現代経営学からみた大学の人間教育のあり方

創価大学教授  山中 馨

1.現代経営に求められる人間像

(1)全員がリーダーの時代
 現代社会は急激な変化を遂げている時代であり,それに伴って企業組織も大きく変化している。

 一昨年,本学の「トップが語る現代経営」というカリキュラムで,松下電器産業(株)の中村 夫会長の講演を聞く機会があった。中村会長の講演のポイントは次の如くであった。松下電器では,時代変化に合わせて過去の組織体制を大きく改編し二つのマーケティング本部を設置した。その組織は,商品担当者−マーケティング本部長−社長という3段階に簡素化された。それらの方々のコミュニケーションは携帯メールで行い,それも「句読点なしで3行以内にまとめる」という原則で行う。このような組織形態の企業に求められる人材は,かつてとは大きく異なってこざるを得ない。自分の職分の仕事を完璧にこなすだけではなく,全体を見回すことのできる能力が求められている。現代は「全員リーダーの時代」とも言われるように,一人ひとりがリーダーとしての自覚をもたなければ務まらない時代である。同様のことを,日本経団連の御手洗冨士夫会長は,「部分最適ではなく,全体最適」と表現した。

 このような流れは,今に始まったことではなく,松下電器産業(株)創業者の松下幸之助には「社員稼業」という考えがあり,「自分が社員を育てるときには,各自が社長になった感覚で仕事に取り組めと指導した」といっていた。この傾向は今後ますます強まるだろう。

(2)チャレンジの精神
 今日の企業戦略は,「オンリー・ワンの時代」といわれるように,それぞれの企業の得意分野を伸ばしながら成長を図るというものである。これは個人の生き方にも適用できる。自分の弱点を克服することに主眼をおくのではなく,自分の強み・長所を開発して大きく伸ばしていこうとする考え方である。

 オンリー・ワンの時代には,創造力の重要性が強調される。誰も考えないような発想で物事を考えて事にあたるということである。一般にはこの創造力が日本人に一番欠けている,苦手だといわれる。しかし私が思うには,日本人に不足しているのは創造力そのものではなくて,そのベースにある人間性の部分(精神力)ではないかと考える。創造力とは,別の見方をすれば,周囲の誰も言っていないことを考えて行うことであるから,それを実行していく段階で周囲の反発が当然起きてくる。そのような中でも自己主張をして進めていかなければならない。日本は横並び社会,ムラ社会だと言われるが,そのような雰囲気の中でも創造力を発揮できる精神力が日本人に欠けているように思われる。異質な考え,異質な人をも許容する風土がないと創造力は育っていかない。さらには初等・中等教育の段階からそうした気質を醸成しておくことが大切であろう。

 米国MITのレスター・サロー教授は,日本人に欠けている勝者の条件について述べているが,そのなかで一人立って貫く精神力,勇気に乏しいことを指摘した。本当の意味での「富」とは,財力など物質的なものではなく,人間の冒険心,探究心だとも指摘した。

 企業活動において成功したトップの経歴を見ると,常に自己変革をしていることがわかる。大学時代に受けた教育を土台としながらも,それにこだわらずに,自分自身を自己変革して新しいことにチャレンジしていく生き方が求められているように思う。

(3)社会的責任
 私が最近,企業経営活動において着目していることは,「企業の社会的責任」(Corporate Social Responsibility)である。かつては「企業メセナ」(企業が資金を提供して文化・芸術活動に支援すること)といって,利益の1%程度を社会に還元するということが声高に叫ばれたことがあった。しかし,CSRはそのような消極的な姿勢ではなく,企業の社会とのかかわり・貢献(責任性)を企業活動の動機・目的に据えるというより積極的な姿勢である。つまり,利益が出て余裕があれば社会に貢献するという副次的な活動ではない。社会的責任を企業活動の第一目的に据えて企業活動を行い,その結果として,あるいはその必然として利潤がついてくると考える。CSRをやらないと会社がだめになるという発想ではなく,壊れかかった地球を救うためにわが社はどうすればいいのかという発想である。このような姿勢こそが,これからの企業活動のあり方の基本だと考える。

 これは松下幸之助の「水道哲学」にも通じる考え方だ。すなわち,貧しい時代に大量に安い品物を作って社会に還元し,日本全体の水準を高めるという考え方である。このように社会に対する貢献が企業存立の根本に据えられており,それでもって社員のモチベーションを高めて企業活動を展開した。

