『聖書』の平和観

韓国・鮮文大学教授 柳 在 坤


1.序論

  全世界の人々の念願,人類共同の念願は,民族や国家が互いに憎しみあわず,戦争によって互いに殺しあわずに平和に生きたいという念願である。しかし,現実としては,そのことが容易に実現されない。

  20世紀は,科学技術の進展によって先進諸国を中心に,物質的な豊饒を広範囲に享受できた反面,二度にわたる世界大戦をはじめとして,多くの戦乱,紛争が起こり,また,環境破壊や富の偏在など新しい課題も生じるなど,人類が多大な苦痛を味わった時代でもあった。「戦争の世紀」という呼称を持つ20世紀を過ぎた今も世界のいたるところで戦争やテロによって罪のない多くの生命が失われている。憎悪の連鎖を断絶することができないのである。

  21世紀は,このような諸問題が解決され,全世界の人々が平和を享受し,物心両面から真に幸福に生きるようになる平和かつ豊饒な時代になることを念願していた。

  ところが実際には,21世紀の初めにニューヨークで2001年9月11日に起こった同時多発テロ事件が起こり,翌月に米国・ブッシュ大統領がアフガニスタン攻撃を表明し,11月中旬には,米英を中心にした連合軍は首都カブールを制圧した。さらには,「大量破壊兵器の保有」を理由に2003年3月にイラクを攻撃しイラク戦争が始まった。しかし,ブッシュ大統領が戦闘終結宣言を出したのちにもイラクでは,自爆テロが相次いで起こり,宗教的な対立によるテロは激しくなった。

  2007年12月27日,パキスタンで,べナジル・ブットー(Bhutto,1953-2007)が暗殺されたテロ事件が起こり,2008年2月11日,東チモールのノーベル平和賞受賞者のハモス・オルタ大統領が銃撃されて負傷した事件,11月には世界の多くの観光客らを巻き添えにしたタイ空港占拠事件,そして,インドのムンバイでの残虐行為など,今も多くの人々が不安と恐怖を感じながら生きている。

 古代のギリシア・ローマでは,争いが英雄的な徳の顕示の場であり,ヘシオドス,アリストパネス,エウリピデスのような鋭意的な反戦・平和主義者もいたが,一般的には「平和」は戦争の不在という消極的な意味で用いられた。

  一方で,魂の平静(ataraxia)と自然法による世界秩序を目標にしたストア派の思想はアウグスチヌスを経由してキリスト教的な平和思想に深い影響を及ぼした。

  一般的に,宗教的な伝統の中では,平和は平穏無事であるという消極的な意味や内面的な平定という現世的,個人的な意味のみならず,宗教的,社会的な生活の安寧や繁栄,正義の成就や勝利といった積極的な価値を表し,さらには,終末的な意味を持つ。このように「平和」という述語がどのような内容をもっているのかを完全に把握するためには,この述語が用いられた具体的な歴史的な状況だけでなく,この述語に含まれている精神的な意味もすべて研究することが重要であり,聖書全体を通観しなければならない。

   この論文は,『聖書』に表記された「平和」に関する諸句節を総合的に分析・検討して平和の意義と主体など,『聖書』の平和観を研究することにその目的がある。

2.「聖書」の平和観

(1)『聖書』の成立と写本・翻訳

1)『聖書』の成立
  キリスト教の聖典,英語のバイブル(Bible)の語源は古代に紙の原料として使用してきたパピルスの心を意味するギリシア語ビブロス(biblos)に由来する。このパピルスによって作られた巻物に文字を記録したものをビブリオン(biblion)といい,本という意味になった。その複数型がラテン語に変わってビブリア(biblia)になり,とりわけ聖なる本を表わすようになった。もちろん,聖書それ自体の起源はギリシアでなく古代イスラエル人たち(ユダヤ人)によってヘブライ語によって記述されたものであった。

  現在の聖書は大きく『旧約聖書』(Old Testament)と『新約聖書』(New Testament)に分けられている。初めはこの『旧約聖書』の部分だけがイスラエル人たちの聖典として成立した。その後紀元1世紀に,キリスト教が誕生するや,そこに『新約聖書』が付け加えられた。しかし,この「旧約」,「新約」という名称は,どこまでもキリスト教徒が呼ぶようになったものであった。ユダヤ教徒は現在も『旧約聖書』の部分だけを彼らの聖典であるといい,それを「タナク(TNK)」 と呼んでいる。この名は,『旧約聖書』を構成する三つの部分,すなわち,「Torah(律法)」,「Nabi'im(預言者)」,「Chethubim(諸文書)」の頭文字を合わせた略称である。

