中東に浸透する新しい平和への動き
―「中東平和イニシアチブ」に参加して

元吉備国際大学教授 安延 久夫

 

1.パレスチナ人青年の心の叫び

 今年5月17日から26日まで,「中東平和イニシアチブ」(主催UPF)として行われたイスラエル・ヨルダンでの国際会議および両地域への視察ツアーに参加する機会を得た。今回の旅行は,私にとって大げさに言えば,パレスチナとイスラエルとの間に驚天動地の変化が生じていることを強く印象づけるものであった。もう一つ不思議だったのは,同じツアーの中で,ガリラヤ湖の水上の旅でボリュームのある朗々とした歌声を響かせていたのが,黒人女性ばかりだったことである。これら黒人女性と中東和平の関係は,直接的に何であったのだろうか。後で徐々に分かったことだが,黒人の心は孤独に満ちていた。

 1973年といえば,十月戦争が行われ,前年はエジプト軍が五分五分の戦いを展開し,パレスチナ・ゲリラの対イスラエル戦意は頂点に達していた。

 それが33年後の2006年,パレスチナ人の心境に信じられないほどの変化が生じていた。それはいわば心の進化であり,ものの考え方のドラマティックな方向変化であった。パレスチナ人はイスラエル人にリベンジ(復讐・報復)の心情が強烈だったし,PFLP(パレスチナ解放人民戦線),PFLPGC(パレスチナ解放人民戦線総司令部)やPDFLP(パレスチナ解放民主人民戦線)などは,ユダヤ人,つまりイスラエル人を対象としてテロ作戦に主力を注いでいた。これらに対応するものとして,故アラファト議長率いるファタハがあった。

 そんな頃,私は連合赤軍のシンパと見られた某看護婦(現在で言えば,看護師)との会見を申し込み,西側の手先と見られていた日本人ジャーナリストへの厳しく,しかも敵対的な視線にさらされたことがあった。

 「彼女も会う希望を表明し,私も会見したい意思を表明しているにもかかわらず,これを阻止するとはパレスチナ人は民主的ではない。」と反論した私に,パレスチナ人の女性は,しばし沈思黙考した後,ついに私との会見を許可した。

 民主主義という私自身も疑義を抱いていた欧米の思考に彼女は同意した。このパレスチナ人の女性はとてもナイーブであり,当時の私は,それを利用したともいえた。私が言いたかったのは,パレスチナ人は話せば分かる人種だということである。

 今回の旅行で,それを痛感したのは,イスラエルの占領地であるラマラでパレスチナ人のある青年が吐露した心からの叫びであった。

 「私は家族3人をイスラエル軍に殺された。しかし今,私はこのことを指弾するために叫んでいるのではない。いまやわれわれパレスチナ人は,敵対の立場からではなく,話し合いによる対話を求めて和平を追求する段階なのだ。」

 この叫びに,私は愕然となった。

 パレスチナ人には心がある。つまり真情がある。理詰めで,合理的解決を追求する欧米の理論武装にはない,相手の立場をも考慮する広い心がある。

 19世紀,20世紀における欧米の発展が,合理性追求による結果であることは否定できないが,パレスチナ人青年の演説は,日本の石田梅巌(1685-1744)による石門心学と根を一にしていた。人のためになるのなら,別に宗教に頼る必要はない。パレスチナ人青年の演説は,まさに新しい解釈を中東和平問題に投げかけたのである。

 パレスチナ自治政府のアッバス議長は穏健派で,イスラエルとの共存を目指しているが,最近の選挙ではイスラエル原理主義のハマスに大敗を喫した。言い換えれば,パレスチナ自治政府の実体は,ハマスに牛耳られたわけである。ハマスが急成長を遂げたのは,パレスチナ住民のために学校,病院,福祉施設などを設けるという住民重視の政策が支持層をとらえたためであった。故アラファトPLO(パレスチナ解放機構)議長麾下のファタハよりは厚生福祉への傾斜が強かった。ハマスは基本的に武装闘争を主張している。しかし少なくとも,政治部門は政党としてパレスチナ自治政府とともに平和指向が原点となっている。

