人類の進化から見えてきた種の進化の真相

−統合力の進化

城西国際大学教授 望月清文


1.まえがき
 1857年,ダーウィンが「種の起源」を発表して以来,現在生息するあらゆる生物は,単純な生物から突然変異と自然淘汰を繰り返しながら漸次進化してきたことが一般的には信じられるようになってきた。そして,人間もその例外ではなく,進化の中から生まれてきたものであることが,広く認められるようになってきた。ただ,現在を生きるわれわれ人間は一体どのような進化によって,言葉による豊かなコミュニケーション能力を身につけ,複雑極まりない様々な道具を生み出す能力を身につけ,音楽や絵画などの芸術的,文化的営みをする能力を獲得したのかに関しては,まだはっきりとした答は得られていない。
 ただ,これまでの考古学は,人骨化石などの分析結果から,700万年前頃,猿人から人類へと進化が起こり,その人類は,200万年前頃に直立二足歩行を行うホモ・エレクトスへと進化し,さらに,そのホモ・エレクトスに代表される旧人は,ある時期,現生人としての新人へと進化してきたことを明らかにしてきた。そして,その旧人から新人への進化に関しても,考古学と近年富みに発達してきた分子進化学との連携によって,その真相が次第に明らかにされつつある。ヨーロッパ人,アジア人,アフリカ人を含む世界147人から集められたミトコンドリアDNAの分析結果は,現代人のルーツが,今から20万年前のアフリカに住んでいた一人の女性に帰するという結果を出してきている(1)。
 この「現代人の共通な祖先は,今から20万年前にアフリカに生活していた一人の女性(イヴ)に帰する」という結果は,旧人から新人への進化が,この時期になされたことを物語るものなのであろうか。ただ,もし,そうだとするならば,この時期以降,人類の精神的進化の模様を物語る具体的な遺物が残されていてもいいはずなのだが,そうした痕跡を示すような遺物は,少なくとも10万年前以前にはほとんど発見されてはいない。そして,人類の精神的進化を物語る遺跡や石器が残され始めるのは,ミトコンドリアDNAから見出されたイヴの誕生より10万年以上も経った5万年前頃からである。この時期,人類には,文化的爆発と表現されるように,突然,文化が開花する。彫刻,洞窟壁画,石器の多様化など,それまでの数百万年の人類の活動の中では決してみることのなかった文化的営みが,突然のごとく現れてくる。
 この文化的爆発は,ミトコンドリアDNAの分析結果から推測されるように,20万年前に新人へと進化した人類が,漸次新人としての知能を発達させた結果なのであろうか。それとも,現代人の共通な祖先が20万年前のアフリカで誕生したという結果は,単に旧人が20万年前にいくつかの集団に分離したことを物語っているにすぎず,人類の新人への進化は,文化的遺物が示すように,5万年前頃突如として起きたものなのだろうか。
 考古学者ミズンは,これまでに得られている考古学,心理学,認知学などの知見をもとに,この文化的爆発を誘引した人類の心の進化として,初期新人が獲得したいくつかの独立した知能が5万年前頃完全な形で統合されたことを推測している(2)。もし,そうだとするならば,その統合は一瞬のことであったのだろうか。それとも漸次的なものであったのだろうか。いずれにしても,現代人のような心を持った人類が一体いつ現れたのか,そして,現代人の心を生み出している基本となる進化とは一体何であるのかということに関しては,直接的な解明にはまだ至ってはいない。
 というのは,これまでの考古学が明らかにしているのは,あくまでも,石器,彫刻,洞窟壁画といった人類の残した遺物から,当時の人類の心を間接的に推測するものであり,直接この時期の人類の精神的進化を示す痕跡を発掘することができてはいないからである。そして,人類の形態的進化を示す人骨化石は残されていたとしても,人類の心の進化を物語る心の化石は完全に消え去ってしまうと一般には考えられているからである。
 ところが,この一般常識とも思える考えを覆してしまうような結果が,今を生きる現代人の心の中から浮かび上がってきた。考古の人達の心の進化を物語る化石が,われわれの心の中に残されていたのである(3)。本論文においては,この心の化石の概要と,そこから導かれた人類の精神的進化に関して述べ,これらの結果をもとに,生物進化の真相について論ずることにする。

2.心の化石