 そして,<約>は<契約>を意味する。<旧約>という言葉はキリスト教の言葉であり,ユダヤ教では,これを内容にしたがって,<タナク(Tanach)>という。<新約>というのは,イエス・キリストを通じた新しい約束である。このような意味から『新約聖書』というのはキリスト(救世主)による人間の救援に関する書である。それゆえに,ここでは歴史上の人物であるイエスの言葉や業績だけでなく,それ以上に救世主または救援という事項に関した信仰上の教えが記録されている。

  現在の形態の『新約聖書』が正典として成立したのは,4世紀のアタナシウスによってである。ところが,すでに2世紀末には,4篇の福音書の権威が確立していたという事実を教父らの著書を通して知ることができる。『ムラトリ短編』(Muratorian Canon)には200年頃,ローマ教会で使用されていた聖書の目録がある。この中には,4つの福音書,「使徒行伝」「13通のパウロの手紙」「ユダ書」「ヨハネの手紙T・U書」「ヨハネの黙示録」が入っている。

  キリストの最後の晩餐の場面には,十字架の血が神と人間の間の新しい約束になるという事実が記録されている(「ルカによる福音書」22:15−20)。このキリストの新しい約束に関する書を『新約聖書』といい,救世主に対する準備書としてユダヤ教の経典であったものを『旧約聖書』といい,この二つを合わせてキリスト教徒の正典(Canon)とみなした。プロテスタントでは,旧約39巻,新約27巻合わせて66巻であるが,カトリックでは外典を含めて73巻である。

2)『聖書』の写本・翻訳 

  聖書を記述した言語はヘブライ語,アラム語,ギリシア語の3つである。その中でも最も長く量が多いのがヘブライ語であり,『旧約聖書』の多くの文書がこの言語によって書かれている。それ以後,アラム語によって書かれた文書が一部分『旧約聖書』に追加された。そして最後にギリシア語で書かれた『新約聖書』が追加された。とりわけギリシア語は紀元前2世紀に『旧約聖書』全体を翻訳するために書かれたのであり,その重要性は高揚した。

  このように『旧約聖書』は一部アラム語になった部分を除外すると,ヘブライ語が原文である。原文は子音のみで記録されていたが,ヘブライ語が死語になった後には,その部分を伝承によって正確に伝えようとしたマソラ(伝承)学者らによって母音の記号がつけられた。これまで残っているマソラ写本の中で最も古いのは9世紀のものであるが,1947年から数度にわたって死海近くの洞窟で発見された「死海文書」にはB.C.3世紀中葉から1世紀のものが含まれている。

   『旧約聖書』はローマ教会でギリシア語翻訳「セプトアギンタ」(七十人訳聖書)を基本としラテン語に翻訳されたが,405年,ヘブライ語の写本に基づいた改訂翻訳本が完成した。

   『新約聖書』の各巻の原文はギリシア語であるが,原文は残っていない。伝えられた多くの写本をもとに古代翻訳本と教父らの引用を参考にしながら,原文の復元作業が長い教会歴史を通してつづけられている。

  現在一般に普及しているのは,ネストレアラント版(29版,1963)・タスカ版(1964)などである。ギリシア写本は断片を含めて5000編以上があり,パピルス写本・大文字写本・小文字写本に分けられる。パピルス写本の中で最も古いのは125年の「ライランスパピルス457」である。パピルス写本の大部分は断片であるが,「チェスタビチ パピリ」「ポヅモ パピリ」など長文になったものもある。大文字写本は,4世紀から10世紀にわたってなされたものであり,この中で重要な「サナイ写本」「バチカン写本」「エプライム写本」「ベジャ写本」などがある。

   『新約聖書』は4世紀末,ギリシア語写本がラテン語に翻訳され旧約と合わされて「ブルガタ」と言われた。中世のカトリック教会は各国語に翻訳することを許さなかったが,マルチン・ルターが旧約・新約の原語をドイツ語に翻訳して以来,プロテスタント各国では自国語に翻訳し信徒らが直接『聖書』を読むことができるようになった。

3)『聖書』の韓国語翻訳

  最初に韓国語に翻訳された聖書は,1870年代に天主教(カトリック)の信者らが祈祷生活に必要な一部分を翻訳したものがあったというが,本格的な聖書の韓国語翻訳がなされたのは,改信教(プロテスタント)が入ってきてからであった。

