文明の衝突を超える世界観

―超国家的公権力構築を目指して


元駐マダガスカル・トルコ・ミャンマー大使 山口 洋一



1.歴史についても今日の出来事に

  ついても<思いこみ>には要注意

 私が40年わたる外交官人生を送る中で一番痛感したことは,ものごとを一面的に捉えてはいけないということであった。われわれの多くは自国で生まれ育つ結果,どうしても自国の価値体系,発想の中でものごとを捉えるようになる。しかし,一旦海外に出て現地の人々と交流してみると,自分の価値観だけでものごとを理解することが正しいとは限らないことがわかる。つまり,一面的理解を超えて,総合的に全体像をきちっと見極めることの重要性に気づく。簡単に表現すれば自分たちの見方とは違った視点があることをわきまえる必要があるということだ。

 これまでの私の経験からいうと,われわれ日本人はどうしても欧米人の「色眼鏡」を通して世の中を見てしまう傾向があるので,果たしてそれでよいのか考え直す必要がある。世の中で通用しているあらゆる理念について,特定の価値観のみを絶対視するのではなく,世界中の種々異なる価値観と対比させて,じっくり吟味してかからねばならないと感じる。どのような事柄であれ,一面的な受け止め方では,どうしても偏った,不正確な<思いこみ>に陥る危険があるので,この点についての注意は怠ってはならない。


(1)十字軍についてのさまざまな視点

 いくつか実例を挙げてみよう。最初に,歴史認識をめぐって多くの日本人が陥っている<思いこみ>の例として,十字軍を取り上げて考えてみる。

 歴史は主観の産物であり,歴史を語る人の置かれた立場や状況の違いによって,同じ史実でもがらりと異なった形で描かれることになる。その典型的な例が十字軍である。

 日本の学校で学ぶ「十字軍」についての一般的理解は,「中世ヨーロッパの騎士たちが,ローマ法王の呼びかけに応えて,イスラームに支配されている聖地エルサレムの奪回を目指し,異教徒への聖戦に立ち上がった。」というものであろう。この理解では,イスラームは聖地エルサレムをのっとってしまった粗暴で残忍な悪者として扱われ,身の危険を冒して馳せ参じた十字軍の騎士たちは,宗教的使命感に燃えた高い志の人たちだとされる。

 しかし,一方のイスラーム側からみた十字軍は,逆に「ヨーロッパの蛮族がイスラームの地を荒らしにやってきて,殺戮・強奪・放火など暴虐の限りをつくした。」となる。

そもそも十字軍の発端と経緯の概略は次のようであった。

 11世紀に勢力を拡大してきたトルコ族のセルジューク朝は,11世紀後半に小アジアへの進出を本格化させ,ビザンチン帝国領は小アジアから徐々に後退を余儀なくされた。こうした危機的状況に当面したビザンチン皇帝は,思い余って,永年張り合ってきたローマ法王に救援を求めざるを得なくなったのである。

 もともとコンスタンチノープルの東方正教会とローマ・カトリック教会とは,その分派の経緯からもわかるように歴史的に深い対立関係にある。東西に分かれたキリスト教会は,互いに張り合って,ことあるごとにもめごとを起こしてきた。それゆえビザンチン皇帝がローマ法王に救援を求めるというのは,よくよくのことなのである。

 要請を受けた野心家の法王ウルバヌス2世は,これを法王権の強化を図る好機到来ととらえ,さらにあわよくば東西教会の統一を策する野望すら胸に秘めて,公会議を開き1096年の遠征開始を決議した。

 1097年春までに,フランク人とノルマン人を主力とする15万人がコンスタンチノープルに集合した。その中には,領地獲得を狙う貴族,金儲けに奔走するイタリア商人,冒険野郎などさまざまな思惑を抱いた烏合の衆が混ざっていた。食うに事欠いて一緒に来てしまった女たち,現代流に言えば従軍慰安婦も5000人いた。これが第一次十字軍の実態である。

 表看板は「ビザンチン帝国の救援」であったが,一旦活動を開始すると,彼らは独自の行動を起こし,やがて半ば盗賊団のように小アジアからパレスチナ一帯を荒らしまわった。こうしながらも1099年にエルサレムに達した十字軍は,ここにエルサレム王国を建てた。この王国は88年間持ちこたえるが,やがてエジプトのサラディンに奪還されてしまう。

