食の安全とバイオ
――遺伝子組換え食品(GMO)の安全性

放送大学北海道学習センター所長 冨田 房男

 

1.はじめに:21世紀は生物学の世紀

(1)生物学の特徴
 近代の科学史を概略的に見ると,19世紀は物理学の世紀であり,20世紀は化学の世紀であり,そして21世紀は生物学(バイオ)の世紀であると言われる。DNAの遺伝情報がJ.D.ワトソンとF.クリックによって発見されたのは1953年であったが,これが発見されたことによって現在の生物学があると言っても過言ではない。20世紀にDNAを構成する4つの化合物の配列にすべての遺伝情報が含まれていることが分かった。その後の50年間の研究成果により,その果実を利用できる世紀に入ったという意味で21世紀を生物学の世紀と呼んでいる。

 それでは,生物学とは一体何か。「生物学」を辞書で調べてみると,「微生物,動物,植物の細胞を使って役に立つ物質を生み出す学際的学問」と書いてある。それゆえ,バイオ技術者・研究者は,いろいろな分野の研究者と一緒に協同作業をして始めて成り立つ仕事であり,生物はいろいろなところで働いていることまず理解しなければならない。例えば,鉱山で品質の悪い鉄鉱石を微生物を利用して採掘する,排煙・排ガスを微生物や植物を利用して処理して公害を減らすなど,普段考えられないような分野でも生物は応用されている。このようにバイオの基本は,われわれ自身がよりよく生きていくことを考えることにある。

 特に,20世紀後半の研究によって生命・遺伝子についてかなり分かったので,それをいかに応用するかが今世紀の課題となっている。その具体的分野を挙げれば,農業,食品化学,環境,化学工業,バイオエレクトロニックスなどがあり,バイオと関係のない分野はほとんどないほどである。このようにバイオは,他の分野の技術といっしょになって発展し,多様性が多く現われるという特徴を持つ。

 これからの化学工業は,化学合成の力だけでは限界があり,バイオの力を活用しなければ暮らせない世の中になった。例えば,石油資源に代わる新エネルギーの一つとしてバイオ(マス)エネルギーがある。エタノール混合ガソリンを使っている米国のほか,エタノール生産世界一のブラジルでは,法律でバイオエタノールを燃料にすることを決めた(注1)。資源に乏しい日本には,バイオは産業政策としても最も相応しいものだと思う。バイオ技術は頭脳集積型産業であり,それによって知的所有権(知的財産権)を得ることができる。

(2)バイオの歴史
 バイオ技術は,伝統的バイオ(チーズ,ワイン,酒など),古典的バイオ(発酵,抗生物質など),組換えの3つに大別できる。伝統的バイオでは,微生物を使ってチーズ,パン,ビールなどの食品を作った。日本においては,味噌,しょうゆ,納豆などがある。また,遺伝子組換えは,1973年に米国のコーエン,ボイヤーによって発明された。その後,応用範囲が広がり,1982年に最初の医薬品(インターフェロン)が発売され,その後,動物,遺伝子治療(1998年)へと発展した。
伝統的・古典的バイオの歴史は,古く紀元前6000年ごろまで遡る。当時,バビロニアには飲料水の一つにアルコールが使われていた。BC4000年ごろにはビールが醸造され,BC3000年ごろにはヨーグルトが作られ,BC1500年ごろにはチーズが作られた。AD600年代には顕微鏡が発明されて,初めて微生物の存在が認識されるようになった。そして微生物の働きの重要性が次第に解明され,パスツール,メンデル,・・・とつながっていく。バイオの働きについては経験的に人類は分かってそれを応用・利用してきたが,そのしくみ(何が起こっているのか)についてはほとんど分かっていなかった。しかし,パスツール以降の研究発展によって急速度に解明が進み,今日の生物学につながることとなった。

2.「遺伝子組換え」とは

 生物とは,自分自身を複製でき,恒常性,消化・代謝等の特性をもつ存在である。そして生物は基本的に細胞を単位として構成されており,動物細胞・植物細胞といえども単細胞からなっている。その細胞の核の中に遺伝をつかさどる物質DNA(デオキシリボ核酸)があり,それは四つの化合物・塩基;A(アデニン)T(チミン)G(グアニン)C(シトシン)と糖とリン酸からできている。DNAはどの生物も共通に持っており,そこにはその生物のすべての情報が入っている。そしてDNAによってタンパク質がつくられ,それが生物の体を形作っている。