  1882年,スコットランド連合長老会の宣教師 J.ロス(ナ・ヤッカン,羅約翰)牧師と平信徒のイ・ウンチャン(李應贊)・ペク・ホンジュン(白鴻俊)らが「ルカによる福音書」を翻訳,刊行した。1883年,リ・スジョン(李樹廷)が漢文の4つの福音書と「使徒行伝」を日本から持って入り,漢文の送り仮名をつけて『懸吐漢韓新約聖書』を刊行したし,1884年,米国の宣教師が入国するとき,「マルコによる福音書」を翻訳して持って入ってきた。1887年には,改信教を中心とした聖書翻訳委員会が組織され,1900年5月,『新約聖書』,1911年には『旧約聖書』が完訳され,『聖教全書』として合本,刊行された。

  天主教では,1910年に4つの福音書を『四史聖経』という名で刊行されたが,これはラテン語聖書を底本として翻訳されたものであった。1922年には「使徒行伝」が『宗徒行伝』という名で刊行されたし,1941年に,残りの部分がすべて翻訳された。その後1959〜1963年,ヘブライ語の旧約聖書が13巻に分けられて翻訳され,1971年まで天主教の公認の訳本として使用された。

  翻訳された聖書の改訳過程は,翻訳完了直後から継続してなされ,改信教側の聖書公会では1912年,改訳委員会を組織し,旧約の翻訳から改定を始め,その結果,1937年に『改訂聖書』が刊行された。この翻訳版は,1956年,「ハングル正書(綴字)法統一案」によって修正を経て現在まで使用されている。1960年9月から新しい翻訳作業をはじめ,1967年12月,『新翻訳聖書』が刊行された。第二回バチカン公議会で聖書の自国語翻訳および新旧教の共同翻訳作業の奨励政策が決定されるや韓国でも天主教・改信教が合同で1968年に新・旧約聖書の共同翻訳委員会が組織され,1971年,『共同翻訳新約聖書』,1978年には,新約・旧約及び外典の翻訳まで含めた『共同翻訳聖書』が刊行された。

(2)『聖書』の構成

 ここで『旧約聖書』と『新約聖書』がどのような構造からなっているのかをみよう。ユダヤ教の『聖書』とキリスト教の『聖書』を比較すると次の,<表―1>の通りである。

 ユダヤ教の『聖書』(ヘブライ語の『聖書』)は「律法」「預言書」「諸文書」など3つの部分に分けられている。一方,キリスト教のプロテスタント教会の『旧約聖書』の構成は「歴史書」「聖文学」「預言書」など3つに分けられている。カトリック教会では上記の各書に「諸異正典」と呼ばれる文書が付け加えられる。キリスト教の聖書には『新約聖書』が付け加えられる。

『聖書』は『旧約聖書』39文書と『新約聖書』27文書の計66文書から構成されている。前半が‘古い契約’という意味で<旧約>であり,後半は‘新しい契約’という意味の<新約>である。

『聖書』の著者はすべてユダヤ人たちである。『旧約聖書』の著者は「預言者」たちであり,千数百年にわたって世代が分散している。紀元前13世紀ごろのモーセから紀元前450年頃のマラキまでである。書かれた場所は主に現在の中東地域である。

「新約聖書」の著者はイエス・キリストの使徒や彼らから伝道された人々である。彼らはすべて1世紀に生きた人たちである。書かれた場所は今のイスラエルから小アジア地域と欧州のローマに至っている。

『聖書』にはイエス・キリストに対する信仰によって救援に至る知恵があり,また,『聖書』は神の感動によってできた書であるため,教訓と戒めと正しくすることと義に導くという内容をもって教育するのに有益であると言っている。

 また,自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物はキリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を,あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ,人を教え,戒め,誤りを正し,義に導く訓練をする上に有益です。(「テモテへの手紙2」3:15〜16)

『聖書』全体が徹頭徹尾,‘創造したもの(創造主)’と‘創造されたもの(被造物)’が併存しているという複眼的な存在感をもとに叙述されている。

『旧約聖書』は‘万物の創造主が被造物である人間に与えたメッセージを集めたもの’であるとしており,また,預言者らによって受信された預言を集めて編集されたものであるとしている。すなわち,『旧約聖書』全体が,預言者が受けた霊感を記録したものであった。

『旧約聖書』は元来ユダヤ人たちが信じるユダヤ教の経典として使用されたものであったが,ほとんどそのままキリスト教の『聖書』の前半部として収録されている。『旧約聖書』は39巻の文書から構成されている。内容上から分類すれば,全体は大きく4つに分けることができる。(<表―2>参照)

 第1は,「モーセ五書」である。著者はモーセという。律法とは‘創造主の命令’であり,創造主の命令がこの五書の中に多く記録されているからである。

 第2は,「歴史」に関する諸文書である。イスラエル民族のカナンの地における定着から始まった波瀾万丈の歴史を記録した諸文書である。ここに含まれる文書は歴史書としての色彩が比較的明らかである。

