人権の国際的保障と世界平和

創価大学教授 中山雅司

1.国際法と人権
 近代国際社会の基本構造は,1648年のウェストファリア体制に始まるとされ,主権国家間の関係を規律する法として国際法が発展してきた。今日に至るまで、国際社会には主権国家を超える権力機構はなく各主権国家は対等の関係にあるが,当時は相互間に紛争がなく関係が安定している状態を「平和」と考えていた(「消極的平和」,注1)。対等な主権国家同士の間では内政不干渉が基本原則とされ,国家間の権限・関係を調整することが国際法のおもな役割とされた。それゆえ仮に国内で人権侵害が行なわれていたとしても,それはあくまでも国内問題であって国際社会の問題ではないと考えられた。お互いの国内問題には口出しをしないことが原則とされたため,人権は国家の中に封じ込められてしまった。この状態は基本的に第二次世界大戦まで続いた。
 ここで,最大の人権侵害ともいえる戦争の問題について,少し触れておきたい。ヨーロッパでは近世から18世紀半ばごろまで,戦争には正義の戦争と不正な戦争があるという「正戦論」が盛んだった。自衛(防衛)のための戦争,奪われた財産の回復,制裁などの正当原因に基づく場合が正しい戦争とされた。しかし対等な主権国家間の戦争が正しいか否かを判断することはより上位の主体(判定者)がない以上難しく,19世紀になると正邪の判断をやめて戦争それ自体を合法化するようになった(無差別戦争観)。この時代の国家は,最終的な固有の権利として戦争に訴える権利を保持しているとされた。クラウゼビッツの「戦争は他の手段をもってする外交(政治)の延長である」という言葉はそれを端的に表現したものであった。
 このようななかで国際法は,戦争の規制について口を閉ざしたわけではなかった。戦争を是認しながらも,戦争遂行に関する手段・方法について「戦争法」(交戦法規,戦時国際法,the law of war)を定めて歯止めをかけようとした。その後,帝国主義の拡張とそれら国家間の勢力均衡政策の破綻が世界大戦という惨事をもたらしたことから,国際社会は初めて戦争の違法化へと転換したのである。この戦争の違法化は,国際社会における画期的な出来事であった。ただし,戦争は違法化されても武力紛争そのものはなくなるわけではない。したがって,戦争の違法化によって従来の戦争法は,武力紛争法および国際人道法という形で新たな展開をみせることとなった。
 ところで、人権概念は一般に近代ヨーロッパに端を発するとされ,ルネサンスや宗教改革を通して人間の尊厳という価値と思想が生み出された。人間の尊厳は、すべての個人が自由であり、平等に扱われるべきであるという規範的要請をもたらし、社会契約論が登場することになる。社会契約論の基本的考え方は,「自然状態にある人間は自然権(生まれながらにして有する権利)をもつが,その庇護を求めて人々は(統治)契約をして国家をつくる。国家は憲法という法規範を通して国民の人権を守る」というものである。それゆえ人権は,本来,国家と国民との関係において生じる権利関係として,国内法上の問題であった。これに加えて,先に述べたように国際社会としても人権については国家領域内の問題として不干渉の態度を貫いてきたのである。
 その後,第二次世界大戦中のナチスドイツによるホロコーストという悲劇がターニングポイントとなって,国家による人権侵害を放置することは侵略・戦争につながるという認識が生まれた。そして「人権は平和の基礎」であり,「平和とは人権が保障された状態」であるとの考え方が芽生え,国際社会も(国内問題と考えられた)人権問題について関与する方向へと転換し始めた。
 その具体的動きは,国際連合誕生とともに始まった。国連憲章第1条1項(注2)はいわゆる「消極的平和」について述べているが,同条3項に人権の尊重も国連の目的として明確に規定されている。平和と人権を並列的に目的として掲げることにより,両者を密接不可分の関係をもつものとして考えていることがわかる。これを出発点として「人権の国際化」,すなわち「人権の国際的保障」がスタートした。
