マーケティングの視点からみた大学経営

横浜商科大学前学長・教授 宮原 義友

 

1.はじめに

 周知のように第二次世界大戦に敗れたわが国は,その後,経済の民主化を軸に高度経済成長を遂げ,米国に次ぐ経済大国にまで発展した。この高度経済成長を強力に支えた一つの要因は産業界の要請に応えて有能な人材を大量に供給してきた大学である。同時に大学も高度経済成長の恩恵を享受した。

 バブル経済が崩壊し,高度経済成長に陰りが明確になった現在,産業界はもちろんすべての分野において構造改革の必要性が求められている。すなわち,高度経済成長を前提に設計・構築されたさまざまな制度・仕組みが低成長という時代の環境に適合しなくなり,変革しなければ経営危機に直面するからである。

 営利組織である企業はもとより,非営利組織である行政や大学等のすべての組織は,組織を取り巻く環境によってその存続と成長が規定される「環境的存在」である。すなわち,すべての組織の存続と成長は環境の変化にいかに適応するかに依存している。

 大学の使命は,研究,教育(人材の育成),社会的貢献(研究成果の社会への還元)にあることはいうまでもない。しかし,大学=教育・研究機関として自己規定してしまうことは,社会・経済環境の変化に柔軟に適応する姿勢を欠くことになりやすいといわざるを得ない。大学は企業や行政組織などと同様に社会を構成する一つの機関・組織と規定するほうが社会・経済環境の変化に柔軟に適応でき,その存続を確保できると見ることができる。
ここでは,筆者の専門分野や経験から大学の教育面に焦点を絞り,大学経営について私見を提示する。

2.戦後の大学経営

 第二次大戦後の日本は,海外からの引揚者,軍人の帰国などにより人口は増加したにもかかわらず,戦争による生産力の破壊のため供給力は極端に不足しており,いわゆるモノ(商品)不足の状態にあった。このような状況下(売り手市場)では,商品を作りさえすれば売れるという時代であったから,企業経営者の主たる関心はいかに生産力を拡大して大量に生産するかにあった。欧米のすぐれた生産技術や生産方法を導入し,また新製品を発売することによって競争優位を確保することに力点が置かれた。このように生産に焦点・力点を置く経営を「生産志向型経営」と呼ぶ。

 その後わが国は,流れ作業による大量生産体制を確立し,生産力は飛躍的に増大して世界の生産基地とも言われるほどになった。この時代になると,モノ不足ではなくモノ余りの状況になり,商品を生産すれば売れるというような単純な企業環境ではなくなった。企業経営者はいかに大量に商品を生産するかより,いかに売れる商品を生産するかに大きく方向転換する必要に迫られることになった。すなわち,生産を起点とする経営発想から,消費を起点とする経営発想,つまり「マーケティング志向型経営」への転換である。

 同じことが大学教育でも起こった。戦後人口の増加,進学率の向上などに伴い,大学進学希望者は増加の一途をたどると同時に受験競争は過熱し,大学経営にとってはまさに「売り手市場」の状況であった。このような状況下において,大学はいかに多数の学生を受け入れるかに関心が集まり,狭い都心の校舎から郊外の広くて設備の整った新校舎に移転することが話題となった。また,卒業生を受け入れる産業界は高度経済成長期にあり,生産力の拡大に伴い均質で一定レベルの素養を持った人材であれば,大量に受け入れてくれる環境でもあった。極端に言えば,産業界の要求は「平均的な教養を持った色のつかない学生を供給して欲しい,社員としての色は自社の社内教育によって付けるから,余計な教育はしないで欲しい」ということで,卒業証書があればそれで十分という雰囲気であった。大学経営にとっては,入り口である受験生は多数,出口の卒業生の受け入れも順調そのものといえる時代であった。

