スポーツにおけるメンタル・マネージメントの重要性

北海道教育大学札幌校教授 佐川 正人

 

1.はじめに

 最近のスポーツ事情やスポーツ選手がどのような気持ちで競技に臨んでいるのかについてまず見てみよう。
昨年夏のアテネオリンピックの柔道競技で金メダルを獲得した谷亮子選手の言葉が新聞に報道された。それは「高い集中力,一日一日が勝負だった」というものであった。当時,彼女は相当のプレッシャーを感じながら,コンディションもあまりよくない状態であった。そのため自分の体調を整えつつ一戦一戦自分の実力を発揮できるように「高い集中力」が必要であり,一回一回の試合が勝負であったという意味であった。

 同じアテネオリンピックで,日本女子ホッケーはオリンピック初参加であった。他の国との試合では歴然とした力の差が出てしまい,中国には完敗であった。新聞の見出しには,「初出場の舞台,力の差まざまざ」と表現され,「世界の壁,どうしても越えられないような厚くて高いものが日本人の前に立ちはだかっていた」と報道された。この見出しで言う「力」とは,技や体力を含めた全体を指していると思われる。

 バレーボール女子は,対ブラジル戦で1セットも取れずに負けてしまった。このときのマスコミのコメントは,「高さ,速さに追いつけず」で,体力,大きさ(身長)などでブラジルにかなわない状況であったと報じた。

 また,今回初出場となった日本女子サッカーは,ナイジェリアに負けた。それに対して「なでしこは徹底準備不足」と評価されたように,最後までなかなかシュートに持ち込めず,技術的不足が指摘された。このように,技術的要素,体力的要素が問題になることが多い。

 しかし,メンタルなことも指摘されている。水泳で金メダルを取った北島選手は,金メダル候補のハンセン選手とは決勝戦で初めて戦った。予選まではそれぞれ別のレースであった。ハンセン選手は世界記録保持者であるから,彼が記録を出せば当然金メダルであると,関係者は考えていた。しかし,最終的には,ハンセン選手が負けた。そのときのコメントが,「精神面の準備不足」であった。金・銀の差というのは,ほんのわずかな差であるが,そこに作用するのはほとんど精神的(メンタル)なものであると思われる。

 これらの例から分かることは,対戦する両者の間に力の差が歴然とする場合には,体力(体の大きさ)や技の差によって勝負が決まる。しかし,それが僅差の場合は精神面の差が勝負を決するといっていいだろう。このように見てくると,スポーツにおいて,技や体力の重要性はもちろんいうまでもないが,それ以上にメンタルな側面が非常に重要だということである。

2.競技スポーツに必要なトレーニング

 趣味・レジャーなどで行うスポーツではなく,競技スポーツといった場合には,次の三つのトレーニングが必要であるといわれる。まず,体力トレーニングである。筋力をアップさせるための負荷をかけるトレーニング,パワー・持久力・敏捷性・柔軟性などの基礎体力を高めること,これらが基礎になる。次が,技能トレーニングである。これは別の表現で言えば,打つ,受ける,投げる,押す,レシーブ,パスなどの技,スキルである。この延長線上にあるのが競技ということになる。ここまでは可視的なものである。

 その次が,メンタルなトレーニングである。米国では既に20年ほど前からメンタルな心理面をトレーニングする手法が現れていた。最近,日本でもそうした側面に関する報道がマスコミなどでさまざまなされるようになってきた。

 メンタルな面とは一体何か。ある人は,「気合い」であるという。相撲界に高見盛という関取がいるが,彼はユニークなキャラクターの持ち主であると思う。時間いっぱいのときの動作として,彼は気合いの入ったような体勢を示す。彼が実際にやっていることは力を入れることだが,私はそこにメンタル的な要素が含まれていると見ている。つまり,力を入れることで,同時に気合いが入るのだと思う。

 野球のイチロー選手を挙げてみよう。彼は,バッティングの直前に必ずある動作をする。この動作は日本で活躍していたころの彼の動作とはだいぶ違う。私はこれを「儀式的動作」と呼んでいる。この動作をすることによって,メンタルな面で大きな影響が及んでいるのではないかと思う。