 さらに1946年に経済社会理事会の補助機関として人権委員会が設置され,同委員会が中心となり1948年に国連総会で「世界人権宣言」が採択された。これは条約ではなかったので,法的拘束力を有する条約作成の作業が進められ,1966年に国際人権規約が制定された。国際人権規約は,いわゆる社会権について規定した「経済的・社会的及び文化的権利に関する国際規約」(A規約)と,自由権について規定した「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(B規約),さらにB規約の実施を確保するために作られた「選択的議定書」の三つからなる(これに1989年に採択された、死刑廃止をめざす自由権規約の第二選択議定書が加わる)。この国際人権規約と前後して,ジェノサイド条約、難民条約,人種差別撤廃条約,女子差別撤廃条約,子どもの権利条約などの人権諸条約が作成され,人権の国際化への道が開かれたのである。これらは国際人権法を形成することにより、人権条約を通じた人権状況の改善に大きく寄与してきたのである。

2.人権の国際的保障の意義
 近代の人権概念はあくまで欧米中心のもので,植民地の従属人民や先住民,黒人奴隷などには適用されず,自国民をどう待遇するかという問題は国内問題と考えられてきた。19世紀から20世紀はじめにかけて、奴隷貿易禁止や少数民族保護など人権の国際的保障ともみえる動きもあったものの,実態は国家の利己的、政治的な動機に基づくものが多かった。在外自国民に対する外交保護権もあくまで国家が国家として有する権利であって個人の人権としてとらえられていたわけではなかった。
 しかし第二次世界大戦の教訓によって人権概念が国際化する過程で,@個人が国際法上も人権享有の主体である,A外国人だけではなく自国民の人権も国際法上国家が保護しなければいけないことなどが確認された。ここに人権の国際的保障の意義がある。
但し次に述べるようないくつかの限界性も内包していた。
 まず前節で述べたように,人権の保護は基本的に国家が行うことであって,第三国や国際社会が当該国の主権を超えて勝手に介入することはできないということである。それゆえ国際人権条約を国家が結ぶことによって生じる義務は,国際社会に対する義務であって,自国民に対して負っている義務ではないとされる。
 もう一点は,「結果の義務」といわれるものである。国際人権条約の締約国は人権保障の義務を一般的に負うが,その保障方法・手段については各国の裁量で決めればよいとされる。つまり,結果として人権保障をすればいいという考え方である。
 主権国家体制の下で国際法には「合意は拘束する」(pacta sunt servanda)という大原則があるが,それは国際人権条約にも適用され,条約締約国は拘束されるものの,そうでない国は拘束されない。ゆえに国際人権の意味は,条約の締結によって国家は国際法上人権保障の義務を負うことになるということである。それでは国際人権と国内人権との間に何ら差はないのか,すなわち国際人権に特別の意味はないのであろうか。国際法はその発展とともに国際人権の特殊性を認めつつあるといってよい。その特殊性として、以下のような点があげられる。
 第一は,国際人権条約について相互主義は当てはまらないという点である。国際法における相互主義とは,国家間の合意において相手国が守らなければ自国も守らなくてよいし,その逆もしかりという考え方だ。しかし人権に関しては,相手国が人権侵害をしたから自国も人権侵害をしていいということにはならない。この非相互主義的性格は,条約の留保の許容性をめぐる議論にあらわれている。
 第二は,条約の終了の問題である。通常の条約は,相手国が重大な条約違反をした場合に,条約関係を終了・停止する根拠として援用できるとされている(条約法に関するウィーン条約第60条)。しかし,同第60条5項で人道的性格を有する条約については適用されないと規定している(注3)。人権条約に関しては,条約の終了原因は当てはまらないということである。
 第三は,人権規範の一部が強行規範(ユス・コーゲンスjus cogens)として認識されている点である。国際法は,国家間の合意があれば基本的にどんなルールでも決めることができる(「特別法は一般法を破る」,すなわち条約は国際慣習法を破る)。ところが,その原則の中で国家間の合意があっても破ることができないものが強行規範で,そのような考え方が戦後登場してきた。例えば,侵略戦争,ジェノサイド(集団殺害),奴隷取引等である。たとえば,ジェノサイドは人権の中でも生命・生存にかかわる権利を侵害する行為なので,国家間で合意があったとしても絶対に許されない。そして強行規範の中核的部分に人権規範がおかれることになった。強硬規範の例は人権だけに限られるものではないが,そうした過程を通じて,法の上下関係,階層化が形成され,人権規範はその上位法に位置づけられるようになったのである。
