北朝鮮の核開発問題と日朝関係の展望

元日朝国交正常化交渉日本政府代表 遠藤  哲也

 

1.北朝鮮の実像

 北朝鮮という国に関しては,その真実・実態を知ること自体がなかなか難しく,世界中でも一番難しいと言ってもいいかもしれない。また,日本国内では,こと北朝鮮問題に関しては賛否両論が激しく対立しており,一般人がその真実に迫ることが容易でない。そこで,そのような北朝鮮問題にアプローチするために,孫子の兵法に「敵を知り,己を知らば,百戦危うからず」とあるように,まず,北朝鮮の実態からみてみよう。

(1)経済情勢
 北朝鮮経済は,かつて1970年代前半ごろまではむしろ韓国を上回っていた。その後も北朝鮮は自国経済は順調だと主張していたが,次第にその実体経済の困難さが対外的にもはっきりと知られるようになった。当時は,北朝鮮の貿易に占める日本の輸出入の割合は相当なものであったが,70年代半ばごろから北朝鮮の貿易代金の支払いが滞り始め,その後日本は貿易保険の停止措置を講じた。

 そして90年ごろが北朝鮮経済の分水嶺となった。冷戦体制の崩壊によって,北朝鮮が頼りにしていたソ連,東欧圏など共産圏とのコメコン体制が破綻し,自由競争社会に直面することになった。当時,北朝鮮から世界に輸出して国際競争力を有する商品はほとんどなかった。このようなことから外部経済からのあおりを直接受けて北朝鮮経済は大打撃を受けたのであった。

@石油
 北朝鮮は鉱物資源は比較的豊かであるが,原油はほとんど産出しないので輸入に100%頼ってきた。北朝鮮の原油の最適量は年250万トン程度であったが,その輸入先を大まかに言えば,100万トンをソ連圏から,100万トンを中国,残り50万トンを中東地域からとなっていた。ところが,ソ連の崩壊によってソ連からの100万トンがほとんどなくなった。ソ連崩壊後のロシアは,原油を売るには売るが,「コメコン友好価格」(低価格)に代わる国際価格で現金決済を要求したために,外貨準備のほとんどない北朝鮮は支払いができず,ロシアからの原油輸入はほとんどストップしてしまった。中国からの原油輸入については,当時も今も相当量がわたっているようだが,決済条件その他についてはほとんどわからない。そして中東地域からの原油については,ミサイル・武器等の輸出売却によるバーター取引のようであったが,国際社会の監視と締め付けによって次第に減る趨勢にある。このような情勢変化によって原油供給量はかつての3分の1程度までに減少した。

 この結果,工場稼働率の低下,ガソリン不足による運輸面への打撃,石油化学製品の生産低下などが現れ,石油化学産業,石油を必要とする各種産業が打撃をこうむり,最終的に経済全体が苦境に陥ることになった。

A農業問題
 北朝鮮はもともと,鉱物資源が豊かで重化学工業の基地ではあったが,半島の南半分と比べて農業には適していない。それでも農業に力を入れて振興してきた。ところが,1980,90年代から,農業生産が大きく低下し始めた。それは,農業に厳しい自然環境の上に,気候不順という「天災」に加えて,いわゆる「人災」が加わって起きた現象であったと思う。この国は,以前から「主体農法」という方法で農業を行ってきた。例えば,故金日成主席が現地に赴き,「あの山の斜面にトウモロコシを植えよ」と指示すれば,そうしなければならない。その結果,山の木を伐採してトウモロコシを植えて雨が降れば土砂が流出するなど,大地の荒廃を招くことになった。一事が万事,このような調子であったから,これはまさに「人災」であった。それに加えて,90年代は天候不順,天災が追い討ちをかけたために,農業生産は壊滅的な打撃を受けることになった。そのピークが95年から98年にかけてであった。

 また,食糧増産のために,「密植農業」を行った。あぜ(畦)とあぜの間に別の作物を植えて増産を図った。この方法は短期的な増産方法としてはよいのだが,これを繰り返すと地力が低下して農業生産が慢性的に低下するのは目に見えていた。そして,前述したように,原油不足により化学肥料,農薬の生産ができず,ますます厳しい状況に追い込まれたのであった。この状況は,現在でも大きく改善してはいない。

