私の花粉研究と女性研究者の育成

東邦大学元教授 佐渡 昌子

 

1.花粉症

 花粉症と人間とのかかわりの歴史は古いが,花粉症は花粉を原因とする吸入性・接触性アレルギー疾患の一つで有史以来存在する。一方,日本における花粉症の歴史をみてみると,私たちが花粉の研究を始めた少し後,1960年に東京大学医学部の荒木英斉先生によって「ブタクサ花粉症」が報告され,その後,東京医科歯科大学の斎藤洋三先生が栃木県日光市の病院で,春の時期にいわゆる花粉症のような症状をもつ患者さんが多いという傾向を発見して,日光街道沿いのスギ花粉が原因ではないかと考えたのがきっかけとなって「スギ花粉症」が報告された。この報告後,免疫アレルギーの観点から研究が進められ,地域のさまざまな植物の花粉で似たような症状が現れることがわかり,「○○花粉症」というように細分化されていった。現在では,50種類以上あるとされている。

 世界の他の国々においても同様に花粉症があり,その土地の植生などによってさまざまな花粉に対応した花粉症が報告されている。例えば,米国ではブタクサ,北欧ではカバノキ科の植物,フランス・スペインではオリーブなどを原因とする花粉症が見られる。日本では昔から「春季カタル」と呼ばれる病気があった。空中浮遊花粉分析などの科学的成果によってその中の多くが「花粉症」として特定されるに至っている。

花粉症の原因についてはいくつか考えられる。

 まず環境的要因である。戦前の国の植林政策によって森林の多くが伐採されたが,戦後復興期に成長が早く良質な木材が得られやすいスギ・ヒノキが多く植林された。現在,それらの木が成長して花粉を飛ばす最盛期を迎えるのと時期(1960年代以降)を同じくして,花粉症が急激に現れるようになった(花粉症患者数は1970年代以降急増)。年毎に変動はあるが,大きなスパンでみればスギやヒノキの花粉飛散量が増加傾向にあるのは事実である。草本植物のブタクサ花粉は,一時期減少したが最近増加している。イネ科の花粉も同様の傾向を示している。

 また,大気汚染や生活環境の変化も挙げられる。スギなどが多く生育する地方はスギ花粉の飛散量が多いのに比べ,スギ林の少ない東京など大都会の方がむしろ花粉症の患者が多い傾向が見られるのは,アスファルトなどの上に落ちた花粉が再び舞い上げられたりして吸いやすい環境におかれていることもその一因といわれている。また都会の大気汚染(例えば,自動車の排気ガス中に含まれる粒子が体内に入ってIgE抗体の産生を促進)による喘息などの持病をもったりしたところに,花粉のアレル源が加わるためとされている。都会の中でも交通量の多い街道沿いに花粉症の患者が多いなどといった統計もある。

 人間側の要因としては,戦後日本人の食生活が大きく変化したことに伴う体の抗体などの変化,回虫などの寄生虫をきれいに駆除したことに伴う体内の抗体作用の変化なども挙げられている。体質は食事や環境によっても変わるものである。花粉症は,アレルギー性のものでその人の体質とも密接に関係しており,発症の程度の差はあるものの,一度かかると完全治癒は望めない。

2.花粉研究と私

 私が最初に花粉の研究を始めたきっかけは,大学を終えて研究者としてスタートしたときにさかのぼる。当時,在日米軍の軍人に現れた花粉症が疑われたために,日本植物の花粉研究をしていた幾瀬マサ先生(東邦大学名誉教授)の研究室に花粉分析の依頼があった。それは空中浮遊花粉の分析に関するものであり,私が担当することになった。当時,空中浮遊花粉の分析方法は日本ではほとんど知られていなかったため,欧米の文献を調べて塗布剤の選定や機器の作製など試行錯誤を繰り返しながら分析・研究を進めた。

 まずは手作りで花粉捕集器を作るところから始まり,当初は「重量法」(風等に乗って飛んでくる花粉が粘着部にどのくらいついたかを測定する)という方法で花粉分析を行った。その後,私が幾瀬教授の教室から分かれて研究を始めてからは,「容量法」(一定空気量内の花粉数を計数する方法)を取り入れるようになった。当時は容量法にもとづく欧米製の花粉捕集器はとても高価であった。そのころ日本では環境問題への高まりによって空気中の塵埃を計測する機器が作られていたので,それを利用して花粉分析を試みた結果,カスケードインパクターで捕集が可能であることがわかり,毎日2時間ずつ測定した。こうしてほぼ正確な大気中の花粉数測定が可能になった。

 その後,千葉工業大学工学部の先生方との共同研究で,測定者の能力の差を少なくする方法として,全自動花粉捕集・解析システム製作に取り組んだが,費用対効果と商業化の問題がなかなかクリアできずいまだ日の目を見ないままになっている。全自動の花粉捕集・解析システムが開発されれば,その測定精度も上がる。現在では,前述の二つ(重量法・容量法)の方法を併用して花粉の予報などに使用されている。最近では,花粉に蛍光を照射すると花粉の種類によって色の異なる性質を利用した測定器の開発を試みるなど,日進月歩の発展を遂げている。

3.伝統療法

 花粉症などのアレルギー性疾患は人の体質ともかかわりが深いので,東洋医学について少し考えてみたい。
現在漢方医学で用いられている生薬に関しては,生薬個々の成分の効能・作用などに関する研究はかなり進展してきているが,それらを漢方薬として総合した場合の相加・相乗効果については,まだ化学的に完全に証明されたわけではない。古来経験則的に個々の生薬は何に効くということは分かっているのだが,いくつかの生薬を混ぜて服用するときに,個々の生薬の成分がどのように働いているのかというメカニズムは化学的に分析・証明されていない。もしそれを完全に化学的に解明すれば「ノーベル賞」だとも言われているほどである。