(4)企業価値を評価する三つの指標
 「トリプル・ボトム・ライン」という言葉がある。この言葉の意味は,企業価値は企業業績のよしあしのみで判断するのではなく,経済・環境・社会の三つの面から,当該企業が社会にどのようなよい影響を与えているかを総合的に評価して,企業価値を判断するものである。

 経済面では,地球全体を眺めると先進国と途上国との格差の問題があるが,その是正のために企業がどのようなことをしているかという基準である。開発途上国からの生産品を積極的に買い付けるという考え(fair trade)も,その一つである。欧米ではこのような方針に基づいて活動を行っている企業が少なくない。環境面の基準については,日本でも積極的な企業が多いのでここで述べるまでもないだろう。社会面の基準としては,途上国では児童労働などの問題があるが,そうしたことの改善に向けた取り組みに関する評価である。こうした三つの面から企業価値を総合的に評価していくという流れが,いま世界の趨勢となっている。

 そのためには何よりトップの姿勢・哲学が重要になってくる。
富士ゼロックス(株)の小林陽太郎会長は,そうした経営者哲学の欠乏を憂えて「日本アスペン研究所」(注1)を立ち上げた。彼は米国のアスペン研究所を訪ねたとき,普段は冷徹な経営者が,その研究所で古今東西の古典を勉強し経営者同士でディスカッションしている姿に接して驚いたという。日本ではまだまだこのような傾向に乏しいと知り,日本アスペン研究所を始めた。こうした精神性,倫理性の高さから,社会的な責任意識が発生する。

 大半の会社の創業者は,ある面において社会に貢献したいとの動機を持って会社を立ち上げたと思う。そのような創業者の精神を維持することが重要であるが,後にそのような高邁な精神を忘れて利益追求にのみに走るとさまざまな不祥事が起きてくる。

2.企業経営からみた大学教育の改革

 前節に述べた現代経営において求められる人間像をもとに,大学教育における人間教育のあり方について考えてみよう。

(1)実践教育の必要性
 これからの大学教育で一番必要なことは,学生をいかに世間と接触させるかということだと考えている。大学教育における知的なものの習得は言うまでもないが,その知識を習得した後にどのようにしてそれを自分のものとして体得し社会に役立てることができるか(智恵)がより重要である。大学では座学の知識の伝達・継承のほかに,教育目標をさらに一歩踏み込んで智恵の開発にも目を向けていかなければならない。このように知識と智恵を区別して考えるべきだ。

 具体的方法としては,カリキュラムの一貫として学生に世の中の経験を積ませることである。インターンシップのような就労体験とともに,大学の授業においても教育方法を工夫すればそれにつながる教育が可能だと思う(次節参照)。

 本学では職業現場でのインターンシップを1年次から4年次まで(それぞれ春と夏の2回,2週間から1カ月行い,単位として認定)実施している。これに参加すると学生の意識や態度に大きな変化・成長を見て取ることができる。アルバイトとの違いは,与えられた仕事の中で責任を与えられたか否かにある。いわれたことをやるだけではなく,与えられた立場で責任を持って取り組むので,それが学生の心の成長に大きな糧となるようだ。

 じつは,創価教育創始者牧口常三郎(1871-1944)は,「半日学校制度」を唱えた。半日学校に行って勉強し,残り半日は働くという制度である。18歳前後の青年期は,知識習得の適齢期であるとともに,社会への適応,社会と自分とのかかわりを形成するにおいても適齢期である。それゆえ「半日学校制度」がこの年代の青年教育には一番いいということで提唱した。こうした本学の伝統を踏まえて出てきたのが上述の就労体験活動である。

 これは単なるキャリア教育(職業教育)にとどまることなく,実践を通して自分は何者なのか(自己のアイデンティティの探求),社会とのかかわりや社会貢献などについて深く自覚することにつながる。そうした根源的問いかけがないと,今日社会問題化しているフリーター,ニート,早期離職などの問題は解決が難しいように思われる。さらに最近は,問題解決能力よりは問題発見能力がより求められている。そのためには全員がリーダーであるとの自覚を持って,周囲を見て問題を発見して自分がリードして解決していく能力の開発も要請されている。