B外貨不足
 もう一つの苦境は,外貨不足である。かつて旧共産圏諸国とはコメコン体制によって,その域内ではキャッシュがなくてもバーター取引などによってある程度の貿易は可能であった。ところが,冷戦体制が崩壊して自由経済体制に組み込まれるようになると,外貨が不可避的に必要になった。北朝鮮が生産する工業製品で国際競争力のあるものはほとんどない上,ソ連(ロシア)などからの援助もなくなったために,外貨が不足する状態になった。

 それを補うものとして,その初期には,無税タバコやウイスキーの横流しなどもやっていたがたいした額にはならないために,在日朝鮮人からの送金のほか,マネーロンダリングや偽造紙幣,麻薬取引,武器輸出など不法行為を行うようになった。
1950年代末から60年代初めにかけて北朝鮮は,朝鮮戦争後の復興期にあり,青年労働力不足,技術不足を補うために日本の在日朝鮮人の労働力を必要としていた。また,北朝鮮は「北朝鮮は地上の楽園だ」と宣伝し,「日本で差別待遇を受けるよりは祖国に帰還せよ」と訴えた。当時の日本の新聞の中には,その論調に同調して北朝鮮の宣伝に与するところもあった。その結果,在日朝鮮人のうち約10万人が北朝鮮に帰っていった(北送事業)。

 朝鮮の人々の生活は全般的に儒教的思想が濃厚で,家族的紐帯が非常に強い。そのため,北に帰ってそこで非常に苦労しているとの知らせが入ってくれば,在日の人々は同情して北朝鮮の同胞に送金するようになった。キャッシュによる送金(持参)や第三国経由の送金もあったので,その総額がどの程度であったかは把握できないが,相当額が流れたことは事実であった。 

 ところが,近年,送金額が急激に低下しているようだ。その背景には,北送帰還事業を始めて既に40年以上の年月が経過して家族関係が薄れたこと,バブル崩壊により在日朝鮮人の経済が縮小したことなどがある。在日朝鮮人の経済の主な基盤は,パチンコ業,焼肉店,不動産業などだが,バブル崩壊によってとくに不動産業が打撃を受けた。そして最近の国際社会の締め付けによって,北朝鮮の外貨不足が顕著になったのである。

C経済苦境の脱出策
 以上のような,農業部門の低下,エネルギー不足,外貨不足の三重苦によって北朝鮮経済は非常な困難に陥っている(図1,図2参照)。このような経済苦境を北朝鮮はどう打開しようとしているのか。

 北朝鮮指導部の中には,改革・開放政策によって打開しようとのグループもあるが,一方には,改革・開放に伴う副作用を恐れる人たちもいる。北朝鮮の政治体制は,旧ソ連や中国などの共産圏諸国と比べてかなり違う部分がある。北朝鮮は「金一族による支配体制」であるので,改革・開放政策をとると自由な風が吹いてきて「神話・嘘で固めた金王朝」は崩壊の危機に瀕するのではないかと心配する。事実,07年10月に盧武鉉大統領が金正日と首脳会談したときに,「改革・開放ということばに非常な抵抗を示した」といわれた。自由経済特区「工業団地」を一部に造成することはいいが,全面的な改革・開放には踏み切れないというジレンマにあるようだ。

(2)外交と軍事情勢
 北朝鮮の外交は,「一に米国,二に米国,三・四がなくて五に米国」といわれるように,対米関係を最優先に置いている。彼らは,「われわれが戦争(朝鮮戦争)をした相手は米国であり,米国はあらゆる面で世界第一の国なので,米国と話がつけば日本など周辺国との関係は自動的に解決する。」と考えているふしがある。

 また北朝鮮の軍事の中心は,核開発でもある。これは言葉を換えれば,「北朝鮮はなぜ核に固執するのか」ということでもある。
北朝鮮と韓国の軍事力を比較すると,(ジェット戦闘機,戦車,大砲など通常兵器の数について)数量的には北朝鮮の方が圧倒的に上回っている。ただし,質の面から見ると,北朝鮮の武器はほとんどが旧式となっていて,韓国の最新鋭のものとは大きな落差がある。また,北朝鮮は石油不足のために,ジェット戦闘機の飛行訓練時間も年間十数時間しか行っていないという。これで果たしてパイロットの練度が保たれるのかとの疑問もある上,燃料不足ゆえに戦闘において緒戦はともかくも継戦能力はないのではないかとも疑われている。

