世界の水問題と食料


宇都宮大学名誉教授 岸本 修



 08年7月末に明石康・元国連事務次長の講演を聴く機会があった。先生の経験に基づきODA(国の国際援助)活動に関して,日本の21世紀に入っての予算の漸減と内向きの政策について痛烈な批判がなされた。食料問題も話題とされたので,水問題も緊要な課題ではないかと質問をしたが,地球温暖化など気候変動との関連を指摘されるにとどまった。

 水は生活の基本でもあるが,大きく分けて問題となるのは@飲用,A水の食品への影響,B水循環における気象がある(大気循環については省略する)。

1.飲用水

(1)湿潤熱帯の水田地域の天水のボーフラと水質

 タイ国の首都バンコクは中部大平原の南部に位置している。南側の一部は海に面しているが,市の東西と北側は50km以上にわたり,平原であり,車を1時間ほど走らせても山脈を見ることはほとんどない。

 日本人に親しみのある山田長政ゆかりのアユタヤの町とその周辺は雨季には 1〜5mほどの深水地帯もあり,穂の下部の茎葉が水深に応じて伸長する浮稲の栽培地域ともなっている。浮稲は収穫期になり水が引くと地面に敷き詰められたようになり,穂刈りといって稲穂の部分のみを摘み取る。

 バンコク近郊の農家は,水害を防止するために高床式である。タイ全土においても高床の家は多いが湿潤な熱帯圏では,冷涼な空気の取り入れや,害獣や蛇などの侵入を防ぐ生活の工夫でもある。

 水田地帯にあっても,輪中式に高畝を構築して,野菜や果樹のパパイア,カンキツ類,パイナップルなどの栽培が,都市近郊に集中している。一般的に園芸作物は単価が高く収益が期待されるので,進歩的な農民が汽水域(=淡水と海水が交じり合った塩分の少ない水)であっても輪中方式を二重にするなどの努力をしている。ブドウ栽培を例にとると,開花結実して収穫後1〜2カ月後には強制休眠をさせるために塩水や石灰窒素の溶液の葉面散布をして落葉させる。さらに剪定をして,萌芽を促し,開花結実につなげる。同一地域で収穫,剪定,開花など年に2〜3回の収穫も可能である。つまり,熱帯圏のブドウ栽培では温帯の春夏秋冬の各季節の風景が見られる。

 大平原の水田地帯は雨季には水郷そのものであり,高床式の住宅が大きな河川の堤防に散在し,天水利用の素焼きのカメ類が軒下に並んでいる。園芸作物の調査でかような地を訪ね,休憩ともなると,中国系の農家ではお茶の接待がある。川の水で食器などは洗うが,飲用水はどこからと,見ているとカメのふたの部分を少し叩いて柄杓で水をやかんに注いでいた。同行したカウンターパート(現地の共同研究者)は,ボーフラが生きているので振動に驚き少し沈んでもらう間に水を汲み上げるので健康には問題なしと教えられた。

 すぐ前を流れる川には大きなホテイ草の群落がちぎれた状態でとめどなく下流へと移動していた。タイの人の倍以上も汗をかく私だが,飲用するお茶について,現地の人に理解されないことの一つに,当時はビニールの袋に砕いた氷を入れそれにお茶を注いで飲むのが習慣でもあった。氷を除いた,熱いお茶を要求しても,生ぬるいのしか提供されず,沸騰したものをコップに要求しても,なかなか成功しなかった。

 タイ国は微笑みの国とも言われて,他人を思いやる心が豊かな面もあるが,大汗をかいている外国人に熱いお茶は適さないとの判断かも知れない。しかし,沸騰水の消毒効果はほとんど無視されているのであろう。

 ここには生活習慣もあるが,衛生観念の欠如の問題が潜んでいるかもしれない。乳幼児死亡率を国別に比較すると,発展途上国は一般的に高い傾向にある背景には栄養不良という致命的な問題もあろうが,抵抗力の低い状況下での非衛生な飲用水の実態もあろう。20世紀末に,アフリカの途上国において,母乳に代わる便利なものとして,先進国からの粉乳が,それを溶く水質不良により乳幼児の死亡を増加させた例もあった。