(2)学生のモチベーションを高める教育
 授業方法を工夫することで学生のモチベーションを高めることも可能である。本学ではその一つとして,LTD(Learning Through Discussion)という方法をとくに経済学部と経営学部で実践している。もともとは米国で開発された教育方法であるが,それを本学のFDセンターで取り入れ教員に講習して実践している。実際このやり方でやってみると,学生の学習姿勢が大きく変わってくる。

 具体的には,授業前に学生に教材を提示してじっくりと読ませておき,授業中は教員はタッチせずに,学生が4〜5人のグループごとに教材を中心とするディスカッションを行う。最初のステップでは,教材の分からない語句や意味のあいまいな語句などについてそれぞれが述べ合いながら話し合いを始める。次に,各パラグラフで著者の言いたいことについて検討し,その次は細かい部分について討議し,終わりの段階で自分の意見・考えを述べるという7段階のステップを設けている。教師の役割は,いかにいい教材を選定するかという点に限定される。これによって学生のモチベーションがかなり高まる効果が見られる。

 もう一つは,PBL(Problem Based Learning)という方法である。教員はその最終目標を指定するだけで,勉強のやり方などは教示せず,学生がその目標に向かって自主的に,何を学び,どのようなプロセスで目標を実現するか,グループごとに検討して進めていく。

 これらの方法に共通していることは,学生の主体性をいかに引き出すことができるかである。これまでの伝統的講義方法は知識注入型であったが,いまの学生はそれではモチベーションがほとんど開発されず授業にならない。これからの授業は,学生のやる気,主体性をいかに引き出していくかというところに力点を置いていくことが大切だと思う。

 ところで,最近は大学入試選抜方法がかなり多様化したために,同じ大学の同じ学部の中でも選抜方法の違いによってひとりひとりの学力にばらつきがみられる。そこで私も本学の学生の学力追跡調査をしたことがあった。センター試験利用,一般入試,学力を見ない面接だけの選抜などがあるが,入学時の学力を測定して比較してみると(ITPテスト),面接だけで選抜された学生の英語や数学の学力は,一般入試などで選抜された学生と比べて劣ることが確認された。しかし,その後の学力変化の追跡調査をしてみると,面接選抜の学生は勉学意欲が高いこともあって,学力向上が著しいことがわかった。このことは,入学時の学力が問題ではなく,学生のモチベーション,学習意欲がいかに重要であり,大学教育がいかにその学生の意欲を引き出せるかにかかっていることを示している。

(3)智恵を評価する教育
 これからの社会における最大の資産は人間だと思う。これまでの教育では人間評価の基準が主として知力におかれてきた。人間は知力のみの存在ではなく,他人に対する思いやりや挑戦する精神力,指導力など別の側面をも持っている。そのような知力以外の面をいかに評価するかが大切であり,全人格的評価が求められている。

 大学は学生を教育して社会に送り出すわけだが,そのときに高邁な思想もち人格を備えた人間をいかに育てたかが問われてくる。さらには学生時代だけではなく,自分の人生において生涯にわたる自己教育(人格の陶冶)を継続する考え方をもつことができる「自立した学習者」の養成が願われている。これが大学の社会的責任であり,大学教育においてとくに全人格的評価がより要請されている理由である。

 旧制高校の教育では,文系,理系を問わず教養教育が充実していたと最近再評価されている。考えてみると,いま経営のトップを退いた人々の多くがその旧制学校で教育を受けてきた方々であった。その次の新制教育の世代の人々がいま経営の第一線に立っているわけだが,最近経営トップの不祥事が多く起きている背景には,このような関連があるかもしれない。

 団塊の世代は新しいものに挑戦しようとする精神が強かったが,若い世代の人々はそうした精神に乏しいような気がする。その意味で挑戦する心を育てることも,重要な課題ではないか。それは私が経営の本質を「夢を追いかけること」だと考えるからである。いくつになっても夢を追いかけることによってチャレンジ精神が高揚するのであり,それによって企業や組織の発展がなされるからである。

