北東アジア地域統合と日中韓FTA

 構想の意義

新潟経営大学長 蛯名 保彦

 

現在も冷戦構造が残る東アジアにおける経済圏は,複雑な国際関係を抱えた国民経済間の国際分業よりも,冷戦の影響の比較的薄い地域経済間を中心として営まれてきた。後述するように,それは企業間ネットワークを先行基盤としながら形成された経済圏でもあった。だが近年に至り,FTA論が俎上にあがり活発な議論がなされるようになったが,それは東アジア経済圏においても国家間の話し合いや提携が必要になってきたことを示している。

 そこで,ここではこれまでの経済圏の流れを振り返りながら,北東アジアの地域統合とのかかわりで,日中韓FTA構想のもつ意義について考えて見たい。

1.地方経済圏

(1)環日本海経済圏
 まず「地方経済圏」について少し考察しておく。
経済圏とは,国民経済の枠を超えて形成される経済空間を指す。近代的な概念では国民国家の存在を前提とするので,経済空間も国民経済,すなわち国民国家の枠の中に基礎を置くことが求められる。この場合も経済活動が国境の枠を超えて行われることは認められるものの,それは国民経済内部の経済活動を補完するに過ぎないものと位置づけられていた。

 ところが,交通・運輸手段の発達や情報・通信の発展によって,ヒト・モノ・カネの国境を超えた移動が活発化するようになった。いわゆるグローバル化によるボーダレス化である。その結果,国境を超えた経済空間が新たに形成されるようになった。それは国民経済とは異なるもので,この新たな経済空間を経済圏と称する。

 ここで国境を超えるということの意味には,二つある。一つは,national to nationalつまりトランスナショナルに行われる場合であり,もう一つは,local to localつまりトランスローカルに行われる場合である。そして前者は広域経済圏(Regional Economic Zone)を形成し,後者は地方経済圏(Local Economic Zone)を形成する。そして広域経済圏は,地方経済圏の発展・融合によって形成される。

 この観点から私は,環日本海経済圏(注1)ということばを,文字通り日本海を取り囲む地域において形成された特定地域からなる経済圏という意味で使っている。それは,環日本海経済圏を北東アジアにおける地方経済圏の一つと考えるからである。具体的に環日本海経済圏とは,日本海に面した日本海地方,ロシアのシベリア極東,中国の東北地方,朝鮮半島の東海岸などの地域を単位として形成されている経済圏である。地方経済圏は,国家単位ではなく,地域を単位としているために,外交問題,国際関係からの直接的な影響を受けない。

 一方,北東アジア経済圏は,国と地域によって形成された広域経済圏を意味する(日本,ロシア極東,中国東北地方,モンゴル,北朝鮮,韓国の4カ国2地域)。このレベルになると当然外交関係を抜きにしては成り立たない。

 環日本海経済圏の他に,環黄海経済圏,北方経済圏を含めて北東アジア経済圏が形成され,さらに華人経済圏(華南経済圏および海峡経済圏)と東南アジア経済圏を加えると東アジア経済圏が形成されるという構造になっている。このように東アジアにはさまざまな地方経済圏が存在しており,それらは互いに密接に関連しあっている。

(2)地方経済圏の特徴
 北東アジアの地方経済圏の発祥は,もとをただせば「華南経済圏」にあった。香港と広東省(この一部に深 がある)という政治体制が全く違う地域が結び合っていた。これが次第に北上して台湾海峡をはさむ福建省と台湾の間の「海峡経済圏」につながる。台湾と中国という敵対国の間ですら,地方レベルでは交流が進んでいった。そのあとさらに北上し上海経済圏を経て「環黄海経済圏」となる。これは中国の山東省,朝鮮半島西海岸,日本の北九州などの地域における地方経済圏である。

 こうした流れの中で,さらに北上して形成されたのが「環日本海経済圏」であった。環日本海経済圏は,南から吹いてきた地方経済圏の流れに触発されてできた。まだ環黄海経済圏のようには発展してはいないが,次第に実体が形成されつつある。この延長線上には,やがて北方に行ってロシア極東と北海道の交流につながる。現に漁業ではそのような交流が進められている。このように東アジアにおいては,地方単位の経済圏が自然発生的に形成されてきた。

 こうした地方経済圏形成において国家間以外の単位で初めに重要な役割を果たしたのは,企業であった。すなわち企業を主役とするビジネス・ネットワークの重層化によるビジネス経済圏の形成である。これらは政治体制の違いも超えて地域同士の間に経済圏を成立させてきた。