 確かに,われわれは,この地球という大地が,われわれが生まれる以前から存在していて,その大地の中に,われわれの祖先の人骨化石や遺物が残されていることには素直にうなずくことができる。ところが,今を生きるわれわれの心の中に,われわれの祖先の残した心の化石が秘められていることを想像することは,それほどやさしいことではなかろう。しかし,よく考えてみると,われわれが,普段ものを見たり,聞いたりして,そこから生まれてくる快さや,さわやかさといった心模様は,生来,誰かに教わったというものではなく,先天的に持っている一つの能力であることが分かる。精神科学の世界では,われわれの心を意識と無意識とに分け,意識の根底に広大な無意識の世界が広がっていることを明らかにしてきているが,実は,この無意識の世界に生命進化と係わる心の遺跡が秘められていたのである。
 この無意識の世界に,明るいとか,美しいといった言葉で表現される感性の世界がある。この明るいとか,美しいといった感性を表現した言葉は,五感と極めて深い係わりを持っている。例えば,明るいという言葉は,明るい部屋,明るい色といったように,視覚刺激と係わって用いられるが,明るい音,明るい声といったように,聴覚刺激との係わりとしても用いられている。ところが,明るい味とか,明るい肌触りといった表現はされないように,味覚や触覚との係わりで用いられることはほとんどない。このように,われわれは,一つの言葉を五感とある特別な関係をつけて用いているが,そのことにはほとんど気付いていない。
 一つの言葉が,複数の感覚に共通して用いられる現象を心理学や哲学の分野では共通感覚と呼んでいるが,この共通感覚が,民族によって微妙に異なっていて,この異なりが,言語や文化的環境といった後天的なものに左右されるのではなく,遺伝と深く係わっていることが明らかになってきた(3)。
 感性を表現した言葉165語を用いて,言葉と五感との係わりについて,世界27民族に対して調査を行った。その結果から得られた民族のクラスター分析結果を図1に示してある。このクラスター結果には,アフリカ人・南洋人を除く現代人が大きく4つのグループに分類されている。その四つの内の第一は,Aの表示で示されている民族で,ポルトガル人,イギリス人,スウェーデン人といった西ヨーロッパに住む民族の一部と日本人の一部であり,これらはユーラシア大陸の西と東の両端に住む民族である。第二にはBの表示で示されている民族で,東アジア民族を中心とする民族,第三にはCの表示で示されている西ヨーロッパ民族,そして第四として,Dの表示で示されている民族で,地中海沿岸から東南アジアにかけて広く分布している民族である。そして,この四つのクラスターの中に,日本人が大きく三つの民族に分かれて分布していることが合わせて示されている。この結果は,ミトコンドリアDNAの分析結果とも極めてよく一致しているし,これまでに得られている各民族の考古学的ルーツとも矛盾はない。これらのことは,共通感覚の一つの現われである言葉と五感との係わりの民族性が,遺伝と深く係わっていることを物語るものであり,この結果は,精神世界の遺伝性を具体的な形として初めて導きだした結果でもある。
 ここで重要なことは,この言葉と五感との係わりと,その遺伝性の意味することである。一つの言葉が複数の感覚と係わって用いられる――これは共通感覚そのものではなく,共通感覚の一つの現れであるが――ということが起きるのは,人類に言葉と係わった,すなわち,概念世界の中でイメージを浮かべる力が誕生したということである。一つの言葉,それはすでに概念の表出であるが,その言葉によって,複数の感覚に入る異なる刺激が一つのイメージとして統合されているのである。その統合する力こそまさに共通感覚である。共通感覚に関しては,アリストテレス以来,デカルト,ルソー,カントといった近代思想を打ち立てた先哲によっても議論されてきていて,概念世界の中で起こる様々な事象を一つのものとして統合する力であり,人間を人間たらしめるもっとも基本的かつ重要な能力であると考えられてきた。一つの言葉が複数の感覚と係わりあうというのは,言葉が感覚と概念的に結ばれているからであり,共通感覚の存在なくしては考えられないことである。したがって,言葉と五感との係わりの民族性の誕生は,まさに共通感覚の誕生を意味することになる。
