遺伝子からみた人類の起源と
人類集団間の近縁関係

国立遺伝学研究所・総合研究大学院大学教授 斎藤 成也

 

1.遺伝子の系図

 生命現象は,歴史性を強く有する遺伝子が中心に位置しており,生物の進化は遺伝子の変化が根本にある。したがって,生物の系統関係や分類は遺伝子の違いをもとに研究することが基本となるべきである。実際,バイオテクノロジーの発達により,生物の系統関係を遺伝子やその直接産物であるタンパク質で調べる分子系統学が近年著しく発展している。人類諸集団の間の系統関係についても,遺伝子の違いを調べることでここ数年の間にも急速に新しい知見が増加している。

 遺伝子をたどっていくと人間の起源がわかってくる。DNAの親子関係は,人間の親子関係の基本である。人間の親子関係では,一人の人間に母親と父親という二人の親がいて系図をなしており,人間の系図では見かけ上祖先の数が世代ごとに倍増していく。それはそれぞれの世代の祖先がすべて別人であると考えた矛盾であり,「延べ人数」として見ているためである。むしろ過去をさかのぼればさかのぼるほど,祖先は重なっていくので,「私」という存在は親戚同士の結婚を繰り返した結果だといえる。それはいわゆる「近親婚」の意味ではなく,複数の人間の間の関係を考えれば,見かけ上は赤の他人のようであっても,祖先をたどれば必ず親戚にあたるという意味である。したがって,人間全体が血のつながった親類であり,さらには生きとし生けるもの皆DNAによってつながっているのである。

 そのことを示すのが遺伝子の系図(図1)である。 1個のDNA分子は自己複製によって2個の子供DNAを生む。あるDNA分子には,必ず親DNAがいる。この親子関係を示すDNAの「系図」を遡って行けば,遠い過去の時代に生きた人間のDNAにまでたどることができるはずである。これは遺伝子の性質上必ず予想されることである。この流れは生命の誕生以来,連綿と続いている。この遺伝子の考え方からすると,血縁関係のあるもの同士はもちろんのこと,他人同士であっても,同じ種類の遺伝子を取り上げて比べると,世代を遡っていけば,いずれは共通の祖先遺伝子が必ず存在することになる。多数の人間のDNAを比べると,中には近い関係もあれば,遠い関係もあるので,全体の関係図は,生物の系統樹のようなものになる(これを「遺伝子の系図」と呼ぶ)。

 図1で,世代を遡るうちに,たまたま同一の先祖にぶつかる場合が,ある確率で出てくる。つまりその先祖は兄弟の親ということになる。この親も2個の遺伝子を持つが,二人の子供がたまたま同じ黒丸の遺伝子を受け継ぐことがある。こうして最初4個でスタートした遺伝子がこの世代で3個になる。さらに世代を遡っていくと,共通の祖先遺伝子に次々とつながってゆき,最終的に4個の遺伝子全体の共通の先祖DNA1個にたどりつくことになる。確かに複数の先祖DNAの系統が長い間共存して,遡っても遡ってもなかなか共通の先祖にならないこともある。しかしいずれは一つになるのである。60億人の人類のもつ120億の遺伝子があっても,その遺伝子をさかのぼっていけば最終的に1個の遺伝子にたどりつくのは当然の帰結である。

 人間の細胞に含まれるDNAは,細胞核の中の染色体だけにあるのではない。「ミトコンドリア」という細胞内小器官には,小さいながら独自のDNAがある。核内の染色体と独立に親から子に伝わるミトコンドリアDNAは,その塩基総数が約1万6500個ある。人間を含む脊椎動物では,ミトコンドリアDNAは母性遺伝するので,この遺伝子の系図は女性の先祖のみをたどった系図と考えることができる(図2)。精子にもミトコンドリアDNAが存在するが,なぜか受精卵の中で破壊されてしまうため,ミトコンドリアDNAは母方からのみ伝わるのである。それゆえ,ミトコンドリアDNAの場合,男系を無視できるので,人間の系図と遺伝子の系図が一致する。これら遺伝子全体の共通祖先は,大昔に生きていたある女性(いわゆる「ミトコンドリア・イブ」)のミトコンドリアDNAにたどりつくはずである。

 これは当時一人の女性だけがいたという意味ではない。当時そのほかにもヒトがいたであろうが,現在いる人類のすべてがたまたまその一人の女性から出てきたという意味なのである。それ以外のヒトの子孫は,絶滅したと考えられる。

