私の平和論

―恒久平和の構造

国際基督教大学名誉教授  一瀬 智司

 

世界各地で毎日のように起きる紛争の背景にはさまざまな要素が絡んで複雑化しており,その解決の道はまだまだ遠い現状である。その中にあっても,人類の永年の悲願である恒久平和実現に向けた努力は,こころある人々によって支えられ進められてきた。厳しい現実を見つめながらも,恒久平和への道筋を求めてどのような方向性を考えるべきか,私自身の歩みを振り返りつつ,私見を披露したい。

1.私と平和問題との出会い

 私は大学卒業後に会計検査院に入庁した。そのとき最初に配属された部署が日本国有鉄道であった。おりしも1948年11月に「日本国有鉄道法」が国会を通過し,翌49年6月に「公共企業体日本国有鉄道」が発足したときであった。つまりそれまで政府事業であった国鉄を一般の国家公務員からはずし,公共企業体(public corporation)として再出発させたのであった。その後は,電電公社にもかかわり,最初から政府に近い企業と行政にかかわる形で,私のキャリアが始まったのである。公共企業体は,政府に近い産業ではあるが,鉄鋼や金融などの国家基幹産業分野とも違う。ある面で公共企業体は,電気,ガス,水道,電話通信などの地域インフラ産業である。

 公共企業体に関連する学会として公益事業学会(The Japan Society of Public Utility Economics)があるが,これは旧電電公社,電気事業,ガス事業,情報通信など政府に近い企業,すなわち公益事業(public utility)に関連した学会である。戦後,この公益事業学会を立ち上げた国際基督教大学の蝋山政道教授が,昭和30年代後半に同大学に行政学の大学院修士課程「行政学研究科」を新たに設置するために努力されていた。そのとき私はこの先生に請われて同大学の専任教授として赴任することになった。

 私が関わり始めた地域インフラに関する研究は,今日にいう都市問題であり,別の言葉でいえばまさにこのような公益事業に関する研究分野であった。そこで私は,専門分野としてはこの学会にかかわりながらも,この学会には会計学や経営学の専門家も多く所属していたことから,そのような研究分野とも接点をもつようになった。

 私が米国・ハーバード大学大学院に留学したときに気づいたことの一つに次のようなことがあった。英語で行政学と経営学は,それぞれpublic administration,business administrationと表現するが,ともにadministrationという共通語があることがわかる。つまり英語の発想から言えば,行政学と経営学とは兄弟関係,親戚関係の学問分野なのである。一般に日本では経営=managementという言葉が思い起こされ,このような発想にはつながりにくい。さらに行政=お役所,経営=民間企業という通念があり,この二つは全く別物と考えられやすい。しかし,英語圏の発想ではadministrationという観点から,行政と民間の両方を視野に入れて研究できるということがわかり,そのような観点をもちつつ,公益事業との関わりを中心とした都市問題の研究を進めていったのである。

 私は,平和問題と公共企業体とがいかにして結びつくことができるかとの思いを永年抱いてきた。冷戦時代に私は,第三次世界大戦が起こるのではないかと本気で心配していたが,冷戦が終焉して,これで大国同士の戦争は起こらない状況が生まれたと安堵した思いがあった。しかし,その後21世紀に入り9.11事件に象徴されるようなテロや地域紛争が世界各地で頻発するようになり,国際情勢の基本的枠組みが冷戦時代とは大きく変化した。

 冷戦終結後の平和問題は,私の観点から言えば,都市・地域の安全・安心が重要課題となっているとみている。それは現代人の社会生活は,よほどの奥地でも行かない限りは,世界のどこでも「都市的な生活」を抜きにしては成り立たないからである。ここでいう都市や地域(city areaあるいは community)とは,生活的基盤としての場所・土地のことである。

 そして都市生活における安全・安心とは平和問題であり,またそれは都市地域のインフラ問題に直結することを考えると,すべて「都市」を中心としてまとめられることがわかる。それで私は,国際都市コミュニケーションの分野に力を入れて取り組んでいるのである。これこそが21世紀の課題であると思う。

2.世界連邦運動

 世界連邦建設同盟(現「世界連邦運動協会」,現会長:植木光教・元参議院議長)は,1948年8月6日,日本に設立された。そのときの初代会長は尾崎行雄,副会長は賀川豊彦であった。この運動には,世界的にはアイン・シュタイン,日本では湯川秀樹などもかかわっていた。

