モンゴル遊牧民の生活誌

亜細亜大学教授 鯉渕 信一

 

1. モンゴルの自然環境と牧畜

(1)草原の風景
 モンゴルの気候は内陸部にあって海洋の影響を受けることが少なく,また平均海抜1500メートルと国全体が高地に位置しているので,乾燥が激しく寒暖の差が著しいのを特徴とする。冬は長く,寒気は厳しい。冬季には零下30度,40度にもなる一方で,夏には摂氏30度,ゴビ地方では40度に達するというように,年較差は50〜60度,また昼夜の日較差も20度にも達することもある。年間降水量は全国平均で200ミリ程度と少ない。この激しい乾燥と厳しい寒さがモンゴル草原の特徴である。

 モンゴルの歴史家デー・ナツァグドルジは,歴史小説『賢妃マンドハイ』の中で,「モンゴル人が家畜を飼っているのは,天の罰によるものでもなく,また中国人が五穀で生きているのは,特に天が彼らに慈悲深かったからでもない。気候風土のなせる業である。」と主人公に語らせている。その言葉のとおり,モンゴルの気候風土は農耕を拒絶し,そこに生きる人々に辛うじて遊牧で生きることを許したかのようである。この厳しい乾燥と寒冷な自然こそが,モンゴルにおける遊牧の原動力ともいえる。

 例えば,日本で「ゴビ砂漠」と通称されるゴビは,年間降水量が50〜80ミリと極端に少なく,砂礫性の土壌で,塩沢地にザクと呼ばれる木がわずかに生える以外,樹木はほとんどなく,まばらにしか草も生えない地帯である。草は丈が短く,種類も少ない。しかし地下水は意外と豊かで,まばらであるが草も生えており,家畜を放牧して人間が十分生活し得るところである。

 このように「ゴビ」とは家畜が生きていけるところ,つまり人間が十分生活できるところであり,モンゴル人にとって「ゴビ」は日本人が「ゴビ砂漠」という言葉で想像するような荒涼とした不毛の大地ではない。それどころかゴビに住む人々は誇らしげに「ゴビは豊かな大地」だという。モンゴルにはゴビに隣接して植物も生えず,動物も生きられない純然たる砂漠もあるが,これはゴビとははっきり区別される。

(2)遊牧民
 モンゴルの草原は木がまったく生えておらず,木の実の採集はできず,また身を隠すところもないので狩猟も不可能な環境であり,家畜を伴ってはじめて生活が成り立つ世界である。つまり動物を家畜化し,羊や牛を群れで飼うという技術が生まれることによって,人は草原で生きられるようになったわけで,草原では所謂古代人の普遍的な生業であった狩猟採集生活は成立しなかったのではないか。このように草原に生きる人々にとっては,最初の段階から家畜とは切っても切り離すことのできない関係にあった。現在の草原の風景を見ると,多くの家畜や動物がおり,非常に豊かに映るために,昔からそのような環境の下で人が住んでいたかのように錯覚しがちである。

 「三つ子の魂百までも」という言葉があるが,同じことが国家,民族のレベルにおいてもいえるのではないか。それぞれの国,民族は,その環境,歴史,伝統に則った国のあり様がある。例えば,日本では,現代化された今日においても,最先端のIT企業が社屋を立てるに際して神主を呼んで地鎮祭を行うが,これは日本人の「三つ子の魂」なのだろう。こうした行事をやらないと日本人は論理を超えて「どこか心が落ち着かない」のだ。

 モンゴルでは,その「三つ子の魂」に当たる部分に家畜がおり,家畜によって生かされてきたという思いがあるようだ。モンゴルのことわざに,「モンゴル人は家畜のお陰,モンゴル・ゲルは綱のお陰」というものがある。動物と人間の係わり合いについて言えば,モンゴル人は草原に出て生活したときから家畜に対して感謝の思いを持って生きてきた民族だと思う。一方,日本では「家畜」といえば「畜生」というほどにさげすむ存在だ。

 このようにモンゴル人の考え方の根本は,動物と共に生きているというところに由来する。しかし同様に牧畜を生業とした社会で生まれたキリスト教文化圏の人々とは少し違うように思われる。キリスト教文化圏における牧畜は,人間と動物(家畜)はきっちりと区別され,人間だけが神に似せて創られたという観念が強い。モンゴル人の場合は,仏教における輪廻転生の考え方の影響も強く,動物と接するのにそれほど厳格には差別(区別)していないように思う。