 人間の進化を考える時,ある意味ですべてはアフリカから始まる。化石を研究している古人類学者には,複数地域の系統がそれぞれ現代人にも伝わっていると主張する人がいる(「多地域進化説」)。その一方で,多数の現代人のミトコンドリアDNAを調べたレベッカ・キャンやアラン・ウィルソン(米国カリフォルニア大学バークレー校)らは,1987年におよそ15万年前にアフリカから現代人の祖先が全世界に広がっていったと主張した(いわゆる「単一起源説」)。このポイントは,ホモ・エレクトス(150万年以上前に現代人の系統の一部がアフリカを出てユーラシア大陸のあちこちに進出したホモ・エレクトスの時代で,この移動を「最初の出アフリカ」と呼ぶ)がアフリカを出発した時よりもずっと後になって(約5〜6万年前),現代人は再びアフリカからスエズ地峡を越えて広がったとする点である。これを私は「第二の出アフリカ説」と呼んでいる。

 その後のミトコンドリア遺伝子の研究は大きく進展し,その成果は上述の後者の説を裏付けるものとなっている。

2.現代人類の系統図

 前節で述べた遺伝子の系図は常に存在するが,進化時間が短いと突然変異の蓄積が少なくなるので,遺伝子の系図を作ることができなくなる。そこで,人類集団間の系統関係を探るには,対立遺伝子頻度の違いを用いることが多い。それは時代がさかのぼるほど二つの人類集団の遺伝子頻度は変化し,ごく最近に分かれたのであれば遺伝子の頻度は余り変わっていないことを示すからである。

 人類集団の対立遺伝子頻度を調べるのに血液を用いることが多い。例えば,ABO式血液型の遺伝子で言えば,日本人ではA型,B型,O型の対立遺伝子が主たるものである。そのほかにも,Rh式,MN式,P式などの種類があり,さらには赤血球の中の酵素タンパク質や血清タンパク質なども用いられている。

 ABO式血液型遺伝子座の対立遺伝子頻度を用いて,20の人類集団の違いを示したのが表1である。A1,A2,B,Oの頻度の比率で見ると,日本人は,アイヌ人,韓国人,中国人と似かよっている。

 さらに対立遺伝子頻度のデータをもとに,集団間の遺伝的違いの程度を表す指標である「遺伝距離」を推定することができる。それによって集団間の遺伝的な近縁関係を推定することもできる。図3は,血液型や赤血球酵素12遺伝子座の遺伝子頻度データから,私が環太平洋地域のヒト集団を中心とする30集団間の遺伝的な近縁図を描いたものである(線分の長さは遺伝的な違いに比例しているが,線と線の間の角度には意味はない。)この図から分かることは,大体大陸別にまとまっていることと,アフリカ人が他集団から大きく離れているのが特徴である。

 図4は,ミトコンドリアDNAゲノム1万6500塩基のすべてを世界の53人で比較した遺伝子系図である。この図によると,アフリカ系統が4回(A1〜A4)にわたって分岐している。共通祖先に近いところで次々にアフリカ人の系統が分岐しているので,かつて現代人類の祖先はアフリカだけにいて,その後ユーラシアへ,さらにオセアニアや南アメリカ大陸へいったという可能性が高くなる。もちろん世界の中には,調べられていない人間の中にそれを反証するような可能性がないとはいえない。しかし,これまでおそらく1万人以上の人間のミトコンドリアDNAが調べられたと思うが,それらはすべて15万年前頃と推定される比較的最近に共通祖先を持っていることがわかったのである。

 次に,母系の系統を反映するミトコンドリアDNAに対して,父系の系統を反映するのがY染色体であり,それをもとに作成したのが図5である。この系図の中で,大多数の系統の共通の祖先から第1番目および第2番目に分岐した系統1と系統2のタイプは,ほとんどがサハラ砂漠以南のアフリカ地域でしか見つかっていない。これはミトコンドリアDNAの系図と類似したパターンを示している。

 図6は,血液型や赤血球酵素などの20遺伝子座の遺伝子頻度の情報から,環太平洋地域を中心とする26人類集団間の遺伝的な近縁を表したものである(線分の長さは遺伝的な違いに比例しているが,線と線の間の幅には意味がない)。まず,アフリカ人のグループ(注;ヨルバ人:ナイジェリア人,サン人:ブッシュマン)が他の地域の人類集団と分かれており,次にヨーロッパからインドにいたる西ユーラシア地域の集団と,それ以外の環太平洋の人類集団が分かれる。環太平洋集団は,南北アメリカ,サフール,東アジア,東南アジアとオセアニアに分かれる。