 第四は,人権条約のデロゲーション条項に規定されたデロゲートできない(逸脱不可能な)権利である(国際人権B規約第4条2項等)。革命や戦争など国家の緊急事態が発生した場合でも逸脱できない事項として,生命権,拷問・非人道的刑罰の禁止,思想・良心・宗教の自由など特定の人権規範が位置づけられている。このような事項に関しては,いかなる緊急事態が発生しても国家はこれらの価値について保護しなければならない(制限してはいけない)のである。
 以上の例は,国際人権を国家意思や国家間の合意に優先させようという考え方の現れであり,他の国際規範と異なる国際人権の特殊性が実定法規範として示されている例といえる。これは国際人権法として重要な発展である。人権条約を結ばなければ,人権保護をしなくてもいいということにはもはやならないのである。
 ところで,国連憲章第2条7項には「国内管轄事項不干渉の原則」が記載されている(注2)。これは国連と加盟国との関係において,国連は加盟国の国内問題には干渉しないという考え方を示したものである。当初この規定により,国連は加盟国の国内問題については何も関わることができないのではないかとの懸念があった。しかし、実際の国連の慣行では、とくに構造的な人権侵害などの人権問題については、「国際関心事項」として討議や調査、事態改善のための勧告などを行ってきた。さらに、第2条7項但し書きでは,国連の安保理を中心とする集団安全保障体制の下での強制措置(軍事的措置を含む)による介入を例外としている。実際に南アフリカ共和国のアパルトヘイト問題のように「平和に対する脅威」に発展するような人権侵害については、国連は安保理による非難決議や経済制裁などの措置を通じて関与してきた。このような形で,国内問題不干渉の壁を乗り越える努力もなされてきた。

3.国際人権保障のしくみ
 つぎに,国際人権保障の具体的実施措置のしくみについて述べたい。人権条約を結んだあと,それを締約国に守らせるためにはどのようにすればよいかという問題である。
(1)国内的実施
 これは各国の国内法を通じて保障を実施していく方法である。その第一は,国際人権条約を結ぶと国際法上それを守る義務が生ずるが,その義務を履行するためには国内法の整備が必要になる。しかし,人権条約に相当する国内法規がない場合や,あっても食い違う場合があるので,そうしたときに法律の制定や改廃の努力が必要になる。その作業を通じて国内の人権状況が改善されることになる。例えば,女子差別撤廃条約を結んだ結果,国内法として男女雇用機会均等法が作られた(1985年)。また,従来,父系血統主義(出生時に父が日本人であれば子は日本国籍を取得し,母親の国籍は関係しない)であった国籍法を父母両系主義(出生時に父母のどちらかが日本人であれば子は日本国籍を取得)に改正した(1984年)。
 第二は,国内の裁判所を通じての方法である。裁判の過程において憲法などの国内法だけでなく,国際人権規約等の人権条約も適用して判断するという試みである。しかし,裁判所は,審理の過程で国際人権条約など国際法を適用することについては消極的であるといわざるをえない。そこには憲法至上主義や裁判官が国際法に疎いことなどの背景がある。そこで人権侵害を受けた個人は国際人権条約をも法的根拠にして訴えることを通じて,裁判官を喚起し,人権基準の実現を図るのである。その場合,直接適用(条約を裁判でそのまま適用)できる場合と間接適用(国内法の適用に際して解釈の指針・参考として人権条約を斟酌する)の場合とがあるが,いずれになるかは人権条約の内容や権利の性格にもよる。
 事例を挙げれば,外国人が刑事裁判において無料で通訳を頼む権利を求めた事件で裁判所は,国際人権B規約の直接適用が可能だと認めた(東京地裁1991年12月18日「訴訟費用納入義務不存在確認請求事件」)。ただし,国際人権A規約(社会権)の直接適用は難しいというのが日本の裁判所の立場である。国際人権法の適用により積極的な米国・カナダの裁判所と比べると,日本の裁判所は立ち遅れの感がある。