 その後も,エルサレム再奪還を期して遠征が試みられたが,第5次十字軍のときに一時聖地回復ができただけで,結局第7次まで繰り返した十字軍遠征はことごとく失敗に終わった。174年に及ぶ十字軍の行動を見ると,本来の聖戦とはかけ離れた,無軌道な振る舞いがいかに多かったか。残虐行為,掠奪,裏切り,協定違反,内部抗争などどれほど行なわれてきたか,とても語りつくせるものではない。

 当時のイスラーム世界を見てみると,8世紀中葉から13世紀初頭までは,イスラーム諸国が世界における文明の中心であり,主な伝播者であった。しかも彼らは古代の科学や哲学を復興させ,手を加えた上で伝播させ,ついにはヨーロッパのルネサンスを誕生させる媒介となったのである。十字軍が始まった11世紀には,イスラーム文明は最高水準にあった。当時のヨーロッパ文明はイスラーム世界に比べると,未だはるかに低い発展段階にあり,当時のヨーロッパ人がイスラーム世界の人たちから「野蛮人」と見られたのも無理はなかった。

 十字軍の受け止め方が異なるのは,イスラーム世界ばかりではない。コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)を本拠とする東方正教会も,十字軍をまた別の目で見ている。

 ビザンチン帝国の流れを受け継ぐと考えられる現代ギリシアの人たちは,本音では自分たちこそ古代ギリシア文明の後継者であると自負している反面,古代ギリシア以降の歴史では,古代ローマをはじめ外部世界からの干渉,侵略,支配を受けてきたという被害者意識を感じている。そしてこの被害者意識は,相手としてオスマン帝国を念頭におく場合には,トルコ人に対するあからさまな嫌悪感となって顕在化する。他方,西欧を意識すると,西欧人が古代ギリシア文明の受益者でありながら,その後継者たるギリシア人を疎んじ,ないがしろにし,敵対すらしてきたのは何たる忘恩と感じて,ことさら複雑な屈折した感情となっている。

 しかし今日,ギリシアはEUやNATOの一員であり,西欧中心路線を歩む国となっているので,国民の多数は親欧米派である。したがって彼らの本音は上述のようだとしても,厳しい欧米批判を耳にすることはあまりない。

ただ,一部の現代ギリシアの論客の中には,次のように本音を吐く者もいる。

 「ビザンツ・ギリシアは外敵に囲まれて崩壊した。その没落はトルコの襲撃ではなく,西方の拡張主義によるものであった。ビザンツはイスラム勢力に対抗するため,イタリア諸都市の支援を要請したのだが,そのつけは高くついた。・・・十字軍は,西欧初の帝国主義的な外征であり,当時西欧を悩ましていた経済・社会的な危機のはけ口を征服に求めたのだった。・・・西欧の真の目標は,エルサレム解放ではなく,コンスタンチノープルだった。かれらの現実の目的は,アジアへの通商路だった。」(注1)

このような事実は,日本ではあまり知られていない。


(2)今日の出来事としてイラクの例

 現代の出来事に関しても,<思いこみ>による早とちりについては同様だ。

 イラク戦争に関して,その開始時にブッシュ大統領は「イラクは大量破壊兵器を隠している。テロリストの巣窟になっている。」などを理由に開戦したわけだが,現在ではそれらはみな根拠のないことが判明している。その後,同大統領は軌道修正して「サダム・フセインを倒してイラクを民主化する」という旗を掲げた。

 現地のアラブ人たちの立場に立って考えてみると,大迷惑な話である。米国人たちがやってきて米国の正義をかざし,その価値観を押し付けたに過ぎない。民主主義について米国人は「universal valueだ,人類にとって普遍的な正義だ。」と主張する。しかし,イスラーム社会の多くは族長を中心とする部族社会であり,民主主義にはなじまない社会だ。

 譬えて言えば,日本の戦国時代に欧米人がやってきて織田信長のような戦国武将に対して「戦いを止めて,民主主義制度をやれ。」というようなものだ。歴史上どの時代,どの国でも,国造りの役割を担うリーダーは,その国のおかれた状況の中で,最善を尽くしてきた。国のおかれた実情を無視して,民主主義制度を何の基盤もないところに接木しても始まらない。いまのイラクもこれと非常に似た状況にある。

