新テロ特措法と日米関係の展望

同志社大学教授 村田  晃嗣

 

 07年7月の参議院選挙で野党が圧勝し,国会における衆参のねじれ現象が起きて以来,政治が思うように進まない状況に至った。その中でも,「テロ対策特別措置法」の延長問題から始まり,新テロ特措法問題,その他関連する諸問題が噴出して停滞状況の国内政治であるが,まったなしの国際関係の中,今後の日本外交が問われている。そこで,ねじれ国会以降の新テロ特措法問題を契機とした今後の日米関係を展望してみたい。

1.国際環境の変化と日米関係

 日米関係の観点からテロ特別措置法の延長および新テロ特措法問題について考えてみると,この問題を日米二国関係の文脈の中でのみ考えるのは,適切ではないと思う。
 
 海上自衛隊は,インド洋で9カ国の艦船に対して給油活動を行いながら,インド洋で多国間のオペレーションを支えてきたことは事実であった。とりわけパキスタンが置かれている地理的条件や現在の政治情勢を考えてみても,パキスタンを反テロ陣営につなぎとめておくことは,この地域の安定にとって重要なことである。それゆえそのことに貢献してきた日本の海上自衛隊の役割は評価されるべきものであろう。
 
 次に考えなければならない点は,世界の情勢変化の中における国内問題としてのテロ特措法の延長問題である。
 
 5年前のイラク戦争開戦時の状況を思い起こしてみたい。ブッシュ政権がイラク戦争を始めたときには,フランス・ドイツは米国に反対し,ロシア・中国も米国のやり方に対して批判的であった。一方,小泉首相は国内世論が割れる中で毅然として「断固米国(のイラク政策)を支持する」と決断した。そのとき世界で米国を支持したのは,先進主要国では英国のブレアー首相,オーストラリアのハワード首相と日本の小泉首相くらいであった。その点で,当時の日本の対米協力は相対的に価値が高かった。
 
 現在の状況を見ると,米ロ関係は緊張含みであるが,フランスはシラク大統領からサルコジ大統領に代わり,ドイツはシュレーダー首相からメルケル首相に代わった。福田首相が07年11月に訪米する直前に,フランス・ドイツの首脳が相次いで訪米し,ブッシュ大統領との会談を通じて「対米関係強化」を鮮明に打ち出した。また,米中関係も悪い状況にはなく比較的安定した関係になっている。
 
 このような中,日本が5年前と同じことをやったとしても,対米協力の値打ちは米政権から見た場合に,相対的に下がらざるを得ない。

2.北朝鮮問題

 日米関係で注意しておくべきことに,北朝鮮問題がある。
 米国は,当初08年1月1日付で北朝鮮に対するテロ支援国家指定の解除に踏み切るのではないかと言われていた。ただ米国では,政府がテロ支援国家指定の解除をするためには,米連邦議会に対して45日前に事前通告することが要請されている。その論理に立てば,1月1日から45日前は,ちょうど福田首相の訪米の頃にあたっており,そのころ米政府が連邦議会に対してテロ支援国家指定解除の通告をするのではないかとささやかれていたが,実際にはそうならなかった。
 
 新聞報道によると,ヒル国務次官補はテロ支援国家指定解除に当たって,次の3条件を追加したと発表した。すなわち,@プルトニウムの抽出量を申告すること,Aウラン濃縮計画の有無について申告すること,B外国への核技術や核物資の移転がないかどうかを明らかにすること,の3点である。
 
 しかし,これはミスリーディングな報道であって,何ら新しい条件とはいえないものだ。どれももともとある条件を繰り返し述べただけであって,決して新しい追加条件とはいえない。それにもかかわらず,この段階で米国務省がそのようなことをわざわざ発表するということは,率直に言えば,日本に対する最後の「ご挨拶」であろうと思われる。つまり,08年のしかるべき時期に米国は,北朝鮮に対するテロ支援国家指定の解除に踏み切るのではないか。
 
 現在,北朝鮮の非核化に向けた動きが,ほぼ第一段階は終わったとされているが,寧辺付近の核施設が封鎖された段階になったときに,実は,1994年の第一次核危機後の「米朝枠組み合意」のレベルにようやく戻ったといえるのだ。もしこの段階で交渉が終わってしまえば,ブッシュ政権は2期8年間北朝鮮政策で何をやってきたのかということになりかねない。
 
