ラテン・アメリカにおける人間開発と家庭強化政策

パナマ女性大学人連合会長  Dr. アナ・モーラ・デ・ウェークランド

 

1.はじめに:劣悪な都市と家庭問題

 今日,“都市のミレニアム”と呼ばれる新世紀の初頭において,多くの指標が危機的な状況を指し示している。人々の75%以上は都市部に住んでいる。このうち,皮肉にも,社会・経済を牽引する都市の内部において,かなり高い割合の人々が貧困の領域内に閉じ込められている。ガバナンス欠如の問題の深刻さを説明するため世界銀行のデータを引用すると,南米とカリブ諸国の1億1千万人,すなわち人口の23.5%が1日あたり1ドル以下で生活している。

 それならば私たちは家庭を強化する戦略を優先し,これらの家庭が居住する都市の持続可能かつ公平な開発を奨励すべきではないだろうか。私たちが直面している社会的現実をみれば,都市行政が貧弱な分析と断片的な提言に終始し,総合的な政策と家庭が必要とする内容が欠如していることがわかる。それ故,われわれにとっての根本的な重大関心事,すなわち民主主義,それも21世紀における新たなタイプの民主主義の形成に貢献すべき政策に関して,われわれは提言をし合意に至ることが要請されている。

 人権・民主的参加・正義・透明性が欠如し,平等な機会が奪われ経済成長の停滞がみられる都市部において,私たちはガバナンスを通しいかにして持続的な「人間開発」を実践することができるだろうか。住民の立ち退きや危険な物理的環境,不安定な所有権,無規制の賃貸借が存在する都市部において,良いガバナンス(good governance)について語るのは適切ではないと思われる。なぜなら,貧困の格差が存在し悪化し続ける限り,劣悪な都市行政と非効率な教育制度の中で生活する家庭に発展はあり得ないからである。

 民主的社会における家庭の主要な意義は愛を育むことの重要性だけではなく,とりわけコミュニケーションを通じて行われる,文化的基礎や帰属意識,概念や物事の豊富な言語表現方法の伝達にある。極めて因襲的で権威主義的な文化をもつ家庭は,子どもの感性を閉ざしてしまう。家庭がその一体性を保ち,また極度の貧困を廃して民主的な環境を創造するためには,家庭という単位が生き残らなければならない。もし科学技術という万能薬が家庭問題を解決してくれると信じようとすれば,21世紀において家庭がしっかりと維持されるために,家庭強化に向けた技術革新があまりにもお粗末であることを考えてほしい。しかし,われわれが家庭の役割を強化して,病気,読み書き能力の欠如,極端な貧困,社会的不平等,男女の不平等などの深刻な問題を克服するために必要としているのは,資金や最高の技術システムだけではないのである。

2.人間開発と教育の意義

 社会における真の参加プロセスを生み出す革新的な方法や人的資源を考える前に,私たちは人種や性別などによるいかなる差別もない積極的社会参加と所有権を確立しなければならない。

 ここで中央アメリカの女性ノーベル賞受賞者(1992年ノーベル平和賞)で指導者,リゴベルタ・メンチュ女史(Rigoberta Menchu)の言葉を引用する。「新たな世紀におけるわが国グアテマラにとって,われわれは家庭における男女を総合的に教育する必要がある。もっとも遠隔地にいる人々,もっとも忘れ去られた人々,ただ飛躍する機会だけを望んでいる人々が,その存在を消されることなく,あらゆる段階の教育を受けられるようにするために,感性豊かな男女を教育しよう。彼らには献身的に働く能力がある。道徳的価値観を軽視し人類の非人間化に向かう社会において,彼らの価値観は,それとは違ったものであることを示唆している。そのような教育をもっと多くすれば,武器は大幅に減っていくことだろう。」

 リゴベルタ女史は,教育が文化の伝達のための主要で不可欠な媒介体であり,家庭における「人間開発」の本質的側面だと感じている。従って「人間開発指標」は人間の3つの基本的特質として,健康による長寿と一定の生活水準の次に教育を挙げているのである。私たちは真の教育が「人間開発,すなわち,人民の,人民による,人民のための開発」と同意義であることを本当に信じなければならない。

