北朝鮮のイネの収量低下について考える

京都大学名誉教授 天野 高久

 

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の穀物生産が深刻な状況に陥り,食料危機に直面していることが報道されている。穀物生産量を作付け面積と単収の2要素に分けてみると,作付け面積の減少の影響も無視できないが,単収の低下が北朝鮮における穀物生産量減少の主要因となっている。穀物生産量の減少という点では,日本でもコメの生産量が最近10年間に20%以上も落ち込んでいる。しかし,日本の場合は,作付け面積の削減,いわゆる生産調整によるものであり,単収の低下によるものではない。最近の灌漑稲作では,冷害や,風水害など自然災害は別として畑作物に比べて単収の急激な低下は起こりにくいとされており,この意味で北朝鮮におけるイネの単収低下は農学的にも注目すべき現象なのである。

 私は,北朝鮮における稲作の単収低下を農業技術の目で見極めようとしている。もとより,単収低下には単に技術的なものだけでなく政治的・経済的・社会的背景が絡んでいて複雑多難であるが,これまでの調査結果のいくつかを紹介しておきたい。

1.イネ・トウモロコシの単収低下

 北朝鮮の農業においては「コメは社会主義」と呼ばれるほどに,北朝鮮にとってイネは最重要作物である。次いで,トウモロコシである。現在の北朝鮮では,トウモロコシは飼料作物というよりは食用作物である。北朝鮮の穀物にはそれら以外に小麦,大麦,雑穀(粟,ヒエ)などもあるが,きわめて少ない。

 北東アジア地域の水稲単収については(第1図),中国の各省および日本では1960年代以降年次変動はあるものの基本的に上昇傾向を示しており,その傾向は現在も継続している。これに対して北朝鮮の場合は劇的な変化を示している。すなわち,1980年代までは急上昇し,90年に最高値8t/ha(以下,もみ重換算)に達した。この数値は日本の数値と比べても1t/ha以上も高い(注1)。かって1970年代に北朝鮮を訪問された東京大学の故川田信一郎教授(栽培学)は北朝鮮の発展ぶりをみて「日本の農業もかくありたい」と感想を述べている(川田信一郎著『一国の農業は斯くありたい−朝鮮の農業と農学』農文協, 1985)。ところが,91年以降,水稲単収は激減し,96年次点で3〜4t/haとなり,その後回復の兆しはない。過去3カ年の平均収量(1998〜2000年の3.73t/ha)は80年代後半の3カ年の平均収量(1988〜1990年の7.74t/ha)に比べて50%以下にまで低下している。日本各地で無化学肥料,無農薬のもとで行われているいわゆる自然農法の収量が日本の平均収量の70%以上に達することから見ても異常な減収であることがわかる。トウモロコシの単収(第2図)も水稲と同様の傾向を示し,90年ころを境として激減し,現在も回復の兆しは見られない。トウモロコシの単収低下についても農学的な調査が必要と考えている。

2.自然災害

 水稲収量が低下してしまった要因として北朝鮮の農業研究者はまず第一に自然災害をあげて以下のように説明した。90年代に入り毎年のごとく自然災害を被ったことである。93年の大冷害,94〜95年は洪水,さらに,96年には干魃があり,貴重な研究材料の損失とともに種子の供給システムにまで被害が出たという。こうした被害をもたらした気象状況や被害の内容をデータによって確認したかったが,現地でもデータを入手することはできなかった。1997〜2000年は異常気象らしきものはなかった。しかし,水稲単収は引き続き停滞したままであり,トウモロコシは以前よりもさらに数値が落ち込んでいる。こうしたことから判断すると,自然災害が収量低下の一因をなしていることは事実であろうが,1997以降の停滞については説明できない。

3.農業資材の不足

 次にあげた理由は,化学肥料,農薬,農業機械を動かす燃料・メンテナンスのための部品など,農業資材の不足である。例えば,黄海北道沙里院の共同農場での聞き取り調査によると,80年代はヘクタール当たり150〜180kgの窒素肥料(N換算)を施用し7〜8t/haの収量をあげていた。日本のN施用量の平均値(78kg/ha)に比べて1.9〜2.3倍に当たる。それがここ数年は30〜60kg 前後にまで低下し,収量は2〜4tである。そして燐酸,カリウムは施用されていない。地方農場では,窒素施用量は20kg/haにまで低下しているという。沙里院でみた肥料工場はすでに操業停止の状態であった。かって,日本の水準以上に高収量を誇っていた北朝鮮の稲作は農業資材,とくに化学肥料としての窒素の大量投入に支えられていたことが伺われる。窒素肥料の施用量の変化は北朝鮮における水稲単収の推移とよく符合している。

