてくれないと言う。これからはそうした点を克服して、双方向的な関係・交流を活発化させていく必要がある。

 今後は社会との連携を深めながら大学運営を図ることが不可欠であるとの認識から、そのための大学の組織改革を行った。その一つが、本年4月から地域連携を所掌する専任の副学長を学外から登用したことである。本学の元参与であり、県出納長、県教育長、生涯学習振興財団理事長等を歴任し、教育行政、県行政に精通した人物である。この副学長を通して地域の要請やニーズが大学行政に反映するような仕組みを作ったのである。大学が独立法人化された場合、その運営に学外者が参画することになろうが、いわばそのテストケースといえる。 

4.教養教育改革への取り組み

(1)教養教育崩壊の原因
 大学における教養教育は現在危機に瀕しているといえる。しかしこれは今に始まった問題ではない。私は東大教養学部の教育を享受した者の一人として、その間の教育は良かったという思いが強い。私は自然科学系に進学したが、教養学部時代には専門以外の学問分野の一端(法学、倫理学、社会学、心理学等々)に触れることができ、学識が深まったという実感がある。また教養学部の2年間は寮生活も体験し、様々な分野の人達との交流を通じその後の人脈形成に大いに役立った。東大教養学部には戦前の旧制高校の気風が残っていた。しかしその後の変遷過程でそのような雰囲気も徐々に失われて行った。全国的にも教養教育を担当する教員に対する差別的待遇など高邁な理念とは別の次元で教員のインセンティブが失われ、大学設置基準の大綱化を境に、その意図とは裏腹に、ほぼすべての大学の教養部は改組され、教養教育は衰退へと向かった。その原因は、理念自体に問題があったというより、それを生かしきれなかった大学運営に問題があったように思う。旧制高校の教員も然りと思われるが、教育に意義を感じ専念している教員は、必ずしも研究業績の面で優れているとは限らない。教育評価の難しさはあるが、大学ではこれまで研究業績に対する評価に重点がおかれたために、とくに教育に専念している教養教育担当教員が一段と低く見られ、実際にも研究費に恵まれないなど待遇面で不利に扱われ、不満が鬱積していたところがある。一方で時代の進展とともに専門教育が拡大し、教養教育削減から流れは軽視の方向へと進み今日に至ったといえる。近年教養教育の重要性が再認識され再構築の動きが出てきたが、確たるコンセプトのもとに永続性のあるものにしなければ同じ轍を踏むことになりかねない。最近の教養教育は、多くがオムニバス的、カルチャーセンター的で、果たして学生に深みのある真の教養を身につけさせ得るか疑問である。

(2)地域連携による教養教育
 本学では「大綱化」以来「全学共通科目」という形で教養教育を実施して来たが、出来れば旧スタイルに近づけたいと考え、本年4月よりカリキュラムを変更した。しかし教養科解体により教養専任教員がいなくなり完全に元に戻すことは不可能である。少なくとも教養教育が衰退するのを防ぎたいと考えている。新カリキュラムのポイントは以下のとおりである。@すべての学部教育を効果あらしめるために、全学的観点より共通補完の工夫を凝らす。A高度の専門職業人が備えるべきヒューマンウェアを修得させる。B現実感覚を研ぎすます方向で、専門分野のトピックスをやさしく解説する。具体的には、語学教育の充実、コミュニケーション、表現法、思考法、情報処理技術などからなる第一部門、歴史学・法学・政治学・哲学・数学・物理学・化学など、人文・社会・自然科学などの体系的学問の概論ならびに専門導入教育を行う第二部門が中心となっている。 

 ひとたび解体してしまった教養部制度を再構築することは至難なことである。そこで同じ思いの地域の各大学が教育の面での連携を強化し、効果的な教養教育を“協働”で実施することを提案している。十全の教養教育を実施し得る相応しい教員団をすべて一大学で雇用することは今や現実的ではない。地域の各大学に属する人材を相互に有効活用するための人材バンクを構築し、それぞれの大学の理念に基づく教養教育を実施するために相互に派遣するシステムである。人材バンクには退官した教員、様々な分野で活躍する社会人なども登録可能とする。静岡県には第一線を退いた有名な文化人も多数在住するので、それは大きな知的財産といえる。現在人材の発掘とリスト作成のための準備を進めているところである。

