平和構築における宗教の役割

世界宗教会議共同議長 マーカス・ブレイブルック

 

1.国際政治における宗教の重要性

 2000年8月、約1000名の宗教指導者が国連の総会議場に集った。この会議の象徴的な意味は大きかったが、実質的な内容は失望させられるものだった。しかし国際的に最高の政治的権威を持つ国連が、ようやく今日人類が直面する主要な問題の解決に対して、宗教的・精神的伝統が何らかの貢献をすることができると認識し始めたことは大きな一歩であった。

 国連が創設される以前にも、英国・チチェスター(Chichester)のベル主教が1943年、貴族院において、国連と共に活動するためにすべての主要宗教の代表で構成する顧問委員会を国連に設置すべきだと提案した。これについて世界宗教会議(The World Congress of Faiths)はいくらかの支持を取りつけたが、ロンドンで第一回国連総会が開かれる(1946年1月)までに、共産主義勢力の鉄のカーテンがあらゆる宗教的要素を排斥し、世界を二つのブロックに分裂させてしまった。

 その後、共産主義が崩壊して初めて、新たな可能性が開かれるようになったのである。勿論、NGOやその他のレベルで宗教団体がこれまでも国連に対し一定の影響力を行使してきたことは確かである。しかしさまざまな提案がなされているにも関わらず、未だに国連における精神的顧問会議(Spiritual Advisory Council)や世界宗教協議会(World Religions Council)などは存在しない。

 しかしながら1945年当時、宗教が政治権力と対話する準備ができていたかどうかも疑わしい。英国のカンタベリー大主教ウィリアム・テンプル(注1)のリーダーシップのもと、政治的・経済的問題に関して顕著なキリスト教思想が存在していたことは間違いない。しかし彼の関心は分裂した諸教会が協力して何かを検討することにあった。超教派運動はこの時期まだ幼児期にあったのである。私は1993年の世界宗教議会(Parliament of World Religions)が転換点であったと見ている。その時点まで、超教派運動は無知と偏見を取り除き、神学的排他主義に挑戦することに集中せざるを得なかった。

 しかしバルカン半島における紛争に照らして生ずる疑問は、平和とより良い世界のために諸宗教が協力してできることは何かということである。地球倫理(Global Ethics)はすべての宗教が基本的な道徳的教えに関して潜在的に合意できることを強調している。それに続いて、世界宗教議会はいわゆる国際機関の加盟国・団体に対し、それぞれの活動における道徳的・精神的な特性を認識させようと働きかけた。残念ながら、オクスフォードの国際超教派センターの努力にも関わらず、超教派諸組織の活動は未だに断片的で、その影響力は限られている。

 しかしこの超教派運動が世界の諸問題に関心を持ち始めたちょうどその頃、時を同じくして数多くの政治家、経済学者たちが、例えば、宗教的根本主義の興隆とともに、国の政策に宗教的側面が欠如していることを認識しつつ、信仰者たちの声に耳を傾け始めたのである。スイス・「ダボス会議」(世界経済会議第33回年次総会、03年1月)では宗教指導者たちが招待された。「世界社会フォーラム」(ブラジル、03年1月)も同様であり、「トランスペアレンシー・インターナショナル」(Transparency International)(注2)も宗教に関するパネルを設けた。ビジネス倫理やグローバル化の道徳的側面に関する議論も高まりつつある。

 しかしここで、私はますます自問するようになった。信仰はこうした議論にどのような特徴的な貢献をなし得るのか。前述の国連サミットにおいて、多くの宗教指導者は国連が何をすべきかを説いていた。しかし、コフィー・アナン国連事務総長の関心が――「われら人民」の文書に即して言えば――国連の活動に対して宗教者たち(信仰者のコミュニティー)から政治指導者以上の多大な支持を得ること、そして彼らの協力を得ることにあるのは明らかであった。唯一の超大国が国連にも、あるいは苦労してまとめられた国際的な合意にもほとんど注意を払わないことを考えれば、これは特に重要な点である。コフィー・アナン氏の指摘する課題はまったく正当なものである。

 しかし宗教者は他の政治家によって特定の目的のために利用されないよう、用心深くなければならない。例えば、世界宗教者・開発機関対話機構(World Faiths Development Dialogue)(注3)は、世界銀行と諸宗教の代表を集めて開催された。しかし世界銀行は本当に自らの開発モデルに疑問を抱いているのか、あるいは単にイメージを向上させるために宗教を利用しているだけなのか?

