少子化,高齢化,人口減少のトリレンマ

麗澤大学名誉教授 河野稠果

 数年前から日本は,以前から予測されていた「人口減少社会」にいよいよ突入した。少子高齢化,人口減少傾向がますます顕著になる中で,これらの問題をどのように考え,今後日本はどのようなビジョンを持っていけばよいのだろうか。
 日本の人口問題を考える前に,世界人口の推移と将来展望について,まず考えてみたい。日本は既に人口減少局面に入ったわけだが,世界の総人口はいまだ増加の途上にある。しかし,かつて途上国を中心に「人口爆発」とも呼ばれた急激な人口増加傾向はすでに終わった。
 1960年代,70年代の世界人口は年率2%という高い増加率を示していたが,70年代に入ると途上地域も含めた世界各地で出生率が予想を超えて低下し始めた。その結果,2045〜50年ごろには,人口増加率が平均年率0.3%まで下がると予測されており,先進地域は2035年以降マイナス成長,途上地域でも2045〜50年は0.4%まで低下すると見られている。
 世界の地域別に合計特殊出生率の変化を見てみると(図1),とくにアジアとラテンアメリカ地域は過去50年間で半分以下にまで低下したが,これは専門家の予想をはるかに上回る変化であった。ただアフリカだけはそれほど低下していないので,これからも人口が増え続け,将来(2050年ごろ)は世界人口の2割を占めると予想される。しかし,世界全体の推移をみると,人口爆発は終焉して人口増加は減速局面に入っていることは確かである。2009年現在で,世界人口は68億人だが,今世紀終わりごろに98億人程度でピークに達し,100億人には達しないだろうと予測されている。

1.人口転換
 過去の人口の歴史的変化をみると(とくに近代以降),一般に多産多死から多産中死を経て,少産少死に至る出生率と死亡率の劇的変化を伴っており,これを「人口転換」と呼ぶ。この人口転換論は人口学におけるグランド・セオリーの一つである。
 人口転換は英国で最も早く,そしてほぼ完璧な形で実現したので,これをもとに説明してみよう(図2)。
 第T段階は,出生率・死亡率ともに高いが,死亡率がノコギリの歯のように上下に振動しているのが特徴だ。第U段階に入ると,死亡率の低下が著しくなる。同時にその初期に出生率がいくらか増加したのが特徴である。死亡率だけが最初に急速に下がったのは,死亡率の方が出生率よりも機械的に低下しやすいからである。すなわち近代化の進展とともに医療・公衆衛生技術の導入,生活水準の向上と教育の普及による衛生思想が高まった結果であった。一方,出生率の低下は第U段階ではほとんど起こらなかった。その結果,急激な人口増加が起きた。
 第V段階では,死亡率低下も続いたが,それにも増して出生率が低下し始めた。しかも途中経過では,出生率低下が死亡率低下よりも著しくなり,ここに人口増加率は減少し始める。この増加率減少期間は英国で約50年続いた。そして第W段階は少産少死の段階で,英国では1930年以降経験した。
 こうした人口転換は西欧の先進諸国がまず経験したが,かつて人口爆発の象徴とされたアジア・アフリカ諸国などの途上地域も戦後人口転換を経験することになる。ただ,途上地域は出発点の粗出生率が人口1000人に対して平均40半ばであり,なかには50に近い水準の国も多くみられ,西欧諸国では転換初期値が40以上という高水準は極めて稀であった。途上地域で出生率が本格的に低下し始めたのは1970年代あるいは80年代になってからであった(図3)。
 途上地域の粗死亡率は,1950年代初期すでに人口1000人につき平均20前半であり,それが半世紀の間に8〜9のレベルまで急落した。つまり,戦後20〜30年間低下は見られるものの,高い水準を維持した出生率と戦後急激に低下した死亡率の格差によって,途上地域に一時期年平均2.5%という高い人口増加率がもたらされた。そして20世紀後半の50年間で人口が2.9倍になるという「人口爆発」現象となって現れたのである。 
 一方,近年先進諸国では,米国やニュージーランドなどを除いて合計特殊出生率が置換え水準以下に低下したままで推移し,同水準に回復していない。これを一般に「少子化」と呼ぶ。そしてこの現象は,先進諸国のみならず,途上地域においてもみられるようになってきた。
 1980年代から東アジアやカリブ海地域の島嶼国で合計特殊出生率が置換え水準を割り始め,さらに他の地域にも拡大しつつある。2008年国連推計によれば,2005〜10年に置換え水準以下にまで低下している国は76カ国あり,その人口の総数は世界人口の約47%に達する。
