オバマ政権と日米同盟関係の課題



同志社大学教授  村田 晃嗣


 4月29日にオバマ政権は就任100日目を迎えた。政権発足から100日目はその政権を占う試金石といわれるが,その日オバマ大統領はミズーリ州アーノルドで,100日間を振り返って演説を行なった。その中で,「われわれは立ち直りのきっかけをつかみ,体についた埃を払いのけ,アメリカ再生に取り組み始めた」と述べて,変革への自信を表明した。同時に,「これまでの8年間にうまくいかなかった政策に固執し続けることは,超党派的姿勢ではない」とも述べ,共和党の党派的抵抗に対してオバマは一定の距離を置き超党派的姿勢を示した。

 4月22日〜26日にかけて,CBSテレビとニューヨークタイムズが実施した共同世論調査によると,オバマ大統領の支持率は68%。向後1期4年間のオバマ政権について「楽観視している」と答えた人が72%であった。これらの結果を見ても,政権発足後100日を経て,高い支持率を維持していることがわかる。そのような国民の支持が,彼の強気の発言につながっていると思われる。

 米国初のアフリカ系アメリカ人大統領誕生として熱狂的に迎えられ,依然として支持率が高いわけだが,ここにきてある程度冷静にその政治について議論できるようになってきた。


1.オバマ登場の意義

 最初にオバマが米国大統領として登場してくる背景について,国際的次元,国内的次元,個人的次元など,三つの観点から論じて見たい。


(1)国際システムの視点

 2001年9月11日に同時多発テロが起こり,ブッシュ政権は「テロとの戦い」を宣言して新しい戦争を展開するようになった。冷戦を事実上の「第三次世界大戦」と見なせば,冷戦の象徴であったベルリンの壁が1989年11月9日に崩壊し,その12年後に,「テロとの戦い」という「第四次世界大戦」ともいうべき事態が始まったことになる。

 今になって振り返ってみると,11.9(1989年)から9.11(2001年)までの12年間は「戦間期」といえるものであった(この視点は米国の学者が指摘している)。さらに言えば,この11.9から9.11への「戦間期」の中に,湾岸戦争(1990〜91年)とイラク戦争(2003年)が起きた。これらがきわめて密接に結びついていることは言うまでもない。その二つの戦争の間(1991〜2003年)も「戦間期」とみることができる。

 冷戦からテロまでの大きな「戦間期」と,湾岸戦争からイラク戦争までのもう一つの「戦間期」という,いわば「二重の戦間期」を人類は経験したと解釈することができる。

 最近,東京大学の田中明彦は,『ポスト・クライシスの世界―新多極時代を動かすパワー原理』(日本経済新聞社)という著書を著し,次のような主張をした。

 ベルリンの壁の崩壊を冷戦終結のシンボルとして考え,1989年から2009年までの20年を「新・危機の二十年」と規定した。かつてE.H.カー(Edward H. Carr)が両大戦間(1919-39年)を「危機の二十年」としたのを倣ったものだ。

 この「新・危機の二十年」の間に,テロ,アフガン,イラクでもって,強い米国が挑戦を受け,米国の軍事的優位は消耗し後退を余儀なくされた。さらに市場経済原理主義が行き詰まりをみせ,経済面でも米国の優位性に陰りが見られるようになった。米国が進めてきたグローバリゼーションがテロの脅威を受け,米国の力の限界が「新・危機の二十年」の後半に見えてきたのである。

 また在米インド人ジャーナリストのファリード・ザカリア(Fareed Zakaria)は,Post American World(邦訳『アメリカ後の世界』)を著して,次のように指摘している。

 過去500年間の歴史の中で,世界は二度の大きな権力シフトを経験した。すなわち,最初が西洋の台頭,次が米国の台頭で,現在,三度目の権力シフトが起きつつある。この権力シフトは,国を特定できる性質のものではなく,「米国以外のすべての国」の台頭である。それは米国の没落・凋落を示すものではなく,米国的システムが成功したために,それを世界の国々が模倣することにより米国以外のすべての国が台頭し,その結果,米国の力が相対的にそがれている。