 軍事費を比較しても,同様である。北朝鮮は軍事費にGDPの25〜30%を費やしているといわれているが,GDPの規模が韓国と比べてかなり小さいので,軍事予算の絶対額においても差が出てくる。

 こうしてみると南北の軍事バランスは,南に傾きつつあるように思われる。
このような軍事バランスの劣勢を挽回する方法として北朝鮮が考えた方法が,ミサイルと核兵器の開発であった。とくに核兵器開発はその意図が顕著であった。核兵器開発には,前述のような軍事的動機のほかに,政治・外交的動機もあった。経済力がアジアでも最貧国の一つである北朝鮮が世界最強国の米国を対等な立場で交渉のテーブルに着かせることは容易なことではない。そこで北朝鮮は核を政治・外交的カードとして利用して,米国と交渉しようと考えた。

 北朝鮮はかなり以前,すなわち,金日成時代の初期のころから,「原子力開発」を考えていたようだ。北朝鮮には,石炭の埋蔵資源,水力資源もそれなりにあったので,石炭発電や水力発電施設は備えていたが,石油はなかったので,金日成時代から原子力開発の技術者養成のためにソ連に人材を送っていた。

 余談になるが,日本語の「核」「原子力」は,非常にあいまいな言葉だと思う。日本語は英語のnuclearを,ときには「核」と表現し,ときには「原子力」と表現したりする。そして核と原子力はある面で,紙一重といえる関係にある。両者の基本原理は同じであるが,核兵器は一瞬にエネルギーを放出するのだが,原子力は核のエネルギーをコントロールしながら徐々に出していくという違いがある。原子力発電では核分裂を維持するためにウラン濃縮は4〜5%であるが,核兵器はウラン濃縮が90%を越える。しかし,4〜5%を90%に上げることは技術的にそれほどむずかしいことではない。それゆえ平和と軍事は紙一重ということになる。

 1980年代半ばごろから,北朝鮮は明らかに核兵器開発を志向し始めたと思われる。その背景には,南との軍事劣勢が現れてきたこと,さらには韓国が朴正煕大統領時代に核兵器開発を企図したとの情報が北に流れたことなどがあった。

 そして寧辺に,旧ソ連で訓練を受けてきた技術者や在日の専門技術者などを集めて原子力センターを設け,核開発を始めたのである。北朝鮮は,寧辺でまずプルトニウム型爆弾を作ろうとした。

 ところで,核兵器にはウラン型とプルトニウム型とがある。分かりやすく表現すると,ウラン型は広島に投下されたもので,プルトニウム型は長崎に落とされたものである。ウラン型は濃縮に高度な技術力と大規模な設備などが必要で複雑であるが,一旦作ってしまうと爆発させるのは比較的容易だ。そのため米国は核実験を行うことなく,広島に投下した。一方,プルトニウム型の場合は,プルトニウムの抽出は技術的に比較的簡単なのだが,それを効率よく爆発を起こすことは難しい。

 90年代初め,北朝鮮は核兵器不拡散条約(NPT)に入ってはいたが遵守しようとはしなかった。北朝鮮は「韓国に米国の核が配備されているのだから,われわれとしては(核不均衡状態の中で)条約を守ることはできない」と主張した。その後,米軍は韓国の核を撤去したために,北朝鮮の主張の根拠が崩れ,北朝鮮はIAEAの査察を受け入れた。ところがIAEAの査察結果報告と北朝鮮の申告との間に差が生じたために,IAEAはさらなる査察を要求した。それに対して北朝鮮は軍事施設だとの理由で査察を拒否し,最終的には決裂してしまい北朝鮮はNPT脱退を宣言(第一次核危機,1993年3月〜94年10月)。

 そこで,カーター元米大統領が訪朝し,直接金日成と談判交渉して合意を得た。それは,寧辺の核開発を凍結する代わりに,100万キロワットの原子炉(軽水炉)2基をつくる(1基の費用約46億ドル),それが完成するまで米国は毎年50万トンの重油を供給するという内容の「枠組み合意」であった(93年10月)。この内容は北朝鮮にすれば,きわめて有利な取引であった。