 第3に,「詩文書」である。この諸文書は全体が詩の形態をもって書かれており,人間に様々な知恵を与えようとする内容をもっている。

 第4は,「預言書」である。「イザヤ書」,「エレミヤ書」,「エステル記」,「ダニエル書」などの‘大預言書’とその他の‘小預言書’が多数ある。

 一方,『新約聖書』はイエス・キリストの伝記やその教えを伝道するときに使われた手紙などを集めて編集されたものである。『新約聖書』も創造主の聖霊の啓示を受けて書かれたものであるという。イエスは次のように,「旧約聖書は自身に対して預言されたものである。」と述べていた。

  あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて,聖書を研究している。ところが,聖書は私について証しをするものだ。(「ヨハネによる福音書」5:39)

 キリスト教団が自らの経典に『旧約聖書』を収録したのは,『旧約聖書』が『新約聖書』において明示されるイエス・キリストに対して既に預言している書であると判断したからであった。

『新約聖書』は,イエス・キリストの出現以後の内容を記録したものであり,27巻から構成されている。

第1は,「福音」である。4人の著者がそれぞれ記述したイエス・キリストの伝記である。

第2は,「使徒言行録」である。イエス・キリストの弟子たちが伝道し,教会を建てていった記録である。著者は「福音書」も書いたルカである。

第3は,「信徒への手紙」である。イエス・キリストの弟子たち,すなわち,信徒たちが創造主の啓示を受けて伝道活動をする過程で書いて送った「手紙」である。

第4は,「黙示」である。使徒ヨハネが,創造主が見せた世界の終末と最後の審判の姿の幻想を記録したものである。

   旧約と新約の聖書を対照してみると,『旧約聖書』の律法書(「創世記」から「申命記」までの5巻),歴史書(「ヨシュア記」から「エステル記」までの12巻),詩文書(「ヨブ記」から「雅歌」までの5巻),預言書(「イザヤ書」から「マラキ書」までの17巻)はそれぞれ『新約聖書』の福音書,使徒言行録,信徒への手紙,ヨハネの黙示録に該当するのである。(<表−2>参照)

(3)『旧約聖書』の平和観

1)『旧約聖書』の「平和」に関する句節(<資料1>参照)
『旧約聖書』の中で「平和」に関する述語が記載されているのはまず,モーセ五書,律法書では「民数記」の1文書のみであり,残りの「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「申命記」の4文書には記載されていない。

  次に,歴史書では,「平和」に関する述語が記載されているのは「士師記」「サムエル記上」「サムエル記下」「列王記上」「列王記下」「歴代誌上」「エズラ記」「エステル記」など8文書であり,「ヨシュア記」「ルツ記」「歴代誌下」「ネヘミヤ記」など4文書には記載されていない。

  次に,詩文書では,「平和」に関する述語が記載されているのは「ヨブ記」「詩編」「箴言」「コヘレトの言葉」など4文書であり,記載されていないのは「雅歌」の1文書のみである。

  最後に,預言書では,「平和」に関する述語が記載されているのは「イザヤ書」「エレミヤ書」「哀歌」「エゼキエル書」「ダニエル書」「ミカ書」「ナホム書」「ハガイ書」「ゼカリヤ書」「マラキ書」など10文書であり,「ホセア書」「ヨエル書」「アモス書」「オバデヤ書」「ヨナ書」ハバクク書」「ゼファニャ書」など7文書には記載されていない。

『旧約聖書』全体に表記されている「平和」に関する述語は,‘平康’が58か所,‘平安’が36か所,‘和平’が24か所,‘平和’が12か所,残りの‘泰平’,‘太平’,‘萬安’,‘安慰’,‘太平時代’‘ヨホワサローム’が1か所ずつ表れている。

『旧約聖書』で言及されている「平和」という概念は,日本語版の『聖書』には‘平和’のみであり,英語版のNEW AMERICAN STANDARD BIBLEには‘peace’で表記が一貫されているが,韓国語版の『聖書』では‘平和’,‘和平’,‘平康’,‘平安’,‘泰平’,‘太平’,‘萬安’,‘安慰’,‘太平時代’,‘ヨホワシャローム’など多様に記録されている。(<表―3>参照)

  中国語版の『聖経』には,‘平安’が86か所で圧倒的に多く,次に,‘和平’が11か所,‘平平安安的’が6か所,‘和睦’と‘安然’が5か所,‘太平’が4か所,‘和好’が3か所,‘平平安安’と‘安静’が2か所,残りの‘平安的’,‘好好的’,‘和和平平的’,‘十分平安’,‘安穏’,‘平穏’,‘求和’,‘康泰’がそれぞれ1か所ずつ表記されている。