(2)国際的実施措置
 つぎに国際的実施について述べたい。国際法規範の実施にあたっては,それぞれの分野に応じた実施措置が予定されているが,以下の実施措置は人権条約に特徴的な方法である。第一は,国家報告制度。人権条約を結ぶと締約国は,国内の人権保障の進捗状況を国連事務総長/規約人権委員会に定期的に報告する義務が生じる。ただしその国が正直にありのままの状況を報告するかどうかという懸念が残る。そこでNGOがカウンター・レポートを提出して,現実の状況を明らかにすることにより,この制度を補完する役割を果たしている。
 第二は,国家および個人通報制度。国家報告制度は、締約国による他の締約国の規約違反の通報とその審査・斡旋・調停の手続を認める制度である。個人通報制度は、人権侵害された当事者が,直接国連の規約人権委員会等に通報し,委員会がそれを検討し,関係当事国ないし個人に意見を送付することによって人権救済を図ろうとするものである(自由権規約第一選択議定書,社会権規約選択議定書)。ただし,その個人の属する国家が選択議定書を批准していなければ,この制度を利用することができない。現在,日本はこの議定書を批准していないために,利用できない状態にある。
 また国連の決議による実施措置もある。具体的には経済社会理事会決議の1235に基づく公開審議・調査手続き,および同決議1503に基づく非公開の通報審査手続きで,この手続きの下ではあらゆる人権問題の提起が可能である。とくに1503手続きは,個人やNGOからの通報をもとに大規模な人権侵害を審査し,とるべき措置を決定するものである。人権委員会や人権小委員会の場で権侵害であると指摘されることは,当該国政府の姿勢に大きな影響を与えるだけでなく,国際世論の形成にとっても重要な効果をもつ。ただし,この手続きの目的は,個々の人権侵害の被害者の救済ではなく人権状況・事態の改善を当該国家に求めることにある。そのほか,国別手続き,テーマ別手続き(例えば,従軍慰安婦問題,代用監獄問題など)という方法を通じて国連からの勧告を行う試みもなされてきた。これらの手続きは,後に述べる国連人権理事会のもとで改善され,継続がはかられることになった。

4.人権概念の展開
 第二次世界大戦後の人権概念の展開について見てみよう。既に述べた「人権が平和の基礎」との考え方とともに,「平和な世界に生きることが人権である」という考え方,すなわち平和的生存権(平和のうちに生きる権利)が戦後主張されるようになった。近代の戦争は,一般に国民の意思とは直接関係ないところで計画、遂行されてきた。戦争と対概念でもある平和も,同様に国家の意思に大きく依存したわけだが,本来戦争や平和は国家の専有物ではなく,国民の権利,人権でもあるという考え方が国際社会の中に芽生えてきた。日本国憲法はいち早くこの考え方を取り入れたが、国連でも同様の決議をしている(注4)。
 その背景には,冷戦時代の核兵器による恐怖の均衡によって,このままの状態を放置しておけば人類は破滅してしまうのではないかとの危機意識が共有され,平和を人々の手に取り戻そうという考えが高まったということがある。
 第二に,植民地独立,「自決権」の問題である。国連憲章第1条2項(注2)は自決の原則を掲げているが,自決権は19世紀以来の列強による植民地支配を打破するための旗印となったのである。すなわち、戦後,アジア・アフリカ諸国を中心に多くの国が独立した背景には,この自決権の考え方があった。
 自決権の享有主体は,個人ではなく集団(人民)である。これは人権の主体として,個人だけではなく集団も人権享有の主体となりうることを意味する。世界人権宣言が作られたのは1948年で,まだ植民地が独立する前の時期であったから,世界人権宣言にはこのような考え方はまだ反映されておらず,その内容は欧米先進諸国の人権に関するカタログのような性格をもっていた。その後20年間に国際社会が大きく変化し,1966年の国際人権規約(A・B規約)には,それぞれ第1条に自決権が明記された(注5)。このことは,自決権が人権保障の大前提であるとの考え方を反映するものである。当時,多くの植民地が独立し国連に加盟したが,それらの国々が数の上で国連総会の多数を占めるようになったことも自決権の確立に大きく影響を与えることになったといえる。