 ただし,彼の議論は,昨秋のリーマン・ブラザース破綻以前のものなので,もし金融危機以降に彼が議論を展開した場合には,もう少し別の展開があったかもしれない。いずれにしても,大きなパワーシフトが起こっていることを指摘したことは,重要な点である。

 同様に,米外交問題評議会会長のリチャード・ハース(Richard N. Haas)も,“The Age of Non-polarity: What Will Follow U.S. Dominance”という論文を外交雑誌(Foreign Affairs May/June 2008)に発表して,次のように主張した。

 国際システムが19世紀の欧州を中心とする多極から20世紀後半には米ソ二極(双極)に移行し,冷戦の終焉で米国一極(単極)となった。ところが,ブッシュ政権の8年間で軍事的・経済的な行き詰まりを迎え,米国一極も動揺し,今や「無極の時代」が到来しつつある。

 彼によれば,現在の国際システムの基本的特徴は国がパワーを独占する時代が終わり,特定の領域における優位を失いつつあることである。米国による一極支配体制は終わり,無極秩序の時代に世界は足を踏み入れつつある。中国やロシア,インドなどの国も,今後一極となることはできず,米国の代替機能を果たすことはできない。

 「極」という発想はそもそも主権国家を軸にした考え方であるが,21世紀のこれからの国際政治は,非主権国家によって左右される「無極」(non-polar)といわれる世界になる。協調によって無極化という現象を覆せるわけではないが,それでも,是々非々の協調は状況を管理する助けになるし,国際システムがこれ以上悪化したり,解体したりしていくリスクを抑え込むことができる。

 これらの議論はいずれも,国際システムの大きな変動を指摘しており,軍事的にも経済的にも米国の優位が後退しつつあるとの共通認識を示している。国際システムの変動と米国の国力の後退を前提条件として,国際協調や多国間の枠組みを否が応でも必要とされる時期に,オバマ大統領が登場したので,ある意味でそこには「必然性」があったと思われる。


(2)国内政治の視点

 1980年代以降,米国政治の保守化傾向が進展した。とくに1980年代のロナルド・レーガン(Ronald Reagan)大統領の時代から,米国の保守化は着実に進行した。保守にもいくつかの側面がある。

 一つは,冷戦構造の枠組みの中でソ連に対して力の優越を確立し,強い米国を回復しながらリーダーシップを取り戻すという考え方である。すなわち,外交・安全保障面での強い米国という保守主義である。二つ目は,小さな政府を強調し自由競争に委ねるという経済保守主義である。さらに,家族の絆やキリスト教的価値観を重視する宗教保守(社会保守)がある。

 これらがレーガン時代に連動しながら,大きな政治勢力に発展していった。その結果,「リベラル」という言葉が米国政治の中で小さくなっていった。その到達点が,ジョージ・ブッシュ政権であった。

 ブッシュ大統領は誰よりもレーガンを模倣しようとした。父ブッシュに倣うよりも,第二のレーガンになろうとしたほどだ。そのためブッシュは,時として「レーガンの弟子」,「レーガンの息子」と称された。

 この保守的なレーガン路線が,ブッシュ時代に行き詰った。すなわち,力の外交が破綻し,今回の経済危機によって経済保守も行き詰った。残る宗教(社会)保守にも変化が現れてきた。キリスト教原理主義勢力がそれまでと比べて組織力を弱体化させてきた。さらに宗教保守の中でも,ブッシュ政権が地球環境問題について冷淡であったことを反省する新たな勢力が出てきた。

 1974年ごろから2008年ごろまでを,ある米国の歴史家は「レーガンの時代」と呼んだが,その30年に及ぶ保守化の流れが歴史的サイクルを描ききったところに,オバマが登場したといえる。

 もとより,このような歴史的視点に立たずとも,米国の二大政党制に着目すれば,共和党から民主党への政権交代は,多分に予想可能であった。二期8年の共和党政権の次に,民主党が出てくるのは比較的常識的なパターンである。戦後同じ政党が三期連続でホワイトハウスを占有したのは,レーガン政権二期のあとに父ジョージ・ブッシュ(George H. Bush)副大統領が大統領を一期務めた時だけである。三期連続が可能であったのは,多分にレーガンの高い人気によったのである。