 言葉と五感との係わりの民族的特徴は,たとえば,図1において,クラスターAに属する民族は,一つの言葉をいくつもの感覚と係わらせていて,言葉を複数の感覚と係わらせるイメージ力の強さを物語っている。これに対して,クラスターBに属する民族は,一つの言葉を一つの感覚とだけ,多くても二つの感覚としか係わらすことがなく,それだけ言葉を五感と結びつけるイメージ力が弱いことを物語っている。このような民族的特徴が生まれてくるのは,人類が旧人から新人へと進化するときに獲得した共通感覚が,その進化の時期にそれぞれの民族が生活していた風土を内に取り込んで,それが言葉と五感との係わりの民族性となって遺伝化したことによるものと考えられる。例えば,言葉と五感との係わりが強いクラスターAに属する民族は,五感への刺激が豊かである森林的風土のもとで生活していた民族であり,逆に,言葉と五感との係わりが弱いクラスターBに属する民族は,五感への刺激の乏しい砂漠的風土のもとで生活していた民族であると考えられる。すなわち,言葉と五感との係わりに現れている民族的特徴は,共通感覚が獲得された時期に各民族が生活していた風土的情報であるということである。
 このことは,火山を譬えに用いると,より理解しやすいであろう。火山が爆発してマグマが四方八方に流れ出るが,このマグマの固まることが共通感覚の誕生であるとすると,言葉と五感との係わりは,その固まったマグマの中に取り込まれた風土的情報ということになる。北側の斜面に流れ出たマグマは,石ころを内に巻き込んで固まるであろうし,草木の生い茂った南側の斜面に流れ出たマグマは,草木を内に巻き込んで固まるであろう。共通感覚としてのマグマは,人類に共通であるが,マグマの中に取り込まれた石や草木が,風土と係わった言葉と五感との係わりであり,そこに民族性が生まれてくることになる。そして,この石ころや草木がマグマと一体化するのが,マグマが固まった時であるのと同様に,言葉と五感との係わりという風土的特徴が遺伝化された時が,まさに共通感覚が人類に誕生した時であると推測できる。
 言葉と五感との係わりは,たとえば,ハングル語で調査した韓国人の結果は,日本語で調査した一部の日本人の特徴と重なりあってくるし,言語の異なる西ヨーロッパ諸国の民族の言葉と五感との係わりは極めてよく似ている。言語が異なっても,考古学的にみて民族のルーツが同じである場合には,言葉と五感との係わりは似たものになってくる。逆に,日本人が三つの異なる民族性をもっているように,言語は同じであっても,民族のルーツが異なる場合には,言葉と五感との係わりは異なってくる。このことは,言葉と五感との係わりに現れる民族性は,言語によって影響されないということを意味している。そして,このことは,私たちの心の深層には,言葉と五感との係わりをイメージさせる一種の鋳型のようなものがあるということである。そのイメージの鋳型が民族性をもち,その鋳型に従って言葉と五感との係わりが生み出されてきているのである。そのイメージの鋳型が,先に述べたように,人類に共通感覚が誕生した時,それぞれの民族の生活していた風土と係わって形造られたものと考えられる。
 以上のことを考えると,旧人から新人への人類の進化を考える上で極めて重要な事柄が図1には示されていることが分かる。それは,AからDまでの各クラスターに属する民族には,それぞれに特徴のある言葉と五感との係わりがあるが,このことは,AからDまでのクラスターによって4つに分類された各民族が,それぞれ別々の風土の下で生活するようになった以降に共通感覚が誕生したということである。もし,そうではなく,人類がまだ一つの民族として同じ風土の下で一緒に生活していた時期に共通感覚が誕生したのだとすると,風土によって形作られたと考えられる言葉と五感との係わりに民族性など現れようがないからである。そして,このことは,人類が旧人から新人へと進化したその進化の様態に関して極めて重要な事柄を暗示している。それは,人類の旧人から新人への進化が,空間を越えて各民族に独立に起こっていたということである。独立に起こっていたから風土に根ざした言葉と五感との係わりに民族性が生まれたのである。
 このことは,人類の旧人から新人への進化が,一個体に生じた突然変異が交配によって漸次的に種内に広まっていくという進化形態ではなく,空間を越えて各個体に同じように起こった進化であったことを物語っている。さらに,この進化が,風土の異なる環境の中に生活していた各個体に同じように起こっていたことを考えると,この進化が単なる偶然的な突然変異に根ざしたものではなく,人類に必然的なものとして,各個体にほとんど同時的に発生した共時的な進化であったと考えられる。

3.共通感覚の誕生時期
