「人格教育」と性的自己抑制教育(AE)の試み

神戸学院大学准教授  石崎 淳一

 私は現在,若者の性的活動における自己抑制に関する教育(Abstinence Education:以下AEと表記)を研究分野の一つとして実践的に取り組んでいる。Abstinenceという英語は一般には「禁欲」「節制」などと訳されるもので,われわれの生活に身近な例で言えば,禁酒や禁煙などにもこの言葉が使われる。ここでは,AEをいわゆる性教育(Sex Education)に対置される言葉として,特に「性的自己抑制教育」の意味で使う。1980年代の後半から米国で行なわれているAEのベースには,米国の公教育において幼稚園から行なわれている人格教育(Character Education)があると考えられる。

 日本でも近年,ようやく「人格教育」に関心がもたれるようになってきたようだが,日本の学校教育でそれに相当するものとしては「道徳教育」ということであろう。人格教育は,90年代以降に米国で発展してきたものであるが,日本において道徳教育の直面する課題を克服する上で,米国の人格教育を取り上げて考えてみることは意義のあることだと思う。そこで,本稿では,米国の90年代以降の教育改革への取り組みを概観するとともに,私自身が人格教育の一つとして行なっているAEの実践例を紹介してみたい。そこから日本における人格教育・道徳教育のあり方について少しでも示唆を与えることができれば幸いである。

1.90年代の米国の教育改革

 米国の全般的な教育状況は,社会的なリベラリズムの影響の中で70年代に悪化の一途をたどったが,80年代から90年代にかけて立ち直っていった。一方,日本は,それまで日本の初等・中等教育は世界に範とされるほどのものといわれたが,米国とは対照的に80年代に下降し始め,特に90年代以降は教育的状況が急激に悪化していった。

 米国の教育が復興した原因は,一体どこにあったのか。実は80年代に登場したレーガン大統領が,米国の教育の現状を鑑み教育改革に力を入れたのであった。同時代の日本では中曽根政権が臨教審などを立ち上げて同様に教育改革に取り組んだものの,米国ほどの実質的成果をあげることはできなかった。レーガン大統領は,教育改革のための調査を指示し,88年にW・ベネット教育省長官(William J. Bennett)が報告書「アメリカの教育」を提出した(次のG・ブッシュ政権時)。その骨子は,基礎教科の重視,知識・技能の重視,道徳的・知的鍛錬の強化などで,伝統回帰の方向性を明確に打ち出した。すなわち,80年代以前のリベラルな教育理念への決別を強く訴えたのである。

 この報告書に基づき,ブッシュ政権は,National Education Goalsという6つの目標を出した(1990年)。さらに91年にはその戦略(America 2000:An Education Strategy)を発表した。ブッシュ政権では教育戦略の目標が出されたのだが,その次のクリントン政権もこの方向性を引き継ぎ,この戦略目標に関する関連法案(Goals 2000; Educate America Actなど)を成立させた(94年)。このように実定法の制定までいたることで法的拘束力をもった教育政策が展開されるようになった。

 さらに具体的には,1997年にクリントン大統領がPresident Clinton's Callにおいて,「ゼロ・トレランス」方式の強化などを唱えた。つまり,学校の規律を重視し,そのためには「寛容さゼロ」で罰則を与えることに関して躊躇しないという一種の厳罰方針の教育原則を立てたのである。例えば,学校内に麻薬を持ち込んだ学生に対しては容赦せずに処罰を下すという方針である。

 またベネット教育省長官は,当時「国民のための道徳教本」(The Book of Virtues: A Treasury of Great Moral Stories, 1993)を作り世の中に提示した。米国では学校教育における人格教育とともに,家庭においては親が子供に読み聞かせることが伝統的な道徳教育であると考えられてきた。そこで歴史的に教えられてきた逸話,聖書に基づく話,偉人伝,米国の有名作家の作品などを再収録して新たに道徳の教本として編集したのである。日本では『魔法の糸』(やその続編『モラル・コンパス』いずれも実務教育出版,1997)というタイトルで邦語訳出版された。私としては日本でもこのような本があってもいいのではないかと考えている。

