人格教育の現代的課題と展望

北海道浅井学園大学大学院教授   山谷  敬三郎

1.人格教育

(1)人格の定義

 人格とは,「精神的な存在としての人間全体を表す言葉」である。これは抽象的な表現であるが,その一方で,人格という言葉は日常的にもよく用いられている。そこで,さまざまに用いられている「人格」という言葉の中から共通項を探ってみると,「個人のさまざまな性格のうち,優れた性格を統一的,全体的に言い表した言葉」ということができる。それゆえ,人格教育でいう「人格」のなかには「悪い人格」というようなネガティブな側面は当てはまらない。また,人間が,たとえ異なる文化圏に住んでいたとしても,そこには共通する価値があり,その中のよい面,優れた性格を言い表している部分を「人格」としてとらえた方がいいと考えている。

 そこで,人格の具体的な条件をいつくか挙げてみる。

 @ 自己意識,自己反省を伴うこと

 自己意識がきちんと定まっている,明確にとらえられていることが必要である。自分の行為や考えを常に吟味し,確かめることができなければならない。

 A統一的,正気であること

 精神医学の領域では「人格崩壊論」という用語があり,従来の「精神分裂病」は人格が分裂した状態で現在では統合失調症といわれる。このように,その人の心のあり方が分断され,ばらばらになっているのではなく,「私」として考え,行動するときに,全体として統一的であり,現実をきちんと認識できることが必要になる。

 B自律性があること

 社会の中では自分の主体性が制限されることもあるが,常に他者によってコントロールされているような状態では独立した人格とは言いがたい。社会の規範にのっとって主体的に自分を律しながら行動できることが必要である。

 C責任性があること

 これは文字通り,自分の行動に対して責任をもつことができるということである。

(2)教育学的視点からの人格

 人格に関して,シュプランガー(Eduard Spranger,1882-1963)(注1)の『生の形式』という著作をもとに考えてみる。
彼の考えによると,われわれ人間は社会の中で価値ある文化を次の世代に残していきたいと考える。そして価値ある文化を通して人格の陶冶を可能とするものが「教育」の役割であるとする。人間の可能性を伸ばすことは大切なことであるが,人間社会を構成する価値ある文化をより重視している。

 彼は,価値ある文化を通して人格の陶冶を可能とする理想的な人間類型を次の6つに分類し,その根底に道徳理念としての善,良心の覚醒を基礎として置いた。

 @理論的人間(真の価値:学者など)

 A審美的人間(美の価値:詩人,芸術家など)

 B経済的人間(利,効用の価値:生産者と消費者など)

 C社会的人間(愛の価値:教育者,奉仕者など)

 D権力的人間(権の価値:政治家など)

 E宗教的人間(聖の価値:宗教者など)

 この考え方は,人格教育を考えていく上での基本的な考え方を提示している。道徳理念としての善・良心の覚醒を忘れてしまうと,上述した条件に欠ける生き方が前面にでてきてしまい,基本的価値を見失ってしまうことになる。例えば,権力的人間であれば,政治家が道徳理念の善・良心の覚醒を忘れてしまうと,贈収賄をするような結末になる。

 一般に教育は,子どもたちの可能性をどう開発するか,そして,一人一人の子どもの得意分野をどう伸ばすかという働きかけであると考える。しかし,その根底にある部分(善・良心)を忘れがちであり,その点を反省しなければいけない。その点について,シュプランガーは,教育学的視点から根底にあるものとしての善・良心を考え,その価値を理解し,追求する人格の陶冶を訴えたのであった。

(3)心理学的視点からの人格

 心理学には,自我心理学,実験心理学,臨床心理学などさまざまな分野があり,おのおのそれぞれの視点から研究成果を提供している。その中で米国の心理学者オールポート(Gordon Willard Allport,1897-1967)(注2)の基本的な考えは,フロイト(Sigmund Freud,1856-1939)との決別であった。フロイトは神経症の治療から人格にアプローチしたのだが,彼はその反対で,健康な人の人格を真剣に考えた。病理的な人間を分析することは,問題行動に遭遇したときにどう解決するか,またはその予防という点では,参考になることが多い。しかし,通常の学校教育現場などにおいて接している健康な子どもたちに対して,どう対応するかという点においては,オールポートの考えが非常に参考になる。

