社保庁年金記録問題と労働組合運動

弁護士 秋山 昭八

 

戦後の労働運動

 社会保険庁の年金記録漏れ問題については,さまざまな切り口からの視点があるが,ここでは官公労働者の組合運動という観点から考えてみたい。

 まず,戦後の労働問題の歴史を簡単に振り返ってみる。
戦後1945年12月に労働組合法が制定されて民間労働者とともに官公庁労働者の組合運動が展開された。そして47年2月1日の「2・1ゼネスト」に向けて広汎な労働運動の高まりをみせる中,その直前になってGHQの命令により中止された。その後,冷戦構造により保革対立が激化し,労働運動も激しさを増していった。民間の労働運動は,50年代に多くのストや争議が繰り広げられ,60年安保の時期に頂点を迎えた。その間,55年に政治の分野でいわゆる「五五年体制」が確立すると共に,日本経済の高度成長期が始まると,民間の労働運動は賃上げ要求などの経済闘争に力点をおいた「春闘方式」が展開するようになり,73年のオイルショックごろを境に,当時,元総評議長(在任1958-66年)の太田薫氏が「春闘の終焉」と言って(1975年),民間の労働事件はほぼ終息した。

 一方,公務員の労働運動に対して政府は,48年7月に「政令201号」を出して,公務員労働者の団体交渉権やスト権など労働基本権に対する制約を加え,さらに同年末には国家公務員法改正法,公共企業体労働関係法を制定してそれを追認した。それに対抗して公務員関係のストが活発化して,公務員のスト権など労働権の制約が違憲かどうかの憲法判断を求める裁判が次々と繰り広げられ,大論争が展開された。

 こうした一連の裁判の結果として,70年代に最高裁の憲法判断が相次いで判示された。73年(昭和48年)の4.25判決(全農林警職法事件,注1),76年の5.21判決(学力調査岩教事件,注2),77年の5.4判決(全逓名古屋中郵事件,注3)などによって,国家公務員,地方公務員などのスト権に対する制約は憲法違反には当たらないとの見解が最高裁によって示されたのである。それまでは,毎年民間以上にストなどの労働争議が繰り返し行われてきたが,最高裁の判断が示されることによって公務員のストライキなどの組合活動は下火になっていった。

社会保険庁職員による組合活動

 ところが,ストライキなどは沈静化に向ったものの,組合活動,とりわけ,勤務時間内の組合活動などが活発に展開されるようになった。勤務時間内の組合活動は職務専念義務に違反してさぼっているわけであり,今日問題化している年金の記録漏れなどの処理の不正確さを生み出す背景ともなった。

 ところで,社会保険庁の職員組合としては,職員の約7割を包括する全国社会保険職員労働組合(旧自治労・国費評議会)と残りの組合員をまとめる全厚生職員労働組合がある。とくに旧自治労・国費評議会は,この間72年から79年ごろにかけて,政府や経済界が主導して進めた生産性向上運動の一貫である合理化推進に対して反合理化闘争を推し進め,「全国オンライン化反対のたたかい」を強烈に展開し,その後半期には全国統一闘争を繰り広げた(注4)。

 こうした中で,年金記録のコンピュータによる一元管理のオンライン計画を進めるためには,同職員労働組合との合意が必要であった。しかし,強烈な組合をなだめてそれを推進するために,管理職側は妥協による数多くの「覚書」や「確認事項」を交わすこととなった。その結果,組合による違法な慣行を当局も認めざるを得なくなり,上司の命令がきちっと届かない組織体制になってしまった。もし上司の命令がきちっと届いていればオンラインに伴う処理もうまく進められたに違いない。

「覚書」や「確認事項」の中で示されたことは,オンライン化に伴う切り替え準備費用は一般予算とは別個に配付するということであった。つまりオンライン経費は年金掛け金から持ち出すことを認めたのであった。

 また,「確認事項」によって,「オンライン端末機の一人一日の操作時間は平均200分以内とし,最高300分以内とする」「職業病予防の観点から,45分操作15分休憩,一日あたり総操作時間,キータッチ数の制限など,覚書を守れる職場体制を確保する」など,考えられないようなことが現場でまかりとおるようになったのであった。