2.紛争の予防・処理に向けた宗教の役割

 それでは宗教者たちが公の議論に対して際立った貢献をする余地はあるのか?この点を説明するためにグローバル化と平和構築のあり方について触れてみたい。

 グローバル化に関して、私は最近の論文(注4)の中で、ユダヤ教とイスラム教が通常富が誠実に生み出され公平に共有される限り、富の生産は善であると見ていることを指摘した。キリスト教もある程度同じ見解を持っている。しかしキリスト教は仏教、ヒンズー教と同様、富自体を疑問視しその過剰な成長を環境的にも精神的にも危険であるとする禁欲主義的な伝統を持つ。

 宗教者は債務免除、より公平な貿易、富の公正な分配、環境の保護と市民社会の強化のための活動などの運動を支持すべきだが、その一方で、各個人にはそれぞれの業績や所有物とは完全に無関係に神が与えた尊厳性があるという考えを標榜することが、彼らのより大きな責任であると私は考える。この考えこそが新たな世界秩序を模索するインスピレーションとエネルギーを与えるのであり、信仰を持たない人々も含め多くの善なる志を持つ人々が支持する運動に対して、著しい貢献となるのである。

 平和構築について、私は宗教が紛争を予防しその傷を癒すことができると信じている。詩人W.H.オーデン(注5)は「私が持っているのは声だけ」と書いているが、信仰者は人種差別やゼノフォービア(外国人嫌い)などあらゆる形態の偏見と闘うために声を上げるべきである。彼らは人々を互いに分断している境界線を超えて関係を築くことができ、たとえ実際に会うことができなくても、我々は離れている人々のために祈ることもできる。また我々は暴力を引き起こす政治的・経済的不公正と闘うべきである。我々は武器生産の縮小と貧国へのより多くの資源移転を求めるべきである。ウェイン・ティーズデール(注6)が彼の美しい著書『ミスティック・ハート』の中で述べているように、「我々に智恵による預言や将来の展望、行動する勇気を与えてくれるのは、深く成熟した精神生活」(注7)である。

 紛争の後は人道支援に加え、新たな希望、そして許しと和解が最も必要とされる。どちらも信仰的伝統だけがそれらを提供する資源を持ち合わせている。冷戦期のある最も暗い時期にロンドンで超教派の会合が行われた。そこで明らかだったのは、神への信仰ゆえに我々が蔓延する絶望感には屈しておらず、平和な世界がなお実現可能であるという確固たる希望をもっていたことであった。

 許しと和解に関して言えば、近年最も際立ったのが南アフリカの例である。「真実と和解委員会」の議長を務めたデズモンド・ツツ大主教(Desmond Mpilo Tutu,1931- )は「ここ南アフリカにおいて、我々はいかに許しが人々をひとつにすることができるかを示す、生きた証しである」と述べた(注8)。これはネルソン・マンデラ(Nelson Mandela,1918- )によってその手本が示された。27年間の投獄生活から解放された後、彼は自分の使命は犠牲者と犠牲をしいた人々のためにあると宣言した。ツツは次のように続けている。「我々の奇跡は、ネルソン・マンデラの寛大さによって見事に示されたように、人々の許そうという意志がなければほぼ確実に起こりえなかったものである。」(注9)南アフリカにおける許しは、部分的にはこの国でキリスト教が盛んであったために可能であったのかもしれない。