 DNAには,大きく遺伝子型と表現型とがある。細胞はDNAの指令のもとでいろいろなタンパク質を作り,その生物らしい形状を形成(表現)する。生物が何世代にもわたってつながっていくこと(自己同一性の保持)ができるのは,まさにDNAによって可能なのである。

 遺伝子型はDNAであり,表現型はタンパク質である。DNAが変わらない限り,タンパク質は変化しないので,表現型である生物も変化せず同一性を保持することが可能なのである。逆にいえば,DNAを変化させてやれば変化したものをつくることができる。

 インシュリンを例に挙げて説明しよう。インシュリンは脊椎動物のすい臓にあるランゲルハンス島から分泌される糖代謝ホルモンである。人間は長い間インシュリンを糖尿病の治療剤として欲しかったが,それは人間のすい臓でしかつくれないので,人のインシュリンを取り出してその遺伝子を大腸菌に乗せてつくることにした。すると大腸菌は次第に増殖し,それにともなってインシュリンをたくさん作ってくれるので,それを利用できるようになった。このようにまず先端医学分野から始まった。これを農業分野に応用したのが,遺伝子組換え食品(GMO; Genetically Modified Organisms)である。これは農業革命であった。

 実は,人類が一番最初に手にしたバイオ技術は農業分野(農産物)であった。われわれの祖先たちは,良い種を選んでそれらをかけあわせて新しい品種を作り出してきた。従来の品種改良のやり方は,何百年もかけて変異処理や交配を繰り返しながらよい品種を残してきた。例えば,一条小麦と二条小麦をかけあわせて三条小麦を作り,三条小麦と三条小麦をかけあわせて六条小麦を作った。その根本原理は,科学的視点から言えば,DNAを変化させることであるが,この方法ではどこの遺伝子がどう変わったのかは分からなかった。実験しているうちに新しい品種ができてしまったということである。

 ところが,遺伝子工学の方法によるとどこをどう変化させたかがはっきりとわかるのである。現在では遺伝子工学の発達によって,DNAを人工的に加工できるようになり,DNAを換えて願い通りの品種をつくることが可能になった。例えば,ある農薬に耐性を持つ遺伝子をつくる場合には,その耐性遺伝子をもってくればよい。このように現代の品種改良とは,DNAを変化させる(意図的に遺伝子を入れ換える)ことであり,組換え技術も同様である。とはいっても,現代の遺伝子工学であってもインシュリンつくる,成長ホルモンをつくる程度のことしかできないし,大腸菌一つすら人間の手でつくることができない。そして,DNAを加工したからといってとんでもないものができるわけではない。

3.遺伝子組換えの課題と展望

 遺伝子組換え技術は,1973年に発明された当初から,その応用範囲は非常に広範なものと考えられていた。まず,医薬への応用が図られたのは,その分野における新しい技術の要求度の高さと収益性の高さがあったといえる。植物へ応用には,さまざまな植物用実験,材料の整備,基礎的技術,稲ゲノム計画の整備など充分な研究開発の環境条件が整備されるのをまつ必要があった。また,わが国には,需要作物分野への民間参入の困難さもあって,欧米に比べてそのレベルは遅れていた。それでも研究は,順調に進んでいた。

 ところが近年は,遺伝子組換え作物・組換え食品に対する反対の声が大きいとのとらえ方によって,自治体における規制の動きが急になっている。これはこれまで各省庁においてガイドラインを設けて何らの問題なく進んできたことに比べて真に奇異なことである。まるでいわゆる「カルタヘナ担保法」(注2)が議論され制定されたことが逆に働いたとも言えよう。カルタヘナ担保法は,これまでの各省庁でのガイドラインおよびそれに沿って行なわれてきた経験をもとにした極めてすぐれたものであるといえるにもかかわらず,何か問題があるとでもいうような動きになってしまったことは真に理解しがたいところである。

