大学を通じた国際協力の現状と展望―米国の事例に学ぶ

帝京大学教授 江原 裕美

 

1.はじめに

 日本の海外援助はこれまで経済開発が中心であったが,1990年にタイのジョムティエンで開催された「万人のための教育世界会議」を契機として基礎教育分野の援助の重要性について国際的な合意がなされたのを受けて,日本も1990年代後半から基礎教育を中心とする国際協力に本格的に取り組むようになった。その初期段階では,それまで技術協力に力を入れていた国際協力事業団(JICA)が中心的役割を果たすこととなった。しかし教育は複合的な営みであり非常に裾野が広いために,援助機関だけでは限界があり,大学が関わらなければ実践面で立ち行かなくなる。そこでJICAや国際協力銀行(JBIC)などの国際援助機関の援助においても,大学が国際協力事業に関わることの重要性が指摘されるようになった。本稿では,米国における大学の国際協力事例に学びながら,日本における大学の国際協力の現状と展望について述べることにする。

2.米国の大学の国際協力

(1)援助の二重性
 日本の国際協力が第二次世界大戦以降に制度化される過程で,最も強い影響を与えたのはやはり米国である。米国にとって,国際協力は自国の理想を世界的に実践する上で重要な意味を持つ。国際協力に対する使命感,あるいはそれを自然なものと捉える思想はキリスト教的な伝統に由来するものである。教育分野の協力は戦後になって本格的に始まったが,学生交流や奨学金による留学生の受け入れなどは,20世紀初頭から数千人規模で行っていた。米国には積極的に異文化と交流し,国際協力を実践する理念的な素地がある。自分を助ける(self-help)と同時に,困っている隣人に手を差し伸べるのは当然であるという寛容さが,国民文化の中に根差しているのである。

 そのような博愛的な文化と同時に,援助自体が米国の国益に適うものでなければならないという考え方も非常に強い。その意味で米国の援助の目的には二重性があり,周りから見て複雑で分かりにくい部分でもある。特に経済支持援助・軍事援助は外交戦略上,非常に重視されている。昔なら共産主義,今ならテロと対峙するために援助を行い,教育協力などもそれに付随して行われてきたのである。

 経済支持援助・軍事援助とは別に,途上国が長期的な発展をするために供与するのが開発援助だが,米国国際開発庁(USAID)はその両方の援助プロジェクトを担っている。その他にも多数の援助機関があり,例えば国務省には留学関係のプロジェクト,米国広報・文化交流庁(USIA)には外交や政治,文化の良さを伝えるという,いわば宣伝的な目的を持つ教育援助プロジェクトがある。このように援助の目的が複数あり,実施機関も多様であるため,実際には非常に複雑な構造となっている。

 その一方で,米国は国際協力を行う際に教育とプロパガンダ的な部分を分けるための努力も行っている。1966年に成立した国際教育法(International Education Act)に関する論議の中でも,「文化」と「教育」を区別すべきだという主張があった。「文化」という言葉には宣伝や諜報活動などの“きな臭さ”が含まれる場合があるが,ともすれば「教育協力(援助)」もそのような意味合いで用いられがちだからだ。米国の複雑な体制の中では,国際協力の理想を追い求める一方で,その目的がその時代の「国益」に引きずられることも少なくない。

 最近研究のために米国を訪れて改めて感じたことは,米国の国際協力のさらに複雑な一面である。米国の援助活動は大学が担っている場合が多い。USAIDのみでは活動規模に限界があり,1950年代から大学と契約を結んで援助プロジェクトを委託するようになった。しかし援助機関と大学はそもそも性格が異なる。援助機関はプロジェクトをビジネスとして捉える傾向があり,予算やスケジュールに対しても厳格である。一方,大学は教育研究を目的とする組織であり,そのようなやり方には不慣れである。価値観の違う両者の間には常に葛藤がある。

 また大学は,援助プロジェクトを取ればそれが実績となる。そこで州立大学をクライアントに抱える議員たちは,地元の大学に有利なように議会に働きかける。一方のUSAIDは,議会を満足させなければ十分な予算が得られないという弱みがある。したがって,USAIDは大学と議会の両方を睨みながら援助プロジェクトを進めなければならない事情がある。

 ただ最近は大学側も容易にプロジェクトを受注できる訳ではなく,援助活動を行うNGOなどとの競争が激しくなっている。NGOは大学と比べて連邦政府や州政府の規制による縛りや学生を抱える教育機関としての制約も少なく,援助機関との契約を有利に勝ち取っている。

(2)援助機関と大学との関係
 援助機関と大学の最も原始的な関係は,援助機関が大学の専門家をコンサルタントとして雇用する形態である。この場合は大学が組織として関わるのではなく,教員が個人として雇われる。組織として関わる場合は入札による契約が一般的である。その場合,大学はNGOや企業と競争しなければならない。大学全体で契約する場合もあれば,学部単位や学科単位,あるいは大学が設立する別機関との契約の場合もある。