(2)温帯乾燥地域の水への畏敬

 トルコ共和国は地中海性気候の夏乾冬湿地帯であり,緯度的には東京から北海道南部に相当する。西部のイスタンブール,イズミルなど沿岸部の気候は比較的温和であるが,中部から東部にかけてはアナトリア高原地帯を構成し,国全体の平均標高が1100mともいわれ,急峻な山脈と切り立った渓谷の連続の地形でもある。

 降水量は海岸部で多く,黒海に面した東部地域では2000mm以上の地もあり,紅茶の生産地であるが,一般的には600〜1000mmの地域が多く,夏乾燥性もあり,植物の生育期の乾燥で高原地域の多くが半砂漠状態である。東部には夏でも山頂に雪をいただくアララット山(標高5165m,ノアの箱舟伝説で有名)があり,アンカラに近いトズ(塩水)湖周辺は年 200mm と乾燥している。東部ほど牧畜依存が多いが,渓谷に面した畑や,平野部では驚くほどに多くの果樹類が原生し,現在も貴重な輸出品目である。

 冬期はアンカラでもマイナス30度Cとなり,各稜線が佇立した島ともなり病害虫の伝搬を阻害したために,日本の2倍強の広さの国土にスモモ,ブドウ,リンゴ,ヘーゼルナッツ,オリーブ,ナシ,チューリップなどの多種類の植物の原産地である。

 牧畜民の歴史を語るものに,ほとんど木の生えていない緑の乏しい山麓に泉(チェシメ)と呼ばれる水場があり,その付近には数メートルの溝のような家畜の水飲み場が石組みで作られている。

 40年も昔になるが留学生として学部学生の修学旅行に随行した際に,親しくなった学生がチェシメに毒の投入や,破壊する行為は人間の大罪であり,極刑が残る最後の事項となると力説したのが印象的であった。それは水が生存の基本であることを象徴し,人間のみならず家畜の命が同等であると,祖先からおしえられたようであった。

 飲み方に固有名詞があるトルココーヒーは,粉を布漉ししないで小さなカップにいれて上澄み液を口にするのである。飲み終えたカップを皿にかぶせて放置し,コーヒー粉の流れた形で占いをする風習もある。トルコ語ではコーヒーはカハベと呼び,紅茶はチャイと称する。

 大学の教官室や,個人宅を訪ねても,握手をして椅子に座るや否や最初の質問は,「チャイかカハベのどちらにしますか?」である。一年の滞在経験からすると,チャイは150cc ほど入るくびれのあるガラスコップに入れて,お盆に 10 個ほどをのせた出前が盛んであり,チャイハネとよぶ簡単な椅子のならぶ街頭風景は,雑踏のなかにもよく見られた。これらの風習は乾燥地で健康に生きる工夫かもしれない。

(3)パラグアイのマテ茶

 マテ茶の原料はモチノキ科の常緑樹の葉を熱気で乾燥して,砕いて茶とする。これにはカフェインが1%と,タンニン,ビタミンなどが含まれている。これらの茶葉を容器にいれ,ジョウゴのついたストロウで回し飲みをするのが,パラグアイにおける一般的な風習である。日系一世の数十年を農村で暮らす人の話では,茶葉の材料も多岐にわたり,ハーブのようなものもあり,生葉を加えることもあり,時期によっては注ぐ水が高温であったり,氷水の場合もある。疲労回復にもなり,また川の水をきれいにする効果も期待して飲用に供する。

 老人から妙齢の婦人までもが輪になってしゃべりながら,回し飲みを何回にもわたって湯を追加しながら飲む風景は歴史を感じさせる。ある農場主は休憩時間を増やす工夫として労働者が努力する茶飲み風景には閉口すると嘆いていた。