 受験生の増大と受験競争の激化に伴い,大学では入学試験の効率化を図るために「マークシート」による入学試験を導入した。マークシート方式は確かに採点の作業と採点エラーの発生を軽減し,短時間で入学試験の合否を判定できることに貢献した。また,新設された広い教室は増大した多数の入学生に対して講義を行なうのに有効であった。大量の受講生を対象にマイクを片手に一方通行の講義を行い,単位を与える授業が話題になった。産業界の大量生産体制に合致する大量教育体制「マス・エデュケーション」であったといえる。反面,各大学の教育理念とか建学の精神に基づいた入学試験による選抜や教授・指導方法などは軽視され,各大学が本来持っていた個性とか特色はないがしろになり,社会的には大学は入学試験における「偏差値」によってのみ評価され,ランク付けされる結果になった。この間文部省(現在の文部科学省)は一貫して新設大学の申請に対して設立を認め,大学数は増加の一途をたどり大学の大衆化は一気に進んできた。

3.マーケティングの考え方

 マーケティング(marketing)は,20世紀の初頭にアメリカで生まれた企業の対市場活動の考え方と活動であるが,研究者や研究機関によってさまざまな定義がなされており,一般的に承認された定義は存在しない。アメリカでマーケティングが誕生した背景としては,産業革命の結果として大量生産体制が確立し,従来の生産すれば売れた「売り手市場」からいかに売れるものを作るかという「買い手市場」への転換に伴って考案され,実践されたものといわれている。生産・技術・工場を出発点とする「売り手の論理」による経営から消費・ニーズ・欲求をスタート点とする「買い手の論理」による経営への大転換である。

 その後,マーケティングの研究が進展し,マーケティングの基本的な考え方はマーケティング・コンセプト(marketing concept)として概念化された。すなわち,@企業は生活者に価値を提供することによってその存続と成長を確保することから,企業経営の中心に生活者(購買者)を置くという,生活者志向(consumer/citizen-oriented),A生活者志向を実践するには,経営活動に携わるすべての従業員が生活者に奉仕するという精神を共有する統合的活動,B企業経営の存続に不可欠な利益は企業が生活者に満足を提供した結果としての報酬とする利益概念(reward)の三要素である。

 マーケティング・コンセプトは企業経営の基本的なあり方自体を規定している。すなわち,企業経営の存続基盤は,商品を生産・販売することにあるのではなく,生活者に対して生活に必要な「価値」を持つものを効率的に供給することによって生活者に「満足」を提供することにある。「満足」を享受した生活者は当該企業の商品またはサービスを再び購入する傾向が極めて顕著であり,企業にとって貴重な「固定客」を創造することになる。企業経営において安定した業績を上げるにはいかに反復購入をしてくれる固定客を創るかにかかっている。換言すれば,企業のために生活者がいるのではなく,生活者に満足を提供するために企業があるという考え方である。

 20世紀初頭,マーケティングは主として営利組織である企業の対市場活動の方略として考案され,実践されてきたが,1970年代以降,マーケティング概念や技法は営利組織のみではなく,非営利組織である自治体,病院,大学などの経営にも適用可能という議論が起こり,マーケティング概念の拡張論といわれた。すなわち,現代社会に存在するすべての組織は,組織のために社会や生活者があるのではなく,社会や生活者に奉仕するために組織が存在するという認識をもち,組織の運営・活動・評価など組織全般について点検し,再構築することが要請された。例えば,病院では多くの患者さんが長時間待たされた挙句,医者の診察は短時間で終り,患者さんは仕方が無いと諦めているが,病院経営はこのままでよいのだろうか。変革期にある今日,組織構成員の意識改革,組織運営,日常の組織活動,組織としての評価項目,組織構成員の評価項目などにおいて組織の再構築は進んでいないのが現実である。

4.マーケティングからみた大学教育の課題

 わが国の大学を取り巻く環境は大きく様変わりしてきている。先述したように,第二次大戦後から最近まで長い間,大学は売り手市場の状況にあったが,少子化の影響で若年人口の減少により受験生にとってきわめて有利な買い手市場へと大きく転換し,「全入」時代を迎えている。すなわち,大学が入学試験で受験生を選ぶ時代から,受験生が自らの意思で大学を選択する時代へと様変わりの状況にあることは周知の通りである。受験生に選ばれる大学になるためには,大学はどうすべきかが今大学が直面している最大の課題である。この課題を解決し大学としての組織を維持し,発展させるためには,これまでの教育のあり方についてメスを入れ,大学として果たすべき社会的責任を遂行することが不可欠である。