 しかしこのような方法では強力な大学しか契約を取ることができず,国際協力に携わることができるのは一部の大学に限られてしまう。そこで様々な大学に国際協力の機会を提供するために考えられたのが,「開発のための高等教育」(HED)という仲介システムである。

 HEDは米国に6つある大学協会が合同で設立し,USAIDが運営費を拠出している。HEDが大学と援助機関を接続する窓口となり,USAIDが提供するプロジェクトの情報を大学に伝える。各プロジェクトの条件に応じて大学が受託を希望すると,HEDの審査委員会の審査を経て受託先が決まる。大学専用のシステムであるため,NGOや企業は対象外である。
過去の実績を見ると小規模大学や地方大学も受託しており,このシステムは国際協力事業の多様化にある程度役立っているようだ。途上国には最先端の研究だけでなく,職業訓練やさまざまな研修に対するニーズがある。むしろ小規模な短大やコミュニティー・カレッジが持つノウハウが役立つこともあるのだ。

 HEDを通じて行われるこのような協力事業は「パートナーシップ・プログラム」と呼ばれ,米国の大学と途上国の大学がパートナーシップを結ぶケースがほとんどである。予算的にはそれほど大きいものではなく,年間20万〜30万ドル程度である。しかし,事業経費のうち25%は各大学が自己負担することになっている。

 USAIDによると,パートナーシップという形態には,プロジェクトの契約期間の終了後も,両者の関係を長続きさせたいという意図があり,事業経費の一部負担は各大学の参加意欲や決意を強化する効果があるとのことである。例えば,メキシコのある大学ではプロジェクトで関係を築いた米国の専門家の助言で植物の調査を行ったところ,非常に珍しい植物の群落を発見し,それが国の保護対象地域に指定されたという事例もあった。

 その他,有力な州立大学や私立大学は援助機関と直接契約を結んで大規模な協力事業を行っている。例えば,研究資金の獲得金額が全米トップのジョンズ・ホプキンス大学などは経験も豊富で,USAIDから非常に大規模なプロジェクトを複数受託している。

 プロジェクトの受託に至るまでには段階があり,最初は個人で請け負う場合が多い。それから徐々に経験を積んで学部レベル,全学レベル,特設した専門機関等で受託するようになる。さらに発展すると複数の大学によるコンソーシアムが請け負うこともある。

 一方で,プロジェクトを容易に受託できない大学も少なくない。米国の大学は研究分野の競争的風土が非常に強く,まず論文で業績を積むことが求められる。しかしプロジェクトを受託しても論文にならない仕事も多く,国際協力プロジェクトに関わることがキャリアの障害になると考える教員もいるほどだ。特に,高いレベルのリサーチ型大学ではプロジェクト実施が直接的に評価されにくい。ただし既に終身在職権(テニュア)を得て弟子を育てることが評価されるレベルの教員になると,むしろ国際協力のプロジェクト獲得が評価につながる傾向もあるようだ。

 このように大学の個性,あるいは教員の立場や経歴によって国際協力に対する意識はさまざまである。しかし一般に,米国の大学の国際協力プロジェクトに関するサポート体制が非常に充実していることは確かだ。日本の大学では教員が多数の仕事を掛け持ちしながら,プロジェクトの煩雑な事務を処理しなければならない。米国の有力大学には必ず「リサーチ・アドミニストレーション・オフィス」などの名称で,国際協力を含む研究資金獲得やプロジェクト支援を担当するプロ集団の部署がある。教員が研究助成を申請する場合,彼らが申請前の段階から必要な情報を提供したり,プロジェクトの企画・立案に際してアドバイスをしたりする。彼らは連邦政府や州政府の法律を熟知しており,学内の事情にも精通している。プロジェクトが始まると予算や人材を管理し,終了するまで支援を行う。

3.日本の大学の国際協力

(1)国際協力における大学の役割
 文部科学省は近年,大学における国際協力の推進に力を入れている。同省が主体となって進めている事業としては,国際教育協力懇談会(2001年10月〜02年7月)の提言を踏まえて開始された,教育協力を目的とする「拠点システム構築事業」がある。神戸大学や広島大学には大学院に国際協力研究科があり,農学,医学,工学,法学などの専門分野をもつ大学にも国際教育協力研究センターが置かれている。

 このような事業を通じて,文部科学省は日本の大学がこれまで行ってきた国際協力の経験を蓄積するとともに,相互の交流と情報交換,さらに新たな情報発信を試みている。その成果を報告する場として毎年2月には外務省との協力で,拠点システムに選定されている諸大学や広島大学と筑波大学を中核とするJapan Education Forum(「国際教育協力日本フォーラム」)を開催している。JICAやJBICも後援し,海外からも国際教育協力の有力な研究者や実践者を招いて2日間にわたる会議を行っている。このような活動は,文部科学省の国際協力事業への力の入れようを示すものである。