4.不適切な土壌管理

 不適切な土壌管理も減収要因のひとつにあげられるとの指摘もあった。北朝鮮の土壌肥沃度はあまり高くない。収穫後の水田土壌を持ち帰って化学的特性について分析したところ,土壌窒素の発現に関連した全窒素,全炭素,可給態窒素の値が日本の平均値の30%程度に過ぎないことがわかった。土壌肥沃度を高め,土壌窒素を十分に利用できるようにするには収穫物残滓など有機物の継続的な投入が何よりも必要であるが,それができていなかったわけである。

 北朝鮮では,早くから農業機械による高い作業効率や,化学肥料,農薬など化学物質に依存した高収量の作物生産システムが追求された結果,すでに,容易に人力や畜力,天然のもので代替することができない状態に至っている。緑肥作物や家畜排泄物が少ない。トウモロコシの収穫物残滓は圃場において焼却処分されたり,燃料として利用されることが多く,稲わらの一部は,日本に輸出されていたこともある。除草や農業機械は人力で代替できるかも知れないが,軍隊の動員ではおそらく熟練した労働力にはなり得ないだろう。
琉球大学の比嘉照夫教授の指導のもとでEM(有用微生物群)による有機肥料作りの取り組みが行われており,トウモロコシの収穫物残滓や稲わらが利用されていた。取り組みの成果について立ち入った説明は聞かなかったが,少なくとも,収穫物残滓を有機肥料の原材料として利用する方向に導いていく上で役立っている印象を受けた。

5.密植の問題

 「密植によって地力が消耗し,これが原因で単収が低下している。」日本のマスコミ報道でこのような指摘があったが,これは見当違いである。地力の消耗は収量と密接に関係する要素ではあるが,密植と地力の消耗とは直接の関係はなく,密植が北朝鮮の単収低下に関係しているとは考えにくい。地力が消耗したかどうかを言うためには,窒素など土壌養分の収支や土壌の化学性を示すデータの蓄積が必要である。残念ながら,まだ,こうしたデータを得ていない。

 北朝鮮の稲作の栽植密度は日本の約2倍で,確かに密植である。しかし,この密植は品種の違いからくる問題である。イネは,田植え後,枝分かれ(分蘖)しながら成長しコメを実らせる。日本の稲作では苗1本当たり十数本の分蘖が穂をつけコメを実らせているが,北朝鮮のイネは分蘖力が弱く,穂をつける分蘖は苗1本当たり1〜3本に過ぎない。

 農作物を育て,収穫を増やそうとする場合,第一の関門はいかにして葉を適度に茂らせるかである。太陽光をもれなく受け止めるためである。そのためには,日本のようにたくさん分蘖する品種を植える方法とあまり分蘖しない品種を高密度に植え付ける方法とがある。これは品種に応じた栽培管理の違いであり,北朝鮮におけるイネの密植は理にかなったことなのである。もし,北朝鮮のイネを日本のように疎植にすると,仮に肥料を十分与えたとしても,すけすけの田となり,収量は当然減ってしまうことになる。実際,何カ所かの農場を調べてみて,密植ほど収量が高いことがわかった。

 中国でも,あまり分蘖しない品種を北朝鮮よりもさらに高密度に植えて多収を得ている地域がある。農業技術は部分だけを取り出しても適否の判断はしにくい。品種特性,環境,土壌条件などを含めて総合的に考えなければならない。

6.イネの生育期間

 北朝鮮のイネ品種に平壌21号,平壌22号,平壌23号,平壌24号などがある。北朝鮮の代表的な品種であるがいずれも生育期間の長い晩生品種である。種まきから収穫までの期間が160〜180日にもなる。日本でも昔の品種には生育期間が長いものもあったが,現在はほとんどが140〜150日程度である。熱帯アジアでも品種改良が行われ,日本と同じように生育期間を短縮し,台風,洪水などの自然災害や病害虫の発生時期をさけたり,二期作や多毛作ができるなど利点を得ている。北朝鮮では5月下旬に田植えをして9月下旬に収穫する。田植え後の生育期間を120日とすると,残り40〜60日が苗代期間ということになる。3月下旬あるいは4月上旬から5月下旬までの長期育苗には北朝鮮の気象条件下でビニールなどの保温資材が欠かせない。また,苗代に対しても多量の化学肥料,農薬が必要となるため,苗代管理には多くの困難がともなう。晩生品種では,北朝鮮で頻発するはずの生育遅延型の冷害に対して安定性を欠いている。また,緑肥作物を組み入れた水田二毛作も困難である。緑肥作物は土壌肥沃度を高める上で非常に有効な方法であり,平壌以南では実行可能であるが,実際には行われていない。 