 もう一人,スケートの恩田選手を取り挙げよう。彼女は演技の直前に手のひらに「人」という字を書いて,緊張したり上がったりしないようにとの昔からの動作をしている。その後に目の前で十字を切る。これらの儀式的動作を演技の前に必ずしている。
このように一流選手がやっているメンタルなマネージメントは,管理,処理,制御,経営とも言うことができるが,彼/彼女らは常に自分の体をどうコントロールするかを考えている。そのために理論的に考えてそうするというよりは,競技時の自分の「心理面をなんとかうまくやっちゃうこと」を考えているようだ。しかし,実際には調子のいいとき,悪いときがあるので,それをどのようにうまくやるか(コントロールする)を考えるのである。

 スポーツ競技は,先述した三つの側面の力の合わさり具合で結果が決まることになる。ただ,選手によっては特にメンタルな側面をあまり気遣っていない場合もあるように見受けられる。私としては,この心理的な側面をうまく調整することができれば,競技をもっとうまくやることができるのではないかと考えている。それでは,何をどのようにうまくやればいいのか,次に考えてみたい。

3.メンタル・トレーニング

(1)ピーク状態に「もっていく」トレーニング
 人によって差はあるが,一般に人間はストレスを受けると次のような症状を表わす。「こんな状態で勝てるわけはない」というあきらめの気持ちなど否定的な考えが出てくる。集中力を切らす。のどが渇く。心拍数が上がってどきどきする。手のひらの発汗。手を握りしめる。歯を食いしばる。肩を丸める。神経質になる。このように普段ではない症状が出た場合には,ストレスを受けているといっていいだろう。逆に,そのような症状(シグナル)が出たことを感知することで,自分の状態を自覚することができる。

 スポーツにおけるメンタルな側面を考えたときに,自分が一番調子のいい心理状態というものがある(至適ゾーン)。このときは,一心不乱に動作を行っており,注意力が集中して食事も忘れるほどという状態である。しかし,さらに緊張の強さが高まると,あせり,不安,狼狽,力み,強い緊張などの症状が現れる。自分自身で「よし,がんばるぞ」という思いを強く抱いている人は,自分自身で緊張状態を作っているようなものである。その反対側は,気分が乗らない,萎縮する,あきらめなどの心理状態で,力がみなぎらず,気合いが入っていない状態である(図1)。

 スポーツでは,このピーク状態(至適ゾーン)に自分の心理状態をもってくることが重要になるわけだが,少しでも気を抜くと下がっていく。そのピークを見つけ維持するのがなかなか難しいのである。普通の選手は,(ピークでも谷でも)そのような状態に「なってしまった」と表現する。つまり調整がうまくできなかったというわけだ。しかし,メンタル・マネージメントあるいはメンタル・トレーニングの場合には,そのような状態に「もっていく」トレーニングが必要である。そのような状態に(受動的に)なるのをまつのではなく,一心不乱に集中する状態に自分自身を「しよう」とするために,トレーニングという努力が必要になる。これはスポーツに限らず,勉強・学習でもいえることである。
 
(2)スポーツにおける「あがり」の徴候
 スポーツに限らず,面接や試験でも,誰でもあがらずに自分のいつもの調子を出したいと思う。そこであがらないための方法を考えてみる。そのためにはあがる原因,あるいはあがりの兆候をまずしっかりとおさえておく必要がある。

 一般に「あがり」という現象は,自分が周囲の人からどのように見られているのかとの意識が強く出てくるときに現れる。他人の目を気にする,自分の結果を他人がどう評価しているのかなどの思いである。それゆえ自分の弱さを知り,できない自分を振り返ることによって,自分のそのままを描き出すことが求められる。

 以下,あがりの徴候を示す。
@交感神経系の緊張:のどがつまったような感じ,唾液がねばねばするような症状である。
A心的緊張感の低下:注意力が散漫になる,あくびが出るなど。例えば,お腹いっぱい食べたような状態,すなわち何もせずに横になりたいという状態では,神経がみなお腹の消化に回ってしまうために,交感神経が休んだ状態になる。逆に,副交感神経が働く。あまり食べるとスポーツにはよく作用しないことになる。
B運動技能の混乱:手足が思うように動かない,不必要な動作に力が入りすぎる。
C不安感情
D劣等感情:相手がいやに落ち着いているように見える,うまく見える。
これらの徴候が出た場合には,ほとんど実力を発揮することができず試合には負け,これまでの練習の成果が水泡に帰してしまうことになる。そしてこれらの徴候は,心の問題(心理的症状)と体に出てくる生理的症状の問題とにある程度分けることができる。なぜなら,心の問題は体に反映するし,体の状態が逆に心に影響を与えることもあるからである。