  一般の国語辞典によると,‘平和’は@平穏で和睦であること,和合し安穏であること,A戦争のない世の中が平穏なこと,体や心や家庭が平安なことを意味し,‘和平’は@心がうれしく平安なこと,A国家間が和睦であり,平和なことを意味する。次に‘平安’は@無事にいること,A無事であり,心配のないことを意味し,‘平康’は@体が平安で健康なことを意味する。その他の述語は上記の述語内容と大同小異である。

 まず,<モーセ五書,律法書>には,「民数記」にのみ‘平和’が1回だけ記録されている。

次に,<歴史書>には‘平和’が3回,‘和平’が3回,‘平康’が13回,‘平安’が12回,‘泰平’,‘太平’,‘萬安’,‘安慰’,‘太平時代’,‘ヨホワシャローム’がそれぞれ1回ずつ記録されている。

次に,<詩文書>には‘平和’が1回,‘和平’が11回,‘平康’が9回,‘平安’が5回記録されている。

最後に,<預言書>には‘平和’が5回,‘和平’が10回,‘平康’が36回,‘平安’が17回記録されている。

  時代が過ぎれば過ぎるほど,「平和」に関する述語が‘平和’,‘和平’,‘平康’,‘平安’という4つの述語に収斂されていくことがわかる。

2)『旧約聖書』の平和観

  ヘブライの伝統においては,平和(shalom)は家族・共同体・諸民族間でかわす友好的な挨拶であり,物心両面での調和と互恵という社会的,政治的な原則を意味した。その基本にはヤハウェの‘平和の契約’(「エゼキエル書」34:25)があり,『旧約聖書』によれば,貪欲や悪を避け正しい行動をする民には終わりの日にはヤハウェによって正義や救いがともに平和をもたらす(「イザヤ書」2:2-4,32:17;「詩編」85:9;「ミカ書」4:1-3)。

  ヘブライ人は平和を神の本来の計画の一部分であると考えていた。平和が明らかに現れない場合の状況を,彼らは混沌であると読んだ。神の愛と配慮は,神が「わたしの魂を贖い出し,平和に守ってくださる。」ということで証明される(「詩編」55:19)。王の基本的な機能の一つは,たとえばそれが戦争によってなされたようなものであっても政治の領域で平和を確立することであった。平和の対象は,主に集団あるいは共同体であるが,個人もまたその対象になった。

  平和はいつも神の創造の最終目標であると考えられたし,『旧約聖書』でいう宗教的な平和も世俗的な平和もその源泉はすべてが究極的には神であった。

  第1に,『聖書』における平和は,単に条約に従って安定した生活が保障されている状態であるとか,戦争がない平和の時代のみをさすものでなく(「コヘレトの言葉」3:8),人間が日常生活で安寧を維持し,自然・自身・神と和合して生きている状態も意味する。具体的には祝福・休息・栄光・富・救い・生命などすべてを含める概念である。

  第2に,平和はより広い意味では安全な状態をさす。平和はまた兄弟的な生活で見せる和合も指しており,平和はまた人間相互間の信頼を意味する場合もある。

  平和と悪は互いに相反し,調和・一致しない関係にある。「悪人には平和(平康)がない。」(「イザヤ書」48:22),「平和(和平)な人には未来(平安)がある。」(「詩編」37:37),「貧しい人は地を継ぎ豊かな平和(和平)に自らをゆだねるであろう。」(「詩編」37:11)などがその例である。平和はまた義を伴った善の総体であるということができ,平和とは単に戦争がないのでなく,幸福が充満していることであるということができる。

  第3に,平和は,初めは地上の幸福と理解されていたが,その源泉が天にあるために実際には精神的なものと知るようになった。平和という神からの贈り物は信頼に満ちた祈祷によって得ることができるが,そのようにするためには義の行いを実践しなければならない。神の計画によれば,人間は地上に平和を建てるために神に協力する義務がある。しかし,この協力は人間が常に犯す罪によって満足するだけの効果を得ることができない。

  第4に,神から平和の贈り物を受け取るためには罪が除去されること,すなわち,罰を受けて清算することが前提となる。エレミヤは「彼らは,わが民の破滅を手軽に治療して,平和(平康)がないのに『平和(平康),平和(平康)』という。」(「エレミヤ書」6:14)と指摘し,偽の預言者を非難した。