2.イスラエルの論理

 一方,イスラエルはガザ地区にロケット弾を打ち込んで,無辜の子どもたちを含むパレスチナ人を殺傷するなどパレスチナ人の平和指向に水をかけるような蛮行を繰り返す。蛮行の正当化は国家危機であるとともに,安全保障でもある。論理的には正しいのかもしれない。この合理性追求の考え方は欧米に共通する。19世紀,20世紀は欧米に共通するイスラエルの合理性が,欧米をイスラエルに近づけたとも言える。同じ論理でイスラエルに対抗しようとしたパレスチナ人は,軍事的に劣勢のまま,イスラエルの恣意を許すことになった。

 このことに気づいたパレスチナ人の戦略転換がイスラエルとの共存路線であった。もちろんパレスチナ人全員が平和共存路線に合意したわけではない。

 アラブにはパレスチナ人を含めて一方が譲歩すると,それを相手方の弱みとみて,さらに図々しく要求を高めるという悪い癖がある。イスラエルも同じ欲望に陥ってはいないかという危険がある。

 イスラエルは,パレスチナ人側の平和路線に対して論理と合理的な結論を誘導しようとしている。例えば,ハマス治安責任者の殺害,ガザ海岸の砲撃など,彼らなりの正当性が見受けられる。無論こうした行為が,話し合いの精神の発露から出たものでないことは明らかである。パレスチナ側の融和的な態度を利用して,できるだけ有利な立場を築こうという作戦である。ここにはパレスチナ側の平和的シグナルを感じるという(つまり,相手の立場を考慮するという)相手への思いやりは見られない。つまりイスラエルの立場は,平和への扉を開くものではない。論理と合理性という欧米の思考方式が,随所でほころびを見せ始めている現在,勝者の平和提案が破綻をきたす可能性は高い。パレスチナ問題に対する日本の立場は,対米追随だけではなく,パレスチナ人の生き方を慎重に考慮する必要があろう。

3.「死海」も観光化し平和が浸透

 ただ宗教心の薄い私には,どうしても百点満点で理解しにくい現象があった。旅行途上のガリラヤ湖における黒人女性のレゲエ(注:ジャマイカで発展したアフロカリビアンによる音楽のジャンルの一つ)あるいは,アメリカの魂といわれるゴスペルの歌声であった。

 黒人女性の歌声は朗々としてはいたが,それだけに圧力となって響き渡った。ポルトガルのファドーが語りかける優しさをもっていたのと違って,それは半ば強制的と感じられた。黒人女性の歌声は,ガリラヤ湖を北上する遊覧船とともに,はるか北に見えるゴラン高原の山影にまで響いた。

 私は,パレスチナ人の新しい和平への動きとゴスペルの歌声は,一部は重なっていたとしても,ほとんど遊離していることを感じざるを得なかった。
 いや,むしろ黒人女性は,間違ったことに巻き込まれていることに気づいていない,哀しい存在であると思わざるを得ない。

 宿舎となったオリーブ・ツリー・ホテルで毎晩バイキング方式の朝食,夕食があったが,黒人女性は,いずれの席でも孤立して座っており,不安げな落ち着かないようすで黙々と口を動かしていた。日本人同士仲良く座っている席に黒人女性を招いて一緒に食事するという現象も見られなかったようだ。

 米国の黒人女性はパレスチナ解放のための説得を歌声で説いているのだから……という使命感があったのだろうが,そのために不遜な態度を取ったきらいがある。目的が正しいのだからこれくらいは当然とした態度がホテルの顰蹙を買った。目的には,合理性と理論の正しさが伴うものだ。米国の黒人女性は,エルサレムに来てすっかり欧米の合理性に魅せられてしまったのではないか。

 パレスチナ人の平和指向の故か,死海はすっかり観光地化していた。4,5年前までは簡素なホテルがあるだけで,あとは砂浜であった。ところが,いまはすっかり死海見物の家が出来ていて入場料を取られ,観光地化されていた。それだけ平和が浸透しているという印象だ。観光バスも絶えず出入りしていた。

 付近の道路に植え込んであるジャカランダの花は薄い薄い青色,真っ青なジンバブエのジャカランダと違い,薄い薄い青色だった。燃えるような革命の地のジャカランダが色濃いのに比べてインドネシアやヨルダンのそれが薄くなっていたということは,それだけ革命(闘争)の色が薄れ,平和の色が浸透したといことだったのだろうか。

 極めて徐々にではあるが,イラク情勢も武装勢力を押さえ込む情勢が生まれようとしている。(2006年6月26日)