 このようにこの時期(昭和40年代)は公務員の労働事件が熾烈を極め,社会保険事務所における職員の組合活動が非常に問題になった。当時,自民党の労働問題特別調査会でも,これをなんとかしなければいけないとして,国の体制側,つまり各社会保険事務所長にしっかりと対処してもらおうとの意図から,所長研修を全国的に行った。私もその講師の1人として,同研修の中で「勤務時間内の組合活動は本来は一切違法なので,それを行った者に対しては積極的に懲戒処分をしていかないと後で大変なことになるだろう」と警告した。しかし,当時はほとんどの職員が組合員であったから,所長一人で頑張っても多勢に無勢で,所長が何かやろうものなら所長を突き上げてくるので何もできないような状況であった。そのような中で組合は自分たちはいかにして仕事をしないかを工作し,体制側に圧力をかけていく。いま世間を騒がせ07年7月の参議院議員選挙でも争点の一つとなった年金問題は,60年代から70年代にかけての違法な組合活動の累積結果によるものであったのだ。歴代の社会保険庁長官をはじめ高級官僚も,それに対しては手をつけられなかった。こうした問題が,年金問題の一番の根幹にあったと言える。

 もちろん,体制側の歴代社会保険庁長官をはじめとする官僚OB,それを指揮する内閣がきちっと対処しなかったために,違法な組合活動が放置されてこのような結果をもたらしたことを考えれば,彼らにも大きな管理責任があることは否定できない。もし彼らがきちっと労働運動の対策を行い職務専念義務を遂行するように指導していれば,今日のような年金問題にまでには至らなかったと思う。しかし,それ以上に組合活動を後ろから指揮していた国公労連(日本国家公務員労働組合連合会),さらには総評の違法な組合活動があったのであり,それをきちっと明らかにしておく必要があるように思う。

安易な救済策は問題

 年金問題については,もう一つ指摘しておきたいことがある。年金が宙に浮いてもらえない人たちの救済策として,第三者委員会を中央と地方に設置し,現在,国民から苦情を受け付けている。きちっと年金保険料を払いながらも,それが登録されずに年金がもらえないというのはとんでもないことである。ただ,第三者委員会は,国民救済のためにという名目を掲げて,「かつて保険料を払い込んでいたことがそれらしく認められる場合には,救済しよう」といっている。年金は国民の税金にも跳ね返ってくる問題でもあるので,救済に急なあまり,法治国家の基本原則を無視して行政を行うことは果たしていかがなものか。つまり,「それらしく認められる場合には救済しよう」という曖昧な根拠に基づく温情的対応は,厳しいようであるが,法治国家の原則に照らしあわしたときによろしくないのではないか。できる限り徹底的に調べて,かなりの確信を得られた場合に救済されるという方法論をきちっと定立しないといけないと思う。そうしないと法治国家の土台がゆすぶられかねない。救済のために第三者委員会を設置したこと自体は悪くないのだが,行政の執行に当たっては法律に基づき厳格にして進めていかなければいけないのではないかと思う。

(2007年7月20日)

注1 全農林警職法事件
 昭和33年10月警察官職務執行法の一部改正案が国会に上程された際,全農林東京と本部はこれに反対するため,時間内職場大会を実施した。これに関して全農林の委員長ら5名の幹部は,右職場大会の指令発出行為が争議行為の遂行を「あおる」ことを「企て」たことに該当し,職場大会の際に職員に参加をしょうようした行為が争議行為を「あおる」ことに該当するとして,国公法110条1項17号違反の罪で起訴された。本判決は,全司法仙台判決のほか,それに至る全逓東京中郵判決,及び都教組判決に対する「逆転判決」と呼ばれるものであり,また全逓名古屋中郵判決に至るその後の判例の流れに新たな起点を与えたという意味で,重要な判決である。この判決は,憲法13条の「公共の福祉」=「国民全体の共同の利益」自体を労働基本権の制約原理とみる。本判決が,都教組判決と同様に憲法15条を根拠として公務員に対し労働基本権をすべて否定することは許されないとしながら,公務員の一切の争議行為を禁止し,あおる等の行為をすべて処罰する法の規定を合憲とする全く逆の結論達したのも,窮極的には,「公共の福祉」=「国民全体の共同の利益」を労働基本権とは独立の外的制約原理と解することによるものといいうる。(別冊ジュリスト第101号『労働判例百選』(第五版)より引用)