 一方,西洋医学は病理部位などアタックする箇所がはっきりしている場合に効果が大きく現れるが,東洋医学は体の全体を見ながら対症して治していく。人間を「虚証」「実証」などという人間の「証」(しょう:体質)を良くみてそれに合った薬の調合が行われる。例えば,風邪の症状一つをとっても,葛根湯が効く人と葛根湯は効かないが小青龍湯は効く人がいるなど,その人の体質によって処方する生薬が変わってくる。今日では人の体質に合わせながらそれぞれの特徴を生かす形で使われている。

 考えてみれば,こうした伝統療法の系統はどこの国にも存在する。東洋においては中国の漢方や韓国の韓方が有名であるが,西洋においても類似のものがある。フランスでも,草根木皮を使った「チザンヌ」(tisane)がある。例えば,風邪気味のときは「サンク・フルール」(cinq fleur)という五つの花を煎じて飲む民間療法があり,こうしたことを集大成した本もある。

 また西洋ではシナノキ科の「菩提樹」の花を,いわゆる「ハーブティー」のようにして飲んでいる(菩提樹茶,tilleul)。この菩提樹は仏教におけるインドの菩提樹(クワ科)とは違う種類のものである。日本の「げんのしょうこ」のように,花を摘む時期が慣習的に決まっていて,だいたい夏至のころに摘むのがよいと言われている。私がフランスに滞在中,夏至のころ地方に出かけたときに菩提樹の花を盛んに摘んでいるのを見かけたことをよく覚えている。このようにどの国にも健康療法に関する伝統・ならわしがある。過去の時代ごとに当時の人々が経験しながら積み重ねられてきた人間の智恵であり,大切な遺産であると思う。

4.女性研究者と海外留学の意義

 私は国民学校生として昭和16年に入学し,22年に卒業した唯一の学年である。旧制中学から新制高校に変わった進学校であった。戦後の新教育制度(6・3・3・4制)の第1期生として男女共学であった。ただ高等学校では女性が少ないために,学校のクラスでは目立ってしまい教師に当てられる頻度が多いという経験をしたが,女性への差別は比較的少なかったように思う。しかし,大学に残り研究生活をするようになると,特に昇進問題にかかわるときなどには,女性に対する差別・偏見に苦しむことが少なくなかった。助手から講師,助教授くらいまではそれほどでもないが,教授に昇進するときには相当壁が厚いことを実感した。現在では日本政府の女性研究者割り当てなどの行政的指導もあって改善されてきているように思うが,男性教授たちの意識はまだまだではないかと思う。

 そうした壁を克服して評価を得るためには研究実績で見せるしかないので,海外留学に行くなどして実績を作ることに専念せざるを得なかった。私の場合は,当時まだ応募者の少なかったフランスの仏政府給費留学生試験を受けパリ大学(国立)に留学した。フランスでは,渡航費から現地での必要最低限の生活費,研究費などを政府が保証してくれたので,研究に専念できた。(もちろん遊ぶお金までは出ないが,研究するには支障のない程度の保障であった。)

 現在日本には十数万人の留学生がきているが,多くの課題があるように思う。その点で私のフランス留学の体験からいうと,フランスは留学生に対する政策は上手だと感じる。日本では(特にアジア系の学生が)せっかく留学しにきても心証を害して帰って行く人が少なくないように聞くが,フランスではそういうことは少ない。経済的支援の問題だけではなく,留学生に対する全体的な配慮が行き届いたものとなっている。

 例えば,私がフランスに留学して学位を取るときに,学位取得審査の申請費用(論文の出版費用その他)として3000フランかかると言われた。これは当時の日本円で50万円相当の額であった。主任教授からも「費用の工面をどうするのか」と聞かれたが,自分としては特にあてもないので家にお願いするしかないと考えていたところ,教授がその費用を都合してくれた。このようなあたたかい配慮をもらうと,フランスに対しても好意をもつようになる。そのような見えない影響力が大きいと思う。

 日本においても今後は,留学生が嫌な思いをして帰国することのないような周囲の配慮が大切である。それがないといくら量的な拡大をしても,将来的には日本にとってよいとは思えない。研究ができる環境を準備してあげ,成果を出せるような援助体制が重要であろう。たとえ留学生数が減ったとしても,その分援助の質・量を充実させることの方が,投資としては大切なように思われる。帰国後によい思い出が留学生の心の中に残っていれば,それが将来大きく花咲くであろうし,広がっていくものと信じる。この点で現在の日本の留学生に対する政策は貧弱なように感じる。

 逆に日本人研究者も,若い時期には一定期間の海外留学はその人の成長のために必要なことだと思う。留学するにしても,その国に順応する期間を含めると数カ月単位ではあまり意味がない。四季を経験するという意味でも最低1年以上,できれば2〜3年程度の留学が必要であろう。私の経験からは,20代後半から30代前半くらいが一番いいのではないかと思う。あまり若すぎると,いろいろなトラブル(愛情・恋愛問題)を起こして取り返しのつかないことにもなりかねないとの心配がある。特に女性研究者の場合はそうした心配があったので,私のころは(理科系)女性研究者は30歳を過ぎた人が多かった。しかし,海外留学はその人の人格的な幅や視野を広げると同時に,考え方も柔軟になるので,若手研究者には大切なプロセスと思う。
(2006年2月8日)