2.水の食への影響

(1)米国の事例:川の汚染とその影響

 水質が原因となる多くの公害事例は発展途上国においては無数に存在するであろう。

 米国の東海岸に位置するノースカロライナ州で,1986年に大学に転勤してきた 33歳の女性のジョアン・パークホルダー助教授の10年以上にわたる公害防止運動の歴史をR.バーカー(Rodney Barker)が1997年にノンフイクションとして刊行した『川が死で満ちるとき』(原題:And the Waters Turned to Blood)の概要を紹介する。

 先進国の米国においても行政による公害防止の改善計画の不確かさと妨害についての多くの疑問を提示した報告である。

 水生植物学を担当するポストに就職した彼女は畜産学部の水産病理学の教授からの度重なる要請をうけて,やむなく魚類と関連するテーマを研究課題の一つに取り入れた。そのころから近隣の川で夏季に魚の大量死の発生が報じられていたが,当初は行政側の見解として水の富栄養化に伴う藻類などの異常増殖による水中の酸素欠乏に起因すると,されていた。

 米国の大学の教官生活が日本と異なる面として,研究費の獲得に学外からの研究補助金の申請を継続して,一歩ずつ研究室の整備充実と実験助手などの募集に努力する形態に多くの興味をそそられた。私は20代後半を大学付属農場果樹園に勤務し,学生実習と果樹園管理の運営に多くの時間を費やした。30代は農林省園芸試験場(現農水省果樹試験場)に転じて果樹の育種(1新品種育成に約20年を要する継続事業)と研修生の講義などに主たる時間を消費し,その合間を縫って終生の研究課題の剪定と摘果の実験調査を継続した。独立して研究費の補助金を申請するのは大学に転勤して以降の40代である。研究機関といっても事業的性格の強弱により,勤務内容が米国と大きく異なっていた。

 前記したノースカロライナ大学の獣医学部の病理学者のエドワード・ノガ博士の実験棟の実験助手をしていたステーブン・スミスの学位論文研究は,寄生性の海生渦鞭毛藻類の魚への免疫応答である。渦鞭毛藻類のほとんどが単細胞の微生物であり,植物界と動物界の境い目あたりに位置していた。光合成によりエネルギーを得ているものがいることから植物学者は植物の仲間だと主張しているが,原生動物を捕食するものもいるため動物の仲間だと主張する学者もいる。化石記録によれば,渦鞭毛藻類は 5 億年前に存在した原始的な種で,海水,淡水の両水域における植物連鎖の底辺をなしている。そのため一般的に有益な生物と考えられているが,なかには毒素を産生する攻撃的なものや,スミスが研究しているように,感染症の原因となる厄介者も存在する。これまでに確認されている数千種もの渦鞭毛藻類のうち,毒素を産生するのは20数種である。

 「赤潮」といわれる異常増殖は水を有毒にするため魚が数百万単位で死ぬ。赤潮の破壊的影響は,伝説にもあり,その最初の記録は聖書に登場する。「すると川の水はことごとく血に変わった。川の魚は死に,川は異臭を発し,エジプト人は川の水を飲むことができなくなった。そしてエジプト全土で水は血に変わった。」(出エジプト記7:20‐21),この言葉の一節が日本語訳の語源ともなっている。

 この渦鞭毛藻類そのものが,動物と植物の境界的な進化過程にあり,環境の変化に適応しての変態や休眠の動行がほとんど未解明である。そして有毒物質として,フイエステリアなるものを彼女は仮説的な問題として発表し,河川周辺の魚の大量死の一因ともなると提言した。

 しかるに環境問題を担当するノースカロライナ州の環境・衛生・天然資源局の行政側は,1960年と70年代は栄光の時代ともいえるほどに世界有数の水産資源の宝庫の誇りを経験した。1980年代に入ると漁獲量が激減し,大量死も発生したが,その原因として優秀な高性能の漁法による乱獲と,前記した富栄養化による藻類の異常発生に伴う水中の酸素欠乏に由来するとの立場を主張した。