注2 学力調査岩教組事件
 地方公務員も憲法28条にいう勤労者であるが,その労働条件は,国家公務員の場合と同様に,地方公務員を含む地方住民全体ないし国民全体の共同利益のため,これと調和するよう制限されることもやむを得ない。そして,地公法上設けられた代償措置は,制度上,右(上)制限に見合うものとしての一般的要件を備えていると認められる。それ故,地公法37条1項は,憲法28条に違反しない。(平成13年3月14日北海道新聞より引用)

 *地方公務員法 第37条(争議行為等の禁止) 職員は,地方公共団体の機関が代表する使用者としての住民に対して同盟罷業,怠業その他の争議行為をし,又は地方公共団体の機関の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又,何人も,このような違法行為を企て,又はその遂行を共謀し,そそのかし,若しくはあおってはならない。

 2 職員で前項の規定に違反する行為をしたものは,その行為の開始とともに,地方公共団体に対し,法令又は条例,地方公共団体の規則若しくは地方公共団体の機関の定める規定に基いて保有する任命上又は雇用上の権利をもって対抗することができなくなるものとする。

注3 全逓名古屋中郵事件
 昭和33年3月20日全逓名古屋郵便局支部は,勤務時間に2時間くいこむ職場大会を行い,この闘争に当り職場大会参加を呼びかけたりした組合役員が郵便法79条1項のいわゆる郵便物不取扱罪その他の罪に該当するとして起訴された。本件は,三公社の民営化により改正され,国企労法となった旧公労法の争議行為禁止に関する最高裁判決である。三公社五現業の職員の争議行為の問題は,戦後のわが国の労働関係において最もこみ入った問題の一つであり,判例も大きく二転,三転し,これらの職員の争議行為を規制する法規も,戦後労働運動の中で激しくゆれ動いてきた。昭和23年の政令201号の制定前においては,現業公務員は争議権を認められ公益事業について私企業のそれと同じ規制を受けるに止まったが,政令201号は非現業,現業の別なく公務員の一切の争議行為を禁止し,単純参加者まで処罰の対象とした。(その後)制限的合憲論はあまりにも広い争議禁止規定と憲法上の労働基本権保障の精神を調和させた解釈として,学説上も労働運動の立場からも高く評価された。しかし,制限的合憲論は国公法,公労法などの広い禁止規定を字義通り解釈すれば違憲となるところから,苦肉の策として合憲の範囲内に止めて解釈するもので,争議行為の合法性の判断基準を曖昧とし,労使関係に不安定要因を持ち込むおそれがあった。本件判決の特徴はこのゆれもどしの先鞭をつけた全農林判決の非現業公務員に対する争議行為禁止についての判断を,三公社五現業職員についてほぼそのまま適用した点にある。(別冊ジュリスト第101号『労働判例百選』(第五版)より引用)

注4 参考資料
 岩瀬達哉「年金消滅の主犯を暴く」『文藝春秋』07年8月号
 屋山太郎「旧国鉄よりひどい社保庁労使国賊論」『Will』07年8月号
 葛西敬之「社保庁腐敗 国鉄を想起」読売新聞07年7月23日付


■あきやま・しょうはち
1955年中央大学卒業。同年10月司法試験合格。58年4月弁護士登録。日本弁護士連合会代議員,東京弁護士会常議員,同会外務委員会副委員長,日本医科大学監事・理事,日韓弁護士協議会会長等を歴任。日本菓子専門学校理事,(財)中小企業レクリエーションセンター理事,理事長,講談社社外監査役,中央大学協議員,新潟県・茨城県・宮城県各知事部局および教育委員会法律顧問,総務庁公務員判例研究会座長,東日本旅客鉄道竃@律顧問,鞄刊現代,(財)日本音楽著作権協会等法律顧問,日韓文化交流会会長等を務める。著書に『官公労働法上の諸問題』(上・下)『最高裁労働判例解説』『夫婦と親子の法律相談』『土地と建物の法律相談』など。