オセアニア島嶼国家の将来と経済的自立への課題

群馬大学名誉教授 高橋 康昌

1. ヨーロッパによる支配の時代

(1)英国を中心とする支配
 オセアニア人と西欧文明との出会いは,16世紀初めのマゼランによる太平洋横断などを契機とするものであった。それ以降,ヨーロッパ人による観察記録をもってこの地は文字史料の時代に入る。ヨーロッパ各国による本格的な植民地支配が始まったのは18世紀以降であったが,19世紀中には,すべてのオセアニアの島々が植民地となった。

 19世紀におけるヨーロッパ諸国の太平洋への進出を見ると,主役は英国であった。英国が相対的にこの地域に大きな比重を持つようになったのは,オーストラリアとニュージーランドを事実上英国の属国としていたことが大きい。つまり,この時期,太平洋地域には主としてオーストラリアとニュージーランドが勢力を伸ばしていったために,結果としてそれらの国々を足場として英国の支配が確立したのである。

 19世紀末,ドイツがミクロネシアと北方ニューギニアを支配し,それ以外のメラネシアからポリネシアに至る広大な海域は主として英国が支配することとなった。またフランスは,タヒチを含む東部ポリネシア諸島,ニューカレドニアを,ニューヘブリデス諸島(現バヌアツ)は英仏の共同統治とし,ハワイとサモア東部を米国が支配することになった。第一次世界大戦で敗戦したドイツの支配地域を受け継いで日本がミクロネシアを支配するようになったのを除けば,概ねこの地域の支配権は上述の構図が第二次世界大戦終了時まで続いた。

 ところで,ヨーロッパ諸国がこの地域を植民支配した動機はいったいどこにあったのか。アジアやアフリカと比べオセアニアの諸島は土地面積も狭く人口も少なく,さらに自然資源に乏しいので,富の収奪には限界があった。また英国やフランスは海産物を主食料とする国ではないので海産資源が彼らの関心の対象ともならなかった。せいぜい,白檀,マホガニ,サトウキビくらいであった。それではヨーロッパ諸国の狙いは何か。それは国家の威信をかけた領土的野心であった。とくに19世紀後半は第二次帝国主義的拡張の時代であったので,仮にこの地域の軍事的価値が低かったとしても領土拡張主義的野心は,効率的採算を無視して進行した。その主導的な位置にあったのが,英国であった。

 現代であれば,オセアニア地域の軍事的,地政学的な価値を見出すことは容易であろうが,当時,欧米諸国にとって主たる敵国がこの地域にあったわけではない。軍事的価値の観点からいうと,カリブ海やカナリア諸島などと比べて,オセアニア地域を領有する感覚は違っていた。カリブ海地域は,島々の広い面積もさることながら,中南米地域に対する支配の拠点としても戦略的に重要な地域であった。それゆえ支配形態においても現地人に対して強圧的態度で臨んだ。一方,オセアニア地域への支配は非常に緩やかで,いわば内政自治のような形で推移したのが実情であった。植民地として人的および自然資源の収奪を行うようなことはほとんど考えられなかった。それゆえ,現在でも太平洋地域の人たちは,米国や英国,オーストラリア,ニュージーランドに対する敵対意識は強くない傾向が見られる。さらに戦後,経済的援助を多く受けていることもあって,むしろ好意的な心情を持っていると言った方がよいかもしれない。

 大英帝国が最大の繁栄を誇ったのは19世紀後半のヴィクトリア時代であったが,20世紀に入ると,そのような体制が徐々に崩れ始め,第一次,第二次世界大戦を経て英国は国力を大きく弱め,それに代わって太平洋地域ではオーストラリアやニュージーランドの勢力が伸張した。その結果,戦後英国はこの地域の植民地を手放し,現在では英国植民地は一つもない。さらに近年,オーストラリアやニュージーランドですら,国旗からユニオンジャックを削除する動きがあり,英国の影響力は著しく低下したといってもよいだろう。

(2)キリスト教の伝道
 帝国主義による拡張という欧米諸国のオセアニア進出の背景に,キリスト教伝道があったことも忘れてはならない。初期にはイエズス会によるアジア伝道などがあったが,その後19世紀におけるオセアニア布教の主役は英国のロンドン伝道協会であった。現在では,キリスト教のあらゆる宗派のミッションが入り,それぞれの陣取り合戦のような様相を呈している。したがって,19世紀のこの地域に対するヨーロッパ諸国の進出には,宗教的な拡大という強い動機が根底にあったように思われる。