 その後,しばらく小康状態であったが,今回の第二の核危機につながっていく。第一次核危機ではプルトニウム型の核兵器開発は中止とされたが,ウラン型についてははっきり言及していなかったので,それを盾にとってウラン型の核兵器開発を考えたと思われる。

 プルトニウム型の核開発の場合は,プルトニウム抽出の過程でクリプトンなどの特殊放射性物質が発生するために人工衛星によって捕捉することが可能であるが,ウラン型の場合は外部からの探知ができない。そのためウラン型核開発は隠すのに便利なのである。
北朝鮮にとって核開発は「虎の子」なのである。北朝鮮のような最貧国で小さな国が,6カ国協議といって世界の大国を一同に集めるほどの力をもてるのは,まさに核の力そのもののおかげとしかいいようがない。このようなことを考えると,北朝鮮がやすやすと核兵器を手放すことが果たしてありうるものだろうか。私としては,北朝鮮は核放棄「らしい」行動をとるが,本当の意味で核開発を放棄するのか疑問である。

 この国が約束を守らないことはよくあることだ。例えば,2002年9月に小泉首相が訪朝して交わした「日朝平壌宣言」には「ミサイルは発射しない」と明記されているにもかかわらず,2006年7月にはミサイルが発射実験された。それに対して北朝鮮は「世の中が変わったからわれわれも変わった」と弁明する。

(3)内政問題
 北朝鮮は,金一族による王朝政治であるが,王朝を成り立たせるために「神話」をつくって固めていかなければならない。特にたった二代の金王朝についてはそうである。

 ここで,金日成(1912−94)から金正日(1942− )への権力移譲過程を振り返ってみたい。金日成が還暦を迎えたころから,「金正日」が後継者として噂されてはいたがその名前ははっきりとは公表されなかった。それを暗示するように金正日を「党中央」と呼び,彼を党組織指導部長に据えた(70年代初め)。80年代初めになって金日成の後継者,「親愛なる指導者」として金正日の名前が挙がるようになり,金日成の死後ようやく権力の座に就くことになった。その間,軍歴のなかった金正日をして軍部をてなずけさせるために,国防総司令官,国防委員会委員長など軍の要職に就けて準備をしていった。また,金正日の競争相手となるような存在はみな抹殺していった。金正日の異母弟・金平日はブルガリア・フィンランド大使などを歴任させて本国に戻らないようにさせ,異母妹はウィーンに置き大使夫人にした。

 金正日の場合はどうか。彼には男の子供が3人いる(金正男,金正哲,金正雲)。しかし,かつて金正日が親によってやられたような後継者指名のプロセスを受けていない。彼亡き後,一体どうなっていくのか。王朝が続くのか,はたまた軍部の集団指導体制になるのか,予想がつかない。

2.北朝鮮をめぐる関係主要国の思惑

(1)米国
 米国が,北東アジアの平和と安定を希望していることは間違いない。そのために北朝鮮がソフト・ランディングしてくれることを願っている。

 しかし,米国の外交政策の中で北朝鮮問題が優先順位の上位にあるとは思えない。現在の米国外交の優先順位の第一は,中東問題,すなわち,イラク,イラン,イスラエル・パレスチナ問題などであろう。もう一つは,ロシア問題。いま,ロシアは石油などの資源によって潤沢な外貨を保有するようになり,再びかつての大国主義が復活しつつある。それらに比べると北朝鮮問題はプライオリティが低いといわざるを得ない。

 北朝鮮の核兵器開発およびミサイルについて言えば,米国本土を射程距離にもつミサイルはおそらくまだ開発されていないであろうから,直接的脅威にはなっていない。むしろ北朝鮮の核およびミサイルが中東の国やテロリストに横流しされることの方が,米国にとってはより大きな懸念材料となっている。そして残すところあと1年余りとなったブッシュ政権としては,大きな脅威でない北朝鮮問題でそれなりの外交的成果を挙げておきたいということと思われる。