(1)遺伝子組換え作物の安全性評価
 安全性の評価とは,入れる遺伝子が安全かどうかにかかっていることになる。遺伝子は安全であるので,タンパク質でできている遺伝子の産物が安全かどうかということになる。出来上がった組換え食品の特性において,つまりある特定の遺伝子を組換えてできた食品が変なものでないのかを検証してからでないと,世の中に出回ることはない。

 作物(植物)における組換えDNA技術の応用については,十分な検証がなされている。一般には,組換え作物は,何らの検証もなく直ちに開放系で栽培がされるとの誤った考えがいきわたっているように思われる。実際には,極めて厳密な規制がかかっている。即ち,実験室での実験は,全て閉鎖系でまず行われなければならない。ここでさまざまな試験が行われ,ついで閉鎖系の隔離実験温室,準閉鎖系の実験温室,隔離圃場に至るのである。この間にさまざまな試験(雑草性,交雑性,毒性の生産など)が試験されて初めて一般圃場での栽培に至るのである。

 現在,組換え作物は特別な方法でできあがったように受け取られる向きがあるが,そうではない。これまでの品種改良とは異なり,意図的に品種改良を行ったものである。この点では,従来の方法とは異なる極めて精密な品種改良で,しかもどう変わったかが分かる透明なものであり,これまででは得られないような品種改良法といえる。

(2)組換え食品
 組換え作物の食品や飼料としての安全性も,上記の過程で試験(毒性,アレルギー性,消化性など)が充分に行われる。これなくしては,国も承認を出すはずがないものである。また,遺伝子組換え技術が新しいものであるとの視点から,極めて慎重に上記の試験が行われているので,従来,新品種由来の食品では行われなかった試験が厳密に行われた結果として,審査を受けて承認されたものである。言い換えると食品としての試験が厳密に行われ,安全性を考えて試験された初めての食品ともいえる。

 例えば,遺伝子を組換えてできたダイズの場合,変な形のダイズではないか,味が変わっていないか,毒性・アレルギー性問題はないかなどが問題になる。そこで組換えダイズが果たして安全かをどうかを検討する。即ち,組換えダイズと元のダイズとを比較し,実質的同等性を検証する。もし,大丈夫であれば今度は,その種が外界で増えて雑草化するかなど環境への影響も調べる(ファミニアリティの検証)。

 植物に関しては,一般に遺伝子操作で問題となる生命倫理は問題にならないと私は考えている。もちろん,動物や人間の場合は生命倫理が問題になるので,その遺伝子を操作することには慎重さが必要である。植物の場合で仮に問題が発生するとすれば,その遺伝子組換え食品を作ったことによってわれわれの生活が脅かされる場合であろう。そのようなことは困るのでそれは絶対やってはいけないが,人間生活に役立つのであればやってもいいという考えである。
その際に出てくるのが,リスク評価(起こるかもしれない危険性)である。この評価では,起こるかもしれない危険性とわれわれが得られるであろう便益とを比較考量してどちらをとるかを考える。その上で,利用目的,利用範囲,環境への影響などを段階的に検証していく。このような段階的な検証を経ることになっており,遺伝子組換え食品は,安全性が確認されるまで世の中にでることはない。

(3)組換え作物栽培の現状と展望
 組換え作物の栽培面積は,1996年から急速に増加し,世界では18カ国で6,770万haとなっている(2003年)。これは日本の国土の1.8倍,日本の稲作面積の40倍に当たる。栽培する理由は,品質・収穫量の増加,環境への貢献(農薬の削減,水質改善),農業生産コスト削減および省力化によるものである。主な作物は,ダイズ,トウモロコシ,ワタ,ナタネなどである。これまで反対の強かったヨーロッパ(EU)でも門戸開放が行われ始め,つい最近トウモロコシの栽培が承認された。

 ところが,わが国では,全く反対に栽培をさせないような方向に向かっている。特に,北海道はわが国の食糧基地であるにもかかわらず,原則禁止の許可制の条例を作ろうとまでしている。これでは日本の食糧自給率は全く改善されないし,また日本の農業技術の発展は世界から取り残されることになると危惧するものである。