2.日本の規律教育の転換

 加藤十八は,米国で行われている種々の人格教育プログラムの徳目と日本の戦前の教育勅語および戦後の教育基本法の中の徳目と考えられる内容を拾い出して,徳目の種類や自己規律傾向度を比較している。自己規律的傾向度についてみると,日本の戦前の教育勅語と米国の現在の平均的人格教育の自己規律的傾向とはかなり類似していることが分かる(図1)。一方,教育基本法(改正前)の方は,個性主義に偏して自己規律的傾向が見られず,これでは道徳的教育をするのが難しいのではないかと加藤は述べている(加藤,2004)。

 昨年5月,国立教育政策研究所と文部科学省は,「生徒指導体制の在り方についての調査研究―規範意識の醸成を目指して」と題する報告書を発表した。その中で,ゼロ・トレランスおよびプログレッシブ・ディシプリンの導入を提言した。そして,罰則に基づく懲戒などを与えて,学校の秩序を維持することを明確化している。これは,米国の教育現場で行われている生徒指導におけるゼロ・トレランス方式を日本においても取り入れようと図ったものと思われ,これまでの文部行政における生徒指導方法の大転換となるものである。報告書は次のように述べている。「児童生徒に基本的な生活習慣を確立させるとともに,遵法意識をはじめとする人間として最低限の規範意識に基づいた行動様式を,発達段階に応じて身に付けさせることが重要である」「規範意識に基づいた行動様式を身に付けさせるためには,自律心の育成が不可欠である。すなわち,自らを抑制できる力を身に付けさせる必要がある」。

 しかし,問題は,このような規範意識や自律心の具体的な育成方法については述べていないことである。生徒指導上の権限を教員に再び与えようという方針を示しているが,道徳教育,規範教育の進め方などについては言及されていない。米国の生徒指導の方法論的な形式のみを取り入れるだけで,学校における規範を形成するために児童・生徒にとっても教員にとっても肝心の中身の部分(=人格教育)と結びつけた議論はできていない。

 もちろん,現在のさまざまな教育問題の背景には制度的なことが大きく影響しているであろう。例えば,平成2年に文部省は,学校の規律を緩める方向性に制度を見直した。そして段階的に規律を緩めてきた結果,教師一人ひとりがいくら熱意にあふれた教育をしようとしても,その力を発揮できないような制度に変容してしまったともいえる。その点では,教員の能力をうまく発揮できるような法的仕組みやサポートの体制を整備することは重要なことであり,学校システムを再生させるための規律重視への方針転換に基づく制度的改革は,それ自体は有意義なものとなることが期待される。

 これまでUPF(Universal Peace Federation)が米国などで進めてきた人格教育のための教科書や参考書の邦語訳が近年出されているが(『「人格教育」のすすめ』コスモトゥーワン,2003など),そうしたものを利用しながら日本でも人格教育教材を作成し,それを教育実践していくことができれば,現場からさまざまな成果を得ることができるのではないかと思われる。さらにその結果を調査報告していくことができれば,それは文科省の指導内容に対する有効な提言ともなりうるものであろう。

3.性的自己抑制教育(AE)の枠組みとその実践例

 教育においては,自己規律,自己抑制(自制),自己管理ということは大変重要であり,その土台の上に「勤勉」というものも実現されるし,また他人への配慮,思いやりといったことも可能となる。ここまでそうした視点から米国と日本の教育の状況を概観してきたが,ここでは,私が日本での開発研究を行っているAEについて簡単に紹介したい。

 AEは,特に90年代以降の米国でさまざまなプログラムが広く行われている人格教育型の性教育である。それ以前の米国では,子供の性行為を彼らの人権として認めた上で望まない妊娠などを避けるための各種の避妊法(特にコンドームの使用)を教示することに焦点を当てた性教育が主流であった。これらを人格教育型と避妊型として,二つの性教育を対比することが可能である(図2)。日本が90年代以降,主に保健教育の枠組みの中で行ってきた性教育は,この避妊型の性教育を輸入したものであり,指導者によってはそれにさらに唯物論的な思想を強化したものであった(ジェンダーフリー教育など)。 

