先祖の島マダガスカル


元駐マダガスカル大使   山口  洋一


 私のこれまでの海外の現地体験の中で,独特の文化的伝統と,衝撃ともいえる強烈な個性に強く心をとらわれた国は,何と言ってもマダガスカルであった。マダガスカルは私にとって大使としての最初の赴任国でもあった。

 この国に着任して真っ先に耳にする表現は,「ムーラ・ムーラ」(「ゆっくり」の意味)である。この国では万事がゆっくりと,ゆとりをもって進行する。この態度が時間についての彼ら独特の観念に由来していることがわかったとき,私はある意味でショックであった。そこにはわれわれの時間の有限性への認識とは全く異なる,時間を超越した彼らの世界が広がっていたからである。生きている者と先祖とがひとつにつながった,温かな血の通った人間味あふれる世界である。

 以下,私が衝撃を受けたマダガスカルの民俗文化の一端を紹介してみたい。

(1)マダガスカルの歴史

 マダガスカルは,アフリカ大陸の南東部に近接した島国であるが,実はこの国は,人種的にも,文化的にもアジア的要素が濃厚な国である。

 マダガスカル島には,いまから1500年ほど昔にマレー・ポリネシア系人類集団がやってきて住み始めた。これがこの島の人類史の発端である。それ以前の石器時代などの遺跡は現在まで発見されておらず,5世紀までは人間のまったくいない,動植物の楽園であったようだ。

5世紀ごろから始まったアジア系種族の到来は,その後も段階的に続き,これと並行してアラブ系種族やアフリカ大陸系の種族もやってきた。これによって今日のマダガスカルを構成する18種族ができあがった。このころはまだ体系化された宗教がこの島に伝来する前のことであったから,人々はアニミズム・自然信仰や先祖崇拝など素朴な信仰に明け暮れる生活をしていた。

 その後,アジア系であるメリナ族の王朝が徐々に支配を拡げ,やがてほぼ全土に国家としての統治権を確立したので,この国は文化的にも,言語上も統一された。そこでの支配的文化はアジア的色彩が濃厚で,明らかにマレー語の一種であるマダガスカル語が統一言語となった。

 16世紀以降ヨーロッパ人が断続的にやってきたが,彼らとともにキリスト教がもたらされた。現在,キリスト教徒が人口の4割を占めているが,その多くはフランスがこの地を植民地化(1896年)したときにキリスト教徒化した結果であった。しかし,そのキリスト教徒を含めて,マダガスカルのほとんどの人たちの根底には,昔ながらの先祖崇拝・自然崇拝の信仰が強く残されている。

(2)マダガスカル人の死生観と生き方

世界にはさまざまな宗教があるが,人間が人類史の初期から一番素朴な形で,恐れおののいて一種の神のように受け止めてきた対象は自然の驚異であった。一般には,そのような精神性をアニミズムと称しているが,体系化された宗教が誕生する以前は世界中どこでもアニミズムの世界が展開していた。人間の力の及ばないような大きな存在に対する信仰である。もう一つ人類に共通な思いは,自分たちを生み出してくれた祖先に対する崇拝の念だ。マダガスカルでは,こうした素朴な信仰が脈々と続いている。

 人間はこの世に生を享けて,成人し,結婚し,老年に至る過程でさまざまな通過儀礼(イニシエーション)を経験するが,その人間の成長過程の最終点が「死」である。そしてわれわれは人が死ぬと「あの世に行く」といい,「死」によって人生は断絶してしまうと考える。ところが,マダガスカルの人々は,その「死」のあとに「先祖様に連なる」という世界が続いていると考えるのだ。つまり,死とは老年から「先祖」への段階を画する区切りであり,「先祖になること」を意味する。死は生からの離別ではなく,より高い「先祖」の位に昇華するステップなのである。

 マダガスカル語で「死ぬ」という意味の言葉には,「マティ」(死ぬを意味する動詞),「ミアラ・アイナ」(生命を絶つの意味)があるが,間接的表現として「先祖になる」という言い方の「ラーサン・ク・ラーザナ」があり,これがよく用いられる。時には動物までその表現を適用して「池の魚が1匹先祖になってしまった」ということもある。