3.創価大学の取り組み

 現代はグローバル社会といわれるが,そのような社会に向けた本学の取り組みを最後に紹介したい。
本学では海外で活躍したいという希望をもつ学生が多い。それを単なる夢に終わらせないためにも,実際に海外で活躍できる能力を開発するためのプログラムを始めた。例えば,経済学部に,経済学をすべて英語で講義するというコース(インターナショナル・プログラム)を設けた。ここでは米国の大学のビジネススクールと同様に,毎週大量の本を読ませてレポートを書かせるようなやり方をとっている。このコースを無事修了した学生は相当の実力を備えることができる。また,経営学部では「グローバル・プログラム」といって,夏休みに主として欧州に学生を連れて行き現地での教育を行っている。国連ジュネーブ事務所,赤十字国際委員会本部(ジュネーブ),IMDなどのビジネススクールなどを訪ねて,そこの方々と英語でディスカッションをしながら肌で学ぶ教育プログラムである。

 多くの学生を対象としたカリキュラムとしては,全学部の1年生を主な対象として「ワールド・ビジネス・フォーラム」という科目(半期)を設けている。世界と日本をまたに駆けて最前線で活躍している本学の卒業生を呼んできて,その体験話を聞くプログラムで,キャリア教育の一環という位置づけである。本学も創立36年になり各界で世界を相手に活躍する卒業生が出てきたので,その基盤と連結して行っている。

 95年に開講した「トップが語る現代経営」という全学部生を対象とするカリキュラムもある。ここでは日本を代表する企業の社長など経営のトップを招いて,経営の本質などについて話してもらっている。東レの前田勝之助会長,松下電器産業の中村 夫会長など,錚々たる人々の話で,それらをまとめた講義録も出版している。こうした試みは,学生の
モチベーションへの啓発に大いに役立っている。

 また,来年度から文学部では,「デュアル・ディグリー・コース」を始める。このコースは,1年次と4年次を本学で勉強し,2〜3年次を中国の語言大学(北京市)に留学して勉強することにより,二つの大学の学士号を取得できる制度である。

 以上のように,本学では「人間主義」を教育目標の一つとして掲げて教育実践に当たっている。ここでいう「人間主義」は,自分と他人は根源においてつながっているという縁の思想に基づいている。つまり,個人と個人のみならず,個人と組織,個人と国,個人と地球という関係において,密接不可分の関係が存在する。それゆえ,個人が社会に出れば,他者や社会に対してどのような貢献ができるか,さらに国に対して,地球環境に対してどのようなことができるかを考えざるを得ない。このような人材を輩出することによって社会や国が豊かになっていくと信じるものである。
(2006年9月6日)

注1 日本アスペン研究所の小林陽太郎会長は,次のように語っている。
 
 「われわれの時代の特徴のうちもっとも予期せざるものは,人の生き方においてあまねく瑣末化がゆきわたっていることである」と,近代文明の病理,知の偏在と専門主義の弊害について,ゲーテ生誕200年祭(1949年,アスペンで開催)におけるスピーチで,シカゴ大学総長R.ハッチンスが指摘し,大きな反響を呼びました。
 
 これはアメリカを含めた近代社会が,いつのまにか狭い専門分野にのみとらわれ,社会や人間の生き方の全体像を見失っているという指摘です。それを受けて,米国では,専門家たちが専門性を深めつつも個々の領域に閉じこもったり堕することのないよう,「古典」を媒介にした高度な知的交流の場として,アスペン研究所が戦後いちはやくスタートしました。日本の場合,主として経済的な強みを短期につくり出しましたが,"技術優先"の世の流れと"即戦力"を求める企業姿勢のなかで,日本的瑣末化と専門化はとどまるところを知らず進んでいます。
 
 日本アスペン研究所は,米国アスペン研究所の活動に触れ,日本人の思考・行動が極端に局地化した技術偏重,志や心,哲学の希薄なテクノクラシーから,明確な価値観と目的意識に裏付けられた,より大きくより豊かなものへと脱皮する必要性を痛感していた多くの人々によって1998年4月に設立されました。
 
 社会の専門化・多様化・細分化,その結果としての瑣末化が進めば進むほど,私たちは狭い「技術的」領域にとどまることのないよう,透徹した洞察力とトータルな視点をもって,獲得した技術知を真に人間的な知に高める方途を探りつづけなければなりません。原典や古典に思索の糧を求め,視野を大きく世界に拡げつつ,その思索に現実を直視する勇気と謙虚さを結びつけ,自らの判断と行動,思想の支柱に磨きをかけていただくことを期待しております。
(日本アスペン研究所HPより引用)