 彼には,次のような逸話がある。

 当時,オールポートは,精神医学の世界的権威であるフロイトに一度会いたいと思い,先ず手紙を出して約束をとり,フロイトのいるウィーンに行った。フロイトのところでは,先ず通されたところが応接間ではなく診察室であったことに,彼はショックを受けた。そしてフロイトは何も言わずに黙って彼を観察しているだけであった。するとオールポートは次第に緊張してきて,フロイトのところに来るまでの電車の中の出来事(子どもが母親に駄々をこねていたこと)を説明し始めた。それに対してフロイトは「その駄々をこねた少年とは,まさに君のことだ」と言い,これに対しても彼はショックを受けた。このことをきっかけとして彼はフロイトから決別する。つまり,神経症の研究ではなく,成熟した健康な人間の人格の研究に取り組むようになったのである。
オールポートは,健康な人格,成熟した人格の特徴について,次の7つの基準を示している。簡潔に説明する。

 @自己感覚の拡大:積極的関与性,活動の意義の理解

 人格は,自分自身としての意識を自覚することが基盤になる。したがって,健康な人格を形成するには自分が出会ったところに積極的に関わろうとする自己感覚を拡大することが求められる。逆に,「引きこもり」に見られるように,おびえて不安を抱えている子どもは,次第に家の中に閉じこもるようになり,更に周囲の理解が得られないと,今度は自分の部屋に閉じこもり,いわゆる「植物化」していく。不登校児の援助の過程では,自室に引きこもった後に,今度は動物的動きをすることがある。そして,その段階で周囲からの理解が得られるとか自信を持てるようになると,自分自ら積極的に環境を変えていこうとする動き(意欲)が出てくる。このように人間は,積極的関与性や活動の意義を理解するようになると,自然と自己感覚を拡大していくようになる。

 A他者との温かい関係を持つこと:親密さ・共感性(寛容)

 これについては,後[3.(2)1)人間の関係の希薄化,2)家庭の教育力の低下の部分]で説明する。

 B情緒的安定:自己受容,欲求不満耐性

 これは現代の子どもたちに最も不足している部分と考えている。あるがままの自分自身を受け入れることができず,自分の欲求のままに行動する子どもたちの出現である。自己中心性のゆえに自分にとっての快のみを求め,不快な刺激に対しては怒りを感じるというレベルで行動するようになっている。それに対して耐性をもつことが成熟した人間ということになる。

 C現実的知覚:事実や現実の認識の妥当性

 これは現実と現実に対する認識との間にずれがないことである。

 D技能と課題:一意専心,献身,責任性

 一心不乱になって自分の関心事に熱中でき,そのことに対して責任を持つことができることである。
 E自己客観化:自己理解,自己洞察
 
 自分自身の得手,不得手などをきちんと理解し,自己洞察ができることである。

 F指向性:統一的な人生哲学に基づく使命感,目的意識

 この考え方は,ロジャースがいうところの自己実現とほぼ一致していると考えている。

(4)日本における人格教育

 日本における「人格教育」の定義を,『現代学校教育大事典』(安彦忠彦編,ぎょうせい)から参考までに引用する。

 「特定の能力や学力をその一部として含み,かつ,その用い方を方向付ける子どもの人となり,人格性など,全体としてのその子どもの生き方,ものの見方,考え方などの価値観に直接かかわるような,広い意味での道徳性・倫理性を育てることを目指す教育」,である。

 ここでの定義は,米国における90年代の人格教育の動向をいち早く察知しながら,日本における道徳教育と関係づけて把握しようとしているといえる。私の基本的認識では,日本の道徳教育の本来的なあり方は,人格教育にも十分対応・寄与できるものであると考えている。ただ残念なことに,人格教育が学校教育だけで十分できるかと言うと難しいといわざるを得ない。道徳教育は学校の教育活動全体を通して行うものであるが,近年のさまざまな問題行動のすべてに対応することは難しいのも現状である。このような現状の中で人格教育を進めていくためには,家庭教育,地域における教育などを含めた総合的な実践が必要になってくる。

2.米国における人格教育の流れ

 米国において人格教育が推進されてきた背景については,武藤孝典(信州大学名誉教授)の説を参考に見てみたい。

 先ず第1期(1920〜30年代)は,教化説(inculcation),すなわち,主要な価値を教え込んでいく方法の時期であった。民主主義国家としての価値,基本的自由,正義などの価値を教えた。