 モンゴル草原における主な家畜は,牛,羊,ラクダ,ヤギ,馬の5種類(五畜)であるが,そのほかにヤク(チベット高原に生息するウシ科の動物),ハイナグ(牛とヤクを掛け合わせた動物)などもいる。

 モンゴルでは,最近の市場経済化に伴い家畜の種類に大きな変化が現れており,ヤギが非常な勢いで増えているのが特徴だ。そこには,ヤギの毛からカシミアを作り高価な現金化に結びつけたいという事情がある。もともとヤギは羊の群れを先導するのが主な役目で,わずかな頭数が飼われていたにすぎず,価値も高いものではなかった。ところが最近は現金収入を狙ったヤギの飼育が増えて,ヤギだけの群れも出現するようになった。また運送用としての需要の減少によってラクダもかなり減っている。

 また,ヤギが増えると草原の荒廃につながる。日本人には同じようにみえるヤギと羊だが,食性がずいぶん異なる。ヤギは木の葉から草の根まで食べてしまうので,大量に飼うと草が根こそぎ食べられてしまい草原は荒地となり砂漠化していくことになる。実際,市場経済化に伴い伝統的な遊牧民の生活,草原の風景も大きく変化しつつある。

(3)モンゴル人と馬
 草原という原風景の中で,モンゴルの人々は馬を駆使する騎馬民族として悠久の歴史を生きてきた。馬を駆って遊牧に生きるモンゴル遊牧民の馬への思いは,私たち(農耕民族)の想像をはるかに超えた深いものがある。馬は騎馬民族としてかれらの誇りであり,心の安らぎでさえある。人間の願望を満たし,さらには人間社会に教訓さえ与え得る仲間として迎えられているかのようである。

  「モンゴル人は馬上で育つ」「モンゴル人の足は四本」というようなことわざを生むモンゴル遊牧民の世界,彼らの生活は馬と切っても切り離せない。モンゴル人はどこに出かけるにも,まるで下駄でも引っ掛けるような気安さで馬に乗る。このように常に身近にいてモンゴル人の手助けをする役割を担うためか,人々は馬に対しては人間の同伴者という思いさえ抱いている。そして人間の感情さえも読み取る動物だと考えて深い愛情をもって接している。馬の頭には幸運が宿っているとして,決して鞭で頭を叩くことはしないし,愛馬は食用にもされない。普通の馬は食用にもされるが,それでも他の家畜とは区別され,羊や牛のように最後に頭を割って脳髄まで食べられることはない。食べ終わった後には,オボー(大地を祭る石積み)に祭られるといった待遇を受ける。

 馬に対する思いは,さまざまな伝説を生んできた。馬は人の心を読み,ときには人を助け,幸せをもたらしてくれる。馬は実質的な役割に加えて,社会的なステータスのシンボルにもなっている。優秀な馬群をもつことは羊群をもつこととは異なった意味で,遊牧民にとって大きな喜びとなる。駿馬に跨り,草原を自由に疾駆することは,モンゴルの遊牧民にとって最大の誇りであり,良馬を持つことが歌や物語で歌われ語られて尽きることがない。「美しい娘は家の飾り,駿馬は男の飾り,針葉樹は山の飾り」,「病気を治すには駿馬に乗れ,心を清めるには山に登れ」といわれる。

 日本の小学校教科書にも紹介されているモンゴルの民話「スーホの白い馬」は馬頭琴(馬の頭の飾りのついた弦楽器)の由来を語った民話で,スーホ少年と愛馬の白馬との愛情の交流を描いている。また同様に,馬頭琴の由来をテーマにした「フフー・ナムジル」(青年の名)という民話では,馬が千里を行き来して主人公の手助けをする。

 モンゴル語は家畜及び牧畜用語に関する語彙の豊かさを誇る言語の一つだ。そこには遊牧民として生きてきた歴史的背景があるが,なかでも馬に関する語彙はことのほか多い。「馬を見てくる」(トイレに行くの意)「手綱を長くする」(長旅に出るの意)などの慣用句は言うまでもなく,馬の分類にかかわる語彙の豊かさは特徴的である。馬の年齢,性別,毛色名,毛の部分的特徴,身体部の特徴などについて細かな語彙があり,さらにそれらを複雑に組み合わせた語彙体系をもつ。例えば,私が現地で収集したものだけでも,馬の毛色名を200以上にも分類していて,日本人の繊細な色分けとは違った世界がある。

 ある分野の語彙が豊かだということは,その語彙を必要とする人々の生活と智恵がそこにあるということである。それゆえ馬に関する語彙の豊かさは,物心両面においてモンゴル人にとって馬がいかに大切であるかを物語っているのである。