 「先祖」は死の断絶によって,別世界である「あの世」に行ってしまうのではなく,相変わらず日常生活の中に一緒に存在し続けるのである。そのためお墓は自分たちの家のそばに設ける。

一般にマダガスカルの人々が生活している貧しい家に比べて,先祖様を祀るお墓は石室でできていて非常に立派なのが特徴だ。死ぬとその亡骸はそのお墓に納められ,残された者たちは朝な夕なにお参りをする。そのとき日々の生活・活動を報告すると同時に,折にふれて先祖様にお伺いを立てて人生の指針を見出しながら生きていく。

お伺いを立てる方法としては,「チュンバ」という仲介者がいて(日本の霊媒師,巫女のような存在),彼らに頼んで先祖からのメッセージを聞くのである。例えば,外国企業に就職すべきか,引越しをすべきか,結婚相手はどうかなど,人生における重大な出来事に関する決断をするに際して,「チュンバ」を通して必ず先祖様に伺うのだ。

 かつてこの国を統治していたフランスの学者は,「チュンバ」に関する膨大な研究を残している。それらを読んでみると,西洋合理主義では考えられないような内容がある。「チュンバ」の多くは中年から老年くらいの女性が多いが,そのほとんどは教育程度が高くない。サカラヴァ族の王様に伺いたいとチュンバに頼むと,恍惚状態に入ってサカラヴァ族の言葉で,しかも男性の声で語り始め,その神託を伝えてくれる。このような事実に接してみると,西洋合理主義だけでは割り切れない,論理性を超えた超自然的な世界があることを実感する。

 先祖になることは,マダガスカル人の誰しもが強く願うところであり,彼らにとっては何事にも代え難い重大事である。それゆえ先祖になれないという事態は,それこそ身の毛がよだつほどの恐ろしいことであり,これはなんとしても避けなければならない。

 マダガスカル人は外国企業と契約して外地に赴くことになる場合,雇用契約の中に「万一,外国において死亡したとき,遺体は直ちにマダガスカルに送り届けられるべし」という条項を要求し,報酬よりもこの条項を重視するという。先祖になり損ねるような事態を避けるための配慮からきている。

 このように彼らは先祖を非常に大事にする。この傾向が現実世界の中に現れると,年長者を敬うということに顕著に現れてくる。年長者の前でタバコを吸うときには,まず吸ってもいいかお伺いを立てる。このような彼らの世界に接すると,かつて日本にも年長者を敬う美風があったことを思い起こさせてくれる。

 彼らのコミュニティーの中では,年長者を尊敬すると同時に,互いに助け合う関係が当然のこととして存在している。この相互扶助(現地の言葉で「フィアヴァナナ」)のお陰でたいへん貧しい国であるのに乞食が見当たらない。

また日本では自殺者が多くて社会問題化しているが,この国では失恋で稀に自殺する人はいるようだが,ほとんど自殺する人はない。現世も来世もなく,生者と先祖は一つの家族としていつまでも連綿とつながっているので,思い悩むことなど何もない。この国は,心の通った温かい人間関係が脈々と伝統的に生きている社会なのである。

ふるさとのことをマダガスカル語で,「先祖の地」(タニン・ドラーザナ)というが,私にとってはこの国が第二の故郷のようでもある。今日の日本は,物質的には豊かな国となったが,精神面ではかえって貧困となり,人の心がすさんできているような感じがしてならない。今日の日本社会では失われてしまったが,昔はわが国にも存在していたのではないかと思われるような温かみのある人間関係や風俗,習慣が,マダガスカルではいまも息づいているのである。

(2009年3月26日)

注 マダガスカル共和国(外務省HPより)

面積 587,041平方キロメートル(日本の1.6倍)

人口 1960万人(2007年)

民族 アフリカ大陸系,マレー系,部族は約18(メリナ,ベチレオ他)

言語 マダガスカル語,フランス語,英語(公用語)

宗教 キリスト教41%,伝統宗教52%,イスラーム7%

主要産業 農牧業(米,コーヒー,バニラ,佐藤,グローブ,牛),漁業(エビ,マグロ)

GNI 53億ドル(2006年世銀)

一人当たりGNI 280米ドル(2006年世銀)