 私が国際基督教大学に移ったときに,同大学には労働問題の専門家である鮎沢巌教授がおられた。そのころ鮎沢教授に,「世界連邦世界大会がノルウェイ・オスロで開かれるので,戦時下学徒出陣の経験を生かし,一緒に参加して手伝ってくれないか」と頼まれ,先生のお供をして同大会に参加したのが,世界連邦運動との最初の出会いであった。鮎沢先生といっしょに世界連邦の世界大会に参加した当時は,「世界連邦」というような世界は,夢物語のような話であった。

 戦後全国的に世界連邦運動が展開されて,現在では「世界連邦都市宣言」を行った地方自治体が「世界連邦宣言自治体全国協議会」を結成している。世界連邦都市宣言は1950年に京都府綾部市が最初に宣言し,多くの自治体が同協議会に加盟している。

 さらに「世界連邦全国婦人協議会」「世界連邦日本宗教委員会」なども結成されているほか,国会でも,「世界連邦日本国会委員会」(会長:森山真弓議員)が結成された。2005年8月には,世界連邦日本国会委員会が中心となって「世界連邦国会決議」がなされたが,これは大きな一歩をしるす成果である(注1)。

 世界連邦運動は,国連を改革・強化することにより,世界平和を実現して,各国の軍備を完全に撤廃することを始め,環境保全,その他の緊急の世界的諸問題に対処しようとしている。これは恒久平和に向けた努力であるが,いまや,世界平和を求める諸団体,諸機関がパートナーシップを組んで広範に進めていくときであると思う。

3.地域統合による平和実現

  現在,世界は地域統合の趨勢が見られる。最も進んだ形はEU(欧州連合)であろうが,ここ東アジア地域でも東アジア共同体構想などの動きがみられる。

 とくにEUでは,紆余曲折はあるものの,欧州憲法条約の締結と国ごとの批准という方向性を見せている。もしそのような方向に進むことになれば,主権国家を超える動きとして,世界連邦,世界政府につながる重要な礎石と言える。この点で,EUの動きは注目すべきところである。もちろん現実的には,順風満帆と言うわけにはいかないようだが,考えてみれば,ドイツとフランスは永年の怨讐関係にあったのに,欧州統合に当たっては協調して進めるところまできたことを想起すれば,希望は十分にある。

 そのほか,AU(アフリカ連合),NAFTA(北米自由貿易協定),SAARC(南アジア地域協力連合)など,地域共同体の動きがあり,それらをまとめるものとしての国連という位置づけである。そうなると世界連邦の方向性も夢物語ではなくなってくる。
問題は,何といっても米国が本気になることが重要だ。なぜなら,米国がやっている国際政治は,まさに世界政府が行うべきことだからである。もちろん米国とて国益を考えて行動しているのだが,それを本当の意味で世界全体の益のために行うような仕組みへと引き上げていくことが第一段階である。そこにおいて国連との関係が問われてくるのである。

4.国連の平和維持機能

 ここではとくに国連の平和維持機能の面について考えてみたい。

 現在の国連軍は,国連加盟国が安保理の要請によって国家単位で提供する形をとっている(注2)。しかし,国連職員が世界から個人単位で採用され構成されているように,原則論から言えば,国連軍の構成も国家単位ではなく個人単位の志願によって(国連職員として)構成されるものに変えていくことも一案だと思う。それによって世界の平和維持機能としての国連警察,国際警察の基盤を固めることができる。それが軍になれば国連軍と言うことになる。

 また現在でも,国際司法裁判所や国際刑事裁判所があるので,国家間のもめごとは実力行使による解決ではなく,そうした国際裁判所を通して対話で解決する道を探ることが重要である。地域紛争などの解決に向けた取り組みにおいて,その大半が国家単位のかかわりで進めていることが問題である。つまり国家の壁を超えた組織が形成されていくことによって,真の世界平和,世界連邦への道程が見えてくるのである。ちなみに,最近日本でも,国際刑事裁判所ローマ規程加入が国会で承認された(注3)が,これも評価できる動きである。

 国連の基盤強化という点では,「国連税」「世界税」という発想も必要かも知れない。現在の国連は,各国の分担金を醵出してもらって運営している。そのような段階を越えて,税金でまかなえるような仕組みになっていけば,国連は今以上に強化されていくに違いない。そうなれば世界政府型の方向性となるわけだ。このようにわれわれの意識から変えていく必要がある。