 第2期(1960年代)に入ると,「価値の明確化」説がそれに取って代わった。それは自己決定アプローチを採用し,価値を明確化した後に,それらの価値が自分にとってどうであり,どれを選択するかについて,全く個人の判断にゆだねてしまった。

 第3期(1970〜80年代)は,「道徳的推論」の時期であった。これは,コールバーク(L.Kohlberg,1927-87)のモラルジレンマに代表される教育方法である。大体10歳前後を境にして,子どもの自己中心的な考え方が相対的な考え方に遷移していくというピアジェ(Jean Piaget,1896-1980)の考えを引き継ぎながら,それを更に細分化している。しかし,どの価値をとるかについては,第2期と同じく,子どもの判断にまかせている。

 第4期(1980〜90年代)になって,「人格・価値教育」が登場することになる。

 次に,この人格・価値教育の登場の社会的背景,および目指す方向について見てみよう。

 人格教育登場の社会的背景について,箇条書き的に示すと次のようになる。

 @家庭の教育力の低下によって,基本的価値観,社会的技能が育成されなくなった。

 Aマスメディアが青少年に与える価値観の影響が大きくなった。

 B道徳心,霊性(畏敬の念)の衰退が見られるようになった。

 C麻薬の乱用,性行動の逸脱など青少年非行が増加した。

 D1960年代の非指示的な価値教育方法に対する失望感があった。

 代表的なものがカウンセリングにおけるロジャース(Carl Ransom Rogers,1902-87)の「非指示的療法」である。

 E客観的な善の人格の存在に対する肯定的認識の向上が見られた。

 @〜Dの状況の中から,やはり善いものと悪いものを区別して子どもたちに教えることが,受け入れられるようになってきた。これは,決して米国だけの
 状況ではなく,日本においても似たような状況が垣間見られる。
米国の人格教育の専門家であるトーマス・リコーナーは,基本的な人生目標を次にあげるように三つ掲げている。

 @個人の成熟を達成すること:責任能力,正直,忍耐および自尊心を形成すること 

 A愛に満ちた人間関係を結ぶこと:性に対する抑制,思いやり,家族に対する責任など

 B他の人に意味のある貢献ができること:平等,自由,正義,所有物を尊重することなど

 これらの内容は,どのような政治体制であれ,文化的背景であれ,世界共通の価値であるから,それらは等しく子どもたちに教えていく必要があるし,更には徳としてきちんと身につけていくべきことがらであるとしている。そして,具体的に教えるべき徳目として10の美徳を示している。これらは,さまざまな人格教育運動の共通の価値であり,@智恵A正義B不屈の精神C自制心(節制)D愛(共感)E建設的態度F勤勉さG誠実さH感謝I謙遜,である。

3.日本における人格教育の流れ

(1)一つの主流と三つの支流

 日本における人格教育に関連する考えや実践の経緯について,道徳教育を中心に概観してみる。私は「一つの主流と三つの支流」ととらえている。

 「主流」は,徳育・訓育の流れをくむものである。徳育・訓育は,日本の伝統的な考えにペスタロッチの開発教授,ヘルバルトの形式的教授法など海外の教育思想が結びつくことで,戦前において「修身」という教育において実践されていた。しかし,修身教育が錬成教育の実践という軍事教育と結びついてしまったことは,問題であった。修身教育には時の政治的色彩を色濃く反映した部分があったことは否定できない。そのような経緯のために,戦後「修身」に対する拒絶反応が非常に強く表れた。そして,道徳教育に対して「修身教育の復活である」といった批判がなされることにも繋がった。しかし,「修身」そのものの基本的な考え方の中には,支持すべきもの(例えば,勤勉さ,親・年長者への尊敬の念など)が含まれていることも確かである。

 「支流」の流れとしては,一つには,生活綴り方・生活教育の流れである。これは芦田恵之助,無着成恭などに代表される実践で,生活の中での課題や問題を判断して自分たちの行動を形成するものである。二つには,集団づくり,集団主義教育の流れである。例えば,マカレンコ,クルプスカヤ,小川太郎などの実践である。三つには,心理検査,ガイダンス・カウンセリングの導入があげられる。これらは米国の価値の明確化運動と理論的背景は類似している。これらの考え方をもとに,日本においては道徳教育及び生徒指導として実践されてきた。