 出生率が置換え水準を下回れば,入移民がない限り,やがて人口減少を迎える。すでに先進地域の中で人口減少が起きている国は,日本を含めて17を数え,そのうち10は旧ソ連圏の東欧で起きている。将来人口減少は,先進国だけではなく,途上地域においても起こり得るであろう。国連の2008年推計によれば,2010年から2050年にかけて45の国が人口減少を経験する。それは東欧地域のほかに,中国,韓国,タイ,メキシコ,キューバなどを含み,カリブ海の島嶼国に多い。
 東欧やロシアの場合,出生率の低下のみならず,死亡率が比較的高いという特徴がみられる。とくにロシアは,成人の死亡率が非常に高く,平均寿命が66歳にしか過ぎず,ロシアの保健衛生状況は危機的状況にある。
 1950年のロシア男子平均寿命は60.5歳であったが,2000〜05年平均で58.5歳,男女平均で見ても1950〜55年が64.5歳,2000〜05年が64.8歳となっている。半世紀を経て平均寿命が減少ないし変わらないというのは,前例のない現象といえる。
 その原因として,高い乳幼児死亡率もさることながら,成人の死亡率が非常に高いことが指摘されている。死亡原因でみると,循環器系等疾患でEUの4倍,外因死(殺人,自殺,不慮の事故など)でEUの5倍,肝硬変もけた違いに高い値を示している。このようにロシアの社会は,途上国型であるといえる。
 ただしアフリカは,2005〜2010年に5年間平均年率2.3%で人口が増加しており,2050年には世界人口の22%を占め20億人に膨張すると予測されている。

2.超高齢社会を特徴とする日本の人口構成
 前述のとおり,すでに欧州では,ロシア,ドイツ,ポーランドなどで人口減少が始まったが,これらの国に共通する特徴は,近年長らく合計特殊出生率が1.5を,さらには1.3を下回る超低出生率を経験していることである。一方,英国,フランス,北欧,ベネルックスなどの国は,出生率が置換え水準を下回っているとはいえ,戦後1.5以下に低下したことはなく,現在は1.7〜2.0のレベルを示している。それゆえこれらの国は,過去に人口減少を経験していないし,少なくとも2050年までは人口減少はないと思われる。それは,合計特殊出生率が2.1以下でも比較的高く,日本のように極端に高齢化しておらず,人口モメンタムが残っているためである。さらに欧州では外国移民を迎え入れていることも一つの要因であろう。
 ここで日本における人口減少について考えてみる。
 人口減少は,@出生数の減少,A死亡数の増加,B出移民超過などの要因を基にそれらの組み合わせで考える必要がある。日本の場合は,国際人口移動の規模が少ないので,出生数と死亡数の組み合わせで考えることになる。
 現在の人口減少は,基本的に出生数よりも死亡数が多いことに起因するが,死亡率は現在も低下しているので,人口構造の高齢化を反映したものといえる。つまり元来死亡率の高い65歳以上,とくに75歳以上の高齢者人口が大きくなっているからである。
 日本では1956年から出生率が置換え水準を下回っているのに,2005年までのほぼ40年間人口は減少しなかった。それはなぜか。
 それはこの40年間日本の人口構造が比較的若く,元来死亡率が高い老齢人口の比率が低かったからであった。出生率が低下しても死亡数がさらに少なかったので,人口減少は起こらず人口増加を示したのである(これを「人口モメンタム」という)。事実,1947年から1998年まで出生数は死亡数の2倍以上であった。しかし,そのような「人口貯金」もついに底をつき,2005年から人口減少が始まったのである。
 ここで日本の人口を年少人口(15歳未満),生産年齢(15〜64歳),老年人口(65歳以上)の三つに区分して,その増減の推移と将来展望をみてみる(表1)。
 1950年から2005年までの変化では,年少人口の減少と老年人口の増加という急速な高齢化が見て取れる。さらに今後50年後の予測をみると,総人口が3000万人減少する中で,老年人口は1200万人も増加すると予想されており,超高齢社会の出現(老年人口比が40%)が展望されている。この点が,他の欧州諸国と大きく異なった日本の特徴となっている。