 それ以外の政権交代の黄金律としては,現職大統領の支持率である。現職大統領の支持率が高ければ,次期大統領選挙は与党に有利になる。しかし,ブッシュ大統領は,近過去ではニクソンに次ぐ低い支持率で退陣したので,ブッシュ与党の共和党には不利に働いた。もう一つは景気である。景気がよければ政府与党に有利だが,景気後退期には政府与党には不利に作用する。

 とくに昨秋以降の経済危機は,オバマ大統領誕生に大きな後押しとなったことは間違いないだろう。レーガン以来の保守政治の行き詰まりと米国の国際政治における後退という長期的な政治潮流の変化と短期的な政権交代の可能性が合流したところで,オバマ政権は誕生したのである。

 オバマは1961年生まれだが,これは南北戦争勃発100年目に当たる。リンカーンが始めた南北戦争後100年後に生まれたアフリカ系米国人であるオバマが,いま米国大統領になったわけだ。これは,過去1世紀半に及ぶ米国の公民権運動が一つのサイクルを完結したことを意味していよう。

 オバマもリンカーンと同じくイリノイ州選出の上院議員から大統領に転じ,米国の団結を政治目標としている。リンカーンは南北戦争を乗り越えて国の統一を進め,オバマは「黒人の米国も白人の米国もない。一つの米国」を主張した。

 オバマが生まれた1961年はもう一つ,ジョン・F.ケネディが大統領に就任した年でもある。ケネディは史上初のカトリックの大統領で,オバマと同様に若くハンサムで雄弁であった。ケネディが宗教の壁を破ってホワイトハウス入りを果たした年にオバマは生まれ,今度はオバマが人種の壁を破ってホワイトハウス入りを果たしたのである。

 そもそも,米国社会の人種構成はますます多様化しており,2050年ごろには白人が人口の過半数を割ると予想されている。そのような大きな流れから言えば,白人がマイノリティー化しつつある一方で,アフロ・アメリカン,ラテンアメリカ系,アジア系などが増加している。つまり,オバマ大統領の登場はマイノリティーのマジョリティー化という米国社会の人口学的変化,多様化を反映したものだ。将来的には女性,あるいはアジア系やラテンアメリカ系,さらに同性愛者の大統領が誕生する可能性すらあろう。これは変化の始まりである。

 実際,オバマ政権は,閣僚の起用に当たっても,性別,出身地などを周到に考えている。現政権の白人男性の閣僚は50%を若干上回る程度で,歴代政権の中で最も白人男性が少ない構成となっている。

(3)オバマ個人の視点

 2001年にブッシュ政権が発足した当初,ビル・クリントン(William Clinton)前政権への反発から「クリントン以外なら何でも」(ABC: Anything but Clinton)という姿勢をとり,自らのアイデンティティを見出そうとした。政権政党が交代する際に起こりがちな現象である。ブッシュの場合は,父ブッシュを破ったクリントンという意味もあって,クリントン否定を鮮明に打ち出した。

 オバマもブッシュ前政権の外交や内政を厳しく批判しているが,「共感」(empathy)を重視する姿勢も維持している。いくらブッシュとものの見方が違っても,ブッシュの見る世界を基本的に理解する必要があるとの姿勢も見せる。

 オバマ個人の意向は別にして,ブッシュ退任時の極端に低い支持率,国内外の嫌ブッシュ感情を考慮すれば,「ブッシュ以外なら何でも」(ABB: Anything but Bush)という感情がオバマ登場に結びついたことは間違いない。

 ワシントンの経験を持たずに,民主党所属の黒人で,寛容を謳うリベラルな政治家として,オバマほどブッシュと対極にいる人物はいない。ブッシュから最も遠い位置にいた人物が大統領に選ばれたわけだ。

 オバマ個人に関して言えば,彼は2004年に連邦上院議員に初当選し,国政の経験4年で大統領に就任した。黒人の大統領誕生という面よりも,この点の方がわたしとしては意義深いと考える。

