自然と調和した都市の創造
―シティライフ学の目指すもの

宇都宮共和大学副学長 大久保 忠且

 

1.自然と都市

 現代世界は多くの人々が都市に住む時代であり,都市問題がわれわれの重要な課題となっている。人工的空間である都市の問題にアプローチするためには,人間の生命の本源である自然環境とのかかわりを無視することはできない。

 ところで,本学はシティライフ学部(旧都市経済学部)のみの単科大学であるが,当学部の教育と研究のテーマである「シティライフ」について考えるに当たって,われわれの住む都市という人工環境とともに,それをとりまく自然環境について考察する必要がある。

(1)自然
 一般に「自然」は,農学や生態学の立場から,一次自然,二次自然,三次自然の三つに分けられる。一次自然は,人間の手が加わっていない自然で,極地(北極・南極),原生林,山岳地(ヒマラヤなど),深海などである。三次自然は,農業地,公園緑地などであり,毎年人の手を加えないと維持できない自然である。その中間が二次自然であり,例えば,植林地である人工林,雑木林,遊歩道のあるような国立公園の林野,海水浴場などの海岸である。

 一次自然に人間が入り込むときには,人間の命が危険にさらされる可能性が予見されるので,誰でも対象である自然について予め丁寧に調査し,それに対応した装備をして臨む。三次自然は人間活動や生活に密着しているので,やはり対象の自然をよく調べながら利用する。ところが,二次自然を相手にするときは,その生態系の仕組みや働き,価値も研究せずにいきなりずかずか入り込んでしまう。日本で「自然が破壊された」といわれるとき,そのほとんどが二次自然に相当する場所であった。それは二次自然の‘生態系’に対する配慮もないまま,人間の都合だけで自然を開発してしまったからである。その結果,二次自然に生息していた多くの動植物が絶滅の危機にさらされている。ここ那須野が原の植物でいえば,野生のキキョウ,フデリンドウ,ハルリンドウ,オミナエシなどである。97年に環境アセスメント法ができて,開発に際して事前のアセスメント(環境影響評価)が必要になり,ようやく二次自然の大規模な破壊だけは回避される道が開かれるようになった。

(2)都市
 都市は工学的な発想でつくられた人工空間であり,すべて計算と設計によって計画通りに作られた環境である。とくに都市のハード面は計算どおりに進む予測可能なシステムである。それゆえ,予測不可能な自然に対して,都市は三次自然のさらに外側ないし自然の対極に位置づけられる。その都市で生活している人間,とくに大人は,いわば都市化された人間であるが,就学前の子供は自然的存在である。そのような子供が都市化されて次第に大人になっていく。就学前の時期や小学生時代に本当の自然に接していない子供たちを中学生,高校生になって無理やり大人社会,都市社会に適応させようとすると,どこかでゆがみが生じてくる。

 自然は予測不可能な環境であるので,子供が幼いころからそのような自然に直接に接していると「自然(世の中)は思い通りにはならないものだ」と肌で感じて理解する。一方,コンピュータ・ゲームなどのバーチャルな世界は予測可能な世界であるから,そのような環境だけの世界で生きてきた子供たちは,自分たちのやることの先をすべて読むことができると考えるようになる。そしてそのまま成長して思春期から大人の世界に入ったときに,なんでも思い通りになるとの考えとそうでない現実とのギャップの中で葛藤・破綻が生じる。その一つの表れが「17歳の少年がキレる現象」ではないか。それゆえ子供は幼いころから自然という生態系に接触させながら育てることが非常に重要である。幼いころから自然の面白さとともに自然には自分の思い通りにはいかない面があることを知ることが大切である。そこから自然への畏敬の念が生じ,はじめて生命尊重の気持ちが育つ。さらに世の中は思い通りには行かない,いつ何が起こるか分からないという感覚が身につき,リスク管理能力も養成される。都市生活に自然が必要な理由は,まさにここにある。

 また,大人は,都市生活は快適で便利な世界だと頭(意識)で理解しているが,実はその大人の身体や無意識の世界では,自然との接触を欲しているように思う。人間は,森林や草原で生活していた時代の霊長類とDNAのレベルではあまり差異がないといわれるからである。モンゴル草原の遊牧体験ツアーが,日本の中高年女性に人気があるのはその表れといえる。