 いずこの国も公害防止には膨大な費用を要するので,行政側は旧来の手法によって原因をあいまいにしたままの状態で日を送る状況も少なくない。

 時代は経過して,1994年6月頃に海洋研究基金によるフイエステリアの毒にさらされた可能性のある人々の健康被害についての研究補助金をめぐる行政とパークホルダー博士の間で執拗な対決のもとに資金配分がなされた。結局は研究者側に十分な措置が実施されなかったようである。

 その後において,ノースカロライナ州には千五百万頭の養豚で1000万トンの糞尿処理が砂地の地面に穴を掘り,内側を粘土で塗り固めた簡便な施設に流され,川の富栄養化の危険が指摘された。他方,不特定の排出源としての農業活動は,一年あたりの水界に流入する汚濁物質の70〜75%を占めているが,いまもって自主的な規則順守ということで許容されているらしい。

 話は前後するが,フイエステリアが初めて観察された日の特定は困難であるが,1984年に米国海洋水産局の研究チームが魚のメンヘーデンに標識をつけて,腹部がえぐられ,さらに魚体の後半部が骨と尾を残すのみの被害の惨状を記録している。

 それ以降,漁民の健康被害としてしびれ,目の異常,記憶喪失によるアルツハイマーの初期症状類似など,種々の問題が生じている。これらについては効果の判然としない疫学調査を実施すれども,責任回避的手法が多く,実効あるものとはなっていない。

 早い段階でパークホルダー博士の論文は世界的に権威のあるNature 誌に発表されているにもかかわらず,その業績評価が行政側に理解されていない面も残している。

 著者のR.バーカーは1997年の本書の刊行時の表現として,フイエステリアについての集中的な研究助成がなされていないために,現在も本問題は進行形の状態であり,フイエステリアによる病態とその防御措置,および川における魚の大量死についての明確な成果は未完成である,とした。

 この問題は世界各地の漁場での拡大も懸念されるが,未解決な課題の現代へのメッセージであると報じている。

(2)水と公害

 米国における水の汚染の問題は1984年ころから,警鐘が鳴らされながらも,先進国といえども,10年以上を経過しても明確な対応策も確立されないもどかしさに,公害の恐怖を感じた。

 しからば日本においてはと思い,水の研究の第一人者でもあった宇井純の『日本の水はよみがえるか』を,対照として紹介しよう。本書は300ページほどの文庫本であるが,著者の経験の深さと豊かさと,異常とも思える21年にもおよぶ東大助手時代の苦闘の一端を記され,民衆を守る側に立つ研究者を取り巻く多くの壁を教えられた。著者は1960年代末にWHOの奨学金で一年あまりヨーロッパの公害を研究しながら周遊した。

 帰国後は東大の都市工学科で公害の講義の機会もあったが,技術的な問題への限定的制約もあり辞退した。その後,空いている教室を夜間に利用した自主講座の「公害原論」を開講し,人々の支援により15年間継続し成功させた。これはドイツの大学では昔からあった私講師制度と同じで,若い学者が大学の近くで市民向けに講義を開き,それが好評だと教授会のメンバーに加えられたというのが大学教授への道の一つだった。米国でもこのような企画があれば大学側がとりこんで新学科をつくるのが普通で,大学のエネルギーを市民社会からくみ上げるチャンスであった。

 水循環の劣化は水面の減少,畑や都市の増加で地表の水分が減少し,水汚染が除去し難くなる。古代文明が畑作と放牧により,陸地の養分を海に流し,潅漑により塩分を蓄積して生態系を破壊したために,エジプト,メソポタミア,インダス,黄河の四大文明は周辺までを砂漠化して崩壊した。

 多感な中学,高校時代を栃木県に過ごした宇井は,公害の歴史的事件である足尾鉱毒問題が公害研究の起点となった。明治時代の富国強兵政策において銅山は最大の軍需産業でもあり,生糸の輸出とともに貴重な外貨収入源であった。