 オバマは1996年からイリノイ州議会議員を務めていて,2000年の連邦下院議員選挙に立候補したが選挙に敗れた。その理由として,「オバマは十分な黒人ではない」と(黒人有権者の中で)いわれた。同年は大統領選挙の年であり,ロサンゼルスでの民主党大会に参加すべく,オバマはシカゴからロサンゼルスに向かった。空港から会場までレンタカーを借りようとしたところ,さきの連邦選挙で5万ドルほどの借金をしたためにクレジットカードが(限度を越えていて)使えなかったという逸話がある。このような状況にあった人物が,8年後に米国大統領に選ばれるという,米国の政治的ダイナミズムを感じるところだ。

 ひるがえって,最近「世襲議員の是非」について議論されているという日本の政治的閉塞状況を考えてみるときに,日米の大きな落差を感じざるを得ない。

2.オバマ政権のアジア太平洋政策

 前述のような背景から誕生し,変革を訴えているオバマ政権であるが,ことアジア太平洋政策に関しては「変革」よりも「継続」の面が多いように思う。

 北京オリンピック開会式前日の2008年8月7日,ブッシュ大統領は訪問中のタイの首都バンコクで,在任中の東アジア政策を総括する演説を行った。同大統領は「アジアの主要な国々と同時に関係強化を果たすことができた」とその成果を自画自賛した。とりわけギクシャクしていた米韓関係が,李明博大統領の登場によって対米関係重視に進んでいる。台湾も中台関係の安定志向の馬英九総統が登場して,米国としては好ましい状況にある。アジア政策で唯一うまくいかなかった国としてミャンマーを挙げたが,全般的なアジア政策はうまくいったと評価したのである。

 中東政策や経済政策その他においてブッシュ政権がネガティブに評価される中で,数少ない成果を誇れる政策がアジア政策であった。その分,アジア政策に関しては継続という側面が強くなることは当然であろう。

 米国大統領選挙期間中,アジア政策に関してはほとんど争点にならなかった。選挙期間中にオバマが日本のことにだけ言及したのは,わたしの知る限り,1回であったと思う。そしてその期間にブッシュ政権のアジア政策との違いとして強調したのは,「地域協力の機構ないし枠組みを創出する必要がある」という点だ。多国間枠組みについて熱心だという姿勢を示した。北朝鮮問題についても,それゆえ六カ国協議やテロ国家指定解除措置について支持を表明した。

 オバマの大統領当選前に経済危機が起きたので,オバマ政権の最大の課題は経済危機への対処であって,アジア政策のみならず外交全般に大統領自身が割ける時間・労力・エネルギーは相対的に低下せざるを得ない。その中でアジア情勢は比較的安定しているので,アジア政策の優先順位は当然下がることになる。

 一方,イスラエル・パレスチナ問題,イラク・アフガン問題,パキスタン問題など,緊急性の高い課題が山積する中で,政権が出動している。

3.日米関係の課題

 政権発足後の今年2月,クリントン米国務長官が最初に日本を始めとするアジア諸国を歴訪した。これは形の上では日本が重視されているように見えるのだが,果たして実際はどうなのかと質してみると,疑問を持たざるを得ない。

 バイデン副大統領は欧州を,ジョージ・ミッチェル特使(上院議員)は中東地域を,リチャード・ホルブルック元国連大使はアフガン・パキスタンを,それぞれ訪問した。これはオバマ政権が手分けして外交を行なっているだけで,難しいところを消去法で除いていくと比較的問題の少ないアジアがクリントン長官の訪問地として残ったと皮肉に言うこともできるかもしれない。

 また北朝鮮担当特別代表は,ベテランの外交官であるボズワース(S.W. Bosworth)だ。しかし彼は,現在米国タフツ大学の学部長を務めており,政府特使はむしろ非常勤扱いである。このような政治的ウェイトを考えると,北朝鮮問題は「様子見」という感が強く,中東,アフガン・パキスタン問題に比べ数段階低いといわざるを得ない。

 日本の麻生首相は,今年2月25日,大統領就任直後にオバマ新大統領と最初に会談した。しかし,ランチョンも晩餐会もなく,通訳を入れて1時間の会談,会談後の記者会見もなしというもので,形式的にいえばかなり「軽い」首脳会談,最近の日米首脳会談の中では最も軽いものであった。オバマにとっての最初の外国首脳との会談であるという形式を重んずるよりは,やはり中身を重視して対応することが大切ではないかと思う。