 現在,パプア・ニューギニアの山地部を除けば,太平洋地域のほとんどはキリスト教が布教されたといってよい。現在99%以上がキリスト教徒となっている。カトリックや伝統的プロテスタント各宗派の他に,モルモン教など新興の諸教派も,太平洋地域に教会組織の拠点を設けて布教活動を展開している。
キリスト教によるオセアニア布教の本質を表す言葉の一つに,「カーゴ・カルト」がある。

 われわれが一般的に想像するところでは,ヨーロッパの宣教師がこの地に宣教に来たときは,燃えるような情熱を持ち,着の身着のままであったと思いがちだが,実際はそうではなかった。宣教師のミッションは,大型の船に乗って来て,たくさんの家具・調度・財物と共に,医師,薬剤師,大工,理髪師などを一緒に引き連れてきた。つまり,ヨーロッパの豊かな文明・文物を船に積んでこの地にやってきたのであった。現地の人々がこれまで見たこともないような文物のみならず,オセアニア人の呪術師や村の古老の知識・技術では治ることのなかった病気が,宣教師と共にやってきた医師の力によって治ってしまうという実例に接した。

 そこでそのような物や技術などを手に入れるためにはどうすればよいのか,宣教師たちに問うと,「キリスト教の神様を信ずれば,神様がこのようなものを下さる」と教えられた。「彼等の神を信ずることにより,驚くべき財や能力が与えられるならば,われわれもその神を信ずる方が賢明だ」と考えるようになり,現地の人々は次々にキリスト教に入信していった。これがカーゴ・カルト(積荷信仰)である。これは村の古い神々への思いと,キリスト教的儀礼行為が習合し,新たな精神運動となったものである。もちろん,知的レベルが高ければ,理性に訴えるような宣教方法もあったであろうが,この時代のこの地域の人々は,理性で教えることが困難だったので,布教者たちはモノの比喩で教えを広めていった。太平洋地域のキリスト教布教はこの形態が多い。

 宣教師以外の人々は,この地域に定着していこうという気持ちに乏しかったように思われる。宣教師にしても一生涯この地に住み着いたという例は殆どない。

2.日本によるミクロネシア支配の功罪

 日本がオセアニア地域に進出したのは20世紀に入ってからであった。第一次世界大戦が1919年に終わると,それまでドイツが領有していた太平洋地域の植民地を日本が引き継いだ。すなわち,ドイツ領ミクロネシアを,国際連盟の委任統治領として引き受けた。しかし,その後,日本は国際連盟から脱退したので(1933年),これを機に日本領とした。このように日本が進出したときには,すでにミクロネシアもまたキリスト教一色になっていたが,日本は,現地のキリスト教徒を迫害しなかったし,日本の神道や仏教を信仰として強制したわけでもない。

 一方,ミクロネシアの島々に比して,朝鮮半島や中国大陸などには収奪すべきものもあるし,戦略的な価値もあり,その上現地の人々の抵抗運動を抑圧するために強権的統治を行ったが,太平洋島嶼地域は,前節で述べたように,みるべき天然資源に乏しいこともあって,そうする積極的理由がなかった。その結果,島民たちとは融和的,平和的関係を維持することができた。

 この地域は,近世以来,ヨーロッパ諸国の支配を受けてきたが,ヨーロッパ人たちは現地人と法律上の結婚のみならず同棲等の法律婚以外の関係も少なかった。これに比して,日本はこの地域に進出して,領土の拡大に留まらず,人間も日本人にしなければならないとの考え方から,現地人との結婚を通して血を交えることにより「日本」を拡大しようとした。これが「同化政策」である。この地の人々が意外にも日本人に対してよい感情を持っているのは,このような同化政策を,「ヨーロッパ人はわれわれを動物としてしか見なかったが,日本人はわれわれを人間として扱った」と受け取ったという側面がある。

 現在のミクロネシアの人口は22万人程度であるが,日本が支配していたころの人口は,概ね15万人程度であった。その15万人の約半数が日本人(約7万人)であった。そして日本人は,この地域で農業開拓を行った。例えば,サトウキビ,コメ,コショウ,コーヒー,漁業,鰹節などの第一次産業に関する生産を行った。その結果,現在の貨幣価値に換算して,一人当たり年額250万円くらいの生産高があったと推計される。現在の水準からしても先進国レベルである。日本人の生産活動にはみるべきものがあった。

 もちろん,戦前における日本の対外進出の動機や方法には多くの問題があったことは事実である。しかし,この殖産政策の中には,この地域の今後の発展を考えたとき,参考になる点が少なくないように思う。