 日系企業を例にとれば,日本に本社を置き,その工場を中国やタイなどに作る。そうなるとまずは社内的なネットワークが必要になる。製品を米国など東アジアの域外にも売るとなれば,企業内ネットワークだけではなく,強力な交通・運輸や情報通信のネットワークがなければできない。このようなビジネス・ネットワークが重層的に張り巡らされて,東アジアにおいてもビジネス経済圏ができあがっている。その主役が企業である。製品の品質が顧客に満足度を与えれば,その企業は国籍に関係なく動きながら国境の壁を超えて入っていくのである。

 このように,地方経済圏は,冷戦という障害要因を越えて,東アジア地域でもあちこちで動いている。

2.地方経済圏から北東アジア経済圏へ

 北東アジア地域は,いまなお冷戦構造が続いているために国と国との関係がうまくいく環境条件が十分整っておらず,歴史的には地域同士の経済圏から形成されてきた。東アジアとりわけ北東アジアの発展と平和のためにはこの地域の冷戦構造の溶解過程を促進する必要があり,そのためにも地域協力が求められている。その中で環日本海経済圏は中心的な役割を担っている。環日本海経済圏を基軸とする環黄海経済圏との融合,および北方経済圏との提携が北東アジア経済圏形成の成否を握っていると考えられる。

 そこで以下,この文脈で注目すべきいくつかの事項について説明する。

(1)自由貿易協定(FTA)
 そのような流れの中で,今日,問題になっているのは,東アジア地域統合の前段階としてのFTAである。これは国家間の交渉抜きには成り立たない性質のものである。それは貿易が関税の徴収に見られる如く,すべて国家の権限に属する問題であり,さらにその権限に属する関税を無税にしようというのがFTAであるから,当然政府間交渉抜きには考えられない。現在,東アジア地域でも活発にFTA交渉が行われているが,その延長線上に地域協力,地域統合があるとすれば,国家と国家との話し合いが動き始めたことを意味する。

 企業を主役とするビジネス・ネットワークの重層化によるビジネス経済圏の形成により地方経済圏が形成されてきたわけであるが,さらにそこに国家も関与せざるを得ないのがFTAである。北東アジアが国家も介在して経済圏を作っていくとすれば,まずは貿易や投資といった通商問題からであろう。(日中韓FTAについては次節で述べる。)

(2)サステナビリティー 
 開発と経済成長に伴い,エネルギー不足や環境悪化というサステナビリティー問題がこの地域においても深刻化し,経済発展と持続可能性の両立という難しい問題が突きつけられている。

 そもそも環境問題は,北東アジアといった地域に限定されない,グローバルなレベルの問題である。環境の悪化は地球規模でどこでも発生するので,これは先進諸国であれ,アフリカであれ,中南米であれ,この影響を免れるところはない。ところが,この問題への対処に関してはとくに後発国にとっては不満が多い。経済成長から見れば,先進国は成長を遂げ,成熟化し安定成長の時期に入っているわけだが,一方,新興国や途上国はこれから経済成長が望まれている。そのような時期に環境要因のために経済発展に急ブレーキをかけるようなことをしたいとは思わない。また貧困状態のままとどまるわけにもいかない。

 この問題を北東アジア地域と関連付けて考えてみると,地球環境破壊の重要なプレーヤーの一つである中国がここに位置している点がある。もっと具体的にいえば,中国の経済成長をどう考えるかということでもある。中国に向かって経済成長を鈍化させるように他国が要求することはできない。とはいえ,高度成長を継続しながら環境破壊を同時に継続することは周辺国のみならず当の中国自体も困ることである。環境破壊は周辺国への影響が深刻なだけに,日本や韓国など周辺国も黙って見過ごすわけにはいかない問題である。北朝鮮やロシアは,中国と同じ立場に立ってその成長政策を後押しするかもしれない。そうなると北東アジア域内での意見の対立が起きてくる可能性がある。

 このように環境問題の本質はグローバルなのであるが,北東アジアに限定するとそれ以外の問題も派生してくるので,非常に扱いが難しい。環境および持続可能な開発の問題は,二国間の話し合いも重要だが,それだけでは到底解決の難しい課題となっている。

(3)北朝鮮問題
 北東アジアで冷戦構造を超えて,国家間の関係を正常化しようとするのであれば,安全保障の問題が大きなファクターとなる。北東アジアの安全保障について言えば,北朝鮮という地域を抜きにしてこの地域が安全に暮らせ,経済発展を享受することは本質的に不可能である。