(1)アフガニスタン・パキスタン問題

 アフガンへの自衛隊派遣問題は大きな日本の外交課題である。オバマ政権も,日本の現在の政局の中で無理に自衛隊のアフガン派遣を求めて,自衛隊に犠牲が出る形で日米同盟関係を傷つけるよりは,もっと「実」を取るのではないかと考える。つまり,経済支援や民生協力などで日本が大規模に協力できるのであれば,自衛隊の物理的派遣にこだわらないような柔軟な発想を持っているのではないか。

 またアフガン問題は,隣国のパキスタン政策もあわせて考えなければならない。日本の外務省は,アフガンの警察官の半年分の給与を日本が負担するという支援案を提示したが,これは総額いくらの支援をすると表明するよりも,米国や世界の世論に対するインパクトが大きい。また日本の世論に対しても説得力を持つものだ。このように費用対効果の高い協力方法,広報活動は,アフガン・パキスタン問題に関しても,日本政府としてもっと考えていく必要があるだろう。

(2)北朝鮮問題

 去る4月5日に日本の領空を通過する北朝鮮によるミサイル発射実験があったが,この件に関する日本政府の対応について私は危惧する点がいくつかある。

 それは,かなり極端に世論の恐怖感に便乗したのではないかという点である。日本の領空をミサイル(飛翔体)が通過し,もしかするとその破片が落下して,国民の生命と財産に危害が及ぶかもしれないという心配は理解できないことではないが,ミサイルが日本の特定地域をめがけて発射されたわけではない。マスコミでも「迎撃」という言葉が使われた上,あたかも北朝鮮が日本を攻撃してくるかのような誤解を生む報道が多かった。そして「迎撃」のための地対空誘導弾ミサイルPAC3を首都圏および東北地方に配備するプロセスをすべてテレビカメラが報道した。安全保障の観点からすると,軍事専門家でなくてもこれは果たして賢明なことかという疑問を持たざるを得ない。

 今回のような状況であれほど騒ぐとすれば,本当にわが国が外国の攻撃のターゲットとされた場合には,日本の世論がその危機に耐えうるのか,危惧されるところだ。

 日本にとって,朝鮮半島の問題(拉致,北朝鮮の核・ミサイル開発等)は,安全保障上の直接的な危惧であり憂慮すべき問題である。しかし,最近の米国の北朝鮮に対する姿勢を見ていると,われわれ日本人にとっての直接的関心事である朝鮮半島問題では,日本は米国に見捨てられてしまうのではないかとの懸念を持つ。一方,アフガン・パキスタン問題の重要性は頭で理解できても,日本から物理的にきわめて遠い地域に対して,米国から人的・財政的協力を要請されることは,一般世論からすれば,日本が米国のグローバル戦略に巻き込まれてしまうという不安感を生むことになる。このように,日米間には心理的な距離感がかなりある。

 グローバルな問題では米国の戦略に巻き込まれ,ローカルな問題では米国に見捨てられるという二つの懸念(恐怖)が同時に襲ってきた場合には,日米間の信頼に深刻な問題を投げかけることになるだろう。それをどのように対処していくかが,日本政府の大きな課題である。

 朝鮮半島問題に関する米国の対応に対して憤慨することは簡単だが,それとは別に,日本として独自のしっかりとした戦略を持っているのか,その点も問われてくるだろう。例えば,拉致問題について一体どのような状況になれば,日本政府および日本国民は,拉致問題が進展あるいは解決したということができるのか,その定義をきちっとしない限りは,今後いかなる交渉が展開するにしても先が見えなくなるのではないかとの危惧を抱かざるを得ない。

(3)国際貢献

 アフガン・パキスタンへの自衛隊派遣問題に限らず,今後日本が国際貢献・協力をどのようにすべきかという点について,真剣に検討しておく必要がある。

 例えば,世界に展開する国連PKOの人員数は全世界で11万2000人,そのうち日本人(自衛官)は40人で,世界で79位という現実がある。またODAの額にしても,いまや世界第5位まで転落してしまった。日本は国連安保理常任理事国入りを目指しているが,このような現実にあってやっていけるのかとの疑問もある。

 一方,地球環境・エネルギーなどグローバル問題では,今まで以上に日本は米国と積極的に協力していける余地は大きいと思う。さらにこの問題で,中国を巻き込むことを積極的に考える必要がある。