2.遊牧民の生活誌

 前述したような草原の気候風土の中では,いったん家畜が草を根こそぎ食べてしまったり,耕作によって掘り起こしてしまうと,乾燥に加えて砂礫性の土質,さらに土は薄皮まんじゅうの皮のように表面を覆っているだけなので,そこには再び草は簡単に生えてこない。そこで家畜を一定の場所にとどめて置くわけにはいかず,嫌でも移動することが要求される。移動することで暮らしを守り,草原を守ってきたのである。

 モンゴルの遊牧生活に対して司馬遷をはじめとする中国の史家は,「畜は草を食し,水を飲みて時に随って転移す…」ととらえ,まるで行雲流水,風まかせに移ろい行くものかのように理解した。果たしてそうだろうか。現在のモンゴルの遊牧的牧畜の家畜管理,四季の移動などの遊牧生活全般を観察する限りでは,「遊牧」は長い年月をかけて築かれてきた多くの牧畜技術に支えられて営まれていることは歴然としている。モンゴル遊牧民の一般的な年間サイクルについて,モンゴルのことわざは,「秋は山の裾野に宿営し,冬は古い畜フンのあるところに宿営し,春は防風戸を建て,夏は水辺に宿営しろ」という。以下,四季の営みを概観してみる。

(1)冬
 冬の宿営地には冷たい北風が避けられ,比較的降雪の少ない丘陵の南斜面や谷あいの日当たりのよい場所が選ばれる。この冬営地はよほどの異常事態が起こらない限り,毎年変えられることはない。簡単には変えられない様々な事情があるのだ。

 夏営地を定める場合に絶対条件となるのは水場だが,冬は雪や氷があるので水はあまり問題にならない。冬期に一番重要なのは燃料と牧草である。冬には零下30度,40度にもなるので暖をとる燃料は必需品である。モンゴル高原にはほとんど樹木が生えていないので,燃料となるものは家畜のフン(糞)しかない。ゆえに,冬営地は畜フンがふんだんに利用できるところとなる。

 畜フンは,ほぼ一年間乾燥させて使うのが普通である。長い冬を過ごすためには,相当フンを集積しないと間に合わない。そのためあらかじめ畜フンを大量に集積してあるところに宿営地を求めることになる。つまり前年の冬営地に戻ってこざるを得ない。

 冬営地では家畜が毎日排泄したフンを集め,積み重ねておく。一年間乾燥させて翌年の冬にそれを使用するのだ。畜フンをただ積んで置くだけなので,盗もうと思えば誰でも盗めるが,お互い生活を脅かすことになるので盗むようなことはしない。

 日本人の感覚からすれば,「家畜のフン」というと汚いイメージがあるが,エーデルワイスやマツムシ草など高原植物をエサにしたフンである。しかも十分乾燥されていて,香を焚いているかのような香りさえする。火持ちのよさ,香りのよさなど,想像を絶する好燃料といっていい。炭よりも火力が強く,しかも一酸化炭素も出さない。備長炭も顔負けという優れものだ。モンゴル人の原風景として,モンゴルの詩人は畜フンのある風景をいくつも歌っている(注1)。彼らは畜フンのある風景にふるさとの温もりを感じ,望郷の念さえ抱くようだ。日本では出世魚といって稚魚から成魚の過程で名前が変わっていく魚があるが,モンゴルではフンが年代ものによって出世魚のように名前が変わっていく(注2)。いかに家畜のフンが生活に大切かが分かる。

 ただ残念なことには,最近のモンゴルでは,遊牧民がどんどん大都市に出てきたために,都市生活の暖房に石炭を使い都市地域の大気汚染が深刻化している。しかし,一歩草原に出れば,そこは自己完結型(資源循環型)の世界なので,畜フンは燃やして暖とするし,余って草原に捨てておけばそれはそのまま肥料にもなる。

 さらに牧草の問題がある。夏はどこにでも牧草があるのでさほど問題にはならないが,冬期はそうはいかない。冬期は,牧草(枯れ草)が十分あるところ,積雪の少ないところ,そして吹雪などから家畜を保護する風当たりの少ないところなどが条件となる。

 冬に牧草が豊かなところとなると,夏や秋に家畜を放牧しなかったところである。夏・秋に放牧したところの草は食い尽くされて丈が短くなって,わずかな雪にも埋もれて冬期の放牧には耐えられない。そのため冬営地付近には他の季節に家畜を放牧せずに,計画的に牧草を残しておく。他の遊牧民に放牧されても困る。彼らは不文律として冬の放牧地には家畜を入れないという約束事を守ってきた。