  それでは,一体,その種の進化はいつ頃起きたのであろうか。そのことを考える上で重要な結果が図1には示されている。その一つは,クラスターAに属する民族とのかかわりにある。クラスターAには,ポルトガル人,イギリス人,スウェーデン人というユーラシア大陸の西と西北の端に生活する民族と,一部の日本人として,ユーラシア大陸の東の端に生活する民族が含まれている。このクラスター分類が意味していることは,共通感覚の誕生が,クラスターAに属する民族がユーラシア大陸の西と東とに別れて移動し始める以前に起きていたということである。というのは,もしこの民族が分かれた以降に共通感覚が誕生したのだとすると,地理的にも遠く隔たり,風土的にも異なるユーラシア大陸の西と東に生活する民族の言葉と五感との係わりが,同じクラスターに分類されることなど起こりようがないからである。
 これら二つの民族の考古学的な係わりについては文献(3)に詳述されているが,この民族は,10万年前頃アフリカ大陸を離れた後,中央アジア・レバント地方,現在のイスラエル,レバノン,シリアあたりで共に生活していたが,やがて,西と東に分かれ,独自の生活を築き上げていった。やがて,この二つの民族は,その後からアフリカ大陸を旅立った他の民族に後を追われるかのようにして,ユーラシア大陸の両端に住むようになったのであろう。この民族のうち,ユーラシア大陸の西端に生活していた民族がクロマニョン人であったものと考えられる。この二つの民族が分かれたのは,共通感覚が誕生した以降のことであり,同じ風土に支えられた言葉と五感との係わりを抱いて,二つの民族は,ユーラシア大陸の西と東の両端に生活するようになったのである。この民族が西と東に分かれた時期は新人がユーラシア大陸に広く拡散を始めた4万5000年前頃であると推定されている。したがって,共通感覚の誕生した時期は,4万5000年前以前ということになる。
 一方,西ヨーロッパ民族(クラスターC)と東アジア民族(クラスターB)の言葉と五感との係わりは大きく異なり,共通感覚の誕生が,この二つの民族が分かれた以降に起きていたことを物語っている。西ヨーロッパ民族と東アジア民族とが分離した時期は,DNAの分析から求められていて,それは5万5000年前頃のことである。したがって共通感覚の誕生は,5万5000年前以降であったことが推測される。
 以上のことから,共通感覚の誕生時期として,5万5000年前以降,4万5000年前以前,すなわち,5万年前頃であったことが推測できる。そして,この時期は,先に述べた文化的爆発と呼ばれる人類の文化への目覚めが急速に発達し始める時期であり,共通感覚の誕生時期と人類の文化的目覚めの時期とが,見事に一致してくることになる。すなわち,人類はこの時期,共通感覚という新たな統合力を手に入れることによって,旧人から新人への進化を果たしたものと考えられる。

4.考察
 これまで見てきたように,人類が旧人から新人へと進化したのは,共通感覚の獲得にあった。そして,それは,言葉によるコミュニケーションを可能とさせ,道具を創造し,豊かな社会性を生み出す人間としての知恵の獲得であった。そして,その知恵をよく考えてみると,それは概念世界において全体を一つとして捉える統合する力の誕生であることが分かる。新人への進化の賜,すなわち共通感覚という統合力の誕生は,言葉による豊かなコミュニケーションを発達させ,複雑な道具や芸術作品を生み出す創造力となり,相手を思いやる共感や協調の心を生み出した。
 これらの能力を脳機能との係わりで見てみるならば,極めて多くの脳の部位が複雑に関わっていることが分かる。例えば,言葉を話す機能一つにしても,単にウェルニッケ野やブローカ野といった左脳に片寄った所にあるだけではなく,前頭連合野の存在もコミュニケーションを行う上ではかけがえのないものであるし,右脳にしても,コミュニケーションに豊かな感情を表現する上では重要な機能を秘めている。これらの複雑性を生み出す進化が,遺伝子の中の一つや二つの塩基の突然変異に基づく漸次的な進化であるとは考えられず,この複雑性を生み出している源には,共通感覚の誕生が示しているように,遺伝子全体に関わる大きな変化,すなわち,全体を一つとして統合する統合力の進化が起きていたものと考えられる。
 そして,種の進化は,旧人から新人への進化が,共通感覚という新たな統合力の誕生にあったのと同じように,個々の塩基の突然変異に依存するのではなく,塩基の変異としてはっきりとは現れてこない全体を一つに統合する新たな統合力の誕生によってもたらされたものと考えられる。すなわち,同種内での変化としての小進化は,遺伝子の個々の塩基の突然変異によって引き起こされるのに対して,種の進化となる大進化は,遺伝子全体に影響を与える新たな統合力の誕生に負っているということである。