 今日、植民地独立は達成されたが,近年,多民族国家の中の少数民族が自決権の下で分離独立することができるのかという問題が提起されている。国際法は,これに関しては歯止めをかけている。それは世界には多民族国家が数多くあり,その独立を安易に認めてしまうと,世界中が分裂の危機に陥る可能性があるからだ。したがって,分離独立(外的自決)までは認めるべきではないが,すべての人民は自らを代表する政府をもつ権利を有するべきであり(内的自決),少数者の意見も中央政府に反映されるべきであろう。旧ユーゴのコソボは一方的に独立を宣言してしまった例である。
 第三に,開発(development)と人権の問題である。植民地独立後の世界でまず起きた問題は,南北問題であった。すなわち北と南の経済格差の問題が起こり,先進諸国が途上国の開発援助を進めるようになった。開発はまず経済的なレベル(GDPなど)の向上から始まった。ところが,南の国々から,「人間らしく生きる権利を満たしてこそ本当の開発だ」との主張が提起された。これを「発展の権利」といい,社会保障,教育を受ける権利,労働条件の改善,健康などが含まれる。これに平和的生存権,環境権などを含めて登場したのが,「第三世代の人権」である。これは欧米先進国で形成,発展してきた従来の第一世代の人権(自由権)、第二世代の人権(社会権)に対して,主として途上国側から提唱された新たな人権概念である。
 第四には,自由権と20世紀的権利ともいわれる社会権の不可分性の問題である。人権はもともと自由権(国家からの自由,注6)から出発したが、その行き着く先にあったのは,貧富の格差、すなわち力ある者は繁栄するがそうでないものは落伍者となるという格差社会であった。そこでそれを是正するために登場したのが社会権(国家への自由,注7),すなわち国家は政策的に社会の不平等を改善する義務があるという考え方であった。しかし,実際には,世界人権宣言などは自由権中心の考え方が色濃く反映していたともいえる。このような考え方に対する反発から,やがて自由権と社会権は不可分一体のもので分けられないという考えが主張されるようになった。自由権の基礎には社会権がなければならないという見方である。もっと具体的にいえば,今日食べていけてこそ自由を求めることができるということだ。その背景には南北格差の問題があった。多くの途上国は貧しい国が多かったので,自由権以前に社会権的な正義・社会保障が重要だという主張がなされたのであった。具体的には,1993年6月にウィーンで開催された世界人権会議で,ウィーン宣言が採択された。その中で,発展の権利を認めるとともに,自由権と社会権の相互不可分性を認めたのである。さらにこの会議の成果として,国連人権高等弁務官が設置された。
 さらに人権の普遍性をめぐる問題がある。人権概念は元々西欧から発した考え方で,欧米中心,自由権中心,個人中心という特徴をもつ。それに対して途上国側から,「価値の押し付けはやめてほしい。われわれには別の人権観がある」という主張が提起された。人権も重要だが,家族や経済的発展の方が現時点では上位価値だという主張である。いわゆる「アジア的人権論」はその例である。きちんと食べていけてこそ人権を論じることができるのであって,人権の価値を当然のごとく振りかざし、介入するのはやめてほしいという声である。言葉を換えれば,人権という価値は本当に普遍的な価値なのか,全人類共通の価値として受け入れられているのかという問いかけである。このような論争を受けて,人権の普遍性について,「相対的普遍性」を有すると表現した学者もいる。しかし,私は,人権=human rightsであるから,先進国・途上国という区分や文化的差異を超えた人間の普遍的権利であると考えている。人権は,国際社会が相互理解を深め経済格差を是正していくための対話のツールとして,重要な概念であることは間違いない。

5.人権をめぐる最近の課題
 冷戦後の世界で,人権をめぐってどのような新たな問題が生じているか。