(2)人格教育の必要性の背景

 1)人間関係の希薄化

 少子化,都市化,核家族化などが進行する中で,子どもを取り巻く仲間の減少によって「人間関係の希薄化」が様々な病理現象として具体的に現れてきた。さらに家族を取り巻く人間関係が欠如し,子どもと向き合う大人が減少することによって,大きな問題をなげかけている。

 カウンセリング心理学によれば,人間関係は「役割交流」と「感情交流」が必要であるとされる。学校を例に挙げると,教師と生徒との人間関係が深まるためには,二つの交流がきちんとなされなければならない。教師は,まず学力をつけることや人格を向上させるという役割をきちんと果たさなければ,子どもたちの信頼を得ことはできない。部活の指導においても,単に厳しいだけでは子どもから信頼される指導者(教師)となることはできない。そこに子どもたちが自分の感情,甘えたい気持ちなどの感情面の交流がもてるようになると,子どもと指導者との関係は,「あの先生のようになりたい」というような間柄
にまで高まることができる。

 また,今の地域社会は非常に便利で自由ではあるが,一人一人は非常に冷たく,さびしい空間となっている。周囲に人はいるが,互いに無関心を装っている社会である。その結果,思いもよらない身近なところで,しかし,大人の目の届かない死角のような場所で犯罪が多発するようになる。それゆえ,子どもたちに必要なことは,ちょっと不便で規制はあるが,暖かい,見守られている空間をつくることなのである。不便さは,子どもたちに対して工夫を生み出す要因として作用し,規制は子どもたちに自律,他律を促すことになるからである。そのような環境が減少しているので,それを追体験できるようにすることが大切である。

 ある年代以上の大人は,洗濯板を使用していた時代,二槽式の洗濯機の時代を経て全自動洗濯機へと進化してきたプロセスを体験しているので,現代の全自動洗濯機のありがたさがよくわかっている。ところが,いまの子どもたちは,汚れた衣服を洗濯機に入れればきれいに乾いて出てくるような時代にいるために,洗濯することの意味や機械のありがたさを感じることができない。

  学生を連れて小学生の自然体験活動のお手伝いをすると,いろいろなことを発見する。ある小学生は,飯盒で米をとぐのにクレンザーを入れてといでいる。また,たわしでとぐ小学生もいる。

 このようなことからも,学校教育,家庭教育,地域の教育の連携が非常に重要になってくる。不便で規制はあるが,暖かく見守られている空間を設けることによって,子どもたちはちょっと難しいがチャレンジしてみようと考えるようになる。

 2)家庭の教育力の低下

 戦後,日本の家庭教育は,学校教育(知育)を補完することのみを重視するようになってしまった。家庭教育の本来的なことをやっているわけではなく,学校の勉強の補充をすればよいと考える親が多いという現状である。つまり,「学校にきちんと行っているか」「きちんと勉強しているか,宿題をやっているか」といった心配ばかりをしている。

 「家庭教育」を考えたときに,家庭学習中心の家庭教育になっていることが問題である。「家庭文化」がそれぞれの家庭に形成されているかというと,疑問視せざるを得ない。「文化とは,次の世代の肥料になるもの」と考えればいいのではないか。例えば,子どもたちが成長する過程で「小さいころ父親(母親)にこんなことを言われたな」とそのことを思い出して大切に考えてくれることが重要である。言い換えれば,「子どもにはこんな風に育ってほしい」「あなたはこのように育って社会に貢献できる素質を持っている」というメッセージを,家庭の中で「家庭文化」として子どもたちに伝えていくことなのである。そうした事柄が具体的な形になったものが,科学・芸術・哲学・法律・教育などの文化財である。しかし,現実には,それぞれの家庭の中で次の世代を担う子どもたちの肥料になる考え方を育てることが,極めて希薄になっている。

4.人格教育どう進めるか

(1)道徳性の発達原理

 次に,子どもたちはさまざまな道徳性(道徳的価値)をどのように身につけていくのかを考えてみる。

 1)同一視 

 親の姿を身近に見ながら,道徳的価値を無意識のうちに自分の考え方・生き方の中に取り入れていくことが子どもの発達の基本にあることが望ましい。その過程は,「同一視」である。即ち,男子は「エディプス・コンプレックス」,女子は「エレクトラ・コンプレックス」の克服を通して,道徳性・人間の生き方を身につけていくのである。