 そして少子化と人口減少という問題を考えた時に,少子化,生産年齢人口の減少,老年人口の増大というトリレンマの状況にあることがよく理解されなければならない。しかも少子化が,高齢化を促進し,人口減少を招来するという,少子化,高齢化,人口減少の悪循環に陥る危険性を孕んでいるのである。

3.人口減少のメリットとデメリット
 少子化と高齢化に対してどのような対策が考えられるか。大きく見れば,出生率を上げる努力と,すでに動き出した人口減社会,少子高齢社会に適応できる社会の仕組みを整えるという考え方がある。仮に,今日から直ちに日本の出生率が2.1以上の置換え水準を回復したと仮定したときに(但し,死亡率は一定とする),数年間は総人口が増えるものの,その後再び減少し始め1億800万人くらいで落ち着くとされる(図4)。出生率が2.3以上となれば現在の人口を維持できるかもしれないが,現実としては人口減に向かう流れは避けられない趨勢だ。それは日本の超高齢社会という特徴的人口構造に起因するためである。
 ある論者は,日本の人口はこれまで過剰であったから,西欧の大国と同じ程度の5000〜7000万人になればむしろ適正だと,人口減少を歓迎する主張を展開する。しかし,人口がそこで歩留まりしてくれればいいが,人口減少がその水準で留まる保証はない。ある程度の規模の人口で留まるためには,その前提条件として出生率を上げることが不可欠である。
 国の人口規模は,ある意味で国力のシンボル的な側面を持つ。人口の大きさは国の経済規模と直結する面が大きい。例えば,ある程度の大きな人口がないと自前の自動車産業を持つことができない。現在,自前の自動車産業を持っている国は,米国,英国,フランス,ドイツ,イタリアなど概ね5000万人以上の国だ。スウェーデンは例外だが,基本的に小さな国は自前の自動車産業をもっていない。やはりある程度の人口と経済規模がないと,多種多様にわたる部品の生産を可能にし国内消費を確保できる大規模な国内市場を確保することは,難しいということかも知れない。
 人口が減ると劣悪な住環境と交通状況が改善されてよいの意見もある。例えば,通勤・通学のラッシュアワーがなくなっていいというが,人が減ればそれに伴って交通機関の運転本数が減るので,混雑の程度はそれほど変わらないかもしれない。現実に,過疎地域の交通状況を見てみると,かえって不便さが増大している。
 また,日本が本格的な人口減少社会を迎えるときに,首都圏など都市部はまだいいだろうが,地方の過疎問題と地域の荒廃は非常に心配されるところである。人がいなくなると山,野,川,そして海岸線は荒れ放題となるなど国土保全の面で大きな打撃を受ける。
 経済人口学者大淵寛は,縮小社会,低密度人口待望論は幻想であり,人口減少の中で,生活水準が上昇し続けることに疑問を呈している。たとえ生活水準がある程度上昇しても,一国の総生産が持続的に減少しているときに,人々は経済的な活力の低下を肌身に感じて,豊かさよりもむしろ将来への不安や不透明感を覚えるに違いないという。将来への不安が横たわっているときには,人口減少がこの先「低出生スパイラル」を生む可能性が考えられる。
 これまでは,人口転換のある段階で出生率の低下があっても,人口ボーナスによって経済発展を遂げることができた。今後総人口が緩やかに減少しても,生活水準が上昇するという第二の人口ボーナス時代を迎えられるかもしれない。しかし,そのような時代に,経済発展と画期的な技術革新が伴わない限り生活水準の上昇は長続きしない。その短い期間に,政府,地方自治体,公共団体は英知の限りをつくして家族にやさしい社会体制を整備するようにしなければならない。   

4.出生率回復に向けた考え方
(1)政策論的アプローチ
 既に述べたとおり,急激な人口減少はさまざまな問題を孕んでいるので,人口減少傾向は避けられないとしても,出生率の回復などの人口・家族政策は必要な社会政策である。出生率を回復させるための方策としては,政策論的方法と社会経済・文化的アプローチが考えられる。まず前者の観点から,人口政策で経験のある欧州諸国との比較で考えて見たい。
 近年のフランスや北欧諸国の出生率回復の例でも分かるように,地道な政策の効果は全くないわけではない。十分に手厚い家族支援政策を長い時間をかけて有効に行なえば,ある程度の効果があることは明白である。