 これまでAEは日本ではほとんど学術的に研究されておらず,したがって,紹介されることもなかった。

 AEの主なメッセージは,次の二つである。

1)青年期における性的自己抑制は人格形成に大きなメリットがあること。特に結婚までは異性との性的関係を持たないことが望ましい。

2)HIV/AIDSや性感染症(STD)は,深刻な医学的,社会的脅威であり,青少年はそのリスクが特に高いので性的活動を抑制すべきであり,結婚まで性行為をしないことがベストの予防法である。

 そして,このようなメッセージの明確さが,自己抑制プログラムの成功に寄与したと考えられている(Kirby, D., 2000)。

 2003年のAEに関する米国の電話アンケート調査(1800人の成人及び300人の公立中高の校長への調査結果)によると,性的自己抑制を中心にして性感染症に関することなど他の知識教育を併用して実施している公立の中学・高校が全体の約80%を占めている。従来型のコンドーム中心の避妊型の性教育を実施しているのは20%に過ぎない。米国ではそうした教育プログラムが中学・高校課程などで実施された結果,90年代に入り10代の若者の性交経験率の低下や望まない10代の妊娠率の低下などが起きている。

 一方,日本では「禁欲・自己抑制」のメッセージを伝える性教育はほとんど実施されていない現状である。そして,2005年の東京都での大規模な性意識の調査結果では,結婚まで性的関係を持つべきではないと考える高校生は5%程度である(都性研,2005)。また,この3年ごとに行われている調査によると,80年代後半から90年代にかけて,高校3年生の性交経験(累積)率は急上昇し,特に女性の上昇率が著しい。そして,援助交際が社会問題となった90年代半ばに男性と女性の割合が逆転し,近年は女性のそれが50%に接近している。こうした現状が,私に特にAEの教育研究の必要性を感じさせたものである。

 そこで,私自身は大学の講義の中でAEについて取り上げるとともに,関心をもった学生とともに「AE研究会」を始めた。これまでAEについて検討した結果,AEの第一の人格成長のための「抑制」メッセージは,「将来の良い結婚のための準備である」という観点が重要であると私は考えている。ここではその点について細かく述べる余裕はないが,そのような立場から,米国の人格教育研究の中心人物の一人であるThomas Lickonaが,AEに対して「性教育という言い方を止めて愛と結婚のための教育と呼ぶべきだ」と述べていることに賛成である。

 そして,われわれのAEの実践例を紹介するならば,大学生が高校に行って,愛や性の問題について,お兄さん・お姉さんの立場から高校生に話をするという「ピア・サポート」を実施している。これは大学生による高校生へのプレゼンテーションとグループ・ディスカッションを通して,性的活動に関する自己抑制的なメッセージを送るというものである。高校生に対しては実施前後にアンケートをとり,その意識の変化を見るとともに,彼らの生の「声」を聞いた。学生のプレゼンに対しては,「普段の授業では真剣に聞かない生徒たちも初めから終わりまで一生懸命聞いていたので驚いた」というのが,その場に同席した高校の教員の感想であった。そして,今後,薬物乱用や健康教育全般の話題に対しても同様の試みに大きな効果が期待できるのではないかという評価も受けた。

 ここではSTD(性感染症)の問題については割愛するが,以下に一言だけ触れておく。本稿の初めに米国の90年代における教育政策の転換を述べたが,AEの普及がそうした教育的努力と大きく関連するものであることは容易に理解されるであろう。米国の性教育は,はじめコンドーム推奨型の「安全なセックス(Safer Sex)」というメッセージを伝える性教育であった。しかし,そもそも避妊具であるコンドームがSTDに有効であるという科学的な根拠はない。そして,米国は家庭再建の方向に国全体が大きく転換していき,90年代にはクリントン大統領が「心の革命」を唱えるとともに学校では人格教育を推進して,性教育も人格教育型のAEが優位となっていったと見ることができる。

 ところで,HIV/AIDSは80年代前半に初めて分かった病気であり,それ以前は少なくとも人類に認知されていなかった。また,現在では難治性のウイルスによるSTDなど30種類以上のSTDが知られているが,以前は「性病」と称しており,梅毒や淋病が知られていた。このことが,一般的に中高年の大人の認識が薄い一つの大きな理由であると考えられる。つまり,「彼ら」の少年期・青年期には,そうした脅威自体が社会的に存在していなかったのである。しかし,現在のHIV/AIDSを含むSTDの感染拡大は深刻な疫学的危機であり,若者は社会的にも身体的にも感染リスクが高いことを伝える必要がある。