 近年,世界各地で作物の栽培に最も重要で栄養分に富んだ表土流出の問題が懸念されているが,現在の農学では,土地を耕さずに直播した方がいいという結論になっている。まず,直播なので土地を耕さないために土地を荒らさないですむ。もし耕すならばトラクターを使うので,石油燃料を使い炭酸ガスを排出することになり,これは環境汚染につながるが,それもなくなる。除草剤は草だけではなく種も殺すので,除草剤をまかなくなれば水の保全,汚染防止にもつながる。その解決の鍵が組換え作物なのである。

 先にイネゲノム計画が終了したことを挙げたが,その他の作物のゲノム解析も順次進んでいる。また,動物や微生物のゲノム解析も急速に進んでいる。このことはさまざまな遺伝子がより一層入手しやすくなることを意味する。作物の理解がゲノムレベルで進むとともに新たなる品種改良が可能となることを意味している。例えば,悪条件耐性作物,栄養強化農作物,杉花粉アレルギーを和らげるコメなどを作ることも可能となるであろう。「新しい技術なくして新しい産業は興らない」,「技術の発展なくして,産業の発展もない」。作物(植物)は,太陽エネルギーを効率よく利用して,われわれに食を提供してくれる大切なものである。これらの理解と利用は,今後のわれわれの食糧はもとより,住みやすい地球環境のために必須のものであり,そのためには,組換え作物(植物)への人類の依存度はますます大きくなると予想される。

4.最後に

 私の恩師はかつて,「国家,国,政府の一番大事なことは,国民に充分な食糧と平和を与えることだ」と言った。北海道はそれができる可能性を十分に秘めていると思う。現在の農業の趨勢は,有機農業一辺倒の感じがする。しかし,食糧・環境問題等総合的な視点に立って考えてみれば,遺伝子組換え作物の栽培と共存させることが,賢明な農業政策ではないかと考える。喩えてみれば,うるち米ともち米を同じ田に植える人はいないし,その間に緩衝地を設けるとか距離をとれば共存することの問題はない。大農業国である欧州も最近では組換え種のトウモロコシの栽培を許可した。中国も綿については組換え種を植え始めた。ダイズについては,米国では組換え種が約85%,カナダが60〜70%,アルゼンチンがほぼ100%となっている。

 このように,期待の大きな技術を「遺伝子組換え作物がすべて危険であるという科学的根拠は今のところ存在しない」状況にありながら,自治体が国の承認したことをあたかも上書きするような形で規制をすることは,科学技術の進歩を止めるのみならず,わが国の農業の産業としての力をそぐものである。これは,必然的にわが国の食糧自給率を更に低下させ,わが国の発展を危うくするものと言えよう。(2004年9月27日発表)

*注1 
 米国では,1970年代のオイルショックを契機に,ガソリンにエタノールを混合した燃料(ガソホール)が市場に流通するようになり,エネルギー法(78年)ではエタノール10%以上を混合したガソホールについて,連邦消費税が免税されることとなった。92年の連邦エネルギー政策法では,アルコール燃料自動車への税額控除が盛り込まれ,98年の21世紀陸上交通最適化法では,ガソホールの消費税免除期限の2007年までの延長と段階的廃止を定めた。また,ブラジルでは,1931年にガソリンへのアルコールの添加を義務づけ,70年代のオイルショックを契機に,サトウキビを原料とするエタノールを国産エネルギーとして普及させるための「プロアルコール計画」を75年から始めた。現在,法律でガソリンへの無水エタノールの22%混合が義務付けられており,エタノールの需給調整によって混合率の調整が行われている。この結果,エタノール混合ガソリンが主流となっている。

*注2 カルタヘナ担保法
 正式には,「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」(平成15年法律第97号)といい,2003年6月に成立した。これは,2000年1月,モントリオールで開催された生物多様性条約特別締約国会議において採択された,遺伝子組換え動植物の取り扱いの規制を決めた「バイオ安全議定書(カルタヘナ議定書)」に基づき,その国内担保法として日本において定められた法律である。カルタヘナ担保法の目的は,国際的に協力して,生物の多様性の確保を図るため,遺伝子組換え生物等の使用等の規制に関する措置を講ずることにより,議定書の的確かつ円滑な実施を確保し,もって人類の福祉に貢献するとともに,現在及び将来の国民の健康で文化的な生活の確保に寄与することとなっている。この法律の実施に伴って,肥飼料検査所などが収去した遺伝子組換え生物などの検査を実施している。