 このことは家族・育児政策にかかわる予算規模をみればある程度わかる(表2)。出生率の高い北欧諸国やフランスは日本の4〜5倍となっている。日本やイタリアは手薄いが,ドイツはそれ相当に投資している。一方,米国は家族関係予算の割合が低いにもかかわらず,出生率が高いのは別の要因による。すなわち社会制度が柔軟性・融通性をもっていて,出生率を高めるいろいろな仕組みが民間として行われているのが特徴だ(例えば,ベビーシッター,オペアau pair;ホームステイをしながらホストファミリー宅にて子どもの世話をするプログラム,など)。米国では移民の高い出生率に支えられているだけではなく,ネィティブの白人女性の出生率も1.9程度に高い数値を示している。最近オバマ政権が進めようとした国民皆保険制度に対する反発にも見られるように,伝統的に個人の自由主義的な性向が強いことも特徴だ。
 ここで,家族政策としては相当程度資金とエフォートを投入していながら,出生率回復に結びつかないドイツの事例について考えてみたい。
 図5はOECDが2005年に行なった,19の加盟国に対する出生率回復シミュレーションの結果である。これは四つの主要な育児支援・両立対策が強化されたときに出生率がどうなるかの模擬計算である。やや計算が機械的に過ぎるとの印象は残るが,これがもたらす一種の教育的効果は十分にある。
 同調査研究によると,次の4つの条件を少子化対策として掲げている。
育児費用が家計を圧迫するために税金の控除や育児手当の増額を行なうこと。
育児休業期間が短すぎるのでこれを延長すること。
正式な保育施設が十分備わっていないのでこれを整備強化する。
フルタイム就業に比較してパートタイムの就業機会が少ないのでこれを増大する。
 ドイツではすでに@ABは満たされており,せいぜいCの女性パートを増やすというオプションしか残っていない。しかしこの施策はここでの効果はなく,この計算では出生率増加を期待することが難しい。
 また「ユーロ・バロメータ」というEUの世論調査機関が1999〜2000年にかけてまとめた調査によれば,ドイツとオーストリアの「希望子ども数」「理想子ども数」について驚くべき結果が示されている。
 18〜39歳の女性の希望子ども数は,ドイツ1.52,オーストリア1.43という低さである(日本の理想子ども数は2005年の出生力調査で2.48である)。また,18〜34歳の女性の理想子ども数はドイツ1.74,オーストリア1.72で,置換え水準をかなり下回る。近年の理想子ども数の低落現象はとくに若い世代で起きており,55歳以上は昔どおり高い。1970年代後半からの30年に及ぶ長い低出生率時代を経験し,そこで育った若い世代は子どもが二人以下という現実が当たり前であり,それがそのまま理想の世界だと思い込んでしまっている,というのが有力な解釈である。
(2)社会経済・文化的要因
 これまで多くの専門家が人口減少の要因について分析しているが,ここではその中であまり指摘されない点をいくつか紹介してみたい。
 実は,置換え水準以下の「低出生率」という同じ現象をみても,欧州諸国の中で温度差がある。すなわち,北欧・英・仏など出生率がやや高い国と,ドイツ・南欧・東欧など低い国とに大別することができる(地図1)。そして後者の国々に共通する特徴を挙げると,家族関係において家長の権威主義的傾向がみられ,家族(の結びつき)が強すぎるようだ。
 例えば,ドイツでは,子どもは親が育てるものと考えて,少なくとも3歳までは保育所に預けることを忌避する傾向がみられる。そしてドイツも日本と同様に血統主義の国籍制度を持っていると同時に家族を重視しているので,同性婚や婚外子を認めない風潮も強い。逆にいえば,社会の仕組みが伝統主義にとらわれ,硬直化しているといえる。
 またイタリアでは歴史的に中央政府に対する国民の不信感があって,政府の家族政策を国民が忌避する傾向がある。イタリアは,成人後も親と同居する若者が日本同様に多い(図6)。日本でいうパラサイト・シングルである。親は子どもを可愛がり,子どもは親を頼る傾向が強く,なかなか自立しない。大人になるのを忌避し,結婚をなかなかしたがらないのである。
 東アジア諸国もドイツや南欧諸国と似た文化的傾向が見られるが,欧州にはない別の面もあると思われる。それは家父長的な儒教思想の影響により,勤勉性・教育熱の高さ(刻苦勉励)などの共通する特徴が見られると同時に,そのネガティブな面として,家庭よりも仕事重視,男尊女卑という特徴も現れている。日本の出生率低下は「女性の反乱だ」という面も否定できないだろう。