 冷戦終結によってイデオロギー対決が終わり,自由民主主義的価値の勝利が謳われた。それとともにグローバリゼーションが叫ばれ,これによって国境を超えて経済,情報,人権,環境などが行き交うようになった。この過程で,「人権の主流化」が唱えられるようになった。人権は,民主主義などの価値と同様,他の価値に増してより重要な価値だという考え方である。そのこと自体は正しいであろう。ただし,これは諸刃の剣でもあり,外から人権や民主主義という価値・概念を押しつけることにならないように気をつける必要がある。
 いずれにしても人権の価値が高まってきていることは否めない事実である。その典型が「人道的介入」である。1999年,ユーゴのコソボ自治州アルバニア系住民に対するミロシェビッチ政権による人権侵害をめぐってNATOが行なった空爆をきっかけに人道的介入の是非が議論された。NATOの行動が国連決議を経ずに行われたために一層議論が複雑化した。NATOの介入は,安保理決議に基づかない武力介入という点で違法であるとする主張がある一方で,看過できない重大な人権侵害を前にして安保理での合意が得られない以上,人道のための介入はやむをえないとの考えも根強く存在する。この事件は,法と正義,あるいは合法性と道義性ないしは正当性の乖離がもたらすジレンマに対して,国際社会がいかに対処するかという難題を突きつけているように思われる。
 最近は人道的介入(humanitarian intervention)という言葉に代わって,「保護する責任」(responsibility to protect)という言葉が使われるようになっている。主としてカナダ政府が主導して生まれた言葉であるが,政権が崩壊したような破綻国家では,本来国家が保護すべき人権が保護されないために,国際社会がその国家に代わって責任を果たすという考え方である。これは現在,国連の文書にとりいれられ,主流概念となりつつある。しかし,やり方を間違えれば軍事力を伴うこともあって犠牲を出すことにもなりかねず,結果的に人権侵害をもたらすことになるため,慎重さが求められる。
 第二は,戦争犯罪人の訴追・処罰である。冷戦後内戦が多発するようになったが,その過程で,ルワンダでの大量虐殺のようなジェノサイドなど,重大な人権侵害が起きている。内戦の過程で起こる重大な人道に対する罪を法の下で裁く,法による正義の実現をどう図るかという問題である。旧ユーゴやルワンダでは,安保理決議によって特別法廷(旧ユーゴおよびルワンダ国際刑事裁判所)が設置されたが,そうした法廷を常設化しようということで生まれたのが国際刑事裁判所(ICC)である。このように重大な人権侵害,人道に対する罪について許さないという潮流が定着しつつある。
 第三は,9.11米国同時多発テロ事件以降のテロと人権の問題である。ブッシュ大統領が「テロとの戦い」を宣言して以降,世界各地でテロ犯が捕まっているが,その処遇をめぐる問題である。通常の戦争では,捕虜は国際人道法に基づき一定の人道的な処遇がなされるが,テロリストは人道法上の保護の対象にならないとの主張がなされた。正規戦闘員が捕まれば捕虜となるが,テロリストは非正規戦闘員なので,法の保護の外にある分子としてどう処遇してもよいとの考えがみられるようになった。イラクのアブグレイブ刑務所やキューバのグアンタナモ収容所ではテロリストの扱いが問題になったが,テロリストの人権についてどう考えればよいのかについて,国際法上の枠組みがまだ追いついていない状況にある。
 さらに、テロ対策のために一般市民の人権も制限の対象になる場合が生じている。例えば,テロ対策に伴う入国管理強化のための外国人指紋押捺等の制度の導入である。また難民は人道上保護されるべき対象であるが,そこにテロリストが混じりこむような場合には,逆に排除しなければならず,違ったベクトルが同時に作用する結果、対応はより難しいものとなっている。
 最後に,国連改革と人権について述べたい。
 2005年に国連のアナン事務総長(当時)が,国連改革に関する報告書を提出した。その中の一つとして「人権理事会」の設置が提案された。国連には創設当初から国連人権委員会があったが,その委員会には人権侵害国がメンバーとして入ったりして,先進国と途上国,あるいは侵害国との対立が生じてうまく機能しない事態が生じていた。その改善のために提案されたもので,実際には2006年に国連総会の補助機関として「人権理事会」が誕生した。