  第5に,真の平和とは地上的な次元を超えるものであり,また罪が混合した偽の平和と異なるということが明確になる。

  イザヤは‘絶えることがない平和(平康)’(「イザヤ書」9:6)を与え,新しい楽園を開く‘平和の君’(「イザヤ書」9:5)を夢見る。この君は平和そのものだからである(「ミカ書」5:4)。そこでは自然界は人間に服従し,分裂したイスラエルの二つの王国は瓦解し,異邦人は平和に生き(「イザヤ書」32:15-20),そして,「神に従う者として栄える。」(「詩編」72:7)。

(4)「新約聖書」の平和観

  1)韓国語版『新約聖書』の「平和」に関する句節(<資料2>参照)
『新約聖書』の中で「平和」に関する述語が記載されていないのが「信徒への手紙」の中の「ヨハネの手紙1」の1書のみであり,福音書の4書,「使徒言行録」の1書,「信徒への手紙」の20書,「ヨハネの黙示録」の1書には「平和」に関する述語が記載されている。

  次に,「新約聖書」全体に表れている「平和」に関する述語は,‘平康’が44か所,‘和平’が19か所,‘平安’が16か所,‘平和’が4か所,残りの‘和睦’が2か所,‘泰平’が1か所の順である。ところが,『旧約聖書』に表記されている‘萬安’,‘安慰’,‘太平時代’,‘ヨホワシャローム’など「平和」に関する述語は表れていなかった。(<表−4>参照)

  中国語版の『聖経』においても‘平安’が圧倒的に多く54か所で,次は,‘和睦’,‘和平’がともに11か所で,‘太平’が5か所,残りの‘安静’,‘安然’,‘相和’がそれぞれ1か所ずつ表記されている。

  まず,4人の弟子らが記録したイエス・キリストの伝記である「福音」をみよう。‘平和’は3回,‘和平’は4回,‘平康’は5回,‘平安’は8回,‘和睦’が1回表れている。‘和睦’は@互いに意趣があって仲が良いこと,A和悦し親睦することと辞書に出ている。

  次に,イエス・キリストの弟子らが伝道し,教会をたてていった記録「使徒言行録」には‘和平’,‘平安’,‘泰平’はそれぞれ1回ずつ出てくる。

  次に,イエス・キリストの弟子らが神の啓示を受けて伝道の過程で書き送った手紙,すなわち,「信徒への手紙」では‘平康’が最も多く38回,‘和平’は13回,‘平安’は7回,‘平和’,‘和睦’がそれぞれ1回ずつ記録されている。

  最後に,使徒ヨハネが,神が見せた世界の終末と最後の審判の姿を幻想によって記録した「ヨハネの黙示録」には‘平康’,‘和平’それぞれ1回ずつ出ている。

  イエス・キリストは神の愛を人間に連結させる仲保の役割を担った。それゆえに,人間が愛の生活をするようになれば,喜楽と和平が現れ,忍耐を通して慈悲と良善が現れ,忠誠の生活をすれば,融和と謙遜が現れるようになるという。和平,平安,和睦,平康,平和,太平などは愛の生活をすれば現れるのである。

  日本語版の『聖書』には ‘平和’,英語版のNew Testamentには‘peace’で,旧約,新約の区別なく一貫しているが,韓国版の『聖書』には‘平康’,‘和平’,‘平安’,‘平和’,‘和睦’,‘泰平’など多様に表記されるのは,神とイエス・キリストと人間の関係を‘平康’,人間と人間との関係を‘和平’,人間の心の状態を‘平安’などとうまく区別して表現しているといえよう。

  中国語版の『聖経』には,‘平安’が54か所,次に,‘和睦’と‘和平’がそれぞれ11か所,‘太平’が5か所で,残りの‘相和’,‘安静’,‘安然’が1か所ずつ表記されている。

2)『新約聖書』の平和観

   『新約聖書』における「平和」(eirene)も内容的にはshalomを継承しており,キリストはユダヤ人と異邦人を一つにして神と和解させ,敵意をなくし,平和の福音を告げる(「エフェソの信徒への手紙」2:14−17)。信徒らも神と主イエス・キリストからの恩恵と平和を伝え(「ルカによる福音書」10:5,「ローマの信徒への手紙1:7),抗争を警戒し,信仰による喜びと平和を述べる(「ローマの信徒への手紙」14:19)。

   『新約聖書』における平和の理解として重要なのは,『新約聖書』の共同体で頻繁に使用されている「平和の神」としての神の記述である(「ローマの信徒への手紙」15:33,16:20,「コリントの信徒への手紙1」14:33,「コリントの信徒への手紙2」13:11,「フィリピの信徒への手紙」4:9,「テサロニケの信徒への手紙1」5:23)。