 排他的経済水域の面積で見ると,日本は世界第6位の面積を有する「海洋大国」である。海洋分野で,環境,資源開発その他さまざまな面で日米協力をどうすすめるべきか。これもまた,中国や韓国をも巻き込むことのできる可能性のある分野として大いに検討されるべきものだろう。

4.最後に

 去る4月にオバマ大統領は,チェコの首都プラハで「核兵器なき世界」の実現に向けた演説を行なった。しかし,自分が生きている間にそれが実現するとも,さらには米国が核を放棄するとも言及しておらず,慎重な面も残している。とはいえ,米ロが核軍縮に向かっていることは間違いない。このとき中国をどこまで巻き込んでいけるのか。米ロの戦略核の水準が1000前後になったときに,米国の核が中国のそれに対して抑止力を持つのか,ということもあるので,中国をいかに巻き込むかは重要な課題だ。

 最近日本でも話題になっている「核武装論」について一言述べたい。去る4月5日の北朝鮮によるミサイル発射実験を受けて,日本の安全保障体制に多角的な見直しは必要である。しかし,ここから安直に核武装論を導き出すべきではない。

 そもそも核が抑止効果を持つためには,意思の表明だけでは不十分で,その意思に伴ってどのような手順で核武装ができるのか,その方法論,信憑性を明らかにしない限りは,本当の抑止力を持つことにはならない。方法論を持たない核武装論をリーダーが展開することは,悪意を持った外国勢力にネガティブ・キャンペーンの口実を与えかねない。これでは逆に,日本の国益を害する結果を招いてしまう。

 念のために言うが,私は核武装論を議論することを否定しているのではない。目的と手段との「生き生きとした対話」の必要性を喚起しているのだ。

 北朝鮮の脅威に対応する上で,核武装が最も妥当な選択か,核武装に伴うリスクやコストは何か,さらにはどのような方法でどのような種類の核武装を行なうのか――こうした論点を十分に検証しなければならない。核武装は「劇薬」であり,場合によっては日本国の存亡にかかわる。愛国心をもった人間なら,思いつきだけで議論はできないはずである。

 方法論を持たない核武装論をいつまでも繰り返せば,日本は,米国が大きく核軍縮の流れに向かう中で,その時代的潮流に乗れなくなってしまうだろう。方法論がないので核武装もできず,一方周辺国からは「軍国主義,対外拡張主義復活の日本」などと厳しい目で見られてしまう。このような何重もの不幸を背負うことになりかねない。

 外交・安全保障の問題は優先順位(priority)の技術(art)であって,何により高い優先順位を置き何を後回しにすべきかを考えることが戦略である。国際政治の構造が大きく変革し,米国外交が大きく路線を転じようとしているときに,国内政治状況もあって日本はテンポが遅れつつある。それゆえ今こそ,長期的ビジョンと優先順位,現実的方法論を持って日米関係の仕切りなおしが必要であると考える。

(2009年5月1日)

参考文献

○バラク・オバマ,棚橋志行訳『米国再生―大いなる希望を抱いて』ダイヤモンド社,2007年。

○Derek Chollet and James Goldgeier, America Between the Wars: From 11/9 to 9/11; Misunderstood Years Between the Fall of the Berlin Wall and the Start of the War on Terror (NY: Public Affairs, 2009)

○田中明彦『ポスト・クライシスの世界―新多極時代を動かすパワー原理』,日本経済新聞社,2009年。

○E.H.カー,井上茂訳『危機の二十年―1919-1939』,岩波文庫,1996年。

○ファリード・ザカリア,楡井浩一訳『アメリカ後の世界』徳間書店,2009年。

○Lou Cannon and Carl M. Cannon, Reagan's Disciple: George W. Bush's Troubled Quest for a Presidential Legacy (NY: Public Affairs, 2008).

○Sean Wilentz, The Age of Reagan: A History 1974-2008 (NY: HarperCollins, 2008).

○クリストフ・フォン・マーシャル,大石りら訳『ブラック・ケネディ―オバマの挑戦』講談社,2008年。

○村田晃嗣+渡辺靖『オバマ大統領―ブラック・ケネディになれるのか』文春新書,2009年。