国連改革は可能か?

米国・コロンビア大学 国際公共政策大学院国際組織センター所長 エドワード・ラック

 

 「改革は可能か?」との問いに対する答えは,イエスのようだ。5年前,ジェシー・ヘルムズ上院議員(共和党・ノースカロライナ州)は「国連は改革もされず,消滅もしなかった。そのどちらかを行う時がきた。私に言わせれば,コインを投げて決めればいい」と不満を述べた。今年初め,彼はまったく違う見方をしている。曰く,「私は国連に重要な進展があったことを認めなければならない。」同議員の評価が変化したように,国連改革は近年,目に見えるものになりつつある。しかし,今後も改革は継続するのか?またどこまで踏み込んだ改革が可能なのか?

 フィー・アナン事務総長が強調したように,「改革は一度きりの行事ではなく,プロセスである。」彼は「より強力,より弾力的,より柔軟な国連」を標榜し,1997年に「次の世紀がさらに深く,より速い世界的変化の時代になることは間違いない。国連はそれに備えなければならない」と警告した。

 国連が今後の挑戦に対してどれだけ準備ができているだろうか。国連改革の歴史は二つの教訓――希望的教訓と警告的教訓――を残している。一つは,国連は変化する機会や政治的潮流に対して極めて高い適応性を持っており,冷戦前,冷戦中,冷戦後のそれぞれの状況にあわせて自己改革する高度な能力を発揮してきたこと。

 他方,各加盟国は新たな優先事項を設定する際は迅速に行動するが,他国との関係を変化させたり自国の特権を希釈する改革への同意には腰が重い。したがって,アナン事務総長の改革案に含まれるかなり野心的な要素は,たとえ彼が自らの権限で可能な限りの手続きを踏んでいても,政府間組織レベルで失速してしまうのである。

変化に対する障害

 過去60年間にこの世界機構の役割は劇的に変化した。創設者たちは今日の姿をほとんど理解できないであろう。しかし彼らにとって幸いなのは,憲章の核となる条項や意思決定のルール,組織構成などがあらゆる方向からの政治的圧力や世界情勢の歴史的変化に耐え忍んだことであろう。

 連続する改革の波が国連に周期的に押し寄せ,その度により高い効率性や有効性,一貫性を約束する手段が施されようとした。しかし,結果は,米国や他の創設国の望みどおり,どれ一つをとっても組織の基本的な性質や目的を変えるには至らなかった。国連は常に変化し,常に改革しているように見えるが,決して改革が実現したことはないのである。

 このような逆説性の原因を見出すのは難しくない。1945年にサンフランシスコで取り決められた国連憲章は条項修正のハードルが極めて高く,安全保障理事会の常任理事国全5カ国を含む加盟国の3分の2の賛成がし,さらに各国が憲法にしたがってそれを批准することを要求している。戦時の主要な5つの連合国であった常任理事国――米国,英国,フランス,中国,ソビエト連邦(現在のロシア)――は,他の加盟国がその規定を変えるのを防ごうとした。

 小国は拒否権に強く反対したが,「現在の国際情勢に照らし,(米国の)代表団は米国や他の主要国が受け入れられないいかなる憲章の修正も見逃すつもりはなかった」と歴史家ルース・ラッセルが記している通りである。その結果,過去半世紀近くの間に修正が承認されたのは3回だけである。そのうちの2回は経済社会理事会(ECOSOC)の拡大,1回は安保理の拡大に関するものである。

 この構造的障害より大きな問題が,政治的障害である。各加盟国は,ある改革には賛成し,別の改革には反対する。改革課題の多様性ゆえに,改革後の国連像についてのコンセンサスは存在しない。

 ほとんどの加盟国が,国家間の意思決定を行い参加国が限定されている国連諸機関を拡大し,5カ国の常任理事国が享受する拒否権の行使を制限するか,あるいは完全に削除するよう望んでいる。当然のことながら5カ国側の意見は異なる。何より,彼らはその拒否権の力を弱めるどのような提案も拒否することができるのだ。

 これらの大国にとって,たとえ総会が内部の財政的・管理的問題以外に拘束力を持たずとも,拡大を続ける総会での1カ国1票の原則は大きな頭痛の種となり得る。しかし彼らは,総会の投票規定が正式な合意を経て修正される可能性は,安保理の投票規定の修正の可能性と同様に決して高くないことを理解している。

 憲章の修正に伴うこのような手続きとは違い,総会の加盟国は予算を含むほとんどの事柄を全会一致によって決定することを暗黙のうちに同意した。各国がこれに理解を示したことで,改革の歩みは遅いながらも,その継続性が確保されたのである。