 これまで述べてきたことは,人間の発明したものとのかかわりで比喩的に説明することができる。たとえば,車には,多数の部品が用いられているが,その部品を変えることで車に変化を与えることはできる。しかし,どんなに部品を変えていっても,車は車のままである。それは,多数の部品が全体として一つの車になるよう人間の抱くイメージが基盤にあるからである。車のイメージの下では,車の部品をどのように変えようとも,車は車であり続ける。車の部品にどんな変化を与えたとしても,車のイメージの下では,車が飛行機になることはあり得ない。車の部品を用いて飛行機を作り上げるためには,飛行機のイメージが新たに与えられなければならないのは当然のことである。
 この車と飛行機の比喩によって示されるように,人間の作り上げるものの基盤には,直接目ではとらえることのできない人間の抱くイメージがある。これと同じように,種にはそれぞれ種に特有な統合力があり,ゲノム全体を統合して一つの成体を作り上げているものと考えられる。一つのイメージの下,すなわち一つの統合力の下でのDNAの変化は,同じ種内での変化でしかあり得ない。これに対して,新たな種の誕生は,新たな統合力の誕生によって引き起こされるのである。
 また,進化論を考える上でもう一つ大切なことは,これまでに見てきたように,人類の精神的進化を促した共通感覚の誕生が,空間的に全く別々なところで生活していた民族に,ほとんど同じ時期に一斉に起きていたということである。すなわち,種の進化が,遺伝子全体に影響を及ぼすような変化であり,それが,交配といった直接的な係わりで進化するというのではなく,空間を超えた次元で行われていたということである。このことは,生物の進化が,ダーウィンが提唱し,その後のダーウィニスト達によって声高々に叫ばれている突然変異と自然淘汰といった小進化の連続性の中で起きているのではなく,これまでの科学ではまだ捉えることのできていない新たな統合力の誕生によってもたらされることを暗示している。すなわち,分子生物学が捉えている遺伝子のDNA塩基の個々の変異といった目に見える形での変化ではなく,DNA全体を一つにまとめ上げている統合力が変化することによって種が変わるような大きな変化が生まれていたものと考えられる。
 すなわち,種を区別しているのは,DNAではなく,DNA全体を一つに統合する統合力によっているということである。これを草木と大地との係わりに喩えてみるとことがより分かりやすくなるであろう。 個々のDNAに対応するのが個々の草木であり,統合力に対応するのが大地とするとしよう。同じ草木でも,大地の肥沃さが異なると,成長や,形も異なっていくのと同じように,種の異なりは大地の異なり,すなわち統合力の異なりである。そして,この統合力こそ,これまでの科学が暗黙のうちに切り捨ててきてしまった物質の内的世界であり,その世界こそ,人類に精神世界をもたらしたものであると考えられる。統合力によって,DNAの一つ一つの塩基は活性化され,その統合力によって,種としての特徴のある形態や行動が形作られているのである。すなわち,種の特徴である形態にしても棲み分けにしても,種の抱くこの統合力によって生み出されているということである。そして,その全ての生物に秘められた統合力は,人類においては,共通感覚という統合力へと進化したのであろう。

5.生命の営みへの接近と近代科学の限界
 以上述べてきたように,人類は5万年前頃,共通感覚という概念世界を統合する力を獲得することで旧人から新人への進化を果たした。この進化からは,種の進化を考える上でいくつか重要な事柄が浮かび上がってきた。その一つは,種の進化が,ダーウィンの説く,種にとって有用な変異が,漸次的に蓄積され種が進化するという進化形態ではなく,種内の個体にほとんど一斉に,短期間で起こる交配によらない内発的な進化であるということである。それと,もう一つ大切なことは,種の進化が,個々の機能が進化することから生まれてくるのではなく,共通感覚の誕生に見られるように,統合力の進化によって引き起こされるということである。これらの考えは,古生物の化石記録から見い出された断続平衡進化の考えとも,今西錦司の提唱していた進化論とも重なり合ってくる。ただ,この両者とも,その進化が部分の変化ではなく,全体を一とする統合力の進化によるもであることについては言及してはいない。