 安全保障問題では,地政学的な条件が重要になってくる。もし北朝鮮がこの地域のはずれに位置していれば,話は別かもしれないが,地政学的にいえば朝鮮半島の北半分の方がより重要だ。北朝鮮は,ロシアや中国を背にしており,南の韓国とだけいくら話し合ってみても真の平和を実現することは難しい。周辺国は,北朝鮮を通過しないで,北東アジアの国際貿易,インフラ整備,安全保障問題などこの地域の問題を,何一つ解決することができない。北朝鮮を中心とする安全保障の問題にめどをつけない限り,本質的問題解決はありえないのである。

 例えば,ロシアは,ランドブリッジ機能としてのシベリア鉄道を物流網の一環として整備しようと考えている。欧州と極東を結ぶシベリア鉄道がランドブリッジ機能をさらに高めるためには,シベリア極東のウラジオストクから朝鮮半島を経て,終着地である日本にまで繋がらなければ,それがビジネス・ラインとなって本当の機能を果たすことはできない。

 朝鮮半島の東西両地域で南北間の鉄道路線を連結しようとしているが,ロシアはそれらがどう展開するかに関心を寄せている。東側は,ウラジオストクから北朝鮮の元山,そして38度線を越えて韓国の釜山まで伸びる。一方,西側は,韓国から38度線を越えて開城に入り,平壌,新義州を経て中国の丹東に至り,モンゴルを経由してヨーロッパへとつながる。もし,半島西側の鉄道網が本格的に動き出した場合は,極東を経たシベリア鉄道のランドブリッジ機能が失われてしまいかねず,これをロシアは恐れている。

 実は,07年5月に朝鮮半島38度線付近の東西両岸で同時に鉄道の開通式を行ったが,それはロシアに対する北朝鮮のサービスでもあると思われる。ロシアはサハリンから沿海州を経由して北朝鮮にパイプラインをつなげる構想を持っている。そしてランドブリッジとこのパイプライン構想の二つをどうしても手に入れたいと願っている。そのためには北朝鮮を見方にひきつけておく必要がある。

 一方,中国はランドブリッジとともに,何よりも北朝鮮の資源を狙っている。北朝鮮には,中国東北地方では既に枯渇の兆しを見せ始めた資源や人的資源において潜在的能力があるので,そのようなものをも欲しがっている。

 北朝鮮にとって中国は最大の貿易パートナー(2005年の貿易総額約16億ドル)であり,次が対韓国貿易(同約10億ドル,但し支援も含む)である。日本との貿易はせいぜい2億ドル程度であるので,二国間貿易のレベルで言えば,北朝鮮は日本を無視しても生きていける。逆にいえば,日本はそれゆえに拉致問題一本で対北朝鮮との交渉に臨むことが可能なのである。しかしあくまでも拉致問題に固執して,その解決なくして日朝国交正常化は全く行わないという方針だけで行くことが果たしてできるのか。

 ところが北朝鮮の最大の貿易パートナーである中国やロシアですら,北朝鮮に対して核開発をあきらめるように説得している。こうした周辺国が,北朝鮮に対して,核開発をやめて今後相互の経済的利害関係が一致する国際分業の意義を説きながら,本格的に国際分業に乗り出してはどうかと勧めている。そして「政治体制は別にしても,せめて経済体制だけでも中国のように開放政策をとってほしい。中国の深 のような開放特区を作って中国並に進めて欲しい。」と希望している。

 北朝鮮自身も経済発展が必要なことは十分承知しているに違いない。金正日国防委員長は,本音で言えば,このまま閉鎖経済ではやっていけないことは十分理解していると思う。ただ急いで開放政策を進めた場合には,国民が一気にその方向に走り国が崩壊にいたることを恐れている。かつての東欧諸国の国家体制の崩壊過程を見ているためである。北朝鮮の国民も,国の経済が発展していて食っていけるのなら,たとえどんな体制でもある程度はがまんすることもできるだろうが,最低の生活である食べることにも事欠くようでは話は別である。北朝鮮の国民も心の奥底では解放を渇望し経済成長を願っているのは間違いない。

 ところが軍部は,かならずしもそうではない。人口2000万人のうち約4分の1の500万人の軍人軍属がいる。それゆえ,軍縮,核開発の断念という問題は,それは彼らにとっては士気にもかかわる死活問題だ。開放政策を急激に進めた場合には,国民は民主化要求を激化させる可能性があり,その中で軍部は身の危険を感じるために黙ってはいないだろう。両方からクーデタが起こりうる。その意味では金正日は分かっていてもやれないというのが,実際のところではないのか。さらに金正日の後継者がうまく選べていない。独裁者の悲劇とも言うべきか,彼がいないともう統治できない状況になっている。