 一方,常任理事国5カ国は安保理の参加国の拡大に直ちに同意しないまでも,拒否権の行使を自制しようと努め,その作業に透明性を持たせて参加型とする取り組みを支持した。言い換えれば,交渉や文書による改革よりも,行動の変化の方が実現しやすく,より実りが大きい場合がある。

債務返済の重荷

 改革に関してこれまでもっとも議論されてきたのが,国連の運営費をどのように分担するかという問題である。サンフランシスコでは決着がつかず,誰が何を負担すべきかの決定は総会に任された。それ以来,この議論はずっと続いている。

 金銭的な利害はさほど大きいわけではない。1954年の上院小委員会で指摘されたように「ほんの僅かな支出をめぐって,重要な人々がこれほど長時間を費やしたことはめったにない」のである。国連の年間支出は現在,通常予算が約13億ドル,平和維持活動費が約26億ドルであり,主要な加盟国の支出と比べれば見劣りする額である。

 例えば,米国の連邦予算は2兆ドルに達する勢いだが,国連の中央機関および平和維持活動に必要な費用はその2000分の1あまりを費やす程度である。それでもこれらの費用の公正な負担のあり方について,各国の政府や議会の見方が異なるのは無理からぬことである。

 終戦時に残された最強の経済大国の米国は,1947年に不本意ながら40%の負担を承諾した。しかしこの数字を徐々に下げるために悪戦苦闘し,00年12月には22%で合意にこぎつけた(平和維持分担金も25%に削減)。

 予想通り,米国の議員たちはこの分担金の削減が国連のもっとも重要な改革目標だと認識していたが,他の加盟国は米国の支払額を世界経済のシェア以下に削減することで,国連が世界的な協力関係をより効率的・効果的に促進する機関になる,などという考えを嘲笑った。多くの加盟国にとって,支払額の削減は米国の支配力に屈することを意味し,また米国に1億ドル超の滞納金の大半を支払わせる手段を諦めるに等しかったのである。

 同様に根強い改革への壁は,権限が極めて広く浅く分散した国連システムの性質である。国連システムは比較的自律性のある数十の機関に広がっているが,加盟国はそれらの機関に世界のもっとも深刻な問題に取り組むことを要求している。その結果,中央機関は弱く,優先事項の設定が困難になりがちで,常に各国の思惑に応じて資源と能力が奪われる。

 1948年の昔から,上院の研究グループは「中央による事業計画」の欠如や「取り組みの重複と繰り返し」の傾向,国連および各国政府内部の調整不足による「機関の増殖」を嘆いていた。したがってこれらの欠点は確かに国連システムに固有のものであろう。これらの問題の修正を試みる改革の波が何度もあったが,ささやかな成功が見られるようになったのはごく最近のことである。

 しかしながら,やはりこれらの原因はマネジメントの不足であるとともに計画上の欠陥である。米国とそのパートナーである西欧諸国は,国連の草創期から,その機能的機関および人道主義的機関――世界保健機関(WHO),国際原子力機関(IAEA),国連難民高等弁務官(UNHCR),国連児童基金(UNICEF)など――が国連中央の政治から管理上も財政上も一定の距離を保つことが望ましいと考えていた。この経営効率と政治的純粋さのトレードオフは,冷戦期の高度に政治的で分極化した時代にはそれなりの意味があったかもしれない。しかしグローバル化と学際的な問題解決が求められる時代においては,ますます時代錯誤的に見える。

 さらに国連の改革者たちは,あらゆる大型機関の刷新や改革のプロセスを遅らせる原因と同じような,多くの障害に直面する。すなわち,凝り固まった官僚主義,内向きの組織文化,急激な変化に対する恐れの蔓延である。しかしタートルベイ(訳注:国連本部の所在地)では,世界中から寄り集まったスタッフの文化的多様性や管理上の決定の政治的解釈,スタッフとプログラムの適当な地理的配分を保つ必要性,加盟189カ国(訳注:現在192カ国)間の分裂などによって,この硬直性が一層複雑化している。

進行中の改革

 こうした障害にも関わらず,国連では近年改革が進められ,米国議会を説得して累積した滞納金の多く(約5億8200万ドル)の支払いを圧倒的多数で可決させることに成功した。リチャード・ルガー上院議員(共和党・インディアナ州)は01年1月,最近の国連改革を「異例で,歴史的な成果」と評価した。ブッシュ政権や議会指導者,そして事務総長はその結果,状況が大きく改善したと述べた。