5.平和と宗教

 平和問題の中に宗教をどう位置づけるか。これは私の悩みでもあった。都市・地域の安全・安心を考えた場合に,心の安全・安心を抜きにして今日の都市生活問題は解決不可能であることがわかる。その役割を果たすのが,広い意味で宗教である。宗教の問題を抜きにして考えることはできないだろう。政治経済,社会問題と心の問題は,密接にかかわらざるを得ない。

 儒教では「修身斉家治国平天下」といった。修身=個人,斉家=家庭,そして国を越えて世界へとつながっていくことを意味している。それら全体を包括するパラダイムが哲学であり宗教である。かつては「哲学者」といえば,すべてのことについて思弁していた。しかし,近代以降学問が細分化することによって,そうした全体を包括するパラダイムがなくなってしまった。

 同様のことを経済学や社会科学の言葉で言えば,「ミクロ」の視点は,個人,家庭そしてその拡大としてのコミュニティということになり,全体を包括する視点が「マクロ」ということになる。「専門」といえば,まさに「ミクロ」の視点である。しかし,現代社会はミクロ(専門)だけでは不十分で,もっとマクロの観点をみなが共有するような時代的要請があるように思う。そしてそれらが儒教が言うように一本に連なっていなければならないだろう。

 また平和というと「戦争反対」を叫び,デモをやって平和が実現できると思っている人もいるようだが,私はそれだけでは平和は来ないと考えている。恒久平和をどうやって実現するか。そのために恒久平和の構造を作り上げていくのが,国際政治,行政,経済であり,そのような冷徹かつ現実的な裏づけのないままに「戦争反対」だけを叫んでいても,どうにもならない。

6.宇宙開発への世界協力

 宇宙開発に向けた人工衛星の打ち上げ競争がいま大国によって行われつつある。まずは太陽系から始まって,太陽系外にも足を伸ばそうとしている。地球に住む人々がもっと宇宙探査に関心をもって英知を結集していく。ちょうど南極を世界が人類共有財産として管理しているのと同じように,宇宙に対しても同様の考えで取り組む必要があるだろう。地球人の共通目標として立てて取り組み,地球上の小さな争いごとを越えていく。そのうちに宇宙旅行の時代が本当に到来するかもしれない。宇宙開発は,まさに21世紀の「大航海時代」ともいえる時代を開いていく。将来地球の人口が増えすぎた場合には,状況によっては宇宙に移住する時代を迎えるかもしれない。

 人間という存在はほんとうに「罪深い」と思う。平和で仲良くしていられない存在だ。いま世界は地球が壊れてしまいかねないほど環境破壊が進んでいる。原爆もその一つである。小さなもめごとは別にして,このような壮大な計画を人類全体が共有することで,より前向きに,積極的な生き方をするようになって,平和の実現が促進されると信じるのである。何か人類共通の目標を定めて一致して進むことが,必要だと感じる。

7.最後に

 複雑化した国際政治の世界では,表の外交とともに裏の外交も絶対必要である。そのような裏外交を駆使してでも,世界の恒久平和を実現できればと願うものである。

 外交の世界には,対話,ディスカッション,論争が必要であり,それが交渉学の基本である。そのような言葉による外交の手段を飛び越して,直接復讐法,武力に訴えるというテロ行為は,全くナンセンスとしかいいようがない。とくに日本人は,歴史的に「言葉」をあまり重視してこなかった。しかし,これからの時代は,そのような慣習を捨てて,対話や話し合いによる解決の道を図っていくことが何よりも重要なことであると切実に感じている。平和裏に紛争を処理できるような構造を構築していくことが,恒久平和実現への道であると信じている。

 このようなことを理解して平和を実現できる人(マタイ5:9)が,まさに「世界人」であり,「地球市民」であると思う。そのような志・フィロソフィーを持った人材が,その上に専門的なバックグランドを持っていく。それが今求められている高等教育の要であり,リーダーシップの本質である。
(2007年7月27日)

注1 世界連邦国会決議
  2005年8月2日の衆議院本会議で「世界連邦実現への道」を盛り込んだ「国連創設及びわが国の終戦・被爆六十周年に当たり更なる国際平和の構築への貢献を誓約する決議」が衆議院で採択された。その内容は,以下の通り。
 <国連創設及びわが国の終戦・被爆六十周年に当たり更なる国際平和の構築への貢献を誓約する決議>

