国連の現状と課題

―平和維持活動と日本の貢献

学習院院長・元国連大使   波多野  敬雄 

 

 1945年に国連が創設されて60数年の歳月が経過したが,その間,国際情勢の変化により世界秩序は大きく変わった。そして国連歴史の節目ごとにその改革が叫ばれてきた。とくに冷戦終結以降の新しい世界秩序の中で,国連の平和維持活動がより重要な機能として注目されるようになった。そこでここでは,国連の課題と平和維持活動の役割という観点から世界平和について考えてみたい。

1.国連の課題

(1)常任理事国のパワーと専横
第二次世界大戦の戦勝国,連合国を中心として構成された国連であったが,戦後間もなく訪れた米ソ両大国を中心とする冷戦時代には,冷戦構造を終結させるような役割を国連に期待することは到底無理なことであった。当時は米ソの核抑止戦略によって力の均衡が成り立っており,それによって平和が維持されていた。この時代にもし大きな戦争が起きた場合には,当事国はもちろんのこと,国連それ自体も崩壊せざるをえない状況であった。

 その後冷戦構造が崩壊して形成された新しい世界秩序においては,大きな戦争の起きる蓋然性は低下したものの,小規模戦争(地域紛争)がかえって頻発するようになった。その背景には,常任事理国を構成する5カ国が自分たちの都合の良いように国連を牛耳って彼らの好きなような世界平和を作っていることがあるとも言える。

 現在世界各地で起こるほとんどの地域紛争は,国連が一致して総力をあげて取り組めば押さえ込める程度の紛争である。湾岸戦争もそうだ。イラク戦争の場合は,やり方の問題であったと思う。もしフランスやロシアが一致して取り組んでいれば,もっといい展開になっていただろう。実際には,国連決議を経ずに米国が戦争を開始したところにこじれた出発点があった。

 それではなぜ,フランスやロシアは抵抗したのか。それは彼らが少なくとも当初はイラク国内の天然資源などに対して権益をもっているために,米国が勝手に戦争を進めて米国主導のイラク平和が築かれた場合には,自分たちの権益が失われてしまうのではないかと恐れたことがあった。事の本質は,5カ国の利益(国益)の調整がうまくできなかったことにあった。

 また,パキスタンが核実験を行ったときに(1998年),米国はなぜ制裁措置をせず妥協したのか。その一方で米国は,イランに対しては違った方針で臨んでいるという論理が当然出てくる。米国の論理で言えば,パキスタンはイスラエルの脅威にならないが,イランはイスラエルの撲滅を国策としているのでイスラエルの脅威になっているからだとなる。5大国といえども,正義がどうかというレベルを超えて,やはり国益に左右されながら国際政治が展開されている。

 拒否権を持つ常任理事国の5カ国の国連代表部は,大使レベルで毎日のように協議している。そしてもし,どこかで地域紛争が起きて平和維持部隊(PKO)を派遣する場合,仮に中国がそれに反対した時に米国は無理に投票にかけようとはしない。妥協して別の方策を考える。5カ国は拒否権を持つ自らの地位とそのシステム保存に協力し合っている。言ってみれば,5カ国間の妥協の産物であり,5カ国による一種の「談合」ともいえる。

 国連事務局は,5カ国のどこか一国でも嫌われると何事も進まなくなってしまう仕組みなので,それらの国の代表部の顔色を伺う傾向がある。事務総長は安保理の議題と関係ない話題でも,5カ国と事前に相談して仕事を進める場合も多い。5カ国を無視したり配慮を欠いた行動に出た場合には,自分の進退問題にも及びかねないからである。国連事務総長は,5カ国の1国でも拒否すると選任されないし,再任されもしない。事実,ヴァルトハイム事務総長(第4代,在任1972-81)の再任に際して10数回拒否権が発動されたという話がある。ブトロス・ブトロス・ガリ事務総長(第6代,在任1992-96)は,米国の意向を無視したために再任されなかった。このように常任理事国5カ国によって安保理は動かされているといって過言ではなく,5カ国が承認した案件だけが動いていくという現実なのである。

(2)「賞味期限」の切れた国連のしくみ
 国連本体の中でもその中心は安保理事会である。難民,飢餓のような本来経済社会理事会に属する問題を含め,あらゆる問題がまずは安保理で検討され,その方向性や結論の大筋が実はそこで決定されてしまっていると言っても過言ではない。