 ブッシュがサダム・フセインを倒して勝利宣言をしたころ,現地の人たちの間でいわれたことわざがあった。「一夜の無政府状態よりは百年の圧政の方がましだ」というもの。それは彼らの真実の思いでもあったわけだ。

 欧米で「テロ」と称するものを,アラブ人たちは「抵抗勢力」による行動と受け止めている。不当な権利侵害に対する,人民の権利行使として行動する人たちのことを抵抗勢力と呼び,その最たるものがパレスチナの人たちの,イスラエルによる占領地の回復運動,「インティファーダ」だ。エジプトの「アル=アーラム」という高級紙ですら「テロ」という表現は一切用いていない。このような見方もあることを知っておく必要がある。


2.欧米の価値観を鵜呑みにする

  のは問題

(1)ミャンマーのケースを考える

 西洋人が信奉してきた,自由,平等,民主主義,人権尊重,市場経済といった基本理念の中には,非西洋世界にも妥当する普遍的価値を備えた好ましい考え方や概念がたくさん含まれていることは疑いない。しかし,それがどの国にも機械的にそのまま当てはまるわけではないことも真実である。

 私は,それぞれの国や民族のおかれた実情に即して,その中での最善とは何かを追求しつつ政策を進めることが,現実主義的政治ではないかと思う。例えば,民主主義は,一つの統治形態としてこれを実施するのに適したような前提条件が整えば導入するのも結構だ。その前提条件としては,外敵の侵入がない,内戦がなく国民の安全が確保されている,国民が最低限飢え死にしないよう経済がきちっとしている,などがまず不可欠であろう。それが満たされた上で,国民の政治意識,教育水準などの条件が備わる必要がある。そこで初めて民主主義制度が導入されれば,うまくいくだろう。しかし,やみくもに形だけ民主主義を導入せよと言っても,うまくいくはずがない。

 今日のミャンマーについて考えてみるならば,現在の軍事政権は,彼らなりに自国にとって一番良かれと思う体制作りに取り組んでいる。この国の歴史や文化,国民性を理解せぬままに,ただ欧米流の価値観一辺倒の<思いこみ>から軍政を非難,攻撃するのは,全く見当違いの迷惑千万な内政干渉と言うほかない。そのようなことをしても,問題解決につながらないばかりか,かえって好ましい方向に向けての情勢の進展の妨げにすらなる。われわれはもっとミャンマー人の心をつかみ,彼らの切実な思いに耳を傾けなければならない。

 欧米・日本のマスコミは,軍事政権=悪玉ときめつけて報道しているが,実は軍政の人たちも最終的に目指すところは欧米が唱えるような民主的国家体制なのだと明言している。ただ,それを今日明日,ただちに実現しろといっても,前述のような前提条件が整っていないために難しい実情にある。つまり,最終到達点までのプロセスにおいては,ミャンマー流のやり方で進めるという考え方なのである。

 彼らはこの考え方に立って,民主化への七段階のロード・マップというものを打ち出した。まず憲法を制定し,総選挙をやって民政移管するというプロセスであり,現に,憲法が制定されて来年には選挙が行なわれる予定になっている。しかし,このプロセスでは民政移管後も,軍人がすっかり手を引いて兵舎に戻るのではなく,軍もある程度は政治に関与する部分を残す。例えば,憲法には国防大臣,国境治安大臣,内務大臣の三大臣は軍が指名する,(上下両院)国会議員の四分の一は軍から出すという規定がある。これについて欧米は,軍人がいつまでも政権にしがみつくとは何たることだと猛非難する。しかし,軍人たちは,最終的な民主体制に至る前のプロセスにおいて,このような段階は必要だと考えている。私はそれを「踊り場の民主主義」とでも言える中間段階だと考えている。彼ら自身はこれを「規律ある民主主義」(disciplined democracy)と呼んでいる。

 自国の実情にかなったやり方で民主化に向けた国造りを進めるという彼らのアプローチはまことにもっともな考え方と言える。一気に西欧流の民主主義を進めようとすると,かえって政治的混乱を招くことになりかねない。現に,この国は過去に苦い経験をしている。