(2)中国
 中国は北朝鮮と国境を接しているので,北朝鮮の安定を望んでおり,北朝鮮には核を持ってほしくないと思っている。万が一,核がドミノ倒し式に周辺諸国に拡大することはまったく望んでいない。また,北朝鮮で事が起きて大量の難民が中国に流れ込んだ場合は,とくに中国・東北地方で大変なことになると懸念している。そのような事態に至ることを防ぐ意味でも,食糧や石油などを北朝鮮に供給しているわけだ。
北朝鮮は人口が約2300万人だが,その規模は中国の一つの省としても小さいものに過ぎないので,中国の全体からすればそれを「養う」ことはたいしたことではない。それゆえ,本音としては「(北朝鮮を)生かさず,殺さず」に,適当に対しておくことが,中国にとっての当面の利益となる。

(3)ロシア
 ロシアは,かつては北朝鮮の最大のパトロンであった。しかし,冷戦崩壊後のロシアにとって,北朝鮮は極東の辺境の地にある小さな国という位置づけだろう。北朝鮮問題に関して,ロシアは大国として,またアジアの一国としての存在感を示したいが,かといって具体的有効な手立てがないというのが現状ではないか。

 6カ国協議を舞台劇に喩えてみれば,北朝鮮と米国は主役,中国は舞台まわし,韓国は端役,ロシアと日本は観客ということになろう。それだけロシアの力は小さいといわざるを得ない。

(4)韓国
 過去10年間の政権による太陽政策によって韓国は民族第一主義となり,北朝鮮に対して完全に寄り添うようになった。例えば,北朝鮮が数年前に核実験を行ったときに,国際社会が制裁措置をとったが,韓国はその国際決議に賛同したものの対北貿易はあいかわらず推進していた。07年10月の南北首脳会談でも大変な対北経済援助を約束した。

3.日朝関係の現状と今後の展望

 北朝鮮をめぐるこのような現状を見ると,日本はある意味で孤立したような状態におかれているといえる。

 日朝国交正常化交渉は90年9月に金丸信訪朝を契機として開始されて以来,すでに17年余りが経過した。金丸訪朝のときに,北朝鮮はなぜ日本と国交正常化交渉を始めようと言ってきたのか。北朝鮮にとって米国が本当の交渉相手なのだが大国なので歯が立つとは思えず,過去の植民地支配という負い目もある日本は手ごろな相手であるからそこから始めようと考えた。さらに米国と交渉しても将来金が入ってくる余地はほとんどないが,日本との交渉では金が入ってくる可能性が大きいとにらんだのだろう。しかし,その後の8回余りの交渉では見るべき成果を挙げられず,最後の第8回目の交渉では,「李恩恵」問題で実務者協議が決裂した(1992年11月)。

 北朝鮮の特殊工作員・金賢姫(偽造パスポートによる日本名=蜂谷真由美,1987年大韓航空機爆破事件の犯人)の日本語教師を務めていた李恩恵は,1970年代に拉致された田口八重子(旧姓・飯塚)とされるが,この件を日本代表団が議題に出したところ,北朝鮮側は激昂し「そんな女は存在もしない。存在しない女の話を持ち出して日朝国交正常化という神聖な交渉を破壊するのか!!」と言って,席を蹴って出て行ったという。このエピソードは表面上の理由であって,実は,北朝鮮の本音は「日本はぐじゃぐじゃ理屈を言うだけで,日本といつまでも交渉をやっていてもしょうがない。やはり本交渉相手である米国優先で行くべきだ。」というところにあったのではないかと思われる。それ以降は,日本との国交正常化交渉に対して熱意を示さなかった。

 北朝鮮のもう一つの主張は,「われわれ朝鮮人民軍は日本と戦い日本軍を破った。敗者は勝者に対して賠償を払え」というもの。それに対して日本側の主張は,「太平洋戦争当時,朝鮮半島は日本帝国の植民地下にあり,日本は北朝鮮と戦争をやったわけではない。ゆえに賠償の対象にはならない。」というものであった。しかし,さまざまな事情を勘案して韓国に対して行ったように「経済協力という名目であれば(援助協力が)可能だ。」と提案した。

 横田めぐみが拉致されたのは77年であったが,その事件が公になってきたのは97年ごろであった。そのころから拉致事件は「横田めぐみ」をめぐり世論の大きな関心事となった。それ以降,国民的な大きな問題になり,拉致問題の解決なくして日朝国交正常化交渉なしという雰囲気が生まれ,日朝交渉はいつも拉致問題での言い合いに終始してきた。しかし2002年に小泉訪朝が行われ,北朝鮮は拉致を認めた。