 その意味から言うと,安保理が本当に世界の世論を代表したものでなければならない時代になっている。しかし,60数年前の第二次世界大戦の戦勝国だけがいまだに安保理を支配しているという構造は,あきらかに現在の国連の「賞味期限」が切れているといわざるを得ない。ただ現実には,国連は一応世界の国々を代表する唯一の機関であり,われわれが考えられる範囲では最も現実的と思われる平和機構を創ったわけだから,今のところそこで決定されたことは世界の総意の表れと認めるほかない。

 実際に,このような問題を指摘したのが,ガリ国連事務総長であった。90年代前半に彼は,「国連の民主化」という改革案を提唱し,日本や途上国の代表を拒否権をもつ常任理事国に加えて国連の民主化を図るべきだと主張した。

 しかし,日本が常任理事国になるか否かという問題は,日本としては重要なことだが,世界の国々から見た場合にはたいしたことではない。現実的に日本に常任理事国になってもらわないと困る国は世界にほとんどない。日本の常任理事国入りに最も消極的なのは,日本の身近なアジア諸国なのである。中国や韓国だけではなく,程度の差こそあれアセアン諸国もそうなのである。もし日本が常任理事国になった場合は,アセアン諸国は日本の顔色を伺って行動しなければならなくなってしまうからだ。しかし,正面きって反対できないので「賛成」と言っているに過ぎないと言ってもよい。そして日本と政治的にはほとんど利害関係のないアフリカや中南米の国が,「日本支持」と言明してくれるわけだ。

 日本の常任理事国入りが世界の最大関心事ではなく,世界の関心はどのように途上国に有利な方向に安保理を変えていくかにある。国連創設時の加盟国は51カ国であったが,現在は192カ国。この間に増えた140カ国あまりのほとんどは途上国である。それゆえ安保理改革においては,途上国の意見を反映するような仕組みを作らざるを得ないというのが世界の大勢なのである。日独が常任理事国になるのでは,ますます先進国主導になってしまうので,それならば,例えば,インド・ブラジル・アフリカなど,途上国を少なくとも3カ国以上,入れる必要があるというのが大勢である。しかし,このような考え方に米国は賛成しない。こうなると安保理改革は非常に難しい。

(3)米国と国連
 米国がかつて国連の分担金の支出を滞らせたときがあった。督促すると「米国の行政部としては払いたいのだが,議会が承認しないために出来ない。」という。そこで安保理で分担金支払を促すために,米国上院外交委員長のヘルムズ議員を呼んで懇談した。ヘルムズ議員は,「米国は国連に入りたくて入っているのではない。米国は国連が必要とするので入っているが,米国は国連に入らなくて困ることはない。」というというような返事であった。

 90年代のソマリア紛争の際に,何十万人の犠牲者が発生したが,当時私も国連にいてその状況を肌で理解していた。アフリカはヨーロッパの旧植民地であったこともあり,英仏などは関心を寄せて紛争解決のための資金援助には協力したりしたものの,兵隊を出すという貢献についてはまったく言及しようとしない。しかし,ユーゴスラビアの紛争など同じヨーロッパ大陸の場合は紛争の火の粉が飛び火することもあり得るので兵を出すことをためらわない。中東地域の場合でも,石油など地下資源への権益の問題もかかわっているために,派兵する場合がある。このように英仏は自国の利益になる地域には兵を出すが,そうでない地域には兵を出そうとしない。

 ソマリアは地下資源はほぼない国で,国の中が内乱で二つに分裂しており解決が非常に難しい状況になっている。英仏両国は,そのような地域には物資援助など手を汚さないやり方のみの貢献であって,兵を出すことはない。ソマリアの惨状が米国のテレビで毎日のように報道される。そうすると米国のNGOはそれを見て可愛そうに思い同情して,自ら現地に出かけて援助活動に従事するようになる。そうなると彼らの中には拉致されたり,殺害されたりと犠牲者が出てくる。米国世論はこのような現実を見て政府を動かし,当時のブッシュ政権は数万人の兵を派遣する決定を下した。しかし,派兵すれば犠牲者も出るために,米国世論は賛成一辺倒でもなかった。

 そのような厳しいマスコミの環境の中でも米国政府代表がソマリアへの派兵の決定を行う演説を行ったときには,数十人の途上国の大使たちが行列して,次々に米側代表に「Thank you!! Thank you!!」と言っていた。米国は正義のためにと言ってイラク攻撃を行い世界から嫌われる面もあるのだが,ところが,このように世論次第では自国の利益にならない国にまで自ら出かけていって貢献する。そこで米国はいざとなったときに,本当に頼れる国だと途上国には映っている。武力を出してでも助けてくれる国は,米国しかないと考えている国も多い。