 教育を施す理由は,個人の成長とその民族の発展を促すことにある。教育の実施は他分野に影響を与える最良の手段である。教育の最終目標は,同胞に奉仕するため子どもの可能性と才能を最大限に開花させることである。要するに,サバテール(Savater)の教育の価値によれば,教育は「人間開発」と良いガバナンスに貢献するあらゆる取り組みの中で,もっとも人間らしく,人間性を賦与するものである。

 「人間開発」の目的は富を増やすことではなく,生活を向上させることである。国を豊かにすることではなく,市民がより多くの機会を享受できるようにすることである。しかしながら過去数十年間,技術者や政策立案者,教育者,政治家は,経済成長――1人あたりの所得の拡大――に取りつかれていた。もちろんより高い所得を達成することは悪いことではない。しかし成長の意味を商品の多様さとサービスの量に限定してしまうではなく,重要なことは物とその利用であり,人間がそこから得られるものだと信じることである。

 だからこそ国連は,「人間開発」とは「人民の,人民による,人民のための開発」だと主張する。経済成長が人民によって人民のためになされたとき,開発は「人間開発」となる。国が所有する第一の生産的資産は,その国民である。その目的は人々の生活の向上である。なぜなら人間がいわゆる「人間開発」の目的であり,行為者であり,最終的審判者だからである。

 もし私たちが可能な限り最高の自分自身に成長しようとするなら,教育を受ける必要がある。何のための教育か?どのように教育するのか?そして誰を教育するのか?これらの問題に一つずつ答えてみたい。

1)何のための教育か?
 より思いやりのある人間となって,自律的,創造的になり,他人との結びつきを強め,寛容になるためである。

2)どのように教育するのか?
 人間尊重の精神に基づく,父親・母親・教師・家族・学校・社会全体など人間に関連した教育である。教育権者は彼らが将来に備えられるよう教育する。従ってどのように教育するかは確定的な機械的解答ではなく,不確実な自由に基づくものである。それは寛容さであり,職業教育と生涯教育である。なぜなら「人間開発」を達成しようとする社会に不可欠なのは,単に教えること自体ではなく,学びの質だからである。注入式教育(詰め込み式)ではなく本性を引き出し育む教育である。それは教師中心ではなく生徒中心であり,その結果私たちが得るものが地域社会である。

3)誰を教育するのか?
 これは「人間開発」におけるもう一つの問いである。例外はない。「人間開発」における教育は万民のためである。民主的な学校の中における普遍的な教育であり,そこでは主にもっとも貧しい者たちの面倒を見ることになる。これがあらゆる家族と個人にとっての真正の教育開発となるのであり,それに対して経済成長至上主義は不公平を生む。

3.ラテン・アメリカの人間開発

 ラテン・アメリカにおける都市部の状況はどうか。「人間開発」に関して言えば,私たちが見出す結論は次の通りである。第一に,この地域における比較的大きな不平等性は,パナマの事例が示すように,主に人的資本の二つの特質が原因である。すなわちその分布が少数であること,そしてそれが極めて偏っていることである。第二に,教育が不足しその不平等性が増大することによって所得の分配が悪化している。第三に,教育の欠如はまた,他の地域と比較してラテン・アメリカの経済成長が遅滞している原因ともなっている。

 従って,「人間開発」における教育改革は,恐らく子どもが生まれると同時に開始しなければならない。ラテン・アメリカにおいてこれらのプログラムには親と地域社会が関わっており,それに加えて,彼らは社会の他の分野の機関などと協力して行動している。学校以外の機関による初期段階の開発は普遍的な「人間開発」にとって大きな貢献であり,教育分野を超えて地域社会の発展に寄与している。それは22カ国において27年以上にわたって生活の質を向上させてきた。この制度は以下の各ステップを経て達成されるものである。