 07年11月に米国・アナポリスで開かれた中東和平会議では,原則合意に至ったものの今のところ具体的進展の見通しは乏しい。またイラク情勢に関しても,治安状況が若干改善されてきており,ブッシュ政権への支持率も微増しているといるとはいえ,イラク情勢全体の大きな変化はありそうにない。
 
 そうすると,ブッシュ政権としては,北朝鮮問題が形式の上でも成果を挙げることのできる余地のある外交課題として残ることになる。北朝鮮問題で第一段階を超えて,94年のクリントン政権時の米朝枠組み合意を超えた,つまり,ブッシュ政権は北朝鮮問題ではクリントン政権を超えたという「遺産(legacy)」を何としても残して政権の幕引きをしたいと考えているだろう。それがライス国務長官やヒル国務次官補などの熱望するところであるに違いない。
 
 そして前述した3条件の中で,唯一意味のあるものは,外国への核技術や核物資の移転の可能性である。実際シリアに対する核関連技術の移転問題が,「ニューヨーク・タイムス」や「ワシントン・ポスト」でしばしば取り上げられている。しかしこの問題がこれ以上拡大することは考えにくい。おそらくこの問題の情報をリークしているのは,チェイニー副大統領府であろう。政権の中で,シリアへの核関連技術等の移転問題をできるだけ大きくせずに米朝交渉を第二段階まで進めたいライス国務長官・ヒル次官補のラインと,できればこの問題で揺さぶりをかけたいチェイニー副大統領との間で,ある種の権力闘争が展開されているのだろう。
 
 しかし,チェイニー副大統領が持つパワー・リソースにも限りがあり,残り少ないそれを北朝鮮問題にすべて投入することは考えられないので,米国の北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除は,08年の早い時期に行われる可能性が高いと考えられる。
 その理由としては,米大統領選がある。08年1月にアイオワでの予備選挙,2月5日がメガ・チューズデイであり全米22州(カリフォルニア,イリノイ,ニューヨークの大票田を含む)で予備選挙が行われる。そのころには民主・共和両党の大統領候補が見えてくる。
 
 ここで北朝鮮の金正日総書記の立場で考えてみると,任期の残り1年を切って弱り目のブッシュ政権から最大の妥協を引き出すことが得策か,あるいはレイムダック化したブッシュ政権を見捨てて次の新政権と仕切りなおしして取引をし最大の妥協を引き出した方が得策か,この段階で判断するに違いない。
 
 もし前者の場合,北朝鮮は形ばかりの妥協を示す一方,米国は核交渉で第二段階に進みたいので北朝鮮が形ばかりの妥協を示せばそれに乗ってテロ支援国家指定の解除,さらには米朝和平協定などできるところまで進展させたいとなるだろう。
 
 仮に,北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除を米国が行うにしても,先述したように,米連邦議会に対する45日前の事前通告が必要だとの条件があるわけだ。しかし,米政権がその条件を必ず遵守するとの保障はどこにもない。これは法的に言えば,mandatoryな要請であって,obligation(義務)ではない。ブッシュ政権は,これまでの例を見ても,連邦議会のmandatoryな要請を何度も無視してきた。例えば,北朝鮮問題に関して連邦議会から「対北朝鮮政策調整官を設けよ」と要請をされたにもかかわらず,今日に至るまでその担当官を設けていない。この例から考えても,指定解除に関する45日前の通告をブッシュ政権が遵守する保障はどこにもない。
 
 もしこの通告をしないことが,連邦議会の主流派の意向に反することであれば,議会はこのことを大きく問題視するに違いない。しかし,テロ支援国家指定を解除して米朝の対話を進めることは,民主党主導の連邦議会はおおむね賛成の立場なので,手続き上の45日前の通告の有無はブッシュ政権にとってはほとんど問題にならない。こう考えると,ある日突然,テロ支援国家指定解除が行われる可能性がないとは決して言えない。
 
 ところで米国務省の発表によると(07年12月),ニューヨーク・フィルハーモニーが08年2月26日に平壌公演を行うという。考えてみると,その前日2月25日は,韓国・新大統領の就任式の日で,日本から福田首相が式典に臨み首脳会談を行うであろう。ニューヨーク・フィルの日程は意図してのことなのか。