 これまでの科学は,観察する者がとらえた現象の世界においてもっぱら議論されてきた。それは,ニュートン力学に始まり,原子や分子の世界を記述する量子力学の世界においても踏襲され,さらに,ダーウィンによって始まる種の進化においても同じ立場に立って,生命体に内在する内的世界には目もくれず,もっぱら客観的と目される現象の世界においてのみ議論されてきた。しかし,人類の旧人から新人への進化が,共通感覚という内的世界を統合する統合力の進化によってもたらされたのと同じように,全ての生物の進化には,個々の生物の内的世界が深く関与していて,種の進化は,その内的世界を統合する統合力が進化することで行われてきたものと考えられる。ただ,ここで注意したいことは,共通感覚も言葉と五感との係わりという一つの現象を介してその存在がわれわれ人間によって感じ取られたのと同じように,生命体の進化を司る統合力の存在は,現象の世界では直接とらえることはできないということである。
 カントが『純粋理性批判』の中で,「人間の理性が理解できるのはどこまでか?」ということを命題に,理性の限界について述べているが,それによると,理性が理解できる範囲は,時間と空間によって規定された世界だけで,時空を超越した世界については,理性の理解は及ばないということである。カントはその理性の理解の及ばない世界を「物自体」と表現した。つまり,目の前のモノはそれ自体として五感で認識できても,そのモノを生み出している物自体は目で直接とらえることはできないということである。そして,生命の営みは,物自体の世界にあり,科学がとらえることができるのは,その物自体から生み出されてくるモノとしての現象の世界だけである。
 われわれが認識する世界,科学がとらえる世界は,あくまでも森羅万象の繰り広げる現象としての世界であり,時空の支配する世界である。これに対してわれわれも含めた森羅万象の内的世界,すなわち物自体の世界は,時空を超越した世界であり,それは森羅万象の内的世界を統合している世界である。
 種の進化,種の誕生は,まさに生命の営みであるから,その真相を探求するためには,生命そのものの内に入り込んでいく必要がある。にもかかわらず,ダーウィンを代表とする科学者たちは,種の誕生を従来の科学と同じように現象の世界でとらえようとしてきた。そのために,現象の世界の根底に物自体としての統合の世界があることに気付かず,現象の世界に現われる部分的な変化から種の誕生を考えてきてしまった。そこに,生命と係わった科学の誤謬があることに多くの科学者は気付いていない。種の誕生という生命の営みを理解するためには,その生命の営みの糟粕としての現象だけに探求の目を向けるのではなく,科学者自身の生命と直接係わる自分自身の内を見つめることが必要であり,それは,科学者一人ひとりが自ら新たな精神的進化に向かって努力することでもある。
 以上のように,種の進化についての議論も含めて,これまでの科学は,現象の世界を観察することだけで自然の営みを説明しようとしてきた。しかし,人間の行動がそうであるように,自然の営みも個々の生命体の内的世界が深く係わって一つの現象を生み出しているのであり,この内的世界を無視した生命進化の議論が片手落ちであることは本論文の結果から理解できるのではないだろうか。ダーウィンが自身の進化の考えの中で,疑問に考えたいくつかの難題の中に,本能や異種間の不稔の問題がある。これらの問題も,統合力を基本にして考えていくと,難問ではなくなってくる。本能や種の存在も,統合力と密接な係わりをもっていて,人間の営みもその例外ではないのだが,これらのことについては場を改めて詳しく論述することにしたい。
<参考文献>
1)CANN,R.L., STONEKING,M. and WILSON,A.C.,Nature 325,1987,pp31-36 2)MITHEN,S.,松浦俊輔他訳『こころの先史時代』,青土社,1998  3)望月清文,『3重構造の日本人』,NHK出版,2001

(2010年6月2日)

プロフィール もちづき・きよふみ
1950年山梨県生まれ。75年大阪大学大学院修士課程修了。その後,KDD入社。78〜79年,英国・サザンプトン大学客員研究員。79年からKDD研究所で光ファイバー通信,感性科学などを研究。84年英国電気学会よりIEE論文賞受賞。96年KDD総研取締役。その後,潟xルシステム24取締役,同総合研究所長を経て,現在,城西国際大学経営情報学部教授。工学博士。主な著書に,『サービス進化論』『3重構造の日本人』『生命の進化と精神の進化』他。