<心理的症状>
@ 極端な不安感
A 劣等感情にさいなまれる
B 注意が散漫になる
C 考えがまとまらない
D その場から逃げ出したくなる
E 強いあせり

<生理的症状>
@ 呼吸が乱れる
A 脈拍が非常の速くなる
B 顔面がこわばる
C 手のひらに汗をかく
D 小便をしたくなる
E のどが非常の渇く
F 頭部が熱くなる
 生理的症状は自覚しやすいのだが,心理的症状はなかなか自覚しにくい傾向がある。このような生理的症状が出てくる背景には,必ず心理的な症状があるのだが,それに注意を寄せる人は少ない。

(3)セルフ・コントロールの初期状態
 そこで,前述のような心理的・生理的症状をコントロールするために,いくつかの方法を紹介したいと思う。
それを考えるための前提条件として,リラックスした状態が基本になるので,その状態をいかに作り出すかということが重要である。心理的側面のセルフ・コントロールの初期状態,つまりあがった状態に「なった」ものをならないように「する」ことが,ここでいうところのコントロールである。それがリラックスした状態にすることである。

 その次に,その競技に適した心理状態を作ること。例えば,相撲で言えば,体に力を入れて相手に向かっていく心理状態である。この場合は,体をたくさん動かして汗をかきながら練習することになる。一方,的を目がけてやる競技の場合は,余計な力が入らないようにリラックス状態が必要である。アーチェリーなど繊細な動きをする場合には,力を入れた気合い動作・準備状態はよくない。むしろ「りきみ」を消すような準備状態にしなければならない。呼吸も整え落ち着いた状態を作ることが必要になる。

 このように競技に適した状態というのは,スポーツの種目によって違ってくるので一律に考えることができない。スポーツの種類に応じた自分に合った心理状態にいかに導いていくかが競技スポーツの課題となる。その基本はあくまでもリラックスした状態で,ここをまずきちっと押さえておかないといずれの場合も整えることができない。

(4)呼吸を使ったリラクゼーション法
 リラックス状態を達成するための一つの方法が,呼吸を使ったリラクゼーション法である。これは,息は吸うときには心拍数が上がり,息を吐くときには心拍数が少なくなるという生理的効果を利用し,自律神経系の調節機能を意識的に行うものである。留意すべき点としては,息を吐くことに対して,強く意識する必要があり,不安な気持ちや雑念などを呼気に含めると一層効果的に活用できることである。

 具体的にまず,腹式呼吸法を見てみる。まず第1段階。1,2,3,4と数えながら鼻から息を吸う。その後,1,2とちょっと止める。そして4,3,2,1と口から息を吐く。基本は息を吸う時間と吐く時間を同じくすることである。そうすると心拍数が上がったり下がったりする。

 次に,第2段階。今度は4つ分で息を吸ってお腹にため込み,8つ分で息を吐き出す。そうすると腹がへこむ。心拍数が上がるのは第1段階と同じ時間であるが,吐く時間が倍になるので心拍数の下がり具合がなめらかになる。このプロセスを約15秒に一回の割合で行う。このポイントは吸った時間の倍の時間をかけてゆっくりと大きく吐き出すことである。そしてこのような呼吸法を,リラックスするためにやっていることをしっかりと意識しながら行うことが大切である。

 そしてリラクゼーションの後は,必要に応じて消去動作を行う。一般に,スポーツの場合消去動作は行わない。例えば,スポーツの試合の前のウォーミングアップの際に,前述の呼吸法を取り入れたとする。落ち着いた状態になったらそのまま試合に臨むのがよい。
日常生活の中で,呼吸法によるリラクゼーション法をすると,その後にボーッとした状態になる場合がある。本当にリラックスすると寝てしまう。昼休みにこれをして,午後の仕事に取りかかる場合には,ボーッとしているのでこれを戻す必要が出てくる。その際に必要なものがこの消去動作なのである。

 消去動作としては,握りこぶしで力を入れる,首まわし,肩まわしなどの簡単な動作を入れたり,時には顔を軽くたたくことも効果的である。このような消去動作によって普段の心理状態に戻る。

(5)筋肉を使ったリラクゼーション法
 もう一つの方法が,筋肉を使ったリラクゼーション法である。これは,身体の緊張(りきみ)−弛緩(ゆるみ)を繰り返し,心身のリラクゼーションを目指す方法である。筋肉を使い,力を入れれば入れるほど,緊張感(りきみ)が出てくる。それをスーと抜き,今まで力を入れていた部分の感覚がどう変化するのかを体感する。普段の無意識の生活の中では,力を入れる局面は覚えているが,それを抜く局面についてはあまり自覚していない。目の場合も同様で,弛緩(伸ばす)の状態を意識してやらないと緊張状態が長く続いて近視になってしまう。