3.オセアニアの経済的自立の道

(1)米国のミクロネシア支配の現実
 第二次大戦後,ミクロネシアは日本統治時代の行政区画を一体として継承し一つの国家
として独立を迎えるだろうと思われた。しかし,現実には,北マリアナ諸島,ミクロネシア連邦,マーシャル諸島共和国,パラオ共和国の4つに分裂した。このような結果をもたらしたのは,この地域を軍事戦略的有用性から利用した米国の政策であった。また戦後,ミクロネシア地域は米国が国連の信託統治領として引き継いだが,国連憲章にある信託統治の理想(憲章第76条,注)と統治国の利害保証という矛盾によって,生み出された結果でもあった。

 とくに戦後の冷戦期を迎え,米国の対ソ連,対中国の軍事戦略上ミクロネシアが大変重要な位置にあったことから,米国はこの地域の経済開発などには関心を向けずもっぱら軍事戦略的有用性のみに注目した。

 例えば,グアム島のアンダーソン空軍基地は,北半球最大級の規模のものである。グアム,ヤップ,パラオなどには,米国の核艦船の寄港予定地,軍用電波管理施設などがある。一方,マーシャル諸島は原水爆の核実験場となった。原水爆実験はマーシャル諸島だけで,1946年から52年までの間に,原・水爆実験が合計67回も行われた。米国は最大の原水爆実験場として,マーシャル諸島を利用した。

 米国による信託統治領の時代には,もっぱら米国の経済援助によってこの地域の経済が成り立っていたが,1980年代後半から90年代にかけて,ミクロネシアの島々が次々に独立するに伴い,米国はこの地域の国々と新たに「自由連合協定」を結び,軍事的利用の対価として巨額の財政援助金を供与する自由連合関係を構築した。この援助金を「コンパクト・グラント」(自由連合協定援助金)という。

 具体的には,86年に北マリアナ諸島はコモンウェルスとなり米国の直接保護と市民権を獲得し,マーシャル諸島共和国とミクロネシア連邦は86年に,パラオ共和国は94年にそれぞれ米国と自由連合協定を結んだ(マーシャル諸島とミクロネシア連邦は2001年に協定を更新しさらに15年延長)。

 これは経済的独立(自立)という課題を棚上げにしたまま,政治的独立を先行して達成したものである。しかし,政治的独立とは言っても,この自由連合関係の意味は,内政に関してはすべて自治権を与えるが,軍事権は米国に委ね,外交権に関しては完全な民間外交に関しては認めるものの,軍事にかかわる案件は米国の管轄とするという内容であり,果たして真の独立か否かが疑問視されている。

 政治問題以上に経済的自立は,いっそう深刻な問題となっている。米国との自由連合協定により巨額の援助金を供与されているために,かえってこれに過度に依存し,経済的自立への道が阻害されている状況なのである。コンパクト・グラントの規模を概観すると,ミクロネシア連邦はGDPの約40%(年額約4000万ドル),マーシャル諸島共和国は政府予算の約50%(年額1億ドル余),パラオ共和国は国内生産額の約2倍(年額約7000万ドル)などとなっている。

 このように,米国は見るべき産業育成を行わずもっぱら援助金を供与するだけであったので,現地の人々に対して,欧米型消費生活への追随,奇形な消費欲望の刺激,自らの産業育成意思や労働意欲の喪失などをもたらした。これは,識者から「動物園政策」(Zoo Policy)と呼ばれている。このような政策はここ半世紀もの間続けられ,現在もこの構図は全く変わっていない。

 最近では,内政自治権をもつようになったので,日本の貿易商社などが商品販売をおこなっているほか,現地人による水産会社の起業などビジネスを始める動きもある。東アジア諸国の建設工事業者の進出も注目される。またパラオなどでは,観光資源が豊かなので海外からのツーリストを呼ぶための観光会社を起こす事例もある。しかし,全般的に言えば,コンパクト・グラントによる援助で生計を立てているという基本構造には変化がない。

 戦前の日本統治時代を記憶している高齢者の方々の中には,「あのころは日本人と一緒に畑で作業したり,工場でサトウキビを加工した。その労働の対価をもらって生活していた。しかし,いまは働かなくなった」と嘆く人もいる。

(2)自立のための産業開発
 前述のような厳しい現状にあるオセアニア諸国に対する私の関心事は,ミクロネシアのみならず,メラネシアやポリネシアを含めた太平洋の島々が先進国からの援助を受けることなく,経済的に自立する道は無いかということである。私はその可能性は十分にあると考えている。