 またAlu配列挿入多型に基づいて,100種類調べた結果をもとに作成した系統関係が図7である。ここでもアフリカとそれ以外の地域がまず分かれている。

 これまでに得られている遺伝子の研究結果を中心として,さらに考古学や化石の研究結果をも含めて考慮しながら,現代人の起源とその地球上での拡散についてまとめたのが図8である。

3.東アジア集団の中の中国人

 東アジアの中で中国人は遺伝的に多様性があるといわれているが,その点について実証的観点から見てみよう。

 1978年は, 小平が資本主義諸国とのそれまでの事実上の鎖国状態から中華人民共和国を開放政策に転じた重要な年であり,人類学の分野でも日中間の交流が再開した。遺伝学的研究としてはまず,尾本惠市(東京大学)を中心とする日中の共同研究チームが,中国南端に位置する海南島の人類集団を調査した。この調査では,リー族,ミャオ族,ホイ族などの少数民族と漢族が調査対象となった(私も第二次調査に参加)。

 その成果の一つが図9である。海南島の6集団を含むアジアの17人類集団について,10遺伝子座のデータから集団間の遺伝距離を計算して,私の開発した近隣結合法で作成した遺伝的近縁図である。図中の楕円の中には,海南島の集団だけではなく,中国本土南部の広西省に住むチュアン族,タイ人,ジャワ島人も含まれている。わずか四国くらいの大きさの海南島の中の遺伝的多様性がきわめて大きいことがわかる。それに対して東アジアの広大な空間に分布する日本人,韓国人,モンゴル人,アイヌ人の間の遺伝的多様性がいかに小さいかがわかる。海南島の漢族や福建省の漢族は,その地域の少数民族と長い期間に混血などで近い関係になったのだろう。

 また,図10は,HLA(ヒト白血球抗原)遺伝子のデータを用いて作成した中国の16集団および日本と韓国の集団についての遺伝的近縁図である。この図には,大きく二つのグループが認められる。一つは,海南島のリー族やミャオ族,ヤオ族など中国南部の少数民族を含むものであり,もう一つは,モンゴル族,カザフ族,ホイ族,チベット族など,中国北方の少数民族を含むグループである。中国南部の広州,広西省,海南島の漢族は南方少数民族のグループに含まれ,中国北部の北京,徐州の漢族は北方少数民族のグループに含まれている。日本人と韓国人は,これらの集団の中では互いにもっとも近縁であり,どちらも北方グループに属している。ただ日本人の場合は,その起源が南方系,北方系など多様なルートがあるために,取るデータによって若干ずれが生じる場合がある。

 中国に広く分布し,最大の人口を擁する漢族が,それぞれの分布地に近接した少数民族と遺伝的に近縁となっているのは,各地域の漢族がその近辺の少数民族と混血したり,あるいは少数民族の漢族化が生じたりして,広い地域に分布する漢族内に大きな南北差が生じたと考えられる。

 中国においても古代DNAの研究が進められているが,その中から興味深い知見を紹介しよう。以下に紹介するのは,私も参画した研究で,植田信太郎(東京大学)と王瀝(中国科学院遺伝研究所)らを中心とする日中共同研究グループによるものである。

 500年ほど隔たった中国の二つの時代(春秋戦国時代中期と前漢末期)について,春秋戦国時代の国「斉」の都があった臨 (山東半島の付け根付近)という同じ地域の遺跡から人骨標本を得て,ミトコンドリアDNAの塩基配列を決定した。同じ地域から現代中国人のDNAサンプルも得て,同一地域の三時代の比較(現代,約2000年前,約2500年前)を行った。図11は,その集団の近縁関係図である。
現代の集団については,東アジア集団,中央アジア集団(トルコ付近),ヨーロッパ集団の近縁関係は納得いくものである。ところが,中国古代の2集団は特異な位置を示した。すなわち,前漢末期の集団は,現代東アジアから離れて中央アジアの集団の中に入り込み,春秋戦国時代末期の集団は,ヨーロッパ集団と中央アジア集団の間に位置し,どちらかというとヨーロッパの方に近い関係となっている。最近,私はさらに古い中国の時代,すなわち,商・夏の王朝時代の標本を得て調べている。

 この結果は何を示唆するのか。中国古代には,現在とは遺伝的にかなり異なる人々があちこちに移り住んでいた可能性があるということである。特に西ユーラシアの影響を考える必要があろう。