 米国は拒否権を行使して世界から批判を浴びるとしても,このような自信があるので,米国の判断でやるべきことはやり,やるべきでないことはやらないとはっきりした態度を示すことができる。

2.平和構築とPKO

(1)「正しい平和」と「正しくない平和」
 平和を「戦いのない状態」と(消極的意味に)定義すると,それだけでは真の平和は実現性に乏しいものになってしまう。平和とは,第一義的には自ら戦うことによって達成されるものである。外交によって達成される平和は往々にして正しくない平和に陥りやすい。かつてミュンヘン会議(1938年)の時に,ドイツ(ヒトラー)のズデーテン地方への侵略を認めてこれ以上の侵略を止めることを約束させようとしたが,結果的にはそれが破綻して第二次世界大戦につながった。近代の歴史において,外交による平和は,一時的平和はあったにしても,完全な平和,長続きする平和が達成されるということはなかった。一時的平和にしても,それは往々にして「正しくない平和」(peace without justice)であった。それゆえ,ガリ事務総長の唱える「正しい平和」(peace with justice)を達成しようとすれば,間違ったことをやっている者をときには(必要あらば)武力を持ってしても押さえ込む覚悟が必要になってくる。

 外交とはどこまで譲歩してまとめていくという交渉である。ある意味ではそれは「妥協」であり,妥協は「正しくない平和」になりがちである。例えば,今進行中の北朝鮮の核開発問題にしても,北朝鮮が勝手に核実験を行ってしまったのに,それをそのままにして北朝鮮が代償を払えと要求しているのを,関係国が認めるわけであるから,正しい平和とはいえないのではないか。このようなことを続けていけば,その枠組みはいつかは崩れてしまうだろう。そうなるとまた譲歩して妥協した枠組みを作るということの繰り返しになりかねない。

 世界平和のためにならないことを国益として行う国がある限りにおいて,それを放置してよいものか。妥協によって生まれた平和は,正しいと思われることが達成されない状態を受け入れることになる。

(2)国連平和維持活動(PKO)の役割
 安保理の諸問題を認めた上で,次の課題は現実問題として世界の地域紛争を解決するために,いかに国連の平和維持機能を発揮できるようにするかという点である。PKO(平和維持活動)は歴史の智恵が集積されたものなので,それを強化することが重要だ。平和維持機能の本質は何かというと,「戦う」ということにある。つまり,正しい平和を造るためには,国連に戦う用意がなければならないということであり,PKOとは言い換えれば,「戦う」用意がある組織ということである。

 フランスはこの点では積極的である。ミッテラン大統領の時には,国連常備軍のために3000人を準備し,そのうち1000人は国連指揮下に置き,残る2000人はフランス国内に置くがいつでも国連に提供できる用意があると提案した。各国がそのような姿勢にたって国連常備軍が編成されれば,世界の中規模以下の地域紛争は押さえ込めるだろう。

 かつてブトロス・ガリ国連事務総長が「平和への課題」(Agenda for Peace)の中で「戦うPKO」としての平和執行部隊の提唱をした時(1992年)にも,この点が焦点になった(注1)。すなわち,国連に軍事力を持たせ,悪い者は押さえ込むことによって平和が保たれるという考え方が,ガリ提案の核心でもあった。

 勿論,ときには両者の善悪がはっきりしない場合もある。アフリカ・スーダンのダルフール紛争のように,どちらの側が善い悪いと判断しにくい場合も多い。しかし,現実問題として多くの犠牲者と難民が発生している緊要な状況にあるのに,それを放置するわけにはいかない。そのようなときにも,やはり平和維持部隊を投入して武力介入をしてでも,そこに平和を築いていくことが必要になる。ただ割って入ることは,簡単なことではない。それは双方から攻撃される可能性を秘めた行為であるからだ。

 またユーゴスラビアの紛争の場合は,どちらの側が善いのか,あまりはっきりしなかったようだが,国連決議によってセルビア側が悪いとされて,そちらを爆撃し平和を達成した。

 カンボジア紛争のときは,1990年に安保理がUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)による停戦監視と選挙実施の和平プロセスを発表し,翌年パリ和平協定が結ばれて内戦は一応停戦した。しかし,ポルポト派は軍事力を保持して国連の方針に従わなかった。国連軍と政府軍とが協力して対抗すれば押さえ込めると思われていた。
当時日本政府は,カンボジア紛争は武力を使わずに平和を達成することに意義があり,そのためにUNTACの特別代表として明石康氏がカンボジアに入っていると考え,日本が当時安保理メンバーであったこともあり,これを実現した。しかし,そうしたやり方も最後の手段として武力を使えるという脅しがあってこそ初めて平和を達成することができる。すなわちそこにはオーストラリアを主体とする軍隊が派遣されており,その軍事力が控えていなかったならば,国連PKOだけで果たして効果的に平和を達成できたかは疑問だ。 