 大学経営にとって受験者を集めることは入学定員を確保するために重要な課題である。大学が教育機関とすれば,入学した学生をどのように教育し,有能な社会人として卒業させるかは大学の最重要課題であり,社会的責任でもある。しかしながら多くの大学では以下のような問題に当面している。

 まず学生側の問題について指摘する。現在,大学の大衆化が進み,全入時代になり誰でも大学に入学できる状況下では,多様な学生が入学してくる。進学目的が不明確であったり,中には親の意思でとりあえず進学するといった事例も多い。このように必ずしも勉学意識を持たない学生を対象にどのように動機付け,大学教育になじませるかについて大学として対応できているとはいいがたい。現場に立つ個々の担当者の負担は大きい。

 次に,これまでの大学経営においては,学生が四年間で卒業に必要な単位を取得して卒業できれば良しとする考え方が強かったように思われる。確かに卒業に必要な単位を取得することで,大学卒業生としての教養,専門的知識,社会常識を習得できたと見ることも可能である。しかしながら,学生の自由な選択による履修計画には長所もあるが,単位の取りやすい科目だけを選択しているという大きな欠点もあるといわざるを得ない。無秩序に取得した卒業単位は大学卒業者としての資格・質を保証するものだろうか。

 教える側にも多くの問題がある。教育職員の採用に当っては,研究業績が優先され,講義内容,授業の進め方,黒板の書き方,成績の評価等の教授方法についてはあまり重視されない傾向にある。また採用後も大学教員としての授業方法について指導・助言することも十分行なわれてはいない。その結果,教室での授業は個々の担当者の裁量に任され,チェック機能が働かないために授業が効果的になされているか不明である。さらに,現在,学年末に学生による授業評価を行っているが,その結果は必ずしも有効に活用されているとはいえない。学生による授業評価の結果は個々の担当者の授業に対する自覚と責任を促すだけでなく,大学または学部全体の授業の改善を促進するために組織的に活用する必要がある。

 授業方法にも問題がある。大学の授業は伝統的に教員がテキストまたは講義要綱をもとに,多数の受講者を対象に一方的に講義をするスタイルが多い。この場合,受講者は明確な進学目的または受講目的を持っており,事前にある程度予習をしていることを想定している。しかし,先述したように現実の学生は明確な目的意識もなくまた事前に予習してくることなど想定できない。そのために授業内容を理解しようとする意欲に欠けており,出席することが目的化しており,出席すれば単位が取得できると考えている。教員は学生に対して講義をすることに重点をおくが,学生がその講義内容を理解しているかどうかには必ずしも関心は高くない。

 つぎに,授業に対する評価方法にも問題がある。多くの場合,期末に行われる定期試験の採点によって成績が確定するが,まず試験問題が適切かどうかを点検する必要がある。受講者の増加に伴い採点作業は急激に増大した結果,学生の判断や考えを問う論述式の問題が減少し,知識の有無(○×や穴埋め)を問う問題が増え,高校までの成績評価方法と変わらなくなりつつあり,大学教育で不可欠の「思考力」や「判断力」を修得させるという基本が低下しつつある。また,学生は答案を提出したら後の結果は成績表を見るまで教員任せとなる。しかし卒業する場合は別として,試験も大学教育の重要な一環であることから考えると,答案のどの要素が評価され,答案のどの個所は不適切であったかを理解させることが必要と思われる。模範解答を提供するか,添削して返却するか何らかの形式でフィードバックしていく必要がある。

 さらに,ゼミなどの少人数のクラスでは,教員が「学生一人ひとりの長所を発見し,それをいかに伸ばすか」というコーチング意識を持っていることが重要と思われる。言うまでもないことであるが,教育の基本はフェース対フェースにある。多様化した学生が多数になればなるほど,学生の自主性に任せるという従来の指導方法には問題がある。それゆえに一年次から少人数のクラスが編成できれば,学生の入学目的の提出,教員との話し合いと動機付け,一定期間後のアドバイスを含めての評価・確認・修正等,学生生活全般をある程度計画的に過ごさせるための木目の細かい仕組みも必要かと思われる。入学後の不登校,退学,成績不良者の増加などを考えると,学生に対する大学の指導方法を学生の立場から点検する必要がある。