 劉邦や項羽が争った秦末の戦乱では,おびただしい人命が失われた。その後の空白地帯に,周辺にいた別の系列の人間が入り込んだのかもしれない。後漢末から三国時代にかけても,人口が大きく減少した。三国は一旦晋によって統一されたが,五胡十六国時代の混乱が始まり,隋によって統一されるまでに,中国は人口減少をふたたび経験した。そのときも周囲の民族が中国大陸に入ってきたことが想像される。この論理で類推すると,黄河文明がおきたころの「中国人」は,今の漢族とはだいぶ違った民族によって構成されていたのではないかとの可能性もある。

 また,古代から現代まで「社会的漢族化」は常に生じている。これは周辺の少数民族が中国文明を受け入れて漢族化することである。こうして遺伝子は混ざり合ってゆく。もっと研究が進めば,中国古代史に新たな解釈が加えられることもあるだろう。

4.人類と環太平洋の未来

 最後に,遺伝学の見地からみた人類の遠い将来像を考えてみたい。
生物種の中でヒトは特殊である。霊長類はもちろんのこと,大型の哺乳類で,ヒトのように急速に世界中に分布するようになったものはない。今から約1万年前,農耕牧畜の開始とともに現在につながる急激な人口増加が始まり,また海洋をまたにかけた長距離の移住が始まった。ポリネシアへの拡散がその一例であり,最近では15世紀以降の大航海時代が大きなうねりである。このような状況では,もはや現在の人類集団を比較して過去を知ろうとする試みはますます困難になっていくであろう。

 そこで私は,人類集団の大分類として,1万年前の状態を復元するにとどめることを提唱した(図12)。それは人類集団の分類に,地理的名称が困難なく用いることができるからである。その中で,サフル人とは,氷期に海面低下が生じてオーストラリアとニューギニアがつながって,サフル大陸と呼ばれたのにちなんだ名称である。また,ヨーロッパ,アジアという地理的名称が人類集団の分類には対応しないので,西ユーラシア人,東ユーラシア人とした(その境界ははっきりしないが,モビウスラインあたりであろう)。それ以外は単に大陸名を用いている。南北アメリカ人は,従来の南北アメリンドに対応する。

 東ユーラシア人,サフル人,南北アメリカ人は,遺伝的近縁図から見ると,一つのクラスターに属するので,これを「環太平洋人」と呼んだ(従来の「広義のモンゴロイド」というクラスターに対応)。

 ただし,この環太平洋人は,1万年前までの人類分布に対する名称なので,現在の環太平洋に住む人々とはかなり異なっている。「当時はアジアから世界のあちこちに人々が移動して行ったんだな。でも今は,ヨーロッパを起源にする人々がはるかに多くなってしまったな。」という挽歌のような意味も込められている。

 しかし,これからの将来を見据えた場合には,地球上の人間の交流はますます活発になると予想されるので,人類集団の混血も増加しつづけることであろう。例えば,日本人でも国際結婚をする割合が近年かなり増えているという。特に,地理的に近接し,文化的にも似かよった集団間においては,さまざまな事由により混血が高い頻度で生じることが予想される。そうなると,前述の6大グループの中で各集団は遺伝的均等化に向かうと思われる。長期的スパンで見れば,人類集団の遺伝的近縁性が増大していくだろう。この過程で,全体に対して相対的に人口が急速に減少しつつある小集団は,文化的独自性は保つかもしれないが,遺伝的には周辺の大集団に溶け込んでいくことが予想される。その結果として,人種的,民族的垣根は次第に低くなりなくなっていくであろう。その結論として,私は「人種よ,さらば。民族よ,さらば」と象徴的に表現したことがあった。

 集団としては等質化の道を歩むことになるであろうが,個人差となると別である。遺伝的に異なる2集団が混血すると集団の間の違いは減少するものの,個人の持つ遺伝子が子孫に伝えられてゆくことには変わりないためである。むしろ世界人口の増加とともに個人差も増しつつある。それは人口が多くなると,遺伝子の共通先祖にたどりつくことがなかなかできないからである。

 人類の将来に関して,それを夢に託して私は,太平洋などの海洋上に浮かぶ人工島群が新たな居住空間となり得るかもしれないと考えている。幼い頃読んだ「ムー大陸」がその根っこにあった。また,洋上に浮かぶ人工島というアイディアは,古くはジュール・ベルヌが19世紀末に発表したSF小説『動く人工島』に登場した。最近では,沖縄海洋博のために菊竹清訓がアクアポリスを設計したが,その後ハワイで利用され,今ではスクラップにされたという。沿岸部には,「メガフロート」というアイディアもある。洋上にこのような人工島・浮島が浮かべば,潜水艦の航行も探知されるので,平和にも役立つかも知れない。