3.日本の貢献

 90年代の湾岸戦争のときに,日本が130億ドルを国連に拠出したが,当時私は国連でno taxation without representationということを言って日本の常任理事国入りを主張したことがあった。それに対して欧米諸国は相当反応した。そのとき朝日新聞,毎日新聞等は,「日本が常任理事国になるには,アジアの積極的支持が前提になる。」との趣旨の論調を張った。しかし,そのような論は,非現実的である。前述したように,日本は世界の代表として入るのであり,アジア代表ではないのだから,アジアの国々は日本が常任理事国になったからといって得するとは全く考えていないからである。

 国内における常任理事国入り反対の考えの中には,「常任理事国になるとPKOに兵を出すように要請される。そのとき日本が危険なところに行かないとは言えなくなる。」というものがあった。ある国会議員は,「あなたは内政を知らない。自衛隊員が10人死亡したら内閣がつぶれてしまう国が日本なのだ。このような日本は,世界の中できわめて異常な国だ。しかし,これが現実であるから,このような現実を知った上で常任理事国入りを考えて欲しい。」といった。

 それに対して私は次のように述べた。「国連や主な国々は,日本は何ができて何ができないか,よく知っている。日本はお金なら出せるが,命は出せない国なのだ。それを承知の上で,欧米は日本の常任理事国入りを考え始めているのだ。」と。しかし,なかなか納得してもらうことはできなかった。現実,日本には「大国にならなくていい,世界での発言権が少なくてもいい。」と考える日本人も少なくない。現代の高校生にアンケートをとってみると,えらくなりたいと考える人は10%以下しかなく,その理由は「責任が重くなるのでえらくなりたくない」という。

 日本人は危ない橋は渡らない。それゆえ国連の平和維持活動に参加すると言っても危ないことはしない。しかし,それでは直接的には世界平和に貢献できない。これまでの私の国連での経験からそれを強く感じる。かつてカンボジア紛争時に,自衛隊員でない民間人二人(警察官と国連ボランティアの方)が命を落としたことがあった。そのときある日本政府高官は,国連にやってきてブトロス・ガリ事務総長に会い「2名死んだ」と繰り返し訴えた。ガリ事務総長は丁重な弔意を示しながらも,何度もそのことばを繰り返すものだから,「国連のPKO活動では既に1000名以上が命を落としていますから」と言った。そのとたん日本側は話がつなげられず座がしらけて対話が終わったという記憶がある。日本の致命的な発言権の弱さはこの点にある。

  日本には,「お金は出せるが,命は出せない国」という限界があるので,国連を通して難民や人権などの分野にお金を出すことによって日本のハンディキャップを出来るだけカバーするほかないのではないか。歴史的に国連の真価は社会面(難民,人権,衛生,文化,教育など)で発揮されてきたことを考えれば,人道援助などへの拠出は相当の評価を得られるような気がする。
(2007年9月12日。本稿はインタビューした内容を編集部で整理して掲載したものである。)

注1 ブトロス・ブトロス・ガリ
 (Boutros Boutros-Ghali,1922- )
 エジプト出身の国際法学者。カイロ大学卒,パリ大学で博士号を取得。1946年からカイロ大学教授を務める。77年からエジプトの外交担当大臣を務める。92年第6代国連事務総長に就任(〜96年)。96年米国の拒否権発動により,事務総長の再選を阻止された。ポスト冷戦の国連の安全保障機能に取り組み,92年「平和への課題」を提出。その中で,国連は@予防外交(preventive diplomacy),A平和創造(peace-making),B平和維持(peacekeeping),C紛争後の平和構築(post-conflict peace-building)という4機能を強化すべきことを訴えた。


■はたの・よしお
1953年東京大学法学部を中退し,外務省に入省。56年米国・プリンストン大学卒業。吉田茂首相秘書官,大臣官房人事課長,在米特命全権大使,中近東アフリカ局長などを経て,87年在ジュネーブ国際機関日本政府代表部特命全権大使,90年在国連日本政府代表部特命全権大使を歴任。その後,94年(財)フォーリン・プレスセンター理事長,03年学習院女子大学長を経て,現在,学習院院長・理事長(06年〜)。