 足尾鉱毒に関しては,現地と下流に精錬後の廃土などを集めた堆積場(産炭地のぼた山に類似のもの)が14カ所あり,100年後の現在も豪雨があると銅やカドミウムなどの重金属の流出が,河川の汚濁の要因として憂慮されている。

(3)水俣の公害

 水俣病は1956年に脳神経中枢を侵された患者が病院に4名担ぎ込まれたのが発端であり,意識がなく激しいけいれんと叫び声でのたうちまわる症状であった。さらに地元で53年までさかのぼると,100名以上の患者が発見された。同一家族内での複数の患者の発生もあり,一部で伝染病ではないかとの指弾もあった。

 1959年7月に病気原因としてメチル水銀が判明されたが,東京工業大学や東京大学医学部の教授らが反論して,同年11月の厚生省の中間答申では発生源を特定せず,研究班が解散させられた。その流れを受けて日本政府の研究費も事実上打ち切られた。しかし熊本大学は米国の公衆衛生院(N I H)の研究支援を受け,アセチレンが加水反応に伴ってわずかずつ猛毒のメチル化する事実を突き止めた。同じころ地元病院の医師による同様の確認調査も実施された。

 公害の被害者は被害を体全体,生活全体で感じているのに対して,加害者側は被害を目に見える部分に限定し,はなはだしい場合は被害の存在すら認めようとしない。否定できなくなった時に,ようやく定量的に表現できる汚染物質の濃度や騒音のレベルなどの尺度について,公害の存在を認めようとする。それは公害の部分でしかない。この関係は対等ではない。

 第三者が被害者の表現しようとする公害の全体像と加害者の表現しようとする部分とを公平に聞き,その中間をとろうとすれば,全体と部分の中間をとることになり,それは必ず部分的な解釈にしかならず,被害者から見れば加害者寄りの答えにしかならない。被害の内容は複雑で,客観化の困難な部分を含んでいるから被害を全体としてとらえるのは第三者には相当困難な課題である。そして被害があってはじめて私たちは公害に気がつくので,まず被害を徹底的に調べなければ,その対策は十分なものになり得ない。

 宇井は多くの体験から,公害問題の因果関係を起承転結に要約している。

起:<公害の発見>被害の存在に気がついて,かなりの時間と手間。

承:<原因の判明>との第 2 段階に至る。しかしこれで解決するかと思うと,決してそうはならず。

転:<反論の提出>ということで加害者やそれにつながる学者など,いろんな反論が出てくる。これは本当の原因を分からなくすることが目的だから,質より量が大切でしかも科学的な第三者と称する人が主張する。

結:<中和の成立>で本当の原因が分からなくなり,問題が忘れられてしまう。文学の起承転結と異なるところは,結できちんとまとまらず,しり抜けになる点である。

 こういう過程に公正な立場の第三者と称する科学者などが出てくることをしばしば見たが,よく調べるとたいがい加害者側のヒモがついていた。1995年末の政治的解決は,行政責任を問わない決着であった。1960年以降の水銀汚染は北欧諸国,イタリア,オランダ,米国,カナダ,ベネズエラ,アマゾンと世界各地に飛び火した。

 その多くは被害が漁民,農民,先住民族など社会の下層に現れ,その実態や範囲をつかむのも容易でなかった。

(4)途上国の水不足による砂漠化の原因

1)人口急増による過剰耕作

 湿潤熱帯雨林地帯における最も安定した農法は焼き畑移動耕作であった。これは人口が少なく,かつ潤沢な森林資源があるのを前提としている。

 森林の伐採,乾季の乾燥,焼却,一年生短期作物(コメ,トウモロコシなど),2 年生もしくは多年生作物(ヤム,タロイモ,バナナ,サトウキビなど)を順次植栽して,数年で放置し自然植生の回復を20〜30年間待つのである。放置後は新しい焼き畑に移動して生産を継続する体制であり,数年の利用後は30年ほどの休閑年限を設定する。