 ところで,韓国はドイツのような形の統一を望んでいない。中国も北朝鮮が崩壊すると多くの難民が中国東北地方になだれ込む可能性があり,これまた歓迎できない。このように中韓ともに何とか現状,つまり「金正日体制」を少しでも持たせたいのが本音であろう。しかしながらその後の展望として,金正日政権はそう長くは持たず,その崩壊後は軍部独裁政権が出てくる可能性が強い。そうなると北朝鮮の軍事的脅威が高まり,韓国は太陽政策の修正を迫られるだろう。その結果,日本との関係を改善するとともに,韓国・日本・米国の安全保障体制が必要だという方向になる。韓国は日本を巻き込んで北朝鮮との正常化に本格的に乗り出すだろう。韓国は自国に近い開城に2〜3年先には年間30億ドルにも達する投資を計画し,現在既にそれに着手しているために,国家リスクを既に抱えている。韓国経済界は,このように北に相当投資しているので,現在の盧武鉉政権の太陽政策を批判しながらも,北朝鮮との正常化自体に背を向けることは最早できないのである。

3.日中韓FTA構想の意義

 北東アジア全体を視野に入れると,北朝鮮問題がクローズアップされ安全保障問題が前面に出てこざるを得ないために,地域統合の方向性には困難が伴う。そこでまず第一歩として,日中韓3カ国の経済協力関係,なかんずくFTA協定を結ぶことが,重要な課題となる。もし3カ国のFTAが結ばれれば,経済的にはそれ以上やることはないといっても過言ではない。

 東アジア全体に占める日中韓3カ国の割合は相当なものがある。GDP,貿易額,投資額を見ても東アジアで決定的に優位な立場に立っている。日中韓FTAが成立すれば,アセアンは当然同調してくるだろう。現在では,“東アジア”といえば,「アセアン・プラス・アルファ」となっているが,経済実態から言えば,それは日中韓プラス・アルファとしての“東アジア”となっていくはずだ。しかし,実際には日中韓がばらばらであるので,プラス・アルファの地位に置かれているわけであり,そこにアセアンのイニシアチブの意味が出てくる。しかし実際には,アセアン諸国も本来の姿,すなわち「日中韓プラス・アルファ」としての“東アジア”を望んでいるに違いない。「東アジア統合」はそれが近道だからだ。

 まず,三国の相互依存関係を貿易の面から見てみる。
図を見る限り,三国の結合関係はいずれも1を超えており,三国域内の結びつきは域外に対するよりも強い(二国間貿易において結合度が1を超えている場合,両者の結合関係が世界に対する平均的水準よりも相対的に強いことを意味しており,逆に1を下回っている場合は,両者の結合関係が同じく相対的に弱いことを示す)。とくに日本の対中輸入,中国の対韓輸入,韓国の対日輸入がそれぞれ強い結合関係にあることが読み取れる。そのことは,三国間貿易収支動向にも端的に反映されている。すなわち,日本の対中貿易赤字,中国の対韓貿易赤字,韓国の対日貿易赤字というインバランス構造は,三国間貿易の相互補完性の証明に他ならないのである。

 二国間FTAでは不均衡がさらに拡大することが予想される。例えば,日本の税率が工業製品で平均2〜3%であるが,韓国のそれは平均7%程度なので,これらがゼロになった場合には,日本が得するのは明らかだ。韓国経済界の利害関係,そうでなくても“反日”的な韓国民の国民感情から観て,日韓のFTA交渉はなかなか進まないのは当然だ。

 こうした二国間の貿易不均衡を,韓国は韓中貿易による大幅な黒字によって,中国は日中貿易の黒字で,さらに日本は日韓貿易の黒字でそれぞれ埋め合わせている。このように日中韓3カ国がいっしょになっていけば,互いに持ちつ持たれつの三角関係,すなわち3カ国が均衡するような貿易構造がうまく成立することになる。FTAの場合は,域内が関税ゼロなので,域外に向けては大きな障壁ができる。そうすると3カ国とも域外に対する貿易代替効果が得られるようになる。
さらに三国間投資の重要性が挙げられる。三国間貿易は垂直分業から水平分業へと移行し,さらに水平分業についても産業間分業から産業内分業へと変容しつつある。産業内分業を支えるのは企業内および企業間分業であり,ことばを換えれば,直接投資がカギを握っていることになる。

 ところが,日中韓三国域内投資は域内貿易に比べて大きく立ち遅れている。たとえば,三国の域内貿易比率は2000年に20%近くに達しているが,域内投資比率はその水準をはるかに下回る5%強に過ぎない。