4.AEの構造と今後の課題

 性的活動の選択とは,どのように生きていくかという人生選択の問題と見ることもできる。米国ではキリスト教会が主導しながら,価値観教育が行われている。AEの成立している構造を見てみると,そのベースに学校教育における人格教育があり,その上にAEが乗っかる形になる(図3)。性的自己抑制は,人格教育において身につけることが目指されるさまざまな徳(virtues)のなかで,例えば,節制すること,勤勉に生きること,相手を尊重すること,などの品性を備えることの一つの姿と見ることができるだろう。ここで人格教育を道徳教育と置き換えると,日本では道徳教育でこのような明確な価値観教育が行われていない現状では,その不在の部分をどうするかという深刻な課題があると思われる。

 また,このような徳を教え込んでいくベースには,価値における普遍性が保証されていなければならないわけだが,米国の人格教育ではモラルという次元でいえば普遍性があると考えている。多民族国家の代表である米国の教育において,正直,勇気,誠実,思いやり,等々の徳目は,人類共通の普遍的なものであると見なされている。そしてさらに言えば,このようなモラルの普遍性を支えているのは,高等宗教がその教義の相違を越えて人類に共通の普遍的な生き方=モラルを等しく提示しているという認識であろう。しかし,このような議論が全く宗教教育を行なっていない日本の教育現場でも果たして可能なのかどうか,きわめて大きな課題であろう。

 ところで,近年の心理学の流れの中で,Positive Psychologyという考え方が登場してきた。これは21世紀を目前にして,米国心理学会(American Psychological Association, APA)のMartin Seligman会長(当時,米国ペンシルベニア大学教授)が,その学会の基調講演の中で提唱した概念である。彼は21世紀に心理学がもっと積極的に取り組むべきテーマとして,次の二つを提起した。第一が,紛争の解決である。心理学者がもっと積極的にこの問題を研究すべきだと主張した。そして第二が,人間のもつ強さ,徳性である。徳は,これまで道徳や宗教によって教えられてきたが,人間のもつこうしたよい(positiveな)側面を実証的にもっと研究していこうと呼びかけた。

 現在,暫定的に出されている人間のもつポジティブな特性は,心理学的手法からいくつかのカテゴリーに分類されているが,それらは結果的にいうと,宗教が教えてきた人間の徳性とほぼ一致しているとの結論を得ている。私は現在,このようなPositive Psychologyの研究結果をAEや人格教育の研究に生かしていくことができるのではでないかと考えている。

(2007年2月18日)

参考文献
1.ウィリアム・J・ベネット編,大地舜訳『魔法の糸―こころが豊かになる世界の寓話・説話・逸話100選』,実務教育出版,1997年

2.Divine, T., Seuk, JH, Wilson, A.(ed.)(2000),
 Cultivating Heart and Character: Educating for Life's Most Essential Goals. Character Developing Publishing, North Carolina.(上寺久雄監訳『「人格教育」のすすめ―アメリカ・教育改革の新しい潮流』,コスモトゥーワン,2003年) 

3.石崎淳一(2005),「青少年の性的活動における危機をめぐって」,『臨床心理学』5;pp.375-379.

4.加藤十八『アメリカの事例に学ぶ学力低下からの脱却―キャラクターエデュケーションが学力を再生した』,学事出版,2004年

5.Douglas Kirby(2001)Emerging Answers: Research Findings on Programs to Reduce Teen Pregnancy. The National Campaign to Prevent Teen Pregnancy, Washington DC.

6.国立教育政策研究所生徒指導研究センター「生徒指導体制の在り方についての調査研究報告書―規範意識の醸成を目指して」,2006年http://www.nier.go.jp/shido/centerhp/index.htm

7.島井哲志編『ポジティブ心理学―21世紀の心理学の可能性』,ナカニシヤ出版,2006年

8.東京都幼小中高心障性教育研究会編「児童・生徒の性2005年調査」,学校図書,2005年

9.トーマス・リコーナ著,水野修次郎監訳『人格の教育―新しい徳の教え方学び方』,北樹出版,2001年

10.八木秀次『公教育再生―「正常化」のために国民が知っておくべきこと』,PHP研究所,2007年