1)世帯のあり方における家庭重視
2)親と家庭を重視する視点
3)基本的なサービスまたは田舎や都市部の行政の手薄な部分に対する総合的支援
4)集合家族,大家族に関心を払うこと
5)諸集団への関心
6)メディアを通じた家庭の重要性の喚起
7)宗教(教育)の必要性の認識

 これらはより良い「人間開発」に対する家庭及び社会による貢献のように思われる。教育者ケラガン(Kellgan)とアルヴァレス(Alvarez)によると,現代社会において子どもやティーンエージャーの教育に対する家庭の直接的な影響は減少傾向にあるが,最近の科学的研究は家庭の役割が「人間開発」における重要な要因であることを強調している。

 例えば,ケラガン,スローン(Sloane),アルヴァレス,ブルーム(Bloom)による最近の研究「家庭環境と学校における学習」によると,とりわけ人的側面に対して家庭の貢献度が大きいことがわかっている。長い間,学業における成功とより直接的に結びついている家庭の特質は,その家庭の社会・経済的地位,出身民族,年齢,性別などの構成だと私たちは信じてきた。今日これらの性質は,家庭環境と家庭内のダイナミックな相互作用ほど重要ではないことがわかっている。多くの研究が示すところでは,子どもの学力と学業成績は親の収入レベルや職業以上に,その家庭が備えている学習環境によって左右されるのである。つまり,基本的な「人間開発」に不可欠な学習要素は,その環境が子どもたちの知的・感情的必要を満たす限り,親の社会的特質というよりその親がどのような行動をするかにかかっているといえる。これらの研究結果により,ラテン・アメリカ及びカリブ諸国においては,親を教育する社会教育プログラムが増加する傾向にある。

 中央アメリカにおける研究では,子どもの「人間開発」においてより重要だと考えられているファクターは以下の5つである。
1)家庭における職業習慣
2)学習の動機づけと勉学支援
3)子どもが探求・発見しようとする刺激
4)家庭における言語的豊富さ
5)親の熱意と期待

 全般的に見て,子どもを監督すると同時に彼らに自律と責任を与える家庭を築くために重要なのは,知的刺激と感情的刺激である。それは人間の健全な成長に不可欠なものである。更に,万民を教育するために生涯教育も重要である。「人間開発」に関して,ラテン・アメリカにおいてはこれらが唯一の確実な解決方法といえよう。それがすなわち,普遍的で質の高い教育と万民のための優れた学校教育なのである。

4.将来に向けた希望

 最後に,ラテン・アメリカのおいて万民のための教育を施すことができるのか,そして真に教育力のある学校を持つことができるのかを考えてみたい。私たちが「人間開発」のプロセスの四つの原則に忠実である限り,私はそれが可能であると信じている。即ち,
1)あらゆる人々が努力して教育する
2)教育を最優先する
3)国家が明確な役割を果たす
4)真に重要なのは結果である
先述の研究「家庭環境と学校における学習」においては,以下の「十戒」に努力を集中するよう提案されている。
1)家庭の価値を認識すること
2)もっとも貧しい人々への早期教育
3)平等な機会のための教育
4)総合的な基礎教育
5)質の高い基礎的な学校教育
6)高等学校の一新
7)教師は真のプロフェッショナルでなければならない
8)「人間開発」のための教育は継続的事業でなければならない
9) 開発とは新たな雇用と新たな訓練を意味する
10)高等教育の合理化が不可欠である
11)「地球村」時代を生き抜くには高度な知的教育が必要である

 「ラテン・アメリカに関する教育」は,「人間開発」の野心的プログラムを提示している。変化する世界に適応し,あらゆる状況に応じて意思決定することのできる組織的な能力は,国家が科学技術の発展に向けてこの十戒を扱う上での秘策となる。国連の活動を信じる私たちは,同時に万民のための質の高い教育という夢を信じている。なぜならそれが「人間開発」のもう一つの呼び方であるのだから。
(2003年8月11日〜16日,韓国・ソウルで開催されたIIFWP世界指導者サミット会議において発表された論文である。)