民俗経済学から見た家族の意義とその役割

 

上武大学講師 菅野 英機

 


1.人類が家族を持つ理由

 人間は大人になっても自分一人では生きていけず,常に誰かの助けを直接にあるいは間接的にであれ必要としている。人間は,自立するまでの長い年月の間は当然のこと,大人になっても常に自分一人では生きていけず,家族や仲間の助けと,市場における顔も名前も知らない人々の助けを必要としている。

 直接に人と人が愛によって結びつく関係が共同体であるが,共同体内の人間的結び付きだけでは不足する関係を補うために,例えば共同体のメンバーの中に必要な鉄製品を作れる者がいない場合,あるいは医療サービスを提供できる人がいない場合などは,見ず知らずの人と人が市場の交換システムを通して,間接的に供給者と需要者として結びつくことによって,人は生きていける。

 愛によって結びつく共同体は,愛のシステムであり,統合システムと呼ばれる。貨幣で測られ評価され,金銭ずくの損得勘定で行われ,お互いに利益が発生するときにのみ自由な交換が成立する市場システムは,交換システムと呼ばれる。

 人間は,古くはギリシアに見られるような都市を単位として,国という共同体を形成し,国民の全てが強制的に遵守させられる法を定めた。法は強制システムによって機能しており,違反すれば,国家の権力によって警察が逮捕し,裁判所が法に基づいて判決を下す。

 これら3つのシステムは,どの時代にもどの民族にも存在しているが,非常に古い時代に,家族を単位としていくつかの同族集団が村落を形成していた時代には,統合システムが最も重要な役割を果たしており,他のシステムはわずかにそれを補う程度であった。

 都市国家が成立してくると,強制システムが拡大し,その後近くの都市国家間の交易の拡大や国内における市場の発達に伴って,分業が発達し,交換のシステムの役割が大きくなった。人々は,自分にとって最も有利な比較優位なことを生かして,他人の欲しがる財やサービスを生産したり,提供して得た貨幣で自分や家族の生活に必要な財貨や,自分ではできないかあるいは苦手なサービスを手に入れる。

 近年は,世界が一つの市場を形成してグローバリゼーションと呼ばれ,取引に関する基準などが統一され,グローバル・スタンダードが形成されつつある。しかし,これからの福祉世界を形成するためには,家族の間に自然に行われる愛のシステムである統合システムが,家族の拡張原理によって,世界の統合システムに包み込まれなければならない。福祉世界は統合システムを中心とするものとならなければならない。

 人類は,何故家族を作り,家庭を持ち,家族集団を形成し,地域社会を形成してきたのであろうか。神は,人類を家族を必要とするように作られたのである。それは,神の意志である。人は,神の見えざる手に導かれて,家族を作り,家庭を持ち,家族集団や地域社会を形成してきたと言えるであろう。

 次にその見えざる手の原理を明らかにしていこう。人は,生まれて自立するまで15年ぐらいの年月を必要とする。決して,一人で生まれて,一人で育った人間はいない。母親が子供を妊娠している10カ月もの間,狩りをして食糧を得るのは,子供の父親である。もし,この父親になるはずの者が,母親を一人残して去ってしまうと,その女性と生まれてくるはずの子供は死んでしまうほかなかったであろう。

 父親は,子供が生まれ,母親が幼児の世話に追われている間は,母と子のそばに暮らして,狩りをし,あるいはドングリの実などを採取して食糧を家族のために提供し,また猛獣から家族を守り,他の部族などの同じ人間の敵からも家族を守らなければならず,そこを去ることはできなかった。

 したがって,一人の女性と一人の男性がほぼ一生をともにし,家庭を作った。一家族だけでは,病気のときや,また集団で狩りをするときに必要な人手の確保や,田植えや稲刈りなどの時に行われた協働のためにも,まとまった人数が必要であるから,兄弟が結婚して,別に家庭を作る時にも,できるだけ近くに住居を構え,数代が経つうちには一つの大家族集団が形成され,自然に助け合う共同体が形成されていった。

 さらに,他部族などとの戦いもあり,さらに大きな集団を必要としたから,大家族集団が集まって,一つの集落を作った。その集落が集まって国を作り,小さい集落では滅ぼされかねない敵との戦いに備えた。

 これらの共同体としての人間集団の中心をなしていたのは,一軒一軒の家庭である。

2.家族が文化を創り育てた

 共同体の中心は,一つの家族であり,家族こそが最小の,そして最も重要な共同体である。言葉を子供に伝えたり,しきたりや生き方さらに伝統的価値観や技能を伝えるのは,親から子へ家族の中で基本的な部分は行われてきた。現在でも基本的にそれは変わらない。