 羊などは吹雪やオオカミの害から守るために夜は囲いの中に入れて寝かすが,その囲いの準備があるところといえば,やはり前年の冬営地に戻ることになる。また冬は牧草が少ないので遊牧民は小さな家族単位に分散し,しかもそれぞれの家族は十分な距離を保って放牧する。一家族か二家族で,広大な大地の一角で長く厳しい冬に耐えるのだ。

(2)春
 長く過ごした冬営地は2月ごろになるとすっかり牧草地は荒れ,草はほとんどなくなり,枯れ草をあさる家畜は越冬に疲れて痩せ衰えてくる。そこで春営地に移動する。春営地での最大の仕事は子家畜の出産であり,妊娠家畜の移動は大きな危険が伴うために,冬営地から遠くない出産に適したところに移動する。

 しかしモンゴルの春は気候の変化の激しい油断のできない季節である。モンゴルの春は昼も夜もなく強風が吹き荒れる。ときに乾燥しきった大地を削りとってしまうかと思われるほどに吹き荒れる。小石を飛ばし,砂塵を高く巻き上げる。やせ細った家畜は強風にあおられて何キロも流されてしまうこともある。それゆえ積雪の少ない,強風が避けられるようなところに宿営し,家畜小屋の確保も必要になるので,やはり前年使ったところに宿営することになる。その意味では,春の放牧地も他の季節には家畜を放牧せずに確保しておく必要がある。

 とくに吹雪などの悪天候のときに家畜はよく子どもを生むといわれているが,羊やヤギが放牧中に子を産んでしまった場合は,凍死したり,大きな動物に踏まれてしまうことだってある。そこで出産しそうな母親家畜は放牧に出さずに,屋根のある小屋においておき,生まれたら寒さから守ってやる。そうなるとどうしても春には屋根のある小屋のある場所に行かざるを得ない。しかもその小屋の中を温めるとなれば燃料がどうしても必要になる。

 また春も,十分に牧草がなければならない。一回家畜群を放牧すると,草原はゴルフ場の芝生のような状態になってしまう。そこに雪が10センチも降れば羊はほとんど生きていけない。20センチも積もれば家畜は死んでしまう。そこで最初に馬を放牧する。馬が大きな蹄で雪を蹴散らす。その後牛を行かせ,最後に羊を行かせて草を食べさせる。しかし雪が限界を超えれば,こうした方法では対処できない。家畜の大量死を伴う大雪害は春(2,3,4月)に発生することが多い。

(3)夏
 羊の出産が済み,ほとんどの子羊が一人歩きできるようになる5月の中ごろには,夏営地に移動する。このころ馬の出産は続くが,子馬は生まれてすぐ歩き始めるのであまり心配ではない。夏営地は水場があることが第一条件で,ゴビ地帯など河川のないところでは井戸が利用される。また燃料も必要ないので気軽に移動できる。一雨降ると草が一斉に芽吹いて,草原は緑一色となる。やせ細った家畜は新鮮な草をふんだんに食べてみるみるまに太ってくる。

 夏は母家畜が乳を豊かに出すので,モンゴルの人々は乳製品作りに精を出す。夏に,どの遊牧民のゲルを訪ねてもさまざまな乳製品が山と積まれて供され,この時期は肉にとって代わって食事の中心となる。とくに男たちは友のゲルを訪ねて馬乳酒を飲み交わし,女たちは乳製品に囲まれて笑顔が絶えない。大きな祭り「ナーダム」が行われるのもこの季節である。

(4)秋
 8月の声を聞くと草原はもうすっかり秋の気配が漂う。急激な気温の低下で緑の草原は,またたくまに黄金色に輝くジュウタンに色を変える。秋営地への移動は,雪の降り始める9月ごろに開始される。風通しの良い,少し小高いところが選ばれる。そこは山の斜面や裾野などで,急激な寒さが襲うことによって草が立ち枯れしている。そこに家畜を追い立てて,家畜を運動させながら放牧する。このようにして家畜が十分に肥えた季節がまさに11月なのだ。その頃になると,冬の放牧地に入る。冬営地に入って最初の大仕事が一冬分の家畜を屠殺することである。それゆえ11月を「屠殺月」と呼ぶ。

 夏の終わりに急激な寒さが襲うことによって草原の草は黄色く立ち枯れするが,栄養分はそのまま残り保存されるから,むしろ枯れ草の方がエサとしては上質だという。夏は草は豊かだが,その青草は水分をたっぷり含んでおり,家畜は太っても一種の水太りで肉はしまっていない。