2.都市空間への生態系の導入

(1)緑の生態回廊
 現実に現代都市の中に豊かな生態系を確保することはかなり難しい。地元の街づくりに関して助言を求められるたびに,私は,環境共生都市のためのいくつかの改善策を提言している。

 例えば,街路樹を植えるにしても3列,4列の複数列,すなわちモールを造って鳥や虫が棲めるようにするとか,水辺も子供が遊べるような構造にしていくことによって,都市空間の中でも人々が日常的に自然と接する機会を設けることが可能となる。緑地学では,20年ほど前から,ドイツや北欧諸国を中心として「生態回廊」(ecological network)という考え方がでてきて,現在では定着している。生態系を都市内外に新たに設けることは難しいので,できるだけ生態系に近い環境を作っていこうという考え方である。都市の街路樹を,公園を間に挟みながら線としてつないでいく。郊外では,民家の生垣や庭の植物も緑のネットワークの一環として位置づける。さらにそれらが郊外の山すそや丘の緑地にもつながるように組み合わせていく。そうすると鳥,虫だけでなく,ネズミやウサギ,リスなどの小動物がそうした緑のネットワークに沿って都市内の環境にまで入り込むことができるようになる。これが緑の生態回廊である。

 現在,日本の環境省も国立公園についてはこの理念に基づいて施策を進めている。高速道路や自動車専用道路を設けるときには,動物用トンネルや道路上に動物用の橋を設置するなど,小動物が横断できるような工夫を凝らしている。

 本学の位置する那須塩原市はその理念を適応するのに良い環境条件なので,市の新しい街づくりとして私はこの考え方を紹介し提案している。つまり,環境共生都市を目標に,生態回廊の考えを街全体の計画に取り入れることを提案し,さらにその街全体が環境教育の場,すなわち生態園または田園博物館になるように,と希望を述べている。この地域は,街の中に平地林が多く残っているので,それらをうまくネットワークに組み込めるような都市計画を立てる。その設定されたネットワークを上位において,そのもとで地主や業者と開発計画を進める。那須・日光連山は国立公園としてすでに生態回廊になっているので,まずその内側に大きくドーナッツ状の環状型生態回廊を作り,さらにその内側の都心部空間を網目状に緑で結ぶ。開発するならば,その間の部分(網目のなか)に限って開発を進めるという提案である。しかし,現実には行政はなかなか理念どおりに動けないようであるが。

 英国も含めて多くの欧州諸国では,小さな公園の整備にしても芝生を全部刈ってしまうのではなく,少なくとも1m幅,1mの高さの生け垣状に芝を刈り残している。その刈り残された部分は虫の住処となり,その虫を求めて鳥も集まり,さらにリスなどの小動物も集まってくる。10年ほど前にたまたま米国・マンハッタンのセントラル・パークを歩いたときも,その考え方にしたがって芝生の隅が一定幅北の端から南の端まで刈り残してあるのに気付いた。それが小動物の生息できる環境条件を造りあげていて,実際にリスや小鳥がそこを出たり入ったりしていた。

(2)日本における取り組み
 日本では,環境行政の担当者などにはこの考え方は理解されているが,実際の工事を業者に委託した際にその業者の担当者に周知されていないようである。一般に業者は芝生にしてもきれいに刈り込んで,まず見かけを一番に考えて工事を行うので,生態回廊の実践にはなかなか結びつかない。

 例えば,日光杉並木の遊歩道の両側の木の根もと部分には笹がたくさん生え,潅木も茂っている。それに対してある県の外郭団体がつくったパンフレットでは,そうした笹や潅木を伐採してきれいにしようと提案した。これは杉並木の根元やその周りに生えた植物によってせっかく生態回廊ができているのに,それを壊そうということになってしまう。その一方で,同じパンフレットの別の頁には「生態回廊をつくろう」と呼びかけている。このような矛盾も見られるように,私たちの頭を切り替えて,一つの理念を一般社会に定着させるまでにはかなり時間がかかるようである。

 生態回廊の考えでは,道路の街路樹の根もと部分にどんな草が生えていてもかまわないので,草取りの必要がない。ただ見栄えがよいように機械で横と高さを整える程度の手入れをする。そうすると生垣状に連続した回廊ができる。しかし,現実には大学の近くの大通りでも,高さの低いツツジ等を植えて下草を手で抜き取っているのが現状である。費用と手間をかけて,かえって生態回廊を壊すことをしている。