 このように国家の垣根が取り払われる傾向は,21世紀になってますます顕著になっている。「国家」というエゴイズムの固まりが,やがては終息するときがくることであろう。
(2005年7月22日)

<補足>

 本文の理解の補足として,遺伝子の基本について簡単に述べておく。
 まず,DNA(デオキシリボ核酸)は,糖・リン酸・塩基から構成されるヌクレオチドがずらりとつながった構造をした長い鎖が絡まりあって,「二重らせん構造」を作り上げている(図13)。糖とリン酸は1種類しかないが,塩基にはアデニン(A),シトシン(C),グアニン(G),チミン(T)の4種類があり,これら4種類の塩基の並び方である「塩基配列」が,遺伝子情報を与えている。そしてDNAは,細胞の核内にある染色体を構成する分子の一つである。

 親から子に遺伝情報が伝わるのは,DNA分子が二重らせん構造をとっているためである。この構造は,アデニンならばチミン,グアニンならばシトシンという分子の対応関係(相補的対合)があるので,複雑な操作なしでいつのまにか構築されていく。この二重らせんがほどけて半保存的に複製され,二つの一本鎖になると,やはりこの相補的対合が働いて,同じ塩基配列をもつ二つのDNAが誕生する。これをDNAの自己複製と呼ぶが,これこそが,遺伝子が文字通り親から子に遺伝する仕組みの核なのである。

 それでは「遺伝子」とは何か。DNAが「物質」であるのに対して,遺伝子は「情報」であるので,別の物質メッセンジャーRNA(リボ核酸)に転写されることが可能だ。

 染色体(DNAとタンパク質の複合体)は顕微鏡で見ることのできる物質(実体)であるが,それを拡大していくと,とびとびに「遺伝子がある」(図14)。しかし,「遺伝子がある」というのは,実は人間の認識の問題であって,物質(実体)的にはDNAの二重らせんがつながっているだけなのである。遺伝子はそのDNAの上に乗っている。情報という観点から見れば遺伝学は情報の学問であり,情報の流れを追っていけば遺伝の法則がわかってくる。ちょうどコンピュータのハードとソフトのように,遺伝学では,物質と情報が明確に分かれている。ただ,遺伝子はあくまでも認識の問題であり,物質的なものと一対一で対応しているわけではないので,研究の発展によって遺伝情報が変化することもありえる。ここに遺伝子研究の難しさがある。

 遺伝情報の第一段階は,4種類の塩基の並び方を示した「塩基配列」である。これは物質であるDNAと一対一の対応関係にある。ところが,この塩基配列の中に,生命活動に中心的な役割を果たすタンパク質の設計情報が暗号化されて隠されている。普通「遺伝子」と呼ばれるのは,この段階の情報である。

 さらに1個の遺伝子を拡大すると,図のように分断された構造になっている。図の箱型の部分(「エクソン」といい,外に出るという意味)から,ATCGなどの塩基配列の情報がもとになってメッセンジャーRNAとして外に出てタンパク質を形成する。実線の部分(「イントロン」)からは,情報が出ていかない。そしてタンパク質は,いろいろなアミノ酸がずらりとつながった「ひも」が,特定のパターンで丸められたものである。そして,DNA上の遺伝情報は多種多様なタンパク質を作り出して,生物が生きていくために使われるのである。

 次に,「ゲノム」とは,ある生物の持つ遺伝子の全体を指す言葉である。一人の人間を構成する細胞は非常に数が多いが,それらは全てただ一つの受精卵という細胞に起源をもち,その全遺伝子は精子と卵に由来する二セットで構成される。人間の細胞は通常二セットの遺伝子をもつ「二倍体」だが,減数分裂を経て生じる精子と卵は一セットしかもっていない「一倍体」である。このような一セットが,ヒトでは「ゲノム」に対応する。

 ヒトでは,これら二セットのゲノムは,22対の常染色体と1対の性染色体に分かれて収められている。ヒトの染色体数を46本ということが多いが,それは常染色体44本と性染色体2本(女性はXX,男性はXY)を合計した数である。各染色体は1本の極めて長いDNAのひもで成り立っており,その全長は1個の細胞にあるDNAだけでも1mを超える。人間のほとんど全ての細胞には同じゲノムが入っている。成人はおよそ60兆個の細胞から成り立っているので,一人当り60兆mのDNAをもっていることになる(これは太陽系の大きさに匹敵する)。