 1999年に南アフリカへ行ったとき、私はある人々に会った。彼らはアパルトヘイト政権がケープタウンの中心にある活気ある複合民族のコミュニティー、「第6地区」をブルドーザーでならしたときに土地や家屋を失ってしまった人々である。私は2人の黒人女性に、圧制者たちについてどう感じているかと尋ねた。彼女たちは「私たちは彼らを許さなければなりません。イエスが許したのですから」と答えた。

 許しには数多くの側面があり、それらに関する研究も増えている(注10)。宗教によって重要な強調点の違いはあるものの、許しは本質的に宗教的な概念である。中東や北アイルランド、その他の地域で和解を目指す運動を始めるのは宗教者である場合が多い。

3.世俗人と精神指導者との協力

 宗教指導者や精神指導者が叡智を独占しているわけではなく、例えば、信仰を持つ経済学者、政治家、企業経営者、教育者、医師、ソーシャルワーカーなどが自身の信仰を特定の状況に応用することによって、効果的に世界を変化させている。世界を形成する力を持つ多くの人々が、ますます信仰者の声に耳を傾けるようになったのは良いことだ。

 しかし彼らの声は単に一日の格言の繰り返しであってはならない。彼らの声は預言的、創造的であり、日常の関心事を超越して結合力のある神秘的体験を指向するものでなければならない。そこにおいて我々はあらゆる理解を超えて平和の境地に入り、あらゆる人々、あらゆる生命と調和し一体となるのである。そのようになって我々は、苦しみながら、非暴力的に、この世界の不公正と闘っているあらゆる人々への同情心で満たされるようになる。

 我々は信仰によって刺激を受けた経済学者や政治家を必要としているが、精神的指導者が経済学者や政治家になる必要はない。彼らは神聖な感覚を再び目覚めさせることにエネルギーを集中すべきである。世界宗教会議の創設者フランシス・ヤングハズバンドが述べたように、「もし超宗派的な親睦がより幸福な世界秩序に貢献しようとするなら、その根源は、あらゆる精神的な美の中心的源に深く根ざしたものでなければならない」(注11)し、付け加えるなら、人々をその祝福の根源へと導くものでなければならない、と私は信じている。
(2003年7月10日〜13日、韓国・牙山市にて開催されたIIFWPアセンブリ2003国際会議において発表された論文である。)


1)William Temple(1881-1944)父親もカンタベリー大主教。オックスフォード大学卒。1921年マンチェスター主教となり、42年には第98代カンタベリー大主教に就任した。1918年には英国労働党にも加入し活発に活動した。20世紀初頭の英国における代表的超教派運動の指導者の一人と称される。

2)Transparency International(TI)
  1993年に設立された非政府組織(NGO)で、政府の説明責任を押し広げ、国内外の腐敗に歯止めをかけることを目的に、国際的に活動する団体。汚職・腐敗が開発・発展を阻害し、社会の誠実性を蝕み、さらには市場の仕組みをゆがめることにつながることから、その防止に努めているが、個々の問題に対処するのではなく、汚職・腐敗の防止のための社会システムの改革に向けて取り組んでいる。世界100カ国以上に支部を持つ。

3)World Faiths Development Dialogue(FWDD)
  1998年に、世界銀行総裁James D. Wolfensohn、Carey of Clifton卿、及びカンタベリー大主教によって設立された。さまざまな宗教間、およびそうした諸宗教と開発援助機関(世界銀行など)との間の対話を通して、貧困と開発の問題を調和的に解決しようとしている。

4)2003年4月、サンクトペテルブルグにおける会議‘An Interfaith Perspective on Globalisation'で発表。

5)Auden Wystan Hugh(1907-1973) 英国の詩人。1930年代「オーデン・グループ」を結成して左翼的文学運動の指導者になる。T.S.エリオット以後の英国の代表的詩人の一人と言われる。主な作品に、『死の舞踏』(仮面劇,1933)『皮の下の犬』(イシャウッドとの合作詩劇,1935)『別の折りに』(詩集,1940)『不安の時代』(詩,1948)等がある。

6)Wayne Teasdale キリスト教とヒンドゥー教の教えを融合すべくキリスト教徒の托鉢僧。諸宗教間の共通のベースを築くために働く活動家でもある。世界宗教議会理事、ドゥ・ポール大学客員教授等も務める。神学博士。神秘主義と宗教に関する著書・論文がある。著書に、A Monk in the World, The Mystic Heartなどがある。

7)Wayne Teasdale, The Mystic Heart, New World Library, Novato, California, 1999, p.164.