7.少肥向水稲品種の育成

 以上,北朝鮮の稲作技術の現状をいくつか紹介したが,イネの単収低下の直接的な要因は,農業技術的な問題に絞って言えば,やはり,化学肥料,とくに窒素肥料の投入不足であると考えている。北朝鮮の農学者も同様な見方をしている。化学肥料の供給が急に好転する見込みは今のところない。化学肥料の不足という問題に直面して,北朝鮮農業科学院の育種の専門家,パクチャンホン氏らはより少ない肥料で大きな収穫を得られるような品種の育成に向けて研究に取り組んでいる。私はこの研究に大きな期待を寄せるとともにできる限り協力もしたいと思っている。なぜなら,この取り組みは必要な化学肥料を容易に入手できる日本にとっても,高価故に利用できないアジアの発展途上国においても意味のある研究につながるからである。化学肥料は与えたものがすべて作物に吸収されるわけではない。系外に排出されてしまう部分が必ず生ずるものであり,河川や湖沼に流出すれば大きな環境問題を引き起こす。肥料による環境汚染は日本でも早くから認識されてきたが,現在もなお未解決の課題が多い。

 研究の具体的な目標として,40〜60kg/haの窒素施用で5〜6t/haの収量を達成することを考えている。ヘクタール当たり150〜180kg/haもの窒素を施用し,7〜8t/haの収量をあげていた80年代と比べるとずいぶん控えめな目標である。これには二つの内容が含まれている。ひとつは,与えた窒素の吸収効率を高めることであり,今ひとつは,吸収した窒素の収量生産効率の向上である。窒素の投入が制限されている現状では,いずれも重要な課題であるが,ここで問題にしているのは後者である。言い換えれば,窒素(N)要求量の小さいイネを追求することである。 

 農業科学院スタッフとこの課題について討議した際の私のコメントである。北朝鮮のイネのN要求量は私の調査の範囲では約15kgN/籾tで,日本の平均値(17kgN/籾t)よりもむしろ小さい。しかし,研究の目標に近づけるためにはさらに12kgN/籾tにまで下げる必要がある。N要求量は品種以外にも収量水準や栽培法などによってかなりばらつきがあるものである。収量水準が7〜8t/haを超えるとN必要量は急に上昇し,多くの場合,20kgN/籾t にも達するが,私が10年ほど前に調査した中国の超多収イネのN必要量は12kgN/籾tであった。人力や畜力,有機肥料など,どちらかと言えば伝統的な物質循環システムのなかから生み出されたものであった。このように,内外のさまざまな事例を調査し,N要求量低下のメカニズムを追求する必要性を説いた。今ひとつは,N要求量が品種の早晩性(生育期間)によって異なることについて,フィリピンの国際稲作研究所の研究を引用し,中性種は晩生種に比べてN要求量が小さいことを指摘した。少肥条件(50kgN/ha)でN必要量が12kgN/籾t以下(収量が5t/ha以上)の品種が7品種みられたが,その内,5品種が中性種であった。最低は,9.32kgN/籾t(収量6.1t/ha)である。N要求量の小さいイネは晩生種よりも中性種の中に見出される可能性が高いのではないか。

8.研究協力

 作物生産における高収量と高い作業効率は耕地生態系への資源・エネルギーの大量投入によって成し遂げられている。したがって,石油や灌漑水などの供給が何らかの原因で絶たれたり極端な不足に陥れば作物生産が落ち込むことは想像に難くない。北朝鮮の食料危機の根底に化学肥料など農業資材の不足による穀物収量の落ち込みがあることはすでに述べた。主要穀物であるイネ,トウモロコシの単収の低下はすでに恒常的なものになっている。資源・エネルギーに過度に依存した多投入型生産システムに対する危惧が不幸にして日本の隣国で起こっていると見ることができる。稲作における単収の低下傾向は実は北朝鮮だけではない。十分な化学肥料と高収性品種を導入した熱帯・亜熱帯アジアの稲作においても起っていることが報告されており,エネルギー多投入型生産システムにおける収量の持続性について深刻な問題を投げかけている。有限の資源を効率的に利用できる農業技術の開発を一層推進していかなければならないことへのシグナルとして受け止めることができる。北朝鮮農業科学院が取り上げている「少肥向水稲品種の育成」,こうした研究課題は日本をも含めたアジア諸国の共通の研究課題でもあり,政治の壁を越えて共同研究を進める必要があると思う。
(2004年10月29日)

*注1

 北朝鮮の穀物生産の現状や発展段階を示す資料としてFAOのProduction Year Bookを用いた。訪朝を機に,より精度の高い資料の入手を期待したが不可能であった。この資料の北朝鮮の欄には各年ともFAO推定値のマークが付されている。また,同一年度のデータでも資料の発行年度によって食い違いが見られることもある。精度の面で若干の問題はあるが,現時点では,北朝鮮を知るための貴重な資料と考えている。