 この改革のポイントは,まず旧人権委員会のメンバー国53カ国のスリム化であった。結果的には,わずかな削減に留まり47カ国となった。もう一つはメンバー国選出の厳格化である。旧委員会のときは経済社会理事会が選出していたが,人権理事会では国連総会で半数以上の賛成票をもって選出されることになった。また地域割り当てが決まっており,アジア・アフリカ諸国の割り当てが大きいために,人権侵害国がメンバー国に選出されることもありうる。チベット,北朝鮮,ミャンマーなどの人権問題について,十分な機能を発揮できていない現状も指摘されている。決定事項が法的拘束力を持たないことも,実効性に乏しい理由である。よりよい人権機関を目指して現在検討がなされている最中である。
 最後に、今後も国際人権を保障していく上でNGOの役割は重要である。国家は人権の擁護者であると同時に人権の侵害者にもなりうる存在なので,国連やNGOなど国家以外のアクターの役割が重要になる。とくにNGOは,人権被害者側,当事者としての立場に立つことができる点が特長で,人道主義的立場から国際人権条約の発展に大きな貢献をしてきた。例えば,国際人道法の基礎を作ったのは赤十字国際委員会であり,拷問等禁止条約の制定に影響を与えたのはアムネスティ・インターナショナルであった。最近では,(人権条約ではないが)対人地雷全面禁止条約,クラスター爆弾禁止条約などNGOが人道的な貢献をしており,市民社会の声を代弁する存在として注目されている。
 もちろんNGOにはその正統性の問題もある。彼らは市民が選挙で選んだわけではないので法的正統性に乏しいという批判である。NGOの多くは先進諸国のものなので,NGOの中にも南北問題があるとの指摘もある。つまりNGOを使って北の価値観を広めようとしているのではないかという懸念である。このような課題があるので,諸手を挙げてNGO万能ということにはならないが,今後NGOとよきパートナーシップを築いていくことが一層求められるようになっていくことは間違いないであろう。
 主権と人権のせめぎあいの中で,法を通じて国際社会において人間の価値をいかに実現していくかは,国際法と国際社会に課せられた21世紀の重要な課題であるといえる。

(2010年3月3日)

注1 消極的平和 ヨハン・ガルトゥング(Johan Galtung,ノルウェーの政治学者,1930- )の造語。平和とは戦争がないことであるという伝統的な観念を批判して,彼は単に戦争がないことを「消極的平和」(negative peace)と呼び,これよりさらに進んで「中心と周辺」の間の支配=服従関係が清算され,「構造的暴力」が廃絶された社会的状態のことを「積極的平和」(positive peace)と名づけ,平和研究に新しい方向づけを行なった(『現代政治学小辞典』有斐閣より)。 注2 国連憲章 第1条<目的>国際連合の目的は,次のとおりである。 国際の平和及び安全を維持すること。そのために,平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。 人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置を取ること。 経済的,社会的,文化的又は人道的性質を有する国際問題を解決することについて,並びに人種,性,言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて,国際協力を達成すること。 これらの共通の目的の達成に当って諸国の行動を調和するための中心となること。 第2条<原則>この機構及びその加盟国は,第1条に掲げる目的を達成するに当っては,次の原則に従って行動しなければならない。 (1〜6省略) 7 この憲章のいかなる規定も,本質上いずれかの国の国内管轄内にある事項に干渉する権限を国際連合に与えるものではなく,また,その事項をこの憲章に基く解決に付託することを加盟国に要求するものでもない。但し,この原則は,第7章に基く強制措置の適用を妨げるものではない。 注3 条約法に関するウィーン条約第60条 (条約違反の結果としての条約の終了又は運用停止) 1 二国間の条約につきその一方の当事国による重大な違反があつた場合には,他方の当事国は,当該違反を条約の終了又は条約の全部若しくは一部の運用停止の根拠として援用することができる。 