 つまり一家族あるいは集落が必要とする収穫量をもたらす焼き畑面積の数十倍の林地を使用できることが,古代から継続した焼き畑移動耕作の安定した状態である。

 1990年頃に,パプア・ニューギニアの山地での焼き畑風景は,抜開して燃焼した木の太さは5〜15cmほどの小径木のみであり,休閑期間は短く,土壌保全とはほど遠い感じがした。森林が貧弱になると保水力の低下を伴い,水の供給源たる小河川や井戸も役割を果たさないようである。

 発展途上国といえども多くの国で,住民の定住化を試行し,道路整備と教育施設の充実に努力しているが,計画と現実の状況とは大きく異なっている場合が多い。

 植生が貧しくなればなるほど,家畜による植物資源の利用が効果的な面を放牧は持っている。パプア・ニューギニアのわずかにしか生えていない山脈の所々に野焼きの跡があった。焼却後の新芽を家畜が好むための作業かと思ったところ,火入れによってウサギなどの小動物を捕獲する方法との話に驚いた。

 サヘルと呼ばれるサハラ砂漠が南側に拡大する地域に含まれるニジェール国にはICRISAT(半乾燥熱帯作物研究所,国際農業研究機関の一つ)の支場が首都ニアメイの近郊にある。1990年代中頃の訪問時には,年末にもかかわらずフランス人の支場長が案内してくれた。半砂漠ともいえる試験場内の約1kmの正方形の区画に厳重な囲いが施され,内側は高さ数メートルの潅木や木が茂っているのに場違いな感じを受けた。

 やがて室内に入っての説明によると,1972年に本部が設立されて支場が少し遅れたとしても,20年間ほど人畜の侵入を防止しての自然回復実証試験の実施中である。自然回復力の評価法は,人工衛星による定点観測であり,毎年の写真の推移をニジェール川の屈曲部分と対比して見学者に教えてくれた。当初は周辺部との差がなかったが数年後に試験区の輪郭が明示され,さらに緑化の深さを示し,人畜の自然への加害性の罪深さを証明するかのようであった。

 それと相前後して,モンゴル国を訪れた10月にウランバートル市内で数センチの積雪を鼻息で吹き飛ばしながら,枯れ葉色の路傍の草を食べる牛や羊に出会った。日本の約4倍の広さで人口も数百万人のモンゴルも過放牧で苦闘しているようであった。放牧密度の適正化のためには,ニジェールで教えられた人工衛星写真による牧草の繁茂の検証が重要ではないかと報告書の一部に書き添えた。放牧家畜の危険な時期は,春先の日中の融解と結氷の繰り返しにより,厚い氷層を自力で破壊できなくて,氷下の植物の茎葉を摂取できない状況である。

 食料飢餓の歴史がないことを誇る南米のパラグアイ国は亜熱帯のために,冬季も牧草が豊かであり,過放牧に近い状況を知らない。

2)森林の過伐採

 何年かおきにモンゴルでは森林の大火災が報じられ,貴重な水資源も失われている。 ブラジルのアマゾン地域の熱帯密林が南北縦貫道路建設のために膨大な森林破壊がなされた。数万ヘクタール規模の農牧場の管理のために,周辺境界の不法侵入占拠者群の発見に有効と境界部分の焼却は自然破壊といわれながらも継続している。

 発展途上国における治山治水に関する普及教育の欠落はかなりのものである。ジャマイカの世界的に有名なブルーマウンテイン・コーヒーの新植計画の現場を訪れた時,山頂部は水源かん養のために残すべきなのに,頂上部も同じように植栽穴が掘られていた。