 この方法のポイントは,力を抜いたときの筋肉の感覚をつかむことである。つまり力が抜けた状態,筋肉のリラックスした状態を体感することである。緊張→力を抜く(リラクゼーション)のプロセスを通してゆるみの感覚,そしてそのことの気づきの感覚を体得する。但し,筋の緊張(力を入れること)が健康の支障となる人には向かないので注意が必要である(例えば,高血圧症など)。

 それでは,具体的方法として筋弛緩法を紹介する。
まず,深呼吸を1回する。次に,ある部位(左右腕,上腕,肩首,顔,大腿,足首,腹,全身など)に力(緊張)を入れる(1,2,3,4)。その後,完全脱力(弛緩)する(10,9,8,…3,2,1)。このプロセスを繰り返す。自分では力を抜いたと思っても完全に抜けた状態にするのは意外に難しいものである。どこかに力が入っていることが少なくない。人間は力を入れるのは容易なのだが,力を完全に抜くことは難しい。このリラクゼーション法は,自分の今の状態をコントロールすることである。各部位ごとにこのプロセスを繰り返し,最終的には全身に力を入れて完全脱力をする。
ただ,スポーツの場合は時間的な余裕がないので,このようなことを数秒の間に行わなければいけない。

 普段の生活の中でこうした方法をいつでも,どこでもやってみることが訓練として大切である。就寝前の布団に入った状態は,完全にリラックスした状態になっている。ところが,平常時はそうではないので,力を抜いた状態を体感的につかまない限りは,緊張状態とリラックス状態の区分がはっきり分からないことになる。そのために前述のような訓練を通して両方の感覚を覚えるのである。

 また,イライラしたとき,あせっているとき,過緊張状態(試験,面接,競技等)などでは,その状態からリラクゼーション状態に意識的に移るのはとても難しい。そこで普段の生活の中で緊張状態からリラクゼーション状態に移行させる訓練をする。筋弛緩法を約3カ月やれば,普通の人であれば自分のリラクゼーションの状態がわかるようになる。早い人では約2週間で感覚・体の変化を気づくようになる。

4.最後に

 落ち着かない状態(いらいら,そわそわ,不満,いらだち)で諸活動に臨むと,なかなかよい成果を得ることが難しい。そこでそのような状態からリラックスした状態,あるいはセルフ・コントロールした状態に一旦戻ってから「動」(安心,集中,やる気,喜びなど諸活動に適した状態)に移るのがよい。

メンタル・トレーニングの特徴を挙げてみる。
@メンタル面の変容は体力,技能面に比べ評価がしずらいことがある。
Aメンタル・トレーニングは,誰にでも適用できるものというのがないので,個々人なりのリラクゼーション法というものが必要である。そして個々人の努力に依存する。
B自分の失敗の経験をうまく活かそうと取り組む人が多い。

 自分に不足しているメンタル面が何なのかをまず理解することが第一歩である。大きな試合になるとあがってしまって実力を発揮できない自分であるという現実をまず認めることである。その上で,何とかしようという改善の意欲へと進む。つまり,どのような自分になりたいのか,どのようなプレイをしたいのか,どのような目標を目指すのかを明確にすること。そのような思いを土台に,自分の強化への継続性を図る。自分の可能性,魅力をはっきりさせてトレーニングをするのである。自分の現状をありのままに認めることはなかなかしたくないものであるが,まずはそれを認めることが重要なスタートである。

 実力の発揮に必要なメンタル面の改善は,自分の心理状態をコントロールすることであるので,日常生活全般に広く影響を与える。一般にスポーツをやった経験のある人は,生活上のストレスに打ち勝つ耐性をもっている。例えば,上司からいろいろと言われてもなにくそと気概をもって取り組むことがある。それはスポーツの練習を通してメンタル的な強さを訓練された結果であろう。これまでこうしたことは,選手個々人に委ねられることが多かったが,これからは体力・技能の訓練とともに,周囲の人々がそうしたメンタルな側面を積極的評価してメンタル・トレーニングとして取り込むことが重要であると思う。それがひいては人格教育ともつながっていく接点になるのではないかと期待している。
(2005年3月28日発表)