3.拉致問題に関する日本の対応

 とくに拉致問題に関して,日本は今後どうすべきか。
 先の文脈で言えば,米国が北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除をしたからといって,直ちに日本が裏切られたという反応を示すのは,幼い考えだと言わざるを得ない。もともと日本にできることの選択肢は限られているからだ。
 
 拉致問題は,過去の経緯から考えても,日本側から目に見える譲歩をするのは非常に難しい状況だ。そのためか,政府でも「拉致問題の全面解決」という表現をやめて最近は「拉致問題の進展」という表現に変えた。その意味するところは,拉致問題が「進展」したと判断できるような日本政府の妥協案を北朝鮮側から示してもらわなければ,日本政府としては動くことはできないと言うことだ。米中を通しながら,日本にとって「拉致問題が進展している」と解釈できるような妥協案を形の上でも示して欲しいと,交渉を進めるのではないか。
 
 最近会って話した中国のある大学教授は,「米朝二国間の交渉がどんどん進むことを中国としても懸念している」と話していた。ブッシュ政権が米朝交渉をどんどん進めているが,米政府自身北朝鮮の核廃絶が完全に行われるとは信じていない。米政府は,話だけでも進展したという形だけの成果が欲しいのだ。米朝が形だけの成果を残して,実質的に北朝鮮が「核保有国」になることは,中国にとっては国境を接する国に「核保有国」ができることなので,自国の安全保障上決して望ましいことではない。しかも,中国にしてみれば,米朝交渉の急速な展開は,6カ国協議でせっかく手に入れた仲介外交のステージを失うことにつながりかねない。ある意味で,これらの弱みは日中で共通のコンセンサスがあるとも揶揄された点でもあった。このように,こと北朝鮮問題では,米国はきわめて近視眼的になっていると言わざるを得ない。

4.今後の日本外交の方向性

 08年初めに韓国の新政権が誕生することで米韓関係は前進するだろうし,08年3月の台湾総統選挙の結果でも対米・対中関係の改善が予想される。前述したように,仏独はすでに対米関係の改善が進展しつつあり,米中関係も悪くない。そのような国際環境の中で,日本だけが国内的要因によって日米関係を前進させられないでいる。数年前までは,「黄金時代」「戦後最高」と形容された日米関係が,ここまで後退している。
 
 米大統領候補の一人であるヒラリー・クリントン女史は,最近のForeign Affairs誌の中で,次のような内容の論文を発表した(注1)。その中で彼女は,「21世紀における最も重要な二国関係は米中関係である」と述べた。ところが,今から30年ほど前,マンスフィールド駐日米国大使(1903―2001年,駐日大使1977―89年)は,「日米関係が最も重要な二国関係である」とつねづね話していた。
 
 このような情勢変化の中において,日本は対米関係をどう進めていくべきか。これからは,日米関係を二国関係としてだけとらえていては,相当程度に閉塞状況に追い込まれざるを得ない。日米中の3カ国関係の中で,どのように有利な状況を現出させていくかということを,長期的なビジョンを持って考えていかなければならない。
 
 08年7月には北海道・洞爺湖でG8サミットが開かれる予定だが,その主要議題として地球温暖化問題が取り上げられる。中国は環境汚染が非常に深刻であり,米国の保守派もようやく環境問題に取り掛かり始めつつある。日本が過去の経験と技術を生かしながら地球温暖化などの環境問題について,日米中の関係の中で長期的ビジョンやリーダーシップを発揮していけるか。 
 
 環境問題はエネルギー問題とも関連する。さらにはSARSや鳥インフルエンザなど伝染性疾患問題も深刻化している。これらの問題はどれも人類にとって国境を超えた関心事であり,どこか一国が得すれば別の国が損するというような「ゼロ・サム」ゲームの関係にはない地球的問題群(global issues)である。これら3つのE(Environment,Energy, Epidemics)は,「プラス・サム」になる分野の問題であり,日本はこのような分野で長期的なビジョンを示せるかということが,今後の日米関係を規定するの上での重要なポイントではないかと考えている。
(2007年12月11日)

注1
Hillary R. Clinton,Security and Opportunity for the Twenty-first Century,Foreign Affairs ,Nov/Dec 2007