 こうした流れの中で,北朝鮮は一件落着と考えたに違いない。ところが,日本の方でかえって拉致問題に火がついてそれが交渉の前面に出てきて収拾がつかなくなってしまった。これが現状と言える。

 今後,日本はどう対応すべきか。
ある人は,「北朝鮮のような国とは正常化交渉をあせって進める必要はない。もし今,北朝鮮に経済協力をするとそれが軍事費に転用されるか,金正日の懐に入って,政権を延命させるだけだ。」と主張する。
しかし,戦後60年を経過し,日本の戦後処理ができていない国は世界に2国のみとなった。一つは,ロシア。ロシアとは国交は回復したが,平和条約が結ばれていない。もう一つが北朝鮮。北朝鮮が地球の裏側など遠いところにある国ならともかくも,隣の国でコンタクトが全くないのは不都合である。国交とは相手国が好きだからやるのではなく,一つの実効支配をやっている国とは関係を持つことである。かつてスターリンのソ連や文化大革命を行った中国とも国交回復を行った経緯もあるので,条件が整えば,北朝鮮とも国交回復をすべきだと考える。戦後60年も経過したので,そろそろ戦後処理を終えてもいいのではないかと思う。しかし,何でもかんでも国交正常化というわけではなく,それには条件がある。

 それでは,その条件は何か。第一点は,拉致問題の解決。ただ,拉致問題の解決と言ったときの具体的な内容,到達点を日本側としてもはっきりと構想しておく必要があるだろう。第二点は,核開発問題。ノドンミサイルなど核の脅威を一番受けるのは,実は日本であることをもっと自覚すべきだ。

 核問題の重要さを考えたときに,現在進行中の米朝交渉の中身について疑問を持つ部分がある。核問題の真の解決から言えば,まず保有する核施設を申告し,それを検認した上で,どれを破棄するかと検討するのが筋であろう。

 今交渉で使われる言葉に「無能力化」(disablement)があるが,この英語は核問題や外交関係で使われる言葉でもなく,「凍結」でも「破壊」という意味でもなく,非常に曖昧な言葉である。私の考えでは,disablementの意味は,freeze(凍結)とdismantlement(解体,破壊)の中間に位置するもので,非常に幅の広い概念だと思う。またマスコミでは,「一年間以上は稼動できなくすること」(ヒル国務次官補)とも報道されている。わざわざそのような曖昧な言葉を使って透明性を保障しないことに対して不思議に思う。

 そして米国がIAEAの査察官など専門家を連れて行かないで米朝だけで交渉しているのも,理解に苦しむところだ。この作業は正々堂々と行うべき作業ではないかと思う。私の見解では,現在米国が進めているのは,「核の放棄らしい」ことを行っているに過ぎず,本当の核放棄につながっていかないのではないかとの心配がある。しかし,核の脅威を直接受けている日本としては,それでは困るわけで,本当の核放棄をやって欲しいと思う。

 ただ,このような日本の立場をバックアップしてくれる国が関係国の中にないという現状にある。核問題についてもっとも敏感に反応し交渉を進めていくべき日本が,拉致問題を前面に出し過ぎて,核問題を重要議題として主張しないことに対して,私としては残念に思っている。拉致とともに核問題も同列か,それ以上に扱って,交渉において追求して欲しい。

 それと経済協力の中身について指摘しておきたい。かつて日韓国交正常化交渉において日本から韓国に出した経済協力(無償3億ドル,有償2億ドル。当時の日本の外貨保有高は18億ドル。)は,日本のモノとサービス(役務)であった。そのことを理解せずに,北朝鮮が日本からの経済協力を現金(キャッシュ)の援助だと考えているとすれば,それは考え方の食い違いもはなはだしい。また,従軍慰安婦に対する補償など人的被害にかかわる部分は,「経済協力」とは別枠だと主張し始めた。こうなると,「経済協力」の中身をめぐって交渉が難航することが予想される。さらに,朝鮮総連の扱いについても議題に挙がってくるだろう。

 最後に,日本外交の基軸である日米同盟関係は,米国に対する信頼が揺らぐようなことがあっては困ることになるので,米国に対してもこのような日本の心配をきちっと伝える努力が必要だろうと思う。
(2007年11月23日)