  預言者や智者らが待ち焦がれていた平和は,イエス・キリストによって与えられることを願った。キリストの規範的な主張は,イエス・キリストが大きく嘆いたように,もし平和の勧告が受け入れられなかったとしても(「ルカによる福音書」19:42),イエス・キリストの到来によって世界の平和が告知されたというものであった。イエス・キリストは「平和を実現する人々は,幸いである,その人たちは神の子と呼ばれる。」(「マタイによる福音書」5:9)と明言している。

  平和の重要性は,「神がイエス・キリストによって―この方こそ,すべての主です―平和を告げ知らせてイスラエルの子らに送ってくださった御言葉」(「使徒言行録」10:36)に凝縮されている。平和の源泉は神自身であるため,それを受け入れる人には喜びをもたらすのであった(「ローマの信徒への手紙」14:17,15:13)。

   『新約聖書』ではルカ,パウロ,ヨハネが次のように平和の使いを告げている。

@ルカ;ルカは自らの福音書の中で「平和の王」であるイエスの姿を描いた。イエスは預言者らのような脅威を投げるだけでは満足せず(「ルカによる福音書」17:26-36),家族の構成員にも分裂をもたらしたのであった。イエスは戦いを根絶させるために来たのでなく,戦いに平和を,そして最後の勝利へと続く復活の平和を加えるために来たのであった(「ルカによる福音書」24:36)。弟子たちは世界の果てまでイスラエルの平和(pax israelitica)を輝かせるために働いた。彼らがこのような平和を告げることができるのは,神がイエスを通して平和を述べ伝え,イエスを万民の主として示したからであった。

Aパウロ;パウロは手紙の冒頭のあいさつの中で,‘恵み’とか‘平和’を併記しながら,平和の源泉が何であり,平和はいかにして永続するかを暗示した。しかし彼が,特に明示するのは平和と贖いの関連であった。キリストは,彼を信ずる者の平和そのものであるから,平和を異邦人とユダヤ人の二つの民を一つの体の中に和解させるのであり(「エフェソの信徒への手紙」2:14-22),また,神は,「その十字架の血によって平和を打ち立て,地にあるものであれ,天にあるものであれ,万物をただ御子によってご自分と和解させられたことを喜ぶのである。」(「コロサイの信徒への手紙」1:20)といわれた。

  義とされた信仰者はすべて,キリストによって神との平和を得ている(「ローマの信徒への手紙」5:1)。この神は,「愛と平和の神」(「コリントの信徒への手紙2」13:11)であり,彼らを根本的に聖化する(「テサロニケの信徒への手紙1」5:23)。愛や喜びと同じく,平和も聖霊の実である(「ガラテヤの信徒への手紙」5:22;「ローマの信徒への手紙」14:17)。平和は永遠の命を地上で体験させるものであり,人知では到達できないものであった(「フィリピの信徒への手紙」4:7)。

Bヨハネ;彼にとっても平和は,パウロの場合と同じく,イエスの犠牲の結果得られるものであった(「ヨハネによる福音書」16:33)。

 神が民の中に現存するところに最高の平和があるという旧約の教えに従い(「エステル記」37:26),ヨハネもイエスの現存こそ平和の源であり,実体であることを示した。弟子たちが師との別離を前にして悲しみにおそわれた時,イエスは,「平和をあなたがたに残し,私の平和を与える」(「ヨハネによる福音書」14:27)と言って,彼らを安心させる。この平和は,もはや彼の地上的現存とは関係なく,世に対する彼の勝利に結びついていた。

3.平和の根源

 以上で言及したように,平和は何よりも神からの贈りものであった。平和は,神が忠実な信者に絶え間なく与える加護を端的に表すものであった。

 キリスト教を信ずる者は,地上に一致と平和を確立するために努力する。地上に平和を建てようとする彼らは次の3つの指針を念頭に置きながら平和を追求する。

 まず,キリストが再臨してきた宇宙からその主権が確認された時,初めて決定的・普遍的な平和が訪れるというのである。次に,民族・階級・性の差別を超越する教会だけが地上において人々の間の平和の場・徴・源泉であるということである。最後に,神に対した,また人間同士の間で義を実行することだけが平和の基礎であるからであるという。

   『旧約聖書』と『新約聖書』を合わせた『聖書』は,「神の創造理想と堕落,そして復帰の道が隠された秘密の啓示書」であるといえよう。

  初期教会は,平和を重視して兵役を拒否する者や殉教者も出てきたが,コンスタンチヌス大帝以後,教会はキリスト教的な平和実現のための正当な武力行使を肯定し,アウグストゥスは聖戦論を展開した。その後,キリスト教諸派の中には再洗礼派(メノナイト,クエーカー)など,篤実な平和擁護派も存続したが,西欧からの平和思想は,各宗派よりもむしろエラスムス,モンテーニュなどの啓蒙思想家,モアなどのユートピア思想,スピノザ,カントなどのリベラルな思想家,フーリエ,オーエンなどの社会主義思想からマルクス主義者に継承された。