 メラネシアやポリネシアには火山島が多く,ミクロネシアよりも土地栄養力が豊かで,面積や人口も大きく生産力がある。それに比べると,ミクロネシアの島々は,面積も小さく,サンゴ礁島が多いので農業生産には不向きの土地である。ヤシの木にしても管理が悪いために先進国の企業にとっては魅力的でない。この地では,熱帯果樹およびヤムイモ,タロイモ,キャッサバなど根茎芋類が主生産物であり,これらは日常生活用食物として消費され,通商的商品価値は低い。現地人たちの衣食住にかかわる日常生活物資の大半は輸入商品である。しかし,戦前,日本人はそのような土地を改良してヤシの木を植え,サトウキビやコメまで生産していた。

 問題は,産業・経済の自立を目指す事業主体とその企画立案がないことにある。公的な開発主体がこの地域の経済的自立の道を真摯に考えれば道は開けていく。本来ならば現地各国政府が自立した体制を整備し,行政当局に企画を立てさせて推進して欲しいところだが,現実には行政能力に限界がある。そこで,例えば,国連開発計画(UNDP)や関係国際組織からも人材を出向してもらい各国政府内部に組織を作り,現地関係者を含めた形で総合企画会議を設けてマスタープランを作成する。各国の専門家・技術者などが現場で産業指導をおこない農業・漁業開発に着手する。あるいは外国資本などを導入しつつ,第三セクターのような企業を作りながら,生産を開始する。投資に関しては,国別に援助された資金をUNDPなどが一括プールして効率的に再配分して地域ごとの開発を進めるというアイディアもある。

 さらに,自立的な産業開発に成功しても生産品が販売・輸出されなければ問題は解決されない。生産物の販路に関して,先進諸国がある程度の価格保障をして輸出奨励,特別貿易特恵を与えながら,技術力を高め,国際市場でも対応できる力を養っていく。これには10年から20年はかかるであろう。

 このような前提をもってすれば,厳しい環境条件下の太平洋地域でも,特産物を生産することは十分可能である。例えば,この地域の特産物である黒コショウ(ブラックペッパー)は,かつて金と同じ価値があったといわれるほど貴重な香辛料であった。かつて日本統治時代には,ポンペイ島の山の中腹に黒コショウの巨大な農場を開き,欧米に輸出して大きな収入源となっていた。大航海時代のヨーロッパ人たちは黒コショウを手に入れるために海外に進出していったほどである。彼らはインドネシアのモルッカ諸島などで黒コショウを採取したが,太平洋地域の風土や地質は黒コショウ栽培にとっては最適である。

 また,コーヒーの農場を開いても,気候・風土からしても高品質のものが生産されると思われる。とくに水産業は非常に可能性が大きい。例えば,日本の高級寿司食材のクロマグロは,ほとんどがハワイとミクロネシアの間の海域で獲っているほか,中部太平洋はカツオ・マグロの漁場としても知られている。

(3)オセアニアの課題
 太平洋の島国に影響力のあるオーストラリアは,メラネシア全域に経済援助しており,とりわけ,パプア・ニューギニアに対しては,年間3億5000万ドルの援助をしているが,残念ながら,これは鉱山開発を含め,自国利益中心の投資の色彩が濃い。

 これに比してニュージーランドは,ポリネシアの人々の生活を支えるために,教育,医療関係等人道援助を中心としている。とくに注目すべきは奨学金の供与である。ポリネシアにはサモアを除き大学がないので,若者は現地で高校まで通い,ニュージーランド政府が豊富な奨学金を出してオークランド大学等で高等教育を受ける機会を与えている。ニュージーランドには7つの大学があり,そこにはポリネシア人が数多く在学しているが,ほとんど無料に近い形で大学に通っている。卒業後は,クック諸島,サモア,ニウエ島などに技術者として戻り産業開発に従事して欲しいとニュージーランド政府は考えているが,実際には,その目論見の通りにはなっていない。

 残念ながら太平洋諸島の人々は公的精神が低い傾向があり,社会のために貢献しようという精神が乏しい。ニュージーランドの大学で学んだ後には,自国に戻って国の発展に寄与することが望ましいが,その事例は少ない。ニュージーランドの方が高い収入が得られるので,そこに定着してしまうのだ。せいぜい,自国の高級官僚や学校の教師になるという程度である。この点で言えば,東アジアの人々とは全く異なる。彼等は海外で学んでも

 帰国して自国の発展に寄与しようという公的な精神が非常に強い。
そうした傾向を変えていくためにも,この地域の人々にもっと夢や希望を与える必要がある。人間には最初から質の悪い人間はいないわけで,自己利益指向になってしまう背景には,自分の国の将来に対して希望を持つことができないことがある。自分の母国に重要な産業が起きて経済が発展すれば,誰もが自国に帰ろうという気になるに違いない。国連機関,OECD,先進諸国などが先導して彼らに活動機会を与えて自立的な産業開発を進められるようにすれば,将来自立の道が開かれていくことは間違いない。