 日本でもこうした理念に基づいて街づくりを行っている都市もある。例えば,千葉県の幕張副都心である。この都市計画には,日本生態学会会長や日本自然保護協会会長などを務めた沼田真の教え子たちがかかわったので,生態学の理念を取り入れた街づくりがなされた。都市空間に緑地面積を十分確保した上,樹木に鳥が集まりやすい樹種を選んでいるので,実際多くの鳥が集まっている。ただ残念なのは,幅の広いモール状の並木にしている緑地や公園も生態回廊になっておらず,緑地も公園も「孤島」となってしまっている。そのため鳥はきているがリスやウサギは来ることができない。ここにタヌキやキツネなどの小動物まで来られるような環境になれば,教育的効果も大きいと思う。

 東京で生態回廊を新たにつくるのはなかなか困難であるが,最近,大きなビル開発をするときに,同時に単なる街路樹を作るのではなく,モール状の並木にしている。つまり,樹木を1本ずつ並べて植えるのではなく,2〜3本を並列に植えてモール状にするのである。モールという言葉は,ショッピング・モールなどとしておなじみであるが,元来は複数列の並木をさしていた。複数の並木を作ると,その中を遊歩道のように人が歩くことができる。また,東京都・表参道のケヤキ並木沿いに安藤忠雄が表参道ヒルズを設計するときも,建物の高さがケヤキ並木を超えないように配慮されたし,同ヒルズの屋上にも植木が植えられて周囲の景観調和するようにと考えられている。

 もう一つ緑の価値について事例を紹介しよう。
米国・ボストンの中心部には,東京の日本橋のように,何車線もあるような高速道路が地上を走っていた。この高速道路は街の景観を壊している上,危険で大気汚染も起きたので,この高速道路を地下に埋める計画を立てて,その地上部をみな緑地に変えた。その総面積は約20haに及んだ。1年に約1000億円ずつ投資し,15年間にわたり約1兆5千億円もの経費をかけて昨年完成した。それによって周囲のマンションの価格が急騰し固定資産税収も増えたという。緑は失ってからでは遅い。失ってからの緑の回復には,開発費以上の費用がかかることになる。

 モール状の並木を作るところまで進歩したといっても,都市景観の考慮の点では東京の再開発のあり方はまだまだという感じがする。例えば,東京の銀座通りから新橋方面に見た汐留のスカイラインはまったく違和感を引き起こすようになってしまった。また,東大の安田講堂を正門から見たときのスカイラインもひどいものになってしまった。安田講堂の背景に高い異質なビルが建ってしまったために,銀杏並木と安田講堂の美しい景観が台無しになったのである。都市計画の専門家集団のいる最高学府ですらこのような状態である。その点,丸の内地区は皇居があるためかすっきりしているように思う。

3.自然を見る目とサイエンス

(1)自然に対する人間のおごり
 私の現地踏査の経験によると,中国・内モンゴル自治区の草原の砂漠化は深刻である。小麦栽培を増やすために放牧草原のうちの開発できそうな地域をトラクターで開墾して畑にしている。このような場所は丘陵の中腹部にあたり,そこは霧が流れ当たるためにかろうじて土壌水分が保たれやすく,“お花畑”(いわば原生花園)になっている。もともと年間降水量の少ない地域であるので,牧草として栄養価の高い植物が育つには貴重な場所である。そこに目をつけて小麦栽培に転換しようと開墾する。一般に小麦栽培は年間降水量が400mm以上ないとできない。しかし,年によっては降水量が上下するために,雨が多いときは小麦が収穫できるが,少ない時は収穫できないので,その畑を放棄して移動してしまう。その結果,その畑は荒廃して雑草が生い茂ってしまう。この雑草はいわゆる草原の草とは違う畑地雑草であり,まったく草原の美しさを奪ってしまう。しかも試行錯誤的に乱開発して次々と場所を移していくために,長いあいだ維持されてきた自然環境が次々と破壊されていく。