 男子の場合を取り上げて説明しよう。男子は,自分の母親の愛情を一身に受けたいと思って成長する。しかし,その過程で母親の愛情の半分を奪っていく存在(父親)がいることに気づく。その父親は,腕力でも考え方においても強大である。それゆえ無意識のうちに,父親に対してライバル視し,反抗するような態度や,父親の生き方に対して拒否しつつも,そのコンプレックスを克服しながら無意識のうちにそれを受容していくのである。これを「同一視」という。

 家庭教育の中で重要なことは,このような同一視をすることのできる存在が身近にいるということである。近年頻発している凶悪犯罪を見てみると,そのことが反証される。

 神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗少年は,土師淳君を殺害して家に戻ったときに,玄関を開けた瞬間,自分が大罪を犯したことを母親に気づいてほしかったと言う。そのとき母親は,テレビを見ていた。また父親の存在感が小さいために,母親,父親に対するコンプレックスが異常な性的コンプレックスに変容してしまった。つまり,彼は父親・母親を自分の生き方のモデルとして,同一視の対象にすることができなかったのである。その結果,彼は「生身」(なまみ)の世界から脱してバーチャルな世界へと入り込み,仮想世界のゲームの主人公を自分の同一視の対象にせざるを得なかった。

 テレビやゲームに任せきりにしている家庭が多いことを考えたときに,バーチャルな世界と現実世界との接点をどのように工夫して持つかということが大切になってくる。具体的には,テレビやゲームで楽しむ子どもの気持ちを理解しつつ,食事などの場においてその話題を取り上げ,親子のコミュニケーションにつなげて現実世界に生かしていくことが大切である。

 2)条件づけ

 例えば,子どもが泣いたときに,その泣いた状況を親がどのように読み取り,子どもの欲求にどのように応えたかが重要である。そして与えてくれたものに対して,子どもが喜び,この喜びを親が喜ぶという子どもと一体の喜びとして受け止めることが大切になる。

 赤ちゃんが泣いたときに母親はおなかがすいて泣いたのか,お尻が便で汚れて泣いたのかを判断して,応えてあげる。そのような子どもの欲することを読み取る努力を通して,応えを与えるやり取りが,親子の関係の基本である。その結果,子どもの側に納得があると,子どもの喜びが母親の喜びと重なり,両者一体の喜びとなって,子どもは親の期待に応えていこうという生き方につながる。そこに道徳性が育つ基盤が生まれる。

 3)模倣

 モデルとしての家族成員の観察,有能なモデルの存在を通して子どもたちは,道徳性を身につけていく。現実には,モデルとしての家族成員の観察が非常に少なくなってきている。家庭は,縦の社会の人間関係を学ぶ非常に重要な場である。学校には,教師と生徒という縦の関係もあるが,生徒同士の横の関係が基本となっている。一方,地域社会は,「斜めの人間関係」ということができる。あるときは自分が上になり,またあるときは下になったりと,場合に応じて変化するさまざまな人間関係を学ぶ場となっている。ところが,そのような役割を持つ家庭が,少子化現象によってモデルの観察の対象足りえなくなってしまっている現状である。家族や地域社会を取り巻く親族・人間関係も希薄化しているために,子どもたちの道徳性の成長の場になっていないのである。

 4)役割取得

 役割内(他者からの期待)葛藤,役割間葛藤,地位間葛藤を通して,判断力や耐性を学んでいく。人間は「お兄ちゃんだから我慢してね」と言われると,我慢しなくてもいいのに我慢するようになる。そのような過程を通して,自分の中の葛藤に対する判断力を身につけていく。このような役割取得の場をいかに提供していくかが大切である。

 5)同化と調節

 調節とは,「目からうろこが落ちる」ような体験のことである。つまり,私たちの思考(スキーム)の枠を変えていくようなものの考え方の取り込みを「調節」といい,自分の考え方を変えずに,知識を増やしていくことを「同化」という。

 調節ができるようになるためには,基本的に,ごっこ遊び,大人のふり,絵本からの想像の世界(感動の体験など)などの経験が重要である。しかし,今の教育は知育に重点が置かれており,体験の部分が非常に欠如している。