 ミャンマーは1948年に英国から独立したが,最初のウー・ヌ政権は,英国式議会制民主主義を「サル真似で」導入した。ところが,その結果,政治家は利権争いや政争に明け暮れるようになり,国や国民のための政治ではなく自分の懐のための政治に奔走した。他方,国民も選挙をするにしても,カネ,暴力,しがらみなどが横行して民主的選挙を行なうことができなかった。その結果,政治的混乱が生じるとともに,少数民族が多く住むこの国では,それらの少数民族が反乱を起こし,経済的にも行き詰ってしまった。

 そしてネ・ウィン将軍は選挙管理内閣(1958-60年)を経て,62年に軍事クーデタを起こし軍事独裁体制(1962-88年)を立てた。その後を引き継いだ現政権は,過去の苦い経験をもとに自分たちに一番適したやり方を模索しながら国造りを進めている。それが彼らのいう「規律ある民主主義」なのだ。軍がある程度目を光らせて,指導するような体制を敷いていく。その経験の後,憲法を改正して完全な民主主義に移行していこうという。その暁に,軍人は初めて兵舎に戻っていくのである。

 国際マスメディアは,軍事政権=悪玉という単純化した図式でひたすらこの国をバッシングするのではなく,軍政の人たちのこのような姿勢にはもっと理解を示さねばならない。

 今後この国が,内政の安定を保ちつつ,民政移管を実施して民主的な政治体制の整備を進め,経済発展も軌道に乗るという,よい方向を目指した歩みを着実にたどるか否か,その成否のカギは,外国勢力がよけいな介入をしないことにあると言っても過言ではない。


(2)国際社会のかかわり方と日本の役割

 国造りに取り組む国に対して,国際社会はどのように関与すればよいのであろうか。

 ミャンマーのケースでも明らかな通り,国造りの根幹となる政治体制の構築は,その国の人たちの努力に委ね,彼ら自身が自覚と責任をもって,自国の歴史,文化,伝統,国民性に適った形でとり進めるのが最善である。なまじっかその国の事情をわきまえない外国が余計な口出しをするのは,有り難迷惑にしかならない。

 こうして国際社会としては,政治面のプロセスを邪魔立てするような干渉を差し控える一方,当該国の人たちが進める国造りの努力を手助けするような側面的支援は,開発援助,貿易,投資,技術移転,観光,学術交流などの形で大いに実施すべきであろう。

 欧米諸国は,ことミャンマーに関しては,これと全く逆のことをやってきたのである。政治面では非難の矢を向けてあれこれと口出しする一方,貿易,投資,援助などでは制裁を課し,締めつけ一本やりできた。そこでミャンマーは,やむを得ず中国,インド,アセアンなどとの交流に活路を見出しているのである。

 最近,中央アジア諸国などで終身大統領が生まれているが,その国の実情に合った制度であるならば,うまく機能させていけばよいのであって,目角を立てて非難するには当たらない。そのうちに終身制ではだめだとその国の人々が考えるようになって,自助努力で任期制に変革していくことになれば,それはそれでよい。

以上の通り,国造りの根幹に関しては,その国の人たちの努力に委ねるに限るが,ときには例外的に国際社会が関与せざるを得ないこともありうる。「人道的関与」と「先制行動論」の二つのケースである。

 現代において国際法上,合法的戦争として認められるのは,国連決議によるものか,自国の主権が侵害されたときの自衛のための戦争に限られる。それ以外の戦争には不法な侵略戦争の烙印が押されることになる。しかし,この例外として,冷戦後新たに浮上してきたのが次の二つの考え方である。

 一つは,人間の安全保障に則った「人道的関与」であり,コソボ紛争のときNATOによる爆撃の理論的根拠はまさにこれであった。NATO条約第5条(注2)によれば,自分たち(締約国)がやられたときに行動を起こすとしている。ところが,コソボはNATOの加盟国ではなかったが行動した。その理論は,人道的に座視し得ないような状況,毎日何千人もの人が虐殺されているのは国際社会としては,同じ人類として座視し得ない。それゆえ「人道的関与」で介入するというわけである。

 もう一つは,ブッシュ大統領が主張した「先制行動論」(pre-emptive action)である。大量破壊兵器を溜め込んだり,テロリストの巣窟になっている国を未然に叩かないと世界は大変なことになるという考えである。この理論によって米国は,国連決議がないままにイラク戦争を始めた。