5.大学教育の将来について

 大学の大衆化,少子化,高齢化など大学を取り巻く環境は大きく様変わりしている。このような環境の変化は,大学経営にとって危機(倒産)をもたらすと同時に好機(新たな成長機会)をもたらす。危機と捉えるか,好機と評価するかは経営者の大学に関する意識の問題といえる。大学教育の対象を高校卒業生と規定すれば,少子化は大学経営にとって最大の危機をもたらす変化である。一方,大学教育は社会にとって必要不可欠な機能であると考えれば,少子化は必ずしも大学経営にとって危機とはならないばかりか好機と捉えることも可能である。

 まず,大学教育の対象者をどこに求めるかは,今後の大学教育を考えるうえでの基本課題である。これまで大学では新しく卒業する高校生を主たる対象としてきた。大学教育が常識ある豊かな教養を身につけた社会人を育成することを目的とすれば,もっと大学教育の対象者を幅広く捉えることも可能である。とくに,高齢社会を目前にしている現在,高齢者を含めた社会人を大学教育の対象にすることは大学経営にとっても社会的にも有意義である。高齢者や主婦,地元の企業などに呼びかけ,大学生として受け入れて,街づくり,地域おこし,地域福祉の充実など,大学を起点として,コミュニティのあり方について地域住民とともに討論し,実践していくというコミュニティ・センター的発想による大学経営を志向することである。

 つぎに,卒業生との連携をもっと活用することである。これまで,卒業生は「同窓会」という組織で大学との関係を保ち,大学の周年事業などの際に,寄付金をお願いするというどちらかといえば,卒業生から見れば,ありがた迷惑な存在として見られてきた。大学経営から見れば,卒業生は大学の保有する最も重要な経営資源とみなすべきである。なぜなら,大学は本来社会にとっていかに有用な人材を提供するかが基本である。卒業生が社会で活躍していることは,大学教育の効果を示す重要な指標の一つであり,大学経営の社会的存在を保証するものである。大学は卒業生とのより密接な関係を構築し,経営面で活用すべきである。

 教員の採用・指導においても改善する必要がある。採用面ではまず,大学の教育理念や建学の精神について十分に説明し,納得してもらい,その実践を約束してもらうことである。大学間の競争がますます激化するなかで,個性あるユニークな大学としてその存在を発揮するには,明確な教育理念や建学の精神に基づく教育を全学的に実践することが必要であり,教員はその中核を担う存在だからである。また,採用後においても授業方法等について定期的にアドバイスする等,大学教員としての自立を支援する仕組みを作る必要がある。

 環境的存在としての大学がその存続と発展を図るには,組織とそれを支えるスタッフ面にもメスを入れる必要がある。大学の組織は,学生を対象とする教育・指導が中心で,経営・財務・企画といった大学経営の中枢を担当する部門は手薄か,兼務になっている傾向がある。そのうえ,大学には経営・財務・企画といった職務を担当する専門のスタッフが少ない。換言すれば,各大学には経営学や財政学などの担当者はいるが,大学経営の専門家は不在である。不透明な環境の中で健全な大学経営を維持していくには,経営の専門家を採用し,組織を整備していく必要がある。

6.おわりに

 近い将来,現在ある大学の三分の一程度は買収,合併されるだろうといわれているが,このような厳しい状況の中で大学がその存続を確保するためには,それぞれの大学がその建学の精神・教育理念を生かして,他の大学にはない特色・独自性をいかに発揮するかにかかっている。これを実践するには,各大学がそれぞれの歴史,立地条件,規模,経営者の考え方などを十分考慮し,経営資源の「選択と集中」を図るべきである。

 また,大学は広く社会的存在として,地域社会と連携をはかり,その発展に貢献する中核的存在となることが必要である。大学の社会的貢献の一環として,将来的にはコミュニティ・センター的な役割を遂行することもありうる。象牙の塔ではなく地域住民に開かれた大学として貢献することは,大学の存続にとって重要な選択肢の一つである。
(2006年3月2日)