 子供は,母親のお腹の中で,母親の話す言葉を聞いて言語の基本を修得してから生まれ,家族との会話を通して母語を学び身につける。母語が短期間に話せるようになる理由は,胎児の時にすでに準備ができており,生まれて直ぐから繰り返し,家族の会話を聞いて育つからに他ならなず,家族の生き方から,人間としての基本を身に付けて人は人間になる。オオカミに育てられると人はオオカミになる。人を人間に育てるのは家族である。人間は家族によって人間に育てられるのである。

 現在では,家族を補うための保育園などがあり,家族の機能の一部をアウトソーシイングしているが,それは人が人間になることを妨げない範囲でのみ行われるべきことであり,家族の必要性が低下した訳ではない。

 それは,かつて自給自足に近かった生活の中から分業の発達によって,自宅で作っていた味噌を市場で買うようになったのと同じで,家族の機能が分業によって,補われるようになったに過ぎず,いささかも家族が不要になった訳ではない。家族の役割の一部が後でみる家族の拡張原理によって血縁を離れて拡大したのである。

 鳥や魚のように,生まれて直ぐに親から分かれる動物の場合は,親から子への文化の伝達はほとんど不可能であり,文化や文明は育たない。群れの中でわずかに多少の行動規範が継承されるに過ぎない。霊長類のような高等動物の場合には,家族を形成し子供を育てるので親から子供への文化の継承がみられ,簡単な道具の使用もみられ,その意味で文化の萌芽もみられる。しかしほとんどの動物は,生まれて直ぐに自立して生きて行けるので家族を持つ必要がないのである。行動規範もそのほとんどが本能に基づいて行われ,遺伝子に書き込まれている。行動のほとんどは,あらかじめ遺伝子に書き込まれているプログラムに従って行っているに過ぎない。

 人間は,自立に長い年月を必要とするばかりか住む家を持たなければならず,食事のためには火を使い,炊事のための道具も必要であり,暑さ寒さに対しても衣服が必要である。これらは生まれたばかりの幼児には用意できないものばかりであり,両親が用意して与えなければ,子供は育たない。大人となっても一人ではこれら全部は用意できず,どうしても家族と家族集団が一緒に生活しなければ人間は本来生きていけない。

 文化は,人間がその地域で生きていく上で,「何を受諾し何を拒否するか」の基準であり,共同体で共有されることによって成立する。私だけの基準は文化ではない。言葉もその共同体で共通であるから言葉として意味があるのであり,私だけの言葉は,意味を持たない。私だけの言葉を話す人は,通常異常な人と見なされるであろう。私だけの文化を信じて行動する人も,通常異常な人である。文化の最も基本にあるものは,言葉と宗教である。同じ言葉を持ち,同じ地域に暮らし,同じ慣習を共有する人々を民族と呼ぶ。

 個人のアイデンティティは,この共有する文化の上に,その文化と矛盾のない自己が全体として成立しており,自己同一がなされている状態を意味している。個人の個性はこのアイデンティティの内に自然と成立するものであり,無数の組み合わせのなかの一つとして,その人のみにみられる存在である。しかしそれは,その文化の内にあり決して外にはない。外の存在は異常であり,共通の文化内に個性が存在するからこそ個性に価値があり,共通の言葉で他人にその個性を伝えることが可能である。それは天才的人物にとっては大変困難な営みであり,伝えるための際だった能力を求められる。他人に伝えられずに異常とみられた不幸な人がこれまで多くいたことは,想像に難くない。とはいえ,共通の文化の外にあって,決して同じ言葉で伝えられないものには,価値はなく,個性とはいえない。それが個性ならば,犯罪者は最も個性あふれる優れた褒められるべき人である。

 民族を民族たらしめているのも,その基礎にあるのは,家族に他ならない。属する民族と共通の文化を共有する家族が何を善しとし,何を拒否するべきかは,親から子供に生き様を通して自然に学ばせて行くのである。これが倫理規範であり,決してヨーロッパや中国などの哲学者の説を学ぶことが,倫理を学ぶことではない。

3.家族集団と地域共通の文化

 家族集団が同じ地域に住み,地域共同体を形成し,祭儀が行われ,文化が形成された。

 現在の日本でも,東京などの大都市を除けば,家族や親戚が近い地域に多く生活している。古代には,同じ一族が固まって集落を作り,いくつかの同族集団が一つの村落共同体を形成していた。それぞれの村落で同じ言葉が話され,同じ生活の規範が形成され,同じ場所に死者を埋葬し,あるいは聖なる場所を選んで鳥葬したりするようになった。