 2003年度からは「国際開発協力サポート・センター」プロジェクト(SCP)を開始しているが,これも国際協力政策の一環として誕生した事業であり,国際協力に関心の高い大学や専門家のデータベース等も構築されている。さらに2006年2月〜8月にかけて,第2回目の国際教育協力懇談会が設置され,今後の国際教育協力の指針が示されたところである(国際教育協力懇談会報告2006『大学発 知のODA−知的国際貢献に向けて−』)。
さらに文部科学省は,日本の大学の国際競争力を高めるため,2005年度から「大学国際戦略本部強化事業」を開始している。留学生の受け入れはもちろんだが,国際協力は事業性が高く,実践が求められる分野だ。その意味で,国際協力は大学を国際化する推進力となり得るのである。

 また世界的に援助の潮流が強まり,国際会議が頻繁に開催されて国際協力に関する情報も溢れるようになり,国際的な援助コミュニティーが形成されると,日本としても発言力を確保する必要が生じてきた。しかし,英語が中心言語であるコミュニティーにおいては,日本がどれほど優れた実践をしていてもそれが容易に世界に伝わらない面がある。

 「援助協調」という言葉が用いられ始めたように,援助自体のあり方には効率性が求められるようになった。それぞれの国が勝手にプロジェクトを進めていては,援助を受ける国が対応しきれない。「援助協調」が進んでいくと,自国の理想とする援助を実現するためにはますます発言力を確保しなければならない。そこで単に実践するだけでなく,国際協力に関する研究を進めて有用性の高い援助のあり方を提示する必要性が高まってきた。このようにして,国際協力に関して大学が果たす役割の大きさが徐々に認識されるようになったと思われる。

(2)大学にとってのメリットと課題
 日本でも文部科学省の後押しを受け,多くの大学が国際協力に取り組むようになった。しかし体制整備はまだまだ不十分で大きな広がりを見せている訳ではなく,今のところ拠点システムに選定された大学が先駆けて取り組んでいる状況だ。これまでの個人レベルの国際協力と違い,大学が組織レベルでプロジェクトを進めるとなると教職員への負担も大きい。日本では欧米と比べてNGOが未発達なため,国際協力に関係する企業とパートナーシップを組む大学もある。企業が主としてロジスティクスを担当し,大学教員がプロジェクトの研究的価値を高めるようなアイディアを出している。

 国際協力事業は大学にとってさまざまなメリットがある。まずプロジェクトに関わることを通じて教育研究活動から大学運営まで,大学全体を国際化する必要が自覚されるようになる。国際協力に取り組みながら自らの位置を確かめることで,大学の将来の方向性を探るきっかけが得られるだろう。また未開拓な研究分野が残されている途上国と協力してプロジェクトを行えば,そこから多くの新しい発見もあるに違いない。教員にとっては手間のかかる作業が必要となるが,実際に海外に足を運んで途上国の生活や文化を目の当たりにすれば,直接・間接に教育研究活動の良い刺激となるはずだ。

 学生にとっても,海外からの留学生や研修生と知り合い,あるいは自分自身が海外に派遣されることによって,実際に異文化交流を体験する機会が得られる。海外の学生とひとつの目的に向かって協同作業に取り組むことができれば,国際理解と連帯の精神が養われるだろう。

 大学の使命は教育,研究,社会貢献であるが,国際協力は大学それぞれの個性を活かしながら取り組むことが望ましい。研究プロジェクトの実施が難しい場合でも,教育協力であれば比較的容易に行うことができる。途上国の学生を受け入れて研修に参加させたり,日本人学生を海外に派遣したりすることも教育協力のひとつである。それがきっかけとなって研究に結びつけば,教員も取り組みやすくなる。教育研究に良い効果があることが認識されれば,継続的な関係を築くことができるだろう。それが社会貢献にもつながってゆく。

 国連は「人間開発」の概念を提示しているが,日本はこの分野でもっと多様な貢献ができるのではないか。海外を訪問すると日本の持つ文化的・社会的な蓄積の大きさを実感することがある。それらを何らかの形で伝えることができれば,他国の参考になることも多いだろう。そのためにはやはり大学が中心的な役割を果たすことが重要である。教育や文化に対する見識を持つ大学教員が積極的に国際協力に関わる意義は大きい。

 ただ気になるのは,日本に来る留学生が少なからず「日本嫌い」になってしまう現実がある点だ。国際的な交流機関を通じて来日する留学生の中でも,「日本嫌い」はかなりの割合に上るという。恵まれた立場のはずの国費留学生も例外ではないようだ。社会全体で彼らを受け入れる雰囲気や体制がまだまだ整っておらず,例えば外国人に住居を貸さないとか,就職で不利に扱うといった問題もその現れである。まず受け入れる心がなければ,それが体制に反映しない。

 日本人にはまだ異文化を恐れて排除したいという気持ちがあり,西洋に対する憧れを抱く一方でアジアを蔑視するといった傾向が残っている。異文化を受け入れる心情の未成熟さがいろいろな場面で現れている。もちろん大学ももっと努力する必要がある。魯迅は仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)で恩師,藤野厳九郎の懇切な教えを受け,帰国後に偉大な作家となった。そのような人間の心情や文化が基盤とならなければ,本当の意味での国際協力は実現しない。
(2006年12月5日)