  国際平和の実現は世界人類の悲願であるにもかかわらず,地球上に戦争等による惨禍が絶えない。戦争やテロリズム,飢餓や疾病,地球環境の破壊等による人命の喪失が続き,核兵器等の大量破壊兵器の拡散も懸念される。このような国際社会の現実の中で,本院は国際連合が創設以来六十年にわたり,国際平和の維持と創造のために発揮した叡智と努力に深く敬意を表する。

  われわれは,ここに十年前の「歴史を教訓に平和の決意を新たにする決議」を想起し,わが国の過去の一時期の行為がアジアをはじめとする他国民に与えた多大な苦難を深く反省し,あらためてすべての犠牲者に追悼の誠を捧げるものである。
  政府は,日本国憲法の掲げる恒久平和の理念のもと,唯一の被爆国として,世界のすべての人々と手を携え,核兵器等の廃絶,あらゆる戦争の回避,世界連邦実現への道の探究など,持続可能な人類共生の未来を切り開くための最大限の努力をすべきである。  
 右,決議する。(平成17年8月2日) 
 (世界連邦運動協会HPより引用) 

注2 国連軍
  国連軍は,本来,国際連合安全保障理事会(安保理)の決議によって組織された国際連合の指揮に服する軍隊を指す。しかし,正規の国連軍が過去において組織されたことがないため,一般に,「国連軍」と呼んだ場合は,国際連合安全保障理事会決議に基づいてそれぞれの国が各々の指揮下に派遣する平和維持軍や停戦監視団を指すことが多い。正式名称は,国際連合軍。英語表記ではUnited Nations Forces。
  国際連合憲章第42条で,安全保障理事会は国際の平和と安全を維持または回復するために必要な行動をとることができると規定されている。国際連合憲章第43条に従ってあらかじめ安全保障理事会と協定を結んでいる国際連合加盟国がその要請によって提供することになっている。現在,この協定を結んでいる国がないため,国際連合憲章に基づく正規の国連軍が組織されたことはこれまで一度もない。(フリー百科事典『ウィキペデイア』より引用)

注3 世界連邦日本国会委員会の国際刑事裁判所に対する取り組み
  国際刑事裁判所(ICC)とは,国際社会にとって最も深刻な罪(集団殺害=ジェノサイド,拷問・レイプ・奴隷化などを含む人道に対する罪,戦争犯罪など)を犯した個人を国際法に基づき訴追し,処罰するための常設の国際刑事法廷である。この裁判所は,暴力によらず世界法によって安全や人権を保障すべきだという世界連邦の思想にまさしく合致するものである。同裁判所設立を推進する2000を超えるNGOの中でも世界連邦運動団体が中心的役割を果たしてきた。「国際刑事裁判所を求めるNGO連合」の議長もWFM(世界連邦運動)の専務理事ウィリアム・ペース氏がこれを行っている。 
  日本は,国際社会における最も深刻な犯罪の発生を防止し,もって国際の平和と安全を維持する観点から,一貫して国際刑事裁判所の設立を支持してきた。同裁判所の設立条約を採択した1998年の外交会議においては,日本政府代表団は異なる各国の立場の調整に尽力し,同条約の採択に大きく貢献した。日本は関係国内法の整備や分担金の予算措置を理由として,この条約批准を遅らせてしまったが,ようやく07年3月29日衆議院で,4月27日参議院でICCローマ規程加入が承認され,ICC協力に関する法案も可決された。ICCへの加盟は,我が国として国際社会の最も深刻な罪の不処罰を許さないという決意の表明である。(世界連邦運動協会HPより引用)


■いちのせ・ともじ
東京大学法学部卒。1953年同大学院修了。会計検査院勤務,埼玉大学講師,助教授を経て,63年国際基督教大学教授。この間,ハーバード大学行政大学院,同経営大学院にて研究に取り組み,フィリピン・アテネオ大学客員教授,日本地方自治研究会会長,公益事業学会会長,(社)国際都市コミュニケーションセンター会長代行,石巻専修大学教授等を歴任。現在,国際基督教大学名誉教授,石巻専修大学名誉教授。また(財)国連大学協力会評議員,世界連邦運動協会副会長なども務める。経済学博士。専攻は,行政学,経営学。主な著書に,『行政・経営の哲学』『日本の公経営―その理論と実証』『現代公共企業論』『経済,文化摩擦を超える道―体験的昭和史を背景にして』『アジアと世界の地域研究ネットワーク』他。