2 多数国間の条約につきその一の当事国による重大な違反があつた場合には, (a)他の当事国は,一致して合意することにより,次の関係において,条約の全部若しくは一部の運用を停止し又は条約を終了させることができる。 (i )他の当事国と違反を行った国との間の関係 (ii)すべての当事国の間の関係 (b)違反により特に影響を受けた当事国は,自国と当該違反を行った国との間の関係において,当該違反を条約の全部又は一部の運用停止の根拠として援用することができる。 (c)条約の性質上,一の当事国による重大な違反が条約に基づく義務の履行の継続についてのすべての当事国の立場を根本的に変更するものであるときは,当該違反を行った国以外の当事国は,当該違反を自国につき条約の全部又は一部の運用を停止する根拠として援用することができる。 3 この条の規定の適用上,重大な条約違反とは,次のものをいう。 (a)条約の否定であってこの条約により認められないもの (b)条約の趣旨及び目的の実現に不可欠な規定についての違反 4 1から3までの規定は,条約違反があつた場合に適用される当該条約の規定に影響を及ぼすものではない。 5 1から3までの規定は,人道的性格を有する条約に定める身体の保護に関する規定,特にこのような条約により保護される者に対する報復(形式のいかんを問わない。)を禁止する規定については,適用しない。 注4 平和に対する権利 国際人権委員会は1976年の決議において「すべての者は,国際の平和と安全の条件の下に生きる権利を有する」と述べた。また国連総会は1978年に「平和的生存のための社会の準備に関する宣言」と題する決議を行なった。 注5 国際人権規約共通第1条<人民の自決の権利> 1 すべての人民は,自決の権利を有する。この権利に基づきすべての人民は,その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的,社会的及び文化的発展を自由に追求する。 2 すべての人民は,互恵の原則に基づく国際的経済協力から生ずる義務及び国際法上の義務に違反しない限り,自己のためにその天然の富及び資源を自由に処分することができる。人民は,いかなる場合にも,その生存のための手段を奪われることはない。 3 この規約の締約国(非自治地域及び信託統治地域の施政の責任を有する国を含む)は,国際連合憲章の規定に従い,自決の権利が実現されることを促進し及び自決の権利を尊重する。 注6 自由権 国家や教会のような既存の組織や他人の権力行使から,個人の自由を守るための権利一般のこと。生命・身体・私的所有の保障,内面の自由,言論・出版・表現の自由,経済活動の自由を主な内容とする。人間が生まれながらにもつ不可侵の権利(自然権)として,17〜8世紀のヨーロッパで確立した。人権思想の根幹をなす。私的所有や経済活動の自由に関しては,公共の福祉のための一定程度の制限を認める立場もある(『現代政治学小辞典』有斐閣より)。 注7 社会権 貧困や差別,低賃金や失業,劣悪な生活環境といった社会問題の解決のために,国家より積極的な介入や,個人の経済的自由のある程度の制限を求める権利一般のこと。労働条件の改善を求める権利,教育を受ける権利,生存権などから成る。20世紀になって,社会主義・社会民主主義の影響を受け,組合活動の自由の保障や各種の福祉政策の必要が認識されたとき,従来の自由権の不足を補う新しい権利として確立した(『現代政治学小辞典』有斐閣より)。

プロフィール なかやま・まさし
1986年創価大学大学院法学研究科(博士前期課程)修了(国際法専攻)。その後,創価大学比較文化研究所研究員,同大学平和問題研究所研究員,同大学法学部助教授等を経て,2003年同大学法学部教授に就任,現在に至る。その間,ハーバード大学ケネディースクール客員研究員を務める。専攻は,国際法,国際機構論。共著に『法学・憲法の基礎(新版)』,『人権とは何か』,『地球市民をめざす平和学』など,共訳にケネス・ボールディング原著『トータルシステム』,論文として「国家の論理と人間の権利に関する一考察」,「人道的介入と国連の課題」,「『人間の安全保障』と『武力行使』の交錯」他多数。