 かつて東大紛争直後、大学改革の一環として教養教育のあり方が問題になったことがあった。そのとき私は次のような提案をした。「停年前5年間、全ての学部の教授は教養学部所属となり教養教育に従事する。一方教養学部の若手教員は専門学部で研究に専念できるようにする。功なり名遂げた有名教授が教壇に立ち、大学に入学したばかりの新入生に全人格的教育を行う。しかもそのような先生は、学問の全体像が分かっているので概論教育に適任であり、教養学部から専門学部に進学する際の指南役としても有効である。学生は学問の真髄に触れ、学問に対する情熱を掻き立てられるに違いない。親子ほどの年齢差は人格的影響を与える可能性も大きい。ある意味では旧制高校の感覚とも言える。またその場合定年を5年延長し、60〜65歳まで教養学部でフレッシュマンを相手に教育を行う一方で、自らの教授生活の総括の時期にあてる。」というものである。しかしこの提案は、当時理解を得るに至らず日の目を見ることはなかった。私自身としては、今でも良いアイディアだと思っている。

 地域内大学間連携は今後様々な面で必要になって来るだろう。しかしそれぞれの大学が弱点を補い合うことでメリットを感じる場合初めて真の連携が成り立つといえる。

 「競争的環境の中で、個性が輝く大学づくり」を目指すとすれば、連携と競合の巧みなバランスが必要になる。個性が埋没するような連携ならばどの大学も望まないであろう。その意味で、人材バンクを活用した大学独自の個性ある教養教育の構築は、最も可能性の高い分野であると考える。

5.おわりに:今後の展望 

 17年前、県立三大学を統合し、新学部を加え誕生した静岡県立大学そのものの歴史は浅いが、現在5学部1研究所、5大学院研究科、1短大部から成る総合大学である。「個性」を建学理念に掲げた本学は常に新しさを求めて、新しい時代のニーズを先取りする形で、個性豊かな「オンリー1」の大学を目指して展開を図って来たといえるが、さらに現在目指している方向は、従来の異分野混合型の総合大学から社会のニーズに応えるために、各部局に蓄積された知的資産を戦略的に融合し得る機能的な「異分野融合型総合大学」への転換である。研究・教育の面でも新領域、新分野の創出が可能になり、さらに新しい個性が加わることになると考えるからである。その第一の取り組みの成果が、前記した昨年度文部科学省に採択された21世紀COEプログラム「先導的健康長寿学術研究推進拠点」構想である。大学の独立法人化の過程では、大学も大学院もこれからは教育重点型か研究重点型かという選択をせざるを得なくなるかも知れない。しかし公立大学の場合は、地域貢献という最大の存立基盤を抱えており、とくに科学技術系部局では産学連携を通して地域産業の活性化に資することが期待されており、産業界からも信頼される高度な研究を遂行する必要がある。従って教育を通じて優れた人材の育成を図る重要性は当然としても教育型大学に特化することは不可能である。

 文科系の分野では、本学の国際関係学部、経営情報学部は、創立当初全国でも唯一のものであった。その後、全国に同種の学部が設立されて来たので、これからはオンリー1からナンバー1を目指す段階に入ってきたといえる。今後さらに新分野創出も含めて、新たなオンリー1開発の努力が必要である。本年大学院国際関係学研究科付設の「現代韓国朝鮮研究センター」が発足したのはその具体化の一つである。ナンバー1を目指す方向を縦軸とし、オンリー1を目指す方向を横軸とする座標面のどの位置に大学の今後の目標を設定するかを定め、達成のための持続的な努力を果たして行きたいと考えている。
   (2003年8月21日)