 子供はそれぞれの地域共同体の中で育てられ,その共同体に共通な文化を身につけて育った。鳥葬する場所は,みだりに立ち入ってはならない神聖な場所となり,神の居る場所ともなった。そして,村人全てがそれらの価値を共有し,祭儀を行った。そこに文化の基礎が形成された。人はその文化を共有することで類人猿とは大きく異なる人間となった。

 稲作文化圏では,春には豊作を神に祈って祭りをし,秋には豊作を神に感謝して祭りを行った。もちろん,村人全てが参加した。参加しない者は,共同体の仲間とは見なされない。村から追放されたであろう。日本ではそれを,村八分と呼ぶ。共通の価値規範が形成され,人は高い高貴な文化を持った明らかに動物と異なる人間となった。善と悪との区別を持つ人間となった。自ずからなる倫理を持つに至った。

4.助け合いの基本としての家族と疑似家族

 家族集団が近くに住むことで,お互いに助け合うようになり,また助け合うために近くに住まいを構えた。それは,現在問題となっているセーフティネットであり,セーフティネットは人類の誕生期から存在していたのであり,それがあったからこそ人間は現在まで生き延びてこられたのである。

 この助け合いは,異なる家族間の間にも広がり,村落単位でも助け合うようになった。日本では小さな助け合いは字単位で行われ,大きな助け合いは大字単位で行われた。

 柳田国男の言うように,村の救済事業として,次のような不文法があった。

@極貧病苦の者は捨て置くべからず。A一人百姓は村内組内世話すべし。B女戸幼少戸主の農家は,どこまでも助成せよ。

 これらは,単なる道徳上の訓論ではなく,村の救済事業であった。

 さらに,血のつながらない他人の間にも,一つの目的を持って集まり,家族間に行われていた助け合いが,行われるようになっていった。それは,あたかも家族のように助け合ったので,疑似家族と呼ばれ,また組織が本家分家などにみられる家族集団による組織原理になぞらえて組織化された。

 日本では,暖簾分けという慣習があり,そば屋で丁稚奉公を一定期間,多くの場合10年程度勤めれば,年季明けでその店の暖簾をもらい,出店するための費用の一部あるいは全部を奉公していた店が出してくれる慣習である。丁稚奉公の間は,教育をしてもらえる代わりに,やすい給金で働いていた。

 「藪そば」というそば屋は,暖簾分けし多くの同名のそば屋がみられる。これらの集団は,一つの家族集団に近い性格を持っているので,疑似家族集団である。

 江戸時代に,伊勢神社参りに行きたい人が集まって,伊勢講を作り,毎年抽選して,当たった人が伊勢講家族を代表して,講からもらったお金を持って,御伊勢参りに行ったのである。これが,その後庶民銀行に発展して行った。庶民銀行は,本来疑似家族の原理に基づくものである。

 茶道や華道などの組織も,疑似家族原理に基づいている。群馬県の国定忠治一家も同じ疑似家族の原理によるものであった。これらの現代版がかっての国鉄一家に代表される企業家族制度である。

 日本では,もともと家族に子供がいない場合などに,血縁にこだわらずに養子縁組によって,家を継続することがみられた。つまり元々日本の家では,家が血縁を離れて,組織として継承されたのである。

 ヨーロッパのカトリックの聖職者の組織でも,やはり一つの家族のように考えられて,助け合いがなされていた。これがヨーロッパのギルドなどに受け継がれ助け合いを手本とする社会福祉の原理となっている。

5.企業家族主義の形成

 日本では,企業も一つの家族と見なされてきた。社長は父親であり,社員ないし従業員は子供たちと見なされてきた。この日本型企業家族主義は,次のような事情を背景として成立した。

 @中国や韓国などと並んで日本には,家庭や家族を大切にする伝統的文化があったことによる。

 A日本には,丁稚奉公や暖簾制や暖簾分けや先に見た家拡張の原理があり,すでに疑似家族による様々な組織が存在していたことによる。

 B田舎で家族主義になじんでいた人々が,大正の終わり頃から東京や大阪などで急速に発達してきた企業に,働き場所を求めて田舎から出てきた。これらの従業員は,企業の内でも家族主義で遇されることを望んだし,家族主義に最もなじみやすかったから,企業も家族主義を企業の運営原理とした。