 そこで秋には一箇所に長く留まらず,枯れ草を食べさせながら移動を繰り返す。頻繁に移動を繰り返すことで家畜の身体は固くしまり,水分が抜けて脂肪太りになって越冬に耐えられる体力がつく。「天高く馬肥ゆる秋」という言葉があるが,まさに家畜が脂を蓄えて肥える季節を指す。例えばカツオでいえば,「戻りガツオ」というところか。春のもっとも草の乏しい季節と較べて,例えば牛は100キログラムもの体重差がある。

 「天高く馬肥ゆる秋」というと,日本では「食欲の秋」というイメージだが,かつて農耕民である中国人にとっては,遊牧民が攻めてくる季節を意味する慣用句でもあったという。馬が痩せた春や,乳製品などの生産に忙しい夏の季節には遊牧民は戦いに出ない。馬の体力が一番みなぎったとき,モンゴル高原が冬に向かって生産から遠ざかる頃,そんな季節に南の中国に略奪に出かけるというわけだ。

(5)モンゴル人にとっての故郷(ふるさと)
 広大な草原で遊牧しつつ生活する遊牧民にとって,故郷とはどんな所なのだろう。日本人の故郷観からすると,何ともとりとめがないように思えるが,実はモンゴル人の故郷に対する思いは,ある面で日本人よりも強いかもしれない。日本人の故郷観では,小川や里山の風景といった狭い地域を思い浮かべる。一方,モンゴル人は春夏秋冬の季節にわたって移動して歩いた広い地域が故郷になる。ただ,遊牧民に「あなたの故郷はどこか」と聞くと,大体は冬の放牧地を挙げることが多い。一つには,夏はどこにでも草があるので水さえあればあちこちを点々とする。しかし冬営地暮らしは11月から2月ごろまで時間的に一番長く,しかも毎年,同じ所に戻ってくる。そしてそこは先祖伝来の放牧地でもある。それゆえその地が彼らの「故郷」になるのだろう。

 モンゴルの冬は,日本人が想像する以上に意外にも過ごしやすい。むしろ春の方が,きつい。強風が吹き,一日の気温較差が非常に大きいために,昼間解けた雪が夜にはカチカチに凍る。その繰り返しでアイスバーンのようになってしまう。そのような条件のために,春は家畜の大量死,山火事,人の死亡などが一番多い。冬は風もあまり吹かない。雪が降っても,飲み水代わりにそれを家畜が食べる。それゆえ冬は,豊かで,静かで,のんびりした季節なのだ。私もモンゴルの冬が好きで,その時期にモンゴルに出かけることが少なくない。

 また,モンゴルには故郷や母親を讃える歌が非常に多い。日本に多くのモンゴル人が留学に来ているが,その中で日本に居つく人はほとんどいない。何年かすると,必ず故郷に帰ろうとする。
(2007年12月22日)

注1)ヤボーホランという日本の俳句に強い関心を示したモンゴルの詩人に,畜フンを盛り込んだ次のような三行詩がある。
「春」
家畜の囲いに敷きつめたフンに
カラスが群れ来て
凍ったフンをつついてまわる
「冬」
山の南麓に霞んで見える
冬営地のフンを敷きつめた囲いの方へ
家畜が足跡を残して急ぐ

注2)馬フンの一年ものは「ホモール」(アルガルともいう)と呼ばれる。馬は反芻しないので,そのフンは草が固まったようなもので火持ちが悪く燃料には適さないが,燃えやすいので焚きつけには欠かせない。1年ものは燃料には適さないが,2,3年経つと「フフ・ホモール」(青いホモール)と呼ばれる,表面が青光りして雨も通さない,実にいい燃料になる。雨でも平気なので兵士が戦場で使ったとかで「ツェレグ・ホモール」(軍のホモール)という名前もある。

 牛フンは一つ一つが大きくて集積が容易で,しかも反芻しているので火持ちがよく,最も一般的に利用される。排泄したばかりのものを「バース」,乾いたものを「アルガル」と呼ぶ。アルガルはさらに,青草を食べて排泄したものを「シャラ・アルガル」(黒いアルガル),2,3年経って青黒くなったのを「フフ・アルガル」(青いアルガル)などと呼び分ける。フフ・アルガル,ハラ・アルガル,シャラ・アルガルの順に火力が強く重宝がられる。
(鯉渕信一『騎馬民族の心―モンゴルの草原から』NHKブックスより)