 また欧州のスロバキアで見た例では,長年,丘陵地帯をヒツジやウシの放牧地として利用してきた。ところが,旧ソ連時代に「放牧は非合理的であるから,畑にできるところは全部畑にしそこに飼料作物を栽培して,家畜はすべて畜舎で飼うように」とソ連共産党政府より指導があってそのとおり実行したという。旧ソ連の指導により「家畜の科学的飼育」を行ったわけであるが,その「科学」は完全に数値で測れる世界,もしくは合理的意識の世界だけで生み出された科学であった。その結果,畜舎で飼うやり方だけとなり,放牧地は放置したためにブナなどの林になってしまっていた。

 放牧は自然の利用としては,非常に合理的で高い技術を備えた持続可能な牧畜方法であり,その地域の風土にあった形で長年営まれてきたのであった。それに対して,旧ソ連の考え方と同様に,現代でも米国で工業化された畜産技術を勉強した日本の技術者には,放牧を低級なやり方だと考える人が少なくない。

 面白いことに生態学者の今西錦司は,モンゴル草原の遊牧文化を研究して記述した1940年代の文章では,「モンゴルの牧畜は低い牧畜技術でいずれは消えゆくべきもの」とし「小麦畑など耕作に移す方がよい」としている。一方,同行した後輩の梅棹忠夫は,その牧畜を先端的技術と捉え,「生態的な環境を生かした優れた牧畜文化,高級な文化である」と見ている。今西も,後年の著書では梅棹に同調している。いわば文化の多様性評価の問題であるが,その点では梅棹がレヴィストロース(1908- )より先んじていたのかもしれない,と私は興味を持っている。

 養老孟司は,「今までの科学は数値的に計算できるものだけを見てきた。しかしそれはあくまでも科学の一側面でしかなく,もう一面を忘れてしまった」という。私も科学全般にこのような偏りが見られると思う。私はこれまでフィールドワークを中心とした研究を行ってきたので,農学や生態学分野で,とくにこの点を痛感している。これは少し前まで臨床医学を軽視してきた現代医学の傾向とも相通ずるものである。系を単純化して実験を行えばすべて計算どおりに結果が出るので,論文をたくさん書くには好都合である。ところが,フィールドワークや臨床などの調査や診断となると,時間がかかる上,理論どおりにいくことばかりではない。科学全体を考えた場合には,これら両方がバランスよくなっていなければならないと思う。この点日本は,欧州に比べてフィールドワークを軽視してきた傾向があった。研究体制の面で,フィールドワークをやりにくい仕組みになっている。最近はかなり改善されてきたが。10年ほど前,私が学術会議の会員になった際に,第6部では,フィールドワーク中心の研究をより推進(復活)するための論議を行った。その幹事役として私は,「全国の農学部附属機関(農場,牧場,演習林,水産実験所など)をフィールドワーク中心の研究拠点と位置づけること」を提唱したが,そのきっかけだけはつくることができたと思う。

(2)自然エネルギーの利用
 将来のエネルギー源として自然エネルギーをもっと活用すべきだと考えている。エネルギーの専門家の説明によると,原子力発電のコストに比べ自然エネルギーのコストの方が2〜3倍多くかかると言われる。しかし原子力発電の安いコストとはどのようなものか,私はかねてから疑問を感じている。

 最近の新聞報道によると,原子力発電所で発電利用の寿命がきた後にかかる費用(原発の後処理費用)の負担問題をどうするかとの議論が,経済産業相の諮問機関「総合資源エネルギー調査会」で本格化しているという。こうした後処理費用の総額は,電気事業連合会の試算でも約18兆8000億円とされ,その多くの部分について誰がどのように負担していくべきか結論が出ていない状況である。このような将来のコスト負担問題を考慮すれば,原子力発電が将来に向けてもベストな選択かどうかはただちに返答できない難しい問題だと思う。

 一方,欧州のデンマークやスウェーデンなどでは,風力発電やソーラー・エネルギー発電に力を入れており,将来必要量の25%を補えるようにするという。一般家庭でも風力発電を利用しているところさえある。米国でも南部の牧場などに風力発電機を設置している。米国・エネルギー庁の将来予測では,原子力発電に代わってその発電量を将来はほぼ全量風力発電などで代替できるとされる。このように欧米では将来に備えて自然エネルギーの開発に傾注しているのに比べると,日本はなかなか進んでいない現状である。偏ったサイエンスによらない,バランスのとれた総合的な科学的判断が必要な時である。