 C日本では,都会の企業で働く従業員が病気や失業などで困った時には,その多くが田舎に帰って,病気を治してから,また仕事があれば都会へ出てきたのである。ヨーロッパのようにエンクロージャーが行われ,田舎から追放されたルンペンがロンドンなどで賃金だけが頼りの賃金労働者になり,帰るべき田舎を持たず,頼れる実家もなく,失業したり病気になれば飢えて死ぬしかない運命にあったのとは異なっていた。従って,ヨーロッパでは,職業ごとに組合を作り失業保険や医療保険を行った。

 Dしかし,大正の終わりごろから,だんだんと帰るべき田舎を持たない都市独立労働者が増大してきた。まだ国の社会保障がほとんどなく,職業労働組合もない時期であったから,企業ごとに従業員の生活を丸抱えで保証することが始まったのである。それはあたかも江戸時代の藩が武士にしていたのと同じであり,まさに疑似家族そのものであった。

 E日本では産業が急速に発達したために,企業が必要としている技術者や高度な専門的能力を持った人材が不足していた。そこで企業の中で社員や従業員に,企業内教育を施して,人材を自ら育てる必要があった。そのためには,社員や従業員に長くとどまってもらう必要があり,あたかも家族のような関係を築くことが企業にとっても適切であった。

 これらが終身雇用制度や生活給である年功序列賃金や社宅制度や退職金制度などを生み,それに併せて企業別労働組合が生まれた。

 そこで,一度勤めた企業には,ほとんどの社員や従業員は長期に勤務し,企業も社員の生活を全体として支えた。生活費の安い若い時期は,低い賃金を支払い,生活費の上昇にあわせて賃金を毎年上げていった。その結果,年功序列賃金制度が生まれ,だいたい地位も年功で決まった。それは,仕事の能力がだいたい年功に比例しており,合理的でもあった。また日本の伝統的価値観とも一致しており受け入れ易いものであった。

 転職は社員にとっても不利であり,企業にとっては長く留まってもらえる利点があった。そこで多くの人は一生一つの企業に留まり,まさに家族のようであった。退職金制度もそれを補いながら,社員の老後の保障の役割も果たしていた。そこで終身雇用制が成立したのであった。

 企業は,社員や従業員が長期に勤めてくれることを前提にして,企業内教育を行い,社員や従業員の能力の向上を図り,人間としての徳育も行っていた。それこそが企業の発展をもたらす基本的要因と考えられていたからである。事実それが日本の急速な発展と安定をもたらし得た理由に他ならない。

 社員や従業員にとってもそれは利益であり,企業が生活に必要な生活費を賄ってくれ,さらに人間として必要な徳育や働く能力や技能を身に付けさせてもらえる場でもあった。

 包丁一本で渡り歩いていた板前のように,高い技能を身につけ,比較的短期間で様々な職場を渡り歩く人々もあったが,彼らは自分の高い技能をより高く売れる職場を求めて移動していたのであり,自分に合った処を得るとそこに長く留まることも珍しくなかった。渡り職人も渡り歩くのは,人生の一定の期間であり,一生渡り歩いていたわけではない。

 現在の派遣社員の問題は,格差問題ではなく,長期にその企業の家族として,落ち着く場が見いだせないでいることである。企業家族主義が適切に見直されれば,多くの問題が解決されるはずである。いたずらに格差を唱えて,社会主義的政策を行うと日本経済が衰退するだけである。

 企業によっては,社宅も準備し,保養所や病院なども備えていた。現在でも厚生年金の三分の一を企業が負担しており,社員の家族の家族手当も出しているのである。企業家族主義は今も生きているのである。

6.企業家族主義と企業別労働組合

 企業家族主義の中で労働組合も僅かな例外を除いて,企業別に形成された。日本の企業別労働組合は,通常属する企業の発展と存続を経営者と共通の目標としつつ,そのために自分たち現場の者がどのような役割を果たせるかを経営者とともに考え,地域住民や消費者のために何が必要かを考え,経営者とは対立するものとしてよりも,協働のパートナーとして,それぞれの役割を担いつつ,その中で社員の生活と労働条件の改善を求めている。

 ここに,日本経済の成長と日本社会の安定と安心して安全に暮らせる社会が実現していたのであり,近年それが揺らいでいる原因は,この家族主義が揺らぎ,家庭や家族がないがしろにされてきたことにある。近年,この日本型福祉社会を支える基盤が揺らいでいるために,日本社会も迷走しつつある。

7.疑似家族主義の拡張

 この血縁を離れて拡大する疑似家族主義のより一層の普遍化が進展して世界の人類全体に広がり,世界の人類が一つの疑似家族となりえるならば,混迷する世界を健全な人類本来の姿に戻すことができるであろう。

(2008年11月24日)