(2)人格教育の11の原則

 「人格教育パートナーシップ」(CEP)の掲げる人格教育の11の原則を紹介しよう。

 @人格の基礎となる中核的倫理価値を推進

 A思考,感情,行動を包括する人格を定義

 B人格育成のための包括的,意図的,効果的アプローチを活  
     用

 C思いやりのある学校共同体を創造

 D生徒の道徳的行動の機会を提供

 Eすべての生徒を尊重し,その人格を育成し,成功を助ける意 
     味ある挑戦的な学習カリキュラムを包含

 F生徒の自発性を助長

 G人格教育の責任を分かちあう学習・道徳共同体として学校
     教職員を関与させ,生徒教育におけるのと同じ中核的価値を
     実践

 H道徳的リーダーシップを共有し,人格教育イニシアチブへの 
     長期的支援を推進

 I人格育成努力のパートナーとして家庭,地域社会の関与を確
     立

 J学校の性格,人格教育者としての学校教職員の役割,生徒
     の人格習得の度合いを評価

 学校における道徳教育は,道徳の時間のみで実践するものではない。これまでの道徳教育を家庭教育,地域社会との連携の中で進めていく。文科省ですすめる心の教育は,その一つの方向性を示しているが,その中で上述の連携をどう位置づけるかが課題となっている。

(3)親・教師のかかわり方

 最後に,日常生活における親や教師の関わり方の基本についてお話したい。

 1)活動や努力を認めること

 子どもたち一人一人が,自己肯定感,自尊感情をもてるように,親も教師も接することが大切である。そのためには,具体的に行った活動に対して認めてあげ,評価をすることが大切である。その上で,次に課題を提示できればよい。

 2)応答性のある環境にすること 

 子どもたちの持っている知的好奇心・探求心をいかに育てていくかが大切である。そのためには,子どもたちが持つ素朴な疑問に対して誠実に応えるという大人の姿勢である。それによって子どもたちにはチャレンジする精神が芽生え,主体的な学習態度・意欲が継続的なものとなっていく。

 3)言葉遣いを大切にする

 言葉は,思考の道具でもあり源でもある。さらに,社会性を育てる上でも重要な役割を果たす。したがって,正しい言葉遣いによってコミュニケーションをきちんとできるようにすることで,子どもたちは物事を理性的に判断する能力の基礎や人間関係を築く能力を養うことが可能となる。

 4)夢や希望を個性に結びつけること
子どもが目的意識や将来に対する夢を持つことは,日々の生活態度にけじめを持つことにつながる。具体的な職業に結びついている場合はたくましささえ感じる。その際,その子どもの個性やよさに結びつけて応援することが大切である。そうすることによって,子どもは不安や困難に立ち向かって努力する姿勢が養われてくる。

 5)思いや気持ちを汲み取ること

 最後に,仲間や他人から認められているという体験を積ませることが大切である。そうすることで,人への思いやりの「心」を育てることができる。奉仕活動やサービス・ラーニングはそのいい例である。

 こうした内容を基本にして,現在行われているさまざまな人格教育に関わる取り組みを総体的に構築していくことが,日本における人格教育を根付かせることにつながっていくと思われる。道徳教育をやっていればいいという狭い考えではなく,より広い視野から人格教育と道徳教育とを総合的にとらえ,家庭教育・地域社会・学校教育の関連から見直していくことが求められる。さらに,今の子どもたちの現状を踏まえて,人格教育を推進していければと願っている。
(2004年5月23日発表)

注1)Eduard Spranger(1882-1963)
ドイツの哲学・心理学・教育学者。ベルリン大学卒。その後,ライプチッヒ大学教授,ベルリン大学教授などを経て,45年ベルリン大学総長に就任。しかし戦後ベルリンが東側に入ったことからまもなく辞任。46-54年テュービンゲン大学教授。また戦後,西ドイツのボン基本法(憲法)の制定にも関わり,西ドイツの戦後復興における思想的精神的側面で寄与した。ディルタイから生の哲学を,F.パウルゼンからは文化哲学を学び,精神科学的心理学を樹立した。主な著書に,『生の形式』(1921)『青年期の心理学』(1924)『シュプランガー著作全集』全11巻(1969-80)など。

注2)Gordon Willard Allport(1897-1967)
米国の心理学者。ハーバード大学で学位を取得。42年よりハーバード大学教授(心理学)を務めた。その間,米国心理学会会長(37年〜),Journal of Abnormal and Social Psychology編集者(37-49年)などを歴任。59年米国心理学会より特別科学功労賞を受賞。主な著書(邦語訳)に,『人格心理学(上・下)』(誠信書房),『偏見の心理(上・下)』(培風館),『心理科学における個人的記録の利用法』(培風館),『デマの心理学』(岩波書店)など。