4.シティライフ学部の理念と教育

 経済学と社会学のアプローチは,ふつう世界や国家の経済と社会についてまず教え,研究し,最後に身近な地域へとおりていく。しかし,地方大学における教育や研究の場合は,その方向性を逆にして考えることがより重要なのではないか。

 まず私という個人の生活(ライフ)と一人の生命(ライフ)を対象としてそこから考えを出発させる。しかし,掘り下げて考えていくと,人間は自分だけ,あるいは自分の家族だけでは生きていけないから,当然周囲の集落や街のレベル,さらに県レベル,国のレベル,そして世界へと拡大していかなければならないと理解するようになる。しかも人々の都市集中が進むなかで,都市・街(シティ)の変化と私の生活・生命がどうつながっているのかを問わざるを得なくなる。

 個人レベルから家族,地域と拡大するときに郷土愛が芽生え,国のレベルに発展する時,より強固な心情的な紐帯が形成される。私はフランスやデンマークでの研究生活の体験から,とくにそのような思いをもつようになった。欧米では利己的個人主義的な考えが強いと思っていたが,個人,家族,地域を思慕している人々は,よその国にまで攻めるようなことはないし,仮に外から攻められた時には自分の家族や地域を防衛しようとの強い思いが自然と湧いてくると話してくれた。

 このように「生活」の意味のライフを考えると,心の問題も当然関わらざるを得なくなる。そこで「教養学」,脳の発達を含む心理学や,易しい哲学の歴史,生命学や生態学なども含む「教養科目」が必要だと考えて,その充実に努めている。いろいろ制約があってすべて実現してはいないし,また,いまの学生には難しかったりとっつきにくかったりすることもあるだろうが,必ず後で役に立つと信ずるものである。

 今後必要なコンセプトとして,私は「場の文化」を再認識すべきだと考える(これは元東京大学薬学部教授の清水博が主宰する「場の研究会」(NPO「法人場の研究所」)の内容でもある)。例えば,茶道の席でお客さんがきたときに,主人方はそのもてなしの気持ちをしぐさで表し,客の方も感謝の気持ちをことばではなくしぐさで表現する。互いにことばをかわさずとも,静かに座って茶をいただきながらその気持ちを交し合う。また老舗の旅館の女将は,客が来ると一目見ただけでもその人をどのようにもてなしたらいいのかがピンとわかる。西欧の一流ホテルのコンシエルジェも同様である。このような感覚を本学の学生にも育てられればとの希望を抱いている。

 もう一つは,日本の現代史(とくに昭和の歴史)をもっと若い人たちは勉強して欲しいと思う。昭和一ケタ生まれの私の率直な実感として,いまの世の中の空気は,昭和初めのころの雰囲気と似ているように感じる。少し前に東南アジア訪問に際して天皇陛下が,「昭和の戦争を知らない日本人が多くなったこと」に懸念を示されたが,控えめのお言葉の先を私たちも読みとるべきであると思う。昨今の若い政治家や評論家の一部が,テレビで「強い日本」を煽るナショナリスティックな言葉を口にし,それが若い人たちの人気を得る,いわゆるポピュリズムの傾向がでている。そして一方では,隣国に与えた痛みについて,想像力を働かすことを忘れている。

例えば,中国における旧日本軍の「731部隊」の史実について学生に聞くと,中国や韓国の留学生はほぼ全員が知っているのに,日本の学生はまず知らない。十数年前私は,内蒙古やハルビン郊外の草原調査の折に,ノモンハン戦争跡や731部隊駐留地を偶然通りかかった。ノモンハンでは,日本兵の遺骨が草原に無数に放置されたままであった。こうした戦争の事実について自虐的に教える必要はないにしても,やはり最少限の事実は教えておく必要がある。それが自由にものを言えぬ社会,そしてひいては戦争の道へ進むことの抑止につながると信ずるからである。これまで教育の現場では,イデオロギー対立の道具としてこうした歴史問題が利用されてきたという痛い経験があるので,もっと価値中立的に取り組むべきだと思う。人を憎まずに罪を憎むという姿勢で接することが大切である。当時の指導者の過ちを知ることでこれからの日本の進むべき道を考える上での大きな教訓が得られる。最大の環境破壊は戦争だとも言われるように,戦争のない真の平和世界の実現に向けて真の人格を備えた人間教育に努めたい。(2006年6月16日)