 水環境の保全といってもほとんど進まない面もある。国際的に貧困の話になると多くの場合,登場するのが,一人一日当たり収入が1米ドル以下の人口が10億人に達する例である。この内容は,食堂のメニューの選択を考えるとわかりやすい。豊かな予算があれば選択の幅は無限であるが,使える金額の低下と比例して選ぶ楽しみはなくなり,一日1ドルでは選択権は消失し,あてがわれた食物でしか生活できない。日本の敗戦後の1950年ころまではニコヨン(1 日240円の日当,当時の1米ドルは360円)と呼ばれる戦災復興の日雇い労働者の時代で,1食が20〜30円の価格で夫婦の最低生活が維持された。

 このような状態で環境保全を考慮した行動が可能であろうか。途上国に限らず,先進国の畑栽培の促進に地下水利用の潅漑がなされる地域では,地表への塩類集積による農地荒廃が進んでいる。

 前記した途上国における人口増加による砂漠化の原因は過剰な耕作,放牧,燃料木の伐採などが指摘されて数十年を経過するが一向に改善されない。

 日本の水道水も塩素消毒と有機物の混入により発がん性物質のトリハロメタンが時折報じられるが,万全の対策は日常生活に生かされているだろうか。飽食に飽き足らないで,日本人の中にはアルカリイオン水を飲んで胃をやられたり,強い酸性水で顔を洗って皮膚が荒れての入院もあるなど,宣伝に踊らされての失態もある。

結語に代えて:公害対策は数十年が必要

 多民族が暮らす地球上にあって,飲用水の摂取法にも地域の歴史と風土が反映している。暑熱の厳しいタイ国の水田地帯は雨季の数カ月を洪水と共存し,あり余る水も飲用にできず,天水に依存すると時にはボーフラを沈ませながらの取水もある。

 乾燥地のトルコにあっては,山麓の泉は人間のみならず家畜の給水源として貴重である。庶民の飲用には,紅茶やコーヒーの出前配達が日常化し,街路の人だかりの中心はこれらの飲料を囲む井戸端会議でもある。

 パラグアイのマテ茶は特定の茶葉もあるが,各種ハーブも用いられ,利用される水も沸騰水や冷水もある。マテ茶は胃腸障害の発生予防と疲労回復効果を期待している。

 水の公害例として,ノースカロライナ州の川に生息する渦鞭毛藻類からのフイエステリアの猛毒性が魚や人間に多大な害の発生を警告した。日本の有機メチル水銀に起因する水俣病も悲惨な公害を呈している。米国,日本の両先進国における公害の発生もその確認だけにも10年単位の日時を要し,その対策となると半世紀を要する場面を実証するかのようである。

 公害といえども発生源をめぐって,厳しい対立が生じるのが常らしく,正しいものが社会全般に受け入れられるのに多くの不条理を含むようである。

 砂漠化の問題は,人口増加に伴う過剰な耕作,放牧,燃料を求めての過伐採などに起因するといわれながら,数十年を経過しても対策は確立されていない。近代的な農業国でも過度の地下水の汲み上げと潅漑により,畑地の塩類集積の問題も提起されている。

 食料難も水不足も近年は地球温暖化の負の効果として紹介される例が多く,それも一面の真理である。食料不足に伴う飢餓の問題は外見上も判定しやすいが,低所得階層では食の選択権すらおぼつかない状況下で生命を維持している状態である。そのような状況の人々の利用する飲用水の適合性は,原因が目に見えない病原菌などの汚染について,食料危機以上にすさまじい悪影響が最下層の住民に近寄っているとしても,水質問題が別個に独立して検討されるであろうか?

 つまり,食料問題と連携しつつ,それ以前に飲用水の危機が重要であることを本小論で指摘したい。

(2008年9月13日)

<引用文献>

1)師岡孝次,「健康の危機管理」,経営政策研究所の発行誌,pp1-7,2007年

2)ロドニー・バーカー,渡辺政隆・大木奈保子訳,『川が死で満ちるとき−環境汚染が生んだ猛毒プランクトン』,草思社,1998年

3)宇井純,『日本の水はよみがえるか―水と生命の危機 市民のための「環境原論」』,NHKライブラリー,1996年