  道教,ジャイナ教,仏教など,アジア宗教の根幹には,節制,不殺生,非暴力などの平和主義がある。現代では,トルストイによるキリスト教的な受け身的な抵抗の思想からも影響を受けたガンジーの非暴力的な寛容と不服従運動が有名である。

  キリスト教においても,世界教会協議会アムステルダム会議(1948)で戦争が神の御心に反するものであると議決したし,エバンストン世界教会会議(1954)では,この議決がより具体化された形で表現された。

  韓国の国語辞典には,「平和とは人間集団(種族,氏族,国家,国家群)相互間に武力衝突が起こらない状態である」と出ている。また,日本の国語辞典である『広辞苑』には,@やすらかにやわらぐこと,おだやかで変わりのないこと,A戦争がなくて世が安穏であること,と出ている。

  元来,「平和」の平はhorizontal,和はharmonyを意味する。平和になるという言葉は主体と対象が互いに一つになることをいうのである。

  まず,「平和の基準を,心を中心にして体を完全に征服しなければならない」ことに置く世界平和統一家庭連合の文鮮明総裁は,「実際に平和を構築する必要な順序として,個人的平和の実現―>家庭の平和―>社会の平和―>国家の平和―>世界の平和を期待できるのであり,その理由は,個人が家庭の基本単位であり,家庭は社会と国家の基本単位であるからである。」と述べた。すなわち,「世界平和は個人個人の完成から始まり,個人個人が神の聖殿として完成した人間にならずしては,世界平和は芽生えないし,世界平和の出発点はまさにわれわれ一人ひとりである。」というものであった。さらに,「人類の真の平和のためには,絶対者を正しく理解することによって絶対者の愛を実現できるようになり,結局は,絶対者の絶対価値を実現できるようになる。」という結論に到達しているのである。

  次に,平和の根源は神である。神は愛の神であり,真の平和の源泉である。神の愛は生命の源泉であり,幸福の源泉であり,平和の源泉である。神は我々人類が願う真の希望の中心であり,真の理想の中心である。神は愛の王であり,理想と幸福と平和の王であるといわれた。

  最後に,神は平和の愛の園を成すために被造万物を創造された。楽しい中で人間と関係を結ぶために人間を造られた。永遠不変な愛の因縁のなかで造られた人間は,平和の中心となり,核心になりうる存在である。

  以上でみたように,自由と平等のすべてが実現された真の平和世界の実現は,真の愛の根源である神を求め,神と一つになることによってのみ可能なのである。

4.結論

  これまで『聖書』に表記された平和観に対して分析・検討した結果,次のような結論を得ることができた。

第1に,平和の根源は神である。神は愛の神であり,真の平和の源泉である。また,神は真の平和の中心である。平和は何よりも神からの贈りものであった。平和は,神が忠実な信者に惜しみなく与える加護を端的に現わすものであった。

第2に,神の計画によれば,人間は地上に平和をたてるために神に協力する義務があった。しかし,この協力は,人間が常に犯す罪によって満足なだけの効果を出すことができなかった。

第3に,平和は,イエス・キリストの犠牲の結果得ることができるものであった。預言者や智者たちが待ち焦がれていた平和は,イエス・キリストによって実際に与えられることを願った。キリスト教の規範的な主張は,イエス・キリストが大きく嘆いたように,たとえ平和の勧告が受け入れられなかったとしても,イエス・キリストの到来によって世界の平和が告知されたというものであった。

第4に,キリストが再臨して全宇宙からその主権が確認された時,初めて決定的・普遍的な平和がおとずれるというものである。

第5に,イエス・キリストは,神の愛を人間に連結させる仲保の役割を果たした。人間が愛の生活をするようになれば,『聖書』に表記された「平和(peace)」を意味する‘和平’,‘平安’,‘平康’,‘平和’,‘和睦’,‘泰平’などが表れるようになる。

第6に,日本語版の『聖書』には‘平和’,英語版の NEW AMERICAN STANDARD BIBLE には‘peace’で旧約・新約の区別なく一貫しているが,韓国語版の『聖書』には‘和平’,‘平安’,‘平康’,‘平和’,‘和睦’,‘泰平’など多様に表わされるのは,また,中国語版の『聖経』には,‘平安’,‘和平’,‘太平’,‘和睦’など多様に用いられており,神とイエス・キリストと人間の関係,人間と人間の関係,人間の心の状態などをうまく区別して表現しているからであるといえよう。

(2008年12月11日受稿,2009年1月12日採録)