 しかし,ここで注意を要するのは,「人道的関与」や「先制行動論」の判断を下すのは,あくまでもNATOや米国など特定の国々であって,超国家的,あるいは人類全体の意思として人類益を考えて判断する主体は,現在のところ存在しないということである。もし超国家的公権力が存在して,それが判断するのであれば公正な判断を期待し得よう。しかし,個々の国が独断で行動するとなると,あいつは「ならず者国家」だとなじっている国自体が,何時「ならず者国家」にならないとも限らない。そこで超国家的公権力の構築は,人類のこれからの最大の課題となる。

 冷戦時代は薄氷を踏むような「恐怖の均衡」といわれたが,米ソ両大国を軸とする一つの国際秩序があった。その二極構造が崩壊した冷戦後の国際社会は,それに代わる新しい国際秩序を模索している状況であり,いまだ過渡期にある。目指すべき新しい国際秩序とは,腕っぷしの強い国がのさばって,やりたい放題をするのではなく超国家的な公権力を構築して,世界をまとめて行く以外に道はない。

 今や世の中は,交通・通信手段が高度に発達して世界が一つになりつつあり,主権国家絶対の世界から人類全体で人類益をどのように考えるかという時代になってきていることを考えると,超国家的な公権力構築の必要性は一段と高まっている。環境問題一つをとっても,国家単位の対応では限界が見えている。現在,幾分超国家的な要素を帯びた機関として国連があるが,残念ながらきわめて不完全で,機能不全に陥りやすい国際機関であるに過ぎない。今後,人類の叡智を集めて超国家的な公権力を構築していくことは,人類の絶対的な課題だと思う。

 国際社会のこうした状況の中で,日本の果たすべき役割は何なのか。日本の海外貢献に関してさまざまな議論があるが,最も重要なのは冷戦後の新たな国際秩序の構築に日本がリーダーシップを発揮することだと思う。そこで目指すべき目標が超国家的公権力を確立し,国際社会の組織化を図ることにあるのは言うまでもない。

 冷戦構造が共産圏の崩壊と西側自由世界の勝利によって終結した後,欧米とりわけ米国は,彼らの価値観を露骨に世界に押し付ける傾向を強め,新国際秩序の構築には,熱意をもっていない。人類の叡智を集めて次の世界秩序を模索する取り組みにおいて,日本がリーダーシップを発揮することは,アジアやアフリカの国々も大いに期待している。

 ただ,超国家的公権力の構築といっても,ゼロからのスタートではハードルが高すぎる。やはりとっかかりは国連しかないのも現実だ。現在の国連は不満足な点が多いのは承知であるが,それでも国連を土台として超国家的公権力の度合いを強めていくやり方を指向するのが現実的だ。そのようなビジョンを示しながら,日本の責務を果たすことによって,国際社会における日本の立場を世界に明示することが,わが国にとって喫緊の課題となっている。国連安保理常任理事国になるためのキャンペーンでも「日本は分担金をたくさん払ってますよ」などということではなく,このような主張を堂々と展開すべきではなかろうか。

(2009年3月26日)


注1 引用文章の原典は,現代ギリシアの論客,キラコス・シモプロスの著書『外国の支配,ギリシャの憎悪と隷従』のもの。それを齋木俊男著『続・ギリシャ歴史の旅』(恒文社)より引用した。

注2 北大西洋条約(NATO協定)第5条(武力攻撃に対する共同防衛)

  締約国は,ヨーロッパ又は北アメリカにおける締約国の一又は二以上に対する武力攻撃を,全締約国に対する攻撃とみなすことに同意する。従って,締約国は,右の武力攻撃が行なわれるときは,各締約国が,国際連合憲章第51条によって認められている個別的又は集団的自衛権を行使して,北大西洋地域の安全を回復し及び維持するために,兵力の使用を含めてその必要と認める行動を,個別的に及び他の締約国と共同して,直ちに執ることによって,右の攻撃を受けた一以上の締約国を援助することに同意する。

  右の武力攻撃及びその結果として執ったすべての措置は,直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。右の措置は,安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執ったときには,終止しなければならない。