 米国の分担金が史上最低値に引き下げられただけでなく,01年1月に当時のリチャード・ホルブルック米国常駐代表が上院外交委員会で議員たちを安心させたように,「1994年から国連の通常予算は増加していない」のである。約1,000のポストが削減され,より結果重視の予算編成が導入された。過去数年にわたり,新設された「内部監査部」(Office of Internal Oversight Services)が不適切な管理や違法行為が行われた事例を明らかにし,何千万ドルもの出費を節約した。一歩一歩,透明性,自己責任,説明責任の文化が確立しつつある。

 アナン事務総長は率先して世界銀行や国際通貨基金との緊密な関係を構築し,国連システムに広がる他の機関,基金,計画の間のより深い協力を訴えた。彼は国連システム全体の整合性を高め,協同作業を促すことを目的として,「上級管理グループ」と4つの「執行委員会」を設置した。

 事務総長室の作業を促進するため,重要問題に関するシステム全体の作業の焦点を定める副事務総長職が設けられ,分野横断的で各部局にまたがる問題について事務総長に助言する「戦略計画班」が作られた。

 しかし国連は,その最も良い状態においても,問題となるほとんどの分野で加盟国が設定する野心的な目標を実施するだけの財政的,物質的,人的な資源を保持していない。したがって近年における最大の改革は,広範な非政府アクターの才能とエネルギーの結集を含め,国連システムの外部の集団との緊密な協同関係を構築することに焦点が当てられている。

変化を喜ばぬ人々

 世界中の紛争地で非政府集団が人道的取り組みの主要な役割を果たす一方,総会は政府間協議で彼らの発言力を増大させることに抵抗した。同様に,グローバリゼーションに派生する環境問題,労働問題,人権問題に対する取り組みの指針を策定するため,企業や労働者集団,非政府組織と世界的な協定を結ぼうとする事務総長の努力に反対する純粋主義者もいた。しかし,これらを含む一連のイニシアチブは,国連がより透明性をもち,民主的で責任ある組織にならなければならないという事務総長の認識が,国連の政治的文化に強い影響を与えたことを示している。

 同時に,21世紀における国連の役割には根本的ジレンマが残されている。これらのジレンマがどのように解決されるかが,今後のより踏み込んだ改革の方向性と展望を決定することになる。2000年9月のミレニアム・サミットおよび2001年6月の国連エイズ特別総会が示すように,緊急の世界的課題を討議するための国連の会議主催者およびフォーラムとしての力がかつてないほど強まっている。しかし国連によるこれらの行事や宣言はまた,目的と手段,言葉と行動の格差の拡がりを示すものでもある。

 同様に,国連には他者の行動を促進し正当化するという重要な強みがあるが,もし他組織の最低限の公共性を保とうとするならば,国連の監督能力は強化される必要がある。例えば,米国を含む加盟国が重要な平和維持活動のために再び国連のブルーヘルメット(訳注:国連平和維持部隊)の派遣を求め始めているが,バルカン半島や西アフリカにおける最大規模の作戦は,安保理の監視をほとんど受けることなく各地域の組織によって実施されている。

 このような不透明さや課題はあるものの,一つ確かなのは,これからも強力に適応と改革の二重プロセスを進める必要があるということだ。それは国連に批判的な人々のみによるプロセスであってはならない。チャールズ・ヘーゲル上院議員(共和党・ネブラスカ州)は最近,「今日の国連は,50年以上前に創設された当時と比べてより重要で意味のある組織になった」と語っているが,彼はまた次のように表現している。「組織には時代的な課題に対する適応と調整が不可欠であり,それは不断の改革,不断のマネジメント,そして組織を重要で意味のあるものにするための不断の努力をするということだ。」ジョン・F.ケリー上院議員(民主党・マサチューセッツ州)は長年の国連支持者だが,彼は「我々は国連を特別扱いせず,その欠点を承服することも無視することもない」と述べた。

 つまり,改革は単に組織の失敗ゆえに必要なのではなく,その組織が遂行し存在する目的のゆえに必要なのである。01年6月に第二期目の任命を受けたアナン事務総長は,「私は我々の近年の失敗に対して断固たる目を向けてきたが,それは将来の成功のために何が必要かをはっきり見極めるためである」と述べた。これこそが真の改革の核心である。

(WORLD & I誌,特別号The UN at Sixty: Challenge and Changeより,尚,同論文の初出は同誌2001年9月号)