 東アジア諸国では,教育熱の高さとも関係する受験戦争も影響しているように思われる。受験戦争がどのくらい出生率に影響を与えているか,直接的に実証する調査結果は乏しいが,国立社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査」によれば,受験戦争に関連したであろう教育費の拡大が出産の抑制に大きな影響を与えていることがわかる。とくに日本や韓国は単線型の社会なので,18歳でいい大学に入らないとその人の人生が決まってしまうほどだが,欧米では複線的な道が開かれていてそのような面が少ない。
 また,日本や韓国,台湾など東アジア諸国は,狭い国土に多くの人口が密集していたために,伝統的に「人口過剰だ」との意識が強かった。それゆえ東アジア諸国はほとんどの国で戦後,出生抑制政策としていわゆる「家族計画」政策を実施してきた。それは日本も例外ではなかった。そして各国の政策は,ある意味で非常にうまく進められてきた。 しかし欧州諸国にはそのような意識はほとんどなかった。1930年代に欧州で出生率低下が起きた時に,欧州の人々は「人口減少の恐怖」を感じ,極端な場合は黄禍論に結びついた。シュペングラーの『西洋の没落』(1918〜22年)は,その少し前に書かれたものであり,人口減少の恐怖を別な形で表現したものといえる。日本や東アジア諸国にはそのような人口減少の恐怖は全くなかった。また欧州のように海外に大量移民に出て行く傾向も東アジアには乏しかった。
 人口・家族政策は,少し程度短期間に実施するくらいでは人口増加に結び付くようなことにはならない。日本の少子化対策では,育児手当の増額,ワークライフバランス,託児所の増設などが政策課題として挙げられているが,それだけでは不十分だと思う。
 日本の場合は,パラサイト・シングルに見られるように日本的家族関係などによって子どもがなかなか自立できず結婚できない若者が増えていることも重要な問題だと考える。欧米諸国では同棲から生じる婚外出産が非常に増え,結婚の要因はあまり論じられなくなり,人口学的分析も多くない。しかし,日本では結婚の代わりとなる同棲,パートナーシップ,婚外出産が非常に稀であり,出産はほとんど結婚を通じて生ずる。その意味で,結婚というファクターを無視することはできない。この点は,欧米の人口政策にない視点である。
 その背景として,日本の家族では父親の存在が薄いために,子どもが青年期から成人して社会や世界に出て行く段階での父親の役割,いわゆる父性が弱いことがあるだろう。現代の父親は「第二の母親」となって子どもを可愛がるばかりの傾向もある。かつての家父長制は問題があるが,やはり父性の不在が課題ではないか。別の言葉でいえば,「甘えの構造」であり,父性の復権が必要だろう。米国はその点で,父性が今でも日本などより強いように思う。
 もちろん,識者が指摘するように経済情勢が厳しい昨今にあって,格差社会となり非正規労働者が増え,経済力に乏しいがゆえに結婚できないという側面があることは認めるが,結婚ができない若者が増えたことをそれだけでは説明できないと思う。たとえ,経済が回復してもおそらく結婚する可能性は低いのではないか。
 ただしこの問題は,国の政策論にはなかなか乗りにくいものであり,教育の問題として包括的解決を図っていくのが得策だろう。欧州と違って日本は,少子化問題などに取り掛かってまだわずかな年月しか経っていない。地道に総合的,包括的な対策を講じていくことで明るい未来が開かれてゆくのだと思う。

(2010年1月20日)

プロフィール こうの・しげみ
広島県生まれ。1958年米国ブラウン大学大学院社会学研究科博士課程修了(社会学でPh.D.取得)。同年厚生省人口問題研究所入所,61〜63年インド・ムンバイ国連人口研修・研究センター教授として出向。67年国連本部人口部専門官,同人口推計課長を経て,78年厚生省人口問題研究所人口情報部長,人口政策部長を経て,86年同所長に就任。93年同研究所退官後,麗澤大学国際経済学部教授。現在,麗澤大学名誉教授。専攻は,人口統計学,社会人口学。主な著書に,Inter-Prefectural Migration in Japan,Manual on Methods of Projecting Households and Families,『世界の人口』『人口学への招待』,編著に『発展途上国の出生率低下―展望と課題』『人口と文明のゆくえ』『低出生力をめぐる諸問題』『国際人口移動の新時代』ほか。