 このような課題を解決するために,日中韓FTA構想はそれら3カ国にとって決定的にプラスに作用する。FTAが北東アジアにおいて意味を持つのは,それが北東アジアにおける直接投資の拡大に結びつく可能性を伏在させているからである。つまりそれが企業のビジネス・ネットワークの形成を促すという役割を担っていることが重要である。

 このような観点に立って,日中韓FTAを構想すると,それは一般に考えられているような関税の引き下げによる貿易の自由化だけを目的とするのではなく,むしろ企業の投資活動の共通ルール化,知的所有権の擁護のためのルールづくり,取引および慣行における基準・認証の共通化,ビジネス環境及びネットワークの発展そして金融・通貨・為替システムの安定化などを通じて,「北東アジアビジネス経済圏」の形成支援を目的としたものでなければならない。そもそも「北東アジアビジネス経済圏」とは,北東アジアにおけるビジネス・ネットワークの形成を促し,それを通じて域内直接投資を活発化させ,域内産業内分業を加速させる役割を担ったものであるからだ。その意味で日中韓FTAとは,FTAにおける動態的効果の発揮を通じてビジネス経済圏形成に貢献し,さらにそれを「北東アジア共生経済圏」へと発展させることを目的したものでなければならないということになる(注2)。

 ただし,この交渉は3カ国が一斉に始めなければ十分な効果は得られない。この春,中国の温家宝首相が来日したが,その大きな目的の一つが日中FTAであったと思われる。しかし二国間だけでコトを進めようとすると韓国が反発するので,韓国がその気になって3カ国で進めるようにならなければならない。もし韓国が主導して本気で日中韓FTAを提案してくれば,日韓,日中のFTAを既にやろうとしている日本としてはNOという理由がない。ポイントは韓国の出方一つである。

 そして経済の観点から言えば,日中韓FTA協定を結ぶことが,3カ国にとって大きな意義があると同時に,北東アジア,東アジアにも決定的な影響力を及ぼす。このFTAが成立すれば,画期的な条件変更となって東アジア共同体構想への道筋が見えてくるだろう。日中韓FTAができないのに,どうしてアセアン・プラス・アルファで東アジア共同体になるのかというのが,前述したようにアセアン諸国の本音であろう(注3)。
 (2007年5月23日)

注1 朝鮮半島の人々は,日本海のことを「東海」と呼んでいるので,環日本海経済圏のことを環東海経済圏と名づけている。ここでは,日本での論議という意味で,「環日本海」という用語を使用する。

注2 中小企業及び集積地域企業の立場に立てば,日中韓FTAに対してローカルなレベルでのアプローチが求められる。具体的には,企業レベルのもの,地域レベルのものがある。前者のアプローチとしては,北東アジアにおけるローカルなビジネス経済圏形成を促すための集積地域企業を中心としたLFTA(Local Free Trade Agreement)構想が挙げられる。それは,地域レベルでのビジネス・ネットワーク形成を促すための地域企業および地域産業が中心となって地域レベルからFTAを具体化していこうという構想である。
 
 もう一つの地域レベルでのアプローチとしては,小川雄平教授が提唱されている「地方版自由貿易協定構想」がある。それは,いわば構造改革特区の一種としての“無税特区”構想――さらに敷衍するならばボーダレス特区と呼べるものであろう――ともいえるものであるが,すでに形成されている環黄海経済圏をさらに北東アジア経済圏へと発展させる上で重要な役割を果たすことが期待される。したがって,いずれも日中韓三国FTAを地域レベルで具体化しようとしている意味では,結論は一つの方向に収斂しているといえよう。

 以上のローカル・アプローチは,中小企業および地域にとって重要であるばかりではなく,日中韓FTAに対する国際関係論的アプローチと地政学的アプローチとを融合させる上でもきわめて重要な役割を担っているということも強調しておきたい。
 
 (蛯名保彦『日中韓「自由貿易協定」構想』明石書店,2004年,pp.222-223より)

注3 一つ新しい問題も出てくる。それはインドである。05年12月に小泉首相が東アジアサミットの折,インド,オーストラリア,ニュージーランドの3カ国を含めた東アジア共同体構想を発表したことがあった。それは対中牽制が狙いであったが,もしインドを含めると「東アジア」という枠組みではやっていけない。汎アジアという範疇にならざるを得ない。その背景には,共同体が反米になることを恐れる米国の戦略もあり,米国抜きにならないよう米国が牽制してきたということもある。日本政府も,当時は東アジア地域統合などはありえないと考えて,唯唯諾諾と深く考えないで主張したのだと思う。しかし,一旦誘った以上,いまさら共同体からはずれてくれとはいえない。日本政府としては,一体どうするつもりなのか。へたをすると,ダブル・スタンダードになりかねないのである。