8)Desmond Tutu in Exploring Forgiveness, Ed. Robert D. Enright and Joanna North, University of Wisconsin Press, 1998,p.xiii.

9)同書

10)例えば、ウィスコンシン州マディソンのInternational Forgiveness Instituteによるもの。
11)A. PeacockのFellowship Through Religion, 
  WCF 1956,pp.12-13.で引用。

■参考資料

世界における宗教の連合組織形成の歴史
1893年  世界宗教議会開催。宗教統一の考えが提起された。
1920年  宗教自由国際会議(The International Congress of Religious Liberals)(現在では、IARFとして知られる)
1930年代 ノーマン・ベントウィッチ博士がその著書(The Religious Foundation of Internationalism)の中で宗教連盟の必要性を説いたが、その考えはライプニッツやルソーなども唱えていたと言った。
1930年代 世界宗教会議がフランシス・ヤングハズバンド卿によって設立された。同卿は、「宗教的基礎は新しい世界秩序において不可欠である」と述べた。
1943年  英国・チチェスター主教であるジョージ・ベル博士は、国際機関と世界宗教の代表者との間の連携をもたらすために、諸宗教間連絡会議の設立を提唱した。そこにおいて(将来創設される)国連に提出するために「三宗教宣言」(プロテスタント、カトリック、ユダヤ教)を提案したが、ほとんど無視された。
1950年代 ウ・タント国連事務総長時代の40年代から始まり、50年代においても、宗教連合のような組織に向けた提案が国連の場で何度かなされた。70年代〜90年代にかけては、ロバート・ミューラー牧師が主導した。
1950年代 世界宗教議会がニューヨークの長老派労働寺院において設立。国連とともに戦争をなくし、さらには戦争の原因から解決を図り、地球上のあらゆる民族の間の豊かな暮らしを拡大するための恒常的な団体として設立したものであった。
60年代〜90年代 先進国首脳サミットの開催と並行して、精神的サミット会議‘Temple of Understanding’を開催した。
61年〜96年 韓国の圓仏教の代表的僧侶たちが、世界の精神的問題解決のために指導的役割としての宗教統一の考えを提案した。
1970年代 「宗教と平和に関する世界会議」の創設者の一人であるシュリ・R.R.ディウェーカーが、世界のさまざまな宗教組織の連合の必要性を唱えた。
1970年代 S.ラドハクリシュナン教授(インド元首相)は、次のように述べた。「われわれはユネスコ、WHOやILOなどのさまざまな国際機関を通して平和の実現と人類の調和を熱望している。われわれは国連(国家の連合体)をもっているのに、どうして宗教の連合体をもつことができないのか?」
1986年  英国における世界宗教会議において、ジョン・テイラー博士が諸宗教間の連合組織の創設を提案したが、支持を得られなかった。
1991年  ムン・ソンミョン師の提唱により世界平和宗教連合(Inter-Religious Federation for World Peace)が創設された。
1993年  米国・シカゴにおける世界宗教議会において、世界宗教の連合組織の考えがシグムンド・スターンバーグ卿(クリスチャン・ユダヤ教徒国際協議会議長)によって提案された。
1996年  国際連合の組織に類似した形で、世界の諸宗教をまとめていく組織としての「世界宗教連合」の設立のための設立予備会議が、米国・サンフランシスコで開催された。
1997年  上記設立に向けたプロセスを述べた憲章を創案するための会議が、米国スタンフォード大学において開催。このプロセスは、98年および99年にも開催。
2003年  ムン・ソンミョン師の提唱により超宗教超国家平和協議会(Interreligious and International Peace Council)が米国において創設された。