 しかしながら,いかなる先進国といえども,未来永劫,他国を援助し続けることはできない。自国の経済状態が悪くなれば,援助は当然削減される。このように考えるならば,この地域の未来は不安定である。したがって,自立への道を後押しするという発想こそ,緊急かつ実利的なものであり,ヒューマニズムや人類史的な観点からもオセアニア地域の自立的発展について考えることが迫られている。

4.中国の進出とオセアニアの将来

 オセアニア地域のどの国の首都にもたとえささやかであっても中国人街がある。どんな小さな国でも中国人の商店・レストラン・ホテルがないところはない。これらは,以前は大半が台湾系であった。しかし近年は,中華人民共和国が積極的に進出し,次々に大陸系になりつつある。 

 また,最近は韓国の勢力も伸張してきた。パラオは米国が軍事的に重視している国だが(米国・核艦船の寄港予定地がある),パラオの建設事業は多く韓国系企業が受注している。韓国資本は,とくにミクロネシア全域に活発に進出してきている。やがて,韓国資本がメラネシアにも進出するであろう。

 このような中国や韓国の進出に対して,日本資本は全般的に退潮気味である。戦前は太平洋全域に日本の貿易商社が支店を置くなどして販路を確保していたが,戦後,一時期復活して,丸紅,南洋貿易,伊藤忠などの商社が入ったものの,魅力的なビジネスとならないためにほとんど引き上げてしまった。現在では,ニュージーランドで木材を買い付けている他,小規模の企業進出にとどまっている。

 これに比してとくに近年の中国のオセアニア地域への進出には目を見張るものがある。中国はオセアニア地域にODAなどで援助しているが,その狙いは,台湾の追い落としである。例えば,トンガ王国にある中国大使館は,元は台湾の大使館であったものを接収したものである。そこにはこの地域でもっとも巨大なパラボラアンテナが立っており,活発な情報収集が行われていることが察知される。ちなみに,トンガ王国には日本大使館はない。トンガの中国大使館は数十人の館員を擁し,さまざまな活動を展開している。

 太平洋は,地球全体の約55%を占める広大な部分であるが,そこは軍事的価値のみならず,近年は海底資源の可能性としても注目を集めている。こうした地域の価値を日本外交としても一層重視する必要があるように思われる。中国北京政府はそうした戦略を持っていち早く臨んでいるように思われる。

 しかし,この地域に対する日本のODAには評価される内容がある。とくにミクロネシアへの援助額は,絶対額,人口割においても高い金額となっている上,水産振興,食糧増産計画,病院・保健施設,教育・文化振興,交通・道路,上水道計画など,地場産業育成と人道支援の側面が強い。日本にとってミクロネシアへの援助は,直接的な経済的見返りは期待できないものであるが,その背景には先の戦争という歴史的要因(贖罪的意味)とこの地域へのシンパシーがある。将来を考えたときに,このような投資は現地の産業回復に寄与するという意味でも十分評価できるものであり,今後も日本には積極的な関心をもってかかわって欲しい。

 仮に,この地域の開発に成功すればアフリカや中南米,カリブ海地域でも低開発国の国々を支援する有効な方程式が見出されるかもしれない。さらに敷衍すれば,地球の貧困問題解決の糸口,開発の理想モデルが創出されるとさえ考えている。これまで世界の多くの島々を実際に調査してきた私自身の経験からしても,南太平洋地域における開発の成功は,世界の貧困問題解決のモデルケースになるだろうと確信している。(2006年9月19日)


注 国連憲章第76条
<基本目的>信託統治制度の基本目的は,この憲章の第1条に掲げる国際連合の目的に従って,次のとおりとする。
 
 A 国際の平和及び安全を増進すること

 B 信託統治地域の住民の政治的,経済的,社会的及び教育的進歩を促進すること。各地域及びその人民の特殊事情並びに関係人民が自由に表明する願望に適合するように,且つ,各信託統治協定の条項が規定するところに従って,自治又は独立に向かっての住民の漸進的発達を促進すること。

 C 人種,性,言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように奨励し,且つ,世界の人民の相互依存の認識を助長すること。

 D 前記の目的の達成を妨げることなく,且つ,第80条の規定を留保して,すべての国際連合加盟国及びその国民のために社会的,経済的及び商業的事項について平等の待